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2話

 7月25日、夏休み序盤のある日、音桐は市内でも最も大きな病院を訪れていた。

 音桐の身体に何か不具合が生じたわけではなかった。運動能力に自信はないが、大病や怪我とも無縁な音桐は物心ついてから近所の内科クリニック以外で医療行為を受けた経験はなかった。

 1週間ほど前になるだろうか。妹が通学路で交通事故に遭い、命にこそ別状はなかったが、そこそこの大けがをした。どうやらもう2週間ばかり入院が必要らしい。

 両親は妹が怪我をした当日こそ、音桐と一緒に病院にかけつけたが、それ以降は仕事が忙しく病院を訪れられずにいる。

 そろそろ拗ねているんじゃないかと心配した両親は夏休みで自堕落な生活を送っている音桐を使いに出したというわけだ。

 音桐はついさっき妹の部屋を後にしたばかりだが、結果から言えば心配することはなかった。妹はやや口やかましいところのある両親から離れ、それなりに自由にしていられる今の生活に今のところはこれといって不満は感じていないようだった。

 音桐は病院の敷地内にある庭を歩いていると、入院着を着た少女が木陰のところにいることに気付く。

 何か探しているのだろうか。少女はやたらときょろきょろしている。そう思ってぼんやりとその少女を見ていると、音桐は確かにその少女に見覚えがあることに気付く。彼女は4月から休学をしている同級生、星合桜子であった。

「どうかしたんですか」

 近寄った音桐はそう問いかけた。彼女はぴくりと肩を震わせると、こちらに振り向いた。その瞳には警戒の色が浮かんでいた。

 わかってはいたことだが。どうやら彼女はたかだか1カ月足らず同じ教室や同じ部活で過ごした同級生のことなどは覚えていないらしかった。

「あ、あの杖をどこかに落としてしまったようでして。探しているんですが」

 杖? 音桐はそう聞いて辺りを見回してみる。なんのことはない。彼女の直ぐ足元に落ちているではないか。

「ここに落ちていますよ」

 音桐はそう言って杖を少女の手に握らせる。

「あ、ありがとうございます」

「――あのひょっとして、目が見えていないんですか?」

 音桐は彼女の挙動を見て疑問に思ったことを尋ねた。

「――はい。そうなんです。数か月ほど前から急に見えなくなって。今はこちらの病院でお世話になっています」

 彼女は杖を両手で握りしめながらそう答えた。そんなときだった。音桐の心にかすかな悪戯心が湧いたのは。

「星合桜子さんですよね。作家の」

 そう。彼女はただの成績優秀な高校生ではない。中学卒業間際に文学賞を受賞し、作家デビューした高校生作家であった。

 音桐は高校の同級生ではなく、作家としての彼女を知る1ファンとして振る舞うことにした。自分のことをまるで覚えていない彼女への意趣返しのつもりだったのかもしれない。

「よくご存知ですね」

「ええ。新聞か何かでインタビュー記事を読みました。それにデビュー作の『赤銅の魔人』や2作目の『計算機が愛を囁く話』も読んでいます」

「ありがとうございます。こうして声をかけてもらえると、まるで有名人になったような気分になれますね」

 桜子は照れたような笑いを浮かべながらそう言った。

「事実有名人ですよ」

 そんなことないですよ、と言って桜子は顔の前で手を振った。桜子はそばにあったベンチに腰掛ける。どうやら音桐の会話に付き合ってくれるようだった。

「僕普段はああいったジャンルの小説はあまり読まないんですけど、『赤銅の魔人』は地元出身の小説家が書いたってことで読んでみようと思ったんです。そしたら引き込まれました。序盤で出てきた皇帝の時計が、後半あんな風な使われ方をするなんて」

「あはは、そう言っていただけるとすごく嬉しいです」

「3作目もこれまでと同じようにファンタジー物を書いているんですか?」

 ぴしり。空気が凍るような音がした気がした。

「――いえ、正直なところ3作目は難航しています。書いてはいますが、今書いているものが3作目として出版されるかどうかは定かではありません。ひょっとしたら『計算機が愛を囁く話』が『星合桜子』にとっての最後の作品になるかもしれません」

 音桐は息を呑んだ。聞いてはいけないことを聞いてしまったのかもしれない。そんな思いが胸の内に去来した。

 桜子はそんな胸の内を察したかのように慌てて取り繕った。

「そんな深刻そうな顔しないでください。スランプ気味なのは本当ですけど、私よくあるんですよ、こういうこと。加えて私まだ高校生だから別の道を志すことも考えているというだけで。

 あの、好きな作家の話とかしませんか? 好きな作家とかいます? もちろんいますよね」

 音桐は推理小説の大家とされるある小説家の名前を挙げた。桜子はあまり推理小説を読まないというが、その作家の本は結構読んだというので、2人は30分ほどその話で盛り上がった。

「あ、私、そろそろ病室に戻らないと」

 そう言って桜子は立ち上がる。それを見て音桐もじゃあ僕も、と言って腰を上げた。

「あの、差支えなければお名前伺ってもいいですか」

「皆川駿といいます。近所の翠星高校の1年生です」

 咄嗟に僕の口から出たのは別人の名前だった。過去に自作の小説でそんな名前の人物を登場させたかもしれない。

「皆川さん。私しばらくこの病院にいると思うので、また見かけたら声をかけてやってください」

「実は今妹がこちらの病院に入院しているんです。ですから近いうちにまた、必ず」

「そうなんですか。だったら次は私の病室を訪ねてみてください」

 そんな風な会話をして2人はそれぞれの帰路に着いた。

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