37日目(2)
建国祭のパレードが滞りなく終わると、次は城での昼食会だ。今日は天気もよく暖かいので、外で行われる事になった。
正面の広い庭で、中央にある噴水を囲むように丸いテーブルや椅子が並べられており、そのテーブルの上には様々な料理やデザートが置かれてる。
基本は立食形式だが、別に用意されているテーブルに座ってゆっくりする事もできる。けれどどちらにしても、ここでしっかり食事を取ろうとする者はいない。昼食会と名がついてはいるが、集まった貴族たちの主な目的は王族や他の貴族たちとの交流だから。
ロキオ殿下も一応給仕から飲み物を受け取ったものの、それに口をつける暇もなく、挨拶に来る貴族たちの相手をしている。
私は最初、スピンツ君と一緒にロキオ殿下の後ろに控えていたが、途中で「お前たちはお前たちで楽しんでいろ」と言われたので、お言葉に甘えてこの昼食会を楽しむ事にした。
「僕、お腹空きました」
「何か食べたいものある?」
「お肉がいいです」
スピンツ君のために食べごたえのありそうな肉料理を探しながら歩いていたが、
「おや、君はロキオ殿下の……」
「ベタスさん! お久しぶりです」
途中で、おそらく昼食会に参加している貴族の従者らしき男性に声をかけられて、スピンツ君は会話を弾ませていた。
そして顔の広いスピンツ君はその後も次々と人に捕まっていたので、私は邪魔にならないよう、そっと彼から離れた。
(すごいな、スピンツ君)
本人は無自覚だが、人脈を築くテクニックはここにいる誰よりも持っているかもしれない。
(私はどうしようかな。確か……あ、いた!)
所在なくうろうろしていたところで、私の家族を発見した。事前に連絡をもらったわけではないが、例年通りならアビーディー家も招待されているはずだと思っていたので、驚く事はない。
今日は家族全員――父と母、ミリアン、ミシェルが来ている。
父たちは国王陛下に挨拶して、ちょうどその輪から離れたところだった。
そう言えば、私も子どもの頃から時々この建国祭の昼食会に連れてきてもらっていたけれど、ロキオ殿下の事はほとんど記憶にない。殿下と会話を交わしたのは一度くらいだっただろうか。
改めて周りを見渡してみると、ロキオ殿下を囲む人垣は一番小さかった。一番多いのは国王陛下と王妃様の人垣で、その次がイオ殿下だ。
権力を持っている順に、挨拶に来る貴族の数も変わっていくのだろうか。それとも皆、国王陛下やイオ殿下には顔を覚えてもらおうと、長く会話を続けているのかもしれない。だから周りで待っている人も増えて人垣も大きくなっていくのかも。
権力者が多く集まるこういう場では様々な思惑も交差するのだな、などと思いながら、私は父たちの元に駆け寄った。
「父さま、母さま、ミリアン、ミシェル!」
「姉さま!」
私に気づいて、一番に声を上げたのはミシェルだった。薄いピンクのドレスが似合っていて、今日も可愛い。
ミシェルはふわふわの巻き毛を揺らして、私に抱きついてきた。
「姉さま! 一ヶ月ぶりくらい?」
「まだ一ヶ月は経っていないわね。三週間ぶりくらいよ」
「どちらにしても会えて嬉しいわ!」
「私もよ」
ふふ、と笑いながらミシェルを抱きしめる。私と会っただけでこんなに喜んでくれる妹がいるのに、それでも一番じゃなきゃ寂しいと思ってしまう私は、本当に欲深い。
「はしゃぐなよ。周りの人に見られたら恥ずかしいだろ」
ミリアンがそんな事を言ってミシェルを私から引き剥がそうとするので、そこでまた双子の小さな口喧嘩が始まった。
「もう! 腕を引っ張らないでよ、痛いでしょ」
「そんなに強く引っ張ってないだろ」
相変わらず仲の良い二人に、私も両親も苦笑する。
そして母は双子から私に目を向けると、ほほ笑んで言った。
「エアーリア、元気そうで安心したわ」
「母さま、お久しぶりです」
軽い抱擁を交わして、父とも少しお喋りをしたところで、ミシェルがデザートの乗ったテーブルに目をつけて「甘いものが食べたいわ」と言い出したので、皆でそちらに移動する。
「甘いものばかり食べてるから太るんだよ。姉さんみたいに好き嫌いなく食べなきゃ」
「太ってないわよ!」
怒りながらケーキを口にするミシェルを、父と母も庇う。
「そうだとも。ミシェルはちっとも太ってなんかないよ」
「ミシェルは華奢だから、もっと食べて太ってもいいくらいだわ。それにミリアンもね。二人とも赤ちゃんの時から小さくて細かったから、随分心配したものだわ」
当時の事を思い出したかのように母が言う。ミリアンはため息をついて口を挟んだ。
「僕だって大きくなりたいよ。どうしたら身長が伸びるのか教えてくれたら、その通りにするのに。ねぇ、姉さん、ロキオ殿下って一体何を食べてあんなに理想的な体型になったんだろ? すらっとして背が高いけど、筋肉もあるし、脚も長い。顔だって格好良いし、恵まれ過ぎてない?」
ひそひそと愚痴を言うので、私は笑ってしまった。ミリアンだって顔は十分整っていると思うのだが、どちらかと言うと可愛い系の顔立ちだからそれが嫌なのだろう。
「さぁ、特に変わったものは召し上がられていないわ」
くすくす笑って言うと、ミシェルが少しだけ頬を染めてロキオ殿下を見た。
「それにしても今日のロキオ殿下は素敵よね。優しい王子様って感じがする。……まぁ、もう少し笑みを見せてくださったら」
私も振り返ってロキオ殿下を見た。貴族の相手をしている殿下は、やはり無愛想だ。
母は好奇心を滲ませてミシェルに質問する。
「ミシェルはロキオ殿下のような人が好みなの?」
「そんなんじゃないわ。素敵だとは思うけど、私はもっと優しい人がいいの。姉さまみたいに穏やかで、絶対怒らない男の人!」
「おいおい……気が早いぞ、ミシェル。まだ恋なんて……」
父がおろおろし始めた。ミシェルは十七歳だからむしろ初恋がまだなら遅い方だと思うのだが、父にとってはそうではないらしい。
たぶん父や母にとっては、双子はいつまでも子どもなのだろう。母も笑って言う。
「そうね。いつかは結婚してしまうとしても、ゆっくりでいいのよ」
「そうそう、結婚と言えば……」
父はそこで思い出したように言う。
「エアーリアは、そろそろ結婚の事も考え始める歳かな? 好きな人はいるのかい?」
「私? 私は好きな人なんて……」
いるけど、言えない。
父は続けた。
「いないのなら、プリントス伯爵のご子息なんてどうかと思ってね」
「え?」
私が戸惑った顔をすると、父は慌てて言う。
「いや、まだ相手には何の話もしていないんだよ。エアーリアがもし相手を気に入れば、その後で話をしようと思っていてね」
たとえ無断で父が婚約者を決めてしまっても、それは貴族であれば当たり前だと思うのだが、そうはせずに私の気持ちも優先してくれるところは優しいと思う。
「ほら、あそこにいる」
父が視線を向けた方へ私も顔を向ける。そこにはプリントス伯爵の長男であるリアムさんがいた。グラス片手に誰かと談笑している。
焦げ茶色の短い巻き毛の髪に、太い眉、垂れた目、すごく穏やかそうな顔立ちの男性だ。
「エアーリアは普段、ロキオ殿下と一緒にいて目が肥えてしまっているかもしれないが、彼もなかなか良い男だよ。何より誠実だし」
「彼とは何度か話した事があるでしょう? 気遣いのできる、優しい青年よね」
父と母はリアムさんに好印象を持っているようだ。確かに彼とは話した事があるけど、物腰の柔らかい人だった。私も悪い印象は持っていない。
けれどミシェルとミリアンは顎に手を当てて難しい顔をしている。
「こんな事言ったら悪いけど、すこーし地味よね」
「それにちょっと頼りなさそうな感じもするかなぁ。気が弱そうと言うか。あれで次の伯爵になれるのか心配だよ。ま、僕が言えた事じゃないんだけど」
「姉さまにはどんな人がふさわしいかしらって考えたら、姉さまと同じように控えめな人より、姉さまをぐいぐい引っ張っていってくれる人のがいいんじゃないかと思ったの。ミリアンはどう思う?」
「ああ、意外とそうかもね。とにかく姉さんを守ってくれるような人でないと」
きょろきょろと周囲を見渡して品定めし始めた二人に、母は困ったように笑って「あまり不躾な視線を向けるんじゃありませんよ」と注意をした。
父も双子が理想の義兄を見つけてしまう前に、私の背を押す。
「ほら、ちょうど彼が一人になった。試しに少し話をしておいで。気に入らなければ、また別にエアーリアにふさわしい相手を探してあげるから」
「はい……」
あまり気は進まなかったが、私も早く結婚して父と母を安心させたい気持ちがあったので、リアムさんの元に向かう事にした。
「こんにちは。お久しぶりです」
私は一人でいたリアムさんに声をかけ、名を名乗った。覚えてもらっていなかったらどうしようかと思ったが、彼は私の事を覚えてくれていたようだった。
「ああ、アビーディーの。確か下には双子の弟さんと妹さんがいたよね」
「ええ、今日も来ています」
私が後ろを振り返ると、父と母、ミリアンとミシェルは四人で楽しそうにお喋りをしていた。ミシェルが父にもケーキを食べさせてあげている。
「前も思ったけど仲の良い家族だね」
「そうなんです」
「あ、飲み物がないね」
リアムさんは私がグラスを持っていない事に気づくと、近くにいた給仕を呼んで飲み物を取ってくれた。
「どうぞ」
「ありがとうございます。今日はリアムさんのご家族は?」
「うちの家族もどこかにいるよ」
「皆さん、お元気ですか?」
「おかげさまでね。父は一度病気をしたけど、今はもうすっかり回復したよ」
そんなふうに他愛のない話をしばらく続けた。リアムさんも私とのお喋りを楽しんでくれている様子だ。
「立ったままで疲れない? 椅子に座るかい?」
「ありがとうございます。でも大丈夫です」
リアムさんは良い人だなと思う。強く惹かれるわけではないが、嫌だとも思わない。
このまま行けば、私はこの人と結婚する事になるかもしれない。そう思って、何となく虚しい気持ちになった。リアムさんは何も悪くないのだが、ロキオ殿下の事を忘れるには少し時間がかかるだろう。
私がそんな事を考えながら少しうつむいた時だった。リアムさんが照れたように笑って言う。
「君は美しくなったね。いや、子どもの時から綺麗な顔立ちをしていたけれど、双子の方が目立っていた印象だったんだ。でも君もとても魅力的だと、今改めて思ったよ」
「あ、ありがとうございます……」
私も照れて、少し顔が熱くなった。正面にいるリアムさんの方を見る事ができずに、飲み物に口をつけながら、何気なく視線を外す。
すると、外した視線の先でロキオ殿下がこちらを睨んでいるのに気づいた。
私はびっくりして目を丸くする。
殿下は相変わらず人に囲まれていて、誰かと話をしていたけれど、その相手越しに私とリアムさんをじっと見ている。眉間には深い皺が寄っていて、いつにも増して目つきが鋭い。
ロキオ殿下と話している相手は、殿下の機嫌の悪さを察して、「それでは私はこれで」と冷や汗をかきながら逃げて行く。
関係ないのに巻き込んでしまって申し訳ないと思いながら、私は目を泳がせて、ロキオ殿下を視界に入れないようにした。殿下の視線が刺さって痛い。
しかしリアムさんと話を続けていると、いつの間にか近寄ってきていたロキオ殿下に突然肩を掴まれた。
「エアーリア、楽しそうだな?」
私は心の中で「ひぃ」と声を上げた。




