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6話

 8月8日

 音桐は夢を見た。夢の内容は春先の文芸部で起こったある出来事の記憶だった。

 文芸部の部室で誰かが「星合さんって何考えてるんだろうね」と言ったのだ。

 そこからは聞くに堪えなかった。お高く止まってるだの、キャラ作ってるだの、親の七光りだの、顔はかわいい、実は性格悪いだの彼女の小説の本質に触れない批評大会が始まった。

 好きな相手が陰口を言われたら批判するのが男の流儀ではないかと思ったが、音桐は何も言うことができなかった。自分までも文芸部で浮いてしまうのが嫌だったから。

 それどころか2、3度同意を求められ「まあそうかもしれないな」などと肯定とも取れるような発言を彼女の悪口にしてしまった。

 そんなときドアが空いて副部長が入室してきた。副部長は入室とともに、

「あんたらくだらない話してんじゃないわよ。2,3年は早く部誌の原稿あげてよね」

 と言って陰湿な批評大会は終わりを告げた。

 そして音桐の席からだけは見えてしまった。副部長の奥、ドアの向こうにいる桜子が。桜子は踵を返すと文芸部の部室の前から立ち去ってしまった。

 その後1週間ほどして桜子は学校を休学するが、音桐はあのときのことを謝ろうと思ってついぞ言い出すことができなかった。

 なぜ謝れなかったのだろうか。桜子がどこまで聞いていたかわからず、自分が謝ることによって余計に彼女を傷つけてしまうからか。違う。言い訳だ。2、3度相槌を打った自分の行為が桜子の耳に入ってはいないかもしれないと思ったのだ。

 それならば謝罪をして馬脚を現すのはかえって都合が悪いと思ったのだ。そんな醜悪な損得勘定を前に謝るべきか知らぬふりをするべきか悩んでいるうちに日々は過ぎていった。

 日が経つにつれ今更謝られてもと思われるんじゃないかという思いが澱のように音桐のうちに溜まっていきますます謝れなくなった。

 そしてその後贖罪のチャンスを2度も与えられたにも拘わらず、自分はそれを不意にした。

 1つ目は病院の庭で星合桜子に会ったときだった。あのとき自分が音桐壮二だと告白して、あのときのことを謝罪するべきだった。彼女が音桐の行為に気付いていようがいなかろうがそうすべきだった。

 2つ目は一昨日の図書館での1件だ。あのとき、桜子が悪く言われたときに庇うべきだったのだ。それが星合桜子の創作仲間としての役目だ。

 音桐はまだ心のどこかで言い訳をしている自分に気付く。あのときは桜子が聞いているはずもなかったから別にいいやとどこかで思っているのだ。もし今度桜子が聞いているかもしれない場所で彼女を不当に悪く言うやつがいたらそのときこそは反論してやると本気で考えているのだ。

 そして気付く。きっと『音桐壮二』はそんなことがあっても何も言えやしないだろう。

 目が覚めると胸の内は自己嫌悪で一杯だった。起きているうちは考えないようにしていたことが頭のなかをうごめいている。

 堪らなくなってベッドの上で声にならない叫び声をあげた。

 顔を洗ってシャワーを浴びて落ち着くと、自分のほかに誰も家にいなくてよかったと安堵する。

 こんな自分が桜子のそばにいても本当にいいのだろうか。そう思わずにはいられなかった。


 冷蔵庫に残っていたもので適当に昼食を取った音桐は、繁華街にある地方都市にしてはまあまあの規模の書店へと足を向けた。

 その書店のミステリを扱う一角で見覚えのある人物を目撃する。そばかすがやや目立つが愛嬌のある顔立ちに、野暮ったい黒縁メガネ、後で乱雑にくくった長髪。虎尾瑛だ。

 病院で何度かあった際はスーツ姿だったが、今は青いブラウスにジーンズとラフな格好をしている。

「虎尾さん」と音桐。「奇遇ですね、こんなところで」

 瑛はこちらを横目に見ると、嫌そうな顔をする。そんな嫌そうな顔をされる筋合いはないのではないだろうか。どちらかと言えば秘密を握られている分こちらのほうが嫌そうな顔をする権利があるとも言えるはずだ。

「虎尾さんのペンネームってなんなんですか?」と尋ねてみる。

「別になんだっていいだろ。言ってもわからないよ」

「ヒントだけでもくださいよ」「嫌」

「じゃあ虎尾さんと星合さんってどういう関係なんですか? ただの作家仲間ってわけじゃないですよね?」

「そんなに聞きたいなら教えてやるよ。ただし今日は私に付き合えよ」

 そう言って瑛は口元に邪悪な笑みを浮かべるのだった。

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