11、12日目(1)
三十分ほど横になっていたら段々回復してきたので、私はゆっくりとまぶたを持ち上げた。
枕の上で首を捻り、暖炉のついた暖かい部屋を見回す。
すると、ベッドから近過ぎず遠過ぎないところでロキオ殿下が椅子に座ってこちらを見ていたので、私は少しぎょっとした。
「殿下、おられたのですか」
侍医の先生に診てもらった後、先生と一緒に部屋を出て行ったと思ったが、どうやら私が目を閉じている間に戻って来ていたらしい。
「寝てろ」
ロキオ殿下は眉根を寄せて言った。いつにも増して不機嫌だ。
「いえ、もう大丈夫です」
慌てて起きようとするが、頭を持ち上げたところでまためまいがした。
「寝てろ」
ロキオ殿下は再び言って立ち上がると、私の肩を押して無理やりベッドに沈めた。
あの、病人にはもう少し優しくしてくださると……。
「お前、私の怪我に対してはやり過ぎなくらい気を遣っていたのに、自分の体調には気を遣っていなかったのか? 私に無理はするなと言っておきながら、自分が無理をしているではないか」
「すみません……」
私は何も言い返せずに目を伏せた。
元々貧血にはなりやすかったが、最近忙しくてきちんと休めなかったり、自分の食事は後回しにして、たまに時間がないと一食抜いたりという事をしていたので、そのつけが回ってきたのだろう。
体調管理もできない侍女に対して、ロキオ殿下はさぞお怒りに違いない。私はもう一度謝罪するため、恐る恐る殿下と目を合わせた。
しかし私が謝るより先に、殿下が口を開く。
「だが、責任は私にあるな……。侍女の仕事をお前一人に任せた上、怪我をしてお前の負担を増やした」
ロキオ殿下は包帯がぐるぐる巻かれた右手を軽く持ち上げて言う。
「そんな……」
「明日からは、城の使用人を何人かお前につける。部屋の掃除なんかは全部使用人にさせればいい。侍女もそのうち新しく雇うつもりだが、侍女が長続きしないという私の〝悪名〟が貴族の間にも届き始めていてな。まともな者は、大事な娘を私の元に寄越そうとはしない」
最近だけでも侍女が四人辞めているのだ。侍女の方に問題があったというのが真実だけど、皆はそれを知らないので、ロキオ殿下が厳し過ぎるのではと疑うのだろう。
「結果、私のところに来るのは、まともでない貴族が下心を持って送り込んでくる娘だけになるだろうからな、それは遠慮したい」
「そう、ですね……。私もそう思います。変な人が来ても一緒に仕事をするのが大変そうです」
仕事の途中で倒れている私が、他の侍女をどうこう言える立場ではないのだが。
「侍女を増やすのはもう少し待ってくれ。だが、さっきも言った通り、使用人に任せられる仕事は全部任せてしまって、お前も十分休みを取るように。今日はずっと寝ていろ。明日もお前は休みだ」
「いえ、そんな、ただの貧血ですから明日は大丈夫です」
「いいや、休みだ」
ロキオ殿下はそう言いながら、ずれた毛布と上着を私に掛け直し、
「後でスピンツに食事を運ばせる。肉を用意させたから、食欲があるなら食べろ。フロンが貧血には赤身の肉がいいと言っていた」
「あ、ありがとうございます……」
色々と申し訳ない気持ちになりながら、部屋を出て行くロキオ殿下を見送った。
殿下はベッドから身を乗り出す私に、声は出さずに唇だけを動かして、もう一度「寝てろ」と言ってから去っていく。
(殿下は、私に呆れたかしら?)
つけっぱなしだった髪飾りを取り、もぞもぞと毛布にもぐって考える。
使えない侍女だと思われていたらどうしよう。特に何の取り柄もない私の長所は、仕事を真面目にこなすという点だけなのに。
私は少し不安になったが、しかし体調が万全でないまま仕事をしてまた迷惑をかけるわけにもいかないので、大人しく眠る事にしたのだった。
そして翌日、休日を貰っていたので昼までゆっくり眠ると、私は身支度を整えて部屋を出た。
ちゃんと昼食を食べてから、王妃様の私室に向かう。今日は定期報告の日なのだ。
部屋の前では、元同僚の侍女四人に会ったので挨拶を交わした。
「エアーリア、何だか久しぶりね」
「エアーリアさんが突然ロキオ殿下付きになったって聞いて驚いたんですよ。それに心配しました。ロキオ殿下から厳しくされてないですか?」
同期の侍女と後輩の侍女が順番に言う。
私がロキオ殿下付きの侍女になってまだ二週間も経っていないというのに、かつての仕事仲間の顔を見ると懐かしい気持ちになる。
私は笑って答えた。
「厳しくされると覚悟していたけど、思っていたより優しい方だったから大丈夫よ。それより王妃様はいらっしゃる?」
「ええ、中におられるわ。また話を聞かせてね、エアーリア」
「ええ。それじゃあまた」
昼食で使った食器を下げるため、ワゴンを押して侍女たちは去っていく。
私はしばらくその後ろ姿を眺めた後、扉の脇に立っている顔見知りの近衛騎士たちに挨拶代わりにほほ笑みかけてから扉をノックした。
「王妃様、エアーリアです。入ってもよろしいですか?」
「どうぞ」
「失礼します」
待っていたわよと言って私を迎えて入れてくれた王妃様は、顔立ちも雰囲気も相変わらず『これぞ王族』といった感じで華やかかつ上品だ。
ロキオ殿下と同じ金の髪と碧眼は明るく輝き、身に着けている豪華なドレスや装飾品にも負けぬ美貌が眩しい。本当にこの方はもうすぐ五十歳なのかと疑ってしまう。
「さて、では報告をしてちょうだい。ロキオとの仲は進展したかしら?」
にっこりとほほ笑んで言われる。美しいはずのこの笑顔が怖いが、正直に言うべき事は言わなければならない。
私は、ロキオ殿下とは最初よりは仲良くなったがまだ異性として好かれてはいない事、そして昨日貧血で倒れてしまって殿下に迷惑をかけた事を報告した。
自分の失敗はなるべく隠していたいのだが、他の使用人や近衛騎士、ロキオ殿下本人から王妃様に伝わる前に、自分で言ってしまう事にした。
「まぁ、大丈夫なの? そう言えばエアーリアは私の侍女になった直後にも、貧血気味だと言って一日寝込んでいたわね」
「あの時は申し訳ありません……」
「何故謝るの? 他の侍女たちだって風邪や頭痛でよく休みを取っているし……」
王妃様はそこで宙を見つめて少し考え、目を丸くしてこちらを見た。
「よく考えれば、お前はこの四年、決められた休日以外は全然休んでいないじゃないの」
「……それが普通では?」
「何を言うの。他の侍女たちは、半年に一度は仮病を使って休んでいるわよ」
「そ、そうなんですか?」
それが常識のように言われて戸惑う。
「そうよ。仕事をしたくない日だってあるもの。わたくしだって仮病だと気づいても、それがしょっちゅうでなければ許しているのよ。侍女たちもそれは分かっているから、頻度をわきまえて仮病を使ってくるわ。でも、それでいいのよ」
そんな暗黙の了解があったなんて知らなかった。確かに王妃様に付いて働いていた時、侍女仲間たちは定期的に体調が悪くなって休んでいた気がする。
だけど人は人、私は私だ。
「私は仕事をしている方が精神的に楽なんです。休みを頂くと不安で」
私は眉を下げて言う。
「だって、仕事しか取り柄のない私が仕事を休んでいたら、私の価値がなくなってしまいますし……」
私が休んでいる間に、皆が『あれ? エアーリアっていなくても大丈夫じゃない?』と気づいてしまうのが怖いんです、と、そう続けようとしたところで、王妃様の眉間に皺が寄っている事に気づき、慌てて口をつぐむ。
不機嫌な顔をした王妃様は、ロキオ殿下と本当によく似ている。
「仕事しか取り柄のない? いい事、エアーリア? わたくしはね、わたくしのお気に入りを貶されるのが大嫌いなのよ」
王妃様は私を睨んで言ったけれど、私は逆に口元をほころばせてしまった。
王妃様のお気に入りとは、私の事を言ってくれているのだろう。以前から王妃様は事あるごとに私の存在を認めて褒めてくれるのに、つい自己卑下してしまう。
「申し訳ありません」
私は嬉しさを隠しきれずに少し口角を持ち上げながら、頭を下げた。
「お前はいつになったら自分に自信を持つのかしらね」
王妃様は独り言のように小さな声で呟いてから、
「さぁ、今日はもういいわ。部屋に帰って休みなさい」
と言って私を部屋から追い出したのだった。
王妃様の部屋を出て廊下を歩き始めると、私はふと改めて周囲を見渡した。
広い城の中でも、この一画は王族の居住区になっている。国王陛下や王妃様、第一王子のイオ殿下とその妃、そして第二王子のシニク殿下とその妃の私室や寝室がずらりと並んでいるので警備は厳重で、廊下では騎士たちとよく擦れ違う。
けれど、ここにはロキオ殿下の私室や寝室はない。殿下だけ少し離れたところに部屋を設けているのだ。
最初にその事を知った時は、高慢なロキオ殿下が家族の中でも厄介者のように扱われているからだろうと考えた。
おそらく、城の皆も私と同じ事を考えているはず。他の王族はロキオ殿下と顔を合わせるのを嫌がって、部屋を離したのだろうと。
その時はロキオ殿下の事をよく知らなかったし、そう予想しても特に何も思わなかった。王妃様側の人間だった私は、ロキオ殿下の性格に原因があるならそれも仕方ないのだろうと考えた。
でもロキオ殿下側の人間にもなった今、この事を改めて考えるとロキオ殿下が可哀想に思える。
ロキオ殿下は確かに高慢だし、いつも不機嫌そうにしているし、偉そうだし、イオ殿下のように将来の国王になるわけではないけれど、一人だけ除け者みたいにされるのは不憫ではないか。
部屋を離されるほどロキオ殿下の性格は悪くないと思う。とても良い人とまでは言わないが、悪い人ではないのに。
自分の主人が不当な扱いを受けていると思ったら、あまりいい気分はしなかった。
(王妃様はどう思っておられるのかしら)
王妃様は愛情深い人だと、そう思っていたけれど、本当に愛情深いのならロキオ殿下の部屋を離すなんて事はしないのでは?
そんな考えが一瞬頭をよぎったが、すぐに「いけない」と首を振る。そんな事を考えてはいけない。王妃様の人間性を疑うなんて。
私は急いで、自分の記憶の中から、王妃様はロキオ殿下をちゃんと愛しているのだという証拠を探そうとした。
けれど王妃様に付いていたこの四年の事をどれだけ思い返してみても、そんな証拠は出てこない。
むしろやはり、王妃様はロキオ殿下に無償の愛は注いでいないのではないかという疑問ばかりが浮かんでくる。
(王妃様はイオ殿下の事はよく褒めておられるし、シニク殿下とも笑顔で会話を交わされる。でも、ロキオ殿下には必要以上に構っていない)
とは言え、あからさまに蔑ろにしているふうではなく、思い切り嫌っているふうでもない。
王妃様はロキオ殿下と会えば普通に優しく声をかけられる。けれど、でもイオ殿下やシニク殿下ほど気にかけてはいない気がするのだ。
ロキオ殿下を可愛がっている様子もたまに見せるが、イオ殿下を褒めるようにロキオ殿下を手放しで褒める事はない。
それは王妃様の夫である国王陛下も同じだった。二人が一番愛しているのはイオ殿下なのではないかと思う。
イオ殿下は第一王子だからそんなものなのだろうか?
国王夫婦の三人の息子に対する扱いの差は大げさではないけれど、よっぽど鈍い人でなければ気づくものだった。
(確かにお二人は、王子たちに差をつけて接しておられる)
今更になってその事実に傷ついている自分に呆れる。
(ロキオ殿下は私のような養子ではなく、不義の子でもないはず。正真正銘、国王陛下と王妃様の子どもなのに……)
やはり、跡継ぎであるイオ殿下と三番目の王子であるロキオ殿下では、かける愛情も変わってくるのだろうか。
そんな事を考えながら歩いていると、廊下の先から数人の男性が近づいて来るのに気づいた。
後ろにいるのは近衛騎士たちだが、並んで先頭を歩いているのはイオ殿下とシニク殿下だった。
私は息を詰めて、廊下の端に寄る。
「おや? エアーリアか?」
頭を下げて目を伏せている私を見て、イオ殿下が立ち止まった。




