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9話

 君、君と呼び掛けていると、彼女にそんな呼ばれ方は慣れていないからやめてくれと言われた。

「じゃあなんて呼べばいい」

「楓子でいいよ。私、星合楓子だから」

 女子を下の名前で呼ぶのは慣れていなかったが、桜子と区別するために彼女を下の名前で呼ぶことにした。

 音桐は自分も彼女の髪は染めたものだと思っていたこと、彼女のことを少し怖いと思っていたことを告げる。

 楓子は別にいいよ、と言った。

「私、学校嫌いなんですよね。先生はうるさいし、一部の同級生は怯えたような目で見てくるし。だから勉強もできが悪いの。

 ――まあそれは言い訳か。私の学校にもいるよ。学校とか友達付き合いとかどこか煩わしそうにしてるのに成績だけはやたらいいやつ。

 とにかく品行方正で成績優秀で小説も書ける姉さんを前に、私にはあの家に居場所がないんです」

 他人と比べても栓ないことだ。そんな旨のことを音桐は言った。そして恥入る。どうしてここまで自分のことを棚上げにしてアドバイスめいたことを言えるのか。他人と比べてどう見えるかをいつも気にしているのは自分自身であるというのに。

「だから今日は家には帰らないんです」

「今日は何かあるのか?」

「今日姉が家に帰ってくるんです。月に一度そういう日があります。母親の希望です。

 父さんのことも、母さんのことも別に嫌いじゃない。むしろ好き。姉さんのことももちろん好き。でなきゃあんなしょっちゅう見舞いにはいかない。でも4人で過ごすことは辛い。家族っていう枠は嫌い」

「せめて喫茶店にでも入って時間を潰せばいいのに」

「昼間は近くの図書館にいたんですよ。お金持ってないし、それに急な夕立ちだったから。もうびしょ濡れだったし動くのも面倒だなって」

 危なっかしい人だ。音桐はトイレに行くと言って少しの間中座することにした。


 トイレから戻ってくると楓子は本棚の前にいた。そこは家族共有の本棚だ。

「何か、気になる本でもあった? 僕の本なら借りていってもいいよ」

「いや……アキラちゃんの本があるなと思って」

「アキラちゃんって虎尾さんのこと?」

「うん。これですよ」

 そう言って楓子は一冊の本を手に取る。あるミステリだった。

 作者は漆村晶。ファンタジーめいた世界観での謎解きを得意としている作家だ。得意としていると言っても単行本はまだ2冊ぐらいしか出していない。

 小説家である時点で自分から見れば雲の上のような存在だが、プロの小説家のなかでは売れてるとは言い難い作家だった。

 音桐は彼自身すら意図しない形で瑛の筆名を知ってしまったことに罪悪感を抱きつつリビングのソファに腰掛けた。

 一瞬罪悪感を覚えた音桐だったが、よく考えたら瑛からは脅されたこともあるし、そんな必要はないと思いなおす。

「そういえば楓子さん、彼氏くんのところにでも匿ってもらえばよかったんじゃないの?」

「彼氏? 誰のこと?」

「ほら星合さんの病室に一緒に来てたじゃないか」

「あー、孝平のことかあ。別に彼氏じゃないですよ。よくつるんでるだけー」

――異性の友達というやつか。僕には理解できない感覚だな。

「それにこういうときって誰かといるより1人になりたいじゃないですか。まあそんなことも察さず強引に家に連れ込むような人もいるわけですけど」

 うぐ。音桐は飲んでいた紅茶を吹き出しそうになる。

「人聞きの悪い言い方するなあ」

「事実じゃないですか」

 そんな折誰かがインターホンを押したのかベルが鳴る。

「どうやらお迎えが来たようですね。――さっきトイレに立ったときに連絡したんでしょう」

「ああ、虎尾さんにね。やっぱりずっと君がこの家にいるってのもよくないだろうし」

 玄関から入ってきた瑛はリビングまでつかつかと歩くと、楓子を見付け、ぎろりと睨みつけた。

「ちっ、面倒かけやがって」

「ごめんね。でもやっぱりアキラちゃんが迎えに来るんだね」

「こいつが私に連絡してきたからな」と言って瑛は音桐のほうにじとりとした視線を向けてくる。後で何かされるんじゃないかと、背筋が寒くなった。仕方がないじゃないか。星合さんの連絡先は知らないんだから。

「ちょうどお前のことを探してたんだ。何も言わずに出かけた上にあんまり帰りが遅いから皆心配してる。桜子も探しに出たがってたけど二次被害が起こるだけだと思ったから止めた。知っての通り強情なやつだから難儀したけどな」

 その瞬間、楓子の口元がわずかにだが、喜びに歪んだような気がした。

「うん、本当にごめん。帰るよ」

 そう言って楓子は瑛とともに玄関へ向かって歩き出す。

「じゃあね、皆川さん、今日は助かったよ。また病院で」

 音桐も見送りのために一緒に外に出る。瑛が車のドアを閉める直前音桐は別れのあいさつを口に出す。

「おやすみなさい。楓子さん、『漆村』さん」

 車で走り去る直前の瑛はぎょっとしたような顔をしていた。

 どうやらちょっとした意趣返し程度にはなったようだ。今日は気分よく寝ることができるかもしれない。

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