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宝石盗んだ海の王

作者: かけた升c

こちらの小説は「のべぷろ」の方でも公開しています。

「よし、着いたぞ」

 大きな城の前で勇者は青色のゴーグルを外しながら言いました。

「フリオ、ここが魔王のお城キー?」

 勇者の肩に乗った小さなサルが勇者に向かって話しかけます。

「あぁ、乗り込もう!」

 勇者は魔王の城に向かってかけ出しました。


アニメを見終わった翔馬はリュックサックに水鉄砲とお気に入りの漫画を入れました。

翔馬はこれから自転車で隣町の山まで出かけるつもりです。

「翔馬、お弁当はテーブルに置いておくからね」

 一階から母親の声がします。翔馬は部屋のドアを開けて「分かった」と大声で言いました。

「お母さん、買い物に行くから。翔ちゃん出かけるときはちゃんと鍵をかけなさいよ」

「分かってる!」

 今度はさらに大きな声で言いました。

 体が隠れてしまうほど大きなリュックを背負った翔馬は階段を慌てて降ります。

 一階に降りた翔馬は弁当を見つけました。

「やった!」

 翔馬は思わず声を上げました。なぜなら、弁当と一緒に大好きなチョコレートが置かれていたからです。

 翔馬は弁当とチョコレートを大切にリュックにしまい玄関を飛び出しました。今日は太陽が燦々としていて、いい天気です。

「いけない、いけない」

 外に出て、少し歩いたところで鍵をかけていないことに気づきました。

 鍵をかけて今度こそ出発です。自転車に飛び乗りスピードを上げようとしたのですが、背後でいつもの聞き慣れた声がしました。

「あれ、翔馬」

 隣の家に住んでいる瑠璃が声をかけてきました。

「翔馬、宿題終わった?」

「まだ、でも帰ってきたらやるよ」

 早く自転車を漕ぎ出したい翔馬は適当に答えます。

「どうせ、また忘れていくんでしょ」

 翔馬はこの前も宿題を忘れて先生に怒られたばかりでした。

「今日だったら、瑠璃が教えてあげるけど」

 翔馬はイライラしました。同じ年の瑠璃が先生のように偉そうだからです。

「そのくらい自分でできる」

 翔馬はそう言いながら、自転車を漕ぎ出しました。

「明日、先生に怒られても知らないから!」

 どんどん遠くなっていく背中に瑠璃は叫びました。


 翔馬は自転車のスピードを上げ続けます。

 山が見えてきました。しかし思いの外、山までは距離があるのです。山の前には大きな川があってその川に架かっている橋を渡ればもうすぐです。

 下り坂をゆっくり下っていた翔馬は出かける前に見ていたアニメを思い出します。勇者はついに魔王の城を見つけたのです。勇者はどんな風に魔王を倒すのでしょうか? 翔馬は期待で来週が待遠しくなりました。

「!」

‘キッー、キキッー’

咄嗟のブレーキがのどかな川沿いに響きます。自転車で走っていた道は切り立った崖の上にありました。

 前を見ていなかった翔馬はあろうことか、ガードレールに強くぶつかり自転車ごと道路の外に投げ出されて、真っ逆さまに落ちていきます。

 頭から落ちていく翔馬はとても後悔しました。そしてもうだめだ、と目を瞑りました。がそのときです。

地面と翔馬の間に現れたのは暗く小さな穴。その穴に翔馬は勢いよく入り込んで消えてしまいました。




「わっ!」

暗かった穴から出た翔馬は尻餅をつきました。しかし痛くはありません。

周りを見回した翔馬は驚きます。そこは洞窟の中だったのです。幸い明かりは点いていて外に続く道にも出ることが出来そうでした。

「早くどいてくれ」

 何の前触れもなく、地面から声がします。眼を落した翔馬の心は戸惑いと驚きが混じります。

「フリオ?」

 そこにはアニメで見た勇者がうつ伏せで倒れていました。

「だから、ぼくの上からどいてくれ」

 翔馬はゆっくりと立ち上がりました。そのあと勇者も腰を上げ、土埃を払い落とします。

「もしかしてフリオ? アニメに出てるフリオなの?」

「誰だ、フリオって?」

 勇者は眼を輝かせている翔馬に訊きました。

「君のことだよ」

 翔馬の一言に勇者は心得たように「そうか」と言いました。

翔馬はフリオに近づいてみます。アニメの勇者と同じで細めの剣を腰に備え、青色のマントを羽織、青色のゴーグルを頭に着けていました。しかしアニメの勇者より背が低くて、頼りなさげです。

「なんか、背が低い」

 翔馬が呟きます。

「悪かったな」

 フリオはぶっきら棒に言うと傍に落ちたツルハシとシャベルを手に洞窟の奥へ進み始めました。

 翔馬は何が何だか分からなくてその場に立ち竦んでしまいます。するとフリオの背後から小さな影がこちらに近づいてきます。

「何してるんダキー? あんまりモタモタしていると置いてくキー」

 眼の前で達者に話すのは小さなサルでした。このサルにも翔馬は見覚えがありました。

「さるぼうず!」

 あの勇者と共に旅をしているリスザルのさるぼうずです。しかしさるぼうずは体を大げさに振りました。

「違うキー、そんな恰好悪い名前じゃないキー」

 プンスカ、怒りを体で表していましたが、翔馬には下手くそなダンスを踊っているように見えました。

「じゃあ、なんていう名前なの?」

 質問に待っていましたという風に動きを止めた小さなサルは翔馬の方を向いて言います。

「サルボー。さるぼうずじゃあないキー」

 翔馬は笑い出しました。サルボーはまた下手くそなダンスを踊ります。

「何が面白いんダキー!」

「だってサルボーも、さるぼうずもほとんど変わらないじゃん」

 翔馬は面白くてまだクスクス笑っていました。

「もー、許さないキー!」

 サルボーが翔馬に飛びかかろうとしたときでした。

「おい、やっと見つけたぞ!」

 洞窟も奥の方でフリオの声が響きました。

「やっと見つけたキー」

 サルボーは怒っていたことも忘れてしまったのか、フリオの方へ駆けていきました。


「これでやっと新しいのが作れる」

 勇者がシャベルを使いながらながら言います

何を見つけたのか気になった翔馬はサルボーの後を追って洞窟の一番奥まで来ました。

「フリオ、それ何なの?」

 先ほどからフリオが嬉々として集めているものは翔馬には泥にしか見えませんでした。

「粘土だ」

 フリオは短くそう言いました。

「そんなの集めてどうするつもり?」

 一体、フリオは粘土を何に使うのか? 翔馬には分かりませんでした。しかし、授業で好きなものを粘土で作ったことはありました。なので冗談半分で「工作でもするの?」と言葉を付け加えました。

「そうだ、これで立派なサーベルができるんだ」

 フリオは自身に満ちた表情で話しています。

「剣なら持ってるじゃん」

 翔馬はフリオの腰に収められた剣を指さします。

「あぁ、これはな」

 鞘から取り出されたサーベルは刃が中程で

折れて無くなっていました。

「戦いで折れてしまったんだ」

 フリオは折れたサーベルを鞘に収めました。

「どんな敵と戦ったの? そういえば魔王は倒したの?」

 剣を折ってしまうほどの強敵なのです。翔馬は興味津々で尋ねました。

「それはすごい敵だったキー」

 サルボーが呟きました。

「サルボー、もう粘土は集まった。家に帰ろう」

 フリオは布製の袋に粘土を詰め、出口に向かい歩き始めました。

「あっ、待ってくれダキー」

 サルボーは急いでフリオを追い、肩に飛び乗りました。

「待ってよ、フリオ。訊かせてよ、その剣を折った敵の話」

 翔馬も大きなリュックを揺らし、慌ててフリオを追いました。



 それはフリオが翔馬と出会う前のお話です。

「綺麗な海ダキー」

 勇者の肩で左右を見回すサルボーが言います。

「サルボー、ぼくたちは遊びにきたんじゃないんだ」

 フリオはサーベルの柄に手をやりながら言いますが、サルボーは呑気に口笛を吹いていました。

フリオたちは海辺をしばらく歩くと広い浅瀬が見えてきました。

「噂になっているのはこの辺りだな」

 依然、サルボーの口笛が軽快なメロディを辺りに鳴り渡らせます。

フリオは浅瀬を沖に向かって歩きます。ちょうど水面がくるぶし辺りまでなので、歩くのに苦労はしませんでした。

「何もいないな……」

 つぶやいたフリオの言葉を聞いていたかのように水面が荒波を立て始め、地面は大きく唸り、フリオは立っていられなくなり地面に手をつき、サルボーにいたっては怯えて勇者の首筋にしがみついています。

「この揺れはなんダキー!」

「やっぱりいるんだ。海の王が」

 揺れはしばらくして収まり、波も静まり先ほどまでの落ち着いた海になりました。

「怖かったキー」

 サルボーはフリオの耳元で呼びかけます。

「サルボー、まだこの辺りにいるはずだ。気をつけないと帰れないぞ」

 立ち上がったフリオは沖の方をじっと見つめ、サーベルを構えて戦闘態勢。

‘ドバサッ!’

 突然、水面が爆発したかのような音を上げると、それは一直線にフリオたちに向かってきました。

「くっ!」

 一瞬の判断で、右に躱し衝突免れたフリオは水面から現れた巨体に身震いしました。

「なんて大きさだ」

 眼の前にはカニがいたのですが、ただのカニではありません。

 高さはフリオの二倍以上、こちらに向かって飛んできた鋏は浅瀬に深い穴をあけています。

「みんなの宝を返せ!」

 フリオは叫びます。

「そんなこと言っちゃだめキー、謝って帰してもらうんダキー」

 肩で飛び跳ねるサルボーに「怖かったら向こうの岩場に隠れてくれ」とフリオは言います。

「怖くなんてないキー! 勇者様だってさっき震えていたキー」

「あれは武者震いだ!」

 一言の後、フリオはサルボーを肩に乗せたまま海の王に突進していきます。

‘ズバッバッ’

 巨大なカニは、勇者のすぐ左で大きな穴をあけていた鋏をフリオに向けて横殴りに飛ばします。

「そうくると思ったよ」

 フリオは高く飛び上がり、鋏を躱すとカニの体をめがけてさらにスピード上げていきます。

「いけーっ!」

 サーベルをちからいっぱいに振り下ろしフリオは勝利を確信します。

‘ミキッ’

 カニを守る殻が割れる音がしました。が「そんな……」

サーベルは確かに殻を割りましたが、表面だけで海の王は大したダメージを受けてはいませんでした。

「危ない、勇者様!」

 サルボーの声がフリオの耳に痛いほど届きます。

 飛んできた鋏を躱すことはできず、サーベルをその場しのぎの盾にしたのですが‘ガキーンッ’と鋭い音を響かせながら折れて宙を舞いました。

 勢いを止めることが出来なかったフリオたちは大きく飛ばされ岩に叩き付けられてしまいます。

「このまま逃げるキー」

 飛ばされたサルボーは少し離れた海の王を警戒しながらフリオの肩を叩きます。

「勝たないと……」

 岩にもたれ項垂れるフリオは折れたサーベルの柄を強く握りしめます。カニは態勢を整えこちらに向かっていました。

「早くするキー」

「……」

 フリオは俯いたままで答えません。海の王の影が一足先にフリオたちにたどり着きます。

「今、逃げないと何も救えないキー!」

 サルボーの叫びがフリオを呼び戻しました。岩に縋り、立ち上がると「今日はこの辺にしておいてやる」と言い残し、反対の方向へ、痛む体を無理やり走らせました。



 洞窟を出た翔馬たちは小高い丘を下っている途中です。

「もうすぐ家ダキー」

 サルボーは言います。

「フリオたちはそこに住んでいるの?」

 翔馬がフリオに訊きました。フリオは頷きながら続けます

「まぁ、一応な」

 指で頬を掻く仕草にサルボーは笑いを堪えます。

「あそこがサルボーたちの家ダキー」

 サルボーはフリオの肩から降り、一足早く家の前にたどり着き、翔馬も続いてたどり着きました。

「おぉ!」

 翔馬の好奇心が声を上げました。

「ここがフリオの家か」

 丸太を組み上げて造られた小さな家は翔馬が今まで見てきた家と違い、弱々しいながらも、どこか温かい気持ちにさせました。

「かっこいい家キー」

 サルボーがフリオと翔馬を交互に見ながら言います。

「うん、すごくいい家」

 翔馬はじっくり家の外観を眺めます。少し見上げると風見鶏がこちらを向いていました。

「いいか、翔馬。内装は期待するなよ」

 粘土の入った布袋を扉の前に置き、ドアノブを握りながらフリオは言います。翔馬は不思議そうにその横顔を眺めました。

 扉が開かれると外の気温とは不釣り合いな冷気が軽く肌を撫でます。フリオは暗い玄関の灯りを灯しました。

 翔馬は薄く照らし出された室内と気持ちの悪い冷気に一歩後ずさりました。

「ごめんな、あまり掃除できて無くてな」

 フリオは玄関から翔馬に言います。サルボーはといえば、翔馬の後ろでクスクス笑いを堪えていました。

 そのあと、フリオは翔馬を置いて家の奥に入りました。それを見たサルボーも我先にと消えていきます。

 また置いて行かれそうになった翔馬は再びフリオたちの後を追います。

「フリオ待って」

 少し歩くと埃が鼻を擽ります。小さい家なのに薄暗いためとても広く感じました。

「翔馬、こっちだ」

 声が聞こえる方へ向かうと途端に薄暗い部屋を燭台の火が照らしました。

 部屋を見回した翔馬は言葉を失いました。部屋の壁が見えなかったのです。もっと正確に言えば部屋の壁が積まれた本で隠れていたのです。

「これ何の本なの?」

 どの本も重そうで、いつも翔馬が読んでいる本とは別物のようです。

「この本は……」

 積みあがった本の下から大体五十冊目を引き抜こうとフリオがゆっくり上から大体五十冊目の本を浮かせた次の瞬間。

‘バタンッ!’

「わっ、眩しい」

 途端に光が翔馬の眼を眩ませます。

「悪い、怪我はないか?」

 倒れた本は翔馬のすぐ隣に落ち、埃を散らせました。

「大丈夫だけど」

 翔馬は咳払いをしながら言います。

「いい機会ダキー、窓を開けるキー」

 倒れた本のタワー跡地から小さな窓が現れていました。サルボーが窓枠に飛び乗り開錠すると温かいそよ風が入り込んできました。

 翔馬は散らばった本に眼を落しました。

‘魔術入門書’ ‘魔道の極意’ ‘剣と刀の図鑑’ ‘目指せ! 剣術初段’本の表紙にはそう印字されていました。

「あった、あった」

 フリオは落ちた本を一つ手に取り、ページを捲ります。

「じゃあ、外に出るぞ」

 フリオは翔馬を表に出るように促します。


外に出た翔馬とフリオ、サルボーは真っ先に深呼吸をしました。

「翔馬、そこの粘土を向こうまで運んでくれ」

 フリオはすぐ近くに見える井戸を指さしました。

「分かったけど、フリオは?」

「ぼくは用意してある材料を持ってくるよ」

 そう言うとフリオはマントを風に靡かせながら家の裏に消えていきました。

「早くするキー」

 すでに井戸の淵でサルボーが荷物を背負いながら手を振っていました。翔馬は布袋を持ち上げます。

「おもっ」

 粘土は思いのほか重く、呼吸を整えてしっかり持ち上げると何とか運ぶことが出来ました。

「さるぼうず、この粘土からどうやって剣を作るの?」

「だから、おいらはサルボーダキー」

 しかし、翔馬にはアニメのさるぼうずにしか見えません。

「あっ、フリオ」

 家の裏から出てきたフリオが傘と見まがうほど大きな葉っぱを掲げながら現れました。

「ありがとう、重かっただろう」

「軽いよ、あんなの。それよりその葉っぱはどうするの?」

 翔馬の絶えない疑問に、大きな葉っぱと小さな布袋二つを地面に置いた後フリオが答え始めます。

「これは盾になるんだ」

 話しているフリオはいたって真面目でした。翔馬は葉っぱを触ってみますが大きいこと以外は何も変わったところはありませんでした。

「サルボーあれは?」

 フリオが尋ねるとサルボーは背負った小荷物を渡しました。

包んだ布を広げると小さなノコギリが現れました。

「使わせてもらうよ」

 言いながらフリオは大きな葉の茎を切っていきます。

「よく切れるじゃないか」

 フリオはノコギリをじっと見つめた後、サルボーに向かって言いました。

「そりゃ、おいらが作ったんだから当たり前ダキー」

 サルボーはノコギリを包んでいた布を頭に被り泥棒の真似事をします。

「作業が早く進むよ、ありがとう。サルボー、いやドロボー」

「だから、おいらはサルボーダキー」

 風見鶏が優しく辺りを見渡す正午でした。


「じゃあ、そこの粉を入れてくれ」

 粘土の中に銀粉が混ぜ込まれていきます。

「これは鉄?」

 銀色の粉を粘土に振りかけながら翔馬が尋ねます。

「惜しいな」

 フリオは粘土を捏ねながら言います。

「じゃあ、もしかして銀?」

「正解だけど、ちょっと違うかな。」と額の汗を拭ったフリオは続けました。

「翔馬とサルボーに頼みたいことがあるんだけどいいかい?」

「いいよ、何でも手伝うよ」

 一番に翔馬が返事をします。

「おいらも暇だから手伝うキー」

「良かった。この銀粉、実は足りなくてさ。二人で集めてきてほしいんだ」

 フリオの頼みに考え込む仕草をした翔馬は口を開きます。

「でも、どこで集めればいいのかわからないし」

 口に出した不安は当然のものでした。

「それならサルボーが知っているよ」

「わかった、じゃあ行ってくるよ」

 問題は簡単に解決しました。足取り軽くフリオの元から駆けていきます。

「ちょっと待って」

 フリオは井戸の端に投げ出されたすり鉢とすり棒を手渡しました。

すでにサルボーが遠くで手を振っていました。翔馬も先ほどの洞窟とは反対にある木々の生い茂る森に足を踏み入れていきました。



 もうだいぶ歩きました。木々の間から辛うじて確認できる獣道。何度踏まれたか知れない雑草を再度踏み、サルボーを先頭に一直線に進行します。

 翔馬は無意識に振り向きました。前も後ろも、右も左も木がこちらを見下ろしています。

「着いたキー」

 サルボーが突然、声を出したので翔馬は手に持ったすり鉢を落としそうになりました。

「で、どうやって集めるの?」

 その疑問にサルボーは答えず草むらから光沢を放つクローバーを摘み、翔馬に見せながら言います。

「この辺りに沢山あるキー、これを集めるんダキー」

 サルボーは持ってきた布を広げ、摘んだクローバーをその上に置きました。

 銀粉が欲しいのです。原料がクローバーのはずがありません。しかし、翔馬は理解したようで草むらを探り始めました。


 あっという間に布の上はクローバーでいっぱいになりました。

「このクローバーをすり鉢で細かくするキー」

 サルボーはすり鉢を翔馬の前まで持ってきました。

「わかった」


「そろそろ代わってよ」

 摘んだままの輝くクローバーはまだありました。サルボーはすり潰したクローバーからできた銀粉に混じったゴミを取り除いています。

「ねぇ、聞いてる?」

 翔馬は半ば苛立ちながらサルボーに問いかけます。

「聞こえてるキー」

 サルボーは尚も下を向いています。

「ぼくは疲れたから早く変わって!」

 翔馬はサルボーにすり棒を手渡し、サルボーは渋々すり棒を手に取りました。

 とぼとぼ歩く小猿を翔馬は睨み付けます。正直、サルボーのことが気に食わなかったのです。すり鉢を持ってきたのもクローバーをすり潰していたのも翔馬でした。サルボーはと言えば、ただ目的地に向かうだけなのです。

 ようやく働く気になったサルボーを横目で見ると、サルボーはすり鉢の縁に立ちながら、不自由にクローバーをすり潰していました。

 翔馬は咄嗟に眼を逸らせました。何故か手に汗を握りしめて消えてしまいたい気分になりました。


「起きるキー」

 瞼を開けると木の葉に隠れた青空が木漏れ日に小さく自己主張します。

「これを持って行くキー」

 すり鉢の中には輝きを放つ銀粉が入っていました。翔馬はそれを持ち上げるとサルボーは「勇者様のところへ帰るキー」と歩き始めました。

 来た道をゆっくり戻ります。木々の生い茂る森は昼間でもところによっては薄暗く足元に気を掛けておかないと転んでしまいます。

「ちょっと待つキー」

 サルボーが急に立ち止まり辺りを見回し始めました。

「どうしたの?」

サルボーは来た道を振り返り、凝視します。

「何かいるキー」

 木に凭れ、しばしの休息を取る翔馬は早くフリオの元に帰りたいようで無関心に歩いてきた草むらを眺めました。

「早く行こうよ、フリオが待ってる」

 しかしサルボーはその場から動こうとはしませんでした。

「だから何もいないってば」

 手に持った鉢を不安定な地面に置き、近くに手頃な石を見つけ、草むらに力いっぱい投げ込みました。

「ほら何もいない」

 翔馬はつまらなそうに鉢を抱え帰路に着こうと歩き出します。

「翔馬まずいキー」

 弱々しい声を背に半ば馬鹿にしたかのようにふらふらと大げさに振り向く様は恐れが無いのではなく、知らなかったのです。

 振り返ると緑が生い茂る中に黒い塊が獣道をこちらに向かっていました。

「熊だ」

 呟いただけで身体は動くことを止めてしまいました。動物園で熊を見たことはあります。何なら像も麒麟もです。しかし檻はありません。

今、熊と翔馬は生き物として対等なのです。守られることはありませんが自分を精一杯守ることは可能です。

「翔馬逃げるキー」

 サルボーが翔馬の側を走り抜けます。サルボーの走る後を追いますがあっという間に姿が見えなくなりました。銀粉の入った鉢は重すぎて上手く走れず、止む無く鉢を置いて逃げ出します。

 翔馬は必死に走りましたが、熊はどんどん距離を詰めていきます。

焦りは普段しない失敗を引き起こします。足元の木の根に躓き、倒れこんでしまいました。起き上がってみると眼の前には真っ黒な熊がこちらを覗き込んでいました。

背筋が凍りつき、思考は大方停止。残った思考はこの期に及んで守られるのではないかという期待でした。しかし、ついさっきまでいたサルボーは一目散に逃げ出しました。もしかすると憎まれ口をあまりに叩くので見捨てたのかもしれません。

思考は短時間で後悔に行きつきました。

光が降り注ぐのは頭上に木々が無いからでしょうか? それとも太陽が近づいているからでしょうか?

「眼を瞑るキー!」

 どこからともなく聞こえたのは逃げ出した小猿の声でした。眼を閉じれば助かるのか、縋るのはこの声しかありませんでした。

 瞼を隔てても眩い光。

「眼を開けるキー」

 促され瞼を開くと、熊は両手で顔を擦り草の上を蠢いています。

 サルボーは気にすることなく歩き出しました。


 無心で後に続く翔馬は帰り道ではなく森の奥に歩を進めていることに気づきました。

「忘れ物キー」

 サルボーが銀粉の入った鉢を指さします。鉢の中で輝く銀粉は、翔馬が熊から無我夢中で逃れようとしたためでしょうか、幾分減っていました。

「ごめん」

 短いからこそ、多岐に意味する言葉だったのです。翔馬は鉢を抱えました。

「気にすることないキー、警戒心の強い生き物は仕方なく相手を襲うこともあるんダキー」

 そう言うとサルボーは獣道を再び歩き出しました。

 きっと、この小猿は多くの出来事を経験しその身体に見合わない程の知識を備えているのでしょう。


ようやく丸太でできた家に着きました。翔馬はへとへとで真っ先に鉢を地面に下ろしました。

「お帰り」

 フリオがやってきて、へたばった翔馬たちに言いました。

「取ってきたよ」

 座り込んだ翔馬は鉢を示します。フリオがすり鉢を持ち上げ「これだけあれば作れるよ」とそそくさと井戸の方へ歩いて行きました。


「フリオ、なんで焚き火してるの?」

 しばらくしてフリオの近くにやってきた翔馬は言いました。

「それはあの魚を焼くんだよ」

 井戸の方に目配せしたフリオはすぐに粘土を捏ねる作業に戻ってしまいました。

「今日は大量キー」

 サルボーは井戸の淵で一番大きな魚を掲げ踊ります。

「この魚、フリオが捕ったの」

 並べられた魚は一尾ずつ串にさされ、塩で下ごしらえされていました。

「あぁ、帰りが遅いもんだから沢山釣れた」

 フリオは微笑を浮かべながら続けます。

「食べたいのを焼いておいてくれ、あとぼくの分も」と途端にサルボーは井戸から飛び降り、手に持った魚の串を火の側に突き刺しました。遅れて翔馬も真似るようにその隣で魚を焼きます。さらにサルボーが二尾の魚を持ってきました。

翔馬は焚き火の近くで魚が焼けるのを興味深く見つめていましたが、肌寒くもない季節の焚き火というものはありがたみがなく、すぐにその場から離れました。

「翔馬、ちょっといいか?」

 翔馬が来てみるとフリオは持ってきていた大きな葉に粘土を付けていました。


「フリオできた」

 額の汗を拭いながら、作業をしているフリオに声を掛けます。

「おっ、良く出来てる。ほんとに助かるよ」

 近づいてきたフリオは粘土が付けられた葉を四方八方見回して言いました。

「まぁね、アニメによく盾が出てくるんだ」

 翔馬は鼻を高くします。

「それじゃあ、最後に」

 フリオは手に持った布袋から細くて長いつる草を取り出しました。

「これを、こうして」

 つる草は粘土の盾に埋め込こまれ、余りは金切鋏で切り落とされました。

「休憩しようか」

 翔馬の方に振り返った勇者は言葉短く言いました。


 戻ってみると焚き火は消されていて、魚も無くなっていました。

「早くしないと冷めるキー」

 井戸の方からの声は間違いなくサルボーのものでした。どこから持ってきたのか、箸とこんがり焼けた魚は一尾ずつ皿に並んでいました。

 皿を持ったフリオは家の裏へと歩きます。

翔馬も皿を手に取るとフリオの後姿を追いました。

 翔馬は身震いしました。フリオの家は正面の左右が木に囲まれていて、当然その先も変わらぬ平地が続いていると無意識に思い浮かべていたからです。

 家の裏は小さな庭になっていました。手入れは疎かになっているようで、綺麗に敷かれていたであろう砂利道には所々雑草が顔を出していました。短い砂利道の終わりに小さなガーデンテーブルとチェアが二脚。

「ここで食べよう」

 フリオはテーブルに皿を置き、チェアに腰を下ろします。サルボーはチェアからテーブルへと飛び移りました。

「それにしても驚いただろ、翔馬」

 砂利道で立ち止まった翔馬は戸惑いながら、稚拙な相槌を打つことしかできません。

「休憩が終わったら、向こうの町に武器を運ぶんだ」

 フリオは見下ろした町を示しました。緑が多く占める土地に拓かれた町は、まるで海に浮かぶ孤島のようでした。

「完成したんじゃないの?」

 訊きながら、どうにか踏ん切りがつきチェアに座ります。

「仕上げがまだなんだ」

 箸を口に運びつつフリオは言いました。

「そっか」

 翔馬は話しながらリュックから弁当とチョコレートを取り出します。

「それはどうしたんだ?」

 フリオが興味ありげに尋ねてきました。

「ぼくのお昼御飯だよ。これはおやつ」

 チョコレートを指で示す翔馬にフリオは言い難そうに「それ分けてくれないか?」と言いました。

「いいよ。はい、半分」

 考え込む間は無く、板チョコは綺麗に二等分になりました。半分のチョコレートを手渡すとフリオは苦笑交じりに弁当に眼を向けます。

「そっちを分けて欲しいんだ」

 翔馬は予想外といった表情で、弁当の蓋を開けます。

「好きなだけ、取っていいから」

 そう言い、チョコレートを齧る翔馬。サルボーも気になったようでフリオの手から板チョコを貰うと口に運びました。

「まぁまぁダキー」

 辛口のグルメコメントを残すサルボー。

「サルボー、こんなおいしいもの滅多に食べられないぞ」

 フリオは玉子焼きを口に運びます。これで弁当箱は空っぽになったのでした。



 もうじき日が暮れます。おんぼろなリヤカーにサーベルと盾、翔馬のリュック、それにサルボーを乗せて町を目指しています。歪んだ車輪は金属音を響かせながら、時折大きく縦に揺れ、そのたび翔馬は荷台に眼を遣りました。

「後どのくらい?」

 辺りが畑に囲まれていましたが、人とはあまりすれ違いません。

「もうそろそろかな」

 リヤカーを引くフリオは疲れ切ったようすで囁くように言いました。


「後どのくらいで着くの?」

 きっと十分前にも同じ質問をしました。

「そろそろだよ」

 似たような答えを聞いた気がします。

 翔馬には無駄で退屈な時間が続きました。


 日は暮れ、どこからともなく蛙の鳴き声が聞こえます。街灯も無い畦道は穏やかでしたが、孤独と不安が忍び寄ります。

「フリオ?」

 堪らずに話しかけた翔馬にフリオは「どうした?」と一言。

「……」

 言葉が続きませんでした。初めから続きは無かったのです。するとフリオが話し始めました。

「翔馬の夢はなんだい?」

 声音はどこか真剣なものでした。

「……勇者かな」

 勇者にはなれないことを翔馬は何時しか知っていました。しかし重苦しい雰囲気から解放されたかったので、笑いを含め言いました。

「そうか、学校は楽しい?」

 フリオは尚も尋ねます。

「あんまり、宿題が面倒だし」

 宿題がまだ手付かずだったことを思い出し溜め息を漏らします。

「確かにそれは面倒だ」

 フリオは笑いながら言いました。

「フリオは魔王を倒したいから勇者になったの?」

 リヤカーの金属音がやけに夜に響きます。

「まだ魔王は見たことがないよ、ぼくはただ守りたいから勇者になったんだ」

「ふーん、よく解んないや」

 夜の帳が二人の間を遮ります。


 暗闇の中、レンガ造りの民家が現れ小窓から光を漏らしていました。

 翔馬はどこかも知れない町の光に安堵しました。

「こっちだ」

 石造りの道をフリオはリヤカーを引きながら進みます。見下ろす疎らな街灯の火は弱々しいものでしたが、向かう方向から賑やかな声がしてきました。近づいていくほど大きくなる声は雄々しくも楽観的です。

「いい匂い」

 香ばしい香りが鼻腔を擽ります。焼肉でもしているのでしょうか、近づくほど香りは濃いものになっていきました。

「やっと着いた」

 街灯の薄明かりになんとなく照らされて歩いた翔馬には眩しいほどの灯りでした。店内からは光と愉快な声が漏れ、軒にもテラスにもこれでもかと蝋燭が等間隔で並びます。

「じゃあ行こうか」

 フリオはリヤカーをテラスの側に寄せ、荷台で寝息を立てるサルボーの腹を擽りました。

「もう着いたキー?」

 フリオは何も言わず、テラスに歩き出しました。

「サルボー、置いてくよ」

 テラスに上がる勇者を見ながら、翔馬はリュックを背負いました。


「おぉ、久しぶりだな」

 テラスからの声は扉に手を掛けたフリオに向けてのものでした。振り向いた勇者はその顔に見覚えがあったらしく会釈し、店内に入りました。



 テラスの上は何処かむさ苦しさを感じました。

「サルボーじゃないか」

 端のテーブルから声がし、翔馬の後を欠伸交じりに歩いていたサルボーが突然、走り出します。

「待ってよ」

 翔馬が慌てて追います。テラスにはテーブルが五、六置かれその上には溢れそうなくらいジョッキに注がれた酒と骨付き肉などが所狭しと並んでいました。

「久しぶりキー」

 サルボーはジョッキを片手に肉を頬張る男がいるテーブルに飛び乗り言います。

「今日はどうした?」

 酒を流し入れた男は訊いてきます。翔馬は独特な雰囲気に飲み込まれ、サルボーの小さな背を見つめます。

「窯を借りにきたんダキー」

 テーブルに座り込んだサルボーに男は骨付き肉を皿に分けて与えました。

「どうした坊主、お前さんは食べないのか?」

 男は大げさに笑いました。サルボーはこれでもと大きく口を開き頬張り始めました。

「ぼくはいい」

 踵を返し、テラスの出入り口に戻るとすぐさま、フリオが向かった扉を開きました。



 店内もテラスと同様の浮かれた声、それに加えて厨房の奥で炎が上がります。フリオは奥にある厨房へと足を止めることなく進みます。

「ベロニカはいますか?」

 腰ほどの高さの仕切りを隔てて尋ねました。

「向こうで休憩しているよ」

 大鍋をかき混ぜながらコックは厨房の奥、火の燃えあがる部屋に眼を遣りました。



 室内はより一層熱気に帯びていました。

「フリオ! フリオ!」

 呼んでも返事はありません。歩いてもフリオは見つからず、威勢のいい男たちが酒を一気に飲み干しています。

「珍しいな子どもじゃないか」

「一杯どうだい?」

 大男がこちらに特大のジョッキを寄越しました。翔馬は片手を小さく振り、その場から逃げ出しました。

 大きく炎が揺れました。しかし眼の前のコックはそれを背に何食わぬ顔でミネストローネをかき混ぜます。

「おや、ベロニカをお探しかい?」

 細身のコックは鍋を他のコックに預けると隔てる仕切りを開けてくれました。

「付いておいで」

 厨房では休むことなくコックたちが右へ左へ行き来します。

奥の方からサンタクロースのような髭のコックが、できたてのピザを運んできました。チーズが真っ赤なトマトソースの上で踊ります。翔馬は思わず唾を飲み込みます。その時でした。

「おっと、ごめんよ」

 トレイを両の手のひらに乗せたウエーターが咄嗟に身を翻し言いました。

「気を付けて」

 コックは振り向き言いました。奥の部屋では炎が尚も揺らめきます。


「この奥だ、私は調理に戻らなければならないからここまでだ」

 細身のコックはすぐさま大鍋の元へ戻っていきました。

 炎が部屋を照らしていますが、コックたちの姿はありません。一歩足を踏み入れるとロッキングチェアに腰かけた女性と眼が合いました。

「何してるの、こんなところで」

 薄い青の布を頭に巻き、髪を後ろに束ねた彼女は翔馬に声を掛けました。

「別に」

 この部屋には二人以外は誰もおらず、とんだ無駄足のようです。しかし部屋には厨房への出入り口以外も扉がありました。翔馬はその扉に向かって歩き、チェアの側を横切ります。

「こら、待ちなさい!」

 突然、大きな声で呼び止められたので驚いて振り向きます。

「どうしてこんな時間に君みたいな子がいるの?」

 翔馬は咎められた気がしました。隣の厨房を挟んで陽気な声が聞こえてはいましたが、どこまでも遠い世界に感じます。

背もたれに深く腰掛けた女の態度は高圧的で翔馬は嫌悪感を覚えました。

「……」

 翔馬は正面にある扉に向かって駆け出しました。

「だから待ちなさい!」

 全力で扉まで走ります、扉を抜けると夜風に木々がそよいでいました。翔馬は追われないように、まだ走ります。

「あれ、翔馬か?」

 リヤカーを引いたフリオ向かいから、眼を丸くして言いました。

「やっと見つけた」

 翔馬は安堵の溜め息をつきながら、フリオの元に駆け寄ります。

「これからどうするの?」

 リヤカーを引いてフリオはどこへ行くのでしょうか?



「あのね、こんな小さな子を一人でうろうろさせて、まず保護者の責務を果たしなさい」

 溜め息に合わせてロッキングチェアが前後します。

「そうだね、保護者っていうのをすっかり忘れてたよ」

 フリオは少し笑みを含み言いました。

「で、彼は?」

 背後で隠れる翔馬に彼女は鋭い視線を向けました。

「翔馬だ、今はぼくの手伝いをしてもらっている」

 炎は揺れに揺れ、明るみには真実のみが聳えるのでした。

「彼女はベロニカ、ここで働くウェイトレスだ」

 勇者は未だに隠れる翔馬に話し続けます。

「別に怖い人じゃないから」

 フリオは不思議そうにベロニカに眼を向けると、ベロニカはそっぽを向きました。

「えーとそれで、窯を借りたいんだ、表に未完成の武器がある」

「いいけど時間が結構かかるよ。それでもいいの?」

「他に当てはない」

「そう、なら付いて来て」

 チェアの脚下に積まれた薪を炎にくべるとベロニカは扉を押し開けました。


「お生憎様だけど、今日は火を起こしてないみたい」

 マッチを使い、手慣れたように薄汚れた紙に火を移し、赤いレンガの窯に放ります。

「どのくらいで使える?」

 燃え広がる火を眺めながら、フリオは訊きました。

「高温になるまでは結構かかる、待ってもらうことになるわ」

 雨風に晒され、痛んだ机の引き出しにマッチをしまうとベロニカはバンダナを風にひらめかせ、店の方を見遣りました。

「もうこんなに真っ暗か、勇者御一行は夕飯食べたの?」

 晒された髪が風に優しく靡きます。

「まだだよ」

「ならここで食べていく?」

 おいしそうな料理が作られる厨房を歩きてきた翔馬は心躍りましたが、フリオは躊躇って話が先に進みません。

「勘定は出世払いで構わない」

 ベロニカは見透かしたようで口角を上げました。


 店は相変わらずの賑わいでウエーターが縫うように行き来しています。

 テーブルには三人分のコップと取り皿、真ん中にはできたてのピザが陣取ります。

「今日は泊まっていくといいよ。店の二階が空いてるし」

 ベロニカは天井に人差し指を指しながら言います。

「助かるよ」

 入口近くの席では酔いつぶれて眠る客にウエーターが薄い布を掛けていました。

「ここは楽しいのか?」

 隣でクロワッサンちぎるベロニカに眼を向けます。

「もちろん、ここは賑やかだもん。そんなに働かなくてもいいし」

 そんな会話を聞き流しながら、翔馬はピザを押し込み、骨付き肉に手を伸ばします。

「それより、あれは取り返せるの?」

 テーブルにほんの一瞬沈黙が訪れました。

「あれって?」

 フリオは取り皿に置かれたピザに無理やり目線を合わせます。

「そんなの宝石に決まってるじゃない。取り返せるの?」

 今度は長い沈黙、これには翔馬も食べる手を止めてしまいます。

「分からない」

 フリオは備え付けたままの剣を思い出し、指でなぞります。

「分からないって、取り返すしかないのに何馬鹿なこと言ってるの」

 フリオは鞘を握りしめました。ベロニカは箸を置いて言葉を重ねます。

「勇者は勇者らしく、しゃんとしなさい」

 溜め息交じりにベロニカは言いました。

「うん、そうだった」

 どんよりした空気の中、怒りでこぶしを握り締める翔馬がいました。



 空は真っ暗ではありませんでした。気を付けて見てみると数多の星が輝くのです。

 一階からやってきたフリオは寝そべる翔馬にブランケットを掛けました。

「夜は冷え込む」

 フリオは狭い室内を見回します。

「明日には武器ができるの?」

 天窓からの景色を眺めながら尋ねました。

「あぁ、そうだ。そして武器ができれば、ぼくは海の王から宝を取り返す」

フリオは数脚のチェアを見つけ縦に並べ始めます。

まだ一階からは賑やかな声が聞こえてきます。星の光で照らされる部屋からでは寂しさを覚えました。

「フリオはその宝を取り戻したいの?」

「もちろん、ベロニカも話していたように、みんな待っているからね」

「あの人、性格良くないよね」

 翔馬は同意を求めようとしましたがフリオは少し笑うのみでした。

「どうして笑うの? 腹が立たない?」

 その笑みの真意が解らず、不服が疑問を駆り立てます。

「ベロニカはぼくを信頼しているから、怒るんだよ」

 フリオは並べたチェアの上で欠伸を漏らしました。遠回しな言葉に翔馬はどうにか答えを導き出します。

「フリオが腹を立てないから怒ったってこと?」

 勇者は首を横に振りました。眉間に寄せたしわがより深くなります。

「そのうち、わかるときがくるよ」

 そのまま眠りに就いてしまうのでした。ソファーから天窓の奥を眺めますがどれも同じようでした。



 とても穏やかな目覚めでした。ソファーから身を起こすや否やフリオが階段を示します。

「誰もいないや」

 昨夜、あんなに賑やかだった店内は誰一人としていませんでした。

 フリオと翔馬はテーブルを見て回りました。

朝の気温差なのか、閑古鳥が鳴くからなのか、肌寒さを感じます。

テーブルの上はきれいさっぱり、皿の一枚もありません。翔馬はチェアの側に落ちていた布を拾い上げ、テーブルに置きました。

「ここじゃないみたいだ」

 フリオは店の出入り口を開け、テラスに移ります。テラスも変わらず人はいませんでした。

「あっ!」

 翔馬は一度訪れたテーブルに駆け寄ります。

「どうしたんだ?」

 何事かとフリオもやってきたのですが、二言目には「幸せそうな顔だ」と間の抜けた声で言います。

「サルボー起きろ!」

 翔馬が耳元で大きな声で呼びかけるとサルボーは気怠そうに身体を起こしました。

「もう朝かキー」

「そうだ、もう朝だ」

 フリオは半ばあきれ気味に頭を掻きます。

「誰もいないキー、みんなどこに行ったんダキー?」

 辺りを見回したサルボーは静けさに包まれたテーブルの上、翔馬に問いかけました。

「ぼくにも分からないよ、さっきからフリオと探してるんだ」

 翔馬たちはテラスの階段を降り、窯に向かうことにしました。


 熱を失った窯には武器などありません。昨夜持ってきたリヤカーの荷台からもサーベルと盾は乗ってはいませんでした。

「フリオ、盾はどこにいったの?」

 翔馬が不安そうに窯の奥を凝視します。

「多分、ベロニカだろうね」

 歩き出したフリオの足取りは軽くはありませんでした。


 ノックをしましたが、返事がありません。


 もう一度ノックしましたが、まだ返事がありません。

「誰もいないキー」

 サルボーは扉の向こうに耳を立ててみます。

「この中に人はいるの?」

 翔馬は訊きました。

「いると思うんだけど」

 扉の前で立ち尽くすフリオは自信なさげに答えます。

「鍵は開いてないの?」

 翔馬は扉を引いてみると、すんなり開きました。

 彼女はロッキングチェアに身を預け、眠りに落ちていました。

「ベロニカもう朝――」

 言い淀んだのは武器を見つけたからではなく、薄汚れてしまった手が視界に入ったからなのです。

穏やかな炎がベロニカの頬にわずか映り込みます。勇者は剣を取り換え、盾を手に踵を返しました。



 日は昇り始め、鳥が遠くの空を飛んでいました。

「ベロニカの店にいてもよかったんだぞ」

 心配そうにフリオが言いますが、翔馬は首を横に振ります。

「ぼくも海の王を見てみたい、足手まといにならないようにするから」

 尚も心配そうなフリオを後目にサルボーが「一緒に戦うキー」とおどけて言います。フリオは言葉無く歩き出しました。


 勇者たちは緩やかな坂道を上ります。日の光に木々が栄え、空気が澄み渡ります。

「それ本当にぼくたちが作ったやつ?」

 粘土と銀粉を混ぜ込んだ盾は鈍い光沢だったのですが、今は金属特有の鋭い光沢を持ち、つる草であしらった部分は太陽の光をより強く反射しているのです。

翔馬は納得のいかないようで首を傾げます。

「ぼくたちが作った武器だよ。この粘土と植物を調合して熱を加えれば、銀と少量の銅が生まれる。ある意味、超合金だね」

 盾を掲げて一人で笑うフリオ。

「それはおかしくない?」

 翔馬は異議を唱えました。

「採ってきた粘土と植物だけで銀が出来るのなら、どうして銀は高いの?」

 金には勝りませんが、銀も貴金属の一種なのです。そのサーベルと盾が銀だとしたら、どの位の価値になるでしょう。

「変に物知りだな」

 驚きと感心でフリオは眼を丸くしながらも、言葉を紡ぎます。

「この世界は不思議がいっぱいだ。だけど考え込むより、受け入れてしまった方がいい場合もある。それはどの世界でも同じだろう」

 答えをフリオは知らないようでした。計算の仕方のみを頭に入れたのでしょう。

「翔馬、サルボーはどうして話すことができるんだ?」

 フリオの口調は一瞬、答えに苛まれたようにも見えました。

「さぁ」

 翔馬は馬鹿馬鹿しさと今一度の事実に呆気にとられるのみ。

「サルボーはサルボーだからキー」

 肩からサルボーが声を上げます。

「今のぼくたちにはそれが答えでいいんだよ」

 悪戯に微笑んだ勇者の見据える先に海と空の境界線が現れました。



 涼しい風が吹き抜け、穏やかな水面が現れました。辺りの景色を見渡している翔馬、それを気にも留めずフリオは浅瀬に足を入れました。

「待ってよ」

 大きなリュックを揺らして、あたふたと後を追います。

 翔馬が追いつくと、フリオは浅瀬に突き刺さった金属片を思い返すように見つめていました。

「それフリオの?」

 勇者は「あぁ」と呟くと金属片を抜き取り再度、沖に歩いて行きます。

「サルボー、翔馬を頼む」

 肩に乗ったサルボーを水面から出た岩に降ろしました。水面から顔を出している岩に飛び移り翔馬の元に辿り着くサルボー。

「その岩陰に隠れるキー」

 翔馬は一部、抉り取られたように削られた一際大きな岩に身を隠しました。

 折れた剣を引き抜くと勇者はそれを深みに向けて放りました。

 変化はすぐに起こりました。小刻みに地面が揺れ、水面には何時しか波が経ち始めます。

 サーベルを構え、辺りは緊張感に包まれていました。水面からゆっくり這い出た巨体は、あの日とは違いまるでオブジェ。

 巨体を晒して動こうとしない巨大ガニは隙だらけ、落ち着きだした波に逆らい、疾風の如く迫ったフリオは海の王に刻まれた傷にサーベルを振り翳します。

「やあぁぁぁ!」

 しかし、サーベルは鋏に弾かれ、フリオは一度、間合いを取ります。海の王は鋏をゆっくりと戻した後は一向に動こうとはしませんでした。

「だったら、その脚を」

 駆け出したフリオは鋏の根本に狙いを定めます。左側の鋏が風を切り、真っ直ぐ突き進む様はまるで弾丸。フリオは鋏に飛び乗ると右側の脚に切っ先を振り下ろします。

細い脚を守る殻が割れ、海の王は暴れ狂います。

「あれは……」

 割れた殻からは眩しく輝きながら、透き通る水に色付け施す宝石。

「すべて吐き出せ!」

 冷静さを欠いた海の王へと、その身体は立ち向かいます。巨体を捻じらせ、鋏が勢いを増してフリオに襲い掛かります。

‘ドッ!’

 鋏と盾は拮抗していたでしょう。しかし、軽石のように吹き飛ばされてしまいます。

‘バシャ’

 浅瀬に身体が倒れ、水飛沫が舞いました。


「フリオは勝てるの?」

 岩陰から覗いた翔馬の不安は募るばかりです。

「分からないキー、勇者様次第ダキー」

 岩の天辺で海の王を見遣りながら言いました。

 今も流れ出ている輝きは王が奪ったものなのです。それは力の象徴であり、翔馬はそれを何となく察することができました。


 受け身を取っていたので、立ち上がることは困難ではありませんでした。

「次は容赦しないぞ!」

 水面を叩く方に鋏が飛び、それを華麗に躱した勇者は海の王に切りかかります。

「これで」

 サーベルは見事に殻を真っ二つに割りました。やり遂げた感覚に酔ったのも束の間、溢れ出る宝石は水の嵩を増し、大波を起こしました。


 宝石交じりの大波がまるで兵のように押し寄せます。

「息を止めるキー」

 翔馬のリュックにしがみついたサルボーが叫び、数秒後に大波が翔馬たちを飲み込みます。

 流されながら、不意に水を飲み込んでしまい、息ができないことを畏怖するのです。

絶望の中、波に押しやられた翔馬の手に一本の木が引っかかり、眼を開けると辺りはまるで一面のステンドグラス。降り注ぐ光が死の恐怖を払拭してしまうかのようでした。



 波が引き、陸に流された翔馬は思いっきり息を吸い込みました。

「サルボー無事か?」

 リュックから出てきたサルボーは呼びかけには応じず、話し始めます。

「勇者様を探すキー」

 サルボーが海岸を指さしました。


 木々の間を縫うように走り、息を切らせて辿り着いた浅瀬の水位は変わらず、大波は幻だったかのよう。しかし、焦点が合うと足は震え、何者かの守りを欲する手は若木に縋るしかありません。

「あれが海の王ダキー」

 宝石と水を巻き上げ、水面に浮かび上がるのは巨大な人型でした。身体の大部分は完成しており、翔馬が恐れに囚われている間に頭が形成されて、高さは十メートルを優に超えていました。

「サルボー……」

 弱音を上げる翔馬にサルボーは海を見つめ声を発します。

「勇者様ダキー」

 フリオは岩の上に立ち、海の王と尚も対峙しています。ずぶ濡れの身体からは気力が削がれ、ただ使命感が彼に武器を握らせるのです。

「……」

 絶望に声を奪われた翔馬、それはフリオも同じだったでしょう。

「勇者様を助けるキー」

 サルボーはリュックに入り込みました。



 宝石でできた眼が輝いたかと思うと握られた拳が頭上から降ります。

「くっ……」

 躱すことはできますが、フリオには勝算がありません。続いてもう一方の拳が地面を揺るがします。

「どうすればいいんだ」

 無数の煌びやかな石と透き通る水が渦巻く身体は幻想的でいながら近づき難く。フリオの周りには敵意が窪みとなり現れます。

 刃先は戦うものさえ見失い地を彷徨う状況でしたが、勇者は諦めません。拳を避けながら、番狂わせを狙います。

 一際、輝く石を見つけたのはそのときでした。

「あれだ!」

 王の心臓部分には太陽のような宝石。



 リュックを降ろしてみるとサルボーが「早く開けるキー」と急かします。リュックの中を覗くと真っ先にサルボーが飛び出てきました。びくりとした翔馬はさらに驚くことになりました。

「この本は?」

 取り出した分厚い本はお気に入りの漫画ではありませんでした。

「それは魔道書ダキー。もう一つ大事なものがあるキー」

 示されたリュックを再び探ります。

「おぉー」

 重みのある銃は決して水鉄砲ではなく、感嘆に支配され言葉は出てはきませんでした。

「それで勇者様を救ってほしいキー」

 懇願する小さな身体は追いつめられる勇者を見つめます。

「これで勝てるの?」

 翔馬の問いに答えは無いようでサルボーは話すことを躊躇いました。

「そっか、でもどうにかするよ」

 握った回転式拳銃と抱え込んだまっさらの魔道書を手に、浅瀬に飛沫を散らしながら走り出しました。

 銃には六発の弾丸が既に装填されており、眼の前にそびえる海の王へ銃口を向けます。

‘パンッ’

 乾いた発砲音は一発。銃口は反動で宙まで上がりました。着弾は確認できず、巨大な人型はフリオに拳を振るい続けます。

 引き金を引いた自身が発砲音と反動に全身が脱力します。

「違うキー。それは二つで一つの武器ダキー、トリガーを引いただけじゃ弾丸は発射されないキー」

 サルボーは抱え込まれたままの魔道書を指さします。手頃な岩に魔道書を置くとサルボーがページを捲り始めました。

「この魔法を使うキー」

 開かれたページには‘突風を巻き起こすマジックバレット’と書かれていました。魔法の難しさが星で表されており、星が一つの初心者向きでした。


 距離を置き、巨岩の上で王を見据える眼はただ一点を見つめます。サーベルは鞘に収められ、手持ち部沙汰になった手は強く握られていました。

 巨体の歩みは遅くとも一歩が大きく、みるみるうちに距離は縮まります。海の王が巨岩もろとも砕く勢いで拳を振り上げました。

「ここしかない!」

 岩は石となり、地響きが辺りに響きます。海の王めがけて飛び込んだフリオは渦を巻く王の身体に半ば飲まれながらも、太陽のように輝く宝石に手を伸ばしました。渦の流れは強く、前に進み辛いですが、少しずつ心臓部分に近づきます。

 眩しい宝石に手が届くかと思い手を伸ばしますが指先は水を掻いただけ。もう一度と手を伸ばしたとき、水流が変わり勇者の全身に不自然な圧力がかかります。

 気が付いてみればフリオは王の手の中にいました。掴みかけた輝きは遠く、握られた拳は力を増していきます。望んだものは遥かに遠いものだったのです。

「マジックオブガスト!」

 大海に轟くのはもう一人の勇者の声。放たれた弾丸は風を纏い、気体さえも切断する勢いで王の腕に着弾しました。

 途端に破裂音。突風が水と宝石を四方八方に蹴散らします。失った腕を嘆くように天を仰ぐ海の王。

「今だったら」

 一直線に駆け込むフリオ、サーベルの刃先は王の下へ。フリオは上体を捻じらせると手首を翻します。切っ先の軌道は横一線。

 切り口から流れるのは滝のような水。片足では支えきれなくなった体躯は仰向けで崩れ落ちました。


 しばらく水面に抵抗するように形を保っていた巨体は大海と同化し、静けさに包まれました。

「やった! すごいや勝ったんだ!」

 その場で飛び跳ねる翔馬とは裏腹に怪訝そうに浅瀬を凝視するフリオ。

「おーい、フリオ!」

 手を振る翔馬が走り出したときでした。

「まだだ!」

 フリオは水面を見つめたまま叫びました。

 宝石を含んだ不自然な水流がそこにはあり、フリオに近づいたところで水面から飛び出したのは拳。

「一体どうなってんだ」

 背後に跳躍し回避するも絶望は闘志さえも削ぎ落とすのでした。

 間髪入れず、もう一方の拳が地面を殴りつけます。

「一体どうすれば……」

 宝石を纏い身体を再構築する海の王に希望を閉ざされたフリオは後ろに躱すだけで攻め込むことを忘れてしまったようでした。

「マジックオ――」

 呪文を遮ったのは肩に乗ったサルボーでした。

「弾はあと五発しかないキー、吹き飛ばしても、きっと再生するキー」

 翔馬は銃から魔道書に眼を移しました。


「これは?」

 開いたページには‘着弾点から半径およそ五メートルを消失させるマジックバレット’と記されていました。

「星も見るんダキー」

 サルボーは肩で飛び跳ねながら言いました。

 星は五つ。効力から考えても、ついさっき魔法を扱い始めた翔馬が使えるはずはありませんでした。


 何度、降り注ぐ拳を躱したのでしょう。時折、現れる隙にサーベルを振り下ろしますが意味は無く。

「っ!」

 抉られて窪んだ浅瀬に足を取られ、尻餅をつきます。

「フリオ!」

 翔馬は急いで魔道書のページを捲ります。

「よし、これで」

‘真水を凍らせるマジックバレット’のページ、星は一つ。銃を構え、狙いを定めます。

「違うキー」

 再度、サルボーが肩で飛び跳ねます。

「書かれた文章をよく読むキー」

 指で示されたのは小さく書かれた注意書きでした。

“この魔法は零度以下で凝固する液体に有効。その他の液体については、中級者向け魔法‘海水を凍らせるマジックバレット’を参照”

「どういうこと?」

 翔馬は意味が解らず首を傾げました。

「だから、その魔法では海水を凍らせることはできないキー」

 頭を抱えて蹲ってしまうサルボーに翔馬は尚も解らないようで考え込みます。

「その魔法では勇者様を救えないんダキー!」

 叫ぶサルボーとは対照的に翔馬は冷静でした。

「救えるよ。この水は真水だから」

 構える銃に戸惑いは無く、海の王を狙います。

「マジックオブフリーズ!」

 踏み出した右足に着弾するや否や、凍り付く王の足。続いて左足にも打ち込まれる弾丸。間髪容れず、銃口は腕に向けられ、発砲音を鳴らしながら、軌道上を直進で駆け抜けると一時で水面は薄氷を纏い、一瞬で空気は水蒸気を降ろしました。

 眼の前で凍り付いていく海の王、既に固体となった片腕に手を伸ばすと、最後の発砲音が鳴りました。

「翔馬」

 呟くフリオは腰を落としたままでした。

「フリオ、早く宝石を!」

 勇者は叫びました。

 氷となった四肢を足場にフリオは一際に輝く宝石を掴みました。


 フリオは持ち歩いていた小さな瓶に太陽のように光を放つ宝石を入れ、紐を通したコルクで蓋をしました。

「フリオ帰ろうよ」

 大きなリュックを揺らしながら、やってくるのは翔馬。

「あぁ、早く帰ろう」

 フリオは凍り付いた海の王を見遣りながら言いました。

「近くで見るほど恐ろしいキー」と言い翔馬の首筋にしがみつくサルボー。

「翔馬、これを受け取ってくれ」

 差し出されたのは取り返した宝石でした。それは心を簡単に奪えるものだったでしょう。

「どうしてぼくにくれるの?」

 翔馬はフリオの眼を覗き込みます。

「それはだな。翔馬が頑張ったからだ」

「翔馬がいたから勝てたんダキー」

 サルボーが口笛を鳴らして祝福しています。

 翔馬の首に紐を付けた瓶を付けるとフリオは歩き出しました。

 フリオの背中が遠くなっていきます。勇者は輝きを追うのでした。



 テラスには大勢の男がテーブルで酒を酌み交わしていました。

 日は地平線に落ちかけて、薄ら月が覗きます。談笑が歓声に変わったのは、そんな茜色の空の下でした。

「よく帰ってきた! ずっと帰りを待ってたんだ」

 店の前に集まる出迎えにフリオは頭を下げました。テラスでジョッキを片手に「あんたがヒーローだ!」と叫ぶ男。

「初めて会ったときからお前はやる奴だと思ってた!」

 フリオの肩を叩きながら、大げさに笑う男。

「いいや、ぼく一人では取り返せなかった。みんなのお蔭だよ」

 フリオは心の底から笑い合いました。

「ねぇ」

 一人蚊帳の外になった翔馬はサルボーを呼びました。

「何ダキー」

 翔馬はリュックから銃を取り出します。

「この弾はどうやって作るの? またフリオと戦いたいんだ」

 魔道書も手に取り、尋ねます。

「作り方は知らないキー、それにもう戦う相手もいないんダキー」

 翔馬にとって、それはあまり楽しくない答えでした。海の王との戦いは苦しいものでしたが、フリオと共に勝利を手にしたのは最高の喜びだったからです。

「そうなんだ、もうフリオを助けられないのか」

 翔馬は魔道書のページを無作為に捲ります。

開かれたページは‘着弾点から半径およそ五メートルを消失させるマジックバレット’使えなかった、使うことの無かった魔法でした。


 走り出した翔馬は窯の前までやってきました。もう一度、魔道書に眼を通し、弾丸を使い果たした銃を構えて唱えました。

「マジックオブヴァニッシュ」

 シリンダーから勢いよく押し出された弾丸に驚く間もなく、着弾した窯は視界から姿を消しました。

「まだ、残ってたんだ」

 消失したことよりも、一発目に不発になった弾丸がシリンダーに装填されたままだったことに驚きます。

「星が五つダキー……」

 背後の声に翔馬は恐る恐る振り向くと、口をぽっかり開いたサルボーがいました。

「発射されないって言ったはずキー……」

 微妙な距離感に吹く生暖かい風。

「おーい、翔馬、サルボー!」

 フリオがこちらに向かっていました。サルボーは慌てふためいて「ばれないようにするキー」と翔馬に呟くとフリオの方に走り出しました。



 翔馬とサルボーは取り留めのない話で窯に眼が行くことを阻止しました。

 店の裏にある扉をノックすると、「開いてる」と聞き慣れた声が返ってきました。扉を引くと変わらずロッキングチェアに腰を預けるベロニカと眼が合いました。

「お帰り」

 微笑は全てを知っていたようでした。

「取り返すことができた。これで終わりだ」

 フリオはそう告げました。

ベロニカは炎に薪をくべ、立ち上がるとフリオの後ろに隠れる翔馬を一度見つめると「それが宝石?」とベロニカがフリオに尋ねました。

翔馬は瓶を咄嗟に両手で握りしめます。それは、女の人が宝石を集めていることを知っていたからです。

「間違いないよ」

 背を向けたフリオは炎を眺め言いました。

「良かった」

 その瞬間、シャンプーの淡い香りが包み込み、抱きしめられた翔馬の視線は宙を舞いました。

 両手で引き寄せた身体は、たった一つの宝石だったのです。

「本当に良かったね」

 耳元で囁かれた言葉に翔馬は背筋がこそばゆくなりました。

 そしてベロニカはフリオに向き直り、咳払いをしました。

「翔馬、この炎の前に立ってくれ」

 言われるがまま、炎と向き合う翔馬にフリオは続けます。

「この炎に手を入れてくれ」

 途端、翔馬はフリオの表情を確認しますが、とても冗談や貶めようとするものでは無いようでした。

 手を炎に翳すと温かさが伝わります。しかし、近づくとそれは、痛みに変わるのです。翔馬は炎に近づくことを躊躇いました。永い空白は、刻むことをやめた時間の仕業と勘繰るほど。

 ようやく動き出した腕は汗に濡れ、手は赤い炎に触れました。

「熱くない」

 呟きながら、額の汗を拭います。燃え盛る炎の中でも触れる指先は温かいままなのでした。

「どうして熱くないの?」

 炎から引いた手は火傷の一つもなく、当然の疑問が吐き出されます。

「知ったんだ。卑しさも寂しさも愚かさも、そして強さも」

 フリオは炎を見据えたまま話します。

「翔馬のいるべき世界にこの炎は繋がっている。帰るんだ元の世界に」

 フリオは炎に背を向けました。

「今日はやめておくよ。ぼくはもう少しここにいたいんだ」

「今すぐ帰るんだ!」

 翔馬の言葉をフリオは突き放します。

「そんな言い方は無いでしょ」

 ベロニカがフリオの背に投げ掛けますが、フリオは黙り込んでいました。

「ぼくは勇者になりたいんだ。ここにいればまたフリオと戦える、勇者にもなれる」

 翔馬は拳を握りしめ、今にも泣きだしてしまいそうです。

「守るものがあれば、どの世界でも勇者になれるんだよ」

 少しあった沈黙はまるで言葉のよう。

「――置いてきただろう。大切なものを守るんだ」

 サルボーはフリオの肩で勇者を見つめていました。フリオの肩は震えていて、もしかすると笑っていたのかもしれません。

「フリオ、ぼくはもう後悔しないから」

 翔馬は忘れていたのでした。いつの間にか夢に囚われ、あるはずの未練を。

「ぼくは帰って、アニメの続きを観なくちゃいけない」

 翔馬は笑みを含め言います。

「帰らないとみんなも心配するキー」

 同調するサルボーは大げさに立ち振る舞います。

「じゃあ、もう帰るよ」

 炎の中に消えて行く身体を呼び止めるのはベロニカで、翔馬は振り向いて「またね」と小さく手を振るのでした。それはいつかの勇者だったのでしょう。

 身体の線が失われて、炎は燃え尽きました。




 眼を見開くと眩しくて咄嗟に瞼を閉じます。青空には疎らな雲をときに下敷きとして陽が燦々と大地を照らしていました。

 上体を起こし、無意識に握っていた瓶を眺めると、宝石は輝きを失ってくすんでいました。それがフリオの求めていたものだと思うと少し寂しい気分になりました。

 眼の前には川が流れ、対岸には山肌が立ちふさがり、その上には道路が舗装されていて車がガードレールを隔てて行き来しています。

 ガードレールを超えて落っこちたことを思い出し、辺りを見回しました。小石が堆積している川岸に、翔馬の自転車がありました。翔馬は自転車を押しながら、足場の悪い川岸を歩き始めました。


 家に着いた翔馬は扉の前で鍵を探していると「ちょっと、来て!」と瑠璃が慌てた様子で話しかけてきました。

 瑠璃の家に来た翔馬はいつもと違う瑠璃に違和感を覚えながら後を追います。立ち止まった庭先にあったのは赤いレンガを積んで造られた窯で、翔馬は言葉を失いました。

「これ、見て」

 こんがりとしたいい匂いは辺りに遠慮無く広がっていました。

「きっと、おいしいものが入ってる」

 眼を輝かせて瑠璃は言いました。

「なんか、ごめん。このか――」

 窯を横目にやっと口を開くと咄嗟に瑠璃が「いいよ、そんなこと」と切り出しました。

 その誠実さに全てを見透かされ、一人混乱する翔馬。

「結局、先生に怒られるのは翔馬だもん」

 その言葉は翔馬には届かず、混乱が解けるまでに少し掛かりました。




 フリオとベロニカはテラスの扉を開けました。店は薄暗く、きちんと並べられたテーブルとチェアがこのときだけは、業務的な冷たさを感じるのでした。

「辛い思いをさせて、ごめん」

 フリオは向き合ったベロニカに頭を下げました。

「今でも、私は良かったと言える。もう後悔なんて無いでしょう?」

 答えは‘良かった’そのはずですが、深く信頼していても、そんな言葉は喉元で支えるだけでした。


 フリオたちは厨房に歩を進めます。

「誰かいるキー」

 眼を凝らして一点を見つめるサルボー。フリオは鍋をかき混ぜるコックへと歩み寄りますが、コックは何食わぬ顔で鍋に眼を向けていました。しかし、暫くして、立ち止まっていたフリオを気にしたようで「おや、ベロニカをお探しかい?」と声を掛けてきました。

「もう見つかったよ。それとここはもう閉店なんだ」

 フリオの言葉にコックは小さく唸りました。

「そうか、実はまだ窯にできたてのクロワッサンがあってね」

 コックは鍋の火を止め、空焚きしていた鍋を片付け始めました。

「こっちにきて、いいものを用意してるから」

 店の出入り口でベロニカが大きく手を振りながら呼んでいます。きっとそれは砕け散った自分のための幸せだったのでしょう。


 このときばかりは、自身の余りある幸福を責めるのでした。

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