第二話『天使と罪と』(2)
愕然としていた。正直な理由を述べるとそうなる。
あの天使は何者なのか、それがまったく分からない。
アザゼルと名乗ってはいたが、羽はなくなるし、天使の輪は黒くなった。
あの写真の天使とまったく同じだと、美樹は思っていた。
あれから、四時間ほど経った。
戦死者一五。それに対して天使討伐数四八。うち四三が、あのアザゼルの手による物だ。
数だけを見れば大勝利と言うより他ないが、しかし、何か釈然としないと、美樹は感じていた。不確定要素で勝ったような物だからだ。
しかも、自分は殺されていてもおかしくなかった。死が眼前に迫ると、人間はああも怯えるのかと、今でも肝が冷える。
おかげで、朝食った飯は、すぐさまトイレで胃液と一緒に戻してしまった。
しかし、赤城からは無理矢理にでも食えと、昼食はだいぶ高カロリーな代物をあてがわれた。
食えるかどうかと思ったが、思ったより食べられた時、思ったより人間は浅ましいと、心底思った。
仲間が死のうが、自分は生きている。死んだ者のことは忘れることは出来ないだろう。
だが、自分は生きているとすれば、その死んだ仲間の分まで生きろ。そしてとにかく食って、次への活力とせよ。
赤城が、昔からよく言っていた言葉だった。
研究室に戻ってからは、研究班と共に観測されたデータや、医療班から渡されたデータを元にしてアザゼルや天使に対する研究データの更新に明け暮れている。
しかし、分析すれば分析するほど思う。
間違いなくアザゼルは相当の化け物だ。それが天使に刃向かった。
今あれがここの中で暴れたら、こちらはもうどうしようもないと、思うより他なかった。
そして今その事後処理で何処も忙しいが、特に忙しいのは自分達研究班と医療班だ。特に医療班は、負傷者の救護のみならず、天使の解剖までやらなければならない。
天使の解剖を行い、それから出てきた骨やら組織やらを使って武器を作る。そのための解体が、どうしても必要になるのだ。
どういうわけか、天使はそれ程人間と構造が変わらない。羽が生えてたり、頭の輪がなければ、人間と言われても分からないだろう。
臓器の位置もほぼ一緒だが、細胞片と脳の一部、肩甲骨は調べるともはや人間としての原型を止めないほど改造されていた。
誰がどうやって改造したのかは分からない。アザゼルなら分かるだろうかと思わないでもないが、口を割るかどうかは分からなかった。
しかし、堕天、という言葉は妙に美樹には気がかりだった。
堕天が天使達への裏切り行為なのだと言う事だけは分かった。
その堕天が何なのか、皆目見当が付かない。
ただ、何かが天使の間で起きている。そう感じるには十分だった。
今牢屋にアザゼルは収監している。あの武器は、アザゼルが麻酔で眠ると同時に消えてしまったため、何処にあるのか分からない。
監視カメラで状態を見ているが、起きる様子はまるでない。
『美樹、あの天使の構造解析終わったよ~。今データ送るね~』
千草ののんびりとした声が、通信で聞こえてきた。
正直、その声を聞いた瞬間に、自分の中で何かがホッとした。
意外にそういう管理が、千草は上手いのだろうと感じるには十分だった。
医療班には、アザゼルの身体に関して片っ端からデータを取ってもらっている。そのデータを元に研究するのが、自分達の仕事だ。
要するに、千草の仕事はある程度一段落付いたのだろうと、十分に察した。
そして今度は、こっちが忙しくなってくる番でもある。
「ありがとね。それにしても、寝てる最中によくあっさり色々と出来たものね」
『正直さぁ、あの天使、アザゼルだっけ? 爆睡してるからMRIだろうがCTだろうが血液検査だろうが何やっても起きなかったからすごく楽だったよぉ。なんか死体やってるのか本気で思っちゃったくらいだよぉ』
「で、そっちの見解は?」
『正直言うとほぼ天使と変わらないよぉ。そんなに変わったところはそれ程ないんだけどさぁ、強いて言えば、かなぁ。細胞片がちょっと今までの天使と変わってたなぁ。より詳しくはそっちで確認してみてぇ』
「わかった。ありがとね」
それで千草との通信は切れた。
データが送られてきた旨を研究班班長に報告した後、全員でデータの確認を行うことになった。
そこには赤城も同席している。やはりアザゼルの存在が気になるのだろう。
それに、あの麻酔を打ち込んだのも赤城だ。総責任者としては、情報を知っておきたいのも道理だった。
「マッチングテスト、エラー、か」
少しして、細胞片に関してのマッチング結果が出た時に、赤城は驚くそぶりすら見せずに言った。
「細胞片は、やはり医療班からの報告通りです。今までの天使とは異なる改造になっております」
研究班全班が何度解析しても、そういう結果になった。
天使の組織の改造パターンは、多少の違いはあるにせよ、よく見てみると基本的に一パターンのみだった。
しかし、今回のアザゼルに対しての改造パターンはそれまでの物とは全く違っている。
何度振るいにかけてもエラーになるし、目視チェックまで行ったが、それでも結果は同じだった。
「アザゼル特有の物である可能性は?」
「それも考えられます。ですが、今まで全世界でパターンは決まってましたから、急にここまで変貌を遂げるのも異様すぎます」
ふむ、と赤城が唸る。
班長の言う事はもっともだ。何が原因でこんな変貌を遂げたのか。
堕天だろうか。そうとも考えられるが、それにしたってこの改造跡がやたら気になり始めた。
天使とは何なんだ。そのことが頭から離れない。
その直後、警報が鳴った。
すぐに、赤城がヘッドセットを付け、状況を確認する。
「何? アザゼルが目覚めた?! あんな象ですら眠る麻酔薬打ち込んで四時間でか?!」
なんて体力だよ。
赤城がそう呟くと同時に、赤城は警備班にアザゼルの収監されている牢屋への出撃命令を出した。
「美樹、お前も来い」
「……は?」
思わず、自分で自分のことを指さしてしまった。
「俺が奴と話す。その間のデータをとり続けろ」
「それは分かりましたけど、でも何で私なんです?!」
もう正直な感想はこれだ。
何で自分が指定されるのか、まるで分からない。
「お前、あいつに助けられただろ? それだけだ。言っておくが、拒否権はないぞ」
それだけ言って、赤城はさっさと部屋から出てしまった。
「はぁ……なんで私ばかり……」
ホントに今日は厄日だわ。
そう思いながら、機材一式を持って、部屋を出た。
何故か周囲からは、ため息が漏れていた。