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堺面×共闘  作者: 葉月作哉
第五話
7/8

うずまく風②

それは遠い昔の出来事。

 小さい頃、姫川薫はこの街で育った。内気で家の中で遊ぶのが好きで滅多に外に出ようとしなかった。

 ところが天宮十流が呼びに来ると嬉しそうな顔をして外で遊ぶ。

 運動が苦手でいつも十流のすることに驚き、いつか自分もこうなりたいと思うようになった。

 ある日、薫は大切にしていた人形をガラの悪い少年達に取り上げられてしまった。

「返して――返してよ」

 どんなに言っても叫んでも少年達はせせら笑うだけで一行に返してくれない。

 とうとう薫は泣き出してしまい、その場に座り込んでしまった。

 その様を見た少年達は、面白がり、また薫を揶揄した。

 そこへ、跳び蹴りと共に天宮十流は現れた。

 泣きじゃくる薫を庇うようにその小さくも大きい背中を薫に見せながら叫んだ。

「薫に手をだすんじゃねえぇ――!」

 この時も、いやいつも薫にとって十流は絵本に出てくるヒーローそのものだった。




 懐かしい夢を見ていた。差し込む朝焼けに瞼をゆっくりと上げるとまず天井が、横を向けば戸棚が、逆を向けば水差しが置いてある。

 しばらく考えて、天宮十流はここが自分の家だと認識する。

 ただしいつも寝る自分の部屋では無い。

 居間の隣に併設されている和室であった。

 十流は体を起こそうとして、お腹の辺りに鈍い痛みが走り、起き上がるのを止めた。

 見計らったように戸が開けられ、母・刹那が入ってきた。

「具合はどう?」

 心配そうに顔をのぞき込み十流の様子を伺う。

「大丈夫だと思う……。お腹以外は……」

 布団に被さり見えないお腹の部分に目をやる。

 ようやく十流はこの怪我がアークウィザードの放った風玉を受けたことだということ、そして、

「薫はどうした?」

 あれから意識を失ってしまい、薫がどうなったのか自分は全く知らない。

「薫ちゃんは怪我をしたあなたをここまで連れてきたのよ。その後、だいぶ疲れていたから一晩泊まってもらったわ。ただ朝早く出て行ったけど……」

 ただし、家を出る間際の憔悴しきった顔で何度も謝罪の言葉を口にし、歩く足さえおぼつかない様子だったことは言わなかった。

 もしその話をすれば十流はすぐにでも薫の元へと走って行ってしまう。

「無事なんだな……。だったら……」

 案の定、十流は立ち上がろうとしていたため、刹那は十流の肩を掴んで起こさないようにする。

「駄目よ、十流。あなたは大怪我を負ったのよ。今は術式で回復に向かっているけど無理をすればまた傷口が開いてしまう」

「でも……」

「せめて半日は寝ていなさい。今日は学校を休みにするし、私もパートを休むわ。それだけあなたは重傷だったのよ」

 真剣な眼差しで諭す刹那に十流は渋々、従うことにする。

 文武両道を唱う刹那は十流が学校をズル休みすることだけは許さなかった。そんな彼女が休んで良いと言ったことは珍しいことであり、実感は無いが本当に自分が重傷だったということである。

 まだけだるい体を布団に潜り込ませ十流は再び目を閉じた。

 だが頭の中はまるでレコーダーのように昨日、起きた事を再生し、また同じような光景が頭を過ぎっていた。

(薫に訊かないと……、アークウィザードの事、野井原つぼみの事、京都で何があったのかを……)




 十流は刹那の言いつけを守り、半日、布団の中で過ごした。お腹の痛みも和らぎ、激しい運動さえしなければ歩けるところまで回復していた。

 刹那の許可をもらい、十流は私服に着替えると、街へとくり出す。

 平日の昼間に街を歩くという行為は違和感を覚える。この時間帯は学校という閉鎖空間にいるわけだから道行く人からは奇異な目で見られる。

 十流はそんな人の目など気にすること無く、街を歩く。

 最初は学校に行こうかと思ったが、私服姿であること、また昨日の薫の様子から学校には行っていないだろうと考えた。

 商店街を抜け、駅のロータリを抜けて、十流は街の北側――開発地区にある薫のマンションを目指す。

 騒がしい喧噪を通り、至る所で開発を進める工事の音を聞きながら、十流は薫のマンションへと通じる小道に差し掛かり足を止める。

 この先にはマンションとそして昨日、戦った公園がある。

(なんか行きづらいな……)

 トラウマというほどでは無い。本人は意識を失って自分がどれほどの怪我を負ったかは母親の様子から推し量るしかない。そしてお腹のうずく痛みは自覚は無いが相当な大怪我を負ったということになる。

 一向に足が動かない中、十流はふと気付く。小道では無い、今歩いている道をまっすぐ行けば、夜毎の鍛錬に使っている廃ビルへとつながっている。

 暫く考えて十流は廃ビルを目指し歩を進めた。

 小高い丘にある廃ビルは滅多に人が出入りしない。地元では幽霊ビルなどと不名誉な名前を付けられ、よほどの好奇心がある者でなければ近づかない。

 十流は壊れた自動ドアを抜け、さらに奥の吹き抜けとなっているホールへと向かう。天井が無く陽光が射すその下に見慣れた少女が背を向けて座っていた。

 丸まって座り、時折、鼻をすする音が聞こえる。

「よう!」

 昨日の今日である。何て声をかければ良いか迷ったがとりあえず自分が元気な事を証明したかった。

「!」

 十流の声に反応して、振り返った姫川薫は、目を充血させ、何度も拭いたであろうハンカチを手にまっしぐらに向かってくる。

「十流……。もう大丈夫なの? 怪我は? あのね……」

 声が詰まり、俯いて噛みしめるように言う。

「本当にごめんなさい……」

 いつもの薫はどこへやら、今の薫は萎れてしまった花のようでもあった。

 俯く薫の頭に十流は優しく手を添える。

「謝るなよ。俺が勝手にやったことだ。それになによりお前が無事だったんだ。それでいいだろう?」

 十流の優しさが返って胸を締め付ける。罵倒してくれれば少しは気が晴れるのに。

 薫はもう一度、謝って、それから十流と並んで座る。

「話してくれるんだよな?」

「うん……」

 十流は半日、布団の中で過ごしながら、アークウィザードの事、その宿主と言われている野井原つぼみの事、そして薫との関係。それら全ては自分の知らない、薫が京都で過ごした中で起きたことだと思った。

 薫はポケットから携帯を取り出すと、一枚の画像を十流に見せる。そこに映し出されていたのは薫ともう一人、はにかむような無理矢理に笑っている少女が映っていた。

「この子が……」

「そう彼女が野井原つぼみ、そして私の親友よ」

 




 薫は小学校三年生になると実家の京都へと引っ越し、本格的に退魔師としての鍛錬が始まった時期でもあった。

 京都の学校に通い始めた頃は転校生ということもあり、興味本位で見られたがそれもすぐに冷めてしまい、また仲間が出来上がった状態のため薫はなかなか友達というものが出来なかった。朝も放課後も退魔師としての鍛錬をするようになり、同級生と遊ぶ機会はほとんどなかった。

 だが薫にしてみれば気持ちの上では楽だった。

 下手に仲良くなれば、闇喰いとの戦いに他人を巻き込む危険性がある。

 学校での薫は浮いた存在として生徒達に認識されていた。

 そんな薫と同様な認識をされていたのが野井原つぼみだった。

 彼女は口数が少なく、本ばかり読んでいたため、教室の中では一人でいることが多かった。

 姫川薫と野井原つぼみ。

 似た者同士の彼女らは学校の行事の度に組まされることがあった。

 そうじ当番から日直、遠足、何かしらの班決めの時は必ず組まされる。薫の引っ込み思案も相当なものだが野井原つぼみのはさらに常軌を逸していた。

 会話をしていても頷くのが精一杯で、片言しか話さない。何にしても口ごもる。そして極めつけはほとんどその表情を崩さない、感情表現をしない、冷徹とも言える無表情が彼女を示すのにぴったりの言葉だった。

 そんな理由から常に組まされる薫は自分から率先して動くようになった。

 かつて十流がそうしたように、今度は自分がこの子を引っ張っていこうと考えた。

 その行動力がしだいに野井原つぼみの心を開くことになる。

 そして二人が親友になるのにそう時間はかからなかった。

 薫には行動力と共に積極性が出てくるようになり、野井原つぼみは少しずつだが感情を表に出すようになった。ぎこちないが笑顔になる時間も多くなった。

 だがこの時すでに野井原つぼみの中に渦巻く闇が潜んでいたことを薫は知らなかった。




「中学生になって私とつぼみは地区の違いから学校も離ればなれになってしまった。それでも定期的にメールとかで連絡は取り合っていたの」

 薫は手に持つ携帯をぎゅっと握りしめた。話す間、わずかに零れた笑みを打ち消して薫は伏し目がちに話を進める。

「でもある日を境につぼみからの連絡が途絶えたの。心配はしたけど何かしらの事情があるのだろうと思って深入りはしなかった。私も退魔師のことで結構、大変だったから気が回らなかった。それが一ヶ月以上、続いたから次第に心配が募ってきたわ。そう思っていた矢先にメールが入ってきたの。

『助けて』

 それだけで私は総毛立った。つぼみに何かあったと思って急いで電話をした」

 薫の脳裏にあの日の出来事が思い起こされる。

 中学一年の冬も間近な秋の頃、夕日が茜色に染める空の下で起きた闇喰いの誕生、そして野井原つぼみに起きた悲劇。薫は意を決して十流に話す。

「電話で待ち合わせした場所につぼみは来てくれた。でもその姿は私が見てきたつぼみとは違っていた。体中に切り傷みたいなものをつけて、私に向ける目は生気を失っていた。

 何事かと思って私は彼女に近づこうとした、その時に奴は――アークウィザードは姿を現したの」

「ちょ、ちょっと待て。いきなり現れたのか?」

 静かに耳を傾けていた十流はそこで疑問を口にする。

 薫は退魔師として有能であり、闇喰いの気配を察知する感覚も優れているはずなのに、何故アークウィザードが出現するまで気がつかなかったのか。

「無理よ。前にも言ったけど闇喰いが宿主の心の中にいる間はどんな退魔師であれ察知することはできない。アークウィザードはずっとつぼみの心の中に潜んでいた。そして脱皮するその時を伺っていたのよ。狡猾というのはこういうのを言うのかしら」

 苦笑の中に悔しさがにじみ出る。

「出てきたアークウィザードはつぼみの心を喰らおうとした。私は無我夢中で剣を振るい、何とか背中を斬ることは出来たけど、アークウィザードは脱皮に成功、そのまま風と共に去って行ってたのよ」

 一気に話し終え薫は黙ってしまう。横に座る十流は悔しさと悲しさを織り交ぜた薫の心の根を『堺面突破』で見ていた。

 そして公園で薫が口にした言葉を思い出す。

『一緒にいた風景を守りたかった』

 野井原つぼみと一緒にいたあの頃、退魔師としてではなく、友達として一緒にいた時間を守りたかったのだろう。

 守れなかった悔しがしみじみと十流にもわかった。

 闇喰いに心を喰らう場面を目撃したのに何も出来ずに逃げ出してしまった。

 どれだけ悔やみ、どれだけ力を欲したか。

「それでつぼみさんは……?」

 沈黙を破り十流は薫に問いかける。

「その後、つぼみは病院へ搬送されたわ。そして診断結果は……」

「……まさか」

「いいえ、生きているわ。でも心をほとんど無くしたつぼみはまるで人形のようになってしまった。笑うことも、怒ることも、泣くことも無い、自ら何かをすることも出来ない。立って歩くことも、食事だって出来ない。何も……何も……」

 感極まり薫は涙を零す。

「でも元に戻るんだろう? アークウィザードを倒せば」

「……ええ。本来、脱皮した闇喰いは宿主の心を完全に喰らう。だけどつぼみの場合、私が妨害したこともあって完全には心を失っていない。言わば薄い糸のようなもので繋がっている状態なの。だからアークウィザードを倒せば元に戻るはず」

 闇喰いは宿主から離れれば、現実世界だろうと堺面世界だろうと自由に行き来することができる。世界中のどこへでも行き己が欲望のままに人を喰らい、不思議を起こす。

 だがアークウィザードの場合、野井原つぼみの心を喰らい完全とは言えないが脱皮し、現実世界に出没することができる。だが心を完全に喰らわなかったことが所在不明だったアークウィザードの手かがりになった。

「去年の冬、私はつぼみのお見舞いに行ったの。寝ている彼女に色々話しかけたわ。反応は無いけど、でも話せばいつか応えてくると思って。その時、彼女は私に地図を持ってくるように言ったの」

「言った?」

「正確には、リハビリ用のあいうえお表を使ってただ、『ちず』って指で示しただけ。私は驚いて地図を持ってきたら、つぼみはこの東京を指し示したの。ただの気まぐれかもしれない。でも私はそれに賭けてこの街に来たの」

 一通り話を終えると薫は思いため息をついた。

 薫がこの街に来た本当の理由。親友を救うため、たった一匹の闇喰いを追いかけて、この街に来た。

 そんな大事な事を抱えていたのに、自分の鍛錬に付き合わせていたと思うと十流は申し訳ない気持ちで一杯になった。

 そしてこうも思った。

 今度は自分が薫を助ける番だと。

 恩を返すなどと大仰のことは言わない。

 少しでも力になれれば。

 十流は立ち上がり薫に告げる。

「とりあえずアークウィザードを倒せばつぼみさんを元に戻るんだな。だったら俺も手伝う。二人でアークウィザードを倒そう」

 いつもの返答を待っていた。

 頷くなり、『もちろん、手伝うのは当たり前でしょ』、などの言葉が返ってくると思っていた。 だが薫は座ったまま立ち上がろうとしない。顔を伏せ、その身を小刻みに震わせている。

「……?」

 嬉しくて震えている様子では無い。じっと何かを我慢するように身を屈めている。

「無理よ……」

 か細い声が、良く聞き取れなかった。

「えっ……、今なんて」

 訝しげに訊いてくる十流に、薫は顔を上げ叫ぶ。

「無理よ。二人で戦ってもあいつは倒せない!」

 立ち上がり困惑する十流を見据え、事実を突きつける。

「アークウィザードの強さは肌で感じたはずよ。あいつは十流が今まで戦ってきた闇喰いとは強さの次元そのものが違う。二人で戦ってどうにかできる相手じゃあ無い」

 声を荒げ、泣き叫ぶように言う薫に十流は一歩下がる。

 確かに薫の言うことも事実。

 昨日だって二人で戦っても相手に一刀すら浴びせていない。

 それでも十流は踏ん張って自分の願望を口にする。

「そんな事はわかっているんだよ。アークウィザードが強いなんてことは……。だから二人で戦った方が勝つ確率が上がるだろう」

 負けじと十流も叫ぶように言う。

 薫の手助けがしたい。

 薫の望みを叶えてあげたい。

 薫を守りたい。

 言葉に出来ない思いを気迫で訴える。

「十流は何もわかっていない」

「何が?」

「あいつの術式――連続術式をどうにかしないとアークウィザードに私達の剣は届かない。私なら何とか対抗できる。でも十流は出来ないでしょう?」

 薫は事実を伝えることで十流を戦いの場から遠ざけようとしていた。

 脳裏に浮かぶのは自分を庇い、負傷した十流の姿。

 もう見たくない。

 もう犠牲にしたくない。

 もう巻き込みたくない。

 十流の母・刹那に言われた言葉――これからどうするか――、これがその答えだった。

 敢えて冷たい言葉を投げかけ、十流が自分と戦う事をあきらめさせる。

 あれほど一緒に戦う事を望んでいたのに。

 それを自分から放り投げる。

 胸を焦がすほどに痛い。

(お願いだから……。もう見たくないの。十流のあんな姿は……)

 だが薫の思いなど十流を知ることができない。想いを見る眼もこの時ばかりは発動しなかった。駄々をこねる子供のように十流は食い下がる。

「確かに薫の言うことは正論だよ。俺は術式に対して何の抵抗力も無い。でもそれでもお前を一人で戦わせるよりはましだ」

 理屈も何も無い。ただのわがままだった。

 普段ならその心遣いだけでも嬉しいはずなのに薫は首を横に振る。

 その行為が十流の頭に血を上らせる。

「はっきり言ったらどうだよ。俺が――、俺が――」

 言って欲しくない。訊きたくない言葉を十流は喉の奥で止める。

「十流は……」

 言いたくない。思っていない言葉を薫は言葉にする。

「十流は足手まといなのよ。今までのようにサポートは出来ない。そんな余力は私には無い」

 昇っていたはずの血が一気に冷めるような気がした。

 本当は自分でもわかっていたはずなのに。

 昨日の戦いで自分はアークウィザードの術式を傍観することしか出来なかった。

 自分のせいで薫の負担になっていたことはうすうす感づいていた。

 はっきりと言葉として訊いたとき、十流は奈落の底に落とされたようなそんな気がした。

「……わかったよ」

 恐ろしいくらいの低い声で十流は背を向ける。

「十流……?」

「薫の言う通りだ。俺がいても薫の力にはなれない」

 薫の方へ振り向くこと無く十流は歩き出す。

「お前の足手まといになるくらいなら草葉の陰で応援するよ」

「ちが……」

 止めようとした手を薫は引っ込めた。

(これでいいんだ、これで)

 小さい背中が遠ざかるのを薫は見送るしかなかった。

 やがて少年は去って行き一人残された薫は止めていたはずの嗚咽を漏らす。

「どうして……、どうしてあんな言い方しか出来ないの?」

 自分に憤り、膝をつき、何度も何度も拳を床に叩きつける。

 叩いていくうちに鮮血が飛ぶ。

「うっ……うえ……、ごめんね、十流。でも犠牲になるのは私一人でいい。私だけで……」

 わかってくれなくても良い。

 自分がいなくなったその後にわかってくれればと薫は思った。




 先程までいた廃ビルを背に十流はとぼとぼと歩いていた。

(足手まといか……)

 わかっていた事実。

 横目に工事中のロータリーを歩く。

(術式に対抗できない)

 その身を痛めるほどにわかっている。

 住宅街を目指し足を進める。

(草場の影で応援する)

 よくそんな言葉が出たと思った。

 細い川に架かる橋の中央部分で十流は足を止めた。橋の欄干に手をやり、形相が怒りの色に染まっていく。

「ふざけるな!」

 力の限り大声で叫んでいた。

「何が応援するだあ? 術式に対抗できない? 足手まとい? そうだよ。俺はどうせ殻付きのひよ子だよ」

 幸いにも赤の他人はいない。

 十流はそんなことはお構いなしに自分に対する怒りをぶちまける。

「女の子が一人戦おうとしているのに指くわえて見てるのか? お前はいつからそんな貧弱になった?」

 自分で自分を殴りたかった。

 力を求めて、それを得て、すこしは上手くなって、それで天狗になっていた自分を恥じた。

 恥じて、でもどうすることもできない自分に対してさらに怒りが沸き立つ。

「うわあああああ――」

 叫んで、全速力で走った。腹がズキズキ痛むがそんなことはお構いなしだった。

 十流は求めた。さらなる力を。アークウィザードを討ち砕く力、薫を悲しみから救い出す力を求めて十流は走る。

 一人だけ心当たりがいた。本当は頼むのに躊躇するが、頭を下げてでもお願いするしか無い。

 いきなり便利道具を出してくれるわけでもない。

 それでも欲しかった。

 こんな弱い自分を壊す力を。





 バアアアアアンン――。

 家の扉が勢いよく開き、その音に刹那は飲みかけのお茶を吹き出しそうになった。

「母さん!」

 盛大な音を生み出した張本人である十流が居間に入ってくると刹那は咎めるように言う。

「十流、扉は静かに開けなさい。壊れたらどうする――」

「そんなことより!」

 母の言葉を遮り十流は身を乗り出しながら喋る。

「俺に術式を教えてくれ」

「はっ?」

 何を言い出すのかと呆気に取られながら、その剣幕に引っかかるようなものを感じる。汗を流し、息も絶え絶えに、その顔には焦りが見て取れた。

「母さんが魔力を使用出来ないのは知っているし、退魔師のことを話すのはとっても気が引けるけど、それでも頼む」

 それこそ拝むように、懇願するように、母に迫る。

 刹那はとりあえず状況の整理をしようと努めて冷静に振る舞う。

「十流、まずは落ち着いて――」

「このままじゃ、薫が危ない。でも俺には術式に対抗する手段が無いんだ。だからいくつか使えそうな術式だけでも覚えたいんだ」

「あのね――」

「俺は足手まとい――、じゃあなくて薫の力になりたいんだ。だから……」

 洪水のような言葉に刹那は頬杖をつき瞼を閉じる。

(駄目か……。いや、あきらめるもんか)

 最初から無理難題を突きつけていることはわかっている。術式を教えようにも刹那にはその根源たる魔力の使用が出来ない。

 それでもすがるしか無かった。

「頼む、母さん。薫を一人で戦わせるなんて俺には出来ない。確かに俺は弱いかもしれないけど、少しぐらい力になれるはず、だ……から……」

 一瞬にして場の空気が冷たくなったのを感じた。言葉が思うように出ない。

 異様な殺気ともいえる雰囲気を出しているのは言うまでも無い。

 目の前の天宮刹那である。

「……十流」

 閉じられた瞼がゆっくりと開けられる。

「すこし黙りなさい……」

 瞳に深紅の色を宿し、十流を見据える。

「あ……あ……」

 口を上下に動かして声にしようにも言葉が出ない。放たれる殺気は十流の喉元に刃を突きつけるように鋭い。

「退魔師は人を救う者。いついかなる時も冷静でなければならないのよ、覚えておきなさい」

 紅い眼で十流を睨みながら刹那はイスに座るように指を指す。

「わかったのなら座って。そして昨日あったこと全て話しなさい」

「……はい」

 先程までの勢いを完全に殺され、十流は身を小さくして座り、事情を話し始めた。




「なるほど術式使いの闇喰い……ね。あなたにとっては天敵だわ」

 刹那の言葉に十流はこくりと頷いた。

 話している内に十流も少しずつ頭が冷えてきて、さっきの荒れ様が一変し、おとなしくなっていた。

「それで薫ちゃんに足手まといって言われたのね。ほんとわかりやすい子」

「ぐっ」

 悪戯ぽっい笑みに十流は口籠もる。

 反論しようにも事実のため今は受け止めるしか無い。

「まあ、気持ちはわかるけど、でもあえて言わせて貰うわ」

「?」

「例え、十流が新しい術式をいくつか覚えたとしてもその闇喰いには勝てないわ」

「なっ」

 勢いよく立ち上がろうとして、やっぱり座り直した。

「何でそう言えるんだ? やってみなければ」

「やらなくてもわかるわ。だってあなたは剣士だから」

 さも当然のように言われ、しかし十流の顔には疑問符で溢れていた。

 刹那は一考し、そして立ち上がった。

「十流、出かける準備をしなさい。それと動きやすい服に着替えてね」

 刹那の言わんとすることがわからず、でも逆らう戦意さえ沸かない十流は渋々、出かける準備を始める。




 十流と刹那が出向いた先は、自宅近くにある公民館だった。その公民館に併設されるように柔剣道場がある。各週毎に、柔道や剣道といった習い事もここで行われており、十流も昔は母に連れられて来たことがある。

 受付窓口に行くと刹那はテキパキと書類を書いて提出、その後、十流には柔剣道場で待っているように伝える。

 十流が柔剣道場に入ると六月の蒸し暑い空気が肌を掠める。窓を閉めているためか異様な湿気が充満している。

「ここに来るのも久しぶりか」

 着慣れない剣道着を着て、袴をはき、汗を垂らしながら必死に竹刀を振るっていた。

 もっと強くなりたい。

 そして弱い人を守るんだ。

 子供ながら必死になって頑張っていたあの頃を思い出し、十流は思わず苦笑する。

「準備は出来た?」

 そう言って入ってきた母・刹那の姿に十流は息を飲む。

 白の剣道着に、青い袴、流れる髪をポニーテールのように結び、左手には木刀を携える。

 派手なものは無いが、そこに気品が溢れている。

 向けられる視線は、研ぎ澄まされた刀のように静かだった。

 刹那は入るなり扉の鍵を閉めて十流の目の前に立つ。

 間合いにして数歩で手に持つ木刀が迫る距離、十流の唾を飲む込む音が聞こえてきそうなほど辺りは静寂に包まれていた。

 なんでわざわざこんな場所で、しかも道着を着て、木刀まで持って、疑問が沸く中、微動だにしなかった刹那が口を開く。

「さっき言ったこと覚えている? 新しい術式を覚えても勝つ見込みは無い――と」

 十流は頷いてみせる。

 母親が何の根拠も無く勝つ見込みが無いとは言わない。

 もしかしたら自分に見落としがあるのではないか、十流はそう考えていた。

「何故なら術式は本来、術士のためにあるものだからよ。剣士である十流がうまく使いこなせなくて当然なのよ」

「?」

「じゃあ理由を言う前に十流は術式についてどれくら知っている?」

 刹那からの問いに、十流は覚え立ての知識を披露する。

「術式には魔力が必要で、さらに確としたイメージを持って具現化して放つものだった教えて貰ったけど」

 十流の答えに刹那は渋い顔をする。それはもう初歩中の初歩の知識だからである。

「しょうがないか。あなたは何て言うか覚えが悪いし、薫ちゃんの苦労が目に浮かぶわ」

 ここで一言でも反論出来れば良いのだが、実際のところ、薫からさんざん言われてもなかなか覚えられないのも事実だった。

「もう少し踏み込んで術式の事を教えてあげる。確かに術式で必要なのは魔力であり、それをイメージすることだけど、それともう一つ大切なのは『構築式』なのよ」

「構築式?」

「術式とは、本来在らざる力を呼び寄せあり得ない現象を引き起こすことを指すのよ。構築式はそのあり得ない現象を引き起こす鍵であり、安定させるものでもある」

「でも俺は構築式が無くても炎弾は出せるぞ」

 何故か両手を握りしめて勝ち誇る息子に刹那は呆れる。

「まあ、『業火招来』とか、そういう簡単な術式には構築式はあまり必要ないけど、起こそうとしている現象が大きければ大きいほど、複雑で大規模な構築式が必要になってくる。そして術士はその構築式を描き、構成するのがうまい人達なのよ」

 十流の脳裏にある人物が思い浮かぶ。つい先日に戦った、退魔術師――彼女は確かに大規模な術式を放つ際に、魔方陣のようなものを出していた。

「逆に剣士は構築式を構成するのが上手く出来ない。それはもう剣士故の特性なの。私も術式は苦手だった。だから十流が術式を上手く使えなくてもそれは当然なのよ」

「でも薫は色々な術式を使えるぞ」

「あの子はある意味、天才よ。母親の――姫川雫の子供だからかしら。剣士でありながら術士顔負けの術を使える。でもそれも限界が見えてくる。やはり薫ちゃんは剣士、そしてあなたも剣士なのだから、剣で戦わなければならない」

 刹那の言おうとしていることは十流にもわかった気がした。退魔師は大別すれば、剣士と術士に別れる。それぞれ得手、不得手があり、十流はまさにその不得手の方に力を注ごうと考えていた。だが現実問題、アークウィザードの術式を何とかしなければ剣士の特性である剣は届かない。

 一部は納得しても、煮え切らない十流に刹那は決定的な言葉をかける。

「術式が退魔術師にとっての必殺技と言えるなら、退魔剣士にも似たようなものがある」

「!」

 弾かれたように十流は顔を上げて刹那の瞳をじっと見つめる。

「剣士が使う技をこう呼ぶ

 ()()――と」

「魔技?」

 聞き慣れない単語に十流は眉をひそめるが刹那はかまわず続ける。

「魔力を使用した技――、略して魔技と呼ぶの。魔技に難しい構築式は必要ない。必要なのは己の力と技量よ」

 技量、そうは言っても退魔師として経験値が低い十流は不安を隠せなかった。術式すらまともに出来ないのにいきなり魔技など使えるのかと。

「大丈夫よ。魔技は剣士のためにあるもの。でも術式と違うのは習得するのに時間がかかるということ。術式は構築式さえしっかりしていれば威力の強弱はあっても誰でも使える。でも魔技は個々の技量によって習得はもちろん、威力の強弱もはっきりするものなの」

「薫は魔技を知っているのか?」

「おそらくは……。でもあの子が魔技ではなく術式に傾倒した理由もわかる。術式は習得するのが簡単なの。それに威力も高い。よほど焦っていたんでしょうね。早くそのアークウィザードを倒したい。友達を救いたい。その思いが本来、剣士として極めるべく魔技をおろそかにしてしまった結果なのかもしれないわ」

 薫の母・姫川雫から、今までどんなことをしていたのか、退魔師としての力量などもこっそりと訊いていた。アークウィザードを追いかけていた云々は、十流から訊かされたばかりだが、それ以外の――薫の腕前は感心するものがあった。それと同時に危ういとも考えていた。術式も剣も出来る。それは才能であり、弱点でもある。

 そして重傷の十流を運んできた際、自分をこれでもかと責めるその姿勢は周りの意見を聞かず、全て自分で解決してしまう、そういう気概すら感じられた。

 まるで昔の自分を見ているようでもあった。

 紅き閃光として名を馳せ、周囲の期待と結果を求められ、それに応えてきたが、結局は抱えきれずに心の袋小路に迷い込み、いつしか自暴自棄になった。それを救ってくれたのが他でも無い、初めて他人を愛した人物――天宮翔だった。

 薫の状況は十流の焦りから危険だと察知できる。なればこそ十流に魔技を教え、かつて天宮翔がそうしたように、十流が薫を支える――刹那は密かに期待していた。

「魔技を覚えればアークウィザードにも勝てるのか?」

 疑問を口にするが明らかに十流の眼の色が変わっていた。

「勝てるかどうかはわからないけど、対抗することはできる」

 刹那の言葉を聞き、十流は俄然やる気が出てきた。術式という同じ土俵に立つ必要が無い。 それとは違う力でアークウィザードに立ち向かえる。

 十流の瞳に熱いものが宿り、真紅に染め上げる。

「母さん、教えてくれ。魔技を!」

「ええ。早速始めましょうか」

 足手まといじゃあない。

 薫の力になれる。

 守れる力があるんだ。

 十流は期待に胸を膨らませて、討牙を呼び寄せる。





 アークウィザードとの戦いから三日後、姫川薫は額に汗を滲ませながら街を歩いていた。

 この日は土曜日ということもあり、学校は休みだがその前から薫は学校を休んでいる。建前上は体調不良で、本当はこの街に潜伏しているであろうアークウィザードの行方を追っていた。

 いつも行動を共にしていた天宮十流とは別行動をしている。

 作戦ではない。アークウィザードの件でもう誰も傷つくところを見たくない。全ての責を担うつもりで十流との協力を拒んだ。ましてや、足手まといという相手を卑下するような言葉を吐いて無理矢理、自分との距離を離した。

 アークウィザードを探しながら、心の葛藤と戦っていた。

 いつも一生懸命、自分と共に戦った少年を傷つけてしまった。

 早く探さなければという思いとは裏腹に、重りでも吊されたように足取りは引きずるように重苦しかった。

「薫ちゃん?」

 ふいに声をかけられ振り向くと、バックを肩にかけ、薄手のカーディガンを羽織った一人の少女が心配そうな顔でこちらを見ている。

「鏡……香……?」

 ほんの数日前には見慣れた友の顔が、ずいぶん久しぶりに感じられた。

 薄く笑ったつもりなのに、平泉の目は大きく見開く。

「どうしたの? 薫ちゃん。顔色悪いよ」

 平泉から見る薫の顔はまさに憔悴しきったように疲れ果てていた。笑ったつもりの表情が無理矢理作りあげているようでよけい心配になってしまった。

 平泉は駆け寄ると何を訊くでもなく、薫の手をとり、こちらも無理矢理に笑顔を作る。

「良かった。体調不良で休みって聞いていたから心配だったの」

「ごめん……」




 二人はコンビニに立ち寄りジュースを買うと、店の前で封を切り、一口飲む。カラカラだった喉を潤し、一息つくことができた。

 平泉は傍らに立つ薫を見つめる。言われてたように体調自体は悪くないように見えたがどこか思い詰めているような、眼差しに覇気を感じられない。学校での明るい感じ、十流との掛け合いによる笑顔も今は影を潜めている。

 学校を休むようになってから、いやそれ以前から薫の様子が変わったことに驚き、日は浅いかも知れないが友達同士だからよけいに心配になっていた。会ったら色々、訊こうとも考えていたが、中学三年生という難しい時期なので自分が踏み込んでいいものかと悩んでいる。

 相談に乗ることはできるけど解決することはできない。

 でも一緒に悩むぐらいはできる。

 小さな自分でも精一杯のことをしよう。

 物憂げに曇るその顔を見ては逸らし、視線を泳がせる行動が薫も気がかりになり、

「どうしたの? 鏡香」

「えっ、あの、その、えっと」

 口籠もり、何とか声に出す。

「最近の薫ちゃん、何だか悩んでいるみたいだからどうしたんだろうと思って。相談ぐらいなら乗れるから」

 言ってしまった、という苦い表情になり、怒ったかなとそっと薫の顔を覗き込むと、驚くような仕草をしていた。

(こんなにも心配かけていたんだ。十流の言う通り、何やっているんだろうね)

 自嘲を込めて心の中で笑う。

 だが本当のことは言えない。

 闇喰いを追いかけていること、十流にひどいことを言ったこと、でもなんとか平泉の不安だけでも和らげたいと思う。

「あのね、ちょっと進路のことで悩んでいたの。詳しくは言えないけど、精神的にも追い詰められていて、少し一人になりたいと思ったの」

 誤魔化していることは重々、承知している。これで彼女が納得してくれるとも限らないが少なくとも嘘をついているわけではない。

 横に並ぶ平泉に目を向けると、その目と目が合う。今にも泣きそうに目が潤んでいて、やがて平泉が口を開く。

「そうなんだ……。ようやく薫ちゃんの悩みを訊くことができた」

「鏡香?」

「薫ちゃんはいつも何でも出来るから、私のこともよく見てくれて、でも私は薫ちゃんに何も出来なくて、ずっと悩みというほどじゃあないけど考え込むことがあったの。せっかく、友達になれたのに、与えられてばかりで受けるばかりでそれじゃあ駄目だと思ったの」

 薫のように行動的でないし、他人との会話もしどろもどろで、教室の中でも一人でいることが多かった。そんな自分に手を差し伸べてくれた人に、初めて鏡香と呼んでくれた人に、自分から何か出来ないかと、これまた初めて抱いた願望だった。

 言ってくれた悩みも自分でアドバイス出来るものでは無いし、こうすればなどと安易な言葉を言えるものでは無い。

 解決するわけではないが、悩みを共有することが平泉にとっては嬉しかった。

「薫ちゃん……、こんなこと言ったら失礼かもしれないけど、薫ちゃんも悩んで良いと思うの。悩んで、でも抱えきれなかったらそれを言葉にして出して欲しい。私だけじゃあなくて天宮君もいる。一緒に悩むぐらいならできるから、だから一人で抱え込まないで」

 声が漏れそうになるくらい、心に染みる思いだった。

 自分は本当のことを隠しているのに、平泉は真摯になって受け止めて答えてくれる。

 ほんの少しだけ肩に乗っていた重りがとれた気がした。

「ありがとうね、鏡香。本当にありがとう」

 平泉もほっとしたように頷き返す。

「そう言えば天宮君はどうしたの?」

「十流?」

「天宮君も三日前から休んでいるの。季節外れの風邪みたいだけど、薫ちゃんは訊いてない?」

 十流の名に表情を曇らせるが心配かけまいと懸命に声を出す。

「えっと、私は知らないわ。連絡も無いし、それにちょっと喧嘩しちゃったから……」

 あれほどの重傷だったのだから術式とはいえ、完全に治るには時間がかかるのか、もしかしたら自分の言葉に傷つき寝込んでいるのかも知れない。

 心配はつきないが今は会えない。会ったら十流の優しさに甘えてしまう。

「喧嘩……か。でもあとでちゃんと仲直りした方が良いよ。私よりも天宮君のほうが薫ちゃんの力になれるから」

「そうだね……」

 十流が力になってくれるのは痛いほどわかる。

 でもそれはもうあり得ないことだった。

 自ら突き放してしまった今、いるはずの十流の姿はどこにもない。

 




「それじゃ」

「またね」

 薫と平泉は短い立ち話を終えると、踵を返してそれぞれの目的のために歩き出す。

 薫はアークウィザードの行方を、平泉は図書館に本を返すのと借りるために。

「本当に本好きね。つぼみにそっくり」

 だが決定的に違うのは平泉は本来は、世話好きな子なのかもしれない。対して野井原つぼみは受け身がちだった。内心を隠すように友達になってもそれは変わらなかった。自分のほうも退魔師である事実を隠して接していたのだからお互い様なのだが、今の平泉のように踏み込んで野井原つぼみと接することは出来なかったのだろうか。そうすればアークウィザードの出現を察知できたかもしれない。

 全ては取り返すことの出来ない過去。

 ならせめて現在と未来を取り戻すと、薫は決意を新たにした。

「うっ……」

 呻くような声に薫は、はっとして後ろを振り返る。

 何の前触れも無く、さっきまで会話をしていた平泉が地面に倒れ伏していた。

「鏡香?」

 急いで駈け寄り、熱中症、貧血、倒れた原因を頭の中で検索していた。

 仰向けにして、額に手を当てるが、熱は無い。

 呼吸もしているが、目はきつく閉じられている。

「ぐっ」

「あっ……」

 平泉の状態を確認していると、周りから同じような呻き声が聞こえてくると多くの人達がその場に倒れていた。

「これは?」

 まさかと思い、平泉の胸に手を当てると冷や汗がどっと出てきた。

「心が喰われている? そんなまさか。闇喰いの気配は感じなかったのに」

 いくら精神的につらくても闇喰いの気配を読めないほど疲労困憊はしていない。にもかかわらず平泉の心は喰われていた。

「くっ」

 奥歯を噛みしめ、平泉を抱きかかえると急ぎ病院を目指す。



 平泉を抱え、病院に入ると、その光景に絶句する。

 受付を待つソファに大勢の人達がもたれかかるように座っている。堪えきれなくなり床に寝そべるものもいる。医者や看護師たちがせわしなく人々を見て回るがとても追いついていない。

 野戦病院さながらの事態に、混乱の極みと化していた。

「みんな、心が喰われている」

 抱きかかえている平泉や周りの人達を見る限りではそれほどダメージは受けていない。だがこれほど大勢の人達が喰われるなど初めての経験である。

「急患の方ですか?」

 看護師からの焦る声に薫は頷く。

「とにかく空いている所へ。順番に看ていきますから」

 早口に言うとその場を離れようとする看護師に薫は訊く。

「一体、どうしたんですか? こんな事……」

 しかし、看護師は困ったように首を振るだけである。

「私達にもわかりません。ただ具合が悪いと言って病院に来る患者さんが大勢いらっしゃって、中には意識がはっきりしない人もいます」

 それだけ言って看護師は早足で患者さんの手当に回る。

 薫はとりあえず、平泉を通路の邪魔にならないように壁際に座らせる。図書館に返すはずだった本を入れたバックを横に置き、ハンカチで汚れた顔を拭く。

「鏡香、聞こえてないかも知れないけど、ここにいれば安全よ。すぐに看てもらえるから」

 そう言い残し、薫は病院を後にする。

 病院の入り口を抜けると同時に、前方に人がいないことを確かめて、右手を突き出し、堺面世界への扉を開く。

 現実世界の現し身――堺面世界へと入り込んだ薫が目にしたのは、驚くべく光景だった。

 病院の手前、建物に本来あるはずのない、植物の蔓が巻き付いていた。その先端は蛇のようにうねうねと動き、その蔓を伸ばしていく。どこかで窓ガラスが割れる音が響き、コンクリートの壁を破る音がまさに音楽のように世界を駆け巡る。

 そんな情景が目の前の景色一杯に広がっていた。

「これは何? 何なの?」

 見たことも聞いたことも無い。堺面世界にこんな不可思議な現象が起きようとは。

 植物の蔓はぼんやりと光ると、その光が蔓を伝いどこぞへと運ばれていく。

「これが人々の心を喰らっている? 一体誰がこんな」

 こんな現象を引き起こせるものは一人しかいない。

 そしてその闇喰いが放った言葉を思い出す。

『あまり時間をかけない方が良いですよ。街の住人の命が無くなってしまうかもしれません』

 手が怒りで震え上がる。

 左手を掲げ、桜花を呼び出し、髪を金髪に染め上げる。

「ア……ア……」

 桜花を抜き、奥歯をきつく噛んで叫ぶ。

「アークウィザードォォォオ!」






 昨日の昼間から、薫は堺面世界で一人、人間の心を喰らう蔓を切り倒し、時には焼き尽くし、当面の間は病院に被害が及ばないように処理をしてから、薫はこの蔓の出所を探っていた。

 だが斬っても斬っても、蔓は街を覆っており、全てを片付けるには至らなかった。

 疲れ果て、自室に戻ると薫はリビングにあったソファに俯せのまま眠ってしまった。

 そしてようやく起きた頃には朝が過ぎ、昼を過ぎようとしていた時だった。

 体は思っている以上に疲労感は無い。

 自分の状態を確かめるとリビングの横にある自室へと入り、タンスの中からあるものを探す。

「確かここに」

 蔓を切りながら、わかったことはこれが大規模な術式によるものだということ、そしてある一カ所から伸びて街中を覆い、人の心を喰らい、また異常が起きれば再生の力が流れる仕組みとなっている。つまり元を叩かなければこの現象は止められない。

「あった。やっぱり持ってきて正解だった」

 薫がタンスから出したのは、服一式だった。

 昨日まで着ていた学校の制服を脱ぐとそれに着替える。

 舞い散る桜の花びらを意匠した和服で、肩から先は布地が無く動きやすいような設計になっている。帯から下、前側は大きく開けて周りをパレオのように覆う。白のスカートを着て、足にも白色の足袋を履く。両手には籠手を付けて何度か握りしめる。

 退魔師の戦闘装束――、術式に対する耐久性と衝撃に強く、些細なことでは破かれる心配は無い。だがその製法は難しく、退魔師の中でも限られた人達しか着ない。姫川家でも隊長クラスにしか支給されないものである。

 薫は着替えを終えると、机から便箋を出し、それを持ってリビングに戻る。

 ソファに座る一体の洋人形に持たせるよう形でその便箋を置く。

「ごめんね。マリア。もっと一緒にいたかったけど、それはもう叶わない。でも大丈夫。十流ならあなたのこともちゃんと見てくれるから」

 何も言い返さない洋人形はそのプラスチックの赤い目で薫を見上げる。その目に覚悟を決めた一人の少女を映し出す。

 薫はマリアの頭を優しくなでると、名残惜しそうに言葉を残す。

「さようなら。マリア」

 部屋を出ようとして、もう一度、自分が住んでいた場所を見る。

 二度と戻れない場所。

 何度か十流と話したり、からかったり、笑ったりした部屋。

 不思議と涙は出なかった。

 代わりに揺るぎない決意が胸を熱くする。

 そして部屋を出ると戦いの場――堺面世界へと入っていった。




 街の西地区に古びた教会が建っている。全体的に白を基調とした建物に頂上には十字架が掲げられている。ミサや集会が度々催され、聖歌を歌う声が美しい音色にのって教会を包み込む。

 だがそれは現実世界のことであって、堺面世界ではあり得ないことだった。

 にもかかわらず教会からはオルガンによる演奏が響いてくる。

 誰もいない聖堂の中、たった一人の顔無しの闇喰いがオルガンを引いていた。

 そして聖堂の中央、本来なら祭司が立つ場所に一つの鉢が、術式の発動を意味する構築式の上に置かれている。構築式は円形で、その中には数字や文字が幾重にも書かれ、それをなぞるように一本の線が、時計のように回っている。

 鉢から伸びるように蔦が、教会の内部を侵食し、窓を突き破り、分かれた蔓はまたさらに伸びて街へとその根を伸ばしていた。

 音を奏でる指も軽やかな顔無しの闇喰い――アークウィザードは時折、体を動かしては熱心にオルガンを引き続ける。

 ギィイイという木製の扉が開かれる音を聞くなり、アークウィザードはオルガンの演奏を止める。

「どうです? なかなかの音色だったでしょう。これはあなたに送るレクイエムですよ、姫川 薫」

 イスから立ち上がり、振り向いた先には自分を睨み付ける一人の少女が腰に刀を携えて屹立していた。

「あら、あなたが自分で自分のレクイエムを演奏してると思った。それにしてもまさか教会に隠れていたなんてね。神様も真っ青だわ」

 軽く相手を罵倒してみたものの、アークウィザードは苦笑で返す。

「隠れていたわけではないですよ。ここにあるオルガンが気に入ったそれだけです」

 そう言ってアークウィザードはオルガンの蓋を閉める。

「戦うのなら外でやりませんか。この建物の裏側は結構、開けているので戦うのは申し分ないかと。それに堺面世界とはいえ、こんなにも良い音色を出すオルガンが壊されるのは見るに忍びない」

 相手の同意を得ずにアークウィザードは祭壇の脇にある扉をくぐる。

 今更罠など無いかと思い、薫もその後に続く。




 教会の裏側は、樹木が茂っているが、それを抜けると野原のように大きく開けた場所へと出る。太陽の光さえ射さない、曇天の下、特有の生気の感じられない世界で姫川薫とアークウィザードは距離を置き、正面で対峙する。

 殺伐とする雰囲気の中、まず口を開いたのは薫だった。

「戦う前に訊きたいわ。この現象、一体何なの?」

 言いながら遠くに目をやれば、植物の蔓が蠢き、まるで獲物を捕らえようとくねくねと動いていた。

 アークウィザードもそれにつられるように視線を移す。

「なあに、新しい術式の開発ですよ。ですがこれがなかなかの駄々っ子でしてねえ。一応の制御は出来るものの、私がいないとすぐに枯れてしまう。つまり――」

「おまえを倒せば、この現象を止められるのね」

 薫の視線はさらに鋭くなる。

「倒せればね。ですがそう簡単にはいきませんよ」

 アークウィザードも薫の殺気に応えるように自身の持つ力を少しずつ解放していく。

「私もあなたに訊きたいことがあります」

「?」

「あの少年はどうしました? 死んだ、わけではないでしょう? それとも恐れをなして逃げたとか」

 全く悪びれずに言う言葉に薫の眉が吊り上がる。

 十流がどんなにネガティブ思考でも、逃げるなんてことはしない。

 それは自分がよくわかっている。

 いないパートナーを侮辱されて、感情が怒りで高まっていく。

「私一人で戦う。そしておまえとの因縁を断ち切る」

 右手を柄に伸ばし、桜花を引き抜く。

 友を救うため、これ以上の犠牲を出さないため、そのためなら自分の命を全て燃やし尽くす。

 覚悟を秘めた目で桜花を構える。

 アークウィザードは心の中で感嘆の声を漏らす。

 風にそよぐ金髪、煌めく刀、そして覚悟と責を背負う少女の姿は、着ている和服の絵柄と同じように美しさと儚さを感じることが出来る。

「いいでしょう。私もあなたの覚悟に応えることにします」

 腰だめに低い姿勢を取ると、拳に力を込める。






 閑静な住宅街の一角にある公民館に併設された柔剣道場で、天宮十流は戦いの気配を感じ取っていた。

「薫が戦っている。堺面世界で……。相手はアークウィザードしかいない」

 額に汗を流しつつ、明後日の方向を向いて話す十流に、母・刹那は意を決して問う。

「いくのね、十流?」

 力強く頷くと、十流は持っていた討牙を鞘に収めると刹那に向き直る。

「ありがとう、母さん。何とかしてくる」

 男ならもっとかっこいいことを言っても良いのにと内心思いつつも、これが十流なのだと納得してしまう。

「行く前に、ちょっと着替えた方が良いわね」

 不思議がる十流を尻目に、刹那は駆け足で道場を出て、すぐさま戻ってくる。

 怪訝な面持ちで十流は刹那が抱え込むように持っていたものに注視する。

 それは服で見覚えがある。今は着ることがなくなった、とても懐かしい服だった。

「もしかして、それを着るの?」

「そうよ」

 問答無用の満面な笑みで返されて、十流はうなだれた。





「はあああ」

「ぬううう」

 薫の斬撃を躱し、ときに腕で防御することでやり過ごし、薫はアークウィザードの打撃を軽やかな体捌きで避ける。そんな一進一退の攻防が続いていた。

 しかし、アークウィザードの強さは打撃などではなく、警戒すべきは、連続して術式を放ち相手を追い詰める術士としての強さだった。

 余裕なのかさっきから薫との距離を離すこと無く、乱打戦に持ち込んでいる節がある。

 狙いは風玉と呼ばれる風の術式で相手を吹き飛ばし、追撃しようとしているのか、あるいはもう一つの可能性に薫は注意する。

「……!」

 突然、アークウィザードの右手が光り、薫の持つ桜花に当てる。

 バチッと感電するような音に身が震えるが、

「むっ?」

 そんなことはお構いなしに薫の上段からの斬撃が襲いかかる。

 その軌跡を後方宙返りで避けるとアークウィザードは何度か反転して止まる。

「なるほど、対策は万全と言ったところですか」

 光る右手を振る度に、バチバチと放電されていく。

「二度も同じ手は食わない。私の着ている服は術式に対する抵抗力が高い。並の術式は通用しないわ」

 以前は、まともに喰らったために全身が麻痺し、しばらく動くことができなかった。同じ轍を踏むまいと薫は滅多に着ない戦闘装束まで用意していた。

 自分に対する敵意の表れにアークウィザードはつい笑ってしまう。

「その熱意には感服しますよ、姫川薫。そんなあなたに敬意を表して昔話でもしてあげましょうか」

「なにを?」

 抗議の声をあげる薫を無視してアークウィザードは言葉を継ぐ。

「むか〜し、むかし、あるところに一人の少女がいました。少女には大好きな父親がいて、母親もいて、それはそれは幸せな家庭でした」

 身振り、手振りを交えるアークウィザードの挙措を薫は警戒していた。いつ何らかの術式を発動されてもいいように距離を置く。

「ですがそんな幸せな家庭がもろくも終わる時が来ました。理由は定かではありませんが少女の両親は別れることになり、少女は母親に引き取られます。少女が何度、問い詰めても泣き叫んでも大好きな父親には会うことが出来ませんでした。やがて新しい父親と名乗る方と出会います。血の繋がりはありませんが、その新しい父親は少女をまるで自分の娘のように接し、可愛がり、少女も少しずつですが心を開いていきました」

 現実の家庭ならありそうな話を何故語るのか。

 訝しげに薫はアークウィザードを睨む。

 自分に注目する薫の顔を、アークウィザードは無い顔で見つめ返す。

「とても人徳のある人なのでしょうね。どこぞの家庭では躾と称した暴力を振るものさえいるというのに。

 少女はその新しい父親のことを好きになりました。

 でも、前の父親のことも忘れることは出来ませんでした。

 そこで少女は困り果てます。

 どんな顔をしてこの新しい父親と接して良いのかわからなくなったのです」

 無い顔をこちらに見せる闇喰いが語る話に、何故か嫌な予感がした。

 その少女とやらは自分が知っている人物ではないかと。

「笑顔になるのは簡単です。でもそれは前の父親に向けていたものでした。もしその笑顔を新しい父親に向けてしまったら、それは裏切ることにならないだろうか。

 自分の元を去ってしまった父親がどんな生活を送っているか少女は確かめようもありません。 自分と同じように会いたいと思ってくれているかもしれない。

 そう思うと少女は笑顔に、幸福に満ちた顔になれませんでした。

 以来、少女は新しい父親にも、母親にも、どんな顔をすれば良いのかわからなくなり、自分の喜怒哀楽を表すことが出来なくなりました。

 それは学校に行っても同じです。他人とどんな風に付き合えば良いのかわからない。喜んで良いのか、怒って良いのか、感情を表に出すことが出来ない少女はいつも一人でした」

 薫の体が小刻みに震えていた。歯がカチカチと鳴って、桜花を握る手に汗が滲む。

「まさか……まさか……」

 ひどく狼狽する薫を目にしてアークウィザードは大いに高揚する。

「そうです。私の顔が無いのは、我が宿主――野井原つぼみの影響なのですよ。あなたと友達関係になっても野井原つぼみは感情をあまり表に出さなかったでしょう? 本当は嬉しいはずなのに、一緒に笑いたいのにそれが出来ない、したくない、してはならない。

 彼女はずっと苦しみ続けていたんですよ」

 思わぬ告白に薫の顔は歪む。

 極度の引っ込み思案だと思っていた。だから自分が彼女を引っ張ってあげようと思っていたのに、一緒に楽しく遊んでいたときも、野井原つぼみは苦しんでいたと言う。

 幸せになってはならない。

 そんな不条理があってたまるものか。

「お前に、つぼみの何がわかるって言うの」

「わかりますよ。私は誰よりも彼女の心の近くにいたのですから。そう、あなたよりもね」

「黙れ!」

 振り払うように薫が駆け出していた。

「つぼみをあんな姿にしたお前が言うな!」

 再び切り結び、二人は対峙する。

「私のせいだと言うのですか? それは少し見当違いですよ」

 見境なしの斬撃の嵐をアークウィザードはふわっと体を浮かして躱し上空に留まる。

 そして手の平から『パンドラの書』を出現させる。

 その様子を薫は荒い息を吐きながら見ていた。

(くる……連続術式が)

 身構える薫に天からの声が降りかかる。

「さて、どんな厄災が飛び出すか」

 パンドラの書が勝手に開き、ページが捲られていく。

「これにしますか」

 右手をかざすと術式が発動する。

 アークウィザードを中心に現れたのは氷で出来た鳥。それが瞬時に数十羽となり、一斉に襲いかかる。

 風に乗り滑空する鳥の群れを横に飛ぶことでやり過ごす。

「業火将来!」

 声に反応して出てきた炎弾は一個ではなく、小さい炎弾が幾つも出現する。

「いけ!」

 炎弾は薫の指示によって飛んでいき、やり過ごした氷の鳥を殲滅する。

 さらに残った炎弾はアークウィザードに向けて飛ばす。

「ほう」

 アークウィザードも氷の鳥を飛ばし炎弾と相殺させる。

 爆発音とその後に生まれた煙が両者の姿を隠す。

 薫はすかさず術式の詠唱にはいる。

(あいつの連続術式がどうゆうカラクリなのかさっぱりだけど、でも今、できるのはこちらも負けずに術式を使って対抗するしかない)

 どんな術式がくるかなど悠長に構えている時間はなかった。手持ちの術式を直感で選んで相手の隙をつく。

 作戦ともいえない賭のようなものである。

 自分も五体満足でいられるかわからない。

 自分を犠牲にしてでも野井原つぼみを助けたい。

 覚悟はもう決めた。だから恐怖はなかった。

 不思議と笑みが溢れた。

 煙が徐々に晴れ、アークウィザードのコートの裾が見えた瞬間、

「業火将来! 乱れ撃ち!」

 構築式が展開し、炎弾が次々と生まれてはアークウィザードに向かって飛んでいく。

 またしても起こる爆音と衝撃そして煙、薫はそれらを気にすること無く次の詠唱に入る。

「生まれよ、氷の矢。敵を討て!」

 連続術式とは言えないが、できうる限り術式の詠唱を早めて向こうが攻撃する暇を与えない。 氷の矢が向かって行く最中も集中力を乱さず、また次の詠唱に入る。

 どれだけ術式をくり出せば良いのか。

 これが通用しなかったら自分に後は無い。

 後は玉砕覚悟の特攻だけ。

 珍しくネガティブな思考になっていた。

(十流の癖が移ったのかしら)

 頭の中では色々な思考が過ぎり、目はしっかりと眼前にいるであろうアークウィザードに注目していた。

 気配はあり、逃げる様子も無い。

 これはとある術士が使っていたもの、でも自分が使えば威力も範囲も狭くなるがそれでも手持ちの術式で一番強い。

「我は願う、天上の神よ、その荒ぶる姿我が前に、黒き雷雲よここに、雷よ敵を討て!」

 空中に構築式が二つ現れ、雷光が煌めく。

 光った瞬間に、置き去りにされた音が辺りを振るわせ、その光量に目がくらむほど景色が白くなる。

「はあ……はあ……」

 薫はぐったりと両手を膝につけて、地面に目を落として息を整えようとする。

 疲労が一気に体を支配していく。

 なんとか上体をあげて爆煙の先、アークウィザードの様子を伺う。

 無傷でいられるわけがない。

 煙が風に流されアークウィザードのコートの裾が見え始める。

 あれだけの術式を喰らって生きていたらそれこそ化け物。

 履いている革靴、手袋、帽子、全体が見え始める。

 倒した、そう確信していた……はずなのに、

「なっ……なんで?」

 薫は呻くように声を絞り出していた。

 煙が晴れた先にいるアークウィザードは着ているコートさえ傷が無い、悠然とそこに浮かんでいた。

 口を半開きにしたまま薫は現実を受け入れるのに必死だった。

 そんな様子を見ていたアークウィザードはため息混じりに言う。

「やれやれ、あなたは二つ誤解しています。まず一つは私の連続術式が攻撃だけだと思いましたか?」

「何を言って……」

「防御の術式があるでしょう。だがあれも耐久値があってそれを超えると防御の術式は消えてしまう。だがそれを連続で使ったとしたら――、破られてもすぐさま発動させれば完璧な防御となる」

 理屈ではわかるが実際それをやろうとしたものはいない。だがアークウィザードはそれを平然とやってのけて見せた。

 薫の背筋に冷たいものが通る。

「そして誤解その二。私の連続術式はもっと早いですよ。このようにね!」

 パンドラの書が高速で捲られ、右手が何度もかざされる。

 それを契機に、薫の周囲で爆発が次々に起きる。小規模の爆発が薫を中心に巻き起こり、その音に聴覚が異常をきたす。

「くっ」

 耳鳴りに苛まれながら爆発を避けるように身を屈め、

「がはっ……」

 いつの間にか地面から隆起していた土の手が薫の腹を殴っていた。

 前のめりに倒れそうになり、今度は後ろから張り手を喰らう。

 地面を擦り、倒れる。

 口の中に嫌な味が混じり、それをとっさに吐く。

「こんなことって……」

「そのまま寝ていたら串刺しですよ」

「!」

 声のする方に顔を向けると氷の槍が数本、自分をめがけて飛んでくる。

 なんとか起き上がり、避けたところへまたしても起こる爆発に体が揺さぶられる。

(もう何が何だかわからない。どうすれば……)

 押し寄せる術式の襲来に薫の思考は完全に停止してしまう。

 立ち上がっては吹き飛ばされ、追い打ちをかけられ、また吹き飛ばされる。

 それほど時間は経っていないが薫にとっては永遠に感じられた。

 桜花を地面に刺し、体を支えるが、力は入らずに震えていた。

 瞼が閉じられる瞬間、腕が自分に迫ってきていた。

「がっ……あ……あ」

 アークウィザードは薫の首を捕まえ、宙づりの状態にする。

「放せ……」

 かろうじて息と言葉を継ぐ事が出来る。それもアークウィザードがわざと力を加減しているのだから屈辱でしかない。

「安心してください。コレで殺そうとは思いません。殺す前にあなたの心を喰らいますから」

 死刑宣告に薫は桜花を何度か振り上げようとするがうまく力が入らない。

 抵抗できないよう首に少しずつ力が加えられていく。

「まあその前に、一つ教えてあげましょうか。先程、あなたはこう言いましたよね。野井原つぼみを人形のようにしたのは私だと……」

 その通りだろう。

 アークウィザードが野井原つぼみから脱皮したことにより、宿主たる野井原つぼみは感情はおろか生きる意思すら無くし、自分一人で起き上がることも、食事を取ることもできない。ただうつろな目で、何も言わない、反応しない、ただ生かされている存在にしたのは他でも無い。このアークウィザードなのだ。

 薫は必死に何かを言おうとしてもがいている。

「でもそれは違います。確かに生まれたきっかけは野井原つぼみの両親が離婚したことに起因しますが、私を成長させたのは他でも無い――姫川薫、あなたなんですよ!」

「!」

 何を言っているのかさっぱりわからなかった。

 自分が成長させた、では結果的に脱皮させたのも自分ということになる。

「……嘘を……つくな」

「嘘ではありませんよ。何故なら野井原つぼみはあなたに嫉妬していたんですから」

「……嫉妬……?」

「野井原つぼみはあなたと友人になってから、とても穏やかになりました。新しい父親と接するときも前のように突き放すことが無くなりました。ですがあなたと親しくなるうちにある感情が芽生えます。

 嫉妬――、あなたを羨むようになっていた。

 自分とは違い、何でも出来る。教室では他の生徒とも気兼ねなく話す。怒ったり、笑ったり、泣いたり、感情赴くままに表情を変えるあなたを野井原つぼみはとてもうらやましく思っていた」

 そんなこと無い。絶対に嘘だ。

 思いつく限りの記憶を探りながら薫は野井原つぼみといたころの事を思い出しては必死に否定していく。

「何が違う、何故違うのか、悩みは尽きず、そしてその悩みを誰かに言うわけにはいかなかった。唯一、親しいあなたにまさか、嫉妬していて悩んでいる、なんて馬鹿げたことを言うわけにもいかない。その嫉妬心が私を成長させた。私は外に出ること無く、楽に自分を成長させることができた。だからあなたにもばれずにいられた。ある意味、感謝していますよ」

 含んで笑うアークウィザードを心底憎いと思った。

 だが否定するほどの決定的な何かを持っていなかった。

 野井原つぼみの本当の心を知らなかった。知ろうとしなかった。彼女と深く接すれば退魔師である自分とも深く関わることになる。

 傷つけたくなくて、だからある程度遠ざけて、それでも友達だと言っていた。

 それが逆に彼女を外では無く、内面を傷つけていたとしたら。

 自分のことを知られてたくないから、彼女のことも知ろうとしなかったこと。

(それが罪だと言うの?)

 言い返せないことが悔しくて歯ぎしりする。

 その様子を見ていたアークウィザードは止めとばかりに口を開く。

「あなたに限らず退魔師と言うのは傲慢ですねぇ。だってそうでしょう。退魔師といえどその本質は人間。なのに人の心を救う? 神の使いにでもなったつもりなのでしょうか」

 語気が強くなるにつれて首を絞める手にも力が入る。

「私を倒せば野井原つぼみは助かる。しかし、その後、あなたは野井原つぼみにどんな顔で向き合うつもりですか。笑顔ですか、それとも泣きますか。

 そんなこと出来る訳ありませんよね。

 だって野井原つぼみを追い詰めてのはあなたなのですから」

「ぅ……うううう……」

 言い返す事も出来ずに薫は涙を流した。涙を必死に堪えようとしても、もう止める事は出来なかった。

 助けようと思っていた。

 救いたいと思っていた。

 でも自分のせいでつぼみはあんな姿になった。

 自分のせいだ。

 桜花を握り手は力が無くなり、ただ持っている状態になっていた。

「あ……うううっ………」

 自分のこれまでしたこと全てを否定され、もう薫には戦う力も、生きる力も無くしていた。

「良いですよ。その絶望に満ちた顔。今宵はおいしい美酒に酔いしれそうだ……」

 アークウィザードはゆっくりと左手を薫の胸へと近づけていく。




 悲しみに暮れる少女と勝利に沸き立つ闇喰いは気がつかなかった。

 堺面世界に一つの気配が生まれたこと。

 それは脱兎のごとく駆け出していたこと。

 そして古い教会を目にし、裏側へとまわり、生い茂る林を抜け、落ちている枝を踏み砕きながらそれは近づいていたこと。

 目にした光景に激高したことを少女と闇喰いは気がつかない。



 横蹴りが飛んでくるまでは……。



「うおりゃあああああ――」

 突然の雄叫びと、横からきた衝撃にアークウィザードは視認する間もなく吹き飛ばされていた。

 そのため捕まえていた姫川薫を放してしまった。

「ゴホッ……ゲホ……」

 薫は地面に四つん這いになり、何度か咳き込む。息を整え、見上げた先にそれはあった。

 いつか見た光景に似ている。

 自分を守るように、恐怖から遮るように、大きい背中が見えた。

 涙声になって、薫は呟く。

「……十……流」

 天宮十流は薫をアークウィザードから隠すように立っていた。

 その目は怒る狂う炎のように紅く染まっている。

「少年……」

「薫に手をだすんじゃねえぇ――!」

 怒りの感情そのままに十流はアークウィザードに叫んだ。





 動揺から少し落ち着きを取り戻した薫は十流の姿に目を見張る。

 いつものラフな服装ではなく、剣道着に袴、それは小さい頃よく見た十流が剣道する姿だった。思い出の中の少年がそのまま大きくなって自分の目の前に立っていた。

「薫、大丈夫か?」

 肩越しに十流は薫を見るとその姿に一瞬驚く。見慣れた制服ではなく、上は桜の花が鮮やかに咲いている和服を着て、下はスカートという、まるでソーシャルゲームにでてくるお姫様キャラの姿をしている。

 普段ならつっこみをいれるところだが、今の自分には気持ちに余裕は無い。

 問われた薫は、体を震わせて十流に詰問する。

「なんで来たのよ……。もう一緒に戦わなくて良いって言ったのに、私一人で戦うって言ったのに……」

 どれだけ十流を傷つけただろうか。

 あえて辛辣な言葉をかけたのに、十流は平然とそこにいる。

「あんなに酷いことを言ったのに、どうして……」

 泣きじゃくる薫を見るのがつらくて十流は視線を前に向きながら答える。

「ば〜か。俺があんな程度で退くと思うか。幼馴染みならそれぐらい分かれよ」

 ふてくされるように言う十流に薫はより一層、涙を流す。

「馬鹿よ、本当にバカ十流なんだから……」

「バカで結構。女の子一人で戦わせる最低な男にならずに済むからな」

 手の甲で涙を拭いながら、助けに来てくれた十流に、感謝の気持ちで胸が一杯になる。

 だが、

「でも……、私には十流と一緒に戦う資格が無い。ううん、退魔師である資格も無いの……」

 がっくりと肩を落とし、視線を十流から外す。

 薫の言葉に反応して、そちらを見ると薫の心根が見えた。

『境界突破』――、人の心を見る眼は薫の心の姿を映し出す。もはや花は枯れ果て、何とか一枚の花びらがついているという状態だった。戦う意欲も、生きる意思すらも儚く散りそうな追い詰められた姿を見て、十流はするどい視線をアークウィザードに投げかける。

「薫に何をした?」

 眉根を吊り上げて言う十流にアークウィザードは驚く。

「凄まじい気迫だ。まるで別人のようですよ」

「いいから質問に答えろよ」

 正直な感想をにべもなく塞がれ、アークウィザードは肩をすくめる。

「なあに、姫川薫に真実を教えただけですよ。簡単に説明しますと、私が成長出来たのはそこにいる姫川薫であり、野井原つぼみを追い詰めたのも彼女だということです。ですから野井原つぼみを救おうとしているあなたは傲慢だと言ったまでです」

 十流はチラリと薫を見る。否定しない彼女の態度からアークウィザードの言うことは本当だと認識する。ただどの程度、真実なのかは定かではないが。

「姫川薫だけではありません。退魔師全体が傲慢だと思いますねぇ。人の心を救う? どうしてそんな大言壮語が言えるのか。あなたもそう思いませんか?」

 まるで小馬鹿にしたような物言いに憤慨しつつも、十流は目を閉じてしばらく考える。

 そして、

「確かにあんたの言う通り、人の心を救うなんて傲慢だと思うよ」

 さらりと言ってのけた。

「ほう……」

 アークウィザードもこの反応は予想していなかった。否定してくれれば、丸め込んで姫川薫のように精神的に追い詰めることが出来たのにと内心、舌打ちをする。

「どうしてそう思ったんですか。ぜひとも考えを聞かせて欲しいですね」

「だってそうだろう。人の心は千差万別。姿、形も違えば、色も違う。大きければ小さくもあり、高ければ、深くもある。そんな複雑な心を救うことができるのは神様ぐらいだよ。例え、人の心を視ることが出来たとしても、それをどうにかするなんて出来ない」

「十流……?」

 薫も十流の言葉に耳を傾けた。

 退魔師がどうのと自分には言う資格は無い。

 でも、純粋に人を助けたいと思い続けた十流なら退魔師のなんたるかを言う資格があると思った。

「退魔師は神様じゃあないんだ。出来ることは人の心が生み出した闇喰いを倒すことだけ。でもそれだけでも退魔師の存在意義はある」

 退魔師になって数ヶ月の十流には退魔師の奥深さなんてわからない。ただ自分が思う退魔師像を素直に表現してみせた。

 退魔師になったところで人間であることに変わりは無い。ならば出来る事も増えたかもしれないが、出来ないことも多々あるはず。そして人の心が見えるため、変えるなどと口が裂けても言えない。今、自分が出来る事を精一杯やり遂げる。十流はごくシンプルに考えていた。

「なるほど、ずいぶん割り切りが良いですね」

「人のことを傲慢と言うわりには自分はどうやら執念深いようだな」

「むっ……」

 話の腰を折られ、さすがに機嫌を悪くするがそんなことはお構いなしに十流は話を続ける。

「街の中に植物を寄生させるなんて、何を考えているのか……」

 遠く、緑色の蔓が伸びていく様子を十流は眺めていた。

「別に……。ただ新しい術式の開発を――」

「違うだろう」

 薫と同じような説明をしようとして、それを最後まで聞かずにはっきりと否定した十流をアークウィザードは表情は無いものの睨み付けるように見る。

「これもあんたの野望の一端なんだろう。新しい術式じゃあない。もっと大きな事をやろうとする前触れの様なものだ」

「……」

 アークウィザードは珍しく沈黙をする。

 十流はアークウィザードと話している間に、『境界突破』でアークウィザードの心の情景を視ていた。雄弁に語っている間も、反論する間も、つぶさにアークウィザードの心を視てそしてその執着ぶりを目の当たりにしていた。

「木……、樹木……、いや大樹かな。そんなものを植えてどうするつもりだ?」

 見えたのは大きな樹木で、天まで届けといわんばかりの大きな樹。それを何としてでも生み出そうとしている執念。闇喰いでありながら何故、植物に興味があるのか、そんなことはわからない。温暖化対策などという理由ではないことは十流にもわかる。

「何を言ってるの?」

 薫は小声で呟いた。

 いつもの十流らしくない。ネガティブ思考だからそんなことを考えたのだろうか。でも不思議な説得力を感じることもできる。十流の言葉に対してアークウィザードは沈黙するだけ。否定も肯定もしないということは、つまり十流の言うことは当たらずも遠からずということなのだろうか。

 後から沸いてくる疑問に、薫は十流をまるで人が変わったように見ていた。

 それはアークウィザードも同様だった。

 自分と対峙するこの少年は三日前とは明らかに違う。

 気迫が違う、というだけでは説明できない。ましてや言ってることは概ね合っている。

(どういうことだ……。私はこの二人の前では『生命の樹』に関することは何一つ話してはいない。現在、起きているこの現象はたしかに余興の様なもの。そこから連想したのか。しかしそれにしても具体的すぎる)

 顔があればもろに驚愕の表情をしていただろう。

 十流の言う樹というイメージは、『生命の樹』に酷似している。そして『生命の樹』はアークウィザードにとって成就すべきものであり、それは極秘に行われていた。詳細を知っているのは部下の間でも指折りしかいない。苗木を植えるのに適した土壌を探していたゴレムを除き、その他の部下たちには知らせていない。

 情報は統制していたはずなのにこの少年はあたかも知っているような口ぶりだった。

 ふと少年の顔を覗き込むように見つめる。

 するどく相手を見透かすような紅い瞳が睨み返している。

(まるで相手を射殺すような視線ですね。心を視られているような……。まさか?)

 アークウィザードは先程の十流の言葉を思い出す。

『例え人の心を視ることが出来たとしても……』

(まさかこの少年は人の心を視ることが出来るのか? いや、そんな退魔師がいるなんて聞いた事も無い)

 生まれて初めて危機感が募る。

(危険だ、この少年は。思った以上に……)

 アークウィザードは強い殺意をたぎらせ腰を低くし、攻撃の態勢を作る。

「これ以上、話を聞きたければ私を倒すことですね」

 話題を無理矢理切ってしまったアークウィザードに対して、十流もそこまで頓着しない。

「ぶっちゃけ、あんたが何を企んでいるなんて俺にはどうでも良いことなんだよ」

 鯉口を切り、腰に差した討牙をゆっくりと抜く。

「あんたは薫を泣かした。倒す理由はこれだけで十分だ!」

 涙を流しながら、アークウィザードに止めを刺されようとしていた薫の姿が脳裏に深く焼き付いていた。

 倒す、絶対に。

「お姫様を守るサムライと言ったところでしょうか。さあ、その力見せてください」

 互いの闘志が戦場を埋め尽くす。

 薫が野井原つぼみのためにアークウィザードを倒すのなら、自分は薫のためにアークウィザードを倒す。

 薫から笑顔を奪い、悲しみに暮れさせるこいつの存在を許すわけにはいかない。

「アークウィザード、その闇を討ち砕く!」

 それを合図に両者はまっしぐらに駆け出す。

「おおおおおっ――」

「ぬおおおおっ――」

 討牙とアークウィザードの腕が鍔迫り合いを起こす。

 ドガアッ。

 力の余波が周りの空気を振るわせ、両者の足は地面を抉っていた。

(この力……、以前とは比べものになりませんねぇ)

 アークウィザードは内心で感嘆の声をあげる。

 ふと紅い目をぎらつかせる十流の顔を見る。

(私を倒すべき相手と認識したが故の力か。それとも――)

 今度は十流の背中越しに、薫の姿を見る。

(姫川薫を追い詰めたことが逆に少年の闘志に火を付けてしまったか)

 十流の刃を食い止めている右とは反対の左手を振ると、小さな風玉を生み出す。

「!」

 十流は反射的に、その風玉を素手で叩いた。

 ゴワァ、と風が唸りを上げて両者を吹き飛ばす。

「おっ、とっと……」

 たたらを踏みながらアークウィザードは体勢を立て直そうとしたところへ、

「おおおおっ」

「ぬう?」

 風を切るように十流の斬撃が振り落とされていた。

 何とか腕を使って防ぎ、二人は対峙する。

(しかも以外に冷静だ。風玉の性質を利用してわざと至近距離で叩き、すぐに攻撃の体勢に持ってきた。ほどよい怒りと言ったところでしょうか……。まったく厄介ですねぇ)

 アークウィザードの推察したとおり、十流は薫がやられた姿を見て怒り心頭となり、掴み掛かってぶん殴ってやろうか、という心境になっていた。さしずめ興奮した闘牛のごとく目の前の敵しか見えない。

 だがここでネガティブ思考が働く。

 怒り任せにアークウィザードに向かって行けば、手痛い反撃を受ける可能性がある。それで自分が倒されれば、今度は薫の番ということになる。それは十流にとって一番避けたい最悪の結末だった。故に十流は熱すぎず、冷めすぎず、自分でも不思議なくらいにほどよい心理状態になっている。

 そんな中で十流はこの戦況を分析していた。

 自分は退魔剣士が習得する魔技を覚えた、それでもこのアークウィザードに一人で勝てる自信は無い。そんな甘い相手ではないことは重々承知している。

 決定的に自分は術式の対応力がない。

 それを補ってくれるのが他でも無い薫である。

 薫と二人で戦わなければ勝利は無いと考えていた。

 だが今の薫はアークウィザードの言葉に動揺し、自ら立ち上がることすらできないほどの、精神的なダメージを負っている。なら自分がすべきことは出来るだけ時間を稼ぎ、薫が立ち直る時間を作ること。

 薫なら絶対に立ち上がり、もう一度戦う意思を取り戻すはず。

 十流はそう信じていた。

「はあっ」

 大振りの一撃をアークウィザードは体を浮かしてかわし、そのまま上昇していく。

「少年、君とは力比べをするつもりはありませんよ」

「そうだろうよ!」

 軽口を叩く間に、アークウィザードは左手にパンドラの書を出していた。

「まずはおさらいといきましょうか」

 示したページは、土に関連した術式――、発動されたのは土の戦闘人形の生成そして相手への攻撃だった。

 土人形達は手に剣や槍を持ち、十流に襲いかかる。

「二度目となると迫力に欠けるな」

 有無を言わさず十流は一番に手前にいた人形を一撃で仕留める。

 この人形達には知力が無いため命令に従い、単調な攻撃をするのみで対処はしやすい。

「次はこれですよ」

 空からの声に仰ぎ見れば、大きな氷柱が十流に向かって勢いよく飛んできた。

 十流が後ろに退くと、十流の相手をしていた土人形が数体、氷柱の餌食となる。

「仲間を巻き添えに……。まあ、今更こいつらには通用しないか」

 非常ともいえる手段だが、アークウィザードは土人形で十流を足止めにし、動きを封じてから違う術式で倒す算段をしていた。

 もう一つの目的は先日、戦った時と何が違うのか探るためだった。

(気迫だけなら前回とは大違い。だが私が知りたいのはそんな表面上のことではない。私を倒すために新しい術式や手立てを隠していないかどうか)

 あれだけやられたのである。再戦する場合、何かしらの対抗策を練っていても不思議ではない。

(今は……、使う時じゃあない。まだ待つんだ)

 土人形と天から降ってくる氷柱の雨を凌ぎながら心中で呟く。アークウィザードの懸念通り十流はたった一つだが、退魔剣士が使う魔技を覚えてきた。

 だがそれは、

『使いどころを誤らないこと。相手がこれで止めだって時に使う方が効果的なのよ』

 母の教えに従い、むやみに使うわけにはいかない。

 その時が来るのを待てば良い。

 反面、アークウィザードにはあまり時間が無かった。

(姫川薫……、まだ参戦してくる気配はありませんが、仮に彼女の戦意が回復し、少年と一緒になって行動することはもはや厄介どころではありません。脅威以外の何者でもない)

 十流の戦う姿をじっと見つめる薫は今だ、座り込んで放心状態になっている。

 だがその手にはまだ桜花が握られている。

 彼女次第では戦局が大きく傾く恐れがあった。

(様子見もここまで。短時間で終わらせますか)

 右手をパンドラの書に添えると新たな術式が発動する。

 土の兵士たちもあらかた片づけた十流の前に、またしても土人形が作られていく。

「いい加減に……」

「十流! 下がって!」

「!」

 後ろから架かる指示に十流は言われるままに後退すると、土人形の体が膨れあがり、

 ボンッとくぐもった破裂音がして、周りにいる土人形も爆発していく。

「自爆かよ」

 その間にも自爆するための土人形は地面から這い出ては十流に迫ってくる。雪崩のような爆発に十流は、その場から走って離れ、途中、座り込んでいた薫をお姫様だっこで抱える。

「ちょっ、十流。何を」

「いいから喋るな」

 差し迫る爆発の波から必死に逃れようとしている十流の顔を薫はじっと見つめる。

「もういいよ。私の事は放って逃げて……。守られる資格が……」

「まだそんな事言っているのか」

「……」

「いいか。お前がアークウィザードから何を聞かされたか詳しくはわからないけど、そうやってグチグチ考えるのは俺の専門だろうが。第一、こんな状態だったら、『古今東西、男は』、て文句言っているだろう。いつもの薫節はどこにいった?」

 幼馴染みを抱きかかえる姿は、他人には見せられないほど恥ずかしいが、両人とも気にしている場合ではないことはわかっていた。それでもいつもの薫なら嬉し恥ずかしを混ぜながら文句を言うものなのだが。

 何も言い返さずにいる薫の右手には桜花が握られていることに十流は気付く。

 まだ、立ち直るチャンスはある。本当に戦えなくなったら桜花を捨てるはずだ。

「薫――」

「!。十流、前!」

「えっ?」

 前を向いた先には、壁が出来上がっていた。おまけにスパイクのような錐がびっしり付いている。

「くっ」

 急ブレーキをかけて進路を変えようとすると、

 ゴゴゴゴォォォ。

 左右にも同じような壁がせり上がり退路が無くなってしまう。

 やばいと思い十流は爆発の方向を見ようと振り返ると、

「あれ?」

 すでに爆発の波は止み、一時の静寂が広がっていた。

 不審に思い、薫を地面に下ろすと同時にアークウィザードが空から舞い降りる。

 距離にして十メートルは離れているが、わざわざ進路を遮ってまで何をするつもりなのか。

 十流は討牙を構えて用心する。

「いえいえ、これで終わりですよ」

 不思議に眉をひそめる十流をよそにアークウィザードは右の掌こちらに向けて、風を集める。

「風玉?」

「そう思いますか?」

 風の収束が収まるどころか膨れるばかり、その規模は増していく。

「さらに、もっと大きく」

 風玉は周囲の木や草を巻き込み渦を巻いて肥大していく。

「台風……か」

「良い表現です。異国ではハリケーンとも呼ぶらしいですけどねぇ」

 直径にして二十メートルあるだろか、触れるもの全てを巻き込み吹き飛ばす特大の風玉が十流の目の前に生成されていく。

「四方を囲まれ逃げる事は出来ない。術式で防ぐ――それも無理ですね。一時は防げても、やがては風玉に食われる。それとも少年、得意の斬撃で斬りますか?」

 アークウィザードはあざけり笑っていた。

「無理よ……、こんなの防げない」

 力なく薫が絶体絶命の危機を知らせる。

 そして十流は、観念したように構えを解き討牙を下ろしてしまう。

「そうです。人間は潔いのもまた美徳。安心してください。お二人が別れを言う時間はありますから。おっと、二人とも死ぬのだからそれも必要ないか」

 アークウィザードの哄笑が風に流れていく。

 十流も薫も為す術もなく、暴風となった風を余韻に最後の景色を眺める。

「それでは――さらば!」

 ゆっくりとした速度で風玉は二人に迫ってくる。風玉の影に隠れてアークウィザードは声高に笑い声を上げていた。

「ごめん……、本当にごめんなさい」

 うなだれるように薫は、十流に、そして今も寝たきりの野井原つぼみに向けて最後の言葉を漏らし、目を瞑る。

「……」

 十流は覚悟を決めて目を瞑り、そして大きく見開いた。その目の紅さはいっそう輝く。

「今だ……!」

 討牙を今一度、構える。だがそれはいつものような正眼の構えでは無い。左足を一歩前へ出し、腰を低く落として、討牙を水平にして刺突の構えをとる。最短距離で相手に致命傷を与える突きだが、このままでは目の前に迫る風玉には通用しない。

 唸る風玉を、そして遠くにいるアークウィザードを見据えて十流は確かな声で言う。

「光の槍――(レイスティングランス)!」

 




 それは遡ること三日前、十流は街角の公民館兼、柔剣道場でそれを母・刹那から見せて貰った。とはいえ、刹那本人は魔力が無いため、ただの突きしか見ることが出来なかった。

「やっぱり、魔力が無いと駄目ね……」

 一人ごちる刹那同様、十流もある意味呆気に取られていた。

「突き……だよね?」

「そうよ。あなたに教える魔技の正体は確かに突き。でもただの突きでは無い。魔力を全身に纏い、光のごとくいえ、光となって相手に突進する魔技。名を、

『光の槍――(レイスティングランス)』と呼ぶ」

 そしてにっこり笑みを作って断言する。

「紅き閃光が最も得意とした技よ」


 言うは易く行うは難し、この言葉を十流は何度も噛みしめることになる。

「はあああっ」

 魔技では無く、突きの練習にどうしてもなってしまっていた。

 魔力を纏い、光になって突進する。

 言ってることはわかるがいざ実践してみるとそれが出来ない。

「ちくしょう」

 ちらりと刹那の方を見ても何のリアクションもない。ただじっと十流を見つめ正座をしている。こういうときはまったく出来ていないサインであることは剣道をやっていた時からわかっていた。

(あきらめてたまるかよ)

 汗を拭い、刺突の構えを取る。何度も何度も、数えるのが馬鹿らしくなるくらい十流は魔技の取得に腐心していた。

 その様子を刹那は目を細めながら見ていた。今までの十流ならぶつぶつ文句を言いながら、仕方無く剣道の練習をやっているという姿勢だった。だが現在は不平も言わず、時を忘れて、それこそ夢中になって練習している。

 遠い昔、十流と同じくらいの歳に退魔師になって、もっと強くなりたくて懸命に剣を振るっていた時があった。食事も就寝も忘れて、ただひたすらに剣を振るう自分と十流が重なって映る。久しぶりに見る熱い息子を刹那は愛おしそうに眺めていた。


 一日経ち、二日経ち、十流の疲労も限界に達していた。足の皮はめくれ、マメがつぶれ、膝が震えて立っているのがやっとの状態だった。

(何で出来ない……。頭ではわかっている――いや、わかっていないんだ。何よりイメージが出来ない)

 光になる――、これがどうしてもわからない。魔力を込めてもそれはただの突き以外の何物でもない。

(無理なのかな……)

 初めて弱きな囁きが心の中に木霊するようになっていた。

 ドォオオオオォオンン!

 地鳴りのような音に、顔を上げると天窓から見える空は真っ暗になっていた。そして光ったと思ったら、遠くの方からまた音が鳴り響く。

「夕立……ね。すぐ収まれば良いけど」

 刹那は座ったまま十流と同様、窓から空を見上げていた。

 獣が唸るように暗い空一面を光と音が掻き乱す。

「夕立……、母さん、ちょっと外に行ってくる」

 十流の中で何かが気になった。それを確かめるべく十流は銃剣道場から外へと出る。

 雨は降っていないものの、いつ降り出してもおかしくない。特有の生ぬるい風が何とも不気味だった。

 遠くでゴロゴロ、近くで光っては凄まじい轟音が鳴り響く中、十流はその光景をじっと見つめていた。

 そしてそれは来た。

 一瞬の閃光、その後に光の線が遠くにある建物の避雷針に当たったのを目の当たりにする。

 ほんの数秒の自然現象に十流は自分が打たれたような衝撃を受ける。

「これだ……」

 疲労困憊だった顔が笑みの形に歪んだ。



「母さん、ちょっと見ててくれ」

 勢い余って、ドアにぶつかりそうになりながら十流は銃剣道場に入ってきた。

 入ってくるなり大声で言うものだから刹那は呆れる。

「はいはい、ずっと見てるでしょ」

 まるで新しいおもちゃを手に入れたような目をする息子に刹那が首を傾げる。

 十流はいつものように突きの構えを取る。腰を低くし、いつでも突進できる姿勢ではやる思いを落ち着かせるように深呼吸する。

(出来る。イメージはさっきの雷。そのイメージを思い描くんだ)

 魔力を全身へと行き渡らせ、目を閉じる。

(一瞬にして落ちた雷のごとく、駆け抜けろ!)

 弾かれるように体が前へと押し出される。それはジェットコースターに乗せられ、一気に加速した感覚によく似ていた。

 そして気付いて目を開けると、目の前に道場の壁があった。振り向けば、自分がさっきまで立っていた場所から移動した事がわかった。成功なのか失敗なのか。半信半疑で母・刹那を見れば、目を丸くし驚いていた。

「何をしたの? どうやって成功させたの?」

「成功?」

 十流もまだ実感が沸かない。だが魔技――光の槍が出来たのは間違いなさそうだった。

 刹那が立ち上がり十流の元へと歩み寄る。

 信じられないと言った顔に十流はさっきの質問に答える。

「えっと、これをお手本にしたんだ」

「これ?」

 人差し指を天に指し、今や大粒の雨と共に空を駆ける雷をイメージしたことを伝える。

 刹那は大きく頷き、息子の頭を撫でてやる。

「よく出来たわね。これが魔技――光の(レイスティングランス)よ。でも私のではない。雷をイメージした十流の『光の槍』。あなたの魔技よ」

 刹那に褒められ、十流ははにかむように笑って、また顔を引き締める。

「でもまだ、自由に使えない。もっと練習しないと」

 そして十流は突きでは無い、魔技――光の槍の練習に没頭した。




 そして今、修行の成果、そして紅き閃光より受け継がれし魔技――光の槍が全てを貫く。

「うぎゃああああああああああああ」

 凄まじい絶叫に薫はきつく閉じていた目を恐る恐る開ける。

 まず目にしたのは、特大の風玉が向かってきた痕跡。そして視線をさらに上げるとアークウィザードの左肩の部分が大きく穴を開け、アークウィザードの後方にいつの間にか十流が通り過ぎている姿を目撃した。

「なに……、何が起きたの?」

 混乱の極みの中、十流が綺麗に着地し、アークウィザードはがっくりと膝をつく。

(馬鹿なぁぁぁぁ。一体何がどうなっている? 本来、あり得ないが防いだのならわかる。避けたというのもわかる。しかし、あれは……。まるで風船が爆発した様に風玉が霧散した)

 必勝必殺だったはすの風玉は二人に当たったと思った途端、意図せずに爆発というよりも集まった風が無理矢理、引き離された様にかき消えてしまった。そして一瞬の閃光が見えたと思ったらすでに自分の肩は貫かれてのである。自分の後方にいる紅い目の少年に。

(一体、この少年は何なんだ? 恐ろしい、これほどまでに見えないことが恐ろしいと思ったのは初めてですよ)

 常の冷静な頭は沸いてくる疑問と、得体の知れない恐怖で埋め尽くされていた。

 十流は討牙を構えるだけで安易な追撃はかけない。視線をアークウィザードから薫へと流す。

「薫!」

「えっ?」

 びくりと薫は体を強ばらせる。

「さっき言いかけたけどな。お前は確かにアークウィザードを成長させたし、野井原つぼみさんを追い込んだかもしれない。だけどその後、薫は何をした? ずっと責任を背負ってアークウィザードを追いかけて戦ってきたんだろう。そしてかすかな希望を信じてこの街に来た」

 十流は薫の心に届けとばかりに叫ぶ。

「ようやく、目の前にアークウィザードがいるのにお前は何もせず、泣いてそれで終わりにしようとしている。それで本当に良いのかよ!

 お前は自分の気持ちを裏切ろうとしている。それだけじゃあない。今まで一緒に戦ってきた桜花の気持ちも裏切ろうとしているんだ」

「私が裏切る? 私を、そして桜花を?」

 右手に握りしめられた桜花を見つめる。十流よりも誰よりもそばにいてくれた桜花を、自分の分身とも言える桜花、必死に戦っている時も、挫けそうになり泣いた時もずっと一緒にいてくれた相棒。その桜花の気持ちを考えていなかった。

「お前は一人じゃ無い。桜花も、討牙も、そして俺もいる。一人で背負わなくて良いんだ。泣き言だって言っても良いんだ。何にも解決出来ないかも知れない。足手まといかもしれないけどな、俺だってお前と一緒に重荷を背負ってやるよ。それがパートナーだろう?」

「余計なことを……」

 憤怒の混じった声が十流と薫の間で発せられる。

「茶番に付き合うつもりはありませんよ」

 アークウィザードは十流との間合いを詰めて拳を振り上げてくる。

「一体、何をした?」

 憎悪を込めた声に十流は鼻で笑う。

「簡単にネタを披露するほど馬鹿じゃないんでね」

「この!」

 紳士な態度が一変、あからさまな敵意をアークウィザードは十流に向ける。

 でもそれでいい。

 これでアークウィザードは自分に注意を引きつけることができる。

(後は薫しだいだな)

 ちらりと薫を見れば、桜花を見つめ何やら語りかけている。



 桜花に自分の顔を映しながら薫は呟く。

「十流の言う通りだね。なんでちゃんと見なかったんだろう」

 退魔師になって、初めて手にした武器――桜花。

 その名のごとく、舞い散る桜の花を連想させる気品、美しさ、数ある武器の中で桜花を選んでいた。それから共に歩んできた。人間では無い。言葉も話すわけではない。でも意思のようなものは感じる事が出来た。一番に自分を支えてくれた。

「こんなにも近くにいたのに。私は見向きもしなかった」

 アークウィザードの連続術式に対抗することしか頭に無く、術式には術式でという答えしか出せなかった。

 でも十流の戦いを見て思った。もっとやり方がある。それを実現するのは右手から放さず握っていた桜花にあるのだと。

 謝る前に、泣く前に、やることがある。

「桜花、もう一度私に力を貸してくれる?」

 桜花は何も答えない。ただほんの少し刀身が輝いたような気がした。



 怒りと焦りを織り交ぜながらアークウィザードは拳の応酬を繰り返していた。ただし左からの攻撃は肩に受けた傷が深いためか、威力はさほど無い。

 十流は討牙で巧みに受けつつ、隙を見ては切り返す。

 そこへ、

「はああああっ」

 気合いと共に桜花の一振りがアークウィザードに迫る。

「何?」

「薫!」

 金髪を靡かせ、その瞳に戦意を取り戻した薫が参戦してきた。

 アークウィザードは左手で一撃を受け止めるものの、体勢を崩し後ろへ退く。

「逃がさない!」

 薫は追撃にと連続の刺突でアークウィザードに迫る。

「ええい」

 手刀で何とか防ぎつつ、後方へと難を逃れる。術式を使うためでは無い、明らかに目の前の危機から脱するために退いた。アークウィザード自身、自分の行動に驚いていた。

「薫……、その、大丈夫か?」

 十流は薫と横に並ぶと、ちらりと顔を見る。先程とは違う、集中している顔だった。

「ありがとう、十流。おかげで目が覚めたわ」

「どういたしまして。お姫様を起こすのは家臣の役目ってね」

「違うわ、私のパートナーよ」

 十流の言葉に、薫は笑顔で応えた。

 いつもの薫に戻った。

 十流も軽く笑って、そして討牙を構えてアークウィザードに向き直る。

 アークウィザードは左肩を押さえて肩で息をしていた。

(まずい。恐れていたことが現実になった)

 アークウィザードは十流と薫が組んで戦うことを恐れていた。ゴレムとの一戦を見ていた彼は二人の息の合った連携を非常に危険視していた。連続術式というおおよそ術士の範疇を超えた特技を持つものの、二人合わせた力がそれを上回る可能性をゴレムとの戦いで予見していた。だからこそまずは、司令塔とも言える姫川薫から追い詰めようと思っていた。

(だが予想外だったのはこの少年だ。不可視な術式――いや技か。そして姫川薫を立ち直らせたこと。やはり叩くべくは……)

「そんなに俺たちが共闘するのが嫌だったか」

 思い巡らせているとろこへ十流の声がかかる。

 アークウィザードは憮然と視線を向ける。本当に心が読めるのではないかと疑心暗鬼になっていた。

「別に、ただ群れて戦うのも弱い人間の性なのかと……」

「あら、語るに落ちるとはこのことね」

 視線を姫川薫に移せば、さっきまで悲観に暮れていた彼女の姿は無い。自分に向けられる戦意をひしひしと感じる。

「あなたが言っていたように私達、退魔師も人間よ。一人で出来ることなんて少ないけど、二人いればもっと出来る。例えば、あなたを倒す事も出来る」

「む……」

「あなたに見せてあげる。私達のパートナーアーツを」

「パートナアーツ?」

 オウム返しに問うアークウィザードと同様、隣にいる十流も首を傾げる。

(あれって、未完成じゃあなかったけ……)

 薫は隣に厳しい視線を投げかける。

(口裏を合わせなさいよ。嘘も方便って言葉知らないの?)

 心の声が届いたのか十流もそれに乗っかる。

「よし、じゃあやってみるか!」

「うん!」

 同時に駆け出し、まずは薫の斬撃がアークウィザードを捕らえる。

「はあっ」

 防がれても間髪入れずに次の斬撃を見舞う。流れるような動作にアークウィザードは手こずる。

「ぬう、ぬぬぬっ」

 左肩を負傷している影響もあるのかうまく捌ききれない。

 ふいに薫はしゃがみ込む。

「? なっ!」

 後方から十流による横薙ぎの一撃が襲いかかってくる。

「ちっ」

 腰を折って一撃を避けたところで下方にいた薫と目が合う。

 伸び上がるような縦の一閃を身をよじって避けるが帽子の唾に切れ込みが入る。

(パートナーアーツ? これがそうだというのか)

 パートナーアーツとは術式や魔技の類では無い。とある退魔師によって提唱された戦闘スタイルのことだった。少人数による息の合った攻撃方法であり、論理的に説明できないものであり、現在においても使う者はおろか存在すら知られていない。

 ただ十流も薫も以前から体験だけはしていた。相手の考えが手に取るようにわかり、どのようにして動けば良いのか、頭では無く体が勝手に反応してしまう。

「うぐっ」

 薫はアークウィザードの拳を桜花で受け止めるが威力に根負けして吹き飛んでしまう。

 だが、

(大丈夫。絶対に十流が受け止めてくれる)

 背中に手が当てられ、仰ぎ見ればそこに十流がいた。

「無茶するな」

「……ありがと」

(ほら、やっぱり)

 信頼以上のものを薫は感じている。それは十流も同様だった。

(またこの不思議な感覚か。薫を助けるように体が動いた。でもそれって以前のように戻ってきたってことか。これなら、いける!)

 二人同時に頷くとアークウィザードを目指して駆け出す。

 アークウィザードは経験したことのない焦りを感じていた。二人の連携の良さはゴレムとの一戦で目の当たりにしているし、多数の敵と戦うのは初めてでは無い。

 だがこの二人はまるで違う。体は別なのに、意思の通った攻撃を繰り出してくる。事前に打ち合わせたものとは思えない、それぞれが補完し合い、攻撃してくる。

(連続術式さえ使えればこんなもの)

 アークウィザードの焦りとは対照的に薫は、非常に落ち着いていた。

(不思議……、最初は勝てるかどうかわからなかったのに、今は勝てる様な気がする)

 視界には入らないが確かな絆を感じて思う。

(力が沸いてくる。もっと力が出せる。十流がいるだけでこんなにも違うなんて)

 退魔師として強いとか弱いとかではない。ただ一緒に戦ってくれるだけで、手を引かれるように前へさらに前へと歩むことができる。

 幼い頃、自分の手を引いて、外へと連れ出してくれたあの時のまま、十流の存在が自分を強くしていく。

(十流、やっぱりあなたは私のパートナーよ)

 華麗な剣技に力強さを合わせて、薫の斬撃がアークウィザードの帽子を再び斬る。

「お・の・れぇえ」

 感情を顕わにするアークウィザードは十流の追撃を飛ぶことで回避する。

「はあ、はあ」

 宙に浮かびつつ、荒く息を吐くアークウィザードは左手にパンドラの書を呼び寄せる。

「ちぇ、あれを使われる前に何とかしたかったのに」

 歯ぎしりしながら言う十流に薫は落ち着くように言う。

「仕方無いわ。別の方法を考えましょう」

「だいぶ薫らしくなってきたな」

「おかげさまで。というわけで十流、時間を稼いで」

 それはもう合い言葉のようなものだった。薫は何かをするつもりらしい。そして相手を引きつけて欲しいという意味が込められている。

「お安いご用で」

 頼られることが何だか嬉しくて十流はアークウィザードに向き直る。

「こい!」

 威勢良く声を張り上げたものの、さすがに空中に浮かぶ敵には慣れていないため、威嚇の意味も込めた炎弾を一発使って、薫から離れるようにアークウィザードを誘導する。

 アークウィザードは炎弾をひらりと避けると十流の動きに合わせて体をむき直す。

「こうなれば一人ずつ倒して差し上げますよ。まずは少年――君からだ」

 思うように動かない左腕を持ち上げパンドラの書を捲り、術式を発動させる。

 十流の足元、大地を波のように揺らし体勢を崩す。間髪入れずに土で作った腕で殴る。

 シナリオ通りに進めば術式に乏しい少年を楽に倒せると思っていた。

「うっ、おっとっと」

 大地が蠢き、バランスを崩しそうになりながら十流はなんとか姿勢だけは保つ。だがおもいっきり正面ががら空きとなっている。そこへ、殴りかかる土の腕が十流に迫る。

「何いぃぃぃ」

 驚愕の声を上げたのは十流ではなく、アークウィザードだった。あろう事か十流は当たるはずの打撃を避けたのである。ただの幸運かと思い、追撃の拳が十流の背後から迫るが、

「!」

 突如、振り返り、それも身をよじらせて避ける。

「なっ、どうやっている?」

 十流は言わば檻に入れられたようなもの。逃げ場も無い、どこから攻撃してくるかわからないはずなのに、まるで予知したようになんなく捌いてしまう。

「ぬううう、ならばこれだ」

 さらなる術式の発動。それは小規模の爆発を対象の周りに起こし、視覚、聴覚、判断能力も奪う。

(まずは四方から爆発させますか)

 指定した先、十流の周りに爆発の兆しが見えた瞬間、

「うりゃ!」

 かけ声一つ、十流は大きく後ろへと跳躍すると同時に爆発が起こる。

「また避けた? そんな馬鹿な」

 着地した瞬間を狙い、また爆発を起こそうとすると、今度は横に跳んでいってしまう。

(この少年は一体、何なんだ?)

 得体の知れない不可視な技、相手の心を読むような洞察力、そして予知でもしてるかのような回避術。何人もの退魔師と戦ってきたがこの少年は例外中の例外、未知なる怪物にも見える。

(まったく、自分の力に驚かされるな。心を読む眼ともう一つ――)

 地中から出てきた腕に取り囲まれたが、小さく跳躍して躱すと、一薙ぎで地に戻す。

(『止まる景色』、見えるものをスローにしてしまうこの眼の力。ある意味、反則だよな)

 十流がアークウィザードの術式を躱し続ける事が出来たのも、『止まる景色』のおかげだった。地中から出てくる腕も、大地が盛り上がり、腕になるその行程が見えたため、避ける事が出来た。空中の炸裂爆発も、空気の震えから、爆発するその手前までつぶさに見る事が出来る。

 十流の言うように反則に近い能力だが欠点は、自らが危機的状況にならないと発動しないこと、気まぐれな能力だということ。そしてこれは今わかったことだが、使い続けると疲労の溜まりが早いということ。

「うお?」

 討牙の腹で打撃を受けて、地面を滑りながら止まる。

(ふう、だんだん体が重くなってくるな。でもちゃんと役目は果たさないと)

 ちらりと自分と距離を置く薫に視線を送る。

 薫はずっと、十流とアークウィザードのやり取りを見ていた。特大風玉を破られた衝撃から自分への興味が十流へと移っている。傍観者のような立ち位置でアークウィザードの連続術式を冷静に分析してみて気付いたことが一つ。

(やはり、連続術式の鍵はパンドラの書だわ。そしてどういう仕組みになっているのかもわかってきた)

 頭に浮かんだのは十流が大怪我を負ったとき、刹那が出した和紙、そして起動した術式。アークウィザードの連続術式がそれと同様だったとしたら。仮説を立て、さらに対策を練る。

 薫自身も疲労が蓄積している中で、一つの秘策を導き出す。

「十流のくれた時間を無駄にはしない。我に集まれ水の力よ……」

 目を閉じて薫は詠唱に入る。

「はあ、はあ、私は少年を過小評価していたようですねぇ」

 繰り出す術式も命中とはいかないものの次第に十流を傷つけ追い詰めている。だが焦り、怒気、どれも初めての感情が沸き起こる。どっと冷や汗が出る思いで眼下にいる少年に視線を送り続けて、違う何かがこちらに向かってくる。

 地面より噴出する水の柱、その数本がアークウィザードをめがけて伸びてくる。

「姫川薫か……」

 舌打ちして、空中にいながら避けていく。

「水遊びは趣味ではありませんよ、姫川薫」

 言って見下ろすが薫の姿はない。どこかに隠れているのかときょろきょろと辺りを見渡すが姿形がない。またしても水柱が伸びてアークウィザードは紙一重で避ける。

 避けて、気配が左側から感じた。水柱を避けただけなのに。

「はあああっ」

 顔を向けるやいなや、いつの間にか薫がアークウィザードの側面にいた。振りかぶる桜花がアークウィザードの左腕にめり込む。

「ぐうううぅ……、まさか水柱と一緒に」

「そうよ。最初からこれが目的よ。そして……」

 薫は今だ開かれているパンドラの書の中身を見る。そこには奇怪な文字と数字、魔力陣、いわゆる術式の要――構築式が描かれていた。

「やっぱり、あなたの連続術式の正体は、パンドラの書にあらかじめ構築式を書き留めておき、そして魔力を注入しただけで発動させておくものだったのよ。そうすれば詠唱や構築式を省略することが出来る」

 刹那もまた和紙に書かれた構築式を、血を媒介にして魔力を注入することで発動させていた。ならばアークウィザードも同じ事をしていたとしたら。ただし調べた結果、構築式を書き留めることは技術的にも難しく、書き留めるものもそこらへんにある紙ではできない。退魔師全体では実用化に至ってはいない、まさしく特別な技術であった。

「よく気付きましたねぇ。でもそうやすやすとパンドラの書を離す訳には……」

 自由のきく右手が両手を塞がれている薫に迫る。

 一瞬だけ薫は視線を地面に落とす。その仕草につられてアークウィザードも視線を流す。

「……。む?」

 少年ががこちらに討牙の先端を突き出すように構えている。

(まさか、あの技か? どうする、まず姫川薫から始末するか、いやまずは少年に威嚇を)

 正体不明の技が繰り出されると判断したアークウィザードは薫と十流を一巡する。

 それが隙と時間をを生み出した。

「はああああっ」

 薫は自身の魔力を桜花に集中させ、その力を爆発させる。

「切り裂け!」

「ぐわああああああああああ」

 左腕が落とされ、それは灰となって霧散していく。持ち手を失ったパンドラの書は静かに落下していく。

「よくも私の腕を!」

 力の流れに反って落下していく薫にアークウィザードは追撃の風玉を生み出す。

「光の槍――(レイスティングランス)!」

 光の弾丸となって十流はアークウィザードに襲いかかる。

「ぐはあああっ」

 何とか避けたものの、アークウィザードは右脇腹を押さえながら錐揉みして急速に降下していく。激痛に喘ぎながら見た光景に戦慄する。

「見えた……、確かに見えたがあれはまさしく光速。何という技を」

 何とか着地して、痛みに苛まれ、足がふらついていた。

 初めて逃げという選択肢が脳裏を過ぎる。

 だが、

「はああああっ」

 薫による追撃の一撃が左肩に直撃する。

「ぐううおおおおおおお」

「絶対に逃がさない!」

 奥歯を噛みしめ、ありったけの力を桜花に込める。

 万感の思い――、野井原つぼみを救うためにたどってきた苦難の道のり、歩いてきた道程が早送りの画像のように思い出される。

「届け……」

 持てる全ての力を込める。もう立てなくても良い。これで終わりにする。

「届け、届けええええ」

 必死の形相で叫ぶ声に被さるようにアークウィザードは震えながらも右手をかざしてくる。

「まだまだ、届きませんよ」

 弱々しい声にはまだ執念が消えていない。

 少しずつ右手に風を集め、それが収束していく。

「まさか風玉? こんな至近距離で使ったら……」

「ええ、相打ちというやつですよ。痛み分けという結果も悪くない」

 アークウィザードにしてはこの現状、最良の結果であろう。だが薫にとっては最悪の結果になってしまう。ここで取り逃がせば、もう二度とアークウィザードに会う事はないだろう。野井原つぼみはその生涯を病院のベッドで過ごすことになる。

 また悲観にくれそうになって、顔が歪む。

 こんな絶望ともいえる状況で、薫は笑顔になっていた。

 諦めでは無い。無意識に確信した言葉を言う。

「私は一人じゃ無い……」

 アークウィザードの思考が一瞬止まる。止まって言葉の意味を理解したとき視界に一人の少年を捉える。

「おおおおおっ」

「少年!」

 十流の討牙がアークウィザードの右肩に深く切り込む。

「ぬおおおおおおおおおお」

 絶叫という雄叫びが耳に響く。それを振り払って十流は薫を見る。

「薫!」

「十流!」

 二人は二振りの相棒を握る手に力を込める。それに呼応するように魔力が刀身に宿っていく。

『いけえええええ!』

 斬るというよりも吹き飛ばすように十流と薫は剣を振り抜いていた。

 その力に耐えきれずにアークウィザードは遙か彼方へと吹き飛ばされてしまった。




「はあっ、はあ……」

 精根尽き果てたように十流と薫も荒い息を吐く。びっしりと汗を掻き、顔に付いた汗は腕を使って振り払う。

 アークウィザードが吹き飛んだ先は土煙がたち、様子を伺い知ることができないが気配自体は依然、在り続けている。

 二人が凝視する中、土煙に混ざって人影が映り込む。

 いつか見た既視感そのままに、アークウィザードは重い足取りでこちらに向かってくる。

 左腕を無くし、両肩に沿って斬撃の跡がコートにくっきりと残されている。落ちそうになった帽子を右手で押さえながらアークウィザードは十流と薫から距離を離して呆然と立ち尽くす。

「見事でしたよ、お二人共」

 右手をだらりとさせて、落ち着いた口調で口を開いた。

「まさか私が……負けるとは」

 アークウィザードの体から少しずつ塵芥が落ちていく。それは闇喰いが討たれた時に霧散する前触れだった。

 だが十流と薫は緊張を解かなかった。狡猾なこの闇喰いのことである。最後の最後で何をするかわからない。構えは取らないが討牙と桜花をその手に握りしめたままアークウィザードの様子をじっと見つめていた。

 敗北が確定したアークウィザードは、自身を倒した二人を見て、それから姫川薫へと無い顔を向ける。

「姫川薫、私はあなたを精神的に追い詰め、止めを刺す一歩まできました。ですがあなたはそこから立ち直り、私の連続術式を見破った。まったく、すばらしいですよ」

 賞賛の言葉に薫は耳は傾けてもその表情は崩れない。

 意に介さずアークウィザードは十流の方を見る。

「少年、あの技いつ覚えたんです? 私と出会う前から使えたのか、それとも私と出会ってこの短期間に覚えたのか。もし後者だとしたら――」

 心の中で自嘲の笑みが溢れる。

「末恐ろしい退魔師ですね、君は。あなたのことを少し見誤っていましたよ」

 負けたのに、このまま消え去る運命なのに、何故か心は晴れやかだった。悔しいといえばそうだ。一矢報いたいとも思うがそれ以上の感情がアークウィザードを昂ぶらせていた。

「でも残念ですね。今日ここで私は消えますが、今もまた、この瞬間にも新しい闇喰いは生み出されている。結局のところ、あなた達は戦い続けるピエロなのかもしれませんね」

 負け惜しみとも言える言葉に、十流と薫はお互いの顔を見て、そして笑った。

「確かにあなたの言う通り、私達はこれからも戦い続けるのでしょうね」

 靡く金髪を押さえ、薫は言う。

「でもそれは俺たちが選んだ道だ。ピエロだろうが何だろうが選んだのは自分だから、だからやり通そうと思う」

 紅い眼を向けながら十流は言う。

「道半ばであきらめそうになるかもしれない。でも私は一人じゃ無いって気付いたから。この桜花とそして――」

 薫は横に並ぶ一人の少年を見て言う。

「私の手を引っ張ってくれるパートナーもいるわ。だから戦える。そして歩くことが出来る」

 薫の言葉に十流はこれ以上、言うことが無いといわんばかりに笑って答え、アークウィザードを見据える。

 二人の言葉と様子を見ていたアークウィザードは深いため息をつく。

「そうですか……」

 そう答えるのがやっとだった。

 次第に薄れていく自分という存在、そして力。影響下にあった、苗木もそれに呼応してす少しずつ枯れていく。

 遠くに視線をやれば、先程まで成長する糧を求めていた蔓が緑から茶色に変色し、崩れ去っていく光景が映った。

「『生命の樹』に満たされた闇喰いの世界。ぜひとも見たかったですねぇ」

「……生命の樹?」

 十流は眉をひそめて言う。アークウィザードの心を視た時の情景――大きな枝から生い茂る緑の葉を宿した大樹。あれが生命の樹なのかと。

 アークウィザードは答えず、二人に視線を戻す。

「おっと、そろそろお別れの時間のようだ」

 次第に姿が薄れゆく中、アークウィザードはふと思う。

「最後に、負けた私が言うのは何ですけどねぇ」

 顔の無い闇喰いである自分にもし顔があったとしたら今、どんな表情になるのだろうか。

 怒り、後悔、無念、それとも。

 答えは長年、宿主が思い描きそれでも出来なかった顔。

「……楽しかったですよ」

 友達だと言ってくれた人と一緒にいてもなれなかった顔。

 目の前にお手本となる顔があったにも関わらずなれなかった顔。

 それは満面の笑顔。

「……本当に……」

 風の余韻と共にアークウィザードの体は塵となりやがて墨となって消えていった。




「本当に倒したのか……?」

 ポツリと呟く十流に薫は頷く。

「ええ、気配は完全に消えたわ。だからこれで終わりよ」

 二人は討牙と桜花を鞘に収めると、十流の紅い眼は冷えたように元の黒に戻り、薫の金髪は色褪せたように元のブラウンへと戻った。

 ややの沈黙が流れ、気まずい空気の中、十流は薫の顔を伺う。

「なんだ。もう少し喜ぶと思ったんだけどな。嬉しく無いのか?」

 わずかな憐憫を含んだ顔は、どことなく悲しげだった。

「別にそういうわけじゃあ無いわ。本当は飛び上がるほど嬉しいのに、何故だろう。そんな気になれないの」

「アークウィザードが言ったこと気にしているのか?」

「そうね。アークウィザードの言う通り私がつぼみを追い詰めたのかも知れない。それもこれも私が本当の意味で心を開かずつぼみと接していたからだと思う。つぼみの前では、良い子ぶっていたわ。退魔師の事はもちろん、悩みも泣き言も言わなかった。それがかえって信用されていないとつぼみが思っても不思議じゃあ無い。私の方からもっと心を開けば良かったのよ。そうすればつぼみも心を開いたかもしれない。そう思うとやりきれなくて……」

 表面上では友達だった。でもわかり合える仲だったとは言えなかった。何度か歩み寄ろうと思っても自分の事が知られるのが怖くて、背を向けて、このままで良いと傲慢にも思ってしまっていた。

「どんな顔でつぼみに会えば良いのかな……」

 訴えるような眼差しで見つめられ、十流は何か言おうとして口籠もる。

 安易に答えてはいけない。

 十流は考えがまとまらない頭を掻きながら辺りを見渡す。

「んっ?」

 戦いの爪痕が激しい、この場所に不釣り合いなものが落ちていた。

「パンドラの書……」

 分厚く、辞書のようなその本は持ち主を失い、地面に横たわっていた。

 一応、警戒しつつそれを拾い上げると十流はパラパラとめくる。書かれていたものは、術式に欠かせない構築式。文字と数字と模様の羅列は解析できないほど複雑怪奇なものだった。

 顔をしかめながら最後のページをめくって十流は息を飲んだ。

「これは……?」

 見るのさえつらいこのパンドラの書の中で最後のページは異彩を放っていた。それを見て十流は自然と笑みが溢れた。

「薫、ちょっとこいよ」

「何?」

 呼ばれて薫は十流がパンドラの書を持っている事に気付き、さらにその顔が軽く笑っているので不思議に思った。

「書いてあるものはこれ構築式だよな。これが連続術式の秘密ってわけか」

「そうよ」

「じゃあ、最後のこれ、何だろうな」

 おもむろに十流はパンドラの書――最後のページを薫に見せる。

 どうせ構築式だろうと思っていたが、意外なものがそこに描かれていた。

 それは一枚の写真。薫の携帯と同じ、野井原つぼみと一緒に撮った写真。薫は野井原つぼみの肩に手を回し、とびっきりの笑顔でカメラに向いている。そして傍らの、野井原つぼみの顔は笑顔。だがその笑顔は薫の携帯にある写真とは違い、何か作ったような笑顔では無い。心の底から笑っている満面な笑顔。

「どうしてこれが? それにつぼみのこんな顔見たこと無い……」

 驚きに目を開いてパンドラの書を見つめる薫を眺めながら十流はある事を思い出す。

「そういえば、パンドラの書ってどこかで聞いたと思ったら、神話に出てこなかったか。そうだ、パンドラの箱だ」

「ええ、確かにそうだけど……」

「絶対に開けてはならないって言われていたのに、無理矢理開けてしまって、中から病気や災害などの厄災が飛び散ってしまった。でも最後に希望が残った――なんか教訓みたいな話だったよな」

 十流はこう思った。野井原つぼみから出てきたアークウィザードを厄災とするならば、残った希望というのはおそらく――。

「つぼみさんは薫を希望にしていたのかもしれないな……」

「えっ?」

 薫は十流の顔をまじまじと見る。今日の十流はいつものネチネチ男では無い。自分のモヤモヤを解決してくれるような気さえする。

「アークウィザードはつぼみさんの嫉妬から生まれた。そして薫という存在がアークウィザードを成長させた。でもそれは裏返してみれば、つぼみさんは薫のこと嫉妬するほど好きだったんじゃ無いのかな。友達として接してくれる薫のことを誰よりも理解しているから、だから何も無い自分を呪った。そういう気持ちなんとなくわかるんだ」

 十流にとって薫は、幼馴染みであり、パートナーであり、自分が思い描く退魔師像そのものだった。だから一日も早く、薫に追いつきたくて、力になれない自分を呪い、そして強くなるために短期間で魔技を覚えた。

 近しいからこそ負けたくない、こうなりたいと思うことは決して悪いことでは無い。だがそれが運悪く闇喰いにまで影響を与えてしまったということである。

「写真のようにつぼみさんは薫のような笑顔になりたかったんだと思う。彼女の本当の心を映しているのがこの写真だと思う。だから――」

 言いかけて薫の顔を見る。口が半開きとなり、肩を震わせている。

「つぼみさんに会ったら、笑顔で応えてやれよ。泣き顔じゃあ無くて、笑顔で帰ってきたつぼみさんを迎えてやれ。彼女はきっと喜ぶさ……」

 一体、この数日間でどれほど涙を流したのだろうか。

 でも今日ほど嬉しいと思ったことはない。

「うん……そうだね……」

 病院に行ったら、つぼみの前では笑顔でいよう。また泣いてしまうかもしれないけど。その後、色々話そう。何があったのか、自分の事、話したいことが一杯ある。

 見計らったようにパンドラの書は、その役目を終え、砂のように崩れ去り、やがて消えていった。

「帰ろうぜ、薫。母さんが心配してるしな」

 何気なく差し出した手に、薫は驚きつつ、その手を取る。

 暖かく、大きな手に引かれて、薫は導かれるままに戦場を後にした。






 七月も半ば、学生にとって苦難の定期テストを終え、夏休みの初日、十流と薫は街中心の駅へと向かって歩いていた。十流は半袖にジーンズという装いに対し、薫は涼しげなワンピースに、大きな旅行用鞄を肩にかけている。

 アークウィザードとの戦いの後、薫は休日に帰郷し、野井原つぼみと、笑顔と涙の再会を果たしていた。そして薫は退魔師のこと、自分の全てを打ち明けていた。野井原つぼみはそれを怒る訳では無く、そして問い詰めることなく納得した。

 そして後日わかったことだが、

「ええっ? つぼみさん、退魔師になるのか」

 十流の驚きの声に薫は頷く。

「色々、検査したら魔力が備わっていることがわかったの。それを知ったつぼみは二つ返事で退魔師になるって言ったわ。私も電話で聞いて驚いたけど、でもつぼみが決めたことだから、私は応援するつもり。ただ寝たきりの生活が長かったからリハビリしなきゃいけないし、学校にも通わなければいけないから、当分先の話になる」

 闇喰いを生み出した影響なのか、持って生まれた才能なのか、原因は定かでは無いが、野井原つぼみは退魔師の道を歩むこととなった。

 駅の改札口に差し掛かり、薫は十流に向き直る。

「見送りはここでいいわよ」

「ああ。それにしても寂しいもんだな。春に再会したばかりなのに、もう京都に戻るなんてな」

 今日までの四ヶ月あまりの出来事が脳裏を駆け巡る。感慨深く、残念そうに呟く幼馴染みに薫はきょとんとして答える。

「何言ってるの? 私、二学期も東京の学校に通うんだけど……」

「へえ、そうなのか……。どええええ」

 周りの人達の好奇な視線を浴びつつ十流は硬直する。

「当たり前でしょ。中学三年の二学期に転校する人なんていないわよ。まあ、高校はどこにするかまだ決めてないけど、当分はこの街にお世話になるわ。それに――」

 薫はつり目になって言う。

「十流はよちよち歩きのひよ子なんだから、私が面倒見なくてどうするのよ。このまま放って置いたら刹那さんに申し訳が立たないわ」

 殻付きからよちよち歩きに昇格しても、嬉しく無い十流だったが、心の中ではまた薫と一緒に戦えることを喜んでいた。

(正直、まだまだ教わることあるし、それに……。今さら違う人とは組めないよな)

 十流の心を知らない薫はさらに攻勢を強める。

「いい、十流。夏休みは怠けちゃ駄目よ。学校の宿題と私の――退魔師の宿題も置いていくからやっておくこと。夏休み終わったら成長度合いを見てあげる」

 昨日、わざわざ家に来て、刹那に何やら渡していたがそいうことだったか、と十流はいらぬ汗を流す。

「まあ、頑張るよ。薫も京都に戻ったら雫おばさんによろしくって伝えてくれ」

「わかったわ」

 薫は腕時計に視線を落とすと、電車の発車時刻が迫っていた。

 改めて薫は十流の顔を見つめる。見つめられた方は気まずく視線を泳がせる。

「十流、ありがとう。助けるつもりが助けてもらった。本当にありがとう」

 昔の十流とは違う。薫は再会した後、率直にそう思った。他人に寄りつかず、ネガティブ思考で、ネクラとか、悪い印象しか持てなかった。

 だが実はそうではなかった。

 昔と変わらない、熱いものを十流は持っていた。だがそれをどう表していいのかわからなかった。それに応えたのが退魔師という道だったのである。

 薫の感謝の言葉に十流は面食らったような顔をして、それから一つ咳払いして言う。

「これでプラスマイナス、ゼロってことだろ。まあ、ようやくマイナス部分を返してるとも言えるな」

 十流は薫に対して感謝の言葉しか浮かばなかった。弱い自分を呪い、どうしようもない現実に背けていた自分に、立ち向かう新たな力の存在を教えてくれた。

 恩人であり、先生であり、良きパートナーである薫の存在がどれほど自分を支えてくれたことか。

 いくらでも言葉に出来るはずなのに、二人はお互いを見つめたまま、静かに時間が過ぎ、やがて一時の別れの時間となった。

「またね、十流」

「またな、薫」

 一人は改札口に向かい、一人は日差しがぎらつく駅の外へと歩き出す。

 



 果てぬ戦いへと歩き出した二人の退魔師。

 消えない闇を討ち砕き、切り裂くため、二人の道はまだまだ続く。


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