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19日目

 フルートーへ来て二日目。今日、ロキオ殿下は朝から外出している。

 スピンツ君や領主代理のドミーさん、護衛の騎士を連れて、フルートーの領地を流れる大きな川を見に行ったのだ。護岸工事の進み具合を確認するらしい。

 昼食もドミーさんの家で食べるらしいので、私は夕方にロキオ殿下が戻ってくるまで少し暇だった。


 とりあえず、午前中は洗濯物をまとめて出したり、殿下の部屋の掃除をしたりしたが、洗濯物を洗ってくれるのはサラさんたちだし、部屋も元々綺麗に保たれていたので、私がやる事はほとんどなかった。


 結局、その後はロッキングチェアの上で丸くなっているロクサーヌを眺めつつ、殿下のハンカチに黙々と刺繍をする事になった。

 ロキオ殿下とスピンツ君がいないと部屋が静かだ。


 昼食はクロッケンさんやサラさん、セオさんと一緒に食べた。三人はそれぞれ仕事があるようで、食事を終えると順番に席を立つ。


「あ、サラさん」


 私の食器を一緒に片付けて最後に部屋を出て行こうとしたサラさんに、声をかける。


「何か私が手伝えるような仕事はない? ロキオ殿下がいないと時間が余ってしまって……」


 遠慮気味に言い、立っているサラさんを見上げた。

 しかしサラさんは無表情で――冷たいのではなく、これが彼女の普段通りなのだ――こう言う。


「では、殿下の私室にある本でも読んでゆっくりされては? 今朝、殿下がおっしゃっていた通りに」


 頭の中で殿下に言われた言葉が蘇ってきた。スピンツ君たちと屋敷を出る前に、殿下は私にこう言い残していったのだ。


『今日はエアーリアはゆっくりしていろ。フルートーにもこの屋敷にもまだ慣れないだろうから、無理をして貧血にならないようにな。そうだ、本でも読んでいればどうだ? 私の私室にある本棚のものなら、自由に読んで構わないぞ』


 昨日、私に「二回目に貧血を起こして倒れるのはいつになるだろうな」なんて言った事を気にしているのか、優しい声をかけてくれたのだ。

 

「じゃあ、そうしようかしら……。皆働いているのに自分だけ休むのは気が引けるけれど」

「エアーリア様は真面目ですね。夕食の準備を始めるまではのんびりされてください」

「ありがとう」


 というわけで、午後は本を読んだり、ロクサーヌのブラッシングをしたり爪を切ったりして過ごした。

 ロクサーヌはブラッシングは好きなようだが爪切りは嫌いらしく、ぐにゃぐにゃと身をよじって抵抗するので、結局右の前足の三本だけしか切れなかったが。


「少し休憩」


 ロクサーヌを膝から下ろすと、そう独り言を言った。


「ロクサーヌも偉かったわね」


 これ以上爪切りが苦手になってしまうと困るので、褒めて機嫌を取っておく。頭を撫でると、ロクサーヌは目を細めて小さく「ヒャア」と鳴いた。


「今は……まだ三時半」


 壁掛けの大きな時計を見て呟く。ロキオ殿下がいないと時間が経つのも遅く感じる。


(ずっと部屋に篭っているのもなんだし、やっぱり他に仕事がないか訊いてみようかしら)


 サラさんや使用人たちを探して、私は部屋を出た。屋敷の中は静かだったが、とある場所からは賑やかな声が聞こえてくる。

 私は外まで漏れてくるお喋りの声を頼りに、調理場に入った。

 

「あ、エアーリア様!?」

 

 私が顔を覗かせると、中にいた使用人たちはわたわたと立ち上がった。調理の時にも使うテーブルを囲んでお茶を飲んでいたらしい。

 料理人たちも休憩中なのか不在で、女性使用人ばかり全部で七人いたが、一番向こうの席にはカリンも座っていた。カリンは席を立つ事なく、こちらを見てお茶をすすっている。


「休憩中だったのね、ごめんなさい」


 肩をすくめてテーブルの上のお茶とケーキを見ると、使用人たちは慌てて説明を始めた。


「こ、このチーズケーキは、明日、ロキオ殿下に出すために料理人が試作したものなんですよ。別に私たちだけで食べているわけではなく……!」

「そうです、味見と言うか毒味と言うか、まずいものは出せないので確認のために食べていたんです」

「そんなに必死に説明してくれなくても、責めたりしないわ。ケーキくらい自由に食べて」


 思わずくすくすと笑ってしまった。

 手前にいた使用人が「どうぞ」と椅子を置いてくれたので、勧められるままそこに座る。

 サラさんはここにはいないが、カリンとも嫌な関係ではいたくないし、他の使用人たちとも親しくなりたいので、この機会に少しお喋りでもしてみようかと私は考えた。


「エアーリア様にもお茶を……」

「いいわ。私は大丈夫よ」


 使用人の皆も席に座り直したが、お茶やケーキには手を付けない。私がいるので食べづらいのだろう。遠慮していらないと断ったものの、素直に貰った方がよかったかもしれない。


「気にせず食べて」

「いえ、そんな」


 やはりカリン以外は誰もフォークやティーカップを持とうとしない。


「ええっと……」


 何か面白い話題はないかと頭を巡らせてみるも、口下手な私ではこの場を盛り上げられそうにない。スピンツ君なら、きっとこんな場面でもあっという間に彼女たちに馴染んでしまうだろうけど。

 それにこの状況では、私が長居するのは彼女たちにとっても迷惑だろう。

 人見知りのくせに慣れない事はするものじゃないと、結局、訊きたい事だけ訊いて帰る事にした。


「そう、私、何か仕事はないかと思ってここへ来たの。ロキオ殿下が出かけておられるから、手が空いてしまって。何か私でも手伝えるような仕事はあるかしら?」


 使用人たちは皆で顔を見合わせ、手前にいた中年の女性が恐縮したように「いえいえ」と手を胸の前で振る。


「侍女の方にやってもらうような仕事はありませんよ。とんでもない。それに見ての通り、私たちも今日はわりと時間があるんですよ」


 ちら、とテーブルの上の食べかけのケーキを見ながら、冗談ぽく笑う。


「そう、分かったわ」


 私も笑って、席を立とうとした。よく考えれば、普通は使用人がやる仕事を私がしていたら、彼女たちがクロッケンさんに叱られてしまうかもしれない。

 使用人たちと会話を弾ませる事もできず仕事も貰えなかったなと、大人しく二階に戻ろうとすると、


「あ、あの、エアーリア様」


 カリンの隣りに座っていた若い女の子が、恐る恐るといった様子で声をかけてきた。けれど瞳には好奇心が滲んでいる。


「エアーリア様は殿下の侍女になられてどのくらいなんですか?」

「私? 私はまだ三週間も経っていないわ」

「前の侍女の、えっと、マナ様とリィン様は今回は来られないんですか?」

「あの二人はもう侍女を辞めたのよ」

「そうなんですか」


 頷くと、もじもじしながら曖昧にほほ笑んでいる。

 私は首を傾げながら尋ねた。


「他に何か訊きたい事があるの?」


 促すと、恥ずかしそうに話し出す。


「いえ、訊きたい事と言うか、エアーリア様は殿下と仲が良さそうだなと思って……。昨日、殿下の傷の手当てをされていた時、殿下が明るく笑われていたじゃないですか」


 明るく、と言うか、意地悪な高笑いだったと思うけれど、ロキオ殿下にしては珍しく大きな声で笑っていたのは確かだ。


「それで私たちびっくりして。私はここで働くようになってまだ一年ですが、他の使用人も殿下があんなふうに上機嫌で笑っておられるお姿なんて見た事がないと言うので。ね?」


 そこで向かいの席に座っていた二十代くらいの女性使用人に話を振る。振られた彼女もおずおずと、けれど恋の話をする時の女の子のような顔をして言った。


「ええ。なんだか殿下とエアーリア様は、とってもお似合いのように見えました。殿下は今までほとんど女性に関する噂がなかったですけど、エアーリア様なら殿下とも合うんじゃないかって皆で話したりなんかして……」


 何故か彼女たちの方が照れながら、ちらちらとこちらを見てくる。

 そして次に会話に入ってきたのは、手前にいた快活で人の良さそうな中年女性だ。


「いえねぇ、私たちも領民として、勝手に心配しているだけなんですよ。私なんかは殿下がご領主になられた時からこのお屋敷で雇ってもらっているからか、老婆心が出てきてしまってねぇ。殿下は悪い人ではないと分かっているだけに、優しいお嫁さんを貰ってほしいと思って」

「そんな、私なんて」


 否定のためにブンブンと手を振る。ロキオ殿下は隣国の王女との結婚が決まっているのだ。それは本人すら、まだ知らない事なので、ここで使用人たちに暴露する事はできないが。

 私は話題を変えようと、こう尋ねた。


「ところで、今『殿下は悪い人ではないと分かっている』と言ったけれど、皆、殿下にはそういう印象を持っているのかしら? ここでの殿下の様子はどう?」


 実は、使用人たちがロキオ殿下に悪い印象を持っていない事に、私は少しびっくりしているのだ。

 王城の中でもロキオ殿下は別にすごく嫌われているというわけではないのだが、兄二人と比べて高慢だとか意地悪だとか、厳しいとか偉そうだ、なんていう悪いイメージを持っている者も多いから。私もそうだったし。

 私の質問には中年の女性が答えた。


「殿下はお優しいですよ。最初は気難しそうな王子様だねぇと思ったりもしましたし、実際、機嫌が悪い時もよくありますが。でも私たちに当たり散らす事はされませんし、逆に、たまに私たちを気遣って声をかけてくださるんですよ。短い言葉ですけど、『よくやってくれてるな』とか、『お前たちのおかげで屋敷はいつも綺麗だな』とか」

「それに、たまにクロッケンさん経由でお菓子を差し入れてくださったり、小物――ハンカチなんかをくださったりします」

「あと、お給金もはずんでくださいます。この屋敷に常駐して働いているのはクロッケンさん親子だけなので、私たちは一ヶ月ずっと働いているわけではないのに、それでもひと月生活できるだけの分をくださって、とても有り難く思っています」

「その分、一生懸命働かなきゃって思うわよね」


 手前にいた中年女性の言葉を補足するように、他の使用人も次々に喋り出す。

 どうやらロキオ殿下はここで働いてくれている人たち――もしくはフルートーの領民を、大切にしているのかもしれない。

 私は静かに言った。


「ここでの殿下は、王城にいる時よりのびのびされている気がするわ。きっと皆に気を許しているのね」


 その言葉を聞くと、使用人たちはパッと顔を明るくする。


「本当ですか? それなら嬉しいですね」

「城の中の世界なんて私らには分からない世界だけど、きっと色々大変な事もあるんでしょう。ここにいる時くらいは気を張らずにいてほしいねぇ」

「最近では私、殿下が不機嫌そうに顔をしかめていても、何だか可愛く思えてきてしまって……。うちの三歳の息子と同じように感情の表現が素直なんですもの」

「それ、分かります」


 皆の話を聞きながら、ロキオ殿下の不機嫌な態度や高慢な態度を可愛いと許し始めたら重症だ、と私は思った。近頃は私もその傾向があるので気をつけなければ。

 でも、ロキオ殿下はここの使用人たちには愛されているようで安心した。

 私は使用人の皆を見て言う。


「皆が殿下の事を親身になって見守ってくれている事、殿下もきっと分かっていると思うわ。まだ殿下に付いたばかりの私が言うのはおかしいかもしれないけれど、いつもありがとう」


 カリンは私の存在を無視するようにこちらを見てはくれないが、他の皆は照れたようにほほ笑んで私の方を見ていた。


「あと、それから、私たちがここへ着く前にロキオ殿下の部屋を掃除してくれたのは誰?」

「はい。私と隣りにいるこの彼女とサラさんですが……。な、何か不手際がありましたか?」

 

 一人の若い使用人が手を上げ、隣にいた同僚と一緒に不安そうな顔をする。

 私は慌てて言った。


「違うの、その反対よ。細かいところまですごく綺麗に掃除されていて塵一つ落ちていなかったから、すごいなと思っただけよ。掃除方法を教えてほしいくらい。殿下も気持ちよく過ごされているわ」

「それはよかったです」

「頑張った甲斐がありました」


 二人は嬉しそうに笑った。

 私もほほ笑みを返して、席を立つ。


「それじゃあ、そろそろ戻るわね。お邪魔してごめんなさい。ゆっくり休憩して」


 私が調理場を出ると同時に、使用人たちの安心したような声が漏れてきた。


「叱られるかと思ったけど、よかったわ。良い方よね、エアーリア様」

「ええ、上品な方だけど気取っていなくて」

「――皆、素直に喜びすぎよ。あの人、誰にでもいい顔をしたいだけだと思う」


 穏やかな会話の中で、一人だけ辛辣な発言をする。この声はカリンだ。

 戻って聞き耳を立てるわけにもいかないし、カリンの偏見に満ちた言葉は聞きたくなかったので、私は早足で調理場から離れた。

 

 カリンはきっと、私の事が気に入らないのだろう。

 普通の使用人の親から生まれ、運良く伯爵令嬢になっただけの人間が、自分の上に立っているのが。


(困ったわね……)


 私は廊下で一人、ため息をついた。


 カリンの事を考えると気持ちが沈むが、黄昏時になってロキオ殿下やスピンツ君が屋敷に戻ってくると、私の心も何だか軽くなった。

 玄関前まで出迎えた私に、馬車から降りたロキオ殿下は一番に声をかけてくれた。


「今日はどうだった? ゆっくりできたか?」

「はい、ありがとうございました」

「しかし、エアーリアとは久しぶりに会うような気がするな。日中、離れていただけなのに」

「そうですね」


 私は眉を垂らして、控えめにほほ笑む。


「寂しかったです」


 しかしそう吐露した途端、殿下は驚いたように目を丸くした。まるで私が何か衝撃的な言葉を放ったみたいに。

 おかしな事を言ったつもりはなかったが、相手の反応を見ていると不安になって、言い訳するように続ける。


「あの、侍女ってそういうものだと思うんです。主人第一という生活に慣れてしまっているので、殿下がそばにおられないと、今どうしてらっしゃるかなとか常に考えてしまって」

「私は侍女の気持ちは分からないが……」

 

 ロキオ殿下は複雑そうな顔をした後で、少しだけ顔を赤らめてこう続けた。


「私もお前が屋敷でどうしているかと考えていた」


 それだけ言って顔をそらすと、さっさと屋敷の中に入っていってしまったので、私も急いでその後を追った。

 殿下はただでさえ脚が長くて歩くのも速いのに、今日はいつも以上に速い。



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