Episode7.1 猫を被った日
前回の宇宙ゼミ襲撃事件から数日後、スネゾウのスタントに勤しむ遠藤の前に白い猫が現れた。
もしかして、あの時のネコ型宇宙人なのか?
困惑する遠藤に怪人の着ぐるみを着て、スタントに参加せよとの指示が!
相手は赤石剣斗こと、小栗恭介だ。
どういうわけか虫の居所が悪いみたいだ。
がんばれ遠藤!愛車の修理費は保険が効かないみたいだぁ!
秘密戦隊の裏事情 Episode7.1「猫を被った日」
ニャーゴ。
その日、撮影所に猫がいた。
鳴き声に気付いて声の主を探すと、倉庫前に積まれた小道具の箱の上だった。
ケージに入れられた白い猫が、俺の方を見ていた。
…見ていた気がする。
そんなことはないだろうと思いつつも、ケージに近寄り中を覗き込む。
特長的な模様もなく、ただ真っ白な毛並みの猫がそこにいた。
近づくと俺の方に向かって、鼻をひくひくとさせていた。
まさか、あの時のおっさんネコなのか?
「お前、何でこんなところにいるんだ!」
先日の事件を思い出し、ちょっとばかり強い口調になってしまった。
地球に不時着した白い猫の姿をした異星人で、成り行きで宇宙ゼミに襲われてるところを助けた。というか、ネコ型異星人の命を狙う宇宙ゼミの襲撃に巻き込まれたのを、宇佐美さんの機転で切り抜けたのだった。
あの後、G.A.M.の回収スタッフに連れられて行ったから、すでに地球を去ったものと思っていた。
…思っていたのだけれど、ここにいる白猫は、あの時のおっさん猫ではないのか?
たいした特徴もないのでわからない。
特長と言えば、喋ることぐらいだが、仮にも知性ある生命体なわけだから、そんな簡単にボロを出すわけもない。
…ネコの声がおっさんだったことが、なんであんなに悲しかったのか?今となっては、たいしたことではなかった気がする。
そんなことを考えながらじっと見ていたら、他所を向いていた猫が、俺の方に向き直った。
「…え~っとぉ、今日の撮影で使いたいぃ、っと言うことで、呼ばれてきたんですけどぉ……。」
弱々しい声で返答があった。
少しばかり鼻にかかった、可愛らしい声であった。
そう、猫が喋るんならこんな声がいいなぁ…とか考えていたら、積まれていたダンボールの向こう側から、恐る恐る立ち上がる女性の姿があった。
しゃがみ込んで書類のチェックをしていたようだ。
社名の入ったシャツに、オーバーオールという可愛らしい格好をしている。
アニマルトレーナーの人だろうか?
俺のことは“猫に文句を言っているあぶない人”に見えたようで、やや困惑気味である。
「あのぅ…、どこかの撮影で、ご一緒されましたか?」
以前の現場で会ったことがある、と勘違いしたようだ。
「いえいえ、先日出会ったネコ型宇宙人と間違えただけですよ…。」
「へぇ~、そうだったんですかぁ。」
…などと言うような会話が成り立つわけもないので、「いやぁ、毛並みのきれいな真っ白い猫だったので、つい声をかけちゃったんですよぉ…。」と、その場を取り繕う。
我ながら苦しい言い訳だったが、後ろ頭を掻きつつごまかし笑いをしてみる。
「そうでしょう!!この猫ちゃんは真っ白でおとなしくて、そのうえ物怖じしないので、うちの事務所では一番の人気者なんですぅ!」
……思いのほか食いつきが良かった。
それどころか、曇天の空模様が一気に晴れ渡ったみたいに、にこやかな表情で猫の可愛らしさについてピーアールを始めた。
どうやらこの猫は、この動物タレント事務所の稼ぎ頭らしい。と言うことは、先日のネコ型宇宙人とは別人、いや別猫という事だ。
それはわかった。が、しかし…。
「まず凛とした表情がたいへん良くてですね、デレた時の体をクネッとさせたポーズがまたギャップ萌えでいいんですよぉ。それからですねぇ…。」
トレーナーさんの猫への愛情はとめどないものらしく、なかなか終わりそうにない。
どうやってこの場を立ち去ろうかと考えていたら、同じシャツを着た人が呼びにきて唐突に話は終了した。
トレーナーさんは手を振りながら、打ち合わせに行ってしまった。
「おっさんと間違えてごめんよ。」
ちょっと申し訳ない気持ちになったので、思わず猫に話しかけたが、猫は何の反応もせず、じっとこちらを見ていた。
「なんじゃあ、猫が喋るとでも思っとるのか?」
猫が舌なめずりした時に声が被ったので、今度こそ猫が喋ったのかと思って後ずさりしてしまった。
が、そんなことがあるはずもなく、声の主はナビゲーターの青野さんだった。
俺が大道具のセッティングに来ないので、様子を見に来たらしい。
そんなわけないじゃないですか、前に見たアニメの真似をしてただけですよ。
と、言ってごまかす。
相手が青野さんであっても、本当のことを話すわけにはいかない。
社内では身近な同僚ではあるが、裏の事情を知っているとは限らないのだ。
もちろん猫型の異星生物がいるなんて話を、信じてくれるわけもないだろうけど…。
「アホなことやっとらんと、行くぞ。」
青野さんに急かされて、大道具のセッティングに向かう。
去り際に振り返って猫の様子を見たが、特別変わった様子もなく、毛繕いを始めていた。
「怪人が数体必要になったので、そのうち一体をお願いします。」
大道具の設置が終わった後、ADの人から呼ばれてスタントに参加するよう指示を受ける。
そういや、前に水木さんと鮫島監督がそんな話をしてたよなぁ。
冗談じゃなかったようだ。
予定していた脚本がここにきて使えなくなってしまって、用意してあった別の脚本と挿げ替えることになったのだそうだ。
なんでも別の特撮ドラマと、シチュエーションが被ってしまったらしい。
過去に倒された怪人数体が再登場する展開に変更されて、うち1体を俺が受け持つことになってしまった。
「そんなに手の込んだものでないので、気楽にお願いします。」と、ADの人に言われたが、そう簡単に終わらせてもらえるのだろうか?
殺陣の相手は赤石剣斗こと、小栗恭介なのだ。
その小栗恭介は打ち合わせの段階で、既に不機嫌なオーラを全開していた。
予定外の撮影だから、気持ちが乗らないとか、そんなだろうか?
いい加減その俺さまポジションから離れてもらいたいものだ。
ヒーローなんだし…。
そんなことを考えながら見ていたら、目が合ってしまった。
あれ?なんだか睨まれているような気がする。
あわてて視線をそらせて、ADの人の話を聞いている振りをした。
確認のためにチラ見してみたが、やはり嶮しい目でこちらを見ている。
気付かない内に、またなにかやらかしたのだろうか?
不安を抱えたまま、衣装スタッフによってたかられて、怪人の着ぐるみを装着される。
スネゾウと同じ黒いインナーの上に、怪人用のパーツを固定していくのだ。
化け猫怪人らしい。
図らずも猫マスクを被ることになってしまった。
あちこち体を動かしてみて、装着状態とどの程度体を動かせるのか確認する。
猫マスクは思っていたよりも大きかった。
オーバーアクション気味でないと、クロスブレードを避けきれないかも知れない。
本放送で見た時、なにげに可愛く作ってあったのを思い出した。
マスクを大きくしてあるのは、可愛さを演出するためか。
大きな黒目の一部が半透明になっていて、そこから覗くタイプだった。
軽く作ってあるのは救いだが、視界の悪さはどうにもならない。
初心者マークの俺がやるには、なかなかハードルが高い気がする。
「スネゾウと同じようにやってもらえれば、大丈夫ですよ。」
衣装係の人が気を使ってくれる。
ありがたいけど一番の問題は、殺陣の相手が小栗恭介っていうことだ。
今回の怪人は以前登場し、クロスレンジャーに倒されたキャラで、いわゆる再生怪人だ。
脚本では、某国の重要人物のペットである白猫が逃げ出したので捜索に参加することになり、手分けして白猫を探し回っているレンジャーたちのところに、怪人たちが現れて白猫を捕らえようとする、という設定だ。
で、赤石剣斗のところには化け猫怪人が現れるのだ。
討ちあってすぐにヤラレてしまう、簡単なスタントらしい。
再生怪人は弱いからなぁ。
数回、リハーサルを行った後、撮影に臨む。
ここまで黙々と殺陣をこなしていた小栗恭介だが、時おり怪しい目つきをしていたので嫌な予感はしていた。
案の定、スタント内容の変更を監督に直訴した。
今日のアクション監督の菊池さんは、押しに弱い人らしく、恭介の強引な言い分に負けてGOサインを出した。
化け猫怪人は“ククリ玉”というアイテムを使って、相手の自由を奪うという特技を持っており、登場時にはクロスレンジャーたちを苦しめたのだが、今回“ククリ玉”を投げようとしたところで、クロスショット(クロス・レッドの銃)で撃たれて粉砕されてしまう。
「同じことをやっていたんじゃ、見てる方だってつまらないだろう。」
それはもっともな意見だと思った。
だがしかし、同時にそれは怪人を演っている俺の方に負担がかかってくることに違いなかった。
あと、怪人の着ぐるみは初めてなんだけど、それはどうでもいいことなのか?
両腕のカギ爪のついた手甲で、赤石剣斗の相手をする。
剣の長さが1m強のクロスブレードvs30㎝程度のカギ爪。
このリーチ差は反則である。
こちらは攻撃を当てられない設定なので、防戦一方で打たれ放題。
段取りを間違えると“撮り直し”なんてことになりかねない。
小栗恭介は、こと俺が相手の場合には、一切遠慮することがない。
それが故に文字通り“振り切った演技”ができるのだろうか?
……迷惑な話だ。
スネゾウスーツの性能もあって、ケガをすることはないが、素早い剣戟をタイミングをずらして打ち込んで来ることがある。
一度、受けるタイミングがずれてしまうと、続く剣戟を捌ききれなくなって、クロスブレードで斬られてしまうことに…。
ストーリーとしては敵が倒されるんだからそれでいいんだけど、予定より早く切られてしまっては、映像としては尺が足りなくてNGになってしまう。
それを回避するためには、ダメージを受けたように演技しつつ、次のアクションに繋がなければならない。
スネゾウの時も何度となく、そういうことはあった。
もっとも、それだけ頑張っても、監督が納得しなければ、リテイクなんだけどねぇ。
あと、何度も恭介の殺陣に付き合うのは、きついからなぁ…。
「アァクショーン!」
叫び声みたいな監督のかけ声で、本番の撮影が始まる。
ククリ玉を粉砕されてからの鍔迫り合い(この場合、カギ爪を交差させて、クロスブレードでの上段攻撃を受ける場面)から、尺いっぱいのところまで打ち合いをやって、最後にズバッという感じで斬られる予定だ。
10秒ほどのカットだが、気を抜いてはいけない。
案の定、段取りを守っていたのは最初のうちだけで、後半は打ち込みのタイミングを微妙にずらしてくる。
クロスブレードを打ち込んでくる強さも、リハーサルの時とは段違いである。
ハッキリ言って押されている。
ヤラレ役だから初っ端からジリ貧なのは当然だが、恭介の顔が悦に入っている感じで怖い。
この表情はNGになったりしないのだろうか?
カメラの角度次第では問題ないんですか?そうですか……。
なんとか時間いっぱい堪え抜いて、赤石剣斗の会心の一撃を受ける。
「やられニャー!!」というアフレコの入る、ヤラレポーズをしてから倒れることも忘れない。
編集で派手なエフェクトが入り、別撮りの爆発シーンが合成される予定である。
「カぁットぉー!」
撮影終了の声を聞いて一息つくが、恭介は監督にリテイクの要求をしていた。
「いやぁ、気合入ってたし、今ので充分だよ。」
「でも、途中で打ち込みのタイミングを外してしまったから、やり直したらもう少しよくなると思うんです。」
監督に向かって力いっぱいアピールしている。
「うーん、そうかい…?」
何度も言うけど、アクション監督の菊池さんは、押しに弱いらしく、首を横に振れない。
相手がくせの強い小栗恭介なら、なおさらのことだ。
再び鍔迫り合いからの打ち合いが始まる。
途中でアドリブの一撃を喰らってよろけてしまったが、体制を立て直して、その後は何とか予定通りにできた。
しかし、そのよろけたところが気に入らないとして、恭介は再び撮りなおしを要求する。
監督は意見を却下できず、リテイクを重ねた。
4回目までは嬉々としてクロスブレードを叩き込んできた恭介だったが、5回目以降は動きにキレがなくなり、スタミナ不足を露呈させていた。
「じゃあ、2回目撮ったヤツで行くからよろしくね。」
7回撮ったところで気が済んだらしい恭介に、監督はそう告げて別のカットの撮影準備に入った。
これで今日の出番が終わった恭介は、小道具の収納ボックスに座ってへたり込んでいる俺に、「…いい気に、…なるんじゃないぞ!」と、吐き捨ててから更衣室へ戻って行った。
意味が分からん。
俺が何かしたと言うのか?
いつぞや長澤恵美にフラれたところを目撃したことを、まだ根にもっているのか?
断っておくが誰にも話してないからな。
それとも“短期間でスタント要員に抜擢されたこと”が気に入らないとかいうのだろうか?
それだと恭介にも責任の一端はあるのだから、俺にあたるのは御門違いというものだ。
むしろ自業自得といっていい。
それはともかく、ゼイゼイと息継ぎをしてまでも、言わなければならないほどのことだったのだろうか?
「おまえ、星に帰ったんじゃなかったのか?」
撮影終了後、さっきの白い猫に向かって恫喝!?と思える迫力で話しかける宇佐美さんを目撃した。
近くでペットトレーナーの人が困っていた。
「何とか言ったらどうだ…?」
ケージに顔を寄せて迫る。
猫の方は臆することなく、首の後ろを掻いていた。
「普通のネコは喋ったりしないぞ。」
今にも猫のケージに掴みかからんとしていた宇佐美さんは、茅原さんに首根っこをつままれて引き上げて行った。
「宇佐美の嬢ちゃんも、遠藤みたいな反応しとるが、お前ら何かあったんかい?」
振り返るとまた、青野さんがいた。
同乗してコンテナを本社まで運転して帰る予定だから、呼びに来たのだろう。
何もありませんよ、あるわけないじゃないですか。
「宇佐美の嬢ちゃんと、デートは楽しかったかい?」
「えっ?」
「二人して車でどっか出かけたんじゃろ?デートと違うんかいな?」
近所の噂話好きのじいさんみたいな顔でニャッと笑う。
えっ?デート?いや、ちょっと待ってください。
先日のアレはデートとか言う代物じゃなくて、茅原さんに宇佐美さんの世話を押し付けられただけというか…。
そこまで言ってから、あの日の宇佐美さんを振り返る。
猫をじゃらしている、子供みたいな宇佐美さん。
猫に頬を寄せて、幸せそうにモフっている宇佐美さん。
猫を頭の上に乗せて、不安な表情を見せた宇佐美さん…。
ついでに、おっさん声で喋る猫を、信じられないという顔で見ている宇佐美さん。
確かに普段感情をあまり見せない彼女の、意外なほどたくさんの顔が見れた気がする。
確実に、距離間も縮まったような気が…。
あれ?ちょっと待てよ…。
俺と宇佐美さんの話じゃなくて…、確かにそんな気持ちもない事はないけど…、それより前に宇佐美さんの気持ちは…?いや、そうじゃなくて何か引っかかっている気が…。
しかし、ネコ型異星人とか殺人宇宙ゼミの話なんか青野さんにできない……!
いや、違う!なんで青野さんが二人で出かけたことを知っているんです?
「こう見えても地獄耳でなぁ。」
ちょび髭を撫でながら、嬉しそうに笑っている。
はっ、もしや……!
その話、誰かにしました?
もう遅いかも知れないが、弁明と状況の改善を試みる。話せる範囲で…。
俺が撮影に参加している間に、裏方の皆さんの話のネタにされていたらしい。
いや、でも、俺と宇佐美さんだし、おかしな関係になるという展開は考えられないんじゃ?
でもネコをかまっていた時の宇佐美さんが、やたらかわいく見えたとか…?
赤い顔をしてしどろもどろになっている俺を、ニヤニヤと楽しそうに見ている。
これは、どうあってもあらぬ誤解を生んでしまいそうな……、
『いい気になるなよ。』
あれっ!?
小栗恭介の吐き捨てて行ったセリフが気になった。
まさかっ、彼の耳にも入っていたのではないだろうか?
ポッと出の俺が女の子なんかとデートなど、10年早い!とか思われたのかも知れない。
デートじゃないんだけど…。
宇佐美さんも小栗恭介とは一悶着あったみたいだし…。
ただでさえ長澤恵美との一件もあるから、追加で当たりがきつくなっているのかも知れない。
青野さんには、成り行きで食事に出かけただけだと説明したが、ちゃんと伝わったかは不明だ。
当面この話題で弄られることになるのだろうか…。
後日の撮影で、クロス・ブルーこと青山潤役の松本賢太郎と殺陣をすることになった。
3体のスネゾウが順番にザコブレードで襲い掛かったところを、青山潤がクロスシューターの銃剣でバサッ、バサッっと切り倒し、最後に飛び込んだスネゾウ(俺)をショットガンモードで撃ち倒すという一連のカットだ。
監督の綾地さんは、なかなかトリッキーなアクションを指定してくる。
タイミングを見計らって飛び込んで、撃たれてふっ飛ばされる、というだけのものだが、胸のあたりで弾ける弾着のタイミングもあるので気が抜けない。
案の定、飛び込んでいくタイミングが悪くて、4回目でやっとOKが出た。
この後、休憩をはさんで別のスタントの撮影を行う。
クロス・イエローこと、宇佐美さんの気合の入った拳を受けてふっ飛ばされる。
こっちは一発でOKが出た。
もっとも2度も3度もふっ飛ばされるのはかなり辛いので、マジで勘弁してほしい。
「やあ、お疲れさま。」
撮影終了後、スネゾウマスクを外したところに、青山潤役の松本賢太郎が声をかけてきた。
今まで何度も顔を合わせているが、打合せ以外で話をしたことがない。
「相変わらず、いいふっ飛ばされ具合だよね。」
それはどうも、でもアレは演技じゃありません。
素直に拳を受けただけです。
クロスレンジャーの2話で、人質を取って暴れているオズマ軍幹部、ルスードとスネゾウたちに対し、考えも無しに突っ込んでいった赤石剣斗に『今度やったら、後ろからでも撃つぞ!』とか、物騒なセリフを言い放っていた、青山潤とは打って変わって、たいへんフレンドリーな人だった。
ところでクロス・イエローにふっ飛ばされたアレは、演技じゃありません。
素直に拳を受けただけです。
打ち込みが早いので、直前に体を退げて衝撃を緩和しようとすると、動きが不自然になっちゃうんですよ。
一度受けてもらえればわかります。
「そのへんは、遠藤くんに任せることにするよ。」
やんわりと拒否されてしまった。残念。
小栗恭介の後輩で、同じ事務所に所属しているという。
茅原さん情報では、その事務所を移籍するという噂があると聞いていたが…。
「ああ、アレはヒロ君が冗談で、『うちの事務所に来ないか?楽しいぞぉ!』『それは面白そうだねぇ…。どうしようかなぁ?』って話していたのを誰かが聞いて、SNSに投稿しちゃったらしいんだ。」
ヒロ君とはクロガネ役の影山裕樹のことで、コミュ力の高い松本氏は早くから打ち解けていたという。
子役の頃から小栗恭介と同じ劇団に所属していて、人気を博した『バツイチ刑事奮戦記』にも端役で出ていたという。
クラスの中に一人はいる“ぽっちゃりキャラ”だったらしい。
あぁ、そう言えばそんなキャラがいたような。
スラッとした長身の松本氏を見ていると、時の流れが見えるような気がした。
「でも恭ちゃんは違うんだ。子役の頃から輝いていて、ずうぅーっと憧れているんだ。」
小栗恭介のことを“恭ちゃん”とちゃん呼びする彼は、リスペクト度合いも半端ではないようだ。
彼みたいに自己中心的な役者にならないといいな…。
恭介の方も松本氏には全幅の信頼を置いていたようで、事務所移籍の噂が出た時にはえらく腹を立てて、しばらくは口もきいてくれなかったらしい。
「あちこちで八つ当たりをしていたみたいだけど、遠藤君の方にもとばっちりがあったんじゃないかな?」
いやぁ、それはあまり気にしてないですよ。
いつもあんな感じですからねぇ。
演技的な面で…、ちょっと怪しい気はしますが…。
それに宇佐美さんとのスタントの方が、よっぽどきついんです。
主に体力的な面で…ですが…。
今までケガとかなかったのが不思議なくらいです。
と、そこまで考えてから気付く。
あれ?…先日の化け猫怪人をやった時の当たりがきつかったのは、まさにその渦中だったってことかな?
…ってことは恭介が荒れていた原因は、この人の移籍話のせいか!
『俺が宇佐美さんとデートしていた。』という話を、真に受けてやっかんでいたのではないか、というのは思い過ごしだったのか!?
「噂が間違いだってわかって、すぐに謝られたんだけどね。」
『俺の早とちりだった、すまない。』と、ほかに人のいないところで、こそっと謝罪されたという。
「短気な人だけど、お芝居には純粋だからね。自分を裏切る人は許さないけど、間違いに気付いたなら直ぐに謝らないと気が済まないんだ。」
その割には素っ気なさすぎじゃないですか?
「前にも同じようなことがってね。」
過去にも同じように恭介の早とちりで、トラブルになったことがあるという。
その時も今回と同様に、こっそりと謝っていたという。
「恭ちゃんのことだから仕方ないよね。」と言って、さわやかに笑う。
えっ…!
共感を求められているみたいだけど、小栗恭介のことを、そこまで知りませんよ。
まだ付き合いは短いんで…。
一般的な意見を言わせてもらえるなら、一度くらいきつく言っても、バチは当たらないと思いますよ。
本人のためにも…。
「遠藤くんがどういう経緯で恭ちゃんの不興を買っているのか知らないけど、ことお芝居に関しては真面目に取り組んでいる人だから、大目に見てやってよね。」
そう言われても、何かしでかしわけじゃない。
小栗恭介が長澤恵美にフラれるという、恥ずい場面に居合わせてしまっただけだ。
いっそ、その話をしてしまえば楽になりそうな気もするのだが、当の松本氏は恭介に心酔しているようだし、裏目に出た場合が恐い。
『余計なこと喋るんじゃないわよ!』と、長澤恵美にも釘を刺されているからなぁ。
どの道、スネゾウをやっている以上、レンジャーの攻撃は受け続けなければならない。
それはこっちの気分なんて関係がない。
相手の虫の居所が良かろうが悪かろうが、悩んでいようがテンション高めだろうが、最終的に打ち倒されるのだ。
それならせめて気持ちよく演じたいものだ。
ちょっと思いついたことがあったので、聞いてみた。
「アドリブでスタント内容が変わるなら、こちらもアドリブで返しても大丈夫ですよね?」
「そう言えば前にやっていたよねぇ。…次のスタントにつなげられるなら問題ないんじゃないかな。」
よし、言質はとったから、機会があったらやってみようかな。
「その時は僕も参戦するかもだから、よろしく頼むね!」
えっ!
見ると松本氏は、楽しそうに笑っている。
赤石剣斗の応援に、青山潤が飛び込んできたりするのだろうか?
ノリで言っているんだろうけど、松本氏が本気かどうかわからない。
どうしよう…。
Episode8 彼方より来たるもの に続く
気が付けば、前回から10カ月も開けてしまいました。
その間に世間ではいろいろな事がありました。
なによりアニソンの大家、水木一郎さんがお亡くなりになったことが寂しいです。
今さらですが、ご冥福をお祈りいたします。
今回のお話は、Episode7の後日談です。
撮影所で白い猫を見つけたことを機に、いろいろ空回りする展開にするつもりでしたが、小栗恭介や松本賢太郎との絡みを書くことになってしまいました。
予定になかったエピソードだったせいか、どう転がせば面白いか?なかなか出口が見えず難しかったです。
ちゃんと出口にたどり着けたでしょうか?