12日目(2)
イオ殿下は、この国の第一王子だ。
性格は大らかで、いつも堂々としている。体格がいいというわけではないのに、王族のオーラで実際よりも大きく見えるような気がする。
髪は父親である国王陛下と同じ明るい茶色で、顔立ちも陛下に似ていて優しげだ。
意志の強そうなつり目の王妃様と違って、国王陛下は垂れ目なので、イオ殿下もいつもほほ笑んでいるように見える。
「母上に聞いたよ。ロキオ付きの侍女になったんだって?」
イオ殿下は廊下で立ち止まって、私に声をかけてきた。
王妃様とロキオ殿下という完璧な美形の二人と比べると、国王陛下と陛下に似たイオ殿下、シニク殿下は親しみやすい顔立ちをしておられる。
オーラはあるけれど変な威圧感もないので、実は私も王妃様やロキオ殿下と話す時より緊張せずにいられる。
「はい、二週間ほど前からになります」
「母上は君の事を気に入っていたのに、手放すなんて信じられないな」
イオ殿下は穏やかに笑いながら言った。
私も少し笑顔を作って答える。
「いずれロキオ殿下の侍女の数が揃えば、私はまた王妃様の侍女に戻れると思います」
「ああ、そう言えば母上も、エアーリアは一時的に貸しているだけだと言っていたな」
イオ殿下が思い出したように言った後で、シニク殿下も会話に入ってきた。
「けれどロキオの元に残っていた侍女二人も、この前、城を出ていってしまったんだろう? 先は長そうだね」
シニク殿下は物静かで控えめだが、賢く優しい王子だ。イオ殿下とは仲が良く、「兄を影で支えるのが弟である自分の使命だ」というような事をいつも言っている。
イオ殿下よりさらに柔和な顔立ちで、垂れた目は少し細め。そして腰に届くほど長い茶色の髪は、いつも後ろで一つに縛られている。
雰囲気の穏やかさと物腰の柔らかさは、本当にロキオ殿下の兄なのかと疑ってしまうほどだ。
「侍女の事は、ええと、色々とありまして……。ロキオ殿下だけが悪いというわけではないのですが」
侍女が辞めた事について、私は歯切れ悪く言った。ロキオ殿下は悪くないと言い切ってしまいたいが、私が勝手にマナとリィンの醜聞を喋ってしまう事もできない。
私がロキオ殿下を庇うような発言をした事に、イオ殿下もシニク殿下も少し驚いたようだった。
「その様子だと、エアーリアはロキオと上手くやっているのかな? 厳しい事を言われたりはしていないかい?」
「ええ、大丈夫です」
さっき話した元同僚の侍女たちと同じような事を言われて、笑ってしまった。ロキオ殿下は侍女を苛めるのが趣味とでも思われているんじゃないだろうか。
我が主人の株を上げておかねばという使命感にかられて、私は続けた。
「ロキオ殿下はお優しいですよ。昨日、私が貧血で倒れてしまった時も、殿下が部屋まで運んでくださったんです。侍女がいなくて大変なのに、私の体調を気遣って今日は仕事をお休みにしてくださいましたし。それにロキオ殿下ははっきりとものを言われるところはありますが、私もそれは王妃様で慣れているので……」
冗談めかして言うと、イオ殿下やシニク殿下も笑ってくれた。
「そうだな。母上で鍛えられたエアーリアなら、ロキオくらいなんでもないかもしれないな」
「ああ、ロキオなんて可愛いものだろう」
ロキオ殿下の事を話す二人の声には情がこもっていたように思えたので、私も嬉しくなった。
イオ殿下とシニク殿下の二人はとても仲がいいという印象があったので、兄弟間でもロキオ殿下だけ除け者にされているのかもと心配したが、嫌っているような様子はない。
ベタベタと馴れ合う事はしないが、兄として見守ってはいる。そういう雰囲気だ。
「ロキオをよろしく頼んだよ」
二人は私にそう言い残して去って行った。
イオ殿下、シニク殿下と別れた私は、ロキオ殿下の執務室に向かう。今日は休みだと言われているので自室に戻って読書でもしようかと思ったが、昨日十分休んで体は元気なのに、自分だけのんびりしているのも気が引ける。
それにやっぱり仕事をしていないと不安だ。昨日倒れて迷惑をかけた分、挽回しなければ。
執務室に着くと、扉をノックして「入れ」という返事をもらってから中に入る。
ロキオ殿下は執務机に座っていて、その隣ではスピンツ君がティーポットを持って立っていた。
私の顔を見た殿下は、軽く目を見開いて言う。
「エアーリア? どうした?」
「昨日はご迷惑をおかけして申し訳ありません。今日は体調もいいので仕事をしようかと……」
「仕事を? 休んでいいと言っているのに働きたいとは変わっているな」
ロキオ殿下は不可解そうな顔をしてから、「本当に体調は大丈夫なんだろうな?」と尋ねてきた。
「はい。しっかり眠ってごはんを食べたら元気になりました」
貧血になりやすい体質は変わっていないので、調子に乗って無理はしないようにしなければいけないが。
ロキオ殿下は私を部屋に追い返すべきか迷ったようだったが、最終的には手に持っていたティーカップを指差してこう言った。
「それなら、これを淹れ直してくれるか?」
「お茶ですか?」
ティーカップの中には、澄んだ赤茶色の液体が入っていた。ロキオ殿下お気に入りのメールズティーだろう。
王妃様はほのかに甘くて爽やかな味わいのウィストンティーがお好きだったが、ロキオ殿下は濃くて苦味がある方が好きなようだ。
「僕が淹れたんですけど、失敗しちゃって」
スピンツ君は陽気に笑って言った。
「ポットに茶葉とお湯を入れるだけだし、僕でも淹れられると思ったんですけど」
「飲めなくはないが、薄いし渋いな」
ロキオ殿下はメールズティーを飲み慣れているし、味にもこだわりがあるようなので気になるみたいだ。
お茶を淹れるのは侍女の仕事なので、お湯の温度や注ぎ方、茶葉の量や蒸らし時間など、お茶を淹れる時に気をつけた方がいい細かいポイントをスピンツ君は知らなかったのだろう。
「だがまぁ、スピンツにしてはよくやった方だな。口に含んだ瞬間、吐き出す事も覚悟していたんだが」
「ありがとうございます!」
「褒めてはいない」
ロキオ殿下とスピンツ君が仲良くお喋りしている間に、お茶を淹れ直す事にする。
ティーポットに残った中身をワゴンの下の段に置いてある空のボウルに捨て、ちょうどいい具合に温まっているティーポットには新しく茶葉を入れた。殿下は濃い目がお好きなようなので、少し多めに。
ティーポットとは別のポットに入った熱湯はまだ冷めていなかったので、そのまま利用する。茶葉を泳がせるように熱湯を入れたら蓋をし、三分ほど待ってから、茶葉を濾しつつ新しいティーカップに注ぎ淹れる。
何も特別な事はしていないけれど、お茶を淹れる時はいつも美味しくなるよう愛情を込め、丁寧にやっているつもりだ。
ロキオ殿下は基本的に砂糖は使わないので、何も入れずにお茶を差し出す。殿下はそれを一口飲んで、珍しく褒めてくれた。
「私好みの味だ。やはりエアーリアに任せるのが一番だな」
「あ、ありがとうございます」
今の言い方からすると、前からそう思っていてくれていた様子だ。
ロキオ殿下に認められたような気がして、胸に安堵感が広がる。
「ありがとうございます……」
照れながら、小さな声で繰り返す。
「嬉しそうですね、エアーリアさん」
気づけばスピンツ君とロキオ殿下がこちらを見ていた。
慌てて表情を引き締めようとしたが、どうにも締まらないので、潔く認めてしまう事にする。
「ええ、すごく嬉しいわ」
顔を赤らめて、はにかむ。
すると「よかったですね」と言ってスピンツ君が笑う横で、ロキオ殿下にはフイッと顔をそらされてしまった。
(これくらいの事で喜び過ぎたかしら)
そんな事を思って少し心配になり、私はロキオ殿下の仕事の邪魔にならないよう、ワゴンのある方へすごすごと下がっていったのだった。