一、秘密基地
嫌な予感は、そうなる事を望まなければ望まない程よく当たる。
蒼平はその日、ひどく心が落ち着かず、急かされる様に学校から帰っていた。家が見えてくると、母親が家の前でウロウロしているのが見え、胸騒ぎがした。
「そらちゃんがいないの。買い物に行く前はクッションで寝てたのに、いなくなっちゃった。足が悪いから遠くまでは行けないはずなんだけど」
切羽詰まった様子で母親が早口にそう言う。
「俺も探すよ。母さんは家の中をもう一度見て、俺はそらが行きそうなところをあたってみる。」
母親を宥めてから、玄関に荷物を放り込んで外へ駆け出した。
塀の上、隙間、公園のベンチや草陰、あいつがいつも居た場所を全て廻るがどこにもいない。時間が経てば経つほど最悪な結末を想像してしまい、その度に腕をつねって彼女を探し続けた。
日が暮れてきて、西から水彩絵の具を垂らした様に茜色に染まっていく。
こんな光景を前に誰かと見た様な気がして、その場所へと自然に足が赴いた。
雑木林の側の屋根の抜けた廃屋。
蒼平が小さい頃、秘密基地にしていた場所だった。出入り口としていた小さな穴を隠す様に立てかけられていた木の板切れが少しズレている。相変わらず戸には鍵がかかっていたので、数センチ開いていた窓をこじ開け、中へ侵入した。
雨漏りのせいで腐った木の床が、ギィギィと不穏な音を立てる。穴を開けない様に慎重に歩いて階段にたどり着くと、2階から射し込む茜色に目が眩んだ。
床に散らばる、過去に忘れたビー玉がキラキラと光を反射している。その光の中に、見覚えのある白色が丸くなっていた。
「なんだそら、こんなところにいたのか。」
蒼平は安堵の表情を浮かべて声を掛け、傍にしゃがみ込む。余程深く眠っているのか、ピクリとも動かない。いや、何か不自然だった。
「…そら?」
恐る恐る手を伸ばし、柔らかな背中に触れる。
太陽が山に隠れ、冷たい空気が降りてくる。
それと同じように、彼女の体は、あまりにも。
ーーー…ま…やま!
「佐山!」
「へっ?」
ずっと自分が呼ばれていたことにようやく気付き、間の抜けた声と共に顔を上げると、心配そうにこちらを見る4人の後輩達と苛立ったご様子の渡のぞみがいた。みんなトランペットを持っていて、部活の最中であったことを蒼平は今思い出した。
「ちょっと佐山、私の話聞いてた?」
「あ、ええっと…ごめん。」
きまり悪く笑って誤魔化す。しかし、責任感が強く自分にも他人にも厳しい渡が見逃すはずもなかった。
「佐山ね、部活っていうのは集団行動よ。一人でも勝手な事すると、他人に迷惑が掛かるの。分かってる?」
「耳タコです…」
「ええ?」
「すみませんでした!」
恒例行事ともいえるこの光景に、後輩達はクスクスと笑い声をたてている。蒼平も顔を見合わせておどけて笑って見せた。そんな中で、渡だけは面白くなさそうに蒼平をじっと見つめていた。
「…佐山さ、最近多くない?」
「多いって、何が?」
「今みたいにぼーっとすること。この一週間、毎日そうよ。何かあったの?」
ギクリと、心臓が跳ねた。
「…いや、別に何も…」
「嘘つくの下手くそ。何?人に言えないようなこと?」
「本当に何もないって…」
「何もないことないでしょ。1人で抱え込まないで人に相談して。」
「…だから俺は別に」
「そうすれば案外どうにかなるのよ。だから、」
「っ…もうどうにもならないんだよ!」
突然声を荒げた蒼平に渡は言葉を失い、後輩達は怯えて固まった。蒼平も、図らずも出た暴言に自分自身動揺を隠せないでいた。
「…あ、いや、ごめん!こんなこと言うつもりじゃ…ごめん…俺頭冷やしてくる。」
立ち去ろうと戸口へ向かう蒼平。
「…佐山、」
「ごめん渡。」
蒼平は渡の呼びかけを振り切って、遂に出て行ってしまった。
静かになった教室で、後輩達が不安げに顔を見合わせる。
「…なんであんたが泣きそうな顔をするの。」
蒼平が出て行った方を見つめたまま、渡は伝えきれなかった言葉を漏らした。