飛んで火に入る夏物語
20作品突破しました。30目指して絶賛執筆中
「夏になるとさ、この駅で人が死ぬんだ」
ロータリーで煙草を吸っていた美女に心奪われた私は、彼女の怪談話よりも、いかに口説こうかということばかり考えていた。
「それは怖い話だね、ところで君、近くに旨いカクテルのバーがあるのだけれど、どうだい」
私の誘いにかぶりを振った彼女は、
「もうすぐ終電がくるのよ」
月明かりに目を細める彼女がやんわりと断ってもなお、私は尚更この美女を獲得せしめんと躍起になる。
「この際だから正直に言おう、君はとても美しい。帰りのタクシー代を支払うから、十分、いや五分で構わない、どうか話をしようじゃないか」
「いいわ」
彼女の厚い唇が割れて、吐息とともに煙がゆらゆらと舞い上がる。
灰皿に煙草の吸殻を捩じ込んだ彼女のヒールが奏でるコツコツと小気味良い音を私は心臓を高鳴らせながら追った。
ホームには彼女と私の二人しかおらず、人波は絶えていた。
塗装の剥がれたベンチに腰かけた彼女は髪をかきあげて耳にかける。
艶やかな首筋に、私は刹那に虜になった。
「夏になるとさ、この駅で人が死ぬんだ」
「ん、さっきの話かい」
ロータリーの会話が甦る。
「あれをご覧、ほら、あそこ」
彼女の指先を辿ると、青白く光る金属の網がある。
「誘蛾灯だね。虫のはぜる音がする」
「なぜホームの電灯には虫たちが引き寄せられないか分かる?」
天井を仰ぐと、確かに羽虫たちの姿は欠片もない。誘蛾灯には霧のように群がっているのにだ。私が答えに窮していると、
「フェロモンよ」
彼女が呟いた。黒い瞳が闇に濡れている。
「フェロモン?」
「ええ、誘蛾灯には、人の目には届かない光が折り込まれているわ。虫たちは勘違いをしているの。つがいになろうとして、自ら地獄の一丁目へ飛びかかっていく」
しばらく彼女と二人で青白い誘蛾灯を眺める。
沈黙が横たわる中で、私はどうすれば彼女の心を惹き付けられるのか画策していた。
「君は幾つなの?バリバリのキャリアウーマンのようにも見えるし、現役の高校生と言われても分からないな」
高校生とは冗談のつもりだったが、事実彼女の肌はきめ細やかで若々しく、ほとんど化粧っ気のない容貌は大人びて、どっちつかずな表情は反って魅惑的だった。
黒い膝丈のワンピースから伸びる白い脚は、闇夜を切り裂く光となって、暗澹たるロータリーに浮かんでいたのだから。
「夏になるとさ、この駅で人が死ぬんだ」
私はチラリと電光掲示板に目をやると、電車はものの数分でやってくる。
「なあ、こんなところではなくて、落ち着いたところでビールなんてどうだろう。きっと悪いことはない。ただ話したいだけなんだ」
このままでは彼女は宣言通りに終電を掴まえてしまう。
焦る私を置き去りにして、またいつ会えるか分からない彼女の背中が車両へと消えていくのは堪えられない。
「ん、それは何だい」
「この子どう?」
ふいに彼女が取り出したのは、お世辞にも美しいとは形容しがたい、寧ろ醜さの権化が映った写真だった。
「うーん、なんというか、そうだなあ」
戸惑う私に、
「気持ち悪いでしょう」
彼女は口許を綻ばせて笑った。私もよく分からないがつられて笑う。
線路の彼方から、ライトが近づいてきて、やや遅れて車輪の音がやってくる。
「せ、せめて連絡先だけでも」
立ち上がった彼女の背中に私は声を張り上げた。
停止線の前で立ち塞がろうと、彼女の正面に回り込んだとき、
「あれ?」
違和感を覚えた。ウェーブのかかった茶色い滑らかな毛髪に、顎のシャープな輪郭。
「気がついた?男っていつもそう」
胸を軽く押されてホームから転落した私は、ブレーキと列車の軋む音との狭間に、彼女の笑い声を聞いた。
「あんたが一人目」
踵を返しホームの階段を上る女の犯行が世間を震撼させ、明るみに出るまでに、犠牲者は十余名にのぼったという。
やらないで後悔するならやって後悔したほうがいいんじゃないですか
って誰かが言ってた