20 「闇への誘い」
白狼となったリルは、おれたちを振り返った。
銀色の瞳が、一瞬だけおれを見る。
次の瞬間。
白い身体が跳ねた。
「リル!」
おれが呼び止めるより早く、白狼は森の奥へ駆け出した。
木々の間を縫い、茂みを飛び越え、あっという間に遠ざかっていく。
「まずい! 見失うな!」
ハルジオンが叫ぶ。
「あ、ああ!」
おれは地面を蹴った。
* * *
白狼の足跡を追い、森の奥へ走る。
まだ昼だ。
けれど木々が密集しているせいで、森の中は薄暗い。
完全に日が落ちる前に見つけなければ。
結界を弱めている今、この森が安全とは限らない。
「リル! どこだ!」
返事はない。
土の魔力へ意識をつなぐ。
足元へ伝わる振動を探る。
鳥。
小さな獣。
走り回る子供たち。
離れた場所を歩く大人。
気配が多すぎる。
リルの動きを見分けられない。
「くそっ。便利そうで、全然使いこなせねぇ」
その時。
ガサッ、と前方の茂みが揺れた。
「そこにいるのか?」
枝をかき分ける。
茂みの奥に、白狼がいた。
姿勢を低くし、おれを睨んでいる。
尻尾は、後ろ足の間へ垂れ下がっていた。
「いた……」
一歩近づこうとする。
「ウウゥ……」
白狼が低く唸った。
前足が土を掻く。
「分かった。近づかねぇよ」
おれは両手を見せ、その場へゆっくりしゃがんだ。
怖がらせないよう、目線を低くする。
「オオカミになるのは初めてだな」
白狼は動かない。
「おれ、ホッドミーミルの森にいた頃は、クズリとかフクロウとかと仲良くしてたんだぜ」
返事の代わりに、もう一度唸られた。
「言葉は通じなかったけど、声とか動きで、なんとなく分かった」
白狼の耳が後ろへ倒れている。
身体は震えていた。
怒っている。
怖がっている。
たぶん、その両方だ。
「怒ってるなら、怒っていい」
白狼の耳が、わずかに動く。
「でも、何も言わずにいなくなるなよ」
何を言っているんだろう。
今のリルは喋れない。
それでも、伝えずにはいられなかった。
「おれが何か変なこと言ったなら、ちゃんと言ってくれ」
白狼は動かなかった。
「言ってくれねぇと、分かんねぇんだよ」
リルは、人の姿の時だって言葉が少ない。
今はオオカミだから、もっと分からない。
「別に、こっちへ来なくてもいい」
おれは伸ばしかけた手を引っ込めた。
「でも、一人でいたくねぇなら、おれはここにいるぞ」
森の音だけが続く。
風。
鳥の声。
木々の葉が触れ合う音。
やがて白狼が、一歩だけ前へ出た。
すぐに止まる。
逃げたいのか。
近づきたいのか。
自分でも分からないように、前足が震えている。
白狼が、もう一歩近づく。
「昨日は、悪かった」
白狼の足が止まる。
「おれ、また間違えたみたいだ」
銀色の瞳がおれを見る。
「でもな」
おれは白狼から目を逸らさなかった。
「今、おれが探しに来たのは聖剣の素材じゃねぇ」
白狼の耳が立った。
「お前だよ、リル」
その瞬間、白狼が地面を蹴った。
「うおっ!」
白い身体がおれの胸へ飛び込んでくる。
勢いを受け止めきれず、尻餅をついた。
「リル?」
腕の中で、白狼の身体が震えている。
白い毛が淡い光へ変わった。
身体の輪郭が崩れ、伸びていく。
前足が腕へ。
後ろ足が脚へ。
白い毛が、銀色の長い髪へ戻っていく。
次の瞬間、おれの胸の中に人の姿のリルがいた。
――服までは、戻っていない。
「わっ!」
おれは反射的に顔を背け、自分の上着を脱いでリルへ掛けた。
「変身するなら先に言えよ!」
「今、喋れなかった……」
「そりゃそうだけどよぉ!」
リルは身体を隠そうともせず、上着ごとおれの服を強く掴んでいる。
息が速い。
顔色も悪い。
「おい。大丈夫か?」
「戻れなくなるかと思った……」
「人間の姿に?」
ミスリルは、小さく首を振った。
「私に」
声が震えていた。
「ハティになって……みんなに違うって言われて……」
リルの指がおれの服へ食い込む。
「じゃあ私は、誰なんだろうって……」
「何言ってんだよ」
おれは木々の方へ顔を向けたまま答えた。
「お前はリルだろ」
「一人になったら、自分が何か分からなくなった」
「……」
何と答えればいいのか、正直分かっていなかった。
それでも、リルの震えが少し収まるまで、背中へ腕を回していた。
その時。
「見つけたのね」
背後から声がした。
「わぁっ!」
喉の奥から情けない声が出る。
振り返ると、ノーミードが立っていた。
手には白い布と衣服を抱えている。
「驚かせんなよぉ!」
「土の上で起きていることなら、だいたい分かるわ」
ノーミードは平然と答え、白い布をリルの身体へ重ねた。
「魔鉱石ちゃん」
リルが、恐る恐る顔を上げる。
「姿を真似ても、その子が生きてきた時間までは真似できないわ」
「だから、ハティにはなれなかった?」
「そう」
ノーミードは頷く。
「擬態は、誰かの代わりになるための力ではないもの」
「当然でしょう?」
ノーミードが淡々と答える。
「姿を真似ても、その子が生きてきた時間までは真似できないわ」
リルが俯く。
「さあ、服を着るわよ」
ノーミードはリルの肩を支え、立ち上がらせる。
そして、灰色の瞳でおれを見た。
「乙女の着替えを見ないこと」
「見ねぇよ!」
もう十分見えてしまった気はするけど。
「アナタは勇者の末裔と神殿へ戻りなさい。この子は私が連れていくわ」
ノーミードの声に迷いはなかった。
おれはリルを見る。
白い布に包まれた彼女は、まだ不安そうにしている。
「神殿にいるからな」
リルはしばらくおれを見つめたあと、小さく頷いた。
* * *
子供たちは、白狼ハティの埋葬を続けていた。
おれは、リルの変身は危険なものではないと説明した。
子供たちは戸惑っていたが、最後には頷いてくれた。
穴の底へハティを寝かせ、その周りへ花や木の実を添えていく。
一番年上の男の子が、土を一握りだけ穴へ落とした。
それを合図に、他の子供たちも続く。
「おやすみ、ハティ」
最後まで見届けたかった。
けれど、ハルジオンはすでに神殿へ向かって歩き始めている。
おれも子供たちへ背を向けた。
* * *
ガラス張りの建物へ入り、地下へ続く階段を降りる。
土の神殿には、スクルージも連れてきていた。
『彼も連れてきなさい。エルフの鍛冶師もきっと必要だから』
ノーミードが、そう言ったからだ。
「これが、土の聖宝器ですか……」
スクルージが、透明な箱の中に収められた戦鎚を見る。
「大きなハンマーですね」
「……」
おれも箱へ近づいた。
「《インパクトクラッシャー》。四英雄の一人が使ってた武器らしい」
「四英雄……」
スクルージの表情が、一瞬だけ強張った。
「知ってんのか?」
「名前だけです」
すぐに、いつもの柔らかな表情へ戻る。
「闇の森でも、昔話として伝わっていますから」
「へぇ」
「まさか、見せてもらえるとは思いませんでした」
スクルージが深く頭を下げた。
「ありがとうございます」
「礼ならノーミードに言えよ。おれが勝手に入れたわけじゃねぇし」
ハルジオンが腕を組み、スクルージを見る。
「この森の鍛冶師なんだろ?」
「まだ見習いですけどね」
スクルージは困ったように笑った。
彼は革のエプロンと手袋を身につけている。
外見は、おれより幼く見えた。
背も低い。
「関係ないさ、職人なら仲間だ」
「仲間……」
スクルージは、自分の黒い手を見下ろした。
「僕は、闇エルフです」
「闇エルフ?」
「光の魔力ではなく、闇の魔力と親和性を持つエルフです」
スクルージは静かに答える。
「故郷の《闇の森》を、岩石王の軍に奪われました」
「動く石像か?」
「はい」
彼の指が、わずかに震えた。
「生き残った仲間と一緒に、難民としてここへ」
「大変だったんだな」
「まぁ、そうですね」
スクルージは笑った。
けれど、その笑顔は妙に硬かった。
「僕たちは、闇の魔力を持っているというだけで、ここでも完全には信用されていません」
「そうなのか」
「百年前、闇エルフの多くが岩石王の軍へ加わったそうですから」
スクルージは目を伏せる。
「過去のことを警戒する気持ちは分かります。それでも、生まれた時から敵だと決められるのは……少し苦しいですね」
「生まれただけで、敵扱いか」
なんだか、リルに似ている。
あいつも、闇の魔力を持つ魔鉱石だから危険だと言われてきた。
スクルージは顔を上げた。
「だから僕は、役に立ちたいんです。僕が職人として必要だと思ってもらえれば、ここにいる仲間たちも受け入れてもらえるかもしれない」
「なら、見せつけてやろうぜ」
おれは言う。
「はい」
スクルージは、自分の手を見つめたまま頷いた。
「お待たせ」
階段の上から、ノーミードの声がした。
彼女はリルを連れて、神殿へ降りてくる。
リルは白い服を着ていた。
胸元には、ノーミードの店の印が縫い付けられている。
サンタクロースの屋敷にいた子供たちと同じ服だ。
「黒い服は?」
おれが尋ねる。
「私が預かっているわ」
ノーミードが答えた。
「きれいにして、ほつれたところを直したら返す」
リルは白い服の裾を握った。
その目は、ノーミードの手元を探すように揺れている。
自分で選んだ黒い服がないせいか、どこか落ち着かない様子だった。
「その服、子供たちも着てたよな」
「サンタクロースがまとめて買ったのよ」
ノーミードが少し誇らしそうに髪を払う。
「いいお客よ。彼からの収益で、新しいブランドを作れそうだわ」
リルはノーミードの後ろで無言で立ち尽くしていた。
目も合わない。
「擬態……。以前から練習していたようだが」
ハルジオンが腕を組み、おれの方へ顔を寄せる。
リルには聞かせないつもりなのか、声は低い。
「前回は短剣になっていたな」
おれはうなずく。
火の試練ではリルが剣に擬態することで、火の守護霊ウルカヌスを騙 (だま)した。
「前回は無機物だったから言わなかったが。……生物に擬態できるなら、話が変わる」
ハルジオンが難しい顔をした。
「なんだよ? ……すげぇことじゃん」
「能力としてはな」
ハルジオンは、リルへ視線だけを向けた。
「いや、かなり危険でもある。自由に擬態できるようになれば、俺たちは見分けられない。その気になれば、いつでも俺たちの前から逃げられる」
「逃げるって決めつけんなよ」
おれは思わず言い返した。
「可能性の話だ」
「そんなことするわけ――」
言いかけて、止まる。
擬態している間は、魔力もほとんど感じない。
こいつの言っていることは、間違っていない。
リルはそんなおれたちを見て、泣きそうな顔をした。
「少し休むか?」
声をかけると、リルは小さく首を振った。
「……違う」
「え?」
リルは何かを言おうとした。
けれど、結局口を閉じる。
「わ、私は……」
そんな、小さな声だけが漏れた。
そのままノーミードから離れ、階段へ向かう。
「おい、リル!」
呼び止めても、足を止めない。
白い服の裾を揺らしながら、階段を駆け上がっていった。
「僕が探してきます!」
スクルージが、すぐにその後を追う。
「待て!」
ハルジオンの声が飛ぶ。
しかし、スクルージは止まらない。
「森の中は僕の方が詳しいです!」
そう叫び、階段を駆け上がっていく。
「おれも行く!」
その前へ、ノーミードが立つ。
「今は、追わない」
「いや、それどころじゃ! あいつ、また一人になったら――」
「一人ではないわ。あの子が追ったでしょう?」
「でも、リルは今――」
「今は、そっとして」
「……」
言い返せない。
おれは階段を見上げた。
リルの姿は、もう見えない。
「……難儀だな」
ハルジオンが階段の方を見たまま呟く。
「以前なら、何も言わずに従っていた」
「今の方がリルだ」
おれが答えると、ハルジオンがこちらを見る。
「そうかもな」
それだけ言い、腕を組み直した。
「俺は、俺のやるべきことをやる」
「……いいわ。じゃあ、あなたは私と実践訓練ね」
ノーミードがハルジオンを指さす。
次に、おれへ視線を移した。
「あなたは、《土の聖宝器》の再現よ。まずは、一人でできることをやりなさい」
ノーミードは透明な箱の中の戦鎚を見る。
「何かを作るのは、頭を整理するのにも向いているわ」
「……分かったよ」
無理やり階段から目を離し、《インパクトクラッシャー》へ向き直った。
ノーミードは近くの生地や素材が置かれた棚へ歩いていく。
いくつかの箱を開け、布や金属片を確かめ始めた。
「……ん〜」
彼女が唇に手を当てる。
「どうしたんだ?」
「ネズミがいるわね。……厄介な」
彼女が、小さく呟いた。
* * *
おれは《インパクトクラッシャー》の前へ座り込んだ。
紙を広げ、槌頭の構造を描いていく。
けれど、線が歪んだ。
気づけば、また階段の方を見ている。
スクルージは戻ってこない。
リルも戻らない。
「ったく、集中しろ……」
自分へ言い聞かせる。
もう一度、《インパクトクラッシャー》へ目を向けた。
見れば見るほど面白い仕組みだ。
なのに、まるで頭へ入ってこない。
結局、スクルージはリルを連れて戻ってこなかった。
見つかんなかったのか……?
嫌な考えが浮かび、おれは立ち上がった。
試練を切り上げ、神殿を出る。
外へ出ると、日は沈み始めていた。
サンタクロースの屋敷へ寄ったが、リルもスクルージもいない。
おれは、そのまま森へ向かった。
夜の森を歩く。
赤い月は少し欠けている。
リルと初めて会った夜を思い出した。
あの頃のリルは、感情もなかった。
今は、自分で服を選ぶ。
寂しいと言う。
腹を立てる。
随分、変わった。
けれど、おれは。
変わっていくあいつのことを、何も分かっていない。
「おれ、何を間違えたんだろうな」
小さく呟く。
しばらく進むと、前方から話し声が聞こえてきた。
「ん?」
声のする方へ向かおうとした、その時。
突然、背後から口を塞がれた。
「むぐっ!」
「静かに」
耳元でノーミードが囁く。
彼女はおれの隣へ並ぶと、唇の前へ人差し指を立てた。
黙れってか……?
ノーミードは足音を立てず、声の方へ進んでいく。
おれも、その後を追った。
二人で茂みの隙間から先をのぞく。
そこには、リルとスクルージがいた。
「あ、あの……」
リルが不安そうに周囲を見回している。
「カジバから伝言って、何ですか……?」
スクルージはしゃがみ込み、地面へ何かを並べていた。
黒い小石。
乾燥した葉。
小さな金属片。
魔術でも使うみたいだ。
「やっぱり」
隣でノーミードが小さく呟いた。普段より、ずっと低い声だった。
「すみません」
スクルージは作業を続けたまま答える
「僕は嘘をつきました。本当は、あなたとお話がしたかったんです」
「はっ? ……えっ……えっ?」
リルが動揺する。
「リルさん」
スクルージが立ち上がる。
「僕と一緒に《闇の王国》に行きませんか?」
……はぁ?
何言ってんだ、あいつ。
思わず身を乗り出すと、ノーミードに頬をつねられた。
「やっ、闇の王国……?」
「ええ」
スクルージは穏やかに笑った。
「《岩石王》が、あなたを待っています」
「岩石王……って」
リルの顔が強張る。
「もしかしてお前、敵ぃ……!?」
「おっ、落ち着いて! 僕は敵じゃないですよ!」
スクルージが両手を広げた。
「リルさん、あなたは魔鉱石だ。だったら《岩石王》は、あなたの親みたいなものでしょう?」
「親……?」
リルは目を丸くする。
「親って……家族の……?」
「ええ、そうです」
リルは自分の胸へ手を当てた。
「でも……《岩石王》は悪い奴だって、みんな……」
「あなたは実際に見たんですか?」
「え?」
スクルージの問いかけにリルが動揺する。
「いや……ない。私は……聞いただけ……」
「誰から聞いたんです?」
「……」
「片方の話しか聞かず、もう片方を悪だと決めつけている」
スクルージが言う。
「僕も、同じなんです」
スクルージは、自分の黒い手を見せた。
「闇の魔力を持って生まれたというだけで、危険だと言われる」
リルの目が、スクルージの手へ向く。
「生まれただけなのに、敵だと決められる」
「……私と同じ?」
「ええ」
スクルージは、寂しそうに笑った。
「僕たちは、よく似ています」
彼は続ける。
「リルさん、あなた洗脳されてるんですよ」
「でも、私は……目覚めた時には、お城にいて……お姉さんがいて……」
リルは、額へ手を当てる。
「その前のことは、ほとんど分からない」
「知りたくありませんか? あなたが、なぜ生まれたのか」
「……」
「目覚めてから、あなたは誰かに決められたことばかりしていませんか?」
スクルージが手を差し伸べた。
「擬態すれば、誰にも気づかれずに森を出られます。一緒にいきましょう」
リルは、伸ばされた手を見つめた。
「決めるのは、あなたです」
スクルージは待つ。
リルは何度も、その手とスクルージの顔を見比べた。
「……ねえ」
やがて、リルが顔を上げる。
「岩石王はさ……私のこと……なんて言ってた?」
スクルージの笑顔が、ほんの一瞬だけ止まる。
「お父さん……私に会いたいって言ってた……?」
☆本作に登場する武器と種族のかんたん解説!☆
■ダークエルフ
北欧の伝承に登場する人間に似た妖精。エルフの近縁種。
人間に害を成す存在としてかかれることが多いよ!
本作では、闇の魔力を持つエルフとしてとして登場。
またみてね!




