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1日目(3)

「王妃と二人で、一体何を企んでいる?」


 私は大きく目を見開いてロキオ殿下を見上げた。

 間近にある青い瞳に、動揺している私の顔が映っている。


「た、企んでいるなんて、そんな……。どうしてそんなふうに思われるのですか?」


 とりあえず相手に質問を返して時間を稼ぐ。ロキオ殿下は眉間に皺を寄せて言った。


「お前が四、五年ほど王妃の元にいるのは知っている。侍女の中で王妃に一番信頼されている事も。だからおかしいのだ。使えない侍女を私に押し付けるというなら分かるが、自分のお気に入りの侍女を私に貸すなどおかしい。今までそんな事一度もなかった。何か裏があるに決まっている」


 ロキオ殿下のその言い分は私にはよく理解できなかった。

 確かに裏はあるのだが、でも王妃様は使えない侍女を息子に押し付けるなんてしないと思う。


「裏なんて何もありません。ロキオ殿下の侍女二人がまだ新人のようなものだという事で、私が指導をするように言われただけです」


 こちらを睨んでくるロキオ殿下の視線に怯えつつ答える。裏なんてないと嘘をつくのは心苦しい。だけど侍女二人の指導をするのは本当だ。


「王妃様はロキオ殿下の事を心配しておられるのです。おそばにいるのが仕事に不慣れな侍女たちだけでは、殿下が大変だろうと」


 そう言うと、ロキオ殿下は私の言葉を馬鹿にするように短く笑った。


「王妃が私を心配? そんな事あるわけないだろう」

「……何故ですか? 王妃様は愛情深い方です。ロキオ殿下の事も当然心配して――」

「黙れ」


 ロキオ殿下の瞳がすっと冷えた。そして壁についている手とは反対の手のひらで私の口を覆う。

 それは決して強い力ではなかったけれど、壁際に追い詰められて口を塞がれるというのはちょっとした恐怖だ。

 

 殿下も私の目に映る怯えに気づいたのだろうか、我に返った様子で決まり悪そうに手を放すと、フンと鼻を鳴らし、


「……まぁいい。精々こき使ってやろう。ちょうど部屋が荒れているんだ。来い」


 と、そう言ってから、私に背を向けて階段を上って行った。部屋が荒れているというのは、先程の従者の少年が猫を放ったせいだろう。


(ちょっと怖かった……)


 少し距離を置いてロキオ殿下を追いかけながら、自分の胸を押さえる。

 今すぐ王妃様のところへ行ってロキオ殿下の行動を言いつけてやろうかと思ったが、こちらにも嘘をついているという負い目があるので、強く糾弾する事はできそうもない。

 

(やっぱりロキオ殿下は怖いし、高圧的だわ。さっきはいい人のようにも見えたけど)


 ロキオ殿下の私室に到着すると、先に中に入って行った殿下に続いて、私も部屋に足を踏み入れる。

 従者の少年が連れてきた猫のせいで部屋は荒れていると覚悟していたが、予想よりずっとマシな状況だったので密かに胸を撫で下ろす。

 暴れたと言ってもしょせんは猫だから、テーブルやソファー、本棚をひっくり返す事はできなかったようだ。


「他の侍女は新しいカーテンを調達しに行っている。お前はまずは部屋の片付けを」

「はい」


 ロキオ殿下は私を信用していないようだが、淡々と指示は出してくれるので大人しくそれに従う。

 きっとカーテンは猫が暴れたせいで傷がついてしまったのだろう。うちの実家の猫も、子猫の時はよく爪を立ててカーテンに登っていたものだ。

 

 部屋を見回すと、テーブルの上に置かれたままだったティーカップが倒れてお茶がこぼれていたので、まずはそれを片付ける事にした。割れていなかったのは幸いだ。


 部屋の隅にあったワゴンから布巾を取ってテーブルを拭きながら、ロキオ殿下の行動を横目で確認する。

 気の立っている猛獣と同じ部屋に入れられている気分なので、殿下が今どこにいるのか把握しておかないと落ち着かない。


「ロクサーヌ。今度はそんなところに隠れているのか」


 しかし私の警戒をよそに、ロキオ殿下は優しい声を出して自分の愛猫の名前を呼んでいた。

 ロクサーヌは、私が拭いている脚の長いテーブルとは別の、脚の短いテーブルとセットになっているソファーの下にいるらしい。

 侍女たちがカーテンを外して持っていってしまったので、そちらに隠れ場所を移したのだろう。


 そのソファーには脚がついているので、下には、体の柔らかい猫ならぎりぎり入り込めるくらいの隙間がある。ロキオ殿下も床に這いつくばってそこを覗き込んでいた。

 高慢なイメージのロキオ殿下だが、愛猫のためならばためらいなく床に膝をつけるらしい。

 

「ほら、出てこい。もうあの野蛮な猫はいないぞ」


 ロクサーヌに対しては殿下の声は甘くなるんだなと思いながら、私はテーブルをピカピカに拭き上げていく。

 

「届かないな」


 ソファーの下に手を伸ばしていたロキオ殿下だったが、やがてそう呟いて立ち上がると、ぐるりとソファーの裏側に回った。そちら側にロクサーヌはいるのだろう。

 ソファーの背は壁についているわけではないので、ロキオ殿下は再びそこで床に這いつくばって手を伸ばした。

 しかし――


 ロクサーヌの威嚇の声と同時に、殿下は短く息を吐き、手を引っ込める。引っかかれたのだろうか?

 私は少し心配してそちらを見た。


「大丈夫ですか?」

「平気だ」


 おずおず尋ねるが、殿下はこちらを見る事なく、そっけなく言った。


「ロクサーヌ、大人しくしていろ」


 殿下はまたもや手を伸ばすが、ロクサーヌはソファーの下で興奮しているらしく、シャー! という必死の威嚇の声が聞こえてくる。


「殿下……。ロクサーヌが落ち着くまで、少し放っておいてあげた方がいいのではないでしょうか?」


 おそらくまだ混乱していて、飼い主である殿下にも威嚇してしまっているのだろう。落ち着けば自分から出てくるだろうし、今は無理に出さない方がいいような気がする。

 

「お前は黙っていろ。侍女が口出しするな」


 しかし私の進言は殿下に一睨みされただけで聞き入れてはもらえなかった。

 私も差し出がましい真似はしたくないし、これ以上ロキオ殿下の機嫌を悪くさせたくはないのだが、ロクサーヌが可哀想なので口を出さずにいられない。


「申し訳ありません。けれど私の実家の猫も雷に驚いてこんなふうに机の下に隠れた事があったのです。その時もやはり、無理に出そうとした弟や妹は手を傷だらけにしていました。それで結局放っておく事にしたのですが、三時間かかったものの、やがて机の下から出てきたので、ロクサーヌもきっと時間が経てば落ち着くのではと思っただけなのです」


 それだけ伝えてから、またテーブルの片付けに戻った。

 ロキオ殿下はしばらく考えていたようだが、ソファーの下をもう一度心配そうに覗いた後で立ち上がった。どうやらロクサーヌを無理に出すのはやめたようだ。

 意外と素直に私の意見を聞き入れてくれたので、内心驚く。


「救急箱を取ってきますね」


 私は布巾を一旦置いて、ロキオ殿下の手の甲を見つめて言った。血は出ていないが、赤い引っかき傷ができている。


「手当てするほどの傷ではない」

「一応です」


 そう答えると、私はすぐに部屋を出た。ロキオ殿下の返事を待っていても「必要ない」と繰り返すだけだろうから。

 そして城の医務室から救急箱を一つ借りると、急いでロキオ殿下の元に戻った。


「手を見せてください。一応消毒しておきましょう」


 ソファーに座っているロキオ殿下の前でひざまずいて言うが、ロキオ殿下は嫌な顔をするだけで手を差し出そうとはしない。


「自分でする」

「けれど……」

「お前は片付けを続けろ」


 救急箱を奪われたので、私は諦めて片付けに戻った。あまり食い下がっても反感を買うだけだろう。

 ロキオ殿下は猫と一緒だ。

 あまり追いかけ回して構わずに、ちょっと放っておくくらいの方がいいのかもしれない。

 猫だって構い過ぎると嫌われるし、逆に距離を置くと追いかけてきたりするから。


 そう考えて、はたと我に返る。


(いやいや、私は猫には追いかけられたいけど、別にロキオ殿下には追いかけられたくないから)



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