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七、くじら屋

「ウチさ、『くじら屋』っていって飯屋と宿屋をやってんだ。空き部屋あったと思うし、そのままウチに泊まることにしろよ。」

しばらく歩いていると、アレサがそう言った。

「俺お金とか持ってないよ。」

「事情話せばタダにしてくれるだろ。俺からも頼めばアンナもきっと分かってくれるさ。」

「アンナって?」

「『くじら屋』の主人だよ。気は強いけど気の利くいい奴だ。まあ時々何考えてんのか分かんねぇ不思議な所もあるけどな。」

「へぇ…」


話しているうちに裏路地から少し広い所に出る。すると、こじんまりとした三階建ての建物に向かって並ぶ人の行列が目に付いた。入り口に看板が掛けられていて、『Valar』という単語が筆記体とは似つかない少し崩れた感じで書かれていた。

「やべ、ソウヘイ走るぞ!」

「アレサ?」

それを見たアレサが急に駆け出す。付いて行くと、そのお店の裏口に荷車を停めていた。

「え、ここ?」

「そ」

やはり靴を履いてから「あげパン」と人の姿になり、その裏戸のノブをがちゃりと捻った。

「アンナ!悪りぃ遅くなった!」

すぐにそこはキッチンで、料理をしながらカウンター越しに客と対応している女の人が声に反応して振り返った。

「アレサ遅すぎ。昼サバね。」

ムッとした表情でその人はそう言う。白金色の短い髪にはふわりとウェーブがかかり、眠たそうな二重の下にはオリーブ色の瞳があった。大人びていながら可憐な彼女の姿に、蒼平は年相応に一瞬にして見惚れてしまった。

「え!?まじそれは勘弁して!!」

余程サバが嫌いなのか、アレサが必死になって懇願する。

「じゃあとっとと野菜運んで注文受けて。コックとウェイターを一人でやるなんて無理なんだから。」

「え、コテツは?今日いねぇの?」

「いつものアイドルの追っかけ。近くでライブするらしくてドタキャンされた。ほら、早く手伝ってよ。サバにするよ。」

「お、おう!」

アレサは慌てて野菜の詰まった箱を中に運び入れ始める。蒼平はなんだか疎外感を感じたまま、それでいて特に行動を起こすこともできず、邪魔にならないようなキッチンの隅にただ立っていた。すぐにアレサが寄ってきて、待ってろ、と言わんばかりに丸椅子を一つ置くとまた箱を持って行ってしまった。


一方でアンナはそんな蒼平に全く気付かずにテキパキと手元を進める。

茹で上がった大量のパスタを二つのフライパンに半分づつ入れてソースと絡め、四つの皿に盛りつけた。

「ペペロンチーノ二つにアルフレッド二つ。頼んだ人覚えてないから勝手に取ってって。」

カウンターに並べると、人がわらわらと出てきて各々の皿を取っていく。

「アンナちゃーん、俺のハッセルバックはー?」

賑やかな店内から茶化すように声が上がる。

「自分で食べる分のジャガイモ洗って。」

「えー俺客だよ!それにアンナちゃんの料理が食べたくて来てるのに。」

「手が足りてないの見て分からないの。それに誰が洗ったって結局私が作るんだから変わらないでしょ。仕事もしないで昼間っから酒浸りのくせして我儘言わないでよ。」

「うぐっ」

つらつらと痛い所を突かれて言葉を詰まらせる客。周りの客はそんなやりとりを見てより一層盛り上がった。

「さすが俺らのアンナちゃん!ペペロンチーノと言葉の辛さは天下一品だな!」

「そんな所も大好きだぜー!」

わいわいとヤジが飛んでくる。アンナは仏頂面のまま無視を決め込んで、幅広の野菜包丁でニンジンを真っ二つにぶった切った。

タイマーが鳴って、コンロの下のグリルを覗くと、二本のサンマが皮をフツフツとさせて焼き上がっている。菜箸を器用に使って生焼けな所が無いか確認すると、食器置きに手を伸ばした。

「…」

しかし、そこにはもう皿がなく、洗い場を見ると使いっぱなしで洗われずに積み重ねられた食器が溢れかえっていた。

「アレサ、皿洗って。」

「は、無理だよ。そんな暇ねぇって。」

エプロンを着けたアレサは、注文をとる傍らテーブルメイクも兼ねて食事の済んだ食器などをさげているようで、余裕は全くなさそうだった。

「…じゃあ客に、」

「一応、商売やってんだからな!あんま客をこき使ってやんなよ。」

「じゃあどうしろって言うのよ。私だって暇じゃないのよ。」

「それは、うーん…」

普段は他の従業員に雑用を任せている為、いざ居ないとなるとどうも作業が循環しなくなってしまうのだった。いい策が無いかと考え込んでいたその時、キッチンの奥でカタンと椅子が鳴った。

「あ、あの!」

チャンスとばかりに、ようやく蒼平が声を上げたのだった。

「俺でよければ、手伝います。」

「え!まじでいいの?」

「うん。」

「え、誰。」

「幸運の勇者だよ。」

「は?」

アンナにろくな説明もしないまま、蒼平を引っ張って洗い場に連れてくる。ヘチマのスポンジと石鹸を手渡し、お湯の出し方やタオルの場所を簡潔に伝えた。

「本当に助かるよソウヘイ。後でちゃんと礼するからな!」

アレサはそう言い残し、呼び鈴が鳴るテーブルに飛んで行った。

息を大きく吸って、大量の洗い物と対峙する。

皿洗いが好きだからというわけではないのだが、何もしないよりはまだマシに思えた。なによりも人と関わりたいという甘えにも似た気持ちが蒼平にはあった。アンナに気に入られたいとか、そういう邪な気持ちもあったかもしれない。若干浮かれ気味にヘチマを泡立てていく。

とにかく今の蒼平には、自分がなぜこの町に来たのかなんてことは、もうどうでもいい事になっていた。


「蒼平?…ふうん、あの子が…」


アンナは横目で見ながら、アレサが呼んだその名前を意味ありげにそう呟いた。


※『valar』=鯨(スウェーデン語)

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