16日目(2)
ミシェルはまだロキオ殿下の事を完全には信用していないようだったし、父やミリアンも態度には出さないだけでロキオ殿下の人となりをはかっている様子だったが、一応和やかな空気で会話は続き、対面は終わった。
「殿下はお忙しいでしょうし、あまりお時間を取らせても申し訳ないので、そろそろ失礼させていただきます」
父がそう言って立ち上がると、ミリアンとミシェルも殿下にお礼を言った。
するとロキオ殿下もソファーから立ち上がって「下まで送る」と言ってくださり、全員で部屋を出る事になった。
待機場にいるであろううちの馬車と御者を乗り場まで移動させるため、スピンツ君が先に廊下を駆けていく。
「今日は王都の屋敷に泊まるのか?」
先頭を歩いていたロキオ殿下が振り返って、父たちに尋ねた。自分の領地にある本邸とは別に王都に屋敷を持っている貴族は多く、うちもそうなのだ。
父は穏やかに笑って答える。
「ええ、今からアビーディーの城に戻るとなると着くのは真夜中になるでしょうから」
「アビーディーは遠いからな」
「はい。今日はこの後、少し王都で買い物をしようかと思いまして。ミシェルが靴が欲しいと言うので」
「大人っぽいものが欲しいんです」
嬉しそうな顔をするミシェルに、ミリアンが呆れて言った。
「一体、何足靴を買ってもらえば気が済むんだよ。もうすでに、うちの城の一室がミシェルの靴で埋め尽くされてるのに」
「ミリアンだってこの前、新しい馬を買ってもらっていたじゃない。あと、斬れもしない骨董品の剣とか。あんなもの必要?」
「あれはマクリオ王が使っていたっていう噂がある剣なんだよ」
「噂でしょ?」
軽い口喧嘩が始まったので止めようとするが、それより先にロキオ殿下に話しかけられる。
「お前の弟と妹は、双子だけあって仲が良いんだな」
「今は口喧嘩の真っ最中ですが……」
「喧嘩できるような気の置けない兄弟関係というのは、理想だろう」
「……ええ、そうですね」
眉を下げ、少し笑って頷く。
双子であるミシェルとミリアンの事を羨ましく思った事は何度もある。喧嘩もするが、二人は〝もう一人の自分〟であるお互いの事を一番に想っていて、誰も二人の間に割って入る事はできない。当然、私も。
改めてそんな事を考えて少し寂しさを感じていたら、その顔をロキオ殿下にじっと見られていた。
「な、何か?」
「気持ちは分かる」
「え? 気持ち、ですか?」
ロキオ殿下は静かに頷いた。
しかし「えっと……?」と私がいつまでも戸惑っていると、
「分からないならいい」
ロキオ殿下はムッとして前を向いてしまった。すぐに機嫌が悪くなるんだから。
しかし少し遅れてハッと気づく。ロキオ殿下も三人兄弟で、兄二人の仲が良いから、「気持ちは分かる」と言って慰めてくださったのだろう。
しかし一度会話は終わってしまったので、私は私の一歩前を早足で歩くロキオ殿下に何と声をかけていいか分からず、結局口をつぐんだ。
せっかく殿下が優しさを見せてくださったのに、鈍い自分の頭を叩きたくなる。言われた直後にちゃんと気づけたらよかった。
そうこうしているうちに城の一階に着いたので、巨大な正面扉から外に出る。アビーディー家の大きな馬車と御者、さらに父の従者のロワードが、スピンツ君と共に玄関前で待機していた。
私は馬車の後ろに積まれている荷物を指差し、父やミシェル、ミリアンに言う。
「これ、私からの贈り物よ。昨日のうちに買っておいたの。父さまには葉巻、ミシェルには髪飾り、ミリアンには革の手袋が入ってる。あと、母さまには絹のハンカチ、ニピーにはおもちゃを買っておいたから、渡しておいてくれる?」
ニピーとは、うちで飼っている猫だ。私が八歳の時に拾ってきた猫なのでもうお爺ちゃんだが、今も元気で遊び好きなのだ。
「嬉しい! ありがとう、姉さま!」
「前に僕が乗馬用の新しい手袋が欲しいって言ったの、覚えててくれたんだ」
ミシェルは素直に喜んでくれ、ミリアンも嬉しそうにはにかんだ。二人とも本当に可愛いなぁと、こちらまで笑顔になってしまう。
父も「ありがとう」と喜んでくれたが、次には私の肩に片手を置いてこう言った。
「だけどエアーリア、お前はいつも私たちに何か贈り物をしてくれるが、自分のお金は自分のために使っていいんだよ」
「ええ、父さま。自分のものも買ってるから大丈夫よ。この前はドレスを一度に三着も作ったの」
父が遠慮しないようにそう言った。ドレスは普段侍女の仕事をする時に使うシンプルで動きやすいものだったので、それほどお金はかからなかったのだが、三着まとめて買ったのは本当だ。
「それならいいが。ありがとう」
父はもう一度ほほ笑んで言った。
仕事をし始めてお金を得るようになってから、私が事あるごとに家族に贈り物を贈ってきたのは、感謝の気持ちを少しでも形にして表したいからだ。
父や母にはこれまで育ててくれた感謝、ミシェルやミリアンには私の事を姉と慕ってくれた感謝があるから、何かで返さないとと思ってしまう。
「姉さま、また近いうちに家に帰ってきてね」
ミシェルは私の手を取って言い、さらにこう続けた。
「それともいっその事、私もお城で働こうかしら。ロキオ殿下は侍女が足りないようだし」
「ミシェル、何を言い出すんだ」
突然のミシェルの言葉に私が何か返すよりも早く、焦った声を出したのは父だ。
そして次には困ったように笑うと、ミシェルの背に手を添えて言う。
「お前がいなくなってしまったら家の中が寂しくなってしまうよ。ミシェルはやめておいてくれ」
「確かに家がすごく静かになりそうだね」
ミリアンも同意して笑った。
――お前がいなくなってしまったら。
頭の中でその言葉が反響する。お前〝も〟ではなく、お前〝が〟と父は言った。
(『ミシェルはやめておいてくれ』……)
私に王妃様の侍女の仕事を紹介してくれたのは父だったなとぼんやり思い出しながら、私も皆に合わせて笑顔を作った。
「ミシェルはいつも元気だものね」なんて、姉らしく言いながら。
「もう! 分かったわ。私はミリアンと一緒に、父さまや母さまのそばにいてあげる」
「そうしてくれ」
父は笑顔のまま振り返り、「それでは、殿下」と、ロキオ殿下に最後の挨拶をする。
「今日はお時間を頂き、ありがとうございました。エアーリアの事をよろしくお願い致します。私の血を継いでいたらこうはならなかっただろうというくらい真面目でしっかりした自慢の娘ですから、きっとご迷惑はおかけしないと思います」
「ああ」
ロキオ殿下は短く頷く。
そうして父がミシェルやミリアンと共に馬車に乗り込もうとしたところで、ざぁっと音を立てて強く風が吹いた。
風は私たちの近くに生えていた木にぶつかり、冬に向けて茶色く紅葉していた葉を一斉に落とす。
「わっ」
雨のように落ちてくる枯れ葉にミリアンが目をつぶり、その隣ではミシェルもまぶたを閉じて髪を押さえる。
腕一本ではなかなか防ぎきれないけれど、父は双子の頭の上に手をかざし、落ちてくる葉っぱが二人に当たらないようにしていた。親子の、自然な光景だ。
けれどその光景をただ見ていた私は、目の近くに当たった枯れ葉に小さく「いた」と声を漏らした。頭にもいくつか葉が乗ったような感覚がする。手を伸ばして取ろうとするが、髪に引っかかって上手く取れない。
風がやむと、ミシェルは声を上げた。
「嫌な風ね! 髪がぐちゃぐちゃになってしまったわ」
「あはは、本当だ」
ミリアンはそう言って笑いながらも、ミシェルの髪についた葉っぱを取ってあげている。そしてミリアンの髪についた葉っぱは父が取っていた。
「父さまも」
「ありがとう、ミシェル」
最後にミシェルが手を伸ばして父の髪についた葉っぱを取ると、三人は笑い合ってからこちらを振り返り、私に手を振って、従者のロワードと共に馬車に乗る。
「姉さま! またね!」
「贈り物をありがとう!」
馬車の窓から顔を出しているミシェルとミリアンに、私も大きく手を振りながら三人を見送った。
(行ってしまった……)
寂しいようなホッとしたような、おかしな気持ちになる。
馬車が門から出て行くのを眺めながらしばらくぽつんと立っていたが、自分の頭に葉っぱが乗っている事を思い出して、再び手を伸ばした。
手にはすぐ葉っぱの感触がしたが、やはり髪が絡まって上手く取れない。
しかし私が一人で四苦八苦していると――
「取ってやる」
ロキオ殿下の手が後ろから伸びてきて、私の髪に触れた。
一瞬ロキオ殿下の存在を忘れていた私は、ハッとして振り返る。
「動くな。さらに絡まるだろ」
「あ、すみません」
「四つも乗ってるぞ」
「そんなに」
ロキオ殿下と向かい合って、じっと動かないようにする。
髪まで引っ張らないように注意しながら、ロキオ殿下は丁寧に一枚一枚葉っぱを取ってくれる。
だけどこのタイミングで、そんな優しさを見せないでほしいとも思う。
私は、葉っぱくらい自分で取れるのに。
今までずっと、そうしてきたのに。
ロキオ殿下が取ってくれた葉っぱが地面に落ちていくたび、じんわり胸が熱くなる。
どうしよう、自分でもよく分からないが、泣いてしまいそうだ。
少しうつむいて、きゅっと強く唇を結ぶ。まつげが震えているのが自分でも分かる。
自分の感情に追いつけないまま涙をこらえていると、ふとロキオ殿下の手が降りてきて、私の頬を撫でた。
「殿下……?」
頬に当てられたままの左手に困惑しながら、涙目になっているかもしれない瞳を殿下に向ける。
「あの」
やんわりと、後ろに一歩下がろうとした時。
ロキオ殿下の薄い青の瞳がこちらに近づいてきたが、それでも私はロキオ殿下が何をするつもりなのか分からなかった。
――だって、まさかキスをされるなんて思わないから。
「……!?」
殿下の唇の温かさを感じた瞬間、私は目を見開いて硬直した。
今、自分に何が起きているのか理解しようとしても、思考も止まってしまって頭が働かない。
キスをしていた時間はほんの一秒ほどだっただろうが、ロキオ殿下の唇がゆっくりと私の唇から離れていくまで、やたらと長く感じた。
ロキオ殿下はキスが終わってもずっとこちらを見つめていたが、ある瞬間にハッと息をのんだかと思うと、それを合図に私と同じように目を丸くした。
そして次には顔を赤くし、口元を片手で覆って、よろめきながら踵を返すと、足早に城の中へと戻っていってしまう。
何故キスをした方がそんな反応をするのか。
置いて行かれた私は、動揺したままその場に突っ立つ。
しかし自分から五歩ほど離れたところにスピンツ君がいるのに気づくと、ギギギ、と音が鳴りそうなぎこちない動きで彼に近づき、震える声で言った。
「……み、見てた? ……今の……今の、なに?」
呼吸もままならない私に対して、スピンツ君はいつも通りだ。
歯を見せてにこっと笑い、おちゃめに言う。
「見てました! キスですね!」




