プロローグ『罪、それは堕天』
剣が、深々と心臓に突き刺さっている。
少しだけ痙攣を起こして、そうやって、自分は死んだ。
そんな自分を、この世ではない高い位置から俯瞰して覗く。
血に満たされた荒野の中で、そこら中に転がる兵士の死体の山の中の一つに、自分だったものがあった。
戦いは終わる気配がないから回収すらされないし、埋葬もされず、味方や敵に踏み潰されてどんどん形としては人間としての原型をなくしつつある。
ただの肉塊。そんな印象しか、自分の死体に対して自分は受けなかった。
声が聞こえる。
『戦え。今度は天使となって』
曇った、男女どちらとも区別にならない、不思議な声だった。
「お前は、誰だ?」
『お前達が、神と呼ぶもの』
天啓、というのだろうか。初めて、神様とかいうのの声を聞いた気がする。
神様というのは知っている。それにすがって生きてきた者も多いし、宗教なんかその天啓を聞いた上で活動していたという。
しかし、まさか自分がそれを聞く羽目になるとは思わなかった。
それとも、死んだ人間は皆こうなのだろうか。それはわからないが。
「まだ、戦うのか」
『そうだ。お前はまだ戦うのだ。しかし、戦う相手はお前が今まで戦ってきたような小さなものではない。もっと大きなものと戦うのだ』
確かに、言われてみると自分の戦っていた理由はちっぽけだ。ほんの少しのすれ違いから発生した隣国との戦争。
それに駆り出された、身寄りのない少年兵。戦うこと以外、何も知らないし、知る必要性すら感じなかった。それが自分であったものだ。
しかし、大きなものとは、なんだろうか。
『戦う相手は、人間ですらない種族だ。悪魔と呼ばれる種族だ。そして、罪を犯した人間がいたならば、人間すらも断罪する。そのために我らは存在する』
大きな戦だ。そう思えた。
くだらない戦より、よっぽどマシに感じられた。
それにもとより、自分は戦うこと以外、何も知らない。
まだ『仕事』にありつけるなら、それでいいと思った。
だが、人間のまま、そんなのと戦うのだろうか。
そう感じた瞬間に、また違う声がした。
『神に変わり答えよう。答えは否だ。先程神が言われたように、お前は天使となるのだ。人間を超越した存在となり、悪魔と戦う。それが我ら、神を筆頭とする存在、天界に住まう天使と人間達が呼ぶものの務めだ』
男の声だった。どことなく、優しさと厳しさが融合しているような、推し量れない声色が、自分の耳にはっきりと届いた。
そうか。人間ではなくなるのか。
そう一瞬だけ感じたが、自分にとっては些細なことでしかない。
戦えて、飯にありつければ、それでいい。
「分かった。戦おう」
そう言って、了承した。
直後、背中に鳥のような羽が生えてきて、頭上に輪が出来上がったのを感じた。
だけど、自分はなんでここにいるのだろうか。それがもう思い出せない。
同時に感じる。
神は絶対だ、と。
『お前の名を与えよう。お前は、今後『アザゼル』という天使として、天界のために生きるがいい』
アザゼルというのが、自分の新しい名前のようだ。
どことなく、変わった響きだと、感じるだけだった。
『では、聞こう、アザゼル。天使の最大の罪は?』
「……堕天。それは、天使を捨て、天界を裏切り、神の意志に背くこと。天使を捨てたものは、天使によって殺されると思え」
すらすらと、言葉が出た。
堕天、それが罪。
堕天した天使は、天界を裏切り、神を裏切り、仲間を裏切った存在。
そういうふうに、『分かってしまった』。
そう、自分はもう人間ではないのだと、アザゼルは感じた。
それからどれだけ戦ったかは分からない。
何年? いや、何世紀?
もうそんなことはどうでもいいのだ。
ただ、神のために戦え。
それが例え、目の前にいるのが、人間であっても。
悪魔と呼ぶことになった、人間であったとしても。
その声が響いた瞬間に、目の前で怯えている人間の首を、アザゼルは撥ねていた。
また、声がする。
『魔界と化した人間界に、鉄槌を。人間に、断罪を』
戦う。それ以外に、アザゼルは生きるすべを知らない。
何も、疑問に思うことなかれ。
神こそが、絶対なり。
魂の奥底から響く声が、そう言っていた。