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3話

 8月1日。

 音桐は病院最寄りの駅を降りると、跳ねるようにして病院へと向かった。

 なぜそんなに病院が待ち遠しいのか。星合桜子との約束がその理由であるのは明白だった。

 この場合作家の星合桜子と話せるのが嬉しいのだろうか。それとも高嶺の花の同級生星合桜子と話せるのが嬉しいのだろうか。

 後者なのだろう。音桐にとって星合桜子は好きな作家ではあるが、もっと好きな作家はいくらでもいた。

 しかしそんなことは些末なことだ。結局は同じ人間なのだから。

 そんなことを考えながら病院に着くころはすっかり息が切れていた。

 両親から頼まれていた妹の見舞いは適当に切り上げた。同室の同い年ぐらいの女の子とすっかり仲良くなった妹は完全に入院生活を満喫しているように見えた。

 受付で桜子の病室を尋ねると、本当に知り合いか確かめるためだろうか。少し待たされた。こんなことであれば前回別れる前に病室を聞いておけばよかった。

 桜子の病室は4階にあるということだった。

 桜子の病室は個室で、どことなく妹のいる病室よりも綺麗な気がした。

 ベッドに腰掛ける桜子の横には、髪を後でくくったスーツ姿の女性が一人いた。

 病室に入って数歩進むと、桜子は足音に気付いたのか、こちらに顔を向けていらっしゃい、と言う。

 スーツ姿の女性はこちらを一瞥すると、桜子に何事か囁いて音桐への会釈とともに病室を出て行った。

「あれ、なんか邪魔しちゃったかな」

 今の女性はひょっとして出版社の人か何かだったのかもしれない。そう思って音桐は言った。

「ううん。別に仕事関係の人ではないよ」

 先ほどまでスーツ姿の女性がかけていた椅子に腰かけさせてもらう。

 桜子はよかったら高校での話を聞かせてほしいと言ってきた。自分は結局一か月ぐらいで休学することになってしまったからと。

 そこでようやく音桐は自分が翠星高校に所属していると答えたことを思い出した。本当は桜子と同じ朱谷高校の生徒であるというのに。

 2つの高校はどちらもこの病院と同じ市内にあり、学力のレベルもさほど変わらない。嘘を吐くのは難しくはないだろう。

 しかし自分はなんでこんな嘘を。わからなかった。

 高校生活の話をした。桜子は興味深そうな顔をして聞いてくれる。文芸部だということも話した。もちろん、朱谷高校ではなく翠星高校の文芸部だということにした。翠星高校に文芸部があるかどうかはわからない。

 30分ほど話したあとまた来ると約束して病室を去った。去り際に桜子が「私たち以前にもどこかで会ったことない?」と聞くので、「ごめん。覚えていない」と返した。

 病室の前の廊下をとぼとぼと歩いていると、後から服の襟首のところを掴まれる。

 いきなりなんだ、と思って後を振り向くと、先ほど病室にいたスーツ姿の女性が仁王立ちしていた。

「ちょっと付き合ってもらうぞ」

 そう言って彼女は強引に音桐をどこかへと連れて行った。

 スーツ姿の女性は、彼女のものと思しきスカイブルーの軽自動車の車中に音桐を連れ込むようにして引き入れた。

 音桐は後部座席、女性は運転席に座る。しばし無言の時間が流れる。

「あの――」と音桐が言いかけたのを遮るように女性が話し出す。

「手荒な真似をして悪かったな。私は虎尾瑛。桜子とは同業者のようなものだ」

「同業者、ということは小説家ですか」

「売れないが頭に着くけどな」

「君は翠星高校の皆川駿君だったか? 桜子に聞いたよ」

「はい」

「嘘だよな」

 そう言って瑛は背もたれごしにこちらを一瞥する。言い逃れなんてできそうにない。そう思わせるような、射抜くようなまなざしだった。

「え?」

「従弟が翠星に通ってるんだ。君と同じ1年生。ちょっと小遣いやって、1年生に皆川駿って奴がいるかどうか、全クラス探してもらったんだよ。そしたら皆川駿どころか、皆川ってやつすらいなかった。

 どういうことか聞かせてもらえるか?」

 音桐は長い息を吐いた。どうやら言い逃れはできそうにない。

 そう思って保険証を瑛に向かって差し出した。生徒手帳でも持っていれば一番話は早かっただろうが、生徒手帳は制服のポケットに入れっぱなしになっているため休みの日は持ち歩いていなかった。

「音桐壮二っていいます。朱谷高校の一年生です。これに関しては信じてもらうしかないですね」

「――とりあえず信じるよ。朱谷ってことは桜子と同じじゃないか。一体何が目的なんだ?」

「――別に目的なんてありませんよ。星合さんには朱谷にいたころ同じクラスで、同じ部活で。本当の僕では星合さんと話すのにふさわしくないってだけです。自分でもわからないです。僕が音桐壮二だってことを明かして、あのときのことを謝ればそれで済む話なのに。きっと星合さんはあんなこと気にも留めてないだろうし」

「ふうん、よくわからないけど、お前は自分が音桐壮二だってことをばらされたら困るわけだ」

 そう言って瑛は邪悪な笑みを口元に浮かべた。いつの間にか呼び方も君からお前になっている。

「そういうことならお姉さんから2つほど頼まれてくれないかなあ。『皆川君』は断れないよなあ?」

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