6日目(1)
主人よりも先に起きていなくてはならないので、侍女の朝は早い。
私は自分の支度を終えると部屋を出て、調理場に向かった。そして調理場の隣の部屋でまずは自分の朝食を食べる。メニューはロキオ殿下が食べる朝食と同じだ。
毒味というほどではないが、味がおかしくないかチェックしながら食べ終える。
「今日も美味しかったです」
空になった皿を調理場の使用人に渡し、料理長に声をかける。料理長は、穏やかに笑って返事をしてくれた。
「ありがとうございます。ロキオ殿下の朝食はいつもの時間で大丈夫ですか?」
「はい、いつも通りでお願いします。あと一時間弱で取りに来ますね」
歯を磨いた後でロキオ殿下の私室に向かい、カーテンを開ける。そろそろ肌寒くなってきたので、一応暖炉もつけた。暑いと言われたら消せばいい。
続いてテーブルクロスを新しいものに変え、カトラリーやナプキンを並べる。
「お花も新しいものを貰って来なくちゃ」
独り言を言いながら、花が入ったままの花瓶を持って部屋を出る。花はまだ綺麗に咲いているが、枯れ出す前に替えなければいけない。
(マナやリィンがいないから忙しいわね)
朝は特に仕事が多いから。
そろそろロキオ殿下を起こして着替えをしてもらわなければならない時間だが、それはスピンツ君に任せている。基本的に主人の着替えを手伝うのは同性の従者の役目なのだ。
一階へ下りてから、お城にくっつくように建てられている小さな温室に向かい、そこで作業をしていた庭師の男に声をかける。
彼は他の庭師と一緒に城の庭を整えたり、こことは別の大きな温室の管理をしたりすると同時に、王族の部屋や晩餐会で飾る花なども用意してくれるのだ。
「おはよう、ダン」
「エアーリア様。おはようございます。花ならそこのバケツにありますよ」
「ありがとう」
バケツに生けられた色とりどりの花を見て、その美しさにため息をつく。
「綺麗。ダンたちが愛情を持って育てているおかげね」
ほほ笑んで褒めると、ダンは照れ臭そうに笑った。
「今日は黄色系でまとめようかしら」
ロキオ殿下の金色の髪を思い浮かべながら花を選んでいく。王妃様もそうだけど、ロキオ殿下も豪華な大ぶりの花が似合う。
他にもメインの花を引き立てる花をいくつか選んで、持ってきた花瓶に挿す。古い花と水はダンが捨ててくれたようだ。
お礼を言って、またロキオ殿下の私室に向かう。
と、その途中、廊下を歩いていると、まだ寝室にいると思っていたロキオ殿下に遭遇した。
「ロキオ殿下? もう起きておられたのですか?」
「ああ」
ロキオ殿下は身軽な服装で、腰のベルトには剣を差していた。殿下の後ろにはスピンツ君もいて、同じく剣を携えている。
歩調を緩めずにスタスタと私の前を通り過ぎていくロキオ殿下の代わりに、スピンツ君が説明してくれた。
「剣の稽古のために裏庭に行っていたんです。早朝にロキオ殿下に『稽古に付き合え』って叩き起こされて。まだ眠いです、僕」
ロキオ殿下も鍛錬をしたりするのかと少し意外に思いながら、尋ねる。
「裏庭? 訓練場じゃなくて?」
花瓶を抱えながらロキオ殿下を追って歩き出すと、スピンツ君が「持ちますよ」と言ってくれた。しかしまだ水を入れていない細い花瓶はそれほど重くないので遠慮する。
スピンツ君はあくびをしながら答えた。
「訓練場だと騎士さんたちに見つかりますから。殿下は、努力しているところを他の人に見られるのは嫌なんです」
そこでロキオ殿下がちらりと後ろを振り返って睨んできたので、スピンツ君は声を落としてこそこそと続ける。
「殿下は、部下の騎士さんに手合わせで手加減されないようにしたいんですよ。ほら、殿下はいつも気を遣われて勝ちを譲られるので」
「それで……」
なるほど、と頷く。
私はロキオ殿下が前を向いているのをいい事に、後ろからじっと殿下を観察した。今朝は寒いのに、ロキオ殿下のこめかみには汗が光っている。真剣に稽古に取り組んだためだろう。
三人で階段を上がってロキオ殿下の私室の前まで戻ると、殿下は腰に下げていた剣をベルトから外してスピンツ君に渡した。
「片付けておけ」
「はい」
「エアーリアはタオルと着替えを。汗を流したい」
「入浴されるのですか? 湯を張るとなると少し時間がかかりますが、お待ちいただけますか?」
剣を持ってパタパタと廊下を去っていくスピンツ君の足音を聞きながら、私はロキオ殿下に答えた。
「いや、汗を流す分だけあればいい。湯には浸からないからな。それに、私が鍛錬している間に湯の準備をしておくよう、使用人には言ってある。浴室に行けばもう用意されているはずだ」
「そうなのですか。ではタオルと着替えをお持ち致します」
城には広くて豪華な浴場もあるが、そこを主に使うのはお風呂好きの王妃様で、あとは賓客が泊まる時に使用してもらうくらいだ。
王族の男性陣はあまりお風呂に時間をかけたくないようで、ロキオ殿下も普段は寝室にある自分専用の小さな浴室を使っている。
私は一旦ロキオ殿下の私室に入って、花を挿した花瓶をテーブルに置き、またすぐに部屋を出て向かいの衣裳部屋に行く。そこで殿下の着替えを選び、今度は私室の隣りにある寝室に向かった。
ロキオ殿下はすでに浴室に入っているようで、姿は見えないが音はする。
「ロクサーヌ、おはよう」
ベッドの上でまどろんでいるロクサーヌに挨拶し、浴室の扉近くにある棚からタオルとバスローブ、バスマットを取り出す。
(あれ? でも、これ、どうすればいいんだろう)
両手に抱えた着替えやタオル、バスマットを見つめて考えた。
広くはないが狭過ぎもしないこの浴室には、脱衣所がない。浴室の端に籠が備え付けてあるので、着替えはそこでするのだ。
つまりロキオ殿下が浴室にいるうちに脱衣所に着替えを置く、という事はできない。
とりあえずバスマットを扉の外側に敷きながら、考えを巡らせる。王妃様の入浴のお手伝いは毎日のようにしていたし、素肌にオイルを塗り込んだり、全身をマッサージしたりもしていたので、王妃様の裸は見慣れてしまっている。
だけどさすがにロキオ殿下の入浴中に浴室の扉を開ける事はできない。
結局、私はスピンツ君が戻ってくるのを待つ事にした。
しかしスピンツ君が来る前に、ロキオ殿下は汗を流し終わってしまった。
「エアーリア! タオル」
「は、はい、今すぐに。でも、あの、どうやって……」
私のうろたえた声を聞いて、殿下はやっと私が異性である事を思い出してくれたようだった。
「ああ、悪い。スピンツと同じように声をかけていた。扉を少し開けるから隙間から渡してくれ」
「はい。ではバスローブと一緒にお渡します」
隙間から着替え一式までまとめて渡す事はできないので、私は絶対に浴室の中を見ないようにしながら、腕だけ伸ばしてバスローブとタオルを渡した。
ロキオ殿下がそれを取ると、すぐさま扉を閉める。
(スピンツ君、まだかしら)
廊下を覗いてみるが、戻ってくる気配はない。どこに剣を片付けに行ったのだろう。
早く返ってきてとそわそわしていると、浴室の扉が開いて、バスローブ姿のロキオ殿下が出てきてしまった。
「エアーリア、香水を取ってくれ。ベッド脇の棚にある」
湯気をまとった濡れ髪のロキオ殿下は、私などよりよっぽど色っぽかった。自慢ではないけれど異性にはあまり免疫がないので、顔を赤くしながら固まっていると、
「おい、聞いているのか? 早くしろ」
ロキオ殿下は眉間に皺を寄せて言った。
「はい。申し訳ありません、すぐに」
高圧的に言われると、ちょっとイラッとしてしまって冷静になれる。私は心臓のドキドキが静まっていくのを感じながら、香水を取りに行った。
ロキオ殿下にときめきたくはないので、是非そのまま高圧的かつ横柄でいてほしい。
香水の瓶を持って戻ると、ロキオ殿下は手首の内側を表に向けてこちらに差し出してきた。私は瓶の蓋を開けて殿下の手首に香水をつける。蓋には硝子の棒がついているのだ。
ロキオ殿下のお気に入りの香水は、落ち着いた甘い香りがする。いい匂いだなと思いながら蓋を締めたところで、ふとロキオ殿下の指に視線がいった。
右手の中指が赤く腫れている。
「殿下、その指、どうされたのですか?」




