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4日目

 ロキオ殿下付きの侍女になって四日目。

 私は一人、城の洗濯室へ向かっていた。

 王族の洗濯物は、シーツや枕カバー、タオル、衣類から下着まで、専門の使用人たちが洗って乾かし、綺麗に畳んでおいてくれるのだ。


 例えば式典や舞踏会で王族が着た豪華な衣装は、お気に入りでない限り一度着たら二度と着ない物が多いし、普段着ている衣装もほんの少しでも袖や裾がほつれたりすれば、まだまだ綺麗な物でも袖を通す事はなくなる。

 けれど着られるものは毎回洗濯して、できる限り長く、綺麗に着てもらっている。


「グッテンハイムさん。もう乾いてますか?」

「おや、エアーリア様。ええ、できていますよ」


 何人もの使用人をまとめるこの洗濯室の主は、七十歳近い白髪の老人だった。

 彼はもうただの使用人ではなく職人だ。王族の上等な衣類も傷めず洗ってくれるし、鉄のアイロンを扱う技術もしみ抜きの技術も尊敬に値するレベルだから。


「はい、こちらですね」


 グッテンハイムさんはそう言って、棚からシーツなどのリネン類が入った籠を出してくれたが、それはロキオ殿下のものではなかった。


「グッテンハイムさん、これ王妃様のです」

「ああ、そうでした! エアーリア様はロキオ殿下付きになったのでしたね。ついうっかりしていました」


 これまで四年、私は王妃様の洗濯物を持ってここへ通っていたから、グッテンハイムさんもまだ慣れないのだろう。


「こちらでした。ロキオ殿下のものですね」

「ありがとうございます」


 私は石鹸のいい香りのする洗濯物が山盛り入った籠を両手で抱えると、洗濯室を出た。結構重い。

 するとそこで、


「あ! エアーリアさん!」


 ロキオ殿下の従者である少年――スピンツ君と出会った。背は私より少し低く、顎の辺りまで伸びたくせ毛の赤毛が特徴の男の子である。

 しかしせっかく綺麗な色なのに、彼の髪がしっかり整えられているところを私はまだ見た事がない。


「髪、また跳ねてるわよ。朝、ちゃんと梳かした?」


 直してあげたいが、籠を抱えているので今は無理だ。

 スピンツ君は少し照れながら言った。


「ちゃんと梳かしましたよ! だけど僕の髪は固いから、一度癖がつくと梳かしたくらいじゃ元に戻らないんです」

「今度から水で濡らすといいわ。もしくは整髪料をつけるとか」


 寝癖のついた従者を連れていては、ロキオ殿下の評判も一緒に落ちてしまう。ただでさえあまり高くない評判が。


 地味に嫌味を言われたりする事もあって、ロキオ殿下の事はいまだに苦手なのだが、だからと言って恥をかけばいいとは思わない。侍女としてできる事はやらないとと思う。

 明日からもスピンツ君が寝癖をつけていないかちゃんとチェックしなくてはいけない、と私は思った。

 

「ところでスピンツ君はこんなところで何を?」

「洗濯物を取りに来たんですよ。昨日もエアーリアさんが一人で運んでいて大変そうだったから、今日は僕が運んであげようと思って」

「まぁ、ありがとう。優しいのね。じゃあせっかくだし、お願いしてもいい?」

「任せてください」


 スピンツ君は従者としてはあまり有能ではない――この前は書類を小さく折り畳んでポケットに入れていたので、ロキオ殿下に『大事な書類を菓子みたいにポケットに入れるな』と叱られていた――が、とてもいい子だ。仕事はできないが、いい子なのだ。本当に。

 ロキオ殿下もそこは分かっているからこの子をクビにしないのかもしれない。


「よいしょっと。じゃあ行きましょうか、エアーリアさん」

「ええ。……ああ、籠を斜めにしないで! せっかく綺麗に畳んでもらったものが皺になっちゃうわ」


 スピンツ君にそんなふうに注意をしつつ、二人で階段を登り、城の廊下を歩く。

 するとロキオ殿下の衣裳部屋までもう少しというところで、スピンツ君がふと口を開いた。


「そういえばエアーリアさんって――」


 しかし言葉を途中で止めると、正面の階段を上ってきた人物に目を留めて声を弾ませる。

 

「あ、殿下! 騎士の皆さんの訓練はどうでした?」


 私たちの前に現れたのはロキオ殿下だった。主人とばったり会ったスピンツ君は、しっぽがあればブンブン振っていそうな感じで嬉しそうにしている。本当に人懐っこい。

 けれどロキオ殿下の機嫌はあまり良くないらしい。


「別にいつもと変わらない」


 スピンツ君の質問に眉根を寄せたまま答えると、私たちの前に立って歩き出す。自分の私室に向かうのだろう。

 ロキオ殿下は疲れておられるようだし、洗濯物は一旦スピンツ君に任せて温かいお茶を淹れようか、それとも私室にはマナとリィンが待機しているだろうか、などと考えながら私たちも殿下の後をついて行く。


 ロキオ殿下は騎士団の副団長という役職についているので、よく騎士団関係の仕事もしている。

 王族の誰かが騎士団の要職に就くというのが通例なので、ロキオ殿下も若くして副団長という立派な地位についているのだ。

 そして今日の午後は、副団長として騎士たちの訓練の様子を見に行っていた。


「今日は殿下も手合わせに参加されたんですよね? 訓練場に向かわれる前に何気なく体を伸ばしたり首を回したりされてましたし」


 スピンツ君が無邪気に言うと、ロキオ殿下は歩きながら人を殺せそうな目をしてキッとスピンツ君を振り返った。

 機嫌が悪そうな様子や今の反応からして、ロキオ殿下はこの話題にあまり触れてほしくないのかなと私は考えた。

 けれどスピンツ君はちょっぴり鈍感なので、ロキオ殿下に睨まれても気にせず続ける。


「相手は誰だったんですか? 勝ちました?」


 質問を無視するように、ロキオ殿下は眉間に皺を寄せたまま今度はフイッと前を向いた。

 スピンツ君はそこで初めてロキオ殿下の機嫌が悪い事に気づいたようだが、自分の「勝ちました?」という質問が悪かったのだと思ったらしく、こう言う。


「あ、ごめんなさい。もちろん勝たれましたよね。ロキオ殿下はお強いですから」

「ス、スピンツ君……」


 私はあわあわとスピンツ君に視線を向けた。これでロキオ殿下が負けていたらどうするつもりなのか。見たところロキオ殿下は怪我をしている様子はないが、部下にこっぴどく、惨めに負かされていたら……。

 スピンツ君が無自覚にロキオ殿下を煽るような事を言うので、そばで聞いている私は冷や汗をかいてしまう。

 案の定、ロキオ殿下は目を吊り上げて再びスピンツ君を睨んだ。けれど私が予想したように手合わせで負けたわけではないらしい。


「私が強い?」


 殿下は足を止めると、フンと鼻を鳴らして自嘲するように笑う。

 スピンツ君は不思議そうに首を傾げた。


「お強いでしょう? だって、僕も殿下が騎士さんと手合わせしているところを今まで何度も見ましたけど、いつも勝っておられましたし」

「そうだな。俺はいつも勝つ。今日だってそうだ。だが、それはあいつらが俺に気を遣って負けているからだ」

 

 その事実に納得していない様子で言うと、ロキオ殿下は再び前を見て歩き始めた。

 スピンツ君は洗濯物を抱えながら小走りで後をついて行く。


「じゃあ、手を抜かれて勝つくらいなら、こてんぱんに負かされた方がいいっていう事ですか?」

「そうは言っていない」


 微妙な声音でロキオ殿下は言った。手を抜かれるのは嫌だが、プライドがあるからか、こてんぱんにされるのも嫌らしい。難しい王子様だ。

 

「あ、そう言えばさっきの話の続きですけど」


 ロキオ殿下に話しかけていると思っていたのに、スピンツ君はいつの間にか私の方を見ていた。


「え、私?」

「そうです」

「何かしら」


 不機嫌なロキオ殿下がそばにいるこの場面で、どうか変な話を振らないでねと願いながら続きを待つ。


「エアーリアさんって、アビーディー伯爵家のお嬢様なんですよね?」

「え? ええ、そうよ」


 特に変な話題ではなかったので、私はホッと息をついた。


「僕、一度だけですけどエアーリアさんのご両親と話した事ありますよ! アビーディ夫妻に」

「そうなの? 父たちも登城する機会は多くあるし、王族方にご挨拶する機会もあるから、ロキオ殿下のおそばにいれば見かける事もあるでしょうね。けれどよく父たちの事を覚えていたわね」


 スピンツ君は笑ってこう返事をする。


「優しい人はよく覚えてるんです。アビーディ伯爵様と奥様は、僕の事、よく頑張ってるって褒めてくれましたから。いい方たちです」

「そうだったの」


 私も笑って相槌を打つ。

 しかしスピンツ君の次の言葉には、一瞬表情を固まらせてしまった。


「でも、エアーリアさんはご両親に似てないんですね。だってお二人は白っぽい金髪でしたけど、エアーリアさんは黒髪ですし。どっちも綺麗ですけど」


 似ていない、とあまりにはっきり言われたので数秒固まってしまったけれど、私はすぐに気を取り直して苦笑した。


「それは私が養子だからよ。両親とは血が繋がっていないの。だけど本当の家族のように思っているのよ」


 これは別に隠すような事じゃない。子どもに恵まれなかった貴族が養子を取る事はこの国では珍しい事じゃないし、私が養子であるという事実も最初から公にしてある。


「あ、そうだったんですね。でもアビーディ伯爵様は優しいし、奥様はお綺麗だし、エアーリアさんも美人だし、素敵な家族ですね」

「ふふ、ありがとう」


 美人だなんて言われたのは初めてかもしれない。スピンツ君はお世辞で言っているんじゃないと分かったので、こちらも素直に嬉しくなった。


 と、そこでふと前を見れば、ロキオ殿下も振り返ってこちらを見ている事に気づいた。

 睨むでもなく、探るような視線で――まるで敵か味方か分からない存在を見るかのような視線だ――私を見つめていたけれど、私が見つめ返すとまた前を見て、何事もなかったかのように歩みを進める。


(……何?)


 私は一人首をひねった。



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