表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
27/48

21日目

 フルートーに来て四日目。結局私は、カリンに直接何か言う事はしないと決めた。やはり何をどう言っていいか分からないからだ。

 その代わり、カリンに廊下で出くわしたりしても、避ける事も逆に睨んだりする事もせず、普段通りに接するようにした。

 他の使用人にするように明るく声をかけ、だけどへりくだる事はせず、凛と背筋を伸ばす。

 

「おはよう、いい朝ね」


 朝食を食べに調理場に向かうと、そこでカリンたち使用人と会ったのでにっこり笑って言った。

 カリンの近くにいた他の使用人は同じように笑って「おはようございます」と挨拶を返してくれるけれど、カリンは苦々しい顔をして黙り込むだけだ。


「あんたも挨拶しな」


 しかし年かさの女性使用人がカリンに注意すると、やっとぼそぼそと挨拶をする。


「……おはようございます」

「ええ、おはよう、カリン」


 なるべく余裕を見せながら返した。私を妬むならそれもカリンの自由だ。だがいちいち反応していられない。

 そして私は朝食を食べた後で歯磨きをし、ロキオ殿下の寝室に向かった。そろそろ着替えが終わっている頃なので、殿下の髪を整えるためにだ。


「おはようございます、殿下」

「おはよう、エアーリア」


 最近、ロキオ殿下はよく私の名前を呼んでくれる気がする。それによく笑いかけてくれるし。

 最初は疎ましげな顔をされる事もあったけど、今は私を自分の侍女として認めてくれたのかと思うと嬉しい。そばにいる事を許してもらえたようで。


 そこでふとこんな事を思った。カリンにどんな態度を取られてもあまり気にならないのは、ロキオ殿下がいるからかもしれない、と。

 カリンに嫌われたってロキオ殿下に認められているからいいのだと開き直れるし、ロキオ殿下の侍女として胸を張っているべきだと思うと、カリンに対して毅然とした態度を取れる。

 ここでの私は『アビーディーの令嬢』というより『ロキオ殿下の侍女』だから。



 その日、ロキオ殿下はまた仕事で外出する予定だったので、見送りのために私も一緒に玄関に向かった。

 玄関前では執事のクロッケンさんとサラさんも見送りのために待機していて、護衛としてついて行く四人の騎士はすでに馬に乗っていた。

 そしてロキオ殿下が乗る馬車の御者も、車の扉を開けて待っている。


 けれどロキオ殿下とスピンツ君が馬車に乗り込もうとしたところで、少し離れたところから馬のいななきが聞こえてきた。

 その馬は屋敷の脇から前庭に飛び出してきて、興奮気味に辺りを駆け回った。おそらく厩舎の方から来たのだろう、後からセオさんが慌てて追いかけてくる。

 

 門は閉まっていたので外へは逃げられないが、馬はセオさんに捕まらないようにあっちこっちと逃げ回っていた。

 馬の巨体が近くを跳ねるように駆けていくと少し怖くて、体がすくむ。


「何事だ?」


 ロキオ殿下はいつの間にか乗りかけていた馬車から降りて、私の前に立っていた。片腕を少し広げて、私やスピンツ君を守るようにしながら。

 

「おい、待て! 止まれ!」

「セオ、大きな声を出すな」


 焦っている様子のセオさんに、殿下が声をかけ、こう続けた。


「ある程度落ち着くまで少し待とう。手綱はつけてあるようだし、近寄る事ができれば捕まえられる。裏門も閉まっているな?」

「はい」


 クロッケンさんが答えて息子の不手際を詫びる。


「申し訳ありません、殿下」

「構わない。あの馬はまだ調教途中だったな」

「ええ、これからセオが調教に行くところだったようです。性格も臆病ですから、何かに驚いて逃げ出したのかもしれません」


 そう言ってクロッケンさんも馬を捕まえに行こうとしたが、それを制して、騎士がロキオ殿下に言う。


「ゆっくり追い詰めます」

「ああ、頼んだ」


 馬に乗った騎士たちが四人でじわじわと暴れ馬を隅に追い詰め、やがて手綱を取る事ができた。

 

「申し訳ありません、殿下! これから外出される時にお騒がせして」


 セオさんは馬を引きながら、恐縮して頭を下げた。

 それにロキオ殿下が返すより早く、セオさんの事を兄のように慕っているらしいスピンツ君が言う。


「どんまいです! セオさん」


 一方、クロッケンさんとサラさんはセオさんに注意をした。


「新馬の扱いには注意しろと言っただろう」

「全く、門が開いていなくてよかったわ」


 父と姉に叱られて、セオさんはしょぼんとしている。

 そんな親子の様子を眺めていると、ロキオ殿下がぽつりと言った。


「ああいう関係を、時々羨ましく思う。エアーリアの弟と妹を見た時にも思ったが、喧嘩をしたり、ああやって叱ったり叱られたりできる家族の関係は、遠慮がある場合は難しいからな」

 

 そしてふと私を見下ろすと、こう尋ねてきた。


「エアーリアは家族に叱られた事があるか? 喧嘩をした事は?」

「私ですか?」


 さすがに一度くらいはありますよと思いながら、私は記憶を探った。

 だが、覚えている限りでは両親に叱られた事はない。

 それは私がいつもいい子でいようと心がけていたからかもしれないし、私が両親に気を遣っていたのと同じように、父や母も私に気を遣ってくれていたからかもしれない。

 それにミリアンやミシェルと喧嘩をした事もなかった。二人はお互いの事をからかう事はあっても、私をからかったり意地悪をしたりはしないからだ。

 たとえされたとしても、可愛い二人の事は許してしまうだろうけど。


「……ない、ですね」


 ぽつりと言うと、ロキオ殿下も静かに呟いた。


「そうか。私もない。かと言って褒められた事もない。特に両親には」


 私はさっと顔を上げてロキオ殿下を見る。殿下はまだクロッケンさん親子を見つめていた。

 その横顔が少し寂しそうに見えて、私は思わず殿下の方へ手を伸ばす。

 

「殿下……」


 けれどその時、視界の端にわくわくしている表情でこちらを見ているスピンツ君が映り、私は伸ばしかけていた手を引っ込めた。


「……な、何? スピンツ君」

「え? いいえ、何でもありません!」


 スピンツ君はパッと表情を変えて真面目な顔をすると、ふるふると首を横に振る。

 と、そんな事をしているうちにクロッケンさんとサラさんがこちらに戻って来て、ロキオ殿下も馬車に乗り込んだ。


「では行ってくる、エアーリア」


 殿下は穏やかな口調で言って、私に向かって軽く手を上げる。

 私もほほ笑んで返した。

 

「行ってらっしゃいませ、殿下。お帰りをお待ちしています」


 一緒について行けるスピンツ君を少し羨ましく思いながら、私は離れていく馬車を見送る。


(殿下が戻って来るのは夕方……)


 馬車は今、門を出ていったばかりだというのに、もう夕方が待ち遠しい。


 それから私は屋敷へ戻り、ロクサーヌの残りの爪切りに挑戦したり、ハンカチに刺繍をしたり、サラさんと掃除をしたりしながら過ごした。


 そして午後二時半、殿下が予定より早く戻ってきた時には、私は喜びを隠しつつ、急いで玄関に向かった。


「おかえりなさいませ、殿下!」


 出迎えに出ると、殿下はちょうど馬車から降りたところで、息を切らせて玄関から出てきた私を見ると、片方の唇の端を持ち上げて笑った。


「ただいま、エアーリア。ほら、土産を買ってきてやったぞ」


 ロキオ殿下はリボンが結ばれた小さな箱を手渡してくる。


「お土産? そんな、わざわざありがとうございます。何を買ってきてくださったんですか?」


 喜ぶ私に、ロキオ殿下はこう言いながら足早に屋敷の中に入っていってしまった。


「知らん。店の主人が強引に売りつけてきたものを買っただけだからな」

「そ、そうなのですか。なるほど……」


 少ししょんぼりしながら手の中の箱を見つめていると、スピンツ君がそばに寄ってきて耳打ちする。


「それ、ブローチですよ。帰りに殿下がわざわざ宝飾店に馬車を寄らせて、時間をかけて選ばれたんです。最初は指輪とかネックレスとか見ておられたんですけど、エアーリアさんは遠慮して受け取らないかもしれないと心配になったようで、最終的にブローチにされました」

「本当?」


 私は目を丸くして、すでにクロッケンさんと一緒に屋敷の中に入ってしまったロキオ殿下の後ろ姿を見つめた。


「殿下のさっきの言い方は、エアーリアさんが遠慮しないようにと思ったからですよ。あと、照れ隠しです」


 スピンツ君はそう言うと、「よかったですね!」と続けて笑顔で屋敷の中へ入っていく。


「明日、つけてみよう」


 そして私もほほ笑むと、ブローチの入った箱を両手で包むように持って、玄関の中に戻ったのだった。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ