37日目(6)
とりあえず何度か扉を叩いてロキオ殿下に呼びかけてみたものの、何も返事は返ってこなかったので、私は仕方なく一旦部屋を離れる事にした。
私は王妃様の計画に乗るつもりはなかったけれど、その計画を知りながらロキオ殿下に黙っていた事は確かだし、責められても仕方がない部分はある。
だけどロキオ殿下を好きなこの気持ちは本当だし、殿下と同じような寂しさを抱えて生きてきたのも本当だ。
それをどうか分かってもらえればいいのだが。
後で、ロキオ殿下がもう少し冷静さを取り戻した時に、もう一度説明してみようか。
と、そんな事を考えたところで、我に返る。
(いいえ、分かってもらえない方がいいのかもしれない。このまま嫌われていた方が……)
その方がロキオ殿下はサベールの王女を受け入れやすいと思う。私の事を酷い女だと思っていれば、私に対して何の未練も持たぬまま王女と結婚できるだろう。
(そうしよう……)
私はズキズキと痛み始めた胸に手を当てながら、廊下を歩いた。せめて侍女としてロキオ殿下に仕えたいと思っていたが、殿下が嫌がるだろうから、それすらもできそうにない。
やはり王妃様の侍女に戻してもらうか、それとももう城からは離れて、父の勧めを受け入れて結婚してしまおうか。少し自暴自棄になりながら、そんな事を考えた。
けれど殿下は私の顔を見たくないと言ったのだ。城を出て行くのが一番いい方法な気がする。
物思いに耽りながら亡霊のように城の廊下を歩いていると、やがて一階に辿り着いた。窓からは正面の広い庭の様子を見る事ができる。
貴族たちはまだ大多数が庭にいたが、昼食会はお開きとなっていて、皆少しずつ城を後にし始めていた。
(あ、父さまたちを見送りに行かなくちゃ)
ロキオ殿下の事を頭の隅に置いたまま庭へ出る。私の家族は目立つので、すぐに見つかった。
「父さま、母さま! ミリアン、ミシェル!」
「姉さま!」
ミシェルが振り向いて、私の腕を引っ張る。
「姉さま、一緒に家に帰りましょう!」
「え、突然どうしたの?」
私が尋ねると、ミシェルは眉をひそめて言う。
「だって、やっぱり姉さまをロキオ殿下のところに置いておけないわ。あんなに怒りっぽい人!」
「ミシェル……」
「僕もちょっと心配だなぁ。前に会った時はロキオ殿下は意外と信頼できそうかもって思ったけど、今日の様子を見るとよく分からなくなってきたよ」
「ミリアンまで」
母と父も少し心配そうだ。
「ロキオ殿下の侍女をするのが大変なようなら、家に戻って来てもいいのよ」
「どうする? エアーリア。戻りたいなら私から殿下や王妃様に話をしてあげよう」
さっきまで城を出る事も考えていたのに、そう尋ねられると私は思わずロキオ殿下を庇っていた。
「ミシェルたちには前にも言ったけど、ロキオ殿下は本当はお優しい方なのよ。私は殿下にとても良くしてもらっています。さっきスピンツ君が叱られていたのも、実は色々と事情があって……。とにかく、ロキオ殿下もああ見えて周りを気遣っておられるの」
「姉さまが殿下にいいように丸め込まれているようで心配だわ」
「いいえ、ミシェル。私は丸め込まれてなんかないわ。それに、ロキオ殿下の事をあまり悪く言わないでほしいの。……私の大切な主なのよ」
お願い、と訴えると、ミシェルやミリアンは驚いたように目を見張った。
「姉さまがそこまで言うなんて」
「という事はやっぱり、ロキオ殿下は信用できる人なのかな」
父も頷いて双子の肩を抱いた。
「王族方には我々の知らない事情があるのだろう。先ほどもロキオ殿下は本気で怒っておられたのではないかもしれないね」
そう言いながら、父は少し離れてたところにいたスピンツ君を見た。ロキオ殿下に叱られて落ち込んでいる雰囲気など微塵もなく、明るく笑って、他の貴族の従者と喋っている。
「よく分からない方だわ、ロキオ殿下」
ミシェルは腕を組んで唸った。
「ロキオ殿下と毎日接して親しくなると、不思議と高慢な態度もほほ笑ましく見えてくるのよ」
私は笑って言う。ミシェルはまだ唸っている。
「ほほ笑ましく? うーん、私じゃ無理かも。姉さまくらい寛容じゃないと。でもそう考えると姉さまとロキオ殿下って結構相性がいいのかも」
「姉さんはわがままな人間の相手をするのは慣れてるからね、ミシェルで」
そう言ってニヤリと笑ったのはミリアンだ。ミシェルは怒って反論する。
「ミリアンだって姉さまにわがままを言ってたでしょ。そのおもちゃ頂戴とか、おやつ頂戴とか、一緒に寝てとか膝枕してとか!」
「子どもの頃の話だろ!」
父と母はにこにこしながら見ているだけなので、口喧嘩を始めた双子は私がなだめる。
「二人とも落ち着いて。それより今日も王都の屋敷に泊まっていくの?」
「うん、そうだよ」
「そうだ! 姉さまも来て泊まってよ。一晩くらいいいでしょう?」
ミシェルにそう誘われて、私が「そうね……」と少し考えた時だった。
「エアーリアさん」
後ろから肩を叩いてきたのは、リアムさんだった。
「そろそろ帰るので、挨拶をしておこうと思って」
「わざわざありがとうございます」
リアムさんは私に笑いかけると、今度は父や母の方へ顔を向けて挨拶をする。
ミシェルとミリアンはリアムさんの事は嫌いではないようだが、やはり「義兄としてはいまいち」と思っている様子で微妙な顔をし、それを眺めていた。
父はリアムさんに訊く。
「あれからお父上のご様子はどうだね?」
「はい、もうすっかり元気になりました。病が再発する事もなく。しかし体重も増えてしまって、また元の体型に逆戻りですよ」
「食欲があるのは良い事だ」
父が、はははと笑う。
しばらく談笑は続いたが、やがてリアムさんはもう一度私に向き直って言った。
「ところで、この後は忙しいかな? 時間があるようなら街へ出て、どこかでお茶をしながら話ができないかと思って」
「私とですか?」
「ああ。こんな機会でもなければ、なかなか話もできないだろう?」
「まぁ! いいじゃない。ロキオ殿下に許可を頂いて行ってくればいいわ」
ここから恋が始まるのでは? と思っているのだろうか、母が少しはしゃいで言う。
「そうですね」
せっかくリアムさんが誘ってくれたのだし、行こうかなと思った。いずれはこの人と結婚するかもしれないのだ。断って悪い印象を持たれたくない。それにリアムさんの事をよく知って仲良くなれば、ロキオ殿下への恋心は断ち切れるかもしれない。
私は薄く笑顔を作って、リアムさんに答えた。
「分かりました。行きます」
「どこへだ?」
しかし即座に返ってきた言葉は、リアムさんが発したものではなかった。
その低い声にびくついた後、私はおそるおそる背後を振り返った。
「ロ、ロキオ殿下……!?」
そこに立っていたのは、これ以上なく不機嫌そうな顔をしたロキオ殿下だった。
先ほど「お前の顔ももう見たくない」と言われたばかりなのに、すぐにまた向かい合ってしまっている。
けれどこれは私のせいではない。ロキオ殿下の方からこちらに来たのだから。
「どこへ行くと?」
殿下は私を見下ろして言う。顔が怖いし、威圧感がすごい。
「あ、あの……リアムさんとお茶をしに……」
「駄目だ。お前にはまだ仕事があるだろう」
「仕事……?」
確かに仕事は色々ある。ロキオ殿下のズボンはまだワインで赤く濡れたままなので、まずはそれを着替えさせないといけないし。
けれど私にそばにいられると、殿下は嫌なのでは? それとも侍女の仕事とはまた別の仕事が何かあるのだろうか? 昼食会の片付けは使用人がやるはずだが……。などと色々考えている間に、
「来い」
「あっ……」
ロキオ殿下に腕を引っ張られて、その場から連れ出される。
「リアムさん、ごめんなさい! 父さまたちもまた今度!」
殿下に引っ張られながら振り向いて、慌てて皆に手を振る。
リアムさんはきょとんとしていて、父と母は少し驚いた顔をしている。そしてミシェルは、
「ロキオ殿下ったら、姉さまをあんな乱暴に引っ張って……!」
と憤慨していたが、ミリアンに止められていた。
「駄目だよ、ミシェル。追いかけちゃ」
「どうしてよ?」
「分からないけど、ロキオ殿下は単に嫉妬してるだけのような気が……」
ミリアンたちの会話は、最後までは聞こえなかった。ロキオ殿下がずかずかと歩いて、あっという間に皆から離れてしまったからだ。
「殿下、どこへ……」
ロキオ殿下はひと気のない回廊までやってくると、太い柱に私の背中を押し付けた。
追い詰められて息をのみ、私はロキオ殿下を見上げる。
「今度の狙いはあの男か? 私に真実がバレたら、すぐに違う男に擦り寄るのか?」
「ち、違います……!」
「違わないだろう、窓から見ていたんだぞ!」
そうだった。ロキオ殿下の私室からは正面の庭の様子がよく見えるのだ。けれど私とリアムさんは普通に喋っていただけだと思うのだが。
だけど殿下は私がリアムさんと話していただけで、急いで部屋から走ってきたのだろう。そう言えばちょっと息が切れている。
私は眉を下げて言う。
「殿下、落ち着いてください。私は……」
しかしそこでハッとして、弁解するのをやめた。私はロキオ殿下から嫌われた方がいいのだ。
決意を固め、心の中で自分を叱咤すると、私はなるべく悪い笑みを浮かべた。時々ロキオ殿下がする悪役っぽい笑顔をお手本にして。
「ふふ……」
笑い始めた私を、ロキオ殿下は不審そうに見る。
「その通りです! 私はすごい、稀代の悪女なので、次はリアムさんの事を誘惑していたのですっ!」
あまり大きな声なんて出した事がないから、若干声が裏返ってしまった。殿下はますます不審な顔をする。




