依代となった少女
あたしの席は窓際だ。夏は日差しが当たって暑いから嫌だし、冬は寒いから嫌だ。けれど、春や秋は心地いい。すぐ横を見れば、澄み渡った雲一つない青空が見える。少しだけ開いた窓から入ってくる風が、あたしの自慢の黒髪を揺らした。
「うーいちゃん! 昼休みになったら皆で鬼ごっこしよう?」
「いいよー」
あたしの返事に、友達のみぃちゃんが嬉しそうに笑って一緒に鬼ごっこをする約束をしたのであろう友達に報告をしに行った。みぃちゃんはあだ名で、本名は東美子。その名の通り、とっても美人さんだ。目はパッチリ二重で、髪は黒髪ばかりの小学校では珍しい茶色。何でも生まれつき色素ってやつが薄いらしく、目も茶色だ。色白で手足が長くて、おまけに細い。まるで外人さんみたいで、クラスの女の子の憧れの的。でも、中にはみぃちゃんを僻む子もいて、みぃちゃんはよくいじめに合う。いじめっ子より友達のほうが多いから、大抵いじめっ子達が逃げ出すんだけど。
あたしの名前は、少し変わってる。水辺羽衣。それがあたしの本名だ。あたしはみぃちゃんと違ってどこにでもいるような平凡な顔なので、変わった名前してるとよく男子にからかわれる。でもあたしはとっても気が強いから、からかってくる男子には蹴りを一発入れてやる。そうすると、大体黙る。男のくせに情けないなぁって思うけど、言っちゃうと泣くから言わない。まだ、あたしの二つ年下の弟の元のほうがクラスの男子より強いと思う。体は小さいけど、あたしに似て気が強いから、蹴られても叩かれてもしつこく絡んでくる。あのスライムのような絡みっぷりをクラスの男子は見習うべきだと思う。
***
「羽衣ちゃん、一緒に帰ろー」
「ごめーん。あたし、寄りたいとこあるんだ」
「そっか。じゃぁまた明日ね」
「うん、また明日」
バイバイ、とお互い手を振って正門の前で別れる。この選択が、今思えばいけなかったのだと思う。きっとこの時、みぃちゃんと一緒に帰っていれば。帰りにいつも遊んでる川に寄ろうなんて考えなければ。きっとその後の人生が大きく変わっていたに違いない。
みぃちゃんと別れたあたしは、いつも一人で遊んでる川へ向かった。川は山の中にあって、結構登らないといけない。この山は、言わばあたしの秘密基地のようなものだった。どちらかと言えば男子よりな考えのあたしは、三日に一度はこの山へ登って川で遊ぶのだ。流石に冬は川の流れを見るだけだけど、夏なんかは丁度いい遊び場だ。あたしは、ここに誰かを招待したことはない。ここは、あたしだけの秘密基地だから。誰かに知られてしまった時点で、それはもう秘密基地ではなくなってしまうのだ。
川について、思わず手に握っていた手提げを落とした。雨なんてここ何日も降っていないのに、底がよく見える澄んだ美しい川が茶色く濁った汚い川になっていた。おまけに、いつもは緩やかな流れも今日はごうごうと音を立てるぐらい早い。川が増水したのか、川辺の芝生が少し濡れている。慌てて落とした手提げを拾おうとしゃがんだ拍子に、まるで誰かに背中を押されたみたいに前のめりに転んだ。目の前には、増水して激しい流れの川。あたしは、川に落ちた。
「ぷあっくる、し……!」
背中に重たいランドセルを背負って、服を着ているせいか意志に反して体はどんどん沈む。
濁流の中で子供の力は非力だ。ただ流れに身を任せるほかない。その先に岩や滝が待っていようと、今この場でどうすることもできないのだから。
あたしは必死に手足をバタつかせて、息を吸おうと喘いだ。
『生きたいか、死にたいか』
声が、聞こえた。まるで地の底から響くような恐ろしい声。ついにお迎えがきたのだろうか。こんな恐ろしい声なのだから、きっと地獄からの使いに違いない。あたしが何をしたって言うんだ。姉のプリンを勝手に食べてしまったことだろうか。それとも、喧嘩した仕返しに弟の勉強机に油性ペンで「バーカ」と書いたことだろうか。……だめだ、心当たりがありすぎて何も言えない。
『生きたいのなら、手を取れ』
ぬっと、目の前に手が差し出される。川の上に、男が浮いていた。若い男だ。幽霊なんて見たことないけど、多分こんな感じだろうなって感じに浮いていた。
あたしは、迷わずその手を取った。強く握りしめた男の手はごつごつしていて、大人の男の手って感じがした。
命を助けてくれるのなら、死神以外は大歓迎である。
男が、にぃっと口角を吊りあげて笑った。
『契約、成立だな――』
気が付くと、びしょ濡れのまま川辺に寝転がっていた。目だけ動かして横を見ると、あれだけ増水して荒れ狂っていた川が元の澄んだ美しい川に戻っていた。
ゆっくりと起き上がり、悲鳴をあげそうになった。肩から落ちたあたしの髪が、真っ青に染まっていたのだ。何だか嫌な予感がする……。あたしは、落ちないように地面の草をぎゅっと握りしめて透明な川を覗き込んだ。そこに映っていたのは、ビー玉を埋め込んだような青色の目をしたあたしの顔だった。今度こそ、悲鳴をあげる。
――おかしい、こんなの絶対おかしい。だって、あたしの髪と目は黒色だったはずだ。日本人なんだから、当たり前。背中の真ん中あたりまで伸びた艶やかな黒髪は、あたしの大の自慢だった。よく覚えてる。それがどうして、青色になっているんだろう。目もそうだ。丸いあたしの目は、みぃちゃんと違って真っ黒だった。それが今、青色のビー玉を埋めこんだみたいな目になってる。
突然のことに、頭がどうにかなりそうだった。
突然髪と目の色が変わる摩訶不思議な病気にかかったとか? きっとそうだ、病院で調べれば、とんでもない異常がでるに違いない。そうと決まったら家に帰ろう。そう言えば背負っていたはずのランドセルがどこにも見当たらないけど、命が助かっただけありがたいので見なかったことにしよう。
家に帰ったあたしを出迎えてくれたのは、母の悲鳴だった。あたしは川で溺れたことと、気が付いたら髪と目が青くなってしまったことを話すと、すぐさま病院に連れて行かれた。それも、近所のちっさい病院じゃなくて総合病院とか言う、でっかい病院にだ。
あたしは精密検査ってやつを受けて、全身を隈なく調べてもらったけど、どこにも異常は見つからず、医者にもなぜ髪と目が青く染まったのかわからないと言う答えだった。
その日から、家族が、近所の人が、友達が、あたしを化け物だと罵るようになった。あたしの日常は、川で溺れたことによって大きく変わってしまった。
学校から泣いて帰ってる途中、髪と目が青色の男の人に会った。その人は紛れもなく、川で溺れたあたしに手を差し伸べてくれたあの男の人だった。
「お前は、水の精霊様である俺と契約したからそんな見た目になったんだよ」
「契約? ……水の精霊?」
「そ、俺の依代になるって言う契約。そーいや内容は説明してなかったっけ。お前の命を助ける代わりにぃ、お前は俺の依代になるって内容だったんだよ」
男が厭らしい笑みを浮かべて話す。まるでマジックの種明かしでもするかのように、目を見張るあたしを楽しそうに見つめて。
「――け、んな」
「あ?」
「ふ、ざ、け、ん、な!」
あたしは、思いっきり男の脛に渾身の蹴りを入れた。男は情けない声をあげて悶える。
「内容も話さずに人が死にかけてるのを利用したあんたは卑怯者だ! 詐欺だ詐欺!」
「落ち着けってー。今、お前は水の精霊クラーケンである俺の力を使えるんだぜ? 髪と目の色が変わったのもそのせいだよ」
「……そうなの? じゃぁさ、あんた……あたしの復讐、手伝って」
「はぁ?」
あたしは唇を歪ませニタリと笑った。
「あたしを化け物だって罵ったやつらに復讐するのよ!」
頭の中でふわふわしてるイメージを固めるために書いてみました。思ったより長くなってしまった……。
ファンタジーは好きだけど自分ではうまく書けない残念な人間。
とりあえず自分勝手な水の精霊に憑りつかれる不憫な女の子を書きたかった……。
続きが思い付いたら続きものになるかも……?