Be covered
セイムウッドの山々から花の彩りが一掃される冬の始まりになると、ここいら一帯は狂ったように豪雨が降り続ける。
俺がその雨音に聴き入りつつ、グラスを拭き上げながら疑問に思うことは、なぜセイムウッドの山の土や岩は毎年大規模な土砂崩れを起こしているにもかかわらず尽きることがないのかということ、そして、もし神サマが天気を決めたのなら、何故よりによってこのクソ寒い時期に俺の故郷にこんな大雨をよこすのかということだ。
このクソ雨のせいで俺が切り盛りする酒場は商売あがったりだ。
1日だけというならまだしも、今年はすでに5日間連続の記録的土砂降りときたもんで、村全体がちょっとした沼地になってしまっている。
こんなしみったれた天気の日に好んで外に出ようとする人間はいない。
この時期はロクに外を出歩けなくなることを村人は知っている。だからみな冬ごもり前のグリズリーよろしく、必要なものはあらかじめ買い込んで家に引きこもる。
それが賢いやり方だと誰もが思う。
俺だって売り上げが見込めない日は店を閉めて一日中お気に入りの空想小説を読みふけったりしていたい。
ただ問題なのはこの村にいるのは賢い人間ばかりではないということだ。
相手がただの馬鹿なら無視を決め込み、間違っても店を開けるなんてアホな真似をすることもないのだが、困ったことにそいつは無類の酒好きで、酒場が開いてないとなると俺の店に火を付け、蒸発したアルコールで酔おうなどと画策しかねない大馬鹿野郎ときている。
さらに厄介なことに俺は空想小説を読むよりもこいつと語り合っていることの方が好きなので、より一層たちが悪い。
その馬鹿の名をカーティスという。
セイムウッド山周辺一帯に住んでる人間で知らぬ者のいない凄腕のガンマンであり、今まさに俺の酒場の入り口を泥まみれにしている男だ。
「ようニコル、バーボンを一杯頼む、それとチーズだ。悪いが今日はつけてくれ」
入り口からバーカウンターへと続く泥の道を作りながらカーティスがしゃがれ声で注文をよこす。
「『今日は』だって?俺はお前が誰かに金を払ってる姿を生まれてこのかた見たことがないぞ」
「今、とてつもなくデカいエモノを狙っている。そいつを仕止めたらその懸賞金をお前に全部やるよ」
これがカーティスのいつもの言い訳だ。
カーティスはカルドナ州に住んでる人間で知らぬ者のいない凄腕のガンマンだが、こいつの伝説と言えば、音速で滑空する燕の一家を生まれた順に撃ち落としてみせたとか、ホーク爺さんの水牛の尻尾にできたイボを100メートル先から撃ち抜いただとかそんな与太話ばかりで、どこぞの賞金首を引っ捕らえたという話は聞いたことがない。
「一応聞くが、今度は誰を追ってるんだ?」
「ケビン・アルバート」
そう言ってカーティスが店の掲示板を顎で指す。まだ日に焼けきっていない新しい手配書にその名は記されていた。
ケビン・アルバート。都市部で連続的に銀行を襲い、未だに捕まらない前代未聞の大強盗。その首にかけられた賞金は5000万。ここ10年の懸賞金で、恐らくは最高値であろう。
「また大きく出たもんだ」
「小金をチマチマ稼ぐのは性に合わないんでね」
カーティスはグラスを飲み干し、次の一杯を催促する。
こいつが狙うと宣言する賞金首は決まって、その時点での最高金額を掛けられている人間であった。
そしてこいつが狙うと言った賞金首は、なぜだか決まって一週間以内に捕まるのだが、俺の店のツケが払われたことは一度もない。
「期待せずに待ってるよ」
俺はカーティスのグラスに新しくバーボンを注ぎ、続けて小振りのグラスにラム酒を注いだ。
そのグラスを今まさに店先にやって来た濃い化粧の女に見せながら、これでいいか?という素振りをしてみせた。
「ええニコル、雨の日に飲むあなたのラム酒よりも素晴らしいものなんてないわ」
「ラム酒なんざ子供の飲むもんだぜ、ヘザー」
「普通のラム酒ならね、でもニコルのラム酒だけは絶品だわ」
ヘザーはカーティスをあしらいながらその隣に腰を下ろした。
「カーティス、あなた今日もツケなの?」
「それだけがこの店のいいところだからな」
「失礼な男。ねえニコル、あなた一度でもカーティスにお金を払ってもらったことがあった?」
俺はやれやれといった表情でかぶりを振った。
「こいつが今までのツケを払ってくれたなら俺は今ごろ都市部の一等地で女を侍らせながら昼間からシャンパンを呷ってるよ」
「ふん、都会嫌いがよく言うぜ」
「ああそうだな、お前がツケを払わないお陰で俺は都会に行かずに済んでるよ」
俺は嘆息混じりにカーティスに返す。
確かに俺は都会というやつが好きになれなかった。都会の持つ華やかさや喧騒に決して魅力を感じないわけではない。ただ、その根底にある金を至上とする価値観がどうにも俺は受け入れ難かった。あらゆる技術や才能は生活の中にある善きものとして認識されることがなく、金を稼ぐことによって初めて認められ、尊敬される。都会の中で都会らしく「洗練」されなければそこにあることを許されない。
利口な生き方しか選択を許されないなら、この肥溜めのような村で自由に生き、自由に死ぬ方がいい。麓の村の連中がドゥーキーから逃げないのもそんな理由だろうか?
ドゥーキーとはセイムウッドの麓の村に伝わるおとぎ話に登場する怪物の名だ。
冬の到来を告げる土砂崩れに由来する土のモンスター、転じてセイムウッドの山で起こる土砂崩れの名称にもなっている。
麓の村の連中も俺のように都会が嫌いで、だからドゥーキーに襲われることをよしとしているのか?
「あら、ニコル考え事?」
どうにも俺は人前で物思いにふけるクセがある。
「ああすまん、ヘザー、ちょっとな」
「一体何を考えてたのニコル?聞かせて」
「下らないことさ、ドゥーキーについて考えてた」
「ドゥーキー?あのセイムウッドの怪物の?」
「ニコル、お前の空想好きは相変わらずだな」
「いやなに、何故麓の村の奴らはドゥーキーから逃げようとしないのかと思ってね」
「そうねえ、やっぱり住み馴染んだ場所を離れるのは嫌なんじゃないかしら」
「まあ、そんなもんか」
「確かにそれは正解だ。ただし半分だけな」
カーティスが顎髭をさすりながら、帽子を脱いだ。こいつは酔いが回ってくると決まってこの一連の動作をする。
帽子をグラスの横に置き、カーティスが続ける。
「人間が最も幸せを感じられる状態とはなんだと思う?」
酔うと妙に哲学的な話をし出すのもこいつのクセの一つだ。
いや、男とは全員そういうものか。
「幸せねえ、やっぱり素敵な旦那さんと子供がいて、慎ましくも健やかに暮らせることじゃないかしら?」
ヘザーはカーティスにそんな答えを返す。そしてチラリと俺に一瞥をよこした。
「そんな具体的な話は聞いてねえよ、俺はあらゆる人間に共通する幸せをきいてるのさ」
「そんな、みんなが幸せになるなんて都合のいい話あるのかしら」
ヘザーがお手上げよといった意味合いのジェスチャーをし、カーティスがお前はどうなんだと俺に尋ねる。
「人は幸せを追っている瞬間こそが真に幸福だ」
だろ?と俺はカーティスに返す。カーティスは右の口角を上げ満足そうに笑う。確か以前にも似た話をカーティスとしたことがあった。
「そうだニコル、人間望みを叶えちまったらお仕舞いよ。自分が求める幸せを想像し、そいつに向かって走っているその瞬間こそが最高に楽しいのよ」
なにそれ?とヘザーが呆れ顔になる。
「麓の村の連中も無意識的か否かそれを分かっていやがる。ニコル、お前は実際にあの村に行ったことがあるか?」
俺はかぶりを振る。
「いや、ここから眺めたことがあるだけだ」
「俺は以前近くに用があった時に立ち寄ったことがある。自然が豊かないい村だ。のどかで平和、おまけに酒も美味い」
「正に幸せそのものじゃない」
「ああ、そうだ。だがここでドゥーキーだ。毎年土砂に飲まれて死ぬやつが何人いるか知ってるか?10人以上だ。毎年10人以上の奴らがこの時期に死んでるのさ。あの小さな村で10人も死者が出れば一大事だ。だが、奴らはあそこを離れようとしない、楽園から離れたくないからというだけじゃねえ、ドゥーキーがいることがちょうどいいのさ。ドゥーキーが楽園を完全な楽園にしないからこそ奴らは留まり続ける。村の連中は口々にドゥーキーさえなければここは本当に天国だと抜かしてやがった。そして二言目にはいつかきっと土砂崩れが収まる日が来るだろうとほざくのさ。
あいつらはいつか村が真に楽園になると思っていやがる。そして、その真の楽園での生活を毎日夢見るのさ。自分だけはドゥーキーに襲われないと油断しながらな。」
「それが、幸せだっていうの?」
「これが幸せ以外のなんだというんだ?奴らには夢想できる輝かしい未来がある。希望を胸に生きていける。途中でくたばったとしても残った人間がきっと達成してくれる。そう思えることは幸せだ。そうだろ、ニコル?」
カーティスの語る幸福論は、俺の幸福をまさしく代弁していた。だがヘザーがいる手前、俺は曖昧に頷いた。
俺はヘザーに惚れている。
彼女はこの村で娼婦をやっている女だ。そんな仕事をしていながら無邪気な心を失うことなく、化粧の上からでも分かる彼女の少女の面影に俺は惹かれていた。
そしてヘザーも恐らくは俺に惚れている。彼女自身から愛の告白を受けたことはないが、彼女の仕草、その一挙手一投足に俺への好意が見え隠れしていた。
それは心から喜ばしいことだ。この掃き溜めのような村でこんなにも純粋な心で恋に落ちることができるなんてまさに奇跡だと思う。
だが俺はカーティスと同じく幸せを目の間にぶら下げられた状態こそが真に尊い幸せであると思う。
だから俺はヘザーの好意に応えないし拒絶もしない。それが今の状態を継続していくための最善のやり方だと思う。
もしくはヘザーとカーティスがくっつけばいいなどと考える。2人が一緒になることは今の関係を終わらせることがないように思えるし、ヘザーの結婚願望も叶う。
「でも私はやっぱり幸せを手にしたいわ。白馬の王子様とは言わない、少しだけでいいからロマンチックで知的な人、そんな人と結ばれたいわ」
ヘザーが再び俺をチラリと見る。照れたような少女の眼差し、可愛らしくそれでいて幾多の経験を経た女の瞳。
彼女にこの目で見られて心が揺らがない男がいるのだろうか?まあ、カーティスは揺らがないだろうが、こいつは例外中の例外だ。
「いつか現れるさ、まあ、今この村にいる奴らではないだろうが」
俺は心を殺しながらヘザーのアプローチをかわす。自らの幸福論に縛られて目の前の幸せを逃すとは、俺はなんと愚かな人間なのか。
それにしてもヘザー、ロマンチックで知的というのが俺の事なら、男を見る目がないにもほどがあるぞ。
「おいヘザー、結婚なんかするもんじゃねえぞ」
カーティスが茶化す。
「何よ、まるで結婚したことがあるような言い草ね」
カーティスは豪快に笑って続ける
「俺が結婚だと?馬鹿を言うんじゃねえよ。いいか?さっきから言ってるが幸せは手に入れられるかどうかのギリギリがいいのさ。お前が王子様との逢瀬を夢見てんなら、そうやって夢を見ている今が一番幸せなのさ」
「もういいわよ、その話は」
「いいかヘザー、そしてニコル、俺は誰よりもこの村が好きだ。この腐りかけの村が大好きだ。腐りかけがいいんだ。新鮮でもなく腐り切ってもいない、この絶妙に腐りかかっているのがいいんだ。だからお前らも腐りかけを楽しめ。これ以上腐らずに、そして鮮度も求めずに今のままであろうとしろ。お前らはうだつの上がらない人生を歩んでいると思っているかもしれんが、今この瞬間こそが人生の絶頂だ。妥協や諦めじゃない。ここの村の連中は誰もが認める幸福の最中にいるんだ。そしてそれはこれからも続く。少なくとも俺がいる限りはな。俺がお前らをずっと腐りかけのままでいさせてやる。」
そう言うとカーティスはカウンターから上半身を乗り出し、俺の手元にあるバーボンのボトルをひったくり瓶から直接酒を飲み始めた。
こいつが酔った時の癖がもう一つある。それは決して噓をつかないことだ。確かにこいつは俺たちを腐りかけの状態にしてくれている。俺はそれを知っている。
「だからニコル、その代わりと言っちゃあなんだが、これまでのツケは払わないぞ」
そしてこいつはこの宣言通り今までのツケも、そして今後のツケも払うことはないのだろう。そして俺はそれを分かり切ったうえでこいつにツケを催促するのだ。この腐りかけの酒場で。