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時速1670kmの観覧車

作者:鯨井あめ
「かんぱーい!」

右端に座る元気な智也の掛け声に合わせ、3人の女の子と、俺とひびきがビールジョッキをテーブル中央でぶつける。
一口飲んだ。
智也が「ぷはあ!」と豪快に、でも満面の笑みで、半分ほどジョッキを空にする。見てるこっちがスッキリする飲みっぷりだ。

「いやあ、しっかしカワイイ子ばっかりだよな! もう見てるだけで酔う! なんでそんなにみんなカワイイの?」

女の子3人はそれぞれ、「やだー」「うふふ」「あっはははは」と笑った。
もう酔ってんのかよ、と思われても仕方のないセリフを恥ずかしげもなく吐けるのは、智也のすごいところだ。だからといって尊敬はしないけどな。

「さっそく自己紹介いこうぜー。俺は飯田智也いいだともや。俺らは同じゼミの大学3回生! 来年からは、本格的に同じ研究に没頭する予定。進学できたらな!」
「やめろよ智也、縁起でもない」

響が窘めて、俺も「そうだな」と同意する。

「単位的にいちばんやばいのおまえだからな」
「もー大樹クンったらー、」智也が両手を顔の前で握った。「こんなすてきな席でそんなこと言わないのー!」

裏声なのが余計と腹立つな。

俺の隣で、気を取り直して響が会釈する。

島田響しまだひびきです」

俺も「うす」と頭を下げた。

松下大樹まつしただいきです」

智也の正面に座る茶髪ボブカットの女子が、「はいはーい」と手を挙げた。

「わたしは佐藤夏美さとうなつみ。同じ大学3回生で、わたしの隣が――」

佐藤さんの隣に座っているのは、ロングヘアを編み込んだふんわり系ファッションの女の子だ。彼女はにっこりと笑って、佐藤さんの言葉を継いだ。

木橋きばしあやねです。で、」

その隣、つまり俺の正面に座っている女の子は、ロングヘアをきつく後ろで束ねていて、毛先に銀のメッシュを入れていた。彼女も木橋さんの言葉を継ぐ。

七島琴葉ななしまことは。よろしく」

七島さんはすでにジョッキのビールを飲み干していた。
智也が「いい飲みっぷりだね、七島ちゃん!」と馴れ馴れしく煽ると、彼女はニカッと男勝りの笑みを浮かべた。

「いやあ、あたしビール好きなんだよね!」
「俺も俺も! 今日は初対面だけどさ、ガンガン楽しんじゃおうぜ!」

響が少し恥ずかしそうに「そうだな」とうなずいた。俺も「だな」と言っておく。

俺は人数合わせで急遽呼ばれた身だが、今日の支払いは智也に任せていいそうだ。バイトがない休日に出てきてくれたお礼だという。
楽しんでバチは当たらないだろう。

「佐藤ちゃんたちは、どういう関係?」

智也が「俺らはゼミ生だけどさ」と付け足して尋ねる。
佐藤さんが「高校から仲いいグループなんだよね」と身を乗り出して答えた。

「わたしら進んだ大学は違うんだけどさ、みんな東京に進学だったから、定期的に会ってたら、今日まで続いちゃって」
「え、じゃあ佐藤ちゃんも木橋ちゃんも七島ちゃんも、地元はここじゃないんだ?」
「うん、茨城」
「隅っこの田舎だよぉー」木橋さんがケラケラ笑って補足する。
「えー、じゃあ東京出てきて大変だったっしょ!」
「はじめは慣れなかったよねぇ~。電車とか」
「あー、慣れなかったね。何度も遊びに来てたけど、住むのはまた違ったし」
「朝の人の多さにびっくりだよねぇ!」
「琴葉はじゃんじゃん出かけてたけどね」

佐藤さんに話を振られた七島さんは、「ん?」と眉を上げた。

「あたし?」
「そうそう。地下鉄も行先確かめずに乗って、よく迷子になってたじゃん」
「あー、そんなこともあったっけか」
「でも、ことちゃんが一番早かったよね、駅とか覚えるの」

「そういうもんだよな」智也が相槌を打った。「電車で通学してるんだ? それぞれどこの大学行ってるの?」

さすが智也というか。質問を付け足すあたり、コミュニケーション能力の高さがうかがえる。

木橋さんがとある私立大学の名前をあげた。文学部に所属しているらしい。
続いて佐藤さんが、超名門大学の名前をあげる。彼女は理学部所属だと言った。研究室配属が終わったところだとか。
七島さんは芸術大学の名前をあげた。絵画を専門にしているということはわかったが、芸術方面にてんで向かない俺には、彼女が何を言っているのかよくわからなかった。

七島さんはさっぱりとした美人だったが、彼氏を求めて合コンに来たふうには見えない。

俺と似たようなものだろうか。

この合コンは智也が幹事だ。やつの軽いフットワークと広いネットワークにより計画されたイベントなのだが、その目的は響の彼女づくりだった。
先月、2年付き合っていた彼女に「あんたよりも好きな人ができた」と一方的にフラれて以来、響は目に見えて沈んでいたのだ。
これではいかんと立ち上がったのが智也で、本来は智也と響ともうひとりの男で合コンに赴く予定だったそうだ。
しかし、そのひとり――先輩だったらしい――がドタキャン。というのも、その先輩は彼女持ちであり、なおかつ浮気癖があったらしい。合コンのことを知った現彼女にマジギレされたようだ。頬にきれいな紅葉を咲かせたとか。……まあ当然と言える。
そういうわけで、俺はフルタイムのバイトとフルタイムのバイトに挟まれた休日をつぶし、この飲み屋に来ているというわけである。
彼女を作る気はない。

七島さんも人数合わせなのかもしれない。

「すみませーん、ビール追加で!」
「あ、わたし梅酒で!」

個室の前を横切った店員を呼び止めて、入口にいちばん近い智也と佐藤さんが注文を追加する。
響が手を挙げた。

「俺も、生」
「おっ、響いくねー!」智也が煽る。

俺も手を挙げた。「カシスウーロンお願いします」
「あ、あたし生!」七島さんが大きな声で言う。
「わたしもカクテル。カルピス割りの、これで」木橋さんがメニューを指差して控えめに掲げた。
食べ物はまだまだあるので、追加する必要はないだろう。

店員が「以上ですか?」と確認を取って去っていく。

「飯田くんって、高校のときクラスにひとりはいたタイプだよね!」

佐藤さんの言葉に、智也はお冷を飲みながら「よく言われるー」と返した。

その隣で、響が残っていたビールをゴクゴクと流し込んでいる。

黒縁眼鏡で一見マジメそうに見える響だが、こいつは酒が入れば笑い上戸なのだ。そのギャップで今まで何人もの女を落としている、罪深い奴なのである。

がんばれよ、響。
正直、彼女にフラれた後のおまえは見てられなかった。
「結婚したいんだよね」と毎日惚気を語っていたのだ。そのショックたるや、度し難いものだったろう。
実際のところ、俺は響がそのまま自殺してしまうのではないかと思ったほどだった。

彼女はできなかったとしても、全部忘れて元気になってくれよな。


   ◆


「え、じゃあ、智也くんは研究職目指すんだ」

佐藤さんのはっきりとした声に、俺はハッとなった。まどろんでいたらしい。もともと酒に強くないので、すぐにぼんやりしてしまうのだ。
智也が「おう」とはにかんでいるのが、横目に見えた。

「大学院まで行くつもり。今の研究テーマ、結構好きなんだよな」
「えー、いいなー。わたしなんて、行きたかった研究室にじゃんけんで負けて入れなくなくてさー」
「じゃ別の大学院に行くの?」
「まっさかー。せっかく頑張って入学したのに、もったいないでしょ。日本一の研究できるんだし、内容は興味なくても、やってるうちに好きになるかもしれないじゃん」

何やら小難しい話をしている。

智也はあんな性格をしているが、バリバリの理系人間だ。
ババ抜きでカードを引くみたいにゼミを選んだ俺と違って、あいつはやりたいことがあってそれに向かって努力している。
理系の専門科目に向かいすぎて、英語の必須単位を落としそうになっているのだが。

「マジメな会話してるな」

俺が声をかけると、ふたりは「いやあ」と照れた。

「合コンやってみるはいいけど、理系気質って抜けないよね」

佐藤さんわざとらしく首をすぼめる。

「これで何度もだめにしちゃってるんだよね。もう語っちゃう語っちゃう」
「研究者って一種のオタクだもんな」
「それ言える。いや、東京出てきて、ちょっとは大学生らしいことしようって思ってたのにさー」
「あー、わかるわかる。海外旅行とか行ってみたりな」
「智也くんどこか行ったの?」
「東南アジアはだいたい制覇した」
「うっそ、すごい」
「ちなみに北海道もバイクで一周した」
「え、やばいね」
「夏美ちゃんは?」
「ひとりで奈良と京都行ったよね」
「あーあるある! 日本ってやっぱいいね、みたいなやつだろ」
「そうそうそれそれ」

盛り上がってんな。

反して響は机に突っ伏していた。

「俺さあ、その、あれだよ。付き合ってた彼女がさあ」

うわ言のように呟いている。
おまえ合コンでそれはどうなの、と思ったが、正面に座っている木橋さんが手を伸ばして響の肩を叩いた。

「元気だしてぇ、響くん。きっといいことあるよぉ」

ふたりとも強かに酔っている。
俺の意識がフェードアウトしかかっていた間に、どれだけ飲んだんだ。

「響はさあ!」突然智也がぐるんと首をまわし、響を見た。

「おまえは就活するとか言ってたじゃん。進学しないのかよ」
「しないよ……」

蚊の鳴くような声で響が答える。

「俺は……、立派な会社員になって……、給料がっぽり稼ぐんだ……」

以前、響は一軒家を両親にプレゼントしたいと言っていた。
それを俺が茶化しながら言うと、俺の正面で七島さんが「親孝行考えてるとかすごいね」と流暢にしゃべった。彼女の前には空のビールジョッキがある。何本目だろう。
この人ほんとに酒に強いんだな。

びっくりしながらも、俺は「ジョッキ、片づけます?」と声をかけて、彼女のジョッキを智也に渡した。智也が通路近くに置く。

俺がうとうとしている間に、追加注文をしていたらしい。やって来た店員が、ジョッキを入れ替えて戻っていった。

智也と佐藤さんと七島さんが、新しい酒を片手に持った。
俺のカシスウーロンは、まだ3分の1ほど残っている。

「いやあ、でもさ、大学3年の冬なんて悩むことだらけだろ」

なにがでもさ、なのかは不明だが、智也の意見にその場の5人がうなずいた。

初対面だというのに妙な連帯感を見せているのは、酒の力もあってのことだろう。
いや、主催者である智也と、女子メンバーを集めた佐藤さんはもともと意気投合していたのかもしれない。

「高校から仲いいとか言ってましたけど、みなさんこのまま院に進学なんですか?」

俺の質問に、木橋さんが「なっちゃんは進学だよねぇ」と言う。

「木橋さんは?」
「わたしは就職するつもりぃ。説明会もそろそろ始まるし、準備しなくちゃ〜。でも就職って、東京離れるかもだよねぇ〜。さーみしーなぁ〜」

若干舌足らずなのが気になる。顔が赤い。だいじょうぶか?

「ことちゃんはぁ?」

七島さんは「あー」と言いながら、「まあ、絵で食ってくよ」と肩をすくめた。

「このご時世、芸術系でやってくって大変だけどねー」
「ですよねぇ」

思わず同意してしまった俺は、ハッとして口を閉じた。
七島さんが瞬きをして俺を見る。

「え、松下くんも絵とかやってんの?」

智也が「そいつはね」と少し声を大きくして言った。

「役者の卵なんだよ」


   ◆


高校時代、演劇部に入った。

もともとドラマが好きで、映画好きの母親の影響もあってか、演技というものに興味を抱いていた。
俺はわりと真剣に部活に打ち込んだ。
演劇部は文化部かもしれないが、体力づくりや声出しは運動部と大差ないくらいやる。遊び半分で入った新入生には音を上げるやつも多かったが、俺は最後まで食らいついた。
そのおかげか、コンクールにも出演させてもらい、しかもそこそこいいところまで行かせてもらったのだ。

3年生になり、部活を引退してからも、演劇が俺の頭を占めていた。

大学進学では、得意だった物理を生かして東京の私立大学の理学部に合格したが、やはり演技のことが頭から離れない。
大学に入ってすぐ、演劇サークルを探した。
都会の大学はすごい。大きな演劇サークルが3つもあった。
俺はその演劇サークルから、自分の目で舞台を見て、最も気に入ったサークルに入った。

そして、忘れもしない。あれは2回生の6月のことだ。
それなりに有名なコンクールに出場した我がサークルは、優秀賞を受賞したのである。
その時の嬉しさは表現できないほどだ。今思い出しても感極まる。
仲間とともに「今日は飲み会だ!」と感涙して抱き合っていたら、スーツを着た男の人が俺の元へやってきた。
俺はその舞台で脇役をつとめていた。決して目立つ役柄ではなかったし、主役に比べたらセリフなんて微々たるものだった。
それでもその人は、俺に名刺を差し出して言ったのである。

「本場の俳優業に、興味ない?」

ないわけがなかった。


   ◆


「えっ、役者!?」

佐藤さんの声が裏返った。

「すごいじゃん! テレビとか出たことあるの!?」
「いやいやいやいやいやいや」

俺は顔の前で必死に手を振った。

「そんなんじゃないですって。卵です、卵。一応事務所と契約はしましたけど、今は研究のほうが忙しいし、来年なんて卒業研究あるから、芝居は無理ですよ。実質、ただの大学生ですって」

オーディションも1年くらい受けていない。
2回生の後半から忙しくなってきたので、自主的な活動休止状態だ。

「えー、じゃあ、大樹くんは俳優になるんだ!」

佐藤さんの上ずった声に、木橋さんが眠たそうな目で俺を見た。

「すごいねぇ。よく見ればイケメンだもんねぇ」
「たしかに!」
「いまさら言われても」

苦笑しておく。
俳優には、たぶんならない。

「俺も悩んでるんですよねー」

冗談交じりにそう言えば、佐藤さんは「またまたー」と茶化して、木橋さんは「テレビとかネットとかチェックしとくねぇ」とこぶしを握った。
そんな女の子ふたりに、智也が「俺も応援してくれよー!」とわざとらしく机に突っ伏す。響はすうすうと寝息を立てている。
やはり、酔いが回るとみんな陽気になるようだ。

「悩んでるんだ?」

素面に近い七島さんだけが、俺をちらりと見た。
俺も酒が回っているので、「ええ」と普段なら言い出せないことを言ってみる。

「悩んでるっていうか、考えたくないっていうか」
「へえ?」
「事務所との契約も来年で切れるかもしれないんで、そのまま、もういいかなって」
「へー、なんで?」七島さんの目が大きく見開かれた。
「まあ、親から就活どうするのとか言われるようになりましたし、」
「親御さんに俳優のこと言ってないの?」
「言ってないですよ。自慢するのも恥ずかしいじゃないですか」
「やめて、就活するの?」
「そうなるんですかね?」
「俳優したくないの?」
「どうなんでしょうねー。したい気持ちがあるから、契約したんでしょうけど。まあ現実問題、いろいろ難しいですよね」
「……」

七島さんはジョッキを片手で持って、残っていたビールを飲み干した。

「進学はしないんだ?」
「研究内容にあんまり興味ないんで。ただ就活もあまりしたくないんで、迷ってるんですけど、答えもなかなか出ないし。かれこれ半年うだうだしてます」
「俳優ってさ、オーディションとかあるでしょ。ああいうの行ったの?」
「一回だけ。周りのレベル高すぎてびっくりしましたよ。あー、勝てねーってなりますよ、あんなの見たら」
「ふーん」

七島さんはおもむろに立ち上がった。

「あたしちょっと夜風に当たってくる」

「はーい」「ほーい」佐藤さんと木橋さんが返事した。智也が「おー」と言い、響が「ぐう」と言った。

「松下くん、あんたも付いてきてよ」

目が合った俺は、「え?」と困惑しながらも、強引に腕を引かれて立たされた。

居酒屋の外はとうに日が暮れていて、東京の冬空は明るいが寒い。
七島さんは居酒屋横の路地に入ると、「ふー」と息を吐いた。
夜だろうがこの街は眠らないので、人の行き来は休むことを知らない。目の前の歩道を、酔っ払いのサラリーマンたちが拙い足取りで歩いて行った。数軒梯子しているに違いない。

「酔い、冷めました?」

尋ねると、七島さんは「松下くんさ」と居酒屋の壁に凭れて俺を見た。

「なんで続けないの?」
「え?」
「俳優」
「……いや、……」

口をつぐむ。
七島さんの銀のメッシュが入った毛先が、壁と彼女の背に挟まれていた。

「なんで、でしょうかね」
「あたしさ、うだうだしてるやつみると、喝を入れたくなる症候群に罹ってるんだよね」
「なんですかそれ」

笑い飛ばそうとして、俺は笑顔のまま引きつった。
七島さんが含み笑いをしていたからだ。

「な、なんですか?」
「松下くん、うだうだしてどれくらいって言ってたっけ?」

親から就活の話が出たのは、3回生の夏だった。実家に帰省したときだ。「あんた仕事はどうするの」と言われ、そういえば俺は俳優なんだ、と言いかけてやめたのだ。
だって俳優として何も仕事をしていない。それでは俳優とは言えない。
サークルは3回生の秋で引退した。それまでは何度もステージに立ったし、主役を演じたこともある。俺が主役の舞台で賞をもらったことも。
けど、所詮はその程度。
サークルで満足してしまった節はある。それ以上は進めないと諦めている節も。

「まあ、4ヵ月から半年くらいですね」
「その間、何があった?」
「何が……」

サークルの引退式。それから研究室配属、ゼミ、どれも希望はなかったので、余ったところをもらった感じだ。

「特に何も」
「何かした?」
「いや、何かしたって……」

ぱっと思いつくものがなかった。
何かしたはずなのだが、そんなに大それたことはしていないから、自分の記憶にも残っていないのだ。
だってうだうだしてたわけだし。悩んでみても答えが出なかったから。

パン、と七島さんが手を叩いた。

「じゃ、松下くん、今ここで絶望して」

「は?」と返した。「絶望?」

「演技だよ、演技。絶望して」
「はあ……」

たまにいるんだよな。
演劇関連のサークルや部活に所属してるってだけで、「泣いてみて!」とか言うやつ。
ちょっとげんなりしながら、俺は言われた通り絶望してみた。頭を抱えて「あああああ」と唸ってみる。

「違う違う! もっと本気で!」
「はあ?」
「往来とか関係なしに、本気でやってよ!」
「なんなんですか!」
「いいから!」

剣幕に負けて、俺は本気で絶望した。

「次! 悲しんで!」悲しんだ。

「挫折して!」挫折した。

「哀れんで!」哀れんだ。

「自己嫌悪して!」自己嫌悪した。

「悶絶して!」悶絶した。

「世界を恨んで!」世界を恨んだ。

全力でやりきると、それなりに疲れるものだ。
息も絶え絶えになった。

通りすがりの人たちが、また酔っ払いがバカやってるよ、という目で見てくる。気にしない。

俺は自分が思っていたよりも酒を飲んでいたらしい。というか、酒が入っていなければ絶対にやらなかった。

なんで突然こんなことになった?
演技指導をしてくれたのか?

膝に手をつきながら七島さんを見ると、彼女は「どうよ?」と立ったまま尋ねてきた。

「どうって、何がですか?」
「なんか変わった?」
「え?」
「なんか起こった? 時間が遡ったりとか世界が破滅したりとか明日が見えなくなったりとか、あんたの主演映画が決まったりとか」

はあ?

「……」

携帯を尻ポケットから取り出す。通知とニュースを確認。

「してないっす」
「だよねぇー」
「……?」

七島さんはその場にしゃがみこんで、からりと笑った。

「あたしたちはね、松下くん、時速1670㎞の観覧車に乗ってるんだよ」







「時速1670kmの観覧車」

俺は、しゃがみこんで俺よりも小さくなった七島さんを見つめた。
えっと。

観覧車に乗っている?

頭の中に、パレットタウン大観覧車が浮かんだ。
レインボーブリッジからも見えるあの観覧車は、夜になると七色に光る。

乗ったことはない。

「……?」

意味が解らない。
なぜ観覧車が出てきた?

「えっと、七島さん」
「なに?」
「酔ってます?」
「酔ってないんだな、これが。あたしほんとお酒に強いから。まだまだいけるよ」
「……」

俺も、なんとなくその場にしゃがみこんだ。
七島さんと視線の高さを同じにした。
ああ、この顔は酔ってない。頬は赤くないし、目は真っすぐで、何より自信たっぷりだ。酔っ払いには見えない。
路地は薄暗い。それでも彼女の銀メッシュが視界にちらついた。彼女の瞳がキラキラと光っていた。

「あたしたちはね、巨大な観覧車に乗ってるんだよ。それは降り口がなくて、延々と回ってるんだね。何千週、何万週も、ぐるぐるぐるぐる」

七島さんは人差し指を俺の鼻先に突き付けて、ぐるぐると円を描いた。

「あんたが迷ってようが悩んでようが絶望しようが挫折しようが世界を恨もうが、関係なしに観覧車は回ってるのね。お構いなしに」
「はあ」

まあ、乗りながら歌ってても泣いてても、観覧車は勝手に回るだろ。
突然止まると怖いし。

「ただ厄介なのはさ、」

七島さんは肘を膝に置いて、頬杖をついて、目を細めた。

「その観覧車は――、あんたが何をしていなくても、回り続けるってこと」

背後の雑踏がなくなった気がした。

酔いが醒めていた。

俺が、何をしていなくても、観覧車は回る。

「それは、つまり」

背後で大勢の人が行きかっている。
路地に腰を下ろした男女ふたりを気に留める人はやはりいない。いたとしても、声をかけるなんてことはしないだろう。

俺は、つばを呑み込んだ。

「……七島さんは、だから、絵を描くんですか?」

七島さんは「そうだよ」と子供のように、朗らかに笑った。

「あたしは観覧車のゴンドラの中で、絵の具と一緒に景色を見ることを決めたんだ。一周するごとに新しい絵を描く。同じ景色でも違うことを感じたいし、違うイメージを思い描きたい。何もしないでただ回っているのはごめんだから」

ぐ、と彼女の目元に力が入る。

「観覧車は止まってくれない。あんたひとりのために待ってくれないんだ。だから、あんたも止まってる暇なんてないんだよ」

役者を続けようがやめようが、進学しようが就職しようが、生きようが死のうが、観覧車は止まらないんだ。

「止まらないなら、止まらないなりにやっていくしかないでしょ。待ってくれないなら、進むしかないでしょ」

彼女は恥ずかしそうで、でも誇らしげだった。

「何でもいい。何かを、しようよ」

何か。

   ◆

彼女はゆっくりと立ち上がった。

「さーて、そろそろ戻ろうか。なんか熱く語っちゃったし、おせっかいだったよねー。つまり励ましたかったわけなんだけどねー」
「……」

俺も立ち上がる。

俺が乗っている観覧車は止まらない。
止まらないなら、止まらないなりにやるしかない。
待ってくれないなら、進むしかない。

毎日同じようにうだうだしていたって、観覧車は回り続ける。

ゴンドラの中で、何かをしようよ。

同じ? 同じだからそのままでいい?

「……ああ、」

ゴンドラの中を変えられるのは、乗っている俺だけなのだ。

ちょっと笑みが零れた。

「七島さん」
「うん」
「俺、演技、熱くなれるほど、まだ、好きなのかも、しれません」

「わかりませんけど」と小さく付け足しておいた。
七島さんはきょとんとしてから、得意げに笑った。

「そう。いいじゃん、やってみなよ。やってみなきゃ、それもわかんないよ」
「ですね」
「責任はとらないけどさ」

あっけらかんと言われると、逆に清々する。

「俺の主演ドラマでも舞台でも決まったら、見に来てくださいよ」
「気が早いね」
「お祝いに七島さんの絵ください」
「仕方ないな。あたしの絵って抽象画なんだけど」

それは斜め上だった。
俺は笑いながら、居酒屋の入口の暖簾のれんを片手で上げた。

観覧車。
観覧車か。

時速、何キロだったっけ。

「七島さん」

店に入ろうとする彼女を呼び止めた。
彼女は銀メッシュを揺らして振り返った。

「ずいぶんと、回るのが速い観覧車ですね?」

七島さんは「まあね」と肩をすくめた。





「だって止まってくれないでしょ、地球って」





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