第一話『天に裁かれた日』(2)
目を開けると、見慣れた天井が広がっていた。
自分の部屋だと、すぐに分かる。
もっとも、昔両親と住んでいた家の天井ではない。
今の自分の住処の天井だ。LEDの照明が一個だけあって、タイルが覆う天井。
もうこの部屋に住んで長い。
最初、粛正が起きてから一年間は、難民キャンプで暮らしていた。
各種インフラが世界中で壊滅したことで、そこら中にそういったキャンプがあった。
そこで開かれていた闇市で働きながら日銭を稼いで、どうにか過ごしていた。
そんな時に、自分は今の場所に拾われた。
それから六年。年は、一七になった。
本来だったら、大学受験とか考えていたのだろうと、なんとなく感じてから、身体をベッドから起こす。
カーテンを開けると、バーチャルディスプレイとなっている窓から、『地上の』今日の天気が見て取れた。
あの日と同じ、雨だった。
だからこんな夢を見たのだろうか。
地生美樹は首を振った後、サイドテーブルに置いてあった自分のメガネをかけて、洗面台へと向かった。
酷く、不機嫌な顔が鏡に映っていた。髪の毛もぼさぼさだ。女子力なんて言葉が生きていたら聞いて呆れるのは目に見えているくらい、酷い面構えだった。
「はぁ……。まったく、朝からこんな夢見るって……。こりゃ、今日は嫌な日かしら」
そんな愚痴をこぼしながら、美樹は歯を磨いた後、着替えることにした。
脱いでみると、着ていた寝間着のシャツは、びっしょりと汗で濡れている。
「あの夢見ると、いつもこうね。はぁ、乾燥、時間かかりそうだなぁ」
そう呟いてから、洗濯機の中に寝間着と先程顔を拭いたタオルを入れ、自動乾燥のモードにセットした。
その後いつもの格好に着替えて、部屋を出る。
いつもの格好と言えば、自分にとっては今所属している場所の制服と、その上に白衣だ。
部屋を出ると、一本の長い廊下が広がっている。コンクリートが敷き詰められた、殺風景な廊下だ。
そこかしこにアナログな掲示板とデジタルディスプレイがあること以外は、本当に殺風景すぎて、時々ため息が出る、そんな廊下だ。
「あ、やば」
忘れていたことがあった。腕に認証式のウェアラブル端末を付けることだった。
これがないとこの所属場所はほとんどの扉が開かない。
案の定、取り付けるとすぐに、ウェアラブル端末が鳴った。
自分達の持つ端末には、個人認証がある。それをスキャンし終えてから、ウェアラブル端末が淡々といつもの挨拶をするのだ。
『おはようございます。生体認証完了。種族、人間。登録ID番号R013795、研究者『地生美樹』殿と確認されました。GAV極東地区関東支部各部屋へのアクセス権、入場権利を認めます』
GAV。正式名称:Gladius Angeli Venari。ラテン語で『天使達を狩る剣』という意味を持つそれが、今自分の所属している組織だ。
対天使に対する研究から実戦までなんでもやる、対天使の何でも屋にしてレジスタンスの国際組織。そこに所属して、もう六年。
気付けば、自分の脳に刻まれた知識は、天使に対する有効手段の研究にあらかた割かれている。残りは、せいぜい生活の基礎知識が関の山だ。
幸い、研究室から自室へ資料を持ち出すことは出来ないから、部屋が研究の関連物や書物で埋まっているという事はない。恐らくそれが許可されていれば、今頃自分は天使を如何に殺すか考え続けて延々と部屋でも研究している生活無能力者の引きこもりにでもなっていただろう。本がタワーを築くであろう事も、想像に難くない。
人はこういうのをワーカーホリックとかいうのだろう。
実際、美樹は自分自身で、その気配があることを知っている。
だが、そうでもしなければ、いつまでも自分の誓いは果たせないし、延々と悪夢にうなされているような、そんな気さえしてしまう。
いわば、仕事自体が、美樹なりの現実逃避だった。
そんなことを感じながら、欠伸を一つしてから身体を伸ばして、食堂まで歩く。
その間に、地上の情報が放送で伝えられている。
『昨日昼、中国地区にて天使による襲来がありましたが、GAVが現地住民を守りきりました。幸いにして負傷者は少数で済んでおり、今後より活発な天使への反抗が行われるのは間違いないでしょう』
お決まりのニュースが流れている。
しかし、この真相も美樹はよく知っている。
確かにGAVが守ったのは本当だ。だが、支部のメンバーの九割が戦闘不能、うち五割は戦死した。
今頃上の方は中国支部の立て直しに躍起になっているというのは、もう昨日の夜にはGAVメンバーの周知の上になっている。
「ここまで知れ渡るなら情報統制する意味あるかしら」
心底そう思うのだ。
今地上はというと、昔ほどではないにしろ、ビルはまずまず建っていて、人もそれなりに暮らしている。しかし、かつて存在したやたら高いビルはもうなくなって、昔より随分空は広くなった。
更に言うなら、そのビル全てに高射砲やら対天使用ミサイルやら付いているのだから、随分物騒になったものだと、美樹は麻痺しているような感覚で感じるのだ。
この七年、人的被害は生半可ではなく大きかった。結局あの粛清以後も天使による人間の抹殺は続き、今残っている人類は全世界でついに一億を切った。
GAVが組織されたのは五年前。各国の残党軍などが中心となり作り上げた。
しかし、最初はどうやって戦うかすら分からず、かろうじて被害を減らすのが関の山だった。
同時に何処の国でもやりだしたのが、子供から行う対天使の教育だ。その教育プログラムは、皮肉なことに中東などの少年兵問題で揺れていた国からノウハウがもたらされた。徹底的な思想教育と、命自体が軽く、あっという間に死ぬということを、嫌でも叩き込むのだ。
これをやり続けた結果、少年兵の数はそこら中で増えた。
それがGAVの兵力源にもなった。
「起きるの遅ぇぞ、地生。食堂もう混んでるぜ」
すれ違う同年代の少年兵が言う。
「げ、マジで? 教えてくれてサンキュ!」
美樹はそう言って、少し早足になって廊下を歩いた。
日に日に、ここをすれ違う少年兵の数は増えている。今の少年兵も、自分よりは年下だ。
思想教育や対天使教育を行うための学校に通う、小学生の列が見えて、少しだけ、美樹はため息が漏れた。
正直な話をすると、少年兵を増やさざるを得ない、というのが実情だった。
何しろあの粛正で正規軍があらかた壊滅し、残っている人類も少ないのだ。
チャイムが鳴った。
同時に伝えられるのは、経済の模様だ。
このGAVという数少ない軍事組織を生かすために、各国の経済は動く必要があった。
戦時と復興。それが同時に掲げられた、歪な国家予算と経済構造。
戦時国債は山程発行され、実際それで破綻した国家はいくつもある。
先進国、後進国問わず、戦時国債の数に怯える日々は、果てることなく続いているのだ。
しかし皮肉にも、その結果インフラも一部ではかなり整ったし、思想教育を行うための学校も外部に存在している。
だが、今の経済はどういう構造かと言えば、対天使に特化した構造、とも言えた。
そのため、GAVに入ろうとする者は少年兵だけでなく大人も多い。潤沢な予算が国家や国際機関から来るためだ。
当然のことながら、それ故に地上よりも良い暮らしが出来る可能性すらある。衣食住、全てが保証されているのは大きいのである。
しかし、音を上げる者も多い。
あくまでGAVは抵抗組織であって難民キャンプではない。当然のことながら、天使に対する戦闘訓練や研究を始め、数多くの仕事が舞い込む。
役立たずは当然のことながら追放となるし、訓練で死ぬ者は当たり前のように出てくる。
幸い自分は運動面はともかくとして、元から興味があった科学の分野をベースにして徹底的な教育が施されたこともあり、研究者として所属することが出来ている。
要するに自分も今やありふれた少年兵の一人なのだ。
昔の日本なら、やれ憲法だのなんだので、少年兵が出来上がるなど考えられなかったが、そんな美しい倫理観などというものは、とうの昔にゴミ箱に捨てられている。
食堂に行くと、先程の少年兵が言った通り、いつものように行列が出来ていた。
しかし、食堂に行っても、窓はバーチャルディスプレイだ。
何しろ自分のいるこの極東支部関東地区第三基地のほとんどの設備は地下なのだ。
その窓から見える景色は晴れている。
「違和感あるなぁ……」
美樹はそう愚痴ったが、誰も反応しない。みんな飯に必死だ。
「さてと、っと」
券売機の前に立って、メニューを選んだ。
食事のメニューが豊富なのは、いつもありがたく思っていた。
自家性の食料プラントがあるおかげで、食料の自給自足が出来ていることが功を奏しているのだと、美樹は知っている。
更に言うなら、これは皮肉な話だが、世界の人口が急激に減ったことで、食料問題が一気になくなった。即ち、作り手さえいれば今の人類を生かしていく分はどうにでも供給が出来る状態になっているのも、食料が潤沢にある理由だ。
自分がまだ普通に暮らしていた頃は、よく社会科の授業で日本の食糧自給率が低いことを学んでいたものだった。
それすら、時々夢だったんじゃないかと、たまに感じてしまう時がある。
それくらい、今の状況は一変してしまっている。
ため息を一つ吐いてから、牛乳とおにぎりを二個、付け合わせの漬け物に味噌汁を買ってから、行列に並んで朝食を受け取り、席に着いた。
気付けば、いつも朝食はこの組み合わせだ。一応、部屋に自炊が出来るスペースはある。だが、料理を自分は出来なくはないが面倒だからほとんどしないし、第一時間が惜しい。
だから手っ取り早く済むための料理の組み合わせになってしまう。こんな面でも、女子力もへったくれもあったものではなかった。
「美樹、おはよ」
急に、後ろから声をかけられた。
よく知った声だった。
振り向くと、ウェーブがかった茶の色合いの濃い黒髪が特徴的な、白衣姿の少女がいた。
「おはよう、千草」
内藤千草。自分と同年齢の医療担当者だ。
付き合いもここに来てからずっと一緒で、よく飯は共に食べることが多い。要するに、千草も自分と同じ少年兵であり、間柄は親友と言うより戦友に近い。
もっとも、そんな関係も別に嫌いではないと、美樹は考えていた。
千草が、対岸の席に座った。
千草の料理は、ポーチドエッグにサラダ、それとロールパンだった。付け合わせの飲物はコーヒーである。徹底して千草は洋食派だし、しかも少しのんびり屋だ。
自分とは悉くにおいて正反対だが、それ故に気が合うのだろうと、美樹は考えている。
そう感じた後、美樹はおにぎりを一口頬張った。
中身は、昆布だった。
一方の千草はというと、のんびりとコーヒーにミルクを入れ、それをマドラーでかきまぜるでもなく、混ざり合う様子を見ている。
「あんたホントにのんびりしてるねぇ……」
「これくらいのんびり出来る空間がないと、私達はやっていけないの。美樹はかえって急ぎすぎなんだよー。ご飯時くらいはゆっくりするのが一番なのだ」
何故か千草は胸を張りながら言う。
「私達は時間が惜しいのよ。特に私はさ、出来る限り研究に時間費やしたいわけ」
「でもさー、これが最後の晩餐になっちゃうかもしれないしさー。それだからゆっくりしたいのさー」
「最後の晩餐かぁ」
千草は時々こうしてえげつないことをズバッという。
実際自分達の置かれている状況はあらゆる場所が最前線だ。だから全てが最後の晩餐になり得る。
何度考えても、粛正の起こったあの日に、自分が死んでいてもおかしくなかったのだ。
あの日に出された料理は、たまに夢に見る。
カレーとサラダ。それが父母の最後の晩餐だった。
「たまに、食べたくなるな」
「ん?」
思わず、千草の声でハッとした。
また、自分が暗くなっていた。
前を向け。その先に何かがある。
拾われた時に、恩人にそう言われた。今でも、何度もそう言われる。
それを実践できているかは、自分でもよく分かっていない。
「いや、なんでもない」
「ふーん。変な美樹」
「あう……。ド直球に言わないでよ……」
あんたほど変じゃないわい。そう言いそうになったが、とりあえず美樹は黙っていた。
それから少し話をした後、自分は食事を食べ終えた。まだ千草は、半分も食べていない。
そんな時に呼び出しの放送が入った。
自分達研究班に対する呼び出しである。それも研究室に来るようにとのことだった。
「やれやれ。朝から呼び出しですか」
「何かおとがめじゃなければいいねぇ」
「別に何か悪いことしてるわけじゃないもん。じゃね、千草」
「はいはーい、いってらっさーい」
千草が手をぶんぶんと大きく振って、自分を見送った。
周囲からは注目されまくっている。
顔が真っ赤になっていた。
あぁ、恥ずかしい……。
なんか朝から変な気分だと、美樹は食器を片付けながらそう思った。