名物おじさん
その日の夜、いささか疲れた様子の隊長が、兵舎の食堂に現れた。食事を載せた盆を受け取り、長テーブルの端の席に落ち着く。
すでに夕食を終えていたアルードとフィリネは、待ち構えていたようにそこへ行き、向かいの椅子に並んで掛けた。
「隊長、それで、どういうことになったんですか」
アルードが訊いた。殺人現場を確認した後、隊長は部下達に次々指示を出し、みんな忙しく働いていたのだが、最年少の二人は詰所で留守番をしていたのだった。
スープの羊肉を飲み込んでから、隊長が口を開いた。
「正当防衛、ということになった。お咎めなしだ」
アルードは、やはりという気持ちと、それ以上に腑に落ちないという気持ちで、言葉を返した。
「しかしあの旦那は、当代最高の剣士だっていうんでしょう? いくら危険な武器を持っていたといったところで、たかがおばさんひとりを相手に、殺してしまったというのは……」
アルードはそこで、ふと言葉に詰まった。
「その、なんかまずいでしょう、あれが」
「過剰防衛」
フィリネが助け船を出す。正当防衛とは、身を守るためにやむを得ず反撃する行為を指すのであって、防衛に必要な程度を明らかに超える攻撃は、法律に引っかかるはずなのだ。
隊長が難しい顔になった。
「確かに、普通なら裁判を開くべき事件だし、罰金刑か苦役刑になってもおかしくない。しかし、今回は色々と特殊でな。殺した人とか、狙われたものとか」
「ゼイン卿は――」
今度はフィリネが、隊長に言った。
「あの宝玉を盗もうとすることは王宮の宝物庫へ侵入するのと同じ、といったことをおっしゃっていましたが、その主張を認めるのですか?」
「迂闊に否定することもできんのだよ。あの虹の石とやらにどれだけの価値があるかは、わたしには判らん。しかしゼイン卿は、亡き先王ご夫妻の仲間、という人物だ。今の国王陛下も、父親に対するように敬意を払われると聞く」
「冒険王の仲間、伝説の英雄……」
フィリネはそう呟いてから、ふと思い出したようにアルードの顔を見た。
「そういえばアルード、あなた今日、変なことを言ってなかった? ゼイン卿が、にせものとかなんとか」
「ああ! そう、それそれ!」
アルードが頓狂な声を上げる。
「おれは今日の今日まで、あの人のことを、英雄の名をかたる変人だと思ってたんだよ。隊長、どうしてゼイン卿のことを教えてくれなかったんです」
隊長が、怪訝な顔をする。
「何を言っている? 君に、ゼイン卿を訪ねて冒険譚を聴かせてもらうよう勧めたのは、わたしじゃないか」
「だって隊長、『面白い人がいるぞ』なんて言い方で、にやにや笑ってたじゃないですか。それでおれはてっきり、村のちょっとした名物おじさんかなんかで、みんなで面白がって『ゼイン卿』なんて呼んでいるものかと」
「ああ、そうだったか。いや、あの時あんな言い方をしてしまったのはだな……」
口ごもった隊長の後を、フィリネが引き受けた。
「あの人は実際、村の名物おじさんなのよ。いつも誰かに昔話を聴かせたがっていて、わたし達が相手をさせられることもあるの。隊長は、あなたを差し向けることで、ゼイン卿がおとなしくなってくれることを期待したのね」
「いつも思うが、君、はっきり言うよな」
隊長がなんともいえない表情で、フィリネに言った。
「どこか間違っていましたか」
フィリネがすまし顔で応じた。
「いや、全くその通りなんだが……確かにうっかりして、アルードにゼイン卿のことを説明するのを忘れていたようだな」
「隊長だけでなく、誰も話していなかったようですね。我々にとって最も重要な任務なのに」
フィリネの言葉に、今度はアルードが怪訝な顔になった。
「重要な任務? 旦那とおれ達と、何か関係があるのか?」
すると、フィリネが何か言う前に、隊長が口を開いた。
「アルード、この村に十二人もの兵士が駐在していること、疑問に思ったことはないか。西の辺境からも東の国境からも遠いこの辺りで、この規模の村なら、兵隊を置くにしても普通は三、四人というところなのに」
「まさか……」
アルードがハッと顔色を変える。
「旦那の財宝を守るためだっていうんですか?」
「うーん」
隊長は、肯定とも否定ともつかない曖昧な頷き方をした。
「その意味もないではないが、副次的なことだ。我々が守っているのは、財宝ではなくゼイン卿ご自身……いや、守っているというより、見張っているという意味合いが強い」
「見張る? どういうことです」
「さっきも説明したように、ゼイン卿は王とさえ対等に話せる立場にある。その気になれば、大変な発言力と求心力を発揮できるということだ。もしも、王国に対してよからぬ考えを持つ輩が、彼に接触して言いくるめるようなことがあれば……」
内乱の火種となりうる、とでもいうのだろうか。村の名物おじさんと思っていた人物が。
アルードは息を詰めて、隊長の次の言葉を待った。
「そういう事態に備えて、それとなく彼のことを監視するのが、我々の任務というわけだ。もっとも、そういう事態が二十年間まったくなかったものだから、日頃は我々も、そんなことは半分忘れているような有様なのだがな。それでアルードへの説明も、うっかり失念していたわけだ」
隊長が表情を緩め、アルードも気の抜けたような顔になる。
「はあ……村の警備にしてはやたら人数がいるので、おかしいなとは思っていましたが」
「それで、隊長」
と、フィリネが口をはさんだ。
「ゼイン卿への今後の対応について、何か気をつけることはありますか」
「ああ、それなんだが」
隊長が、思い出したように言った。
「ゼイン卿は、しばらく村を離れるそうだ」