18日目(1)
翌朝、私たちはロキオ殿下が治める領地、フルートーへと発った。
少し寒いのでコートを着込み、私はロキオ殿下とスピンツ君、そして猫のロクサーヌと共に馬車に乗り込む。残していくのも心配なので、ロクサーヌは毎回連れて行くようだ。
そして馬車の周りは、護衛としてついて来ている騎士の小隊が取り囲んだ。
「エアーリアさんはフルートーに行くのは初めてですよね?」
「ええ、そうよ。楽しみだわ」
「いいところですよ。王都よりのんびりしてて」
隣に座っているスピンツ君とお喋りしつつ、正面にいるロキオ殿下の事をちらりと確認する。殿下は脚と腕を組んで背中を椅子に預け、窓から外の風景を見ていた。膝の上に乗っているロクサーヌも首を伸ばして窓の外を見ようとしている。
今日は殿下には黒いロングコートを着てもらったのだが、意地悪そうな顔つきにそれがよく似合っている。
黙っていれば本当に美男子だと思いながら少し見とれていると、ロキオ殿下がふとこちらへ視線を向けた。私は慌てて目をそらす。
馬車の中は狭いし、向かい合っているこの状況は何だか気恥ずかしくて居心地が悪い。スピンツ君の位置に座ればよかったと後悔する。
けれどスピンツ君が常に喋ってくれているので、気まずい沈黙は味わわずに済んだ。
「この時期だと、花は咲いてないですよね。春だったらそこらじゅうに花が咲いてて綺麗なんですけど。フルートーのお屋敷の庭は、王城の前庭みたいにきっちり整備されているわけじゃなくて、自然なんですよ。だから庭師が植えた花以外にも野花がたくさん咲いてるんです」
「そうなの。見たかったわ」
「でも、あと半年もしないうちにまた春が来ますし、そしたら見られますよ」
「そうね」
半年か……。私はスピンツ君に相槌を打ちながら、自分はどれくらいロキオ殿下の侍女でいられるのだろうかと思った。
王妃様はこの計画にどれだけ時間を割くつもりでいるのだろう。半年ロキオ殿下の側にいて、殿下に好きになってもらえなかったら、王妃様は計画を諦めるだろうか。そして私を自分の侍女に戻してくださる?
(うーん……)
私は心の中で腕を組み、悩んだ。
最初は王妃様の侍女に早く戻りたいと思っていたし、今も王妃様にお仕えしたい気持ちは変わらないが、ロキオ殿下の事も心配だ。私がいなくなっても新しい侍女を雇うだけだろうけど……。
私はロキオ殿下の脚の上に置かれている右手を見た。下手に動かさない限り痛みはないらしいが、怪我をした中指にはまだ添え木が当てられている。ロキオ殿下は鬱陶しいからもういらないと言うのだが、侍医の勧めもあって一応そのままにしている。毎日包帯を変えるのは私の仕事だった。
殿下は負けず嫌いなので無茶もするし、何事も自分が納得するまでやる。最近だって私や侍医に隠れて剣の稽古を再開させようとしていたのだ。
それに殿下は仕事に集中していたら食事を忘れるし、就寝時間も平気で削る。だから周りの人間が色々と気をつけないといけない。
私が去った後、新しい侍女がその辺をしっかり気遣ってくれるか心配だ。マナやリィンのように殿下に恋をするのは構わないが、それとは別に、殿下の事をちゃんと見ていてほしいのだ。
(小姑みたい)
けれどそこで、自分の思考に眉根を寄せた。いつか新しい侍女が来ても、うるさく言わないようにしなければ。
ロキオ殿下は完璧な人ではない。
でも、完璧な人ではないから支えたくなるのかもしれない。
「着きましたね!」
フルートーにあるロキオ殿下の屋敷の敷地内に馬車が入っていくと、スピンツ君は窓の外を覗いて声を弾ませた。
屋敷はそれほど大きくはなく、正面から見ると四角いが、窓はアーチ型で可愛らしいし、壁は優しいクリーム色だ。
ロキオ殿下っぽくない素朴で可愛らしい雰囲気の屋敷だが、建てたのは殿下のお祖父様らしい。
城からここに来るまでは、途中で馬に水を与えるために馬車を停めたくらいで、それ以外は休憩なしで来た。ロキオ殿下は「馬車を降りて休憩を取るか?」と私に訊いてくれたが、疲れていなかったので遠慮したのだ。
実際、思っていたより早く着いた気がする。スピンツ君とずっとお喋りをしていたからだろうか。
御者が馬車の扉を開けて外に足場を置くと、スピンツ君がまず降りた。それにロキオ殿下が続き、最後に私が立ち上がる。
「どうぞ、お嬢様」
しかし私が降りようとした時、ロキオ殿下はからかうように言って優雅に手を差し出してきた。
馬車の周りには騎士もいたし、屋敷で働く使用人たちも出迎えのために玄関前に並んでいたので恥ずかしかったのだが、
「ありがとうございます……」
私は顔を赤くしつつエスコートを受け入れた。ロキオ殿下は私が恥ずかしがっているのに気づいて愉快そうに笑っている。
そんな事をしているうちに、私たちのそばには執事らしき中年男性が寄ってきた。歳は私の父と同じくらいで、髪は白髪が混じった柔らかい茶色、そして整えられた口髭を持っている。
「紹介する。執事のクロッケンだ。私がいない間、この屋敷の管理もしてくれている。クロッケン、彼女はアビーディー伯爵の娘で、私の新しい侍女のエアーリアだ」
「ようこそフルートーへ、エアーリア様」
「こんにちは、クロッケンさん」
執事というと厳格で神経質な人が多い印象だが、クロッケンさんは優しそうな人だった。体も少しふっくらしていて、おおらかそう。
ロキオ殿下は私のそんな考えを読んだかのようにこう付け加えた。
「クロッケンは執事としての仕事以外も、何でもやってくれる。この前は息子と一緒に厩舎の屋根に登って雨漏りを直していたな」
「自分の事は、執事というより屋敷の管理人だと思っていますからね。ああ、エアーリア様に娘と息子を紹介します。妻は亡くなったのですが、子どもたちが私を手伝ってくれているのです」
そこでクロッケンさんは後ろに控えていた若い男女を呼び寄せた。
「姉のサラと、弟のセオです」
姉のサラは、私と同じ歳くらいに見えた。真っ直ぐに伸びた茶色い髪は肩の上で切りそろえられていて、目は切れ長。美人だが少し冷たい印象だ。背も私より高い。
「よろしくお願い致します」
あまり表情も変わらないが、丁寧にお辞儀してくれた。私も同じように礼を返す。
弟のセオは十八歳くらいで、姉に比べると明るい印象の青年だ。シンプルなドレスを着ている姉と違って庭師のような作業着姿で、茶色の髪は短く、少し日に焼けている。
「セオです。よろしくお願いします」
私に挨拶してくれたセオさんに、スピンツ君が声をかける。
「セオさん! 会いたかったです!」
「おお、スピンツ! 相変わらず元気そうだな」
「セオさんも!」
セオさんとスピンツ君は、明るい者同士、気が合うようだ。
スピンツ君はわくわくしながら言った。
「馬の管理の事、今月は毛のトリミングを教えてくれるって言ってたの覚えてます?」
「ああ、もちろん。さっそく厩舎に行くか?」
「行きます!」
駆け出そうとするスピンツ君の首根っこを捕まえて、ロキオ殿下は馬車の方を顎で指した。
「荷物を中に運んでからな。ロクサーヌも部屋に連れて行ってやれ」
「あ、そうでした」
「お前もだぞ、セオ。荷物を運ぶのを手伝いなさい」
「はい」
セオさんも父親に言われて、馬車に積んでいる鞄を運び出した。体が大きいので、スピンツ君より倍の量を抱えている。
ロキオ殿下は呆れた様子でスピンツ君たちを見送ると、今度は私に声をかけてきた。「ぼーっと突っ立ってないで手伝え」と言われるのかと思えば、意外に優しい言葉が降ってきた。
「疲れていないか?」
「え? いいえ、大丈夫です。ロキオ殿下こそ移動でお疲れでは? お茶をお淹れしましょうか?」
「いや、今はいい。それより疲れていないなら、サラに屋敷の中を案内してもらうといい。お前の部屋も用意してある。――サラ、頼んだぞ」
殿下はサラさんにそう言い残すと、クロッケンさんに「ドミーはいつ来る?」と尋ねながら先に屋敷の中に入っていった。『ドミー』とは、忙しい殿下の代わりに領地を管理してくれている領主代理の名前だ。殿下は着いて早々に仕事をするつもりらしい。
――と、ロキオ殿下の出迎えに出てきていた使用人の女の子が、殿下が自分の前を通り過ぎた瞬間に、小声ではしゃいだ声を上げた。
「わ! こんなに近くで王子様を見られるなんて! ここの使用人になってよかった!」
「うるさいよ、カリン。静かにしな」
瞳をきらめかせるカリンという女の子に、隣りにいた恰幅のいい中年女性の使用人が注意する。
そして私の目の前にいたサラも、カリンを見て静かにため息をついた。
「あの子はこの前、雇ったばかりなんです。少し騒がしい子ですが、しばらく大目に見てやってください」
「ふふ、元気そうな子ね」
屋敷を案内してもらうため、私もサラと一緒に玄関に向かった。するとカリンは、今度はこんなふうに言って興奮していた。
「ねぇ! あの人、アビーディー伯爵の娘だって紹介されてたわよね。つまり昔のアビーディーの王族の血を引いてるって事? さすが、ロキオ殿下ともなると侍女もすごい人がつくのね」
一応声は潜めているつもりなのだろうが、こちらにまでばっちり聞こえている。
サラはもう一度ため息をつくと、「すみません」と私に謝ってくれた。私は苦笑いして答える。
「いいのよ。でも私は養子だから、それを知ったらあの子はがっかりするでしょうね」
私は本来、ただの使用人の子だ。アビーディーの王族の血なんて継いでいない。
けれどサラは、内心どう思っているのかは分からないが、私が養子だという事にも良い意味で興味がない様子で淡々と返してくれた。
「まぁ、勝手にがっかりさせておけばいいですよ」
サラは一見冷たく見えるが、単にさっぱりした性格をしているだけのようだ。
真面目そうだし気が合うかもと、人見知りな私にしては珍しくそんな事を思った。




