だいいちわ。知らない部屋(但し天井は無いものとする)
まぶたを貫通してくる陽光に、小さなうめき声を上げながら見をよじる。肌触りのいい寝具が擦れて、かすかに柔らかな音が聞こえた。才悟朗はその優しい心地良さに睡魔を誘われて、覚醒しかけた意識は再び微睡みの淵へと落ちようとしていた。二度寝だ。
才悟朗が目を覚ましたのはそれから実に2時間後である。窓からさす光は大きく角度を変えていた。さんざ惰眠を貪り尽くした才悟朗はむくりと体を起こして、頭をボリボリかきながら大きく欠伸をし、背を伸ばす。
ずいぶんぶりだ、こんなゆっくり寝たのは。
未だ覚めきらない寝ぼけ頭に浮かんだのは清々しくもトロリとした感慨で、久々に休日らしい休日の始まりを実感する。ここ数ヶ月は納期をとうに過ぎて塩漬けされていた案件の塩抜き調理にかかりきりで休みらしい休みもなかったから、このボケっとしたままでいられる時間というのは千金に値する優雅なひとときだ。
まあ、そろそろ予備校に行かにゃあな。すでにン百万突っ込んで何ら成果のない現状にせっかくの贅沢な気分が急転直下だが、しかし一級建築士なんて独学でどうこうできる資格でもねぇしなァ、と重い息を吐いたところでふと気づく。
――この部屋、俺の部屋じゃなくない?
今更といえば今更の気付きだ。さらに言えば今現在我が身を包んでいる寝具とて見知ったものではない。借家の万年床の垢じみた煎餅布団とはくらぶるべくもない柔らかさで、手触りは上質な綿の如く。絹のヌルッとした手触りが好きになれない才悟朗にとっては、これ以上ないほどの上質なものだ。
部屋に至っては更に違う。才悟朗が月3万円で借りているのは築40年の賃貸マンションで、畳敷きの六畳一間風呂便所付き。対して現在目に映るのは、カントリー調のインテリアでまとめられた八畳ばかりの一室だ。床には趣味のいい模様のカーペットが敷いてあって、板張り。三方に取り付けられた小窓には木製サッシのガラス窓が嵌っている。天井は梁が表しになっていて、屋根の野地板がそのまま見えた。一番大きな梁からは無骨なカンテラが下っており、灯は入っていない。
「バンガロー……?」
才悟朗が持つ語彙の中では、幼少期にキャンプで泊まったきりのバンガローが一番しっくりくる。もしくは、アメリカ開拓時代の頃の民家といった風情だ。現代日本の文明レベルに照らして、それは些か退行して見える。
「お、よーやく起きたねぇ〜」
不意に耳元から聴こえた声に、才悟朗は肩を跳ねさせた。恐る恐るそちらを振り返れば、澄んだビーズのような双眸と視線がかち合う。わっと叫んで思わず顔を引く才悟朗に、声の主は言葉を継いだ。
「ありゃりゃ、驚かしちった? そりゃそっか。ごっめーん」
言動に態度が伴っていない典型例だろうか。彼女はかんらかんらと笑いながら、悪びれる様子は微塵もない。
「ふ……」
彼女、つまり声の主は紛うことなき女性であった。顔立ちは端正で、あどけなさが残る。美人というには幼く、美少女と形容するのが相応しいだろう。頭に「絶世の」をつけてもなんら大袈裟ではない。瞳は深い青緑色で、髪は腰まで届くターコイズブルー。肌は瑞々しく透明感があり、顔より下に目をむければスレンダーながら出るべきところは出る理想的な体型をしている。まるで漫画やアニメの世界から飛び出してきたような、現実感のないほどにハイレベルに纏まった美少女だった。
そして身に纏うのは、SFチックでメカメカしく無骨な装甲服…………装甲服?????
「フレームアームズ・ガールだ!!」
「違います」
違うらしい。やや食い気味で否定されたので、気にしているのだろうか。しかし才悟朗も美少女がアーマー着てるからというだけでFA:G認定したわけではない。その最たる理由は、彼女の身長が5寸ばかり、つまり15センチメートル程度しかない小人であったからだ。
「混乱してるとは思うんだけど、まずは自己紹介しよっか。私の名前は『ブルー』。信じられないとは思うんだけど、メガミよ」
「ああ、メガミデバイスのほう」
「ちーがーいーまーすー! 漢字の方の女神! てか、いい加減KOTOBUKIYAから離れなさいよね!! だいたいFA:Gもメガミデバイスも喋ったり動いたりしないでしょぉー!!」
「いや、ブキヤならやりかねないかなって……」
「何その信頼感は……。とにかく、私はブキヤの回し者じゃないからね!」
「てか、ブキヤは知ってるんだね」
才悟朗の一言に、可愛らしくプリプリ怒っていたメガミならぬ女神を自称するブルーはピクリと止まって、少しばかり剣呑な雰囲気を漂わせた。
「……なに? いっちょ前に探りを入れたつもり? 人間風情が?」
「ええ、怖……いやそんなんじゃないッスけど……」
急に雰囲気の変わったブルーに才悟朗はタジタジだ。もともと才悟朗は非常に押しに弱い。軽くゆすられればすぐ謝ってしまうような性分だ。だから今回も陳謝の言葉が喉まで出かかったが、結局それは言葉になることはなかった。
なぜなら、その直前でブルーが破顔したからだ。
「ぶゎっはははー! いーじゃんいーじゃん、点数高いヨ君ぃ!」
「は、ハァ」
再びの豹変だ。もしかしてこの子メンタルがペラペラな感じなんだろうか。結論から言うとそれは杞憂だったが、才悟朗は理解が及ばず気の抜けた返事を返す他ない。
「これからの事を考えたら、そんくらいしたたかなくらいでちょーどいいわ! 改めてヨロシクね」
ふんぞり返ってケラケラ笑うブルーが差し出した右手を、流されるままに才悟朗が取った。とはいえサイズ差があるので、才悟朗は右手の親指と人差し指でブルーの手をつまむ格好だが。傍から見れば、いいトシした男がお人形遊びでもしているように見えるだろう。会社の同僚に見られたら死ぬなぁ、と才悟朗は思った。
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「さて」
「はい」
ひとしきり握手を交わしたあと、才悟朗はベッドの上であぐらをかいて居住まいを正した。視線は、ちょうど才悟朗の顔の高さでフヨフヨ浮いているブルーに向けられている。
「まず確認するんだけど、君はウチモリサイゴロウで間違いないよね?」
「あ、ウチモリじゃなくって、それでダイスって読みます。内守才悟朗です」
「あ、そうなんだ。キラキラ名字ねー。てか、ダイスでサイコロって面白いじゃん」
「いやぁ、よく言われます」
才悟朗は苦笑しつつ後ろ頭をさすった。学生時代はよくからかわれたもので、あまり良い思いの無い名前だった。
「学生時代はからかわれて変な渾名とかつけられちゃって。運任せってコトで『ラック』なんて呼ばれてましたよ。小っ恥ずかしくて、ははは」
「ふーん、イイじゃんラック。私もそう呼ぶわ。けってー」
「えっ」
墓穴を掘ったな、と後悔する才悟朗だったが、しかしブルーの声音にからかいの色はなく(才悟朗は社会の荒波に揉まれて人の顔色をうかがうのが得意になってしまったのだ)、純粋に好意からくるものだったので、まあそれもいいかな、と諦める。才悟朗は押しに弱いのだ。
「で、ラックの現状についてだけど」
「速攻使ってる……あいや、はい」
さて、脱線はここまでとして。ブルーは本筋を切り出した。才悟朗としても一番聞きたいところである。目覚めて知らない部屋となると、何らかの神性の関与が疑われてならない。なんて。クトゥルフ神話TRPGのシナリオなら鉄板の導入だもんなあ。才悟朗がそんな与太与太しい考えを巡らせていると、ブルーが続きを口にした。
「諸々説明を省いて簡単に説明するとね、ラックは神々の遊ぶゲームの駒として選ばれたってワケ」
まさかのドンピシャりで才悟朗はベットから崩れ落ちそうになるところをかろうじて踏みとどまる。
「え、えぇ……? それって何、ラヴクラフト的な……?」
「ラヴクラフトっていうかマインクラフトかなー。ラックたちの宗教が指すところの神々とはちょいっと認識が違って、まあなんていうの? 世界の管理者? 的な?」
「ふわっとしている……」
「んー、上手いこと表現できる語彙が見つかんないのよねー。まあ、世界をゲームに例えたら、運営会社のシャチョーみたいなもんよ。とにかくお偉いさんね」
ブルーは下顎に指を当てて説明してくれるが、才悟朗としては例えがアバウトかつマクロ過ぎてさっぱり見当がつかない。正気がゴリっと削られる音が聞こえそうだ。
「はぁ……え、それが何でマインクラフト?」
「あ、そっちはラックにやってもらうゲームのハナシ。マインクラフト、やったことある?」
「β1.7からやってますよ」
才悟朗はニコニコ動画のゲームカテ欄が上から下までマイクラで染まってた頃からマイクラを嗜んでいた。建築屋として興味が惹かれたというのもある。あの時はユーロのレートを見ながら円高の時を狙って購入したものだ。もうずいぶん前のことで、懐かしさすら感じる。
ブルーは満足げに笑った。
「おー、古参プレイヤーじゃん。じゃ、なんとなくわかるかな。ラックにはうちの神の名代として、このゲームフィールドをいい感じに開拓する使命が課せられたってコトなんだけど」
「いやさっぱりわからない。経緯の説明をプリーズ」
才悟朗は頭を抱えた。やることの概要こそ察せられたが、そこに至る経緯が一切不明だからだ。説明する? とブルーがめんどくさそうに小首を傾げたので、ぜひにと頭を下げる。
ブルーはしょうがねーなーとため息を吐いて説明を始めた。いやため息吐きたいのはこっちだよと才悟朗は眉値を寄せた。
「まずね、神々っていうくらいだから神って一人じゃないの」
「いきなり一神教にケンカを売っていくスタイル」
「世界ってのは結構数あって、その世界一つ一つに神がいるんだけど、まーみんな自分とこの管理で忙しいワケ」
「サラッと咀嚼しづらい情報出してくのやめない?」
「で、神っても生命体だから、たまにゃー息抜きしてーなーってなったのね。だからブランクの世界一個作って、そこに各世界から代表一人ぶち込んで開拓させる遊びやろーぜってなったの」
「うーんスケール感。ってことはつまり」
『暇を持て余した神々の遊び』
「ワッハッハッハ……いや暇じゃないんだけどねー」
才悟朗はもはや笑うしかなかった。ブルーのバカっぽい笑い声と、才悟朗の虚しい笑い声が部屋に、そして大草原に響く。大草原不可避(直喩)。
これが後々めっちゃインタレスティングでファンタジックなスペオペ大冒険活劇の導入であろうとは、神ならぬ身の才悟朗はおろか、この茶番を見ながらゲラゲラ笑っている神々ですら、想像すらできなかったのである。
そういう縛りだからネ!