ぷろろーぐ。森から来た人
――普段は長閑で、平和な村なんです。お山から流れてくる清流のせせらぎと、森の恵みに支えられた、本当に牧歌的な村で。
でも、その日はちょっと様子が違っていました。巣渡りの時期でもないのに森がざわざわとざわめいていて、こんな日は良くないことが起きるって、死んだおばあちゃんも言ってたんです。村の人たちも朝からどこかピリピリしていて、お隣のケビンさんがあんな真剣な顔してるの、はじめて見たかも。
みんな、森に近づきたくない様子でした。でもウチの牧場は森に凄く近いところにあるから、様子を見に行ったんです。だってそうでしょ? あの子達はウチのただひとつの財産ですし、何かある前に、ウチの子達を村の合同畜舎に避難させなきゃって。
牧場は無事でした。でもみんな、凄くおびえていて。いつもなら言うことをちゃんと聞いてくれる良い子達なのに、その日はぜんぜん違ってました。みんな森から逃げよう、逃げようって柵の端に集まっちゃってるんです。でも柵の入り口は森側にあるから、困っちゃって。力づくで引っ張り出すなんて無理だったし。
それで、どうしようって考えてた時に、村のほうから凄い音が聞こえてきたんです。
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ガンガンガン、と断続的に打ち鳴らされる半鐘の音を指向性集音マイクが拾い、焦燥の念が強まる。
全身を白い装甲服に包んだ内守才悟郎は、人の手の入った形跡がほとんど無い森の中を、不整地を感じさせぬほどの速度でまさに飛ぶように駆けていた。
「ブルー、あと何キロ!」
『目標まで2キロってトコかな!」
才悟郎の肩にしがみつく、身長15センチばかりの小人が叫んだ。
ブルーは才悟郎のものと似た装甲服に身を包んでいて、外界と遮蔽された偏光バイザーの奥にある顔までは見通せない。だがその声にはやはり、才悟郎と同程度の焦りが滲んでいるように聞こえた。
『もう森の外縁部にまで到達してる。森の最外縁から村までは2キロほどあるから、本当の水際まではもう少し猶予が……ゴメン、無いわ』
ブルーは一瞬息を呑んで、苛立たしげにはき捨てる。才悟郎の背につめたいものが走った。少なくとも良い予感ではない。
「何が」
『生体反応あり、ヒューマノイドタイプ。森の最外縁よ。後10秒で接触!』
「ヒューマ……村人か!?」
『おそらくは! ちんたら走ってちゃ間に合わない!』
「っち、まだいっぺんも試したこと無いんだけどな……!」
問答の時間も惜しい。現場に間に合わせる手となると、才悟郎たちにはひとつだけ心当たりがあった。
ええいままよ。
決断は一瞬。才悟郎は装甲バイザーに投影されているステータスから「op1」なる項目を選択する。注意書きを読み飛ばして決行のコマンドを入力すると、バックパックが大きく変形して左右一対の円柱状構造物を形成した。
ロケットブースターだ。
それは形成完了と同時に青々とした火を猛然と噴出して、一瞬で才悟郎の体を重力の頚木から解き放った。
猛烈な重力加速度によって一瞬だけ刈り取られた意識は、しかしすぐに再起動して適応していく。
眼下には広大なドーナツ状の森と、更にそれを取り囲む険しい外輪山の姿が視界いっぱいに広がっている。森と山とに挟まれた僅かな平地に村の姿を見ると、才悟郎の意を汲んでズームアップしたカメラがついに目標を捕らえた。
「くそったれファンタジーめぇ……!」
激しい振動とGに翻弄されながらも、才悟郎がはき捨てる。
才悟郎たちが目標と呼び追っていたのは、体長10mばかりの暗褐色の巨体であった。それはごつごつとした岩のような甲殻を持ち、鋭い牙がずらり並んだあぎとをもち、また胴の長さに等しいほどの長大な尾を揺らす。直立した爬虫類めいた姿ながら、背には広げれば翼長20mに届こうかという翼が器用に畳まれていた。巨木の幹のように太い足がその過大な重量を支え、完全に分散している。
才悟郎の知識に照らせば、それは怪獣と呼んで遜色ないフォルムを有していた。更に細分化するならば、それは「ドラゴン」に相違ない。
そしてあまたの伝説に違わず、アレは人を食う。その足元に怯え竦む人の末路などは、あまりに想像に容易い。
『空中遊泳楽しんでる余裕なんて、ぐぎぎ、なさそうね!』
歯を食いしばりながらものを言うというのはなかなかの難事である。才悟郎はブルーに返答する間も惜しんで、推力ベクトルを不恰好なマニューバでもって切り替えた。
天地が反転し、地面が迫る。才悟郎は空力制御などの雑事をすっかりスーツのコンピュータとブルーに任せて、自身は腰に下げたレーザーブレードをすばやく抜き放ち、構えた。
青白い電光がきらめき、空を裂く。
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あ、逃げなきゃって思ったんです。滅多に鳴ることはなかったけど、あれは物見台の半鐘の音だってわかったから。あの半鐘って、よっぽどのことがないと叩かないんです。火事とか、地震とか。わたしも、聞いたのはそれが生まれて2度目でした。
だから、逃げなきゃって。今日の森の様子と合わせて考えたら、わかっちゃったっていうか。
でもその時にはもう遅かったんです。暗い森の中からものすごく大きな音と地響きが、まるで爆発するみたいに飛び出してきたんです。
ドラゴンでした。それもとびきり立派な、アースドラゴン種の成竜でした。
私、腰をぬかすっていうの、その時初めて体験しました。詳しい種類までは判りませんでしたけど、でもドラゴンてなんでも食べますから、ああ、食べられちゃうんだって。ううん、そんなこと考える暇もなかったかも。急なことにびっくりしすぎちゃって、実はその瞬間のこと、あんまり覚えてないんです。すっかり気を失っていましたから。
でも、気を失うすぐ前に、空から降ってきた白い光のことは、私、多分一生忘れられないと思います。
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地上100メートル超から、位置エネルギーを全力で運動エネルギーに変換して、それを一点に集約してぶつけたとしたら、それはどれほどの破壊力を生むだろう。才悟郎は計算をしようとしたが、すぐにそれを放棄した。彼は物理がアホほど苦手だったし、そもそも手にした得物は非実体のレーザー刃。熱でもって焼き切るのだから、速度がありすぎては逆にいけない。ロケットブースターを無理やり転回して逆噴射を行うと、地面に叩きつけられたかと錯覚するほどの衝撃が才悟郎を襲った。
「ぐ、ぅぅぅ」
噛み締めた歯列の隙から苦悶が漏れ出る。視界が赤く染まる中、見据えるのは一点、目標の首ひとつ。
『叩っ切れぇっ!』
耳元からブルーの声が聞こえた。それはつまり、煩雑な計算は完了していて、その他諸々のお膳立てが終わった合図。後は速度このままに突っ込んで刀を振ればいいだけだ。ブルーに答えるより先に、スキルの働きで体が動く。
瞬く間に高度は落ちる。豆粒のようだったドラゴンの巨体が、巨体そのままとなって狭くなった視界を占領する。
接触。
レーザーブレードの極小の接触面を、過たずその首筋へと落着させる。超高温の光の刃は瞬間的にその出力を跳ね上げ、岩をも凌ぐ頑強な甲殻をぬるりと切断した。
ドラゴンにしてみれば、きっとその時点でわけもわからず落命していたはずだ。刃が首の背から入って腹に抜け終わると同時に、超高温に曝された甲殻の一部がプラズマ化し爆発を引き起こした。それはドラゴンの死をより確実なものとし、吹き飛んだ首は数メートルも宙を舞って弓なりに地に落ちる。
「あっ」
『あっ』
辛くも軟着陸を果たした才悟郎とブルーの、いささか抜けた声が唱和した。首が着地した地点は、ブルーの観測したヒューマノイドタイプ、詰まるところの村人の、今では若い少女とわかるそのすぐ目の前であったからだ。才悟郎たちが見守る前で、少女は見る間に顔を蒼くさせ、しまいには泡を吹いて卒倒した。おそらくは、沸騰して弾けた竜の目と目があってしまったのだろう。やむなしと言えた。とんだグロ画像である。
首を失ったドラゴンの巨体が、少女に続くようにしてどうと倒れた。才悟郎はその死骸とのびている少女をみくらべて、さてどうしたものかと途方にくれる。
「とんだファーストコンタクトになっちゃったわね」
呆れたような困ったような声が通信機を介さずに聞こえる。見ればブルーがヘルメットを脱いで、その長く青い髪をふわりと風になびかせていた。才悟郎もヘルメットを脱ぐと、焦げ臭さに混じる水の腐ったような匂いが鼻についた。
「この世界に来てからこっち、ろくなファーストコンタクトなんてなかったさ」
「あっそう? それは失礼」
ブルーが拗ねたようにいう。才悟郎は短く刈り込んだ黒髪を掻きながら、半ば現実逃避気味にこれまでの経緯に思いを馳せた。