その2(2)
「運がいいこと」
「うん……ですか?」
「そう、運。自分達はそれが当たり前の日常を送っているから感覚が麻痺してるところもあるけれど、よく考えてごらん。航空機と乗用車、どちらの方が事故率が高いと思う」
毎日あちこちで交通事故は起き続けている、絶えることはないに違いない。だから双葉は答えた「後者です」
「だろう? それはね、パイロットは運がいい奴しかなれないからだよ」
「運が全てを左右するんですか?」
「それは何とも言いがたいけど……でも、大なり小なり似たような人間が集まっている傾向は否定できないね。楽天家が多いんだよ」
「はあ……」
双葉はストローで飲み物を一口すする。
じゅるっと飲み込む音を立て、彼は焦った顔をした。
「君は人付き合いは好きかい?」
「自分ですか?」
「好き嫌いは、ある?」
「ないとは言えません」
「なら、今のうちにそこは治せるね。無理に協調性を発揮しても無理があるから。後でお母さんに聞いておくといい、フライトの度に組むパートナーは毎回違う。人間だから、そりゃ苦手意識を持ってしまう相手がひとりやふたり出てしまうのは仕方ないことだけど、これはパイロットに限った話ではなく、仲間を尊重できない者は組織に属する人間としては失格だね」
「僕は……パイロットになりたいんであって、会社とか組織に属するとか、そういうことはあまり関係ないと思っているんですが」
「けれど、人は某かのグループに所属し、その中で生きていく動物だ」
「そうでしょうか」
「そうだよ。君は毎日、どこへ通っているの」
「学校です」
「そうだね、授業を終えて帰る先は」
「自宅です」
「君は学校の学生として、家族の一員として属するグループがあるわけだ。年齢が上がるとグループも変わるけれど、コミュニティの一員として相応して相応しい振る舞いを求められる。それが学生だろうと会社員だろうと、教員やパイロットでも同じだ。試験にパスさえすればいいような捉えられ方を、より専門性が高い職業ほどされてしまいがちだけど、そうではないんだよ。君は、何か裏技のようなものを期待したのかもしれないけど、それが通じるのはゲームの世界ぐらいだ」
双葉は頬を朱に染めて黙った。
図星だったみたいね。秋良は横目で息子を眺める。
勉学は大切だ、けれど書物やノート、今時はそれにパソコンやモバイルも含まれるだろうが、自分ひとりで行うことは所詮己の枠を払うことにはなり得ない。
他者との比較、そこで生まれる摩擦と挫折、救うのは適切な導きと支え合う他者の存在だ。
高校生は大人のようでいて、まだまだ子供だ。
少しは世の中の道理がわかればいいんだけど。
「五十嵐さんは、どうしてパイロットを志したんですか」ぽつりと双葉は言う。
「自分かい?」五十嵐は冷めかけたコーヒーを一気に飲み干した。
「就職活動を意識した頃、たまたま自社養成パイロットの募集に目が留まった。他の企業の試験日より早い日程だったから、腕試しのつもりで受験したら通ったんだ」
「それ……すごいんじゃないですか?」
「そうかい」
「そうですよ。僕、調べたんです。自社養成パイロットはエリート中のエリートだ、って」
「今はそう言われてるのかね」
「自社養成に落ちたら、航空大学へ通って、そこで再度受験してそれでもだめならあきらめるしかない、って」
「そうか、なら自分は運が良かったんだろうな。後で聞いたら、前年まで自社養成の募集はかけていなくて、たまたま再開した年に自分は大学4年だった。やっぱり運だろうね」
「努力はしなかったんですか」
「ううーん。どうだろう。やるべき事をやっただけだから、端から見ると努力してるように見えたかもしれないけど……自分はそうは考えなかったな。食事をするように訓練を受けて咀嚼した。乗る機体が変われば訓練も振り出しに戻る。昇進する機会が来たらそれに臨んだ。やるべきことをやっただけ、滑り止めを考えて生きていけないからねえ」
五十嵐は笑った。
「参考になったかな」
「はい。ありがとうございます」
深々と、机にそれこそぶつかりそうな勢いで双葉は頭を垂れた。
いつまでも頭を上げない双葉を挟んで、秋良と五十嵐は肩をすくめ合う。
これでよかったかい、と五十嵐は秋良にアイコンタクトを送り、もちろん、と秋良も返す。どういたしまして、と返ってくる呼吸。
彼とは一度も同じシップに乗り合わせたことはなかった。一度くらいは機会が巡ってきたらよかったのに、と思う。五十嵐に限らず、共に仕事をしたかった仲間は多かった。
尊敬できる人もいた、その場に立てた自分は幸運だった。
息子も、同じ経験をして欲しい。彼が望む未来が待っていてもいなくても。
「君は今15か16なら、大学卒業まであと何年だ? 6年? 7年?」
ソファーの背もたれに腕をかけ、五十嵐はぶつぶつと、人に聞かせるひとりごとをする。
「7年か8年、まだ現役だろうなあ。何事もなければだけど。多分、教官を続けているだろうなあ……パイロット不足は深刻だからもっと長く飛べてるかもしれないし……」
顔を上げた双葉に、五十嵐は言った、「うちに来たら鍛えてやるから。待ってるぞ」と。
はい! と威勢良い返事に被るように、携帯の呼び出し音が鳴った。
「悪い、俺だ」と五十嵐は胸ポケットからスマートフォンを取り出す。
「ちょうど約束の一時間経ったよ」
「ええ、ありがとう、五十嵐君」
「そうだ、高遠君、どうして客室乗務員になったの。双葉君、知ってるか?」
双葉にたきつけるよう問い、少年が首を横に振るのに満足して秋良に向き直った。
「夫が、パイロット志望だったんです。けれど彼は教員の道を進んで。夫が大学院に在籍していた頃です、従弟が亡くなりました。私は夫の兄嫁の親族なんです。だから夫も私もあの子を知ってた、愛してました。従弟は……夫のかわりに自分がパイロットになると宣言した翌日に車に跳ねられました。私は当時まだ子供で、伯父たちや家族達が哀しみの中にいるのを見て、自分が従弟の夢を引き継ごうと考え……気がついたら自分の夢に育っていたんです」
「いとこ、って? 誰のこと」双葉は訊ねる。
「裕のお兄さんのこと」
「えー、裕叔母さん、ひとりっ子じゃなかったんだ」
「うんと小さいころに死んでしまったの。双葉、あなたは知ってるはずよ」
「そう?」
「ええ。尾上の伯父様と同居してた頃、おもちゃをもらったでしょう、あれは彼のものだったの」
あ、と双葉は思い出す。新幹線のプラレール。伯父といっしょに組み立てて遊んだ。すっかり忘れてた。まだ捨ててないはずだ、どこかから出てくるかもしれない。帰ったら探そう。
「当時は女性には旅客機のパイロットへの門戸が開かれてなくてね。なら、客室乗務員に、夢を別の形にしたの」
「ふうん。君んところの家族は空に運命づけられてるのかな」
「かもしれません。夫も、元は父親が戦時中に操縦士を志望していたのがきっかけだそうですし、そうそう、夫の母親も、客室乗務員でしたし」
「ああ、それは聞いたことがある。確か社史に写真が残ってたね。美人だったなー」
「ええ」
「じゃあ、君は絶対、我が社へ来なければならない。他の航空会社へは絶対行かない事」
なんですか、それ、とすっとんきょうな双葉の声に誘われ、大人は笑い、後追いで子供もつられて笑った。
ひとしきり笑い声が収まった頃だ。「父さん?」と双葉が立ち上がり手を振った。
いつからそこにいたのか。今来たばかりではないとバレバレな、双葉の父親で秋良の夫である慎一郎がコートを腕に掛けて直立不動の姿勢を保っていた。
「歓談中申し訳ない」
机脇に立ちながら慎一郎は面々に声をかける。
「自分はそろそろお暇するところでしたから」
「まだ宜しいでしょう」
「いえ、これから仕事なんですよ、実は今日は自宅待機中だったんです。さきほど召集がかかりました」
「さっき鳴ったあれ、タイマーじゃなかったんですか?」双葉は名残惜しそうに言う。
「実は会社からの呼び出し音だったんだ」
「まあ、どちらへ?」
「まだわからないけど、多分、海外だろうな……自分は仕度があるからこれで失礼するよ」
では、立ち上がった五十嵐は銘々に会釈をした。
その瞬間。
慎一郎と五十嵐の間に、びりっと静電気のような青い光が走ったように双葉には見えた。
何で? ふたりはにこやかなのに、何で?
答えを求めるように双葉は母を見る。
秋良は「行ってらっしゃい」と呑気に手を振っている。
母さんには、見えてないのか?
このふたり、何か変なんだけど。父さん……顔引きつってるみたいなんだけど?
いいの? ねえ、いいの?
五十嵐が座っていた席の隣に座り、飲み物を頼んだ父と母が歓談する側で、開いたまま使わなかった手帳にぐりぐりと丸を山ほど書きつけて、双葉は結論づけた。
大人って……よくわかんないや、と。
後書きという名のあがき
はじめましての方も、二度目、三度目…それ以上の方も。
作者です。
ここまでお付き合いくださいまして、本当にありがとうございました。
すっかり間が空いてしまいました、
忘れられちゃったらどうしようー、仕方ないよね、とほほ、と
うめいている私です(´・ω・`)
さて、2014年師走も中旬になりました。
クリスマス前に今年の総括もないもんですが、
あまり作品を出してない1年になっちゃったなあ、と反省をし、
最後に何か書きたい! と
総選挙前日にがりがりと書いた本作。
最近、リアルで実感することをついつい登場人物に語らせてしまう
傾向があるのですが…
作中人物に自分(つまり作者)を諭すようなことを言わせてしまうとは、
なんとか現実と折り合いをつけようとしてるのかな、私、と
書き上げて思ったりしてます。
いやはや、人間関係、特に会社関係は難しい。
対顧客相手だとそうでもないんですけどね。
来年はもう少し上手くやりとりしたいなと、
思っておこう、一応。
閑話休題。
ホントなら年内に最終話を投稿したかったのですけど、
マジで書き上がりません。
ノートに書いてMacに打ち込むから倍時間かかるのは当然なんですけど、
そんなに書き終わりたくないか、自分、
書き終わらせたくないのか、あんたたち(これは登場人物のこと)、と
うめきながら文字を埋めています。
けど、一文字一文字、確実に終わりに向けて進んではいるつもりなので
もう少しお時間を下さい。
自作は、慎パパと茉莉花さん、そして房江さん三人出ずっぱりです。
だから時間かかっちゃうんだよね…
が、がんばります。
では、この辺でいつもながらの結びの言葉を。
ここまでの御拝読、本当にありがとうございました。
いつも感謝しています、もう、読んで下さる方がいらっしゃるから
ここまでがんばれます。
拙い本作ではありますが、作者ばかりが堪能した世界、
はたしてお読み頂いている皆さんにちょっとでも
いろんな感情を動かせるものになっていると嬉しいです。
ではではー (^.^)/~~~
良いお年をー。
その前に、メリークリスマスー(^.^)
作者 拝