さあ今日を始めよう
さあ今日を始めよう
「──俺と別れて欲しい」
やはり自分は“振る役”より“振られる役”の方がしっくりくる。平凡な高校生である佐野秋はしみじみと自分の立ち位置を実感していた。一方、悲痛な表情を浮かべる端正な顔の男──冬田斗真の様なモテ男は“振る役”が相応しい。別れ話の最中、そんな事を考えている秋の思考を冬田が汲み取れるはずはなく彼は苦渋の色を滲ませた表情で謝罪の言葉を口にした。
「本当に御免。秋を嫌いになった訳じゃないんだ。でも他に好きな人が出来た」
「分かった。その好きな奴と幸せにな」
ーー放課後、誰もいない教室で二年以上付き合った男から別れを切り出されている。ここでようやく置かれている状況を思い出した秋は振られ役を甘んじて受けた。すると苦々しさに満ちていた冬田の表情は一転し、今度は呆気にとられた顔になる。驚いている様だ。
(こんだけあっさり納得すりゃあなー)
秋と冬田は幼なじみだ。お互いの性格は知り尽くしている。一途な性格の秋は、昔から冬田一筋で物心付いた頃にはもう冬田しか見えていなかった。冬田と付き合えるようになった時、死んでも良いと思うくらい舞い上がってしまったのを今でも鮮明に覚えている。そんな冬田から別れを切り出されたのだ。直ぐに納得しないだろう。冬田もそう思ったのか、別れ話を切り出す前からどこか身構えている節があった。けれど秋はあっさりと受け入れた。冬田は肩透かしを食らった形となる。
「話は終わったよね。帰っていいかな?」
「あ、ああ」
どこか釈然としない態度の冬田に気付かない振りを決め込んだ秋はこの場を立ち去った。
(俺、トータルで何回斗真に振られた事になるんだろう)
廊下を歩きながら溜息を吐く。1度目に振られた時、それはもう未練がましく「別れたくない」と泣きながら縋ったのが懐かしい。しかしいくら大好きな相手とはいえ、数えるのも嫌になるくらい振られ続ければ反応も薄くなるというもの。秋はもう既に6度目の“今日”を繰り返していた。所謂、ループというものだろうか。2度目の時はパニックに陥り、3度目の時はこれは夢なんだと現実逃避し、4度目の時はやはりこれは現実なんだと思い直し、5度目の時は何とか“今日”を終わらす方法を探ったり、そして6度目の今──もう笑うしかない。昨日までは極々平凡な毎日を過ごしていたはずなのに。どんな理由でこんな事になってしまったのだろう。よりにもよって何故“今日”をループする羽目になるのか。自分が善人に値するかどうかは分からないが、少なくとも悪人ではないはずである。なのにこの仕打ちは何なのか。嘆きたくなる気持ちを押し込めた秋は深呼吸をした。今は少しでも気合いを溜めないといけない。もう直ぐ“彼”が来るのだ。
「秋先輩」
「……夏沢」
綺麗な顔をした後輩が近付いてくる。部活前だからなのか、格好はジャージだ。強豪で知られる我が校のサッカー部に所属している夏沢は一年ながらエースとして有名だ。そんな夏沢は当然の様にモテる。いつもは陽気な雰囲気を纏っている夏沢だが“今日”はそれがない。緊張しているのだろう。その理由を秋は理解していた。夏沢は秋の隣に腰を落ち着けるとさり気ない日常話を始めた。今回は今朝テレビで見た占いの話だ。秋も通学前に毎朝見ている番組で毎度三分にも満たない簡易な占い枠がある。そこで最高の日だと看板アナウンサーが言ってたらしい。「ちなみに今日の俺のラッキーアイテムは数字6でした。アイテムなのに数字って変ですよね」と微笑む夏沢を見ながら彼の誕生日すら知らない事に気付く。咄嗟に聞かなければと思ったが、付き合うつもりもないくせに聞いてどうするつもりだと自身でその考えを直ぐに改め直す。日常の話。そう言えば前回はサッカーの話で、前々回は映画の話だったっけ。毎回内容は違えど、秋は笑顔を張り付けて相槌を打つのは同じ。このままで良い。どうかこのまま終わってくれないだろうかと願いながら。しかしいくらそう願っても止められないのだ。秋が心中で無駄な足掻きをしていると夏沢が黙り込んでしまった。二人の間にしばしの沈黙が落ちる。秋はその時を悟った。
「俺、秋先輩が好きです」
「っ!」
夏沢から告白される事、6回目。悲しいかな、冬田や夏沢とは違いモテ人生とは程遠い生活をおくっている秋は告白される状況に慣れなかった。6度も告白されるというのにその度に逃げ腰になる。出来ればこのまま本当に逃げ出したい所だが足が言うことを聞いてくれない。これは前回、5回目に告白された時に気付いた事だが“今日”起こった出来事の大筋ーー冬田に振られる事や夏沢に告白される事ーーは秋がどう反発しようとしても変えられないらしい。でも例えば冬田に振られた後の反応や夏沢に告白される前後の会話など、些細な所は変えられるらしい。果たしてこのループ世界にどんな意味があるというのか。秋は告白そのものよりもその後の行為が憂鬱でたまらなかった。夏沢の整った顔をちらりと盗み見る。これと言った取り柄のない秋の何を気に入ってくれているのか分からないが、妙に懐かれているのを感じる。人懐っこい笑みを向けられる度に大型犬を連想させる夏沢は秋にとって可愛い後輩だ。それは恋愛感情とは言えないが彼の事は好きだ。そんな彼を振るのは凄く気が重い。所謂、平凡な自分は振るより振られる方が身の丈にあっている。秋は改めてそう思った。
「御免。俺、夏沢とは付き合えない」
絞り出すように否定の言葉を紡いだ瞬間、夏沢の双眸が悲しみに揺れた。秋の心はきゅうっと締め付けられる。辛い。いつも太陽の様にキラキラと笑っている夏沢。そんな彼から笑顔を奪ったのは間違いなく自分で。自分が自分でうらめしい。
「お試しでも何でも良いです。このままただの後輩で終わるなんて嫌です。俺にチャンスを下さい……正直に言います。俺さっき秋先輩が冬田さんに振られてるの見ちゃいました。そんな秋先輩の心の隙をついてでも秋先輩を手に入れたい」
彫刻のように整った男の顔が情熱の言葉を囁きながら近付いてくる。息が掛かる程の距離で見つめられ、秋の心臓は面白いくらいに跳ね上がった。同時にあれ? っと疑問符が浮かぶ。これは初体験だ。今まで多少粘られた事はあったがこんな展開はなかった。冬田に振られた時、未練の一つも見せなかった所為かも知れないと頭の隅で原因を探る。今まで冬田に未練がましく縋っていた秋は、ある意味夏沢の想いの牽制になっていたのだ。
「大切にします、秋先輩」
唇が近付いてくる。自分は冬田に振られたばかりで。夏沢はただの後輩で。様々な思いを巡らせながら拒否しなければと思うのに身体が言うことを聞かない。今回は、6回目は今までのループ世界とは違う。夏沢の想いを断れない。
『二月生まれの貴方。“今日”は最高の日! そんな貴方のラッキーアイテムは数字の6!』
夏沢に唇を重ねられた時、脳裏にアナウンサーの声が蘇ってきた。先程話題に出された時は忘れていたが、そう言えば自分のラッキーアイテムも数字の6だった気がする。そうか。夏沢も二月生まれなのか。
「秋、先輩……好き。大好き」
「なつ、ざ……んっ! ふ……ンン」
甘い吐息と共についばむ様なキスを何度も何度も落とされるうちに秋の思考は奪われていく。気付いた時には夏沢と付き合う事になっていた。
「二月生まれの貴方。今日はハッピーな一日! そんな貴方のラッキーアイテムは貴方と同じ二月生まれの人!」
(それはラッキーアイテムって言えるのか?)
通学前、番組を見ながら脳内でツッコミを入れた秋は清々しい表情だ。こんなさり気ない違いにも笑みがこぼれる。“今日”が“昨日”になった事嬉しい。秋のループ旅行は6度めを最後に終わりを告げた。ループ世界に迷い込んだ理由は分からないが抜け出せたのは夏沢の告白を受け入れたからだと踏んでいた。不可抗力とは言え、好きでもない相手と付き合う事になったのだ。夏沢に失礼だと思うし、自分はまだ冬田の事を完全に吹っ切れたとは言えない。けれどーー。玄関から呼び鈴が鳴ったのを合図に秋は通学鞄を手に掛けだした。
「おはよー! 秋せんぱーい!」
玄関先には満面の笑みを浮かべた後輩が立っていた。そこには彼らしい陽気さがある。たまらず秋も笑顔になった。
「おはよ。あのさ夏沢」
「何ですか?」
「誕生日教えてよ」
夏沢に対して恋愛感情はない、今はまだ。