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8話

 8月7日

 桜子の病室を訪れる際は前回の訪問から3日は空けることを意識していた。夏休みとはいえ、あまり頻繁に訪問して、彼女に自分に気があるのではないかと思われるのがなんだか嫌だったからだ。

『皆川駿』は星合桜子にとってただの友人。それで構わなかった。

 その日、桜子は以前の続きを声に出し、音桐はそれを筆記した。この話はこれで一区切りということだった。おそらく中編ぐらいの分量はたまったのではないだろうか。これをその先どうするとか、そういう予定はまだないということだった。

 今日は予備校の夏期講習もあったため桜子の病室を訪れるのがすっかり遅くなってしまった。自宅の最寄り駅に着くと時刻は18時を回っていて、辺りは薄暗くなっていた。

 駅舎を出ると大粒の雨が降っていることに気付く。傘は持っていなかった。駅の売店では540円の傘が売っていることは知っていたが、勿体なかったので家まで走ることを選択した。走ればほんの5分ほどだ。

 ぱしゃぱしゃと水溜まりを蹴るようにして走っていると、自宅近くの川を渡した橋に誰かが傘もささずに佇んでいるのが見えた。

 中学生か高校生ぐらいの少女で、髪は眩しい程の金髪だった。雨にまみれているのも構わずに川を見つめるその姿はまるで幽鬼のようだった。

 そこまで観察したところで音桐はその少女に見覚えがあることに気付く。それは桜子の病室でほんの一瞬すれ違うように出会った彼女の妹だった。

 こんないかにも文化圏の違いそうな女子中学生に、自分のような男子高校生がいきなり話しかけてうざがられるのではないだろうか。そう思いながらも声をかけないわけにはいかなかった。

 星合さんの妹さんだよね、こんなところで何してるの。そんな風に声をかけた。緊張のせいか少し声が上擦っていたかもしれない。

 彼女はこちらを見ると、少し間を開けて、言った。こちらが誰か判別するのに時間がかかったのかもしれない。

「あんた、確か病院であった人か。姉ちゃんの友達」

「そうだよ。そんなことより何してるんだい。風邪ひくよ」

「ほっといてくれよ。あんたには関係ないだろ」

「関係はないけど、こんな状態の君を放っておいたら今後星合さんに顔向けできないよ」

 とりあえず僕の家に行こう。そう言って音桐は彼女を自分の家の方向へ歩くよう促した。彼女は音桐の後をとぼとぼと着いてきた。

 星合さんの妹は音桐の家の表札の前で怪訝そうな顔をした。しまった、と瞬間思った。彼女は音桐の名前を皆川として伝え聞いていたのかもしれない。

 不審そうながらも彼女は疑問を口に出すことはなかった。

 とりあえず星合さんの妹には風呂にでも入ってもらうことにした。音桐も少しは濡れたがそれはドライヤーで髪を乾かして、服を着替えるぐらいでどうにかなる程度だ。

 しかし物の弾みとは言え、まさか女の子を家に連れ込んでしまうことになるとは。幸か不幸か、両親は今夜は帰ってこない予定だった。

 風呂から上がってきた彼女が右往左往する音桐の前に姿を現す。金色の髪に無数の雫を纏ったその姿を、妖精のようだと思った。衣服は入院中の妹のものを無断で適当に見繕って着てもらうことにした。

「ありがとう」

 彼女はそうぼそりと呟いた。

「家は八木橋のほうだよね」

 桜子の出身中学がそっちのほうだったことを思い出して言った。彼女はこくりと頷いた。

「1人で戻れる?」

 彼女は肯定も否定もしない。

「そろそろ出ていきます。服はあとで洗って返しますから」

 そう言って彼女は立ち上がろうとした。一応恩義には感じてくれてるのか、これまでとは違い敬語だった。

「ちょっと待った」

「何?」

 浴室で乾かしている服を取りに行こうとした彼女を呼び止める。彼女はこちらを振り向くと射抜くような瞳でこちらを見据えた。その瞳は色素が薄く、彼女の金髪と待ってまるで異国の人のような雰囲気を出していた。

「まだ服乾いてないだろ。行くところがないならもう少しゆっくりしていけばいい。あ、いや迷惑なら別にいいんだけどさ」


 冷蔵庫のなかになった残りものから焼きそばを作って、とりあえずの夕食にすることにした。

「あんたさ、皆川駿さんじゃなかったの?」

 彼女は麺を咀嚼しながら言った。――うぐ、やはりそのことは気になるか。

「実は今親戚の家に居候してるんだ。だから表札の名前が違ったんだよ」

「ふぅん、別にいいけど」

 彼女は見透かしたように言った。――年下なのにこの一枚上手感なんなんだろう。

「『皆川さん』さ。私のこと怖いのかと思ってた」

「なんでそう思うの?」

「この見た目のせいで同級生なんかにはよく怖がられるの。皆川さんが病室で私を見たときの眼も覚えがあったから」

 確かに怖いと思った。音桐の出身中学では髪を染めている同級生なんて1人もいなかった。不良めいたやつですら髪は染めていなかったから。

「言っておくけど、私のこの髪地毛だから」

「え?」

 驚いたような声が口から出た。

「うちの母親イギリス人だよ。もっとも血がイギリス人ってだけで。生まれたのも育ったのも国籍も日本らしいけどね。こっちで小説の翻訳の仕事とかしてて、そのときに父さんと出会ったんだって。あ、父親が小説家だったのは聞いてる?」

 音桐は無言で頷いた。

「担任とか一部の友達なんかはそういう事情も知ってはいるけど、そうじゃない人にはこの髪のことであーだこーだ言われることもあるんだよね。あんまり顔立ちとかハーフっぽいわけでもないし。うちは両親ともに学校行事とかあんまり出席しないから余計にね。いちいち面倒だから言い訳するつもりもないけどさ。

 この髪が地毛だと承知の上で悪目立ちしないように黒に染めることを『推奨』されることもあるよ」

 彼女はそう言って微笑する。笑ってはいるがそれはきっと辛いことだろう。自分の生まれ持った肌の色や髪の色を否定されるのは。

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