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12話

 8月23日

 今日は桜子の病室を訪れよう。

 そう思って昨日就寝したことを思い出し、音桐は二度寝の誘惑を振り払って布団を抜け出す。

 病室に行って楓子や孝平と遭遇したらどうしようと思うと億劫だった。

 それにしても地毛が金色なせいで不良に見られるようなことを言っていたが、彼女の粗暴な性格もその原因のひとつなのではないだろうか。

――でもあれはどう考えても僕が悪かったな。

 きっと桜子のことだけではなく、楓子の容姿について恵まれていると言ってしまったことがまずかった。楓子はあの容姿のせいでそれなりに今まで苦労してきたはずなのだ。今でも音桐は彼女の容姿を恵まれていると思っているが、だからといってそれを口に出してしまうのは失言だったと言うほかない。

 鏡の前に立つと鼻の辺りについた青あざが嫌でも目につく。もちろん楓子に殴られた箇所だ。

 痛みは一日ほどで引いたが、あざはなかなか消えてくれない。あざは嫌だが痛みがないのは少し寂しかった。別にマゾヒズムに目覚めたわけではないが、悪いことをしたのに思ったよりも罰が軽いのはどうにも気持ち悪い。

 朝食を済ませて歯を磨いていると、インターホンが鳴り響いた。そこにはにこやかな顔で瑛が立っていた。


 2

 瑛はまるで誘拐のような勢いで音桐を車中に連れ込むと、アクセルを踏んだ。

「すいません、どこ行くんですか、漆村晶先生」

「もちろん、病院だよ。音桐壮二君」

「別に不登校の中学生じゃないんだからこうして連れて行ってもらわなくても大丈夫なんですが」

「そうか。それは邪推だったな。ひょっとしたらもう来ないんじゃないかと危惧してね。――楓子とやり合ったそうじゃないか」

「やり合ったと言っていいのか。やられたといっていいのか。僕は拳一発で失神させられましたよ。――ちなみに病院には今日行こうと思ってましたよ。でなければこの時間はまだ布団の中で二度寝を楽しんでいるところです」

「あいつ確か小学生の頃少林寺拳法やってたって言うからな」

 道理で。

「まあでもこれでわかったんじゃないか。どの道隠しとおせるものじゃない。今のうちに真実は明かしておいた方がいいと思うけどね。私にはどうでもいいが」

「虎尾さんって中学とか高校のころどんな生徒でしたか?」

「目立たない生徒だったよ。友達もいないわけじゃなかったけど、教室の隅で1人で本読んだり、ノートに小説書いてたりする時間の方が長かった」

「はは、イメージ通りです」

「うるせえ。殺すぞ」

「でもだったらわかるでしょ。僕の気持ちは」

「まあほんの少しぐらいはわかるかもな。それでも逃げ続けるわけにも行かないだろ。

「そうですかね。意外と何とかなるんじゃないですか。たとえば星合さんの目が見えるようになるとともに僕が姿を消すとか」

「そんなことしたら桜子が悲しむし、また楓子が怒り出すだろうな」

「じゃあ僕が留学するって設定はどうですか。そしたら直接会わなくて住むし。いっそ楓子さんもまとめてそういう設定で騙してみるのは」

「好きにしろよ。別に私は構わないよ。どのみち目が見えるようになるなら私にとってもお前はお払い箱だ」

「しかし虎尾さんっていつも星合さんの周りにいますけど、星合さんのお父さんの秘書はいいんですか」

「それぐらい先生は桜子のことを溺愛してるってことだよ。入院を提案したのも先生だからな。桜子が失明したことをしったら不躾なやつがやってきてあいつの病状が悪化するかも知れないと思ってるんだ。まあ可能性はあるけど。だからあんな風に個室に閉じ込めてるんだよ。私も桜子が入院している間はあいつ回りのことが仕事だろうな」3

 病室の前まで行くとなかに楓子がいることがわかった。孝平の声はしないが、きっとなかにいるんだろう。彼は病室にいるときはほとんどしゃべらない。楓子と桜子の時間を邪魔したくないのかもしれない。だったら最初から付いてこなければよさそうなものだが、桜子と話す楓子の表情を観察したいとか、そういう彼なりの理由があるのだろう。

 とりあえずまだ心の準備ができていなかったので音桐は病院の庭を散歩でもして時間を潰すことにした。 文化祭に向けて出す部誌に投稿するよう言われているので、散歩している間はその構想を練っていると暇はしなかった。

 1時間ほど経ってから行くと声がしなかったので、音桐は病室に入室することにした。

 ノックをしてから失礼します、と声をかける。

「どうぞ」と桜子の声がする。

 扉を開けて入室すると、

「こんにちは、俊君」と桜子は言った。

「うん、こんにちは。星合さん」

「下の名前で呼ぶ約束じゃなかったっけ?」

「ああ、ごめん。ごめん。桜子さん」

 意外なほどさらりと口が動いた。前回はあれほど気恥ずかしさがあったのだが。慣れだろうか。いやアトリエで楓子や孝平と話しているとき、音桐は一度として桜子のことを下の名前で呼ぶことはなかった。自分が桜子に対してこのように振舞えるのは『皆川俊』という架空の人物をロールプレイしているからなのだ。やはり真実を明かすわけにはいかないと思った。

「さっきまで楓子と湯島君が来てたんだよね」

「へえ、そうなんだ。もう少し早く来ればよかったよ」

 白々しくなかっただろうか。

「そういえば俊君は8月27日って空いてる?」

「空いてるけど」

 手帳も見ずに音桐は答えた。それほどに彼の夏休みは空疎だからである。

「いや楓子がせっかく夏だから海にでも行こうって。『皆川さんも呼んでさ』って」

 音桐は二つ返事でOKを出した。まだ楓子に会う心の準備はできていなかったが、このまま会わないわけにも行かないだろうと思っていたからだ。それにあの日のことは遅かれ早かれ謝罪する必要があると思ったのだ。

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