5日目(1)
「それで? 五日経ったけれど首尾はどうなのかしら?」
私室の窓側にあるお気に入りの椅子に座って、王妃様は私を見つめた。立っている私の方が顔の位置が高いのに、遥か高みから見下ろされているような気分になるのは何故だろう。
この五日でロキオ殿下との距離は特に縮んではいない。私は少し緊張しながらも正直に答えた。
「はい、あの……王妃様から期待されているというのに申し上げにくいのですが、ロキオ殿下はどうやら私の事がお嫌いなようです。特に何かした覚えはないのですが、最初から良い印象を持たれていなかったようで……」
伏せていた目を動かし、ちらりと王妃様を見る。不満そうな顔をされているんじゃないかと思ったが、「そう」と言いながら何か考えている様子だった。
やがて口を開くと、王妃様は言う。
「確かにお前が何かしたわけではないのでしょう。ロキオはお前個人を嫌っているわけではないわ」
「どういう事でしょうか?」
「ロキオはわたくしを恨んでいるのよ。だからわたくしの侍女であるエアーリアの事もよく思っていないのでしょう」
「ロキオ殿下が王妃様を恨んでいる……」
独り言のように小さな声で呟いた。
「驚かないのね。ロキオが何か言っていた?」
「いえ。……ただ、私が最初にロキオ殿下にご挨拶した時、まず『王妃と二人で何を企んでいる?』と問い質されましたので。それで、親子なのに母である王妃様の事を疑うなんて変だなとは思っていました」
「過去に何かあったんですか?」と尋ねようかどうしようか迷う。
思い起こせば私が王妃様の侍女をやっていた四年間も、ロキオ殿下が親しげに王妃様に話しかける姿は見た事がない。でもそれがロキオ殿下の普通なのだと思っていた。
だってロキオ殿下は王妃様だけでなく、父である国王陛下や、兄であるイオ殿下、シニク殿下と話す時も、文官や使用人たちと話をする時も、常にちょっと不機嫌そうな顔をしているのだ。
〝感じが悪い〟というのが通常のロキオ殿下なので、王妃様だけを特別恨んでいるとか憎んでいると感じた事はなかった。
(でも、逆もそうだわ。王妃様がロキオ殿下に親しげに話しかける姿も見た事がない)
夫婦仲はいいので、王妃様はよく国王陛下と仲良くお喋りしているし、イオ殿下の事は「我が子ながらよくできた子」だといつも褒めている。それにシニク殿下とも会えば朗らかな会話を交わしている。
けれどやはり、王妃様とロキオ殿下がお互い笑顔で話をしている姿は見た事がない。全く喋らないというわけではないので、特別仲が悪いというわけでもないと思うけれど……。
「あの、王妃様……」
やはり気になって、ロキオ殿下と何かあったのかと尋ねようと口を開く。けれど王妃様は私の呟きを遮るように、ため息をついて続けた。
「このままでは駄目という事ね。ロキオにエアーリアを好きになってもらうために、何か策を考えましょう」
王妃様はそこで少女のように声を弾ませて続ける。
「そうだわ。そういえば、まだお前にロキオに好かれるためにどうすればいいかという、ちゃんとしたアドバイスをしていなかったわね」
アドバイスは全然欲しくなかったが、私は「はい」と頷いた。
王妃様は宝石のように美しい青い瞳を細めて言う。
「ロキオはね、明るくてお喋りな子が好きなのよ。人懐っこく、皆に愛されるような。それに、どちらかと言うと自分が相手を可愛がりたいタイプね。例えて言うと、包容力のある姉のような女性より、少しわがままな妹のような子が好きという事よ」
私はロキオ殿下の好みの女性像を聞いて安堵した。
その女性像が、お喋りが得意ではなく、明るくもなく、人見知りで、包容力はないかもしれないが甘え下手な姉タイプの私とは真逆だったからだ。
喜んでいる事を表に出さないようにしながら、私は困った顔をして言う。
「そうなのですか。ですが、それでは私はこの任務には不適任ですね。最初から良い印象を持たれていない上に好みのタイプでもないのですから、私ではロキオ殿下に異性として好かれそうにありません」
なるべく残念そうに言ってから続ける。
「王妃様、この計画、考え直された方がいいのではないでしょうか。ロキオ殿下にサベールの王女様を好きになってもらい、円満な結婚をしていただくためには、もっと良い方法があるはずです」
やはり一度ロキオ殿下を失恋させてサベールの王女様に慰めてもらうというこの計画では、ロキオ殿下が可哀想だ。失恋するという事は、心が傷つけられるという事なのだから。
しかし王妃様は私の意見を聞き入れてはくださらない。
「いいえ、エアーリア。まだ五日しか経っていないのに他の方法に頼るのは早いわ。それにお前がロキオの好きなタイプではない事も、何も問題がないの。そんなもの演技でどうにでもなるのだから」
演技?
新たな課題を与えられ、私は顔を引きつらせた。
「つまり私に、明るくお喋りで、可愛らしい妹のような女性を演じろという事ですか?」
「そういう事よ」
王妃様は満足して頷いた。
「む、無理ですよ……」
「なぁに? 聞こえないわ」
おずおず言うと、強い口調で返された。
駄目だ、私には王妃様に反抗する度胸はない。
「頑張ります……」
「ええ、頑張ってね、エアーリア。お前はわたくしのお気に入りの侍女ですもの。きっとこの計画も成功に導いてくれると期待していますよ」
「はい……」
お気に入りの侍女、という言葉には思わず喜んでしまったが、こうやって褒め言葉を混ぜておくのも王妃様の作戦のうちなのかもしれない。一瞬、王妃様の期待に応えるために頑張ろうかなと思ってしまった。
「毎日のようにお前をここに呼びつけてもロキオに怪しまれてしまうから、これからは週に一回、この時間にここに報告に来てちょうだい。いいわね?」
「はい」
「では、来週の報告を楽しみにしていますよ。お前は優秀だから、来週にはもうロキオの心を奪っているかもしれないわね」
ほほほ、と機嫌よく笑う王妃様。ものすごいプレッシャーを感じる。
王妃様は私の事を過大評価し過ぎではないか。自分と正反対のタイプの女性を上手に演じられるほど私は器用ではないし、王妃様もそれは分かっているはずなのに。
退室してから、私は早足でロキオ殿下の私室に向かった。猫のロクサーヌに会うためだ。王妃様からの期待と重圧に負けそうな私を癒やしてくれるのはロクサーヌしかいない。
けれどそろそろお昼だし、先にロキオ殿下の昼食の準備をした方がいいかもと、そう考えた時だった。
「エアーリアさん」
「スピンツ君」
廊下でばったりスピンツ君と鉢合わせする。
「いいところで会ったわ。よければ、ロキオ殿下に昼食の用意をしていいか訊いてきてくれる?」
「ちょうど今、訊いていたところです。殿下は執務室で仕事をしながら食べるそうなので、軽いものでいいと言っておられました」
「そうなの。じゃあサンドイッチでいいかしら? 調理場に行って――」
「あ、僕が行って料理人に頼んできますよ。今から向かうところだったので。出来上がったら給仕も僕とマナさんたちでしますから、エアーリアさんはロクサーヌにごはんをあげてくれますか? 僕がロクサーヌにごはんをあげようとしても逃げられちゃうんです」
スピンツ君は拗ねたような口調で言った。
私も苦笑いして言う。
「ロクサーヌは、スピンツ君が来るとまたあの野良猫も一緒に来るんじゃないかと怖がっているのね」
「ロクサーヌにとって僕は〝厄災をもたらす者〟になっちゃったみたいです」
「格好良いように言うわね」
そんな冗談を言い合いながら、スピンツ君と別れる。
ロキオ殿下の私室に着くと、一応ノックをして何の返事も返ってこないのを確認してから部屋の扉を開けた。無人の時にはなるべく鍵をかける事になっているので、鍵を開けてから。
中にはやはり誰もいなかったが、
「ロクサーヌ」
ロクサーヌはソファーの上に座っていて、私の声にしっぽを短く振って応えてくれた。声を出して返事をするのは面倒だけど、聞こえているよという事だ。
まだ喉を鳴らしてはくれないが、ロクサーヌと私の心の距離は、ロキオ殿下と私の心の距離と比べると順調に縮まっている。
そっとロクサーヌに近づき、頭を撫でる。このお姫様は繊細なので、速く急な動きや、大きな声や音が苦手なのだ。
「ごはんにしましょうね」
うちの実家の猫にごはんをあげるのは朝と夜の二回だけだったが、ロクサーヌは一度に少量しか食べないので、一日分を三回に分けてごはんをあげている。
部屋の隅に置いてあるロクサーヌの食事台の上には、ごはん皿と水皿が乗っているが、朝食の分のごはんは三分の一ほど、水はほとんどが残っていた。
ごはんもそうだが、ロクサーヌは水もあまり飲まない。
「お水もたくさん飲まないと病気になってしまうわよ、ロクサーヌ」
実家の猫を診てもらっていた獣医がそう言っていた。
ロクサーヌはソファーから降りると、絨毯の上を音もなくこちらに近寄ってきたが、私が水皿を指差しても一度チロッと舌を出して舐めるだけだし、ごはん皿を口元に近づけても食べない。
体調が悪いわけではないようで、獣医に見せても何も問題はなく、マナやリィンによるとロクサーヌはずっとこんな感じらしい。食に執着がないのだろうか。
それでも朝ごはんは比較的よく食べるのだが、昼と夜はあまり食べず、水は一日を通して少し飲むだけ。
火の通った鶏肉と少しの野菜が混ざったごはんは人間でも食べられそうなくらい美味しそうだし、味が嫌いというわけでもないと思う。一応匂いを嗅いで見るが、特におかしな匂いはしない。水だって普通の水だ。
しかし水の匂いを嗅いでから皿を食事台の上に戻そうとした時に、親指が水面に触れて、その時ふと水の冷たさに気づいた。
だんだんと冬が近づいてきているが、昼間はまだ暖炉をつけていないこの季節、水は部屋に置いておいても温まる事はない。
猫でも寒い季節に冷たい水を飲むのは嫌なのだろうかと思いつつ、できる事はやってみようと、調理場へ行って水を温めてみる事にした。
ついでに冷めきったごはんも少し温めてみようと、水皿とごはん皿を持って部屋を出る。
調理場ではロキオ殿下のサンドイッチが出来上がるのを待っているスピンツ君に声をかけてから、棚を開いて、容器に入ったロクサーヌ用のごはんを皿に補充する。ロクサーヌのごはんは、一日分を朝にまとめて作ってもらっているのだ。
そして料理人に頼んで水とごはんをそれぞれ別の鍋に移し、軽く温めてもらう。
それが終われば、またロクサーヌの元に戻った。
すると――
「飲んだわ!」
人肌に温まった水をごくごくと飲むロクサーヌを見て、私は小声で喜んだ。ごはんは温めると匂いが増すようで、食欲を刺激されたのか、こちらもよく食べている。
「冷たいごはんと水が嫌だったのね。気づかなくてごめんね」
朝ごはんだけ比較的よく食べた理由は、調理したてで温かかったからだろう。
それに対して、水は井戸から汲み上げてから一度も温める事はない。だから一日中あまり飲まなかったのだ。
「ロクサーヌ、美味しい? よく食べて偉いわね」
食の細い子がたくさん食べている姿を見ると嬉しくなる。
ロクサーヌが食べている間、ずっと「偉い偉い」と褒めていると、ロクサーヌはちらりと顔を上げて得意げな目をし、皿を綺麗に舐め上げた。
「すごいわ! 完食できたじゃない! 本当に偉いわ」
どうやらロクサーヌは褒められるとやる気を出すタイプのようだ。満足気に顔を洗っているロクサーヌを撫でながら、彼女の扱い方が少しずつ分かってきたと私はほほ笑んだ。動物は分かりやすくて可愛い。
日が沈み、あっという間に夕食の時間が来た。ロキオ殿下は今度は私室でゆっくり食べると言うので、私とスピンツ君とで準備を進めていると、近衛騎士に送られて執務室からロキオ殿下が戻ってきた。
「今、スピンツ君が料理を運んで来るところです」
テーブルの椅子を引きながらロキオ殿下に伝える。そしてロキオ殿下が座ると、テーブルの上のグラスの一つに食前酒を注いだ。
(マナとリィンはどうしたのかしら?)
部屋の扉を見てふと思う。ロキオ殿下と一緒に戻ってくると思ったのに、二人が部屋に入ってくる様子はない。
夕食の時は殿下もお酒を飲まれるし、料理の品数も多いので、私とスピンツ君だけでは少し慌ただしくなってしまうのだが。
「殿下、マナとリィンに何か仕事を与えられましたか? 二人の姿が見えませんが……」
「あの二人なら侍女を辞めた」
すぐに返ってきた答えに戸惑って、私は「え?」と目を丸くする。
ロキオ殿下はナプキンを広げながら、氷のような薄いブルーの目でこちらを見上げた。
「今日から私の侍女はお前一人になった。しばらくはスピンツと二人で協力して仕事をしてくれ」
マナとリィンに一体何があったのかと、私は一瞬呆然としてしまった。