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その2(1)

次男の双葉がパイロットになると宣言をしたのは今から一年前のこと。当時、彼は高等部への進学を控えていた。


何事も長続きしない次男は、勇ましく宣言をしたわりにはあっさりとそのことを忘れて年越しを迎えた。


消費税増税間もない4月。高等部の入学式が終わり、新入生気分が抜けない頃だ、帰宅した秋良は双葉が赤い目をしているのに気がついた。


花粉症とは無縁の彼がうさぎのように赤い目をして……つまり泣きはらしているのだ、子供の頃から滅多なことでは涙を見せない子だったから、気になった。どうしたの、とたずねた。


家に他の兄弟や夫が不在だったことも幸いした。本心を簡単にあかさない彼は内心を吐露した、死んでしまったんだ、あの人、と。


双葉がパイロットを志願したきっかけは、一年前に夫とふたりで出かけた旅行だ。就航を終了した航空機に搭乗するためだけの日帰り旅行、それが息子の琴線に触れた。特に往路のフライトは耳にタコができるくらいに何度も何度も聞かされた、母さんならわかるだろ、こんな感じだったんだ、と。


その往路を担当したパイロットが死んだ、いつか自分が同じ仕事につけたら、まっ先に礼を言いたかった人だったんだ、あなたのフライトの触発されて、僕はパイロットになりました、と。


この話は秋良の耳にも届いていた。確か、その航空機部門の責任者で、ラストフライトへ向けての数々のイベントにも深く関わっていたという。息子と夫が出かけたフライトもそのイベントの一環だった。年明け早々に病気が発覚し、担当した機体の運航終了より早く、自分自身が人生のラストフライトへ旅立つとは、本人が一番信じられず、さぞかし無念だったことだろう。それがまだ柔らかい感性を持つ年頃の息子を刺激した。


「俺、なるから。絶対」


その日から双葉は変わった。


高校生なのだから、将来の進路を具体的に定める時期ではあるが、今の双葉は全ての道がパイロットに通ずると言い切ってもいい生活を送っている。


彼の年齢で考えつくかぎりのことはやっている、職業研究や学業はもちろん、チームワーク第一に、身体も鍛え直すんだと言って体育会系の部活動に入れ込んだり、生徒会活動にも積極的に参加している。将来に備えて美文字マスターになるんだと言っては、夫の兄嫁(正確には義姉……いや、秋良の立場からは叔母になるのだが)にペン習字を習っている。理由は単純明快。パイロットになったらサインする機会が山ほど増えるから、今からそなえておくのだというのだから呆れる。子供らしい発想だ。


ある秋の日、双葉は母に相談した。


「他に何をやったらいいんだかわからない。現役のパイロットが俺らぐらいの年頃の時、何やってたか。知りたいんだ。話を聞きたいんだ」


「じゃ、質問をまとめておきなさいな、渡しておくわ」台所で食器をかたづけながら秋良は答える。


「会いたい」


「は?」


「お目に、かかりたい」


秋良は目を点にして息子を凝視する。考えておくわ、とその日ははぐらかしたが、双葉は毎日毎日、金魚のフンのように母親につきまとい懇願した。


今からそんなに走っていては、いつか息切れしてしまうと思う。けれど、彼女にも覚えがあること。


私もこの子ぐらいの年頃の時は必死だったわ。


夢は生涯持ち続けられる目標とも言い換えられる。息子が目指す未来への後押しになるのなら、と秋良は思い直す。


だって、私はこの子の母なんですもの、一番の応援団なのよ。


餅は餅屋という。秋良は航空会社の社員だ。顔見知りの同業何名かに声をかけ、やっと都合がつく者が一人現れた。


そして息子が願っていた今日という日を迎えたわけだが。


なんでよりによって彼なの、と秋良は内心でむくれてしまう。友人の同性パイロットにも声をかけたけれど、みんなフライトだったり貴重なオフだったり、スタンバイだったりで無理を言えなかった。できれば他の人がよかったのだけど、その理由を息子に知られるわけにはいかない。


――過去プロポーズされた相手だ、などとは、絶対に。


相手に指定された場所はホテルだ。少し駅からは歩くが、ロビーは広く、格式高い場所は高校生には緊張感をもたらす。浅く腰掛けたソファーで、双葉はそわそわと落ち着かない。


「高遠君!」


名を呼ばれ、秋良は声がする方を向く。


こっちこっち、と手を振る相手へ、秋良は立ち上がって会釈する。


頭を下げながら思った、名字の方でよかった、と。


彼は、職場では「秋良君」と下の名前で呼ぶのだ。


あの人? と母につられて、双葉ふたばも直立不動の姿勢をとった。


「ああ、いいよ。楽にして」


笑顔と共に現れたのは、一人の男だ。


さして背が高くも低くも、太っても痩せてもいない、頭髪に白い物が混じりだした中年と言って差し支えない。

父さんよりは年下だな、けど、母さんとは同じか上なのかな。双葉は思う。


「制服……着てないんですか」失望を込めてつい口にした少年へ、秋良の同僚は言う。


これ、と母が脇腹を小突く。気付かないふりをした。


「今日はオフだからね。仕事がない時ぐらいは制服からは解放されたいな」相手は答えた。


「そうですか? だって」


「かっこいいのに、かい?」


頬に朱が浮かぶのを隠せず、双葉は「はい」と頷く。


「君の母さんからも聞いているだろう、運航従事者は制服の管理は厳しく定められている。持ち出しはできない」


え、と双葉は目を丸くした。


母が普通に服を手にして出歩いていた頃を知っているからだ。


「制服は身分証明書がわりになるから。テロの影響もあるんだろうね、最近は何かと厳しいんだよ」


「そうなんですか」


「クリーニングは楽ちんだけどね、持ち帰らなくていいし、受け付けてくれる先に頼めばいいから」


「お話弾んでいるようですけど、お互いのご紹介は、もういらないかしら?」秋良はふたりに声をかける。


「いや、初対面だから」相手の男は居住まいを正す。


「運行部門を担当している五十嵐です。今は機長を務めているよ」


さっと緊張感を滲ませ、双葉は言う。


「高遠双葉です。今、高校1年です」


さあ、かけて、と少年に席をすすめ、様子をうかがっていた店員に飲み物のオーダーをかけ、水で口を潤してから五十嵐は問う。


「高校は白鳳だったね」


「はい、付属から上がりました」


「いいところへ通ってるんだね、たしかお父さんがそこの大学の教授だったよね」


ちらり、と五十嵐が秋良の方を見たように感じたのは、気のせいだろうか。


そうよ、きっと。


彼女はごまかすようにコーヒーカップに口を付けた。


「双葉君だったね、現役のパイロットに会いたかったんだって?」


「はい」


「なぜ」


「自分は、パイロットになりたいんです」


「うん、それは聞いている」


「今、僕の年齢ですべきことは何でしょうか。五十嵐さんは僕と同じ年齢だった時、特別なことはしましたか」


双葉は手帳を取り出し、さっとペンを握る。


ほう、と五十嵐はペンと紙の組み合わせに視線を走らせる。スマホじゃないのか、と前置きをする。


「君が喜びそうなことはしてないような気がするなあ……」


うーんと腕組みをして五十嵐は天井を仰ぐ。


「何も、ですか?」双葉の声に落胆の色が滲む。


「うん、何も。参考になることは多分。期待を裏切って悪いんだけど」


「そうですか……」


「自分が進路を意識したのは大学に入ってからで、それこそ子供の頃からの夢を叶えた口ではないから、余計かもしれない。結構いるんだよ、就職活動の一環で試験を受けたらあっさり通ったとか、特別なことはしていないとか。もちろん逆もあるんだけど……ああ、だけど、そうだな、皆に共通して言える事がひとつある」


「それは?」双葉は身を乗り出した。


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