Episode8 彼方より来たるもの
本来、関わることのない人と、意外な場所で遭遇したりすることがある。
それは素敵なハプニングだったり、トラウマ並みの恐怖体験だったりする。
たとえば…
コスプレ魔法少女と、カラオケハウスのアルバイトとか。
悪事を企む謎の集団と、覆面レスラーとか。
迷子の少年と、宇宙から来た暗殺者とか。
眠らない都会では、予想出来ない接触があるようだ。
Episode8 彼方より来たるもの
「失礼します。ハイボール2つと、レモンサワーとウーロン茶をお持ちしました。」
ドアを開けるとビリビリッという感じで、ドラムと低いベースの響きが体にまで伝わってくる。
ちゃんと喋ったつもりだが、お客さんに伝わったかどうかはわからない。
室内は薄明るい照明と、ミラーボールのグラデーションが揺らめいていて、気持ち良さげに唄っている女性の声が響き渡っていた。
カラオケルームだから当たり前か。
入口近くに居た女性が身振り手振りで、飲み物をテーブルに置くようにと言っている。
歌声とギャラリーの合の手が騒がしくて、よく聞き取れないが、何を言わんとしてるのかはだいたいわかる。
ラメの散りばめられた黒い服の袖がヒラヒラと揺れていた。
ソファーにとんがり帽子が置いてあるところを見ると、魔女のコスプレをしているようだ。
どこかで見たことあるなぁとか思っていたら、アニメの“ミソラ×マジカリズム”に出て来た黒魔女、コーダさんだった。
ほかの皆さんも同様で、主人公のミソラや、魔法少女アニメのキャラのコスプレをして、合いの手を入れていた。
もちろんモニター前で歌っている人も、魔法少女のコスプレをしている。
ここはコスプレイヤーさんたちの集まりだったみたいだ。
飲み物をテーブルに置き、空いたグラスを回収する。
♪ああ~、カナタよりキたるもの~、夢に迷い愛に移ろい、また空を仰ぐ~♪
あぁ、“宇宙放浪♡バルキュリエ”の主題歌だ。
カラオケモニターのアニメ映像に目を奪われていたら、ノリノリで唄っている人と目が合ってしまった。
その人は主人公バルキュリエのコスプレをしていて、決めポーズがモニターの映像とダブる。
あれっ?見たことがあるぞ、誰だったかな?
「あっ!」
クロスレンジャーのクロス・イエローこと、黄金野すみれ役の長澤恵美だった!
見とれていたらこちらに気が付いたようで、一瞬表情が固まった。
…おかしな店員だと思われたかも知れない。
でもさすがに女優さんだ。すぐに調子を戻して次のフレーズを唄い始めた。
良い声をしている。そして上手い。
なんだか良いものを見た気がする。
ちょっと得した気分だ。
でも悠長に聞き入っている暇はない。
今日の俺は、カラオケハウスの店員なのだ。
ちなみに白シャツに黒ベストとズボン、黒ネクタイというバーテンスタイルだ。
業務に忠実に、さっさと引き上げることにしよう。
誰にだってプライベートはある。
無粋な真似をしてはならないことぐらいわかっている、うん。
だが、彼女の見解は少し違ったようだった。
「恭介と打ち合ってた人よね?」
ちょっと前、配膳室に入るところで声をかけられた。
“恭介”とは、クロスレンジャーのクロス・レッドこと、赤石剣斗役の小栗恭介のことだ。
彼はスタントの段取りを守らないことが多いので、他のスネゾウたちに避けられることが多く、そのしわ寄せは高確率で俺のところにまわってくる。
そう言えば今日のスタントでも、打たれまくっていたんだった。
長澤恵美とはスタントで、何度か手合わせしたことがある。
スタントではスネゾウマスクを被っているから、素顔は知られていないと思っていた。が、そうでもなかったようだ。
「ここに私がいたことは、黙っていてちょうだい!」
そして今、いわゆる壁ドン状態で迫られている。
思わず唾を飲んだ。…さすがは女優さんだ。
このフロアの非常口は、廊下の角を曲がったところにあって、表示灯が無ければ分かりにくいうえに、営業時間中にはあまり人が来ない。密談をするには、もってこいの場所だった。
長澤恵美はバルキュリエのコスチュームの上に、自前のジャケットを羽織っていた。でもピンク髪のウイッグとか、フレアの付いたピンクのスカートとか丸見えだし、知らない人が見たら魔法少女がカツアゲかなにか、いけないことをしているみたいに見える。
「今どき、芸能人がカラオケに来てアニソン歌っていても、誰も変なことは言いませんよ?」
「そんなことじゃなくて…。」
「まさか、バルキュリエのコスプレをしていたことが…、」と言いかけたところでキッと睨まれた。
そんなに恥ずかしがることでもないんじゃないかな?と考えたところで思い至った。
“宇宙放浪♡バルキュリエ”は、宇宙から来た魔法少女のアニメだった。
魔法少女とはいっても、科学的な補助アイテムでカスタマイズした“攻撃魔法”を駆使して活躍するという、よくある魔法少女とはちょっと違うお話であった。
可愛らしい絵柄だけど深夜枠の放映だったし、子供が見るにはちょっとアレなアニメだった。
肌色成分多めだったし、シルエットで見せる戦闘形態への変身シーンとか、
年上のお兄さんとの恋バナとかもあって、視聴者のお兄さんたちにも、相当な人気があった作品だ。
話の内容はともかく、キャラクターが可愛くて、声優のキャスティングも作画のレベルも良かったし、主題歌がこの時期のアニメでは一番だった(俺目線)。
大学で所属していたマカ研(”摩訶不思議研究会”というオタクサークル)でも話題にしたこともあった。
そんな感じの作品だったので、長澤恵美の持つクールなイメージと合わないから、拡散しないで欲しいという事なのかな?
確かに、クールな黄金野すみれには、魔法少女は合わない。
撮影現場でこの話が広まった場合、彼女を見る目が変わってしまうかも知れない。
「いや、案外ギャップ萌えでいいんじゃないかな、この際…。」
「冗談言わないで…。」
たいへん冷ややかな声音で怒られた。
「ご、ごめんなさい、大丈夫です。口は堅い方ですから。」
品定めのごとくガン見された後、ため息をついて壁ドンしていた腕を戻してくれた。
「……わかったわ。」
いまいち不服そうだが、鉾を収めてくれたようで何よりだ。
売り出し中の女優さんだものなぁ、イメージは大事だよねぇ。
「あ、でも一緒に居た人達はいいんですか?」
「高校の同好会の仲間だから大丈夫なの。みんな私のことはよく知っているし。」
「あぁ、それなら俺も似たようなことやってましたし、いわば同類ですね。」
「…それで“バルちゃん”のこと知ってたのね。」と言った後で、なにやらかわいそうな生き物を見る目で見られた気がする。
同類ですよね…?
「…でも、なんでここに居るの?バイト?」
理解が得られたことで余裕ができたのか、ここに居る理由を尋ねられた。
まぁ、当然の展開だよなぁ。ちなみに“バルちゃん”とは、主人公バルキュリエの愛称呼びだ。
この『カラオケハウスこおろぎ』は、大学時代にずいぶん世話になった店だ。
もちろんアルバイトの話である。
店長は学生たちに理解のある人物で、当時お金のなかったこの界隈の学生たちがちょくちょくバイトに来ていた。俺も大学の先輩に紹介されてから、何度も世話になっている。
お金がなくてどうしようもなかった時など、給料前借りでバイトさせてもらっていたのだ。
そのぶんブラックなシフトも多かったけど…。
G.A.M.に就職するまでにも、何度か世話になっていたりする。
営業方針は今も変わっていないようだが、不景気の影響で雇用できる人員が減っているという。
今日はシフトに入っていたバイトの学生が病欠で、人手が足りなくなってしまったらしい。
「忙しいところ済まないんだけど、手を貸してもらえないだろうか?」
残業の指示もなかったので、二つ返事で了承したのだ。
店長の里見さんは細身で、白髪交じりの髪をオールバックでまとめていて、豪邸付きの執事みたいな外見をしている。
最近は腰を悪くしたようで、事務仕事以外はバイト頼みになっているという。
ほかに何人か声をかけたけど、みんな都合が悪かったそうだ。
「そう…、仕事の邪魔しちゃって、悪かったわね。」
そう言って長澤恵美は、そそくさと戻って行った。
その後も彼女らの部屋に飲み物や食べ物を運んだが、いつ行ってもアニソンが歌われていた。
何度目かに訪れた時、大型のモニター画面がまっ黒になった。
と言うか、カラオケのシステムがダウンした。
ほどなく照明も消えて、非常灯が点いた。
たぶんブレーカーが落ちたのだろうと思い、他のスタッフと配電盤を確認するも異常がない。
「やばいよぉ、この辺全部真っ暗だよぉ。」
外の様子を見に行っていた新米バイト君の報告に、厨房にいた従業員全員がざわつく。
窓から外を見てみると、彼の言う通りで、他の建物の明かりや街灯も消えていた。
店舗の外に出て、何事か話している人たちも見える。
どうやら広範囲で停電しているらしい。
車のクラクションや、騒めく人の声なんかも聞こえたりする。
「それじゃあ、電力会社に電話だね。」
店長が携帯電話をかけ直している。
その間に手の空いているスタッフで、停電の説明にお客さんの部屋を回る。
大都市の停電対策は盤石だ。
悪い部分を切り離して、別のルートでの送電に切り替わるようになっている、のだそうだ。
だから短時間で復旧するだろうと思っていたのだが、なかなか電気が点かない。
もしかして、ここいら辺が事故原因か?
「だめだ、全然繋がらん!」
店長の携帯からは、“只今電話が混み合っており、たいへん繋がりにくくなっています”とのガイダンスが流れている。
「サービス悪いよなぁ…。」
「問い合わせが殺到しているのよ。」
新米バイト君が先輩女子に窘められていた。
こんな繁華街で停電なんかしたら、遊びに来ている人はともかく、仕事に支障が出る人が山ほどいるのだ。
そういう人たちが一度に問い合わせしたのなら、受付する方も対応が追い付かないだろう。
ここぞとばかりに苦情の電話をかけて来る人もいるみたいだし…。
電力会社の皆さんに苦労を掛けるのは申し訳ないので、自分たちでできる対応をしよう。
お客さん達には電気の復旧を待ってもらうか、この時点で精算をしてもらうか、選択してもらうことになった。
納得してもらえるといいんだけど…。
「えー?この辺一帯が停電してるの?」
長澤さんたちのグループにも、停電の説明をした。
既に20分くらい経過していて、エアコンも停まったままなので、室内の温度も徐々に上がってきている。復旧は電力会社頼みであることを追加しておく。
「うーん…、そうねぇ、それじゃあしばらく待たせてもらうわ。」
にこやかに答える彼女の後ろには、飲みすぎて横になっている魔法少女と、それを介抱している敵役の幹部魔女がいた。マイクを持って調子外れに歌っている、使い魔小動物(着ぐるみ)もいる。
魔女の集会らしく、混沌を極めんとしているのかも知れない。
酔いざましをしていくようで、ウーロン茶のお代りを頼まれた。
帰宅を決めたお客さんたちを、順番に精算をすることになった。
レジが使えないので、注文票をチェックしながら計算しなければならない。
お客さんは酔っている人も多いので、停電の苦情を聞くのも大変だ。
店のせいじゃないんだけどね。
携帯のネットニュースに“都心で大規模停電、原因は調査中”という記事が流れて来た。
割と広範囲で停電しているらしい。
これは長引きそうだ。
携帯の電波が弱くなってはいたが途絶えていないのは、不幸中の幸いだった。
手持無沙汰になったので、懐中電灯を持って受電設備の点検に行くことにした。
この建物は5階建ての雑居ビルで、カラオケハウスは2階を貸し切っている。
非常扉を開けて、うす暗い階段を屋上まで上がる。
明かり取りの窓はあるが、締め切られていて、生温かい空気が淀んでいる。
足元を確認しながら登って行くと、じんわりと汗がわき出てくる。
こういう時、エレベーターとか照明とかのありがたさに気付く。
雑学程度の知識はあるので、事故の原因がこの建物でないかを確認するだけだ。
“キュービクル”と呼ばれる物置サイズの受電設備は、屋上に鎮座していてこのビル全体の送電を担っている。この受電設備が原因なら、ほかの建物の復旧が可能なのだと、改装工事のアルバイトで聞いた覚えがある。素人が触るのは危険だし、もちろん鍵がかかっていて開けられないのだが、小窓から状態を確認できる方法があるのだ。
ドアを開けると、屋上に溜まった熱気が汗ばんだ頬を撫でる。
コンクリートに取り込まれた熱は、いまだ放出され切ってはいないようで、シャツの下を汗が流れ落ちるのを感じる。
今夜は月が出ていないので、停電した町の空がよけいに暗く感じた。
「!」
懐中電灯の明かりが、小さな人影を映し出す。
キュービクルの前に誰かいた。
小学校低学年くらいの男の子だ。
白いシャツに肩バンド付きの半ズボンを履いている。
屋上のドアの鍵、開いていたかな?
男の子は脅えるでもなく、落ち着いた表情で立っていた。
「きみ、なんでこんなとこに居るの?道に迷った?」
「…はぐれちゃって、お腹空いちゃったから…。」
親を探しているうちに、建物の中に入ったって事だろうか?
「わかった、一緒に家の人を探してあげるから、とりあえず下に降りようか。」
「…はぐれた時は、あそこで待ち合わせをすることになってる。」
男の子が指さす先に、東京タワーがあった。
そうか、下の道路からじゃ確認しにくいもんなぁ。
場所を確認するために、ここに上がって来たってことだろうか?
向こうも停電しているようで、赤色灯が数カ所点滅し、薄明るい展望台の明かりが見えている。
おそらく自家発電を行っているのだろう。
キュービクルは異常ないようなので、男の子の手を引いて、暗い階段をゆっくり降りて行く。
男の子はすごく落ち着いていて、戸惑っている様子は見られない。
俺がこのくらいの年だったら、泣きそうな顔になっていると思う。
事務所に戻ると店長から、今日はもう店を閉めると告げられた。
最後までいた客が、今精算に来たからだ。
「せっかく、手伝いに来てもらったのにすまない。」
「困った時はお互い様ですよ、事故じゃ仕方ないですしねぇ。」
残暑厳しいこの時期に、エアコンなしで狭い室内に放置される苦行は、何かの罰ゲームでしかない。
迷子の件を話して、来客に子供連れがいなかったか確認したが、該当する客は無かった。
人に見られずに、どうやって屋上まで上がれたか気になるところだが、まあ、子供のことだし大目に見よう。
着替えて店の外に出る。
「お腹空いてるんだっけ、なにか食べるかい?」
「今はいい。」
子供の事だからなんだろうけど、この無愛想な態度は誰かと似ている。
手を差し出したら、男の子も手を繋いでくれたので、手を引いて歩きはじめる。
停電で店舗内のエアコンが利かないからだろう、ほかの店にいたお客さんたちも外に出てきていて、歩道にはあちこちで人だかりができていた。居酒屋の前でふらふらしている人もいるので、少年には車道側を歩いてもらう。
駅前のロータリーでは、突然の停電で帰宅を余儀なくされた人たちで、バス停もタクシー乗り場もいっぱいだ。
「歩くけど…、いい?」男の子に聞いたら肯いただけだった。
東京タワーまでなら歩いても30分かからないから、徒歩で帰宅を目指す人波に混ざって歩き出した。
タクシー乗り場の方から誰か駆け寄って来た。誰かと思ったら、長澤さんだった。
Tシャツの上に、呼び出された時に羽織っていたジャケットを着ている。
抱えているトートバッグには、さっきまで着ていたコスプレ衣装を入れているようだ。
「その子どうしたの?弟さん?」
「迷子らしいんで、親御さんのところまで連れて行くところです。」
「そうなの?途中まで一緒に行ってもいいかしら?」
他の皆さんはまだ飲みに行くらしいので、俺をダシにして抜け出してきたらしい。
「俺なんかと一緒だと、写真取られたりしたら困るんじゃないですか?」
「周りがこれくらい暗ければ、誰も気づかないわよ。」
そう言ってニコッと笑う。
クロスレンジャーでのクールな演技と違って、素の笑顔は確かに可愛い。
恭介の気持ちが少しわかった。
少年の歩幅に合わせて、騒がしい通りを歩いて行く。
テラス席がある店舗で、いまだに飲み続けている人がいた。
非常用の照明を使って、店内で飲んでいる人もいるようだ。
幾つかのビルは自家発電をしているので、歩道はそこそこ明るいが、街灯とかは消えているので、パッと見て人を識別できるほどではない。
彼女の言う通り、長澤恵美だと気付く人は少ないだろう。
電車が動いてなかったらどうするか聞いて見たが、駅に着いてから考えるということだった。結構行き当たりばったりな性分らしい。
長澤さんが、さり気に男の子の手をつないでいたから、知らない人が見たら親子連れに見えるかも知れない。
「そう言えば名前を聞いてなかったよねぇ。俺は正嗣、遠藤雅嗣。君はなんていうのかな?」
顔の高さを合わせて、聞いて見た。
「…レン。」
想像はしていたけど、すごく短い自己紹介だったので、思わず苦笑いしてしまった。
「じゃあ、レン君って呼んでいいかな?」
長澤さんが同じようにして、問いかけていた。
「よろしくね、私は恵美、長澤恵美よ。」
レン少年は長澤さんの顔をしばらく見ていたが、案の定、肯いただけだった。
「目標を確認しました。芝公園方向に徒歩で移動中。」
「どういうわけだか遠藤と、長澤恵美が一緒です。」
クロスレンジャーのクロス・グリーンのスーツアクターである茅原宏美と、同じくクロス・ブルーのスーツアクター担当の佐々木真一郎が、彼らの後をつけていた。
もと自衛官である二人は、カップルを装っている。
『なに!それはどういう……、いや、すまない。…確認するが、二人で間違いないかな?』
「間違いありません。」
『…これも確認だが、その…、二人が交際しているということは無いかな?』
インカムの向こう側は、想定外の事態に困惑しているようで、反応が悪い。
「まあ、無いでしょうねぇ、接点が見当たりませんから。」
茅原がハァ、とため息をついてから、呆れた感じで返事をする。
『…ほんとに?』
「くどいですよ!隊長。」
過度に子供を心配する父親のような問いかけに、茅原がイラついて返事をする。
隊長と呼ばれているのは、クロス・レッドのスーツアクターで、もと交通機動隊の水木大輔だ。
『…そ、そうか、仕方ない。それでは予定を変更して、対象が現着するまで遠巻きに監視、攻撃を仕掛けてくる者は排除。ただし、対象と遠藤、長澤両名には気付かれないように行うものとする。』
「了解。」
「で、ほんとに二人はそういう仲じゃないの?」
茅原がインカムの通話ボタンから手を離した途端、佐々木が茅原に聞いてきた。
デートとかだったら、邪魔するわけにはいかない、とでも思ったのだろうか?
「まったくもぉー。」と、呆れながら続ける。
「長澤さんはともかく、遠藤にはそんなことをする甲斐性が無いだろうよ。」
「さり気にひどいこと言うよね。」
入社して3ヶ月程度だし、運送とスタントの仕事を掛け持ちしているので、色恋にうつつを抜かしている暇はないだろうとのことだ。
「この作戦には参加させられないから、呼ばなかったけどな。」
「撮影終わってからサッサと帰っちゃったしね。」
「なんでこうなってるのか、問い詰めるのは楽しそうだな。」
茅原は楽しそうに笑う。
今回のミッションは、緊急なうえに極秘であった。その内容を遠藤が知る必要はなかったが、遠藤の行動が作戦にどんな影響を与えるかもわからない。
「そんな取り調べみたいなことは、必要ないと思うよ。」
「そうなんだよなぁ、つまんねぇ。」
茅原は楽しみが減って、ガッカリしているようでため息をついた。
「ところでこの服装は、かえって目立つんじゃないのか?」
「いいだろう、ペアルックだぞぉ~。」
ここぞとばかりにポーズをとって、ウインクして見せる。
佐々木は顔を赤らめていたが、薄暗かったこともあり茅原に気付かれることはなかった。
「ペアルックって、迷彩服来たカップルってどうよ?」
「今どき迷彩服なんて、珍しくも無いって。」
二人が着ているのは、以前自衛隊で使っていたもので、見る人が見れば本物とわかる代物だ。
『その迷彩が、人の目を欺くための擬装、という意図が理解不能。』
インカムから抑揚のない女性の声が聞こえる。
クロス・イエローのスーツアクターの宇佐美加奈江である。
彼女を含めた4人は本業のスタントマンとは別に、極秘の任務を遂行していた。
「本来はジャングルとか、山間部で使うの。」
『都市部での作戦への適用について、説明を乞う。』
こんなに面倒くさい子だったかしら、と茅原はため息をついてから、返事をした。
「いいわ、後で説明したげるから、遠距離監視、怠るんじゃないわよ。」
『了解。』
宇佐美は先行しており、二人とは離れた場所から遠藤たちを監視している。
『…11時の方向から、不自然に接近する人影を確認。』
「特長は?」
『黒いキャップとサングラス、あと黒っぽいジャケット、接触まで約5m。』
「了解。」
茅原が位置を確認し、早足にそちらに向かう。
「この暗さで、よくわかるなぁ。」
佐々木が感心しながら続く。
遠藤と長澤のいる方に、ゆっくりと近づいて来る男を確認した。
片手はジャケットのポケットの中に隠れており、何か得物を持ってるようにも見える。
茅原は佐々木に目配せすると、インカムに手を伸ばした。
『キキィー!』という音が響いて、付近にいた人たちは、音のした方に気を取られていた。
車が急ブレーキをかけたようだが、既にその対象の姿はなかった。
黒いキャップとサングラスの男は、佐々木の手により昏倒させられ、人のいない通路に引きずり込まれた。
幸い停電で辺りが暗く、防犯カメラも動いていないので、余計な気を遣わなくて済む。
「週刊誌のカメラマンみたいだね。」
佐々木が男の財布から、名刺を抜き取り確認する。敵対勢力ではないようだ。
「パパラッチかよ、まぎらわしいなぁ。」
茅原が、男の持っていたデジカメの映像を確認して、ジャケットのポケットに戻す。
スマホのデータも確認する。
デイバッグから取り出したタブレットにケーブルを繋ぐと、テンキーの入力画面が現れた。
何桁かのコードを打ち込むと、スマホ内の画像データがタブレットに表示された。
ドラマや映画で見たことのある男女の写真があったが、長澤や遠藤は映っていなかった。
「完了、外れだ。」
『了解、こちらは異状なし、任務続行する。』
男を自販機の影に放置して、3人の尾行に戻る。
パパラッチの対処をしている間、別の勢力からの接触は無かったようだ。
「親子連れみたいに見えるねぇ。」
男の子を真ん中に、三人が手を繋いで歩いている。
確かに知らない人が見たら、幸せそうな親子連れに見えなくもない。
「ああいうのを見てると、この先何もない事を、ついつい願っちゃうよねぇ。」
「まったくだ。」
佐々木の意見には、茅原も同感だったようだ。
『1時の方向、黒いワゴン車、停車中、要警戒。』
「…了解。」
「そう簡単には、お役御免にならないみたいだね。」
「人の幸せよりも不幸を願う人の方が、大勢いるのかもな。」
茅原が傍目にも“不機嫌”とわかる表情で答える。
ワゴン車の窓はスモークガラスになっているが、時々わずかに開閉されて、何かを確認しているように見える。
「何するんじゃい!こらぁー!」
近くのコンビニの前で、たむろしていた酔っぱらいたちが喧嘩を始めた。
遠藤たちが近づくのを見計らったように見えなくもない。
信号の消えた交差点で、交通整理をしていた警官が駆け寄って来て、近くにいた人たちは歩を緩める。
遠藤が、長澤と少年をかばいつつ車道側に寄って行く。
歩道が渋滞して、人の流れがゆっくりになっていった。
長澤はトートバッグを抱えていたこともあり、少年の後ろへ移動していた。
前方にガードレールの切れ目があって、そこには黒っぽいワンボックスカーが停まっていた。
「きゃあ!」
女の人の悲鳴が聞こえた。
警官と酔っ払いたちの間で、何かあったらしい。
遠藤も長澤も、周囲にいた人たちも気を取られていたようだ。
その時、ワンボックスカーのスライドドアが音もなく開いて、黒っぽいシャツを着た何者かが半身を乗り出し、ゆっくりと少年の腕に手を伸ばす。
もう少しで少年の腕に手が届くというその時、シュッという細い音がして、ワゴン車がガクンと傾いた。
次の瞬間、黒シャツの男は社内に引き込まれ、わずかな音を残してドアが閉まった。
遠藤が物音に気付いてワゴン車を見たが、車体がガタガタと揺れていただけだった。
「確保完了。」
消音機付きの銃でタイヤを撃ち抜いた後、車道側の扉からワゴン車に飛び込んだ佐々木と茅原が、車内に居た三人の男を取り押さえていた。
真っ先に運転手を狙い、すぐさま後部シートの誘拐役と、ドアの開閉係を殴り倒した。
『確保了解。』
二人は男たちを行動不能にして、そっとワゴン車を離れた。
ワゴン車と誘拐犯たちは、別班が回収予定だ。
二人は服装を整えて、再び尾行の任についた。
遠藤と長澤がにこやかに、話しているのが見える。
「いい気なもんだなぁ、狙われてるとも知らないで。」
「仕方ないさぁ、遠藤はともかく、長澤さんにバレたらまずいからなぁ。」
「遠藤君も、自分が連れている子が、異星からの訪問者だとは微塵も思ってないだろうなぁ。」
「あいつ、そういう奴に好かれるオーラでも、出してんじゃないかぁ。」
東京タワーまではあと10分くらいだが、まだ気は抜けない。
大きな交差点を超えると、遠藤たちとの間に数人の集団が移動してきた。
酔っぱらっているようで、ふらふらしながら大きな声で談笑しながら割り込んできた。
さらにもうひと組の男女が間に入って、遠藤達の姿が見えなくなった。
「まずい、見失っちまう!」
前を歩いている人達に、不審に思われない程度に早足で進むが、進路を塞ぐように移動する人が多い。
故意に接近を妨げられているような気がする。
茅原と佐々木は顔を見合わせた。
「気のせいだよなぁ?」
「気のせいだといいんだけどねぇ。」
「どうかしたの?」
車道の方に気を取られていたら、長澤さんに不審がられてしまった。
「あっ、何でもありませんよ。」と答える。
今通り過ぎたところで、駐車中のワンボックスカーが揺れていたので、気になっただけなのだが、車内でおかしなことをしてるんじゃないかとか考えてしまったのだ。
女性と子供の前で、そんなこと言えるわけもないのでごまかすことにした。
ただ歩いているだけだと、今みたいに余計なことを考えてしまうのは、俺の悪い癖だと思う。
そんなわけで、どうして女優になったのか聞いてみた。
「昔の特撮でヒーローを助けるヒロインがいたのね、その人は他の特撮ドラマにも何本も出演していて、しばらくしてアクション映画の主演になっていたの。」
「知ってます、汐見江梨子さんですよね。」
「そうなの!アクションもできる女優さんて、カッコいいなって思って。」
それでクロスレンジャーのオーディションを受けて、黄金野すみれ役をつかみ取ったのだと言う。
そう言えば以前、小栗恭介に迫られた時に公言していたよね。
頑張って夢を叶えて欲しいものだ。
「あなたはどうなの?」
「えっ…?!」
なんとなく推しを見守るファンの気持ちになっていたら、想定外の話を振られたので、返答に困ってしまった。
そう言えば就職してからこっち、いろんなことがあって、自身の将来なんて考える暇がなかった気がする。
ウサ耳を付けたマッチョな宇宙人に追われていた宇佐美さんを助けたあげく、高架道路から落ちそうになり、事故の真相について沈黙することと引き換えに、G.A.M.に就職させてもらったわけだが、これを素直に話すわけにはいかない。
そんなわけで端折って説明した。
「ちょっとした縁で、宇佐美さんと知り合いまして、G.A.M.で運転手の募集をしていたのを聞いて、面接を受けて雇ってもらうことになりました。ちなみに、本業は運転手の方で、スタントへの参加は成り行きです。」
うん、間違ったことは言ってない。
「ええ~、それもったいなくない?」
「えっ?」
長澤さんは少しばかり、ガッカリしたような顔になった。
「ずーっと、裏方とか続けるつもりなわけ?被り物なしでアクションとかやってみたいと思わないの?唐沢省吾や伊達広之みたいに…。」
唐沢省吾も伊達広之も、特撮ドラマのスタントマンからこの業界に入って、映画やドラマで活躍している俳優だ。
俺にもそんな風になれるチャンスがあるってことか?
一瞬、某仮面ヒーローみたいにバイクを駆って登場し、威勢のいいBGMが流れるなか、群がる怪人たちを薙ぎ払い、決めポーズを取っている自身の姿を思い浮かべる。
しかし、すぐに桂木さんに肩をたたかれて、後ろ頭を掻きながら、スネゾウマスクを被らされる自分がいた。
G.A.M.が裏で異星人案件を担っていることを知ってしまった俺には、スネゾウや怪人のスタントで使い潰される未来しか考えられなくて、そんな華やかな将来には縁がないような気がする。
『チャンスは狙える時に狙わないと、掴むことはできないぞ。』
そう言えば水木さんにも、似たようなことを言われたことがあったが……。
「おいっ!足踏んだろ、今っ!」
「えっ!」
ぼんやり歩いていたら、横を歩いていた男が、急に文句を言って来た。
ガタイのいい短髪の中年男で、いかにも今まで飲んでいたという風体だ。
久しぶりに自分の世界に入って妄想とかしていたけど、人の足など踏んではいない。と思う。
「何か、勘違いしてるんじゃないですか?」
「なにぃ、ふざけてんのか、こらぁ!」
胸ぐらを掴まれ、顔に息がかかるあたりまで引っ張られ、赤い顔ですごまれる。
酒臭い…。
周りにいた人達が、自然と距離を取っていく。
レン少年と手が離れてしまった。
長澤さんが青い顔になって、レン少年を抱えたまま後ずさる。
その後ろからは野次馬らしい人たちが近づいて来て、なんだか遠巻きに囲まれて行く。
携帯を向けている人もいるから、これから起きる何事か…おそらくは俺が殴られるあたり…をカメラに収めようとしているのだろう。そんなことより、警察呼んで!
レン少年は、なにが起こっているかわからないようで、無表情のままだった。
「あのぉ、…放してもらえません?」
状況の改善を図るべく、なるべく穏やかに声をかけるが、聞く耳は持っていないらしく、胸ぐらを掴んだまま拳を構えた。
口角がわずかに上がったように見える…。
ニヤリと笑ったような気がした…。
顔にあたる直前で、上半身を捻って拳を躱すことに成功した。
突き抜けた腕を両手で掴んで少しかがんでやると、勢いの付いた男の体重が背中に乗った。
『うまく相手を背中に乗せる事ができたら、腕を引きつつ腰をひょいっと上げると、相手を投げる事ができるんだ。』
水木さんに教わった通り腰をひょいっと上げると、酔っ払い男の体が背中から跳ねあがり、勢いをつけて地面へと落ちる。
ズシンッという音を立てて、男は背中を地面に打ち付けられ、苦悶の表情を浮かべている。
水木さんに教わった投げ技が、うまく決まってしまった。
たぶん偶然だから、二度はできないと思う。
野次馬の人たちから、「きゃあ!」とか「痛そう。」とか、ざわめきが聞こえる。
さすがにまずいかなッと思って「大丈夫ですか?」と声をかける。
酔っ払い男の様子を見ようとして、かがみ込む肩を誰かが掴んだ。
振り向くと、サラリーマン風のスーツを着た男が立っていた。
黒ぶちメガネに何かの光が反射して、表情は読めない。
…お友達ですか?
男は人差し指で黒ぶちメガネのブリッジをちょっと上げると、「うぅりゃあぁ~!!」という奇声を上げて殴りに来た。
その声に気圧されて、反応が遅れてしまった。
歯を食いしばり、痛みに耐える準備をしたのだが、殴りに来た拳が逸れた。
黒ぶちメガネは、足元のバランスを崩したようで、前のめりに倒れかける。
が、それを堪えて、反対の腕で俺の腕を掴みに来た。
余裕ができたので、その腕をいなして、足を引っ掛けて転んでもらう。
一発は喰らうタイミングだったのに、なんで外したんだろう?
スタントに精を出しているおかげで、乱戦でのさばき方が上手くなっているんだろうか?
などと、のん気に構えていられなくなってきた。
ボクサーみたいに拳を構えたアフロヘアの男が、ステップを踏みながら俺の前に立ちはだかる。
なんだか、狙われてない?
それともここは、ちょっと腕の立つ者がいれば、誰の挑戦でも受けなければならないとかいう、ストリートファイトの会場ですか?
…ボクシングなんかやったことが無い。
アニメは見たことがあるけど…。
でも気持ちだけでも負けないようにと、ファイティングポーズを取ってみる。
顔面に向けてジャブを打ってきたので躱していたら、わき腹を痛烈な痛みが襲った。
「ぐぁっ……!」
…息ができない。
思わず膝をついて、噎せた。
顔面への攻撃で気を引いておいて、ガードが甘くなったところを狙う。
ボクシングの常とう手段だった。
そう言えば、スタントの時はスネゾウスーツが、衝撃を抑えてくれているんだった。
ちょっとうまくできていたから、調子に乗っていたかも知れない。
……かなりきついが、宇佐美さんのパンチに比べたら、まだましな気がする。
とは言えダメージがかなりあって、息を整えつつ立ち上がったものの、膝がガクついていた。
アフロはボクサー経験者なのか、俺が立ち上がるのを待ってたみたいだった。
俺の足元がおぼつかないと見るや、嬉々として顔面を狙って打ってきた。
“ヤラレルっ!”と思ったところで、首の後ろを誰かに引っ張られた。
襲いかかってくるアフロの拳が遠ざかっていく。
そのまま物騒な集団の輪から放り出される。
ゴロゴロっと後ろ向きで転がって立ち上がろうとしたがうまくいかず、二、三度、後頭部をぶつけて仰向けで止まった。
ぶつけた後頭部をさすりながらもと居た辺りを見ると、アフロは乱入してきた挑戦者(?)に腕を捕られてタコ殴りにされていた。
俺はあの男に助けられったってことか?
挑戦者はがっしりとした体格で、モールの付いた黒い革ジャンを着て、ドラゴマスクの覆面を被っている。
“ドラゴマスク”というのは某プロレス団体で活躍している覆面レスラーだ。
その名の通り、ドラゴン、竜をイメージしたマスクを被り、豪快な飛び技で人気を博している。
こんな現場だけど、まさか本人じゃないよね?
ふと、見下ろしている視線に気が付いた。
レン少年を抱えたまま、へたり込んでいる長澤さんだった。
あわてて彼女に向き直り「大丈夫ですか?」と声をかける。
殴られてた俺が言うのもヘンだけど。
「ええ…。」血の気の引いた顔で、小声で答える。
長澤さんは誰かに押された弾みで、道端にへたり込んでしまったという。
棒立ちのレン少年に、膝を折ったまま抱きついていた。
彼は主人に寄り添う子犬みたいな面持ちで、何か言いたそうだったが、口はつぐんだままだった。
「…あなたこそ、大丈夫なの?」
長澤さんは、俺がアフロに一発貰ったところを見ていたらしい。
「あぁ…、格が違ったみたいで、放り出されてしまいました。」と答える。
『宇佐美さんのパンチで慣れているので、大丈夫ですよ!』と、答えようと思ったが、M体質とか性癖を疑われそうな気がするのでやめた。けっして見栄を張ったわけではない。
…打たれたわき腹には、じんわりと痛みが残っていた。
「うぉ~!!」
歓声が上がったので振り返ると、アフロが上半身を抱えられて持ち上げられていた。
そのまま後方に倒れ込んで、ブレンバスターを決める。
頭を抱えていたから死んだりしないだろうけど、…容赦ないなドラゴマスク。
アフロが引きずられて退場すると、ムキムキマッチョの外国人が腕組みして現れた。
ドラゴマスクと力比べを始めたが、足を掛けられて投げられていた。
不意打ちを狙ってくるトリッキーな輩もいたが、闘争心を煽ってしまったようで、打撃コンボからコブラツイストを掛けられて悶絶させられていた。
そんな中、俺たちを見つけて向かってきた角刈り男がいたが、ドラゴマスクに肩を掴まれて引き戻された。振り向きざまに反撃を試みた角刈りだったが、カウンターを狙っていたその腕は、ドラゴマスクにガッチリ掴まれて、強烈な膝蹴りを2度3度と喰らわされていた。
角刈りは下腹部を押さえて倒れ込んだ。
直後、坊主頭の男が背後から角材でドラゴマスクを殴りつけた。
ギャラリーからブーイングが沸き起こる。
怒気を立ち昇らせつつ振り向いたドラゴマスクは、再び打ちつけられた角材を受け止めると、坊主頭に渾身の昇竜…、もといアッパーカットを打ち込む。
坊主頭は少しばかり宙に浮き、ペシャンという擬音付きでアスファルトに崩れ落ちた。
ギャラリーから惜しみなく歓声が上がった。
まさになんとか無双を地で行く感じで、挑戦者たちを次々に屈服させていく。
そんなギャラリーの盛り上がりとは対照的に、無表情に彼らを見ていたレン少年の視線に先で、角刈り男がこちらを睨んでいた。
さっきの膝蹴りは金的だったようで、うつ伏せのまま股間を押さえていた。
起き上がろうとしているのか、尻を持ち上げているが、腰が抜けているようで立ち上がれないでいる。
男としてはたいへん気の毒に思うが、彼らは自業自得だし、また巻き込まれては堪らないので、そろそろこの場を離れることにしよう。
長澤さんの方に振り返ると、彼女の後ろから誰かの手が伸びてきたようだったので、素早く彼女の手を掴んで引き起こし、ふらついた振りをして体の位置を入れ替える。
抱きついたように見えるのは、不可抗力ですからね。
「どうしたの?」
伸ばされてきた手はもう見えない。暗かったから見間違えたかも知れない。
「いやぁ、美人さんと一緒なんで、緊張しちゃったみたいです。」
長澤さんを不安にさせたみたいだったので、冗談めかして答えたら、「もうっ!」と言って、手持ちのポーチで背中を叩かれた。
軽い衝撃に安心する。
宇佐美さんみたいに、護身用のなんだか重たいモノが入っていなくて良かった。
レン少年が胡乱な目で見ていた。
あれ?ニヤけてたかな?
サイレンを鳴らして、パトカーが来たので、二人の手を引いて集団から小走りで離れる。
少し距離を取ってから後ろを確認する。
追ってくる者はいないようでひと安心。
東京タワーまでもう少しだ。
この辺の飲み屋や事務所は閉まっているのでかなり暗い。
ついでに人通りも少ない。
「やっぱり…、普段からスタントをやっている人は違うわね。」
ホッとしていたら、長澤さんが愚痴る声が聞こえた。
「長澤さんだってアクションやってるじゃあないですか?」
クロス・イエローに変身した後は宇佐美さんだけど、“黄金野すみれ”の時は長澤さんだし、遜色なくできていると思いますよ。俺なんかの意見じゃ参考にならないかも知れませんが…。
「違うのよ、ほら、さっきみたいな事があった時、咄嗟に反応できるのって、すごいなって。私なんか、足がすくんじゃって、少しも動けなかったもの。」
なにもできなかったのが悔やまれたようで、落ち込んでいるみたいだ。
こんなことはそうそうあるわけじゃないので、落ち込む必要はないと思う。
「それはアレですね、普段から段取りを守ってくれない、誰かさんのせいですかね。すぐに体が反応しちゃうみたいなんですよ。容赦のない指導をしてくれる教官もいますしね。あと、ここで目立つのは、女優さんとしては良くないですから、結果オーライですよ。」
「そうね、仕事以外でカメラを向けられるのは、避けたいわね。」
クスッと笑って長澤さんが答えた。
やっぱり綺麗な人だなぁ。
「あっ…、」
レン少年が、何かにつまづいて転んでしまった。
「大丈夫?」
長澤さんがレン少年を起こそうとして屈み込むと、その背後に誰か立っていた。
暗かったから気付かなかった?
いや、前ぶれもなく…、まるで今、そこに現れたかのような感じだ。
やたら背が高い、2mはあるだろうか?
まだ残暑が厳しいのに、長めのコートのようなものを着て、山高帽らしきものを被っている。
体型からして男だと思う。
しゃがんだ長澤さんを見ていたが、俺に気付いてなのか、顔を上げた。
通り過ぎる車のヘッドライトが、その男の顔を照らして、男と目が合ってしまった。
目だったと思う…。
黒っぽいシワシワの皮膚の間に、黒い瞳だけがあった。
車が通り過ぎたわずかな時間のことだったから、そう見えただけかもしれない。
人の顔にあるはずの、鼻や口らしいものは確認できなかった。
…背中に怖気が走った。
固まっている俺を気にすることもなく、男は凶器らしいモノをゆっくりと振り上げた。
湾曲した刃物の、尖がった切っ先がキラッと光る。
長澤さんを狙っているのか?もしくは…。
当の長澤さんはこの襲撃者に気付くことなく、レン少年を起こそうとしていた。
が、レン少年はどういうわけか、伏せたままで立ち上がろうとしない。
すぐ後ろに立っている、この不気味な存在に怯えているのだろうか?
あぶない!と声を上げようとしたが、俺も声が出せない。
それどころか、金縛りにあったみたいに体は動かず、気持ちだけが空回りする。
ゲームによく出てくる“威圧”という技を実際に体現するとしたら、こんな感じなのかも知れない。
このまま黙って見ているわけにはいかないが、悪い夢を見ている時のように、手足に力が入らない。こんな時どうすればいいのか…。
『腹に力を』
どこからか声が聞こえた気がしてハッとする。
一呼吸して腹筋に力を入れて顔を上げた。
『ヤバイやつがいる。』
ストリートファイトの現場で足止めを食っていた茅原のインカムに、宇佐美から緊急の連絡が入った。
宇佐美は茅原達が、遠藤の尾行から離れてしまったので、単独で後を追っていた。
目立たないように、黒いパーカーを着て、フードで顔を隠していた。
夜間とは言え30度近くある屋外で、この格好は怪しい気がするが、宇佐美は気にしていなかった。
しばらく追跡したところで、強い殺気を放つ、異様な存在を確認した。
そいつは今、長澤と少年をはさんで遠藤と対峙していた。
思わず駐車車両の影に身を隠した。
かなり距離があるが、これ以上近づけば気付かれると判断した。
前を歩いている遠藤たちは、このヤバさ加減に気付くはずもない。
「どういうこと?」
コンビニ前の駐車場は、今や格闘技会場と化し、どこから聞きつけてきたのか観客が集まって車道にまで広がってしまったため、通り抜けられそうもない。
駐車車両のヘッドライトに照らされたそこには、ドラゴマスクの覆面を被った男が、力自慢の男たち相手に無差別格闘戦を繰り広げていた。
さらに興奮した外国人がシャツを脱いで、ムキムキの筋肉をアピールし始め、釣られた強者たちがそこかしこで殴り合いを始めてしまった。
警官たちは解散するよう促してはいるものの、観客の多さと会場(?)の熱気に呑まれて収拾が付けられず、これ以上過激な行動に出ないよう見守るしかない状態だった。
宇佐美や遠藤のいる場所には、この格闘マニアたちの間を抜けて行く必要があるが、下手を打てばこの格闘戦に巻き込まれそうだし、負けはないとしても、目立つことは避けたかった。
宇佐美からの無線が入ったのはそんな時だった。
『隙が無い、近寄れない。』
ドラゴマスクのリアル無双はまだ続いていたが、騒ぎを仕掛けた連中の確保は既に終わっていた。あとはこの騒ぎで調子に乗っている格闘マニアたちを黙らせるだけだが、ドラゴマスクの手によってことごとくリングアウト(?)させられていた。
そしてまた一人、筋肉自慢の男がノックアウトされたようで、ギャラリーから歓声が上がった。
この調子なら事態は遠からず収拾する。
「わかった、応援に行く。」
『…応援は危険。』
二次被害の事を言っているようだ。
それほどの相手がいるらしい。
「なんとかできないの?」
『ヤツに隙ができれば………たぶん。』
「隙を作ればいいの?」
『肯定。』
茅原はビルの間の路地に駆けこむと、背負っていたデイバックから、銃を取り出した。
銃口の大きなつくりで、信号弾を撃つタイプのものだ。
「今からやってみるから、隙ができたら実行ね。」
『了解。』
「あと、死なないように!」
『……了解。』
複雑な面持ちで、無線を終える。
「おい、そんなヤバいのを、宇佐美ちゃん一人に任せといていいのか?」
「宇佐美がヤバいって言ったら、相当な相手よ。私らが行っても足手まといにしかならないわ。」
特注の弾頭を装填して、ビルの間から空に向けて発射する。
シュッと軽い発射音がして、銃弾は夜空へ放たれた。
パァーンっと大きな音がして、夜空に大輪の花火が咲いた。
周りが停電しているので、驚くほど明るくなった。
近くに居た者は皆、空を見上げていた。
刃物を振り上げていた襲撃者の動きが止まった。
宇佐美は隠れていた車の影から飛び出すと、人並み外れた瞬発力で近づき、速度に乗った拳を襲撃者のわき腹にたたき込んだ。
手ごたえはあったので、その先にあった路地に飛び込んだ。
紙くずやゴミとかが散らばっていたが気にしない。
すぐさま体勢を立て直し、息を殺してゴミ箱の影から様子を伺う。
自身の鼓動の音が、頭の中に響き渡っていた。
彼女にしては珍しく、恐怖を感じていた。
遠藤たちは無事なようだ。
なにか探しているように見える。
襲撃者は見えない。
ハッとして、意識を背中に向ける。
汗が首筋を流れ落ちる。
ゆっくり振り返ると、風が舞っているだけだった。
注意深く周囲を探るが、襲撃者の姿はない。
あの殺気に似た気配は、もう感じられなくなっていた。
宇佐美は、はぁ~っと息を吐くと、建物の壁にもたれてへたり込んだ。
パァーン!と、大きな音が響いて、夜空に大輪の花火が上がった。
その光を見た者は皆、夜空を見上げていただろう。
一瞬、風が吹いたような気がした。
視線を元に戻すと、あの大男は消えていた。
遠のいていた喧騒が戻ってきた。
「えー、今の花火?」
そう言って長澤さんが立ち上がって、夜空を見上げている。
既に花火は消えていて、近くに居た人たちのはしゃぐ声があたりを賑やかしていた。
「もう、上がらないのかなぁ…。」
長澤さんがつまら無さそうにつぶやいていた。
抱えられているレン少年は、耳を押さえていたが、その手を離して神妙な面持ちで俺の方を見ていた。
なにか言おうとしたようだったが、長澤さんの「なに?すごい汗。」という声に阻まれた。
気が付けば、俺はひどく汗を掻いていた。
「花火の音がすごかったんで、びっくりしちゃったんですよ…。」
「意外な弱みがあるのねぇ。」
長澤さんはイタズラっぽく笑っていた。
辺りが暗くて助かった。
笑ってごまかしたけど、かなりひどい顔をしていたんじゃないかと思う。
さっきの襲撃者は何だったのか、どこへ行ったのか気にはなったが、花火の余韻で騒いでいる人達がいる以外は、普通の都会の風景だったので、安心していいのだろうか?
「もう大丈夫。」とレン少年が言った。
それはどういうことなのか聞こうとしたが、レン少年は差し出した手を掴むことなく駆け出した。
見ると、東京タワーはすぐそこだった。
「お兄さんたち、ありがとう。」
そう言うとレン少年は、横断歩道のない道路を、反対側へ駆けて行った。
「あ、危ないわよ!」
ブォーーーーン、とクラクションが鳴り響く。
後を追おうとした長澤さんと俺の前を、大きなトラックが通り過ぎて行った。
道を渡ったはずのレン少年の姿はどこにも見えない。
彼を探して見回す視界の先が、急に真っ白になった。
“狐につままれた”とでもいうのか、一瞬、夢と現実の境目を見失ったように視界は歪み、頭痛とも耳鳴りとも思える痛みに感覚を失う。
やがて麻痺が解けるように、街のざわめきが聞こえてきた。
閉じていた瞼をゆっくりと開ける。
電気が復旧したようで、東京タワーがライトアップされた姿を取り戻していた。
近くに居た人たちが、歓声を上げていた。
長澤さんが隣で東京タワーを見上げる。
「きれいね。」
「そうですねぇ。」
二人でしばらく眺めていた。
「レン君、ちゃんと家族に会えたかしら?」
「たぶん大丈夫ですよ。電気も復旧したことだし…。」
なんとなくだったけど、そんな感じがした。
「なにそれ?根拠ないでしょう?」
長澤さんがくすくすっと笑う。
たぶん彼女もレン少年の無事を信じているのだろう。
電車が動き出すらしいので、最寄りの駅まで長澤さんを送って別れた。
去り際に「あのこと、黙っていてくれてありがとう。」と、言われる。
あのこと、とは?
あっ!
確認しようとしたが、彼女はもう駅の改札を抜けていた。
小栗恭介が告っていた時、現場にいたスネゾウが、俺だと気付いていたようだ。
誰かに話したりしなくて、本当によかった。
一人になったら緊張が解けたのか、腹が鳴った。
そう言えば、カラオケハウスの賄いしか食べてなったからなぁ…。
「状況終了。」
「宇佐美ぃ、良かった、無事だったぁ!。」
宇佐美は埃だらけのパーカーを着て、疲労困ぱいという表情で集合地点に現れた。
茅原は無事戻ってきた宇佐美の姿を見て、思わず抱きしめていた。
「あんな事言うから、もう会えないかと思ったよ。」
水木と佐々木も安心したようで、姉妹のごとく抱き合っている二人を見ていた。
「で、どうなった?」
「逃げられた……、もとい、諦めてくれた。」
右手を上げて見せると、パーカーのわき腹の辺りがざっくりと切られていた。
「どうしたよ、これ!」
「…すれ違いざまにやられた。」
一瞬ヒヤッとした茅原だったが、下に着ていた黒いインナーが無事だったので胸をなでおろす。
防刃機能のあるこのインナーは、レンジャースーツにも使われているものと同じで、特殊な素材で作られている。
実のところ刃物による攻撃であれば、刃を通すことなく装着者を護るという優れモノだった。
しかし襲撃者の一撃は、この防刃スーツにも切れ目を着けていた。
まさに紙一重だったようだ。
「気付かれたから、諦めたみたい。」
「なに弱気な事言ってんの。」
そう言って、また宇佐美を抱きしめる茅原だった。
「じゃあ、私は報告のために会社によって帰るが、君らは直帰でいいからね。」
宇佐美の無事と、作戦の完了を確認した水木は、私物の大型のバイクにまたがってエンジンをかける。
ドゥォルルルンっという、大型車特有の低い排気音が響いて、否応なしに周囲の人たちの注目を集める。
その音がお気に入りのBGMにでも聞こえるのか、たいへん楽しそうにアクセルを吹かす。
「よくそんなのに乗ってられますねぇ。」
佐々木がバイクの車種に気が付いて、感心したように言う。
海外向けに作られたバイクを、逆輸入したものだった。
自衛隊でもバイクを扱ったことのある佐々木だが、大型のものは出力に振り回されてしまって、操作が難しかったことを思い出していた。
「そうかなぁ、戦車を扱うよりは容易いと思うがね。」
「それは、比較の対象にならんでしょう。」
水木はニコッと笑ってヘルメットを被ると、手をヒラヒラと振って走り去って行った。
「隊長えらく機嫌がいいなぁ。」
「久しぶりに大暴れできたからじゃないかなぁ。」
花火弾を打ち上げた後、“ストリートファイト”の現場となったコンビニの駐車場に戻った茅原と佐々木が見たものは、打ちのめされて屍然となった猛者たちが、警官たちによって護送車両へと収容されていく姿だった。
警官たちは口々に「伝説が…」とか「青鬼が来た。」と、囁いていた。
毒気を抜かれて呆然とする二人の耳に、遠くで響く大型バイクの排気音が聞こえていた。
「隊長が交機(交通機動隊)の時に、麻薬の密売組織を壊滅させたって話、聞いた事ないか?」
「あー、賄賂を受け取っていた上官を殴り飛ばして、再起不能にしたって話なら聞いた事がある…。」
「…そりゃぁ、警察も持て余すわなぁ。」
「…だよなぁ。」
佐々木の表情が嶮しくなり、ただでさえ細い目がさらに細くなった。
”交機の青鬼”と呼ばれていたという。
水木の警察時代の逸話は、にわかに信じがたい話ばかりだったが、ここへ来て信憑性が上がったようだ。
モールの付いた黒い革ジャンも、若い頃から所有しているものだと聞いていた。
「…宏美ぃ、お腹空いた。」
茅原にもたれかかったままの宇佐美が、ガス欠を訴えた。
「あ、ごめん。何か食って帰りましょう。」
「ラーメンがいい…。」
「うん、大盛りね。」
「あれ、もしかしてデートですか?」
長澤さんを駅で見送った後、馴染みのラーメン屋に寄ったら、入口のところで茅原さんと佐々木さんに出会ってしまった。
デートだったんならそっとしといた方が良かったんだろうけど、目が合ってしまったのだから、声をかけないわけにはいかなかった。
「違うわ、バカ野郎!」
茅原さんが真っ赤になって怒っているが、佐々木さんはなんとなく困っているみたいだ。
「でもペアルックですよねぇ。二人揃って迷彩服ってのもどうかと思いますが…、あっこれ本物ですよねぇ。」
実際に自衛隊で使われていたものだったので、ちょっと興味をそそられる。
と、背中をゾゾゾッという感じで悪寒が走った。
さっき、得体の知れない襲撃者に遭った時の、あの感覚に似ている。
ゆっくりと振り返ると、宇佐美さんが立っていた。なんか不機嫌そうだ。
「食事をしに来た。」
彼女はTシャツを着て、薄汚れた黒いパーカー腰に巻いていた。
「何してたんですか?皆さん。」
「奢れ。」
「へっ?」
宇佐美さんが、瞬時に目の前まで迫ってきた。近い……。
「奢れ。」
光の加減か、瞳の色がわずかに赤っぽく見える。
ついまじまじと見てしまった…。
じゃなくて…、明らかに憤っているようで、語気に圧がかかっている。
エフェクトをかけるなら、背中に暗いモヤモヤを背負っていることだろう。
俺、なにか悪いことしましたか?
「ここであったのも何かの縁だ、奢れ!遠藤。」
宇佐美さんの顔が近くて焦って…もとい、返事に困っていると、茅原さんが乗っかって来た。
楽しそうだ。
「奢らないと、もう助けてやらないぞ!」
宇佐美さんにしては珍しく、声に感情が乗っている。…嫌な事でもあったのだろうか。
茅原さんに背中を押されて、ラーメン屋に入った。
「いらっしゃい!!」
店員さんの威勢のいい声が響いた。
奥のボックス席を案内される。
何かあった時に助けてもらえないのは困るので、みんなのラーメンは奢ることにした。
茅原さんたちが何をしていたのか聞いてみたが、「機密事項だ。」の一言で話題が終了してしまった。
宇佐美さんは注文の大盛チャーシュー麵が来ると、迷いなく箸を進めていった。
「こんな時間にそんなに食べたら、確実にふと…。」
言い終わらない内に、何かが音もなく飛んできて頬っぺたに張り付いた。
「熱っ!」ちょっと熱かったので少し焦った。
ナルトだった。
飛ばしたのは、向かいに座っていた宇佐美さんだ。
不機嫌そうにラーメンのスープを啜っていた。
以前、茅原さんにお願いした件は、聞いてもらえなかったようだ。
ちなみに宇佐美さんは、大盛チャーシュー麺をもう一杯お代わりした。
翌日“都心で原因不明の大停電”の記事に紛れて、“UFO出現”という投稿が、SNSを賑わせていた。
明かりの消えた東京タワーの近くを、空高く飛び去って行く発光体を見た、という人が何人もいたらしい。
カメラに捕らえた人は少なく、夜空に明るい輝きが映っているだけの信憑性のない画像がアップされていた。
『急に街灯が点いたのを、勘違いしたんじゃないか?』といった意見もあったが、『動画撮ったのに画面真っ白wwww』って言う投稿も多かった。
しまった!俺も見たかった。
いや、そうじゃなくて…。
問題は出現した時間だ。
レン少年が消えた直後だった。
やはり彼は異星人で、あの不気味な襲撃者は彼を狙っていたっていう事なのか?
スマホカメラの映像だって、異星人の技術力でジャミングをかけるくらいのことはできる気がする。
あの三人がいたってことは、何らかの作戦が遂行されていたってことだろうし、隊長もどこかで見ていたに違いない。
作戦に呼んでもらえなかったのは、ハブられたみたいで寂しい気もするが、カラオケハウスのバイトは先に決まっていたことだし、あんなのが相手じゃあ役に立たないだろうしなぁ。
車のライトで一瞬見えた、人ならざる顔を思い出すと冷や汗が出てきそうだ。
なんで逃げて行ったのだろう?
茅原さんたちが何かしたんだろうか?
そう言えば花火上がってたよなぁ…。
終業後、殺陣の訓練の時に、隊長にも聞いてみることにした。
「遠藤くん、前にも話したと思うが対人戦では相手の土俵に入っては行けない。特にボクシングでは頭部に一発喰らうと致命的だ。」と言いつつ、ファイティングポーズを取る。
「やはりどこかで見てい…!」
言ってるそばから、ジャブを放ってきたので急いで身を躱す。
「すぐに次の攻撃が行くから、腕ごと掴んで投げ技か組み技に持っていくんだ!」
早いパンチが顔の横をすり抜けて行く。
質問の隙は与えてくれないみたいだ。
それでもいつもよりは遅いから、腕を掴んで拳を封じろって言う事なんだろう。
期待に応えて腕を掴み、投げ技に持っていく。
が、足を払われて前のめりにコケる。
すぐさま隊長はヘッドロックをかけてきた。
完璧に首に入ってしまって息ができない。
床をたたいてギブアップの意を示す。
腕が説かれたので、orzの体制でゼイゼイと荒い呼吸をする。
「技が必ず決まるとは限らないから、常に反撃の手段を2手3手、考えておくことが必要だ。」
それから約1時間、技の掛け合いが続き、何度となく投げられたり絞められたり落とされたり、へとへとになるまでしごかれた。
「今日はこれくらいにしておこう。お疲れ様。」
「…ちょ、ちょっと待っ…てください…。」
流れる汗も苦にせず、さわやかに立ち去ろうとする隊長を呼び止める。
「せめてあの怪人の正体だけでも…。」
体中が痛いので立ち上がること敵わず、うつ伏せ状態から手だけ伸ばして訴える。
「いつも言ってることだけど、知らないほうが身のためだよ?」
目の前にしゃがみ込んで呆れ顔で話す。
「こういう性分なんで気になることはなるべく知っておきたいんです。どうせ死ぬなら訳もわからず死ぬのは嫌じゃないですかぁーっ?」
一息で言い切った後、クラっときてへたばった。
が、死にそうな目に遭ったんだから、これぐらいは認めて欲しい。
「相変わらず前向きなんだか後ろ向きなんだかよく分からんなぁ…。」
そう言って隊長が手を伸ばしてくれたので、掴んで立ち上がる。
「いいんですか?」
「私の知ってる範囲で良ければだが…、いいかな?」
「遠藤くんはヤツを直接見たんだったな。どんなだった?」
隊長も見たことはないらしい。
怪人の容姿と、対峙した時に威圧されたような感覚があったことを伝える。
「運がいいなぁ。姿を見た者は少ないそうだ。“最強の暗殺者とか“トレント”とか呼ばれているらしい。」
“最強”と聞いて思わず息を吞む。
“トレント”って老木のモンスターだよなぁ。
背が高くて顔がしわしわだったからそんな呼名が付いたのだろうか?
「ただ、すごい気分屋で、思った通りの状況にならないと、何もせず辞めて帰ってしまうらしい。」
「えっ?!」
「たぶん今回も何かに気分を害されたとかで、辞めにしたんじゃないかな?」
そう聞いて思い当たることがあった。
「あー、宿題やれって親に言われると、やる気失くしちゃう子供みたいな性分なんでしょうかね?」
「…プッ、ハハハハハッ」
隊長は、突如破顔した。
「それ、いいねぇ、面白い。くくくく…、」
なにかツボにハマったみたいで、しばらく笑い続けていた。
……そんなに面白かったですか?
「…まぁ、あれだ。あきらめたわけではないだろうから、またやると思うよ。」
ひとしきり笑った後、隊長は目頭を押さえながら続けた。
あれで終わりではない、という事なのか?
「また、地球に来るんですか?」
「いや、対象がここに来なければ、ヤツも来ることはないだろうし、二度も会うことはないんじゃないかな。」
いろいろと監視の目がある地球上で、何度も事を起こすことはそうそうないらしい。
矜持みたいなものを持っているのかも知れない。
くれぐれも深入りしないようにと釘を刺して、隊長は帰って行った。
あんなヤツとまた遭遇するなんてのは奇跡に等しいってわかっただけでも良かった。
宇宙は広いからなぁ。
ちなみに、コスプレした長澤さんと別の場所で遭遇することになるんだけど、それはまた別の話。
Episode9 アサギ、リターンズ(仮)に続く
今回もかなり時間がかかってしまいました。
うまく書けない日が続いた気がします。
暑い日が続いたせいかも知れません(言い訳)。
サブタイトルがなかなか決まらず、二転三転しました。
道端でブレンバスターはまずいんじゃないか?っていうのも悩みました。
遠藤のオタクらしいところを、いかに見せるとか…。
その分筋が通るようにかけた気がします。
あくまでも気持ちの問題ですが…。