31日目
フルートーからの帰りの馬車の中は、私にとってかなり試練の場だった。
ぎゅうぎゅうに詰まって座らなくても馬車は狭くないのだが、隣りに座ったロキオ殿下がこちらとの距離を適切に開けてくれないので、私は馬車の壁に追い詰められるはめになった。
そしてその状態で殿下は延々と私の容姿を褒めるのである。髪が黒絹のようだとか、瞳の色は美しい夜空のようだとか、肌は陶器のように滑らかで白いとか、桜色の頬がどうだ、細い手の指がどうだ、唇がどうだと。
スピンツ君はにこにこ見守っているだけで助けてくれないし――殿下の顔が私に近くなると「キスはまだ駄目ですよ」とよく分からない注意をしてくれていたけれど――ロクサーヌは私と殿下の膝を行ったり来たりして寝ているだけだしで、とても大変な時間だった。
私はずっと赤面していたと思うが、その時の記憶は曖昧だ。恥ずかし過ぎてあまり記憶に残っていない。
だけど耳元でこんな事を言われたのは覚えている。
『もうあのブローチはつけてくれないのか?』
ロキオ殿下に想いを伝えられてから、私はブローチをつける事をやめた。ブローチは私の恋心と一緒に、大事に箱に仕舞ってある。
ブローチを大切に胸元につけたまま殿下のアプローチを拒否しても、説得力がなくなると思ったのだ。
けれど「ロキオ殿下の気持ちに応えられないからブローチもつけない」と私が伝えても、殿下は余裕の笑みを浮かべていた。私が本当は殿下に惹かれているという事実に、多少なりとも気づいているせいだろう。
でも駄目なのだ。私たちが両想いだろうとなんだろうと、ロキオ殿下はサベールの王女様と結婚するのだから。
(うう……。もう全部白状してしまいたい)
私は馬車の中で紡がれるロキオ殿下の蜜のような甘い言葉に参ってしまって、そんな事を思ったのだった。
王城に着くと、私はまず王妃様の元に向かおうとした。
こっそり行こうかと思ったけど、ロキオ殿下は今では私の一挙一動に注目していて、黙って行くと怪しまれそうだ。声をかけてから向かおう。
「殿下、王妃様に無事戻ってまいりましたと報告しに行ってきます」
「王妃に?」
ロキオ殿下は眉根を寄せて顔をしかめた。
「お前は私の侍女なんだぞ。何故いちいち王妃に報告をしに行くのだ」
甘い顔は消え、苛々しているような低い声で言う。しかしロキオ殿下らしい不機嫌な表情を見ると、何だか安心して「ふふ」と笑ってしまう。
「何を笑っている」
「いえ、殿下がとても……」
「とても?」
「な、何でもありません」
私は慌てて自分の口を抑えた。愛しいという意味で、「可愛い」という言葉が出そうになったから。
しかし私に対して鋭い観察力を持ち始めたロキオ殿下は、私が顔を赤らめたのを見て、にやりと口角を上げた。
「とても素敵? 格好良い?」
「違います……」
むしろそっちの方がまだいい。顔をしかめている相手に対して可愛いとか愛しいとか思い始めたら末期だ。
「とにかく、王妃様のところに行ってきます。一応挨拶しに行くだけですので」
「すぐに戻って来るんだぞ」
そそくさと逃げると、後ろからそんなふうにロキオ殿下の言葉が飛んできたのだった。
私が部屋を訪れると、王妃様は他の侍女たちを下がらせて言った。
「おかえり、エアーリア。無事に帰ってきて何よりだわ。フルートーはどうだったの?」
「はい、とても良いところでした。私はお屋敷から出ていませんが、執事のクロッケンさん親子にも色々と教えていただいて……」
「そう。フルートーを楽しめたならよかったわ。それで、この二週間でロキオとは何か進展があった?」
ロキオ殿下と同じアイスブルーの瞳で、王妃様は私を見た。
私は少しうつむいて答える。意気消沈している感じが出るように。
「はい……それが、全く上手く行かなくて……。ロキオ殿下には嫌われてしまったようです」
「あら、どうして? 何かしたの?」
ロキオ殿下の侍女を辞めるための嘘の理由はすでに考えてある。
ロキオ殿下に告白され、私もロキオ殿下を好きだと気づいた――という真実は話せない。話せば王妃様は、次に何を言い出すか分からないから。
「では、もっと愛されるようにするのよ。ロキオを確実に失恋させるためにね」とか「一度付き合ってしまうのもいいわね」なんて事を言い出すかもしれない。
嘘をつくのは嫌なのだが、仕方がない。
私は「何かしたの?」という王妃様の言葉に頷きながら答えた。
「はい。実は、以前に王妃様から教えていただいたロキオ殿下の好みの女性を演じてみたのです」
「私が教えたロキオの好み? 明るくてお喋りな子だったかしら?」
「はい。それに、人懐っこく、少しわがままな妹のような子が好きだと教えていただきました」
「そうだったわね。それで、そういう女性を演じたの?」
「そうです。ロキオ殿下に積極的に話しかけ、たまにわがままを言ってみたりして、殿下との距離を縮めようとしました。けれど私は少しやり過ぎたようで、殿下には鬱陶しがられて、決定的に嫌われてしまいました」
申し訳ありませんと言いながら目を伏せる。
「このまま計画を続行しても、私ではもうロキオ殿下に好かれる事はないと思います。ここから印象を改善させる事は難しいです」
私はおずおずと王妃様を見つめ、続けた。
「王妃様、私ではもう無理です。王妃様の期待に応えられず、満足な成果も出せずに戻ってくるのは心苦しいのですが、このまま私を嫌っているロキオ殿下の元で侍女を続けるのも辛いのです。私がそばにいてはロキオ殿下も不快な思いをされるでしょう。ですから、どうか私を王妃様の侍女に戻してくださいませんか?」
懇願すると、王妃様は考えるように閉じたままの扇を口元に当てた。
「……本当にもう無理なの? そこまでロキオに嫌われてしまったと言うの?」
「はい、取りつく島もありません」
「そう……」
王妃様は探るようにじっとこちらを見ているので、緊張して私の額には冷や汗が浮かんだ。けれどそれは前髪で隠れているので見えないはず。
何秒、いや何十秒そうやって観察されていただろうか、やがて王妃様はため息をついて私から視線を外した。
「まさかエアーリアがそんなにやる気を出すとは思わなかったわ。実はね、あなたに教えた『ロキオの好みのタイプ』というのは、全て嘘なのよ」
私は大きく目を見開く。
「嘘……ですか?」
「ええ、そう。本人に訊いたわけではないけれど、母親ですもの、あの子の好みくらい予想がつくわ。そしてそれは、『明るくお喋りで、人懐っこく、少しわがままな妹のような子』ではないの。ロキオの本当の好みはね、それとは正反対の女性よ。つまり、控えめで、物静かで、どこか寂しげな女性。そしてこれは私の意見だけど、ロキオには妹タイプの女性より姉タイプの女性の方が合うと思うの。ロキオは末っ子だし、我の強い部分もありますからね、わがままな妹タイプの子ではぶつかってしまうわ。包容力のある女性でないと」
王妃様はそこで愉快そうに口角を上げて笑い――ロキオ殿下もよくする笑い方だ――こちらを見た。
「ねぇ、分からないかしら? これってまさにエアーリアの事なの」
「私……?」
「そうよ。私は、あなたはきっとロキオに好かれるはずだと思っていたのよ。だからこの秘密の計画を任せたの」
そこで王妃様は残念そうに眉を垂らした。
「だけどまさか、私が言った通りに演技をするなんて思わなかったわ。私はね、エアーリアはきっとこの計画には乗り気でないと思ったから、わざと正反対の好みのタイプを教えたのよ」
「な、何故そんな」
計画に乗り気でなかった事に気づかれていた、と分かって私は少なからず動揺した。
王妃様はじっとりとこちらを見て言う。
「だって、正直にロキオの好みを教えたら、エアーリアは自分との共通点に気づいて焦るでしょう? そしてどうにか好みの女性にならないよう、無理に明るく振る舞ったり、お喋りになったりするかもしれない」
「う……」
私は返事に困って顔を引きつらせた。確かに本当の好みのタイプを知っていたら、ロキオ殿下に好かれないように、明るく人懐っこい女性を演じたかもしれない。
「それではロキオの好みではなくなって、ロキオも興味を持たないかもしれませんからね。だからわざと反対の事を教えたのよ。そうすればエアーリアは、ロキオの好みが自分とは正反対だと安心して、変に演技をしたりせず、そのままの自分でいるだろうと思ったから」
王妃様に全部バレているではないかと、私は焦った。
けれど王妃様は困った様子で、大げさにこう続ける。
「だけど、まさかエアーリアがこの計画に乗り気になって、本当に明るい女性を演じてしまうなんて! こんな事、全く予想できなかったわ」
本当にそう思っているのだろうか? なんだか台詞が嘘っぽい。
王妃様は私の嘘にどこまで気づいているのだろう? と、はらはらしながら次の言葉を待ったが、思ったよりあっさりと、王妃様は私の訴えを聞き入れてくれた。
「いいでしょう、私の元に戻ってきなさい。この計画には元々無理があったし、エアーリアにも余計な仕事を与えてしまったわね」
「いえ、そんな……。けれど本当にいいのですか? 私、王妃様の侍女に戻っても」
私はおそるおそる尋ねた。王妃様は聡明な方だ。無理があると分かっていた計画を実行し、失敗し、結局何の成果も得られていないのに私をすんなりと自分の侍女に戻すなんて、王妃様らしくないように思える。
しかし王妃様は、条件をつけつつも、私がロキオ殿下の侍女を辞める事を許した。
「もちろんよ。ロキオには、他の侍女を付ける事にするわ。エアーリアは戻ってらっしゃい。ただ、あと一週間、ロキオのもとで頑張ってくれないかしら? ロキオの新しい侍女を雇うために少し時間が欲しいのよ」
「一週間ですか……」
「そうよ。一週間後にはちょうど建国祭が迫っているし、それが終わるまでは頑張ってちょうだい。どうかしら? 頼めない?」
王妃様は可愛らしく眉を下げ、困った顔をして私を見た。そんな顔をされたら断れない。
「……分かりました。一週間後の建国祭までは頑張ります」
「よかったわ。よろしくね。一週間もあれば、まぁ大丈夫でしょう」
王妃様はにっこり笑って言ったのだった。
新しい侍女を見つけるのは一週間もあれば大丈夫、という事ですよね……?




