5日目(3)
「食事の準備をしなければならないのに、勝手に退室してしまい、申し訳ありませんでした」
マナとリィンと別れた私は、すごすごとロキオ殿下の私室に戻った。スピンツ君に給仕をさせて、殿下はすでに夕食を食べている。
殿下は戻ってきた私を見ると、空になったグラスを見て、ただこう言う。
「ワインを」
「あ、はい……すぐに」
怒っていないのだろうか?
ワインを注ぎながら、私は恐る恐るロキオ殿下に声をかけた。
「マナとリィンに話を訊きに行っていたのです」
「だろうな」
「二人は、殿下に感謝していました。今回の事を親以外には言わないと約束してくださったと。けれどこれでは、二人の体面は保たれても、殿下の名誉が守られないのでは? ロキオ殿下のせいで侍女は辞めたのだと周りから勘違いされてしまいます」
私もマナとリィンに話を訊くまではそう思っていた。
しかしロキオ殿下はそんな事は気にしていないようだ。
「勘違いされても特に問題はない。それくらいで周りからの私の印象が変わる事もないからな。なにせ、元々私の評判は悪いんだ。侍女が辞めたところで、やっぱりと思われるだけだ」
「そんな事は……」
正直、あるので、私はそれ以上何も言えなかった。
ロキオ殿下は悪役じみた顔をして、唇の端を持ち上げる。
「下手な慰めはいい。今回の事でマナとリィンの家にも恩を売れたしな。得るものが何もなかった訳じゃない」
ロキオ殿下は悪い笑みがよく似合う王子様だなと思いながら、私は尋ねた。
「そう言えば、マナとリィンの前にもロキオ殿下付きの侍女が二人辞めていますよね? 私が来る前の事です。もしかしてその二人も、自分から辞めたのではなく殿下が解雇されたのですか?」
つまりその二人も殿下に何かしたのでは? と、そう考えた。
ロキオ殿下は尊大に笑って言う。
「その二人の実家にも恩を売れたとだけ言っておこう。私が第三王子という半端な地位にいるからか、女性は自分にもチャンスがあるのではないかと考えるようだ」
途中からは、殿下の言い方は自嘲気味だった。
私は慌てて言う。
「単純に、イオ殿下やシニク殿下より、ロキオ殿下を格好良いと思う女性が多いという事ではないでしょうか。あの、大きな声では言えませんが……」
イオ殿下やシニク殿下が近くにいるはずもないのだが、私は言い終わってからそわそわと部屋の扉を見た。
ロキオ殿下は私の泳ぐ目を見て笑いながらも、フンと鼻を鳴らして言う。
「外見だけで惚れられてもな」
「まぁ……そうですね」
「僕はそれでも羨ましいですけど」
スピンツ君が唇を尖らせながら言葉を挟んだ。
「それに殿下は色々とずるいんですよ!」
「急にどうしたの」
突然声を荒げたスピンツ君をなだめる。殿下の前で大きな声を出すんじゃありません。
スピンツ君は空の皿をワゴンに戻し、メインの肉料理を殿下の前に運びながら話した。
「殿下のところに来る侍女さんは皆、最初は殿下の事を怖がっているんです。殿下は意地悪そうだから、厳しい事ばかり言われるんじゃないかって」
「意地悪そうって……」
異論はないのだが、それを本人の前で言うのはどうなのか。私はハラハラしながらロキオ殿下を見た。眉間に皺が寄っている。
スピンツ君は気にせず続ける。
「だけど殿下は、侍女さんには結構優しいんです。……いや、優しいっていうか、あまり興味を持ってないから、怒ったり意地悪したりもしないと言うか」
私は殿下に嫌味を言われたりしたけれど、それは『王妃付きの侍女だった』という事で、警戒という名の興味を持っていたからなのかもしれない。
思い返せば、マナとリィンには淡々とした態度で接していた。
「でもその態度が侍女さんたちを勘違いさせるんです。例えば侍女さんがお茶を淹れて、殿下は『悪いな』ってお礼を言ったとします」
『悪いな』のところでスピンツ君は低い声を出して流し目をし、ロキオ殿下の真似をした。
「それだけで、侍女さんたちは殿下に好印象を持つんです。すごく意地悪なんじゃないかと思っていた人が意地悪じゃなかったから、それだけで! 殿下はずるいです。最初のイメージが悪過ぎるので、ちょっとお礼を言っただけでもいい人になるんです」
スピンツ君は羨ましそうに言う。
「そういうふうに、僕は侍女さんたちがロキオ殿下にきゅんとときめいている瞬間を何度となく見てきました。殿下は気づいてないようでしたけど」
スピンツ君の言葉に、私は頷いた。例えば優しそうなイメージのあるイオ殿下やシニク殿下にお礼を言われてもおそらく恐縮するだけだけど、ロキオ殿下に言われると印象が覆されて、好意を持ってしまうのだ。
「言っている事は分かる気がするわ」
私がスピンツ君にそう言うと、ロキオ殿下は片眉を上げて『まさか?』と疑うようにこちらを見た。
そして少しだけ勝ち誇ったような顔をして言う。
「お前も私に惚れたのなら、押し倒してくれて構わないんだぞ。そうすればアビーディー家にも恩を売れるからな」
「いえ、まさか……! 私は全然大丈夫です。ちっとも殿下にきゅんとはしていないですから」
思わず急いで否定したが、そんなに必死で否定しては殿下も気分が悪いかしらと、気まずい思いで口をつぐむ。
案の定、殿下はこちらを睨んでいた。
しかし、そこでふとある事を思いつき、私は話題を変える。
「殿下、侍女たちが夢を見てしまったのは、殿下が独身である事も原因になったのかもしれません。イオ殿下やシニク殿下のようにご結婚されていれば、女性側も自制すると思うのですが……」
「何が言いたい?」
「いえ……ロキオ殿下は、結婚を考えたりされないのかなと……思ったのです」
突っ込んだ事を聞いてしまったので、叱責されないかとビクビクしながら答えを待つ。
けれど殿下は怒る事なく、しかし嫌な話題を振られたかのように眉を寄せて言った。
「結婚は、いつかはする。義務として」
そこでフォークとナイフを置いて、ため息をつき、続けた。
「全く、お前も王妃と同じように私を急かすのだな」
「王妃様もですか?」
「そうだ。恋愛や結婚に興味はないのかと訊かれた。もう二十一歳になったのだから、身を固める事もそろそろ考えるようにと」
そう言うと、ロキオ殿下はふと動きを止め、何かを考えて数秒黙り込んだ。
そして疑惑の目を私に向けて言う。
「……待てよ。お前はやはり、単に侍女の仕事をするためだけに私の元に来たのではないな? 王妃の目的が分かったぞ」
「え、な、何を……」
ロキオ殿下を誘惑するという計画に気づかれたのかと、私は顔をこわばらせた。
しかし殿下はさすがにそこまでは察していなかったようだ。
「お前は、王妃の代わりに私に『早く結婚しろ』と小言を言うために、私のところに来たのだ。そうだろう?」
「小言……」
「さっきのお前の話もそうだ。結婚すれば侍女たちから迫られる事もなくなるとか、兄たちはもう結婚しているのになどと言って、早く結婚しなければと私を急かす気だ」
核心をついたとばかりに語気を強めるロキオ殿下とは対象的に、本当の目的がバレたわけではないと分かって私は胸を撫で下ろした。
「王妃様からはそんな命令は受けておりません」
控えめな口調で、けれどそこに嘘はないので堂々と言う。私が受けた命令は、ロキオ殿下を自分に惚れさせた後、振る、というおかしな命令だけなのだから。
「嘘をつけ」
「嘘ではありません。あ、ロクサーヌのごはんとお水を用意しなくては……」
自分用の食事台の前で待機してこっちを見ているロクサーヌに気づき、私はそそくさと殿下の側から離れたのだった。