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堺面×共闘  作者: 葉月作哉
第四話
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銀髪の魔女①

堺面×共闘 第四話 「銀髪の魔女」

                             葉月 作哉




 五月の連休、、定期テスト、そして校外学習と慌ただしく行事が過ぎ、季節は初夏へと入ろうとしているこの頃、昼にそれぞれのお弁当を持ち寄って食べるもの、食堂へ行くもの、普段と変わらない風景に少しだけ変化が見え始めた。四月の当初はまだクラスの間には仲間意識というものがなかった。しかし、立て続けの行事のおかげか仲間意識が芽生え、小さなグループが出来るようになった。

 教室の窓際にも一組のグループがある。

 とある事情で人付き合いが下手な天宮十流。

 十流の幼馴染みであり、四月に京都から転校してきた姫川薫。

 街の情報なら何でも知っていると豪語する川田良夫。

 奥手で運動が苦手、まわりから本の虫と揶揄される平泉鏡香。

 この四人は先の校外学習で一緒となり、その時の縁から昼食時には集まるようになっていた。

「なあなあ、十流君。話を聞いてくれよ」

 コンビニのおにぎりをほおばりながら話す川田に対して十流は持参した弁当からミートボールをつかんで口にいれる。

「話を聞いてやってもいいけどたまにはためになるような話とか無いのか?」

 十流の言うとおり川田の持ってくる情報とはこれと言って役立つものではない。また情報元はかたくなに教えないため信憑性も低い。

「十流に変なこと教えないでよね。十流ってば結構、信心深いから」

 川田に対し諫めるように言う薫は最後に残ったサクランボに手をつけようとした。

「出た、教育係。でも俺の情報は人畜無害だから大丈夫」

 説得力の無い言葉に呆れる薫の隣で平泉はまだ半分以上、残っている弁当を行儀良く食べる。

「でも川田君の話って信用出来ないんだよね。別に川田君が信用できないってわけじゃあなくて、話が突拍子も無いっていうか何て言うか」

「平泉って案外、辛口だな」

 三者にこうまで言われても川田は引き下がらなかった。

 何しろ今日話すことは十流の言うところのためになる話だからである。

「まあ、批判中傷は横に寝かせて置いて、今から話すことは三人にも得になることだぞ」

「得……ね」

 三人の顔はまだ乗り気ではない。

 川田はめげずに話しを続ける。

「実はつい最近、この街である珍獣が発見されたのだ。それは……」

 十流達は話半分で聞いていたがさすがに聞く耳を立てる。

「白蛇が発見されたのだ。すごいだろ」

 聞いて損をしたという顔をあからさまにだす十流を尻目に平泉が薫に訊く。

「ねえ、薫ちゃん。白蛇って?」

「確か神様の使いといわれている蛇よ。幸運をもたらすとかも。縁起物として置物とかあるけどね。それより川田、白蛇を見つけたって本当でしょうね?」

 訝しげに訊く薫に川田は大きく頷く。

「ああ、巷では結構、噂になっている。幸運にあやかりたいって具合にな」

「場所は?」

 薫の問いかけに川田は手の平を差し出す。

「これ以上の情報には別途、報酬が……」

 と言いかけて薫のすごみをきかせた顔に川田は萎縮してしまう。

「川田、相手を見てから言えよ。薫を怒らせると大変だからな」

 幼馴染み故の忠告を十流が川田に伝える。一方の薫は腕を組み、威圧的の態度をとっていた。

「わかりましたよ。言いますよ。場所は駅の北側、新興マンションが立ち並んでいて、その一画の公園で見たって情報だよ」

「その公園って私のマンションの近くじゃない。でもそんな噂あったかしら?」

 首をかしげる薫を含めて川田は三人に提案する。

「というわけで放課後に白蛇探しをやろうぜ」

 少年のような眼差しを向ける川田に対して、

「忙しいんで却下」

「右に同じ」

「そういうのはちょっと……」

 がっくりと肩を落として川田は何やら独り言を呟きながらとぼとぼと教室を後にしていく。

 ほどなく静かになって平泉は横に座る薫の袖を引っ張る。

「薫ちゃん、アレがんばってね」

 十流には聞こえないように薫に耳打ちをする。

「まあ、気長にね」

 薫も小声で返す。

 十流と薫は川田や平泉はもちろんのこと、他の生徒にも言えない素性を隠していた。

 退魔師――、常人を遙かに超えた力と不可思議な術を扱うことが出来る魔力を持つ者。

 闇喰い――、人ならざるものたちであり、人の心によって生み出され、そして人の心を喰らって成長するもの。

 退魔師とは闇喰いを倒す者たちの総称である。

 姫川薫は、実家が京都にあり、姫川家は退魔師としては日本最大の退魔師集団を抱えており、薫はその家の一人娘である。

 天宮十流は幼少の頃に魔力が発現し、闇喰いが人間を襲撃する場面を目撃する。その衝撃から人に関わることを極度に嫌い、遠ざけるようになる。しかし、春に薫が転校して来てから一変、自分には闇喰いを倒せる力――すなわち退魔師の力があることを知り、まだまだひよっ子ながら薫と一緒に戦うようになった。ちなみに十流の母・刹那は昔、『紅き閃光』と呼ばれるほどの実力者であり、今は事情があって現役を引退している。

 十流と薫は主に放課後を利用して退魔師の鍛錬に励んでいる。平泉には将来に向けての秘密の特訓ということで理解してもらっている。

「天宮君もがんばってね」

「ん? 何が?」

 振り向く十流に対して、薫も平泉も笑顔で返すだけだった。



 十流達の住む街の北側、開発地区の傍らに、古びたマンションが一棟建っている。長引く不況により買い手が見つからず、未だ取り壊されもせずに残っている。街の者たちにはちょっとした幽霊スポットとして有名であるが、ここ最近になってここには誰も近づくことができなくなっていた。

 街の中心部から離れているという立地条件、元々、人の出入りが少ない、適度に広い空間、それは退魔師の鍛錬にはもってこいだった。そのため、薫は人が立ち入らないように術式を組み、十流や自分以外は――というよりも魔力を持たないものは入れないようにした。

 今はここは二人にとっての退魔師の鍛錬場になり、今日もまた汗を流していた。

「業火招来!」

 力強い声に反応するように手のひらサイズの炎弾が生み出され、それはコンクリの壁に激突すると黒い色をつけて消えた。

「ふっ、今日もいらぬものを燃やしてしまった」

 などと格好つける十流に脳天からの一撃が炸裂する。

「なにが――いらぬものを燃やしてしまった――よ。全然、燃えてないから。威力も弱いし、こんなんじゃ牽制ぐらいしか使えないわよ」

 悶絶する十流に薫は叱咤する。

「お前、桜花で叩くのやめろよな。一応、峰の方で叩かれるから良いけど第一、刃物はみだりにふりまわしちゃいけないって教えてもらっただろ」

「十流には良い薬よ。それにこんなことで満足してもらっても困るから」

 そういうと薫は十流を無視して先ほど十流が黒焦げにしたコンクリの正面に立つ。

「術を行使するのに大事なのは、魔力を使用するのとそう大差ないわ。『媒介』、『集中』、『具現化』、これらを合わせて術を使うの。こんな風に――」

 薫は手の平を正面に向けると、小さい声で言葉を紡ぐ。

 すると手の平に十流のよりもさらに大きな炎弾が生まれる。

 そしてそれをコンクリに向けて投げ放つ。

 着弾すると一瞬にして燃え上がり、炎弾の熱と威力によって、コンクリは溶ける飴のような姿をさらす。

「ざっとこんなものよ。十流にはこれぐらいやってもらわないと」

 振り向き得意げな顔をする薫に十流は手を叩く。

「すごいな。薫は剣もすごいし、術も使えるし、なんでもありだな」

 十流の何気ない一言に薫は少しだけ嬉しくなる。

 小さい頃、十流の後を追いかけるだけで褒められた記憶など無い。

 昔を思い出して、薫は苦笑いを浮かべる。

「そうでもないわよ。何だかんだで私は剣士だし、術士には到底、適わないわ。術士に至っては簡単な術なら詠唱なしでも使えるし、まさしく術のエキスパートよ」

「術士か……。でもそうしたら剣士はどうやって術士と戦うんだ。前に戦った奴は術一辺倒だったけどかなり強かったし、対抗する術があるのか?」

「基本的に術士は近接攻撃に弱くて、剣士は遠距離攻撃に弱い。だからそういう相手に対してはどうやって間合いを詰めるかが勝負の鍵になるわ。いくら術士でも威力が高くて広範囲の術は必ず詠唱をしなければならない。そこをどう突くかってこと」

 間合いの大切さは剣道をやっていた十流にとって大事なものだとすぐにわかる。

 そして相手の術に対しての対抗手段を持たなければ先の戦いのように苦戦は免れない。

(いつまでも薫に頼ってばかりはいられないからな……。もっとうまく戦えるようにならなきゃ)

 神妙な面持ちの十流に対して薫はいきなり桜花の切っ先を向ける。

「ちょっ、いきなり何だ?」

「これからもう一つの特訓をするのよ。十流は紅い眼になると全ての動きがスローに見えるんでしょ。それの特訓」

 意気揚々と構える薫に十流は必死に首を振る。

「もしかして、『止まる景色――ストップザシーン』のことか?」

「なによその名前変なの」

 『止まる景色』――、十流は戦いになると闘争心を移すように眼が赤くなる。『止まる景色』は赤い眼になると発動されるものであり、自分が見ているものを全てスローモーションで見ることができる。それにより反撃や避けるといって行動をいち早くとることが可能である。 ちなみに『止まる景色』という名前はとある漫画から拝借したものである。一見、戦いにおいて便利に見えるこの能力には大きな問題があった。

「前にも言わなかったか。これは俺の意思で自由に発動できるものじゃあない。分かっているのは危機的状況にならないと発動しないことと、その後しばらくは自分の意思で自由にスローで見ることができる、ぐらいしかわかっていないんだぞ」

「だから十流が自分の意思で出来るように危機的状況を作ってあげようって言ってるの。それとも何? 私じゃあ十流を追い詰められないと思っているの?」

 薫は桜花の柄を握りしめると今まさに斬りかかろうとしていた。

「その発言は結構、危ないと思いますけど」

「問答無用!」

 十流もまた反射的に自分の武器――討牙を呼び出して応戦する。

 そうして十流と薫の鍔迫り合いは帰宅時間まで続けられた。



「なかなかうまくいかないわね。十流本人と同様にひねくれてるのかしら?」

「どういう意味でしょうか?」

 軽口をたたき合いながら十流と薫は夜道を歩いていた。

 結局のところ、『止まる景色』は発動せず、二人は押し合いへし合いを続けただけとなってしまった。

(俺だって、この力は便利だと思うんだけどなかなかね。それにもう一つの能力も気になるし……)

 十流の言うもう一つの能力とは、他人の心情を視ることができる能力のことである。これは戦い以外でも発動されるもので、見ている相手の考えていることがわかるのではなく、感情とも呼べるものが見える。それを十流が怒り、哀しみ、といった自分の言葉で置き換えることで相手の考えをある程度、推測できるというものである。ただこの能力も何故、自分が使えるのか、いつ見えるのか、といった問題もある。しかもこのことは薫を含めて誰にも話してはいない。

(とりあえず名前だけでも決めとくか)

 

 街灯は明るく、遠くからは街の雑踏が聞こえてくる。

 街の中心にある駅に向かう最中に横道があり、そこは薫のマンションへと続いている。

「じゃあな、明日もよろしく」

 十流はそう言って家路へと着こうとすると袖を薫に捕まれる。

「おいおい……」

 驚いて振り向くと薫は気恥ずかしそうに横を向いている。

「ちょっと付き合ってくれる」

 そういうなり薫は自分のマンション方面へと歩き始める。

 訳の分からない十流はとりあえずついて行くことにした。

 二人が歩を進めると、立ち並ぶマンションやアパートが所狭しと並んでいる。駅北側は再開発に伴い、古い建物は取り壊され、その代わりにマンションやアパート、それに付随するように駐車場へと変貌を遂げている。さらには駅舎も新しく変え、そばにはショッピングセンターまで併設する計画も持ち上がっている。

 薫の住むマンションも出来て一年も経っておらず、最新設備と警備保障が付いていることで有名になっている。

 昼間に十流は薫のマンションへと行くことがあっても夜間にというのは初めての経験になる。ましてやそれなりに年もいっているため、妙な緊張を十流は強いられていた。

(なんかドキドキするな)

 人付き合いが下手でうぶな少年でも淡い期待を抱きそんなことはないだろうとの楽観が交錯する中、緊張をほぐそうと前を歩き、一度も振り向かない薫に声をかける。

「なあ、薫。なっ、何て言うか……その、どこへ行くんだ?」

 この道を行く限り、薫のマンションしか行く当てが無いのだがそれをそらすように話題を振る。

 問われた薫はしかし、予想外の答えを返す。

「公園よ。私のマンションの近くにある公園。ほら、川田が言っていたでしょう? 白蛇が出るって。ちょっと見ておこうかなって思って……」

「白蛇? 薫、川田の話を信じているのか?」

「そうじゃあないわよ。でも一応確認よ、確認」

 そう言って薫はほんの少し振り向くとまた正面に向いてしまった。

「……?」

 首をかしげる十流だが薫の顔が赤くなっていることに気がつかなかった。

(まさかあの公園が夜になるとデートスポットになるなんて知らないわよね。たまにだけど抱き合ったり、キ、キスしたりしているカップルもいたりするし……)

 薫が向かおうとしている公園は、開発が進む地区で唯一、手つかずで残っている公園であり、敷地面積も広い。公園の周りや中にも緑が多く茂っており、昼間は芝生の上で子供達が遊び、朝や夕方には散歩やジョギングをする者も多い。敷地の中には小さな噴水があり、マンション群に囲まれていながら、そこはポッカリと空が開けているので夜空を鑑賞するにも適している。

 そういう雰囲気を満喫できるためか隠れたデートスポットとなっている。

(夜になると一人で行くのはなんか恥ずかしいし、でもこれは別に十流とデートするためじゃあなくてあくまでもパートナーとして同伴してもらうためよ。そうよこれはデートじゃない。噂の確認よ、確認)

 薫は必死になって今の状況の弁解を自分の頭で繰り返すが後から後から妄想が襲いかかってくる。

(でも古今東西、男ってそういう雰囲気になると大胆になるっていうし、女もそうだけど、って私は絶対そんなことしないし……。でも十流が迫ってきたらどうしよう……。だめだめ、私は姫川家の一人娘よ。簡単にキスとかするわけにはいかないし、第一、十流にそんな度胸があるとは思えないけど。でも実際そうなったら……)

 ならば夜では無く学校が終わってすぐに調べれば良かったという思考にはならなかった。

 ちょっと期待している十流と何でもないことを装う薫はほどなくして問題の公園へとたどり着いた。


 公園の入り口には円形の花壇に時計塔が建っていて現在は九時半を回っていることを示す。

 二人は時計塔の横に立つと周りを一巡する。

「さすがに夜の公園は静かだな」

「そっ、そうね」

 上声になって答える薫の様子も気になるが十流の興味はすでに、川田の言う白蛇へと移っていた。

 対する薫の方は、

(見える所にはカップルはいなさそう。でも、もしそいうのを目撃したら……。私は……)

 今だ妄想にふけっていた。そのことが、いつもなら感知できる公園の中で起きている異変に気付くことができなかった。

 この公園は中央を走る通りで分断され、左右に芝生と遊技場などが配置されている。通りには等間隔に街灯とベンチ、入り口付近に自動販売機が設置されている。外周はジョギングが出来るようにと公園を周回するように作られており、その周りを木々が囲んでいる。

 二人は目で合図を送り、通りを歩いて行く。

 だが異変はすぐに訪れた。

 ちょうど自動販売機を通り過ぎて異様な気配に気がついた。

 常人には感じることのできない異形のものが放つ気配。

「まさか闇喰い?」

 十流は薫と顔を合わせ、その問いかけに答えるように薫は頷く。

「さっきまで何も感じなかったのに。私達を獲物と勘違いしているのかも」

 妄想からすっかり醒めた薫は表情を引き締め戦闘モードに切り替える。

 二人の目の前にある情景は暗がりを街灯が照らすだけの静かなものだが、退魔師の二人には別の情景を感じる事が出来る。

「いこう、薫!」

「ええ!」

 二人は勢いよく駆け出し手の平を前にかざす。

 扉のように空間が開け、飛び込んだ先は堺面世界――闇喰いが住まう世界にして、十流たちが住む世界――現実世界と対をなす世界。

 そして真っ先に目に入ったのが白い蛇だった。

 これが現実世界で横に川田がいれば発狂して喜ぶところだがここは堺面世界。ただの蛇であるはずがない。

「白蛇ねえ。いるにはいたぞ川田……。でもここは堺面世界であるし、しかも……」

 白蛇は一匹では無かった。

 大きさはどこにでもいるような蛇だがその数が半端ではなかった。目に映るだけで数十匹が体をくねらせて公園を徘徊しているのだ。

「数が多すぎるし。こうなってくるとありがたみよりも不気味に思えるぞ」

「十流の言う通りだわ。しかもこいつら闇喰い本体じゃあなくて分身体――『闇の使い』だわ。どこかに本体もいると思うけどこれじゃあね」

 歴戦の薫でさえ目の前にいる蛇の数に圧倒されていた。

 だがこんなことで怯むわけにはいかない。

「十流、とりあえず一匹残らず倒すわよ」

「よし、こい! 討牙」

 十流は左手を横に突き出し叫ぶ。

「おいで! 桜花」

 薫もまた左手を横に突き出し叫ぶと一振りの白鞘に納められた刀が現れる。

 十流には黒鞘に収められた刀が左手に収まる。

 二人は寸分違わず同じ動作で刀を左腰に持っていくと、刀に備え付けられたホルスターからベルトが伸び、腰へと巻き付く。そして右手を柄に添え、一気に抜き放つ。

 討牙と桜花、二振りの刀は公園の外灯に照らされて一点の曇りも無い姿を見せる。

 そして十流の瞳は紅く、薫の髪はブラウンから金色へと変わる。これこそが二人の戦闘態勢と呼べる姿だった。

 構える二人に反応するように白蛇たちは一斉に視線を送る。

「十流。バラバラに戦うのは得策じゃあないわ。付かず離れずで戦うのよ。深追いも禁止。いいわね?」

「わかった。歩調を合わせるよ」

 経験が少なく、また失敗もしている十流は戦いのおいては素直になる。

 その素直さがいつもあればと思う薫は苦笑交じりに白蛇に鋭い視線を送る。

「さあ、きなさい!」

 薫の号令を合図に白蛇は一斉に襲いかかる。

 一振り、二振り、十流と薫が太刀を振る度に白蛇は消滅していく。

 元々、闇喰いの分身体――『闇の使い』はそれほど戦闘能力があるわけではない。主な行動は本体に変わって人を襲い、その心を採取してくることにある。つまり対人間ように作られるため、対退魔師では分が悪かった。思考もほとんどないため、数で圧倒するという単純な行動しかとれない。

 当然、薫たちは油断はしない。

 弱いとはいえこの数では隙あらば致命傷とはいかないが、後に控える闇喰いとの戦いに響く。

 不要な怪我と消耗を押さえるため、二人はほとんどその場から動かなかった。

「おおお――」

 十流が目の前にいる蛇を数匹払うと、背中を狙っていた一匹の蛇は薫によって撃退される。

「はあっ――」

 薫はしゃがんで足下にいた白蛇を倒すと、頭を狙う蛇は十流によって切り倒される。

 二人は立ち位置をうまく変えて、また敵に背中を見せないように動く。

 互いをフォローし、幼馴染みゆえなのか言わなくとも次にどうするのかが何となくわかってしまう。

(なんか今日はやけに……)

(息が合うわね……)

 戦いながら戸惑いは感じるが、嫌な感じでは無い。むしろ心地よさを感じるほどに二人の呼吸は合っていた。そのため加速度的に白蛇の数が減っていく。

「もう少しだな」

「油断しないでね」

 背中合わせになって、二人同時に放った横薙ぎの一撃が周囲の敵を一掃する。

 左右に視線を送り、慎重に気配を探るが残っている蛇はいない。

 だが二人は武器を鞘に収めない。

 片付けたのは闇喰い本体では無い。あくまでその分身体に過ぎない。

 そして膨らむ闇喰いの気配。

 ズズッと地面を擦るような音ともにそれは現れた。

「いや〜、ここまでくるとなんでもありだな」

 分身体――闇の使いと同じく白蛇の闇喰い。

 ただし大きさが違った。見た目で体長は百メートルはあるだろうか。とぐろを巻き高い位置から十流と薫を見下ろす。細く長い舌が口から出て小刻みに震える。

「でかい闇喰いほど潰しがいがあるわ」

 おおよそ女の子が発することのない言葉を出し、薫の口の端が緩む。

 蛇は体を大きく後方へ逸らすと、

「しゃああ」

 口を大きく開けて頭から二人に突進する。

「うお!」

「!」

 十流と薫は分断される形でその突進を避ける。

 蛇は突撃の力を急には止められず、公園入り口にあった花壇に突っ込み、時計塔を折ってしまう。

「しゃあ、しゃあ」

 再びとぐろを巻くと威嚇を始める。

 首を左右に振り、狙いをつけたのは、

「俺か……」

 十流の赤い眼と蛇の目が合う。

 蛇はすかさず十流めがけて突進する。

 だが十流は避けるそぶりを見せない。慌てて薫が大声を張り上げる。

「ちょっと、早く逃げなさい!」

 薫の声は聞こえていたが十流はそれに従わない。

(『止まる風景』は危機的状況にならないと発動しないなら、こうやってぎりぎりで躱そうとすれば……)

 迫る蛇の口に十流は構えるだけで動かない。

「……! 駄目だ。発動しない!」

 いっこうに蛇の動きがスローで見えないことに業を煮やし、十流は蛇の突進を避ける。

 獲物を捕らえ損ねた蛇はまた公園の通りの中央を通り過ぎ、再び標的を捕らえようとする。

「これぐらいの危機じゃ、発動しないのか」

「こんなところで実験するんじゃあないわよ」

 と薫が横に並び十流を叱責する。

 眼をキョロキョロさせてどちらの獲物を狙うか思案している蛇を見上げて、十流はあることを思いつく。

 第一に、この闇喰いの攻撃は単純明快の突進のみ。

 第二に、どうやら口から炎や毒といった類のものは出さないらしい。

 そうして思いついたこの闇喰いを倒す方法。

「なあ、薫。珍しく名案が浮かんだけど」

「あら奇遇ね、私もよ。十流からどうぞ」

「あの蛇、攻撃は突進だけだよな。例えば、討牙を水平に構えて待っていたら勝手に自滅しないかなって思った」

 十流の提案に薫は頷く。

「私の提案と似てるわね。でもそれだと相手の突進力を甘く見ているわ。ただ待っていたんじゃあ堪えきれずに吹き飛ばされるかも。でも私達も蛇に突進したらどうかしら? もちらん武器を水平に構えてね」

 蛇が上下に分断される様子が容易に想像できる。

「それでいこう」

「私が合図を出すわ。そしてうまくいったら止めは例のアレでいくわよ」

 十流は左に、薫は右に位置し、やや腰を屈めて蛇の突進を待つ。

 蛇はどちらを狙うわけでもなく二人の中心をめがけて突き進む。

「よーい、どん!」

 薫の合図に十流は駆け出し、討牙を水平に構える。同じく薫も桜花を水平に構えて蛇に向かっていく。

 ザク、ザアアアアア。

 二振りの太刀は蛇の両側からその体を両断していく。

「うおおおお」

「はああああ」

 裂帛の気合いで蛇の突進力に負けないように太刀を水平に保つように持ち、己の体が吹き飛ばされないように駆ける足に力を込める。

「しゃああああああ」

 ズンと重い響きをたてて、白蛇の大蛇は地面に倒れ伏す。

 討牙と桜花を振り切った二人は、後ろを振り返り、手の平をかざす。

『業火招来!』

 放たれた大小二つの炎弾は蛇にあたり、体を炎上させる。

「しゃあ……ああ……あ」

 断末魔を叫びながらやがて蛇は炭となり、消えていく。

 闇喰いの気配が完全に消えたことを確認して十流と薫は刀を鞘に収める。

「タイミングばっちしだったな」

「少しはパートナーらしくなったじゃない」

 二人はハイタッチをして勝利を祝う。



「もしかして白蛇騒動ってこれが原因か?」

「でしょうね。白蛇を発見、でも心は喰われる、でも命を奪われるわけじゃないから白蛇がいたってことになってそれが噂になった。こんなとこでしょ」

 薫は川田の情報の裏を読み解いて説明する。

 壊された時計塔と花壇、ぼこぼこにされた通りが新たな景色を作っているがここは現実世界を写し取った堺面世界のため、時間が経てば元の公園へと戻る。公園には静けさがだけが漂っていた。

「さて戻りましょうか――」

 パチ、パチ……。

 薫が言いかけた途端、手を叩く音が夜の公園に響く。

 十流は拍手がした方向に顔を向ける。

 公園の通りの外灯に浮かぶ人影。

 黒いハイソックス、スカート、赤いブラウス、このあたりの学校の制服では無いものを着た一人の少女が外灯の上に座っている。

 腰まであるであろう長い髪が特徴の女の子、

「白髪じゃあなくて銀髪……」

 外灯の光を受けて銀髪は妖しく輝き、少女は不敵な笑みを浮かべて二人を見下ろす。

「なかなかのお遊戯でしたわ、姫川薫」

 涼やかな声とは裏腹に、言葉に棘を感じさせる少女に薫は目を大きく見開く。

(たつ)(みや) (かなで)……、何であなたがこの街に……?」

 薫の問いに答えず、笑みを浮かべる少女に代わって十流が訊く。

「知り合いなのか?」

 薫は肯定も否定もしない。

 訝しげに思って、もう一度、龍宮と呼ばれた少女へと顔を向ける。

「あっ……」

 一瞬、目と目が合い、

「!」

 ふっと少女の姿が消える。

「えっ?」

 瞬きしている間に、少女は自分の目の前に立っていた。

 身をよじる十流に対して、龍宮は右手の人差し指を十流の顎に当てる。

「ふ〜ん、この子があなたのパートナー? 薫にしてはなかなかの人選ね。顔だけは……」

 自然な動きと自分を妖しく見つめる顔に十流の心臓は波打つように高くなる。

 カチャ、シュ。

 金属の音、そして空を裂く音と共に龍宮は後ろへと側転し、誰もいない場所へ薫の愛刀――桜花が十流の目の前を通り過ぎる。顔面ギリギリで通り過ぎていった刃は十流の髪の毛数本を斬っていた。

「私のパートナーに勝手に触れないでくれる?」

 冷たく怒気を込めた言葉を側転し距離をとった龍宮へと薫が言い放つ。

 言われた当の本人は怖がるでもなく笑みを浮かべた顔を向ける。

「短気ね。そんなことでは姫川家の名が泣くというものよ」

「そんなことはどうでもいいわ。さっきの質問に答えてくれる? どうしてこの街に来たの?」

 傍目からみて薫の機嫌が最高潮に悪いことを十流は感じていた。

(友達ってじゃあないな。ライバルいや、犬猿の仲ってやつかも……)

 とにかく十流は火に油を注ぐ真似はしたくないと思い、お互いのやりとりを静観することにする。

 薫に問われた龍宮は余裕の表情で答える。

「別にたいした用では無いわ。闇喰いが渦巻く魔都――京都から逃げ出した、可哀想な子猫の様子を見に来て差し上げましたのよ。まあ、元気そうで何よりでしたけど」

 あからさまに侮蔑の言葉で答える龍宮に対して、薫も負けじと反論する。

「ふ〜ん、可哀想な子猫を見にわさわざ東京までね……。あんた、相当な暇人ね」

 今まで余裕だった顔が一変、ブチっと何かが切れたように龍宮は頬を引きつらせる。

「暇人ではありませんわ。これでも忙しいのにあなたの様子を見にきたのよ。少しは感謝して欲しいくらいですわ」

「誰が感謝するもんですか。私にかまって欲しくて来ただけでしょうが! ホント子供っぽい所は成長してないわね」

「な! 薫だって全然、成長してないでしょ。胸とか相変わらずの大きさでしょ!」

「失礼なこと言うな! これでも少しは膨らんできたのよ。そうやっていつも龍宮は……」

 金髪と銀髪、色が違うだけで同じ長さの髪。同じ身長。よく見れば姉妹ともとれそうだが言い合う言葉はだんだんとデリカシーの無いものへと変わっていった。

 見かねた十流が二人の仲裁に入る。

「まあまあ、二人とも落ち着けよ。もう少し冷静に話し合って……」

 と言いかけてギロっと両者に睨まれる。

「十流は……」

「貴方は……」

『黙ってて!』

「……はい」

 蛇に睨まれた蛙のように十流は身を縮ませてしまう。

 大きく息を吐き、龍宮は再び薫に向き直る。

「まあ、今日のところはあいさつだけにしておきましょう。暫く滞在する予定ですので、それでは……」

 そう言うやいなや体を翻すと風と共にその姿を消してしまった。

 残された十流と不機嫌極まりない薫は異様な空気を漂わせている。

「おい、薫。さっきの娘は?」

「今は口にしたくない。明日、説明するわ」

 踵を返すと薫は、あんぱんにしようか、芋ようかんにしようか、などとぶつぶつ言いながらそそくさと現実世界へと戻っていってしまった。

「はあ、ありゃ相当、機嫌が悪いな」

 火の粉が降りかかるような気がして十流は重いため息をつく。

「そう言えば龍宮って言ったっけ……。あの娘は一体?」

 十流の問いに答えるものはいない。

 ただ何かしら嫌な事が起きるのではないかとネガティブ思考の十流は危惧した。


 さほど交通量の少ない道路に一台の黒塗りの車が停まっていた。

 運転席にはダークスーツに身を包んだ一人の男性が背もたれを倒し、窓から見える街の景色をつまらなそうに眺めている。

 ふとサイドミラーに目をやると一人の少女がこちらへと向かってくる。

「おっと……」

 背もたれを直し、エンジンをかける。

 少女はドアを開けると、足を組んで優雅に座る。

「車を出して」

「はい。奏お嬢様」

 車はゆっくりと車線へ戻り、明るい街中へと進む。

 後部座席に座る龍宮 奏は先ほどまで銀髪だった髪が灰色へと変わり、頬を多少ふくらませて正面から流れる景色をじっと見つめていた。

 旧知の者と会ってどういう状況だったか予想できた男は努めて明るく問いかける。

「どうでしたか? 久しぶりの姫川 薫嬢は?」

 男の問いに龍宮は数秒黙り、視線を横に逸らして答える。

「相変わらずの口八丁でしたわ。まあ、元気そうで何よりでしたけど……」

 会う度にけんか腰になるのは常のことだった。

 だがそれが自分にとって特別嫌なこととは思わなかった。

 むしろ話す口実になるので逆に安心する。

 そんな複雑な心境を抱え、龍宮は誰に言うでも無く一人呟く。

「それにしてもあの子は一体? 妙に薫と親しかったけど……」

「私も遠目に見させていただきましたが、もしかしてコレですかね」

 顔は正面を向きつつ、左の小指を立てる。

 その意味がわかって、しかし龍宮は首を振る。

「まさか、薫はそういう事には疎いと思うけど。でも気になるわね」

 車のガラス越しに自分の顔が映る。

 今日はいつにもまして不機嫌になっている。

 視線を正面に戻し、男に告げる。

「ちょっと調べてくださる?」

 龍宮の命令に男は即答を避ける。

「はあ、それはいいのですが例の闇喰いはどうしますか? 本来、我々はそれが目的で……」

「それも兼ねてあなたに調べてもらうわ。あなたはこの街を中心に闇喰いの気配を追いかければいい。私はもっと都心まで行って調べてみるわ。どのみちあの闇喰いは気配を断つのがうまい。二手に分かれた方が都合が良いでしょ」

「わかりました」

 男はようやく龍宮の命令に従うことにした。

 車は街中を抜け、暫く滞在する隣町のホテルへとひた走る。



 翌日の昼休み。

 十流と薫は昼食を早々と終えるとここ、学校の屋上へと上がってきた。

 原則、屋上への立ち入りは禁止だが、教師が始終監視しているわけでもなく、例え屋上へ行ったとしても咎める者はいない。加えて他の生徒も理由が無い限り屋上へは近づかないため、二人にとっては退魔師や闇喰いのことを話すにはもってこいの場所になっている。

 昨晩の不機嫌ぶりから多少回復していた薫だが、顔はまだ引きつっている。その気配に気付いた十流以下、クラスの面々は今日に限っては薫に話しかける回数が減っていた。

 そうは言っても十流としても龍宮のことを訊かなければならないため、話題を逸らしつつ本題に入ろうとした。

「昨日のあの後、何喰ったんだ?」

「芋ようかん、それから満腹ゼリー……」

「ようかんとゼリーか、それまた豪勢だ」

 薫は去り際の言葉通り、帰ってすぐに甘いものを食べた。ようかんはともかく、満腹ゼリーとは果肉がぎっしり詰まっており、女性の間ではちょっとしてブームになっている。とうぜんカロリーは相応にあるのだが。そのことを言えば火に油を注ぐためあえて十流は無視する。

 そしていよいよ本題に移る。

「ところであの娘、龍宮さんって言ったっけ? あの空気から友達ってわけじゃなさそうだな。一体どういう人なんだ?」

 十流の問いに薫はポケットから便箋を取り出しそれを渡す。

「龍宮についてはそれに書いてあるわ」

 ぶっきらぼうな物言いに閉口する十流だがとりあえず渡された便箋を広げる。

「なになに、本名は龍宮 奏。退魔術師、普段は灰色の髪をしているが戦いの際は銀髪になる。……以上」

 便箋に箇条書きにされた文書を読み、さすがにこれだけでは納得できぬと薫に文句を言う。

「仕方ないでしょ。書こうとすると文句しかでないから、あくまで簡素化してそうなったのよ」

「まあ、あの娘が退魔術師というのはわかったが、二人が険悪な意味がわからんな。同じ退魔師なんだしも少し仲良くやれば良いのに……」

 十流にしては至極もっともな意見だった。退魔師は闇喰いという人類共通の敵を倒すことが目的のはず。ならば喧嘩などせず、手を取り合い戦うほうがよっぽど利に適っている。

 そんな十流の素直な疑問に薫は首を振る。

「無理よ。姫川家と龍宮家は古くからいさかいが絶えない間柄だった。今更、仲良くなんて夢のまた夢よ」

「龍宮家? ということは姫川家と同じように有名な退魔師の家ってことか?」

 薫は大きく頷き、神妙な面持ちで話す。

「事の起こりは大昔に遡るわ。当時から退魔師として名を馳せていたのが姫川家と龍宮家だった。両家とも優秀な退魔師を輩出し、それに付き従うように他の退魔師は集まってきた。人々は両家を称え、敬い、闇喰いは彼等を恐れた。ところが時の権力者が優劣をつけようという話になり、両家は大勢の人の前で戦ったの」

「それでその結果は?」

「結果は姫川家の勝利となり、以来、姫川家はこの国における退魔師の地位と権力を手にすることになった。逆に龍宮家は姫川家の次点扱いになり、世間から冷遇されることになったの」

 一応の決着となった姫川家と龍宮家の争いはその後、時代が変わっても止むことはなかった。

 確たる地位を手にした姫川家にはこぞってその権力にあやかろうと多くの退魔師が集まった。いわば烏合の集団と成り果てる事態に陥りそうになった。だが代々の姫川家の当主は持って生まれた特性によるものなのか、この無法集団をうまくまとめ、現在における最大の退魔師の集団を形成することになる。

 対する龍宮家は、多くの退魔師が姫川家に流れる中、それでも忠義を尽くし、仕える者たちを重用した。義を尽くすものにはご恩を。龍宮家とそれに従う者たちには固い信頼が結ばれることになる。そのため規模、人数においては姫川家に及ばないものの、打倒、姫川家という共通の目的意識をもって少しずつではあるが退魔師の名家としての地位を築くことになる。

 時は近代へと移ると退魔師同士の争いは御法度となる。大きな理由は退魔師の数をいらぬ争いで減少させることを防ぐためである。退魔師は血筋によるところもあるが概ね、才能によるものであるから簡単に退魔師を生み出せない。

 そのため姫川家も龍宮家も表だった争いを避け、各々、勢力を拡大することに注力するようになった。ただし小さな小競り合いは現代においても続いている。

「なるほど歴史的に見ても両家は険悪の仲ってわけだ。だから龍宮さんにもああいう態度になるのか」

 複雑な関係に閉口してしまう。人々を守るのが退魔師の使命ならばお互いに足を引っ張り合うのはいかがなものかと十流は考えた。

「私だって龍宮とは仲良くやりたいわ。でもやっぱりお互いに家の事が頭の中にあってなかなか噛み合わないのよ。あの子の退魔術師としての力は認めてるわよ。でもそれ以外は……」

 薫はそれっきり口ごもってしまう。

 一通りの話を聞いて、もう一つ気になることを思い出す。

 それは龍宮という名前である。

「なあ、龍宮ってどこかで聞いたことがあるんだけど……。しかもすぐ身近なところで」

「それはそうでしょ。姫川家が姫川ブランドを持っているなら龍宮家は龍宮堂っていう製薬会社を営んでいるのよ。風邪薬とかで有名でしょ」

「ああ、あれね」

 おもわすポンと手を叩く。

 龍宮家の本家は山間にあり、昔から薬草などの栽培をしていた。またこの国がまだ外国との接触が希薄だった頃から、龍宮家は大陸との貿易を盛んに行っていた。

 姫川家との差別化、そして優れた大陸の学問を取り入れ、新たな術の開発など、全ては姫川家と対抗するための結果だった。

 そして現在、ブランド業界では姫川家が、薬業界では龍宮家が席巻するようになった。

「私も風邪を引いたときには使っているわよ。効き目もあるし、最近はサプリメントにも力をいれてるみたい」

 龍宮家のものだから使わないという訳ではなさそうだった。

 しかし、これとそれとでは別である。

 龍宮奏との仲は昨晩で見せつけられたばかり、しかも口げんかで終わったからいいものの、このような歴史の背景を聞かされた後では、いつ衝突するかわからない。

「それで当面はどうするんだ? 彼女の口ぶりからすると薫に会いに来たって感じじゃなかったし……」

「そうね。私の様子を見に来たっていうのは建前でおそらく何かの理由でこの街にきたのよ。でも……」

「?」

「こちらから首を突っ込む必要はないわ。下手に手をだしてこっちが損をするのは嫌だし、もちろん向こうから危害を加えてくるならそれなりに対処するわ」

「対処って?」

「戦うってこと。私が京都に居た頃は、喧嘩じゃあ無いけど何度かぶつかっているし、それに他の姫川家の者達は龍宮家の嫌がらせにもあっている。万が一の話だけど、十流も心構えだけはしておいて」

 薫の言葉から緊張の度合いが伝わってくる。

 十流もここまで両家の因縁が深いことを思い知る。

(でも退魔師同士で戦うのは気が進まないな)

 十流にとっての退魔師はまさしく正義の味方と同じだった。弱気者を助け、人知れず闇喰いを倒す。少年のような憧れを強く抱いている。ところが退魔師といえど、古き戦いの結果を現在まで引きずり、いがみ合っている事態はどうしても理解できなかった。

 だが十流が知ったのは表面上のことで薫や龍宮の奥底を知ることが出来なかった。

 二人が今までどう戦い、お互いに想っていたかを知る術は今は無い。



 夕方近く、龍宮奏は両手に大きな手提げ袋を持って、滞在中のホテルへと戻ってきた。

 東京都心まで闇喰いの捜索をすると言っていたのに帰ってきた姿は両手に抱えきれない荷物と満面な笑顔であったため運転手兼執事の男は唖然とした。

「あの奏様。この荷物は……」

 ホテルのスウィートルームの一画にあるソファに荷物を置くと龍宮はこともなげに言う。

「だって、都心まで行ったのは良いのだけど肝心の闇喰いは見つからない。気晴らしに散歩していたらつい買ってしまいましたの」

 ついでに買ったというには多すぎるほどの手提げ袋はどれもこれも有名なブランド名が刻印されており、その中には見慣れたブランド名が入った袋がある。

「奏様、それは姫川ブランドのものでは?」

 一瞬、しまったという顔してそっぽを向いて答える。

「だってなかなか良いバックでしたからつい……」

 男はため息をついて角がたたないように注意する。

「気持ちはわかりますが、龍宮の人間には姫川家を心良く思わない者達が大勢います。本家に戻るまでには別の袋に入れてください」

 たしなわれて龍宮は少しだけ不機嫌になる。

 足を組みソファに座ると、腕を組んで男の報告を聞く。

「申し訳ありません。私のほうも例の闇喰いは感知できませんでした」

「そう……」

 一言呟くように言うが何もこの男が役に立っていないとは思わない。何故なら自分たちは探している闇喰いはそれほどまでに厄介な存在だった。

 第一、その闇喰いと出会ったのもほんの偶然でしか無く、一戦交えて、向こうの方が先に逃げだしたが明らかに弄ばれていたという印象を持っていた。

 深刻に悩む龍宮に男は便箋を一枚差し出す。

「もう一つ報告があります。昨夜の少年の事ですが一応は調べてみました。どうぞ」

 折りたたまれた便箋を広げるとそこには箇条書きにされた文章が並んでいる。

「名前は……てんかわ、じゃあなくてあまみやかしら……。下は……」

 龍宮は思わず息を飲んでしまう。

「じゅう……じゅうる、違う。じゅうながれ、え〜と」

「『あまみやとおる』です」

 男がさりげなくフォ―ローを入れると一気に顔を赤くする。

「しっ、知ってましたわよ。他の読み方がないかと考えていたのよ」

 とんでもない言い訳に男は若干、苦笑する。

「年齢は私と同じ。退魔師になったのもつい最近……。これだけですの?」

 龍宮が怒るのも無理は無かった。書かれた文章は便箋の面積の割には少ない。

「はい。これといった情報も無く、本当にどこにでもいるような中学生ですよ」

「この天宮というのはどこか有名な家なの?」

「いいえ。龍宮本家にも問い合わせましたが全く該当しませんでした。父親の方はもうすでに亡く、母親もパート勤めです。趣味で剣道をやったりしてますが、せいぜい市内優勝止まり。普通の家庭です」

 退魔師の中では『紅き閃光の刹那』の名はどこにでも知れ渡っている。数多の闇喰いを討ち、世の平和に寄与した人物。それは龍宮の人間であろうとその武勇伝は聞き及んでいる。だがその『紅き閃光』が十流の母親であること、その素性は巧みに隠されていた。姫川家所属の退魔師だった彼女が現役を引退する際、彼女に関する全てのデーターや記録は抹消されていた。

 それも全ては十流から退魔師や闇喰いから遠ざけ、育てるための措置だった。

 だからこそ男が刹那の素性の全てを調べることができなかった。

「つまり、ぽっと出の退魔師というわけ……。あの薫がパートナーに選ぶからどれほどのものかと思ったけど拍子抜けだわ」

 龍宮は便箋を手前にあるテーブルに放り投げると、深いため息をつく。

「何で薫はあの子を選んだのかしら……。私の方がよっぽど役に立つわ」

 自分が今、何を発したのかわからなかった。

 間を置いてそれが何か分かって途端、口元を手で押さえる。

「奏様?」

「なんでもありませんわ……」

 横にいる男に自分の真意が伝わってないだろうか。

 男を睨むように見つめる。

 男の方は少ない情報に怒っているのかと勘違いしており、もう一つとっておきの情報を出す。

「実はそれには書きませんでしたが、天宮十流と姫川薫との接点がわかりました」

「どいうことですの?」

 さっきまでの気乗りしない態度が一変、身を乗り出し男の言葉に耳を傾ける。

「姫川薫が幼少の頃、あの街に住んでいたのをご存じ出したか?」

「……いいえ」

 姫川薫という存在は小さな頃から聞かされ知っていた。自分と同い年の退魔師であり、敵対関係にある家の一人娘。だが実際に会ったのは小学生の頃、五年生あたりでようやくその姿を見たのである。ずっと姫川家の本拠地――京都に居るものと思っていた。

「十年くらい前になりますか、姫川ブランドが東京進出に熱を上げていた頃に姫川家一族が全員、東京に住んでいたんですよ。無論のこと、京都の守りをしながらですが……」

「姫川家の当主自ら東京に赴くなんて、ということは薫も一緒に……」

 男は頷きながら答える。

「そうです。そしてその頃の遊び相手が天宮十流だというわけです」

 新たな事実を聞かされ、暫く黙っていたがしだいに口の端が笑みに変わっていく。

「そう、つまり世で言う幼馴染みというやつね。……これは、良い発見だわ」

 頭の中でいくつもの悪巧みを考える龍宮を見て男は一応、釘を刺しておく。

「奏様。私達の目的はあくまでも闇喰いの捜索です。あまり深入りするのは……」

「わかっていますわ。でもこれはただの遊び。遊びなら文句はないでしょ」

 平然と言いのけて龍宮は立ち上がると男はさらに追い打ちをかける。

「これとは別件ですが、つい先ほど、龍宮詩織様から電話がありました」

 男の一言に体を強ばらせて龍宮は男にオウム返しに訊く。

「お母様から電話……? 何て?」

「いいえ、何も。ですが戻り次第、電話をかけさせるようにと伝言がありました」

 常は高飛車な態度を取る龍宮だが、今は態度や言動から緊張が伝わってくる。

 苦虫を潰すような顔をすると、

「わかったわ。今、電話します」

 踵を返し、自分のベッドルームへと早足で向かう。

 


 龍宮が扉を開けると、そこには一台の大きなベッドが部屋の中央に置かれている。一人で寝るには大きすぎるそのベッドに腰掛けると柔らかく沈み込む。

 ポケットから携帯電話を取り出すと、緊張の面持ちでアドレス帳の一番に位置する電話番号へとかける。

「もしもし……」

 何度目かのコールの後に出た声の主こそ、龍宮奏の母・龍宮詩織であり龍宮家の現当主でもある。

 声は娘のとは違い、覇気の無い陰鬱そうな声である。

「もしもし、お母様。連絡するようにと伝言がありましたので……」

 普段は出ない緊張の色が声となって出てくる。

(どうして今頃、電話を? ほとんど研究室から出もしないのに)

 憤りを隠して、母親からの次の言葉を待つ。

「そう言えばそうだったわね。えっと部下から訊いたわ。あなた、闇喰いを追いかけて東京に滞在しているそうね」

「はい。以前、戦って取り逃がしてしまった闇喰いです。報告と伝言は頼んでおいたはずですが……」

「報告? ああ受けていたわね。研究が忙しくてそれどころではなかったし……。でもあなたが東京まで追いかけるほどの相手なのかしら?」

 明らかに疑いをかける母親に対し、龍宮はありのままを話す。

「はっきり言って強いです。偶然、見かけて良からぬ術式を発動させようとしていたのを止めましたがその後はこちらの攻撃を凌いで逃げの一手です。このまま放置することは……」

 人に対して災厄を招きかねない。

 そう言うつもりだった。だが、

「それは龍宮家のためかしら?」

 母からの強い言葉に言いかけたものを押し止める。

 わずかに唇を噛み、自分の意思とは違うことを口にする。

「そうです。今は良くても将来、龍宮家にとっては良くないと思います。今のうちに叩いて置くべきかと」

 数秒の沈黙の後、

「いいでしょう。闇喰いに関しては好きになさい。でももう一つのほうは気をつけなさい」

「もう一つ?」

 訝しげに思う娘に母・詩織は半ば叱責するように言う。

「姫川薫のことよ。あの娘が東京にいることは知っているでしょう?」

「はい。先日、あいさつだけはしました」

「くれぐれも下手に手を出さないように。もし万が一、姫川薫に何かがあったら龍宮家の損失に繋がります。いいわね」

「はい。……お母様」

 娘の返事を訊くや否やささっと通話を切ってしまう。

 緊張の糸が切れたのか、龍宮は大きくため息をつくと携帯を横のベッドに投げ、自身の体をベッドに預ける。長い灰色の髪が白のベッドに広がる。

 深く沈む体、自分の心さえ沈んでいくようだった。

(久しぶりに電話を、いいえ、話があると思ったら龍宮家のことばかり……。そんなに家が大事なの?)

 龍宮奏は退魔師の名家――龍宮家の娘でありながら特異な存在だった。

 龍宮家に生まれた者たちは姫川家の打倒を嫌と言うほどたたき込まれる。そして自分たちが他の人間とは違う高貴なものだと教わる。故に自分たちに付き従うものたちには例え、年が離れていても高圧的な態度をとり、命令を下す。

 それが当たり前だと言われる。

 だが龍宮奏はそれに違和感を感じていた。

 古の戦いの結果をいつまで引きずれば良いのだろう。

 姫川家の打倒にどれほどの意味があるのだろう。

 自分は本当に特別な人間なのだろうか。

 代々の龍宮家の者がそれを当然と受け入れてきたものに対して真っ向から否定した。

 だがそれを口にすることが出来なかった。

 周りの環境がそれを許さない。

 物心ついた頃には何人もの付き人がいた。それも自分よりも何倍も歳をいった大人ばかりである。どんな命令にも忠実で、彼等もそれが当たり前のように自分に接してくる。姫川家よりも上へ、この国一番の退魔師の名門へ、そう思う彼等の期待を壊していまいそうで彼女はずっと思い続けてきた疑問を口にすることなく心に押し止めてきた。

 小学生になってようやく同じ年齢の子達と接する機会を得る。

 だがそこでも龍宮という名前を背負っているだけで奇怪な目で見られる。

 そういう視線に晒されて、龍宮は皆が思う龍宮家の人間を演じなければならなかった。

 他人には屈せず、圧倒するように、高貴な振る舞いをするしかなかった。

(本当は違うのに……。私は特別な人間では無い。みんなと同じ笑ったり、泣いたり、怒ったりする普通の人間なのよ)

 結局、何も出来ずに龍宮家の人間を現在も続けている。

(いっそ龍宮家でなければ、薫とも今頃……。いいえ、それはないわね。薫はそんなこと望んでいない。望んでいるのはもっと違うもの……)

 思いを抱えて生きてきた、そして同じような宿命を背負った人物に会い、自分の至らなさを痛感した。

 もっと強く。誰よりも強く。

 あの美しい姿に負けないように。

 いつの間にか窓から射す、夕日が眩しくなり、龍宮奏の体を夕焼けに染める。

 目を瞑り、深く呼吸すると、けだるそうに体を起こす。

 乱れた髪を簡単に整えると部屋から出る。その際、待機していた男に呼び止められた。

「奏様、どちらに?」

「散歩よ。一人で行きたいからあなたは待機していて」

 振り向きもせず言い放つと龍宮はエレベータに向けて歩き始める。

(また小言とでも言われたか。これは相当、不満が溜まっているな)

 男は龍宮の表情だけで心理を読み解く。

 さわらぬよう男は言いつけ通りホテルで待機することにする。



 夕暮れ時の光は全ての景色を茜色に染める。

 道行く人々、車、建物、見えるもの全て眩しく映る。

 龍宮奏はそんな街をうつむき加減に歩く。

 代わり代わり聞こえる人の声、街の音、それらが煩わしく思う。

(騒がしい街ね……)

 龍宮本家は山間にあり、木が揺れる音、鳥のさえずり、川のせせらぎ、龍宮は自然の音が好きだった。目を閉じるとまるで自分が自然と一体となったような気さえする。

 なのに本家を出るとまるで自分がそこにいてはならない感覚を覚える。

 まるで自分だけが世界から切り離されているような孤独感を感じるのだ。

(違うわね。私が世界を受け入れようとしていないだけ。だから世界は私を拒絶する)

 ふと見上げると自分と同じ年齢の女子が二人仲良く、クレープを片手に歩いてくる。

 街の雑踏により何を話しているのか分からないが、二人とも笑っており、お互い顔と顔を合わせて会話を楽しんでいる。

(私にもあんなことが出来るのかしら? 話しながら、片手に食べ物を握って、一緒に歩くことが出来るのかな。この子たちのように……)

 あり得ない、もしくはあり得た未来を垣間見て、二人が通り過ぎるのをただ黙って見ていた。

「ばかばかしい……」

 誰にも聞こえない声で吐露するとまた歩き始めた。



 交差点に差し掛かり、信号待ちをする一人の女性に龍宮は注目する。

 バックを肩からかけたその女性は一見どこにでもいるような会社員であるが龍宮には別の景色が見えていた。

 周りの誰も気づかない、今まさにその命が奪われようとしていることを。

(所詮、私は退魔師。これが私の現実なんですわ)

 一人、苦笑すると、その女性の後方を抜けるとすぐ脇道へと入る。

 女性は視線を落とし信号が変わるのを待っていた。

 そしてふと見上げると異変に気がついた。

 車が通り過ぎる音、人々の声がいつの間にか聞こえなくなっている。

「えっ?」

 慌てて周りに視線を移すと、見える景色は同じでもそこにいたはずの群衆が消えている。

「え? うそでしょ?」

 世界が静止したように辺りは静寂に包まれ、女性はその世界に取り残されて呆然とするしかなかった。

 目の前に視線を移すと信号は赤から青へと変わったがもはや渡る気分にはなれない。

 そして視線を下に落とすと、

「!」

 向かい側の信号の下にそれはいた。

 最初、人だと思ったが目を凝らせばそれが骸骨であると認識できた。右手に歪曲した剣を持ち、引きずりながらゆっくりとこちらへと近づいてくる。

 本来あるはずの目はなく、だが顔だけはこちらの方角に向いている。

「いや……」

 女性の足がガクガクと震え、逃げることさえ出来ない。

 頭の中は何が起きているのかわからず混乱し、だが迫り来る危機がどんなものか想像ができた。

 すなわち自分の死が間近に近づいていることに。

 骸骨はゆっくりとした足取りだが確実に女性との距離を詰めていく。

「ひっ」

 一歩、後ずさりしただけでバランスを崩し女性はその場に尻餅をつく。

 立ち上がる事が出来ず、とうとう骸骨が自分の目の間に立っていた。

 ゆっくりと右手をあげて剣を振り下ろす。

 女性は最悪の結末を目を閉じることで迎えようとしていた。

 一秒、二秒、だが剣が自分の体を裂く気配が無い。

 恐る恐る目を開けると、自分の前に灰色の髪をなびかせた見知らぬ少女が立っていた。

 しかも骸骨の剣を左手で受け止めているのである。

「良かったですわね。私が近くにいて……」

 女性を助けた龍宮奏は振り返らずにその涼やかな声を発する。

 剣を受け止めた左手はそのままに右の手の平を骸骨の腹の部分に当てる。

 ゴウッと風のような音と共に骸骨は吹き飛ばされ、自分を構成した骨がバラバラに散らばっていく。

 龍宮は振り返り、女性の無事を目線だけで確認する。

 怖々と見上げる女性は龍宮からまるで睨まれているような気がしたが、とりあえず危機を救ってくれた少女にお礼を言う。

「……どうもありがとう……」

 礼を言われた龍宮はとくに喜ぶでもなく、膝を折って屈むと女性のこめかみに人差し指を当てる。

「別にお礼を言われるほどではありませんわ。それにあなたはすぐに忘れる」

 訝しかる女性はふいに眠気に襲われると瞼を閉じ、その場に倒れ伏してしまう。

 龍宮は術で女性を眠らせると、振り返りながら立ち上がる。

 そして目の前の景色に不思議と笑いを浮かべる。

 向かいの信号の下に骸骨がいた。

 それも数体、いや数十体が整然と並んでいた。

 どこからともなく骸骨たちは集まり、手に剣を持ち、律儀に赤信号を守っていた。

「闇の使いがこんなにも。どうやらここが狩り場だったようですわね」

 信号が青に変われば一斉に襲いかかってくるであろうその状況にも龍宮は冷静だった。

「ちょうど不満が溜まっていましたの。憂さ晴らしに付き合ってもらいますわよ」

 右腕を横に突き出すと、長い灰色の髪がふわっと持ち上がり、一瞬にして輝く銀髪へと変わる。

「きなさい! 『銀龍』」

 信号は青へと変わり、骸骨達は一斉に襲いかかる。

 退魔師の戦いの場――堺面世界で龍宮は銀髪を翻し、自身の戦いを始める。



 翌日。

 天宮十流はいつも通り、やや遅めに教室に入ると、色々な言葉が飛び交っていた。

 昨日のテレビドラマの話、放課後の部活の話、宿題を写させてと懇願する者、懲りずに白蛇を捕まえようと躍起になる者、十流は騒がしい空間を横切って窓際の自分の席へと向かう。

 自分の席の隣、平泉鏡香と真後ろに座る姫川薫は会話を楽しんでいる。

 平泉が積極的に話をしているのは珍しいことだった。

 薫も戦いの時の凜々しさとはかけ離れた笑顔を見せる。

(こうして普通にしていると、どこにでもいる女の子なんだけどな)

 惜しい気持ちを押し隠して十流は二人にあいさつする。

「ずいぶん楽しそうだな」

 二人の微笑ましい場面をそう表現すると平泉は急に体を強ばらせる。

「ちょっと女の子トークに割って入らないでよね」

 薫の叱責に、

「へいへい……」

 適当に相槌を打つと十流は自分の席に座る。

「ところで鏡香は、駅前のデパートに行ったことある? そこのアイスクリームおいしいって評判だから行ってみようと思うんだけど、どう?」

「え? もしかして今日?」

 うんうん、と薫は誘うように頷く。

「でもアレは良いの?」

 平泉は横に座る十流に視線を流しつつ、慎重に訊く。

「いいの、いいの。たまには息抜きも必要だって。そう思うでしょ、十流」

 そう言って薫は十流の背中を指で突く。

 驚いた十流が振り向き、

「女の子トークに割って入るなって言ったのはどこのどいつだ?」

 と文句を言うが薫はそれを軽く流す。

「それは置いといて。良いでしょ、今日のアレは夜でも。ねっ、ねっ」

 片目を閉じてウインクまでする薫の姿に十流は呆れて、それでも薫が人を誘うのと、平泉が他人と遊ぶという珍しいことこの上ない事態を逆に喜ばしく思い、十流は退魔師の鍛錬を夜にすることに同意する。

「さすが十流。話がわかるじゃない。じゃあ時間は後で決めるとして……。鏡香はアクセサリーとか興味ある? あそこはねえ……」

 もはや十流など目に映らないほど平泉とまた会話を始める。

 平泉の方もどこか嬉しそうに頷いてり、笑ってたりしている。

(戦っている薫も良いけど、今の薫も結構、かわいいもんだな)

 二人の会話を邪魔しないように十流は窓の景色を見つめる。

「夜まで時間が空いたな……。さてどうしたものか」

 退魔師になる前は、なるべく街に出ないようにしていた。好きな漫画を買うときでさえ、本屋に直行し、そして家に戻るようにしていた。

「街をぶらぶらするのも良いか……」

 久しぶりの余暇と何も気兼ねすること無く街を歩けることに十流は心を弾ませた。



 放課後、十流は浮き足立つ薫と平泉を早く帰らせ、一人教室の掃除をして帰ろうとしていた。

 春先から薫と共に退魔師の鍛錬していたため、放課後の自由時間はほとんどなかった。

「そう言えば一人で帰るのも久しぶりか」

 感慨にふけながら十流は廊下を歩く。時折、吹奏楽部の演奏や、外から聞こえる運動部のかけ声が廊下に響く。

 下駄箱から自分の靴を取りだそうとすると、靴の上に一通の封筒が置かれていた。

「何だコレ?」

 手に取り透かして見てみると手紙らしきものが入っている。

「ラブレターってやつか? いやいやそれは天地がひっくり返ってもないな」

 天宮十流は自身が思うほどに人付き合いが下手である。相手との会話も、うん、に始まり、そうだね、ぐらいしかしない。話をしていても長続きしないため、また普段から近寄りがたい雰囲気を出しているため、人はほとんど寄りつかない。それが女子ならなおさらな状況である。

 つい最近まではそれでも良いと思っていた。

 自分に近づく者は闇喰いの被害に遭う。

 退魔師になる前は本気でそう思っていたため、他人との関係を持つことを嫌い、帰りも早く帰るか、図書室で時間を潰して帰るというサイクルを繰り返していた。

 全ては力無い自分への防衛であり、他人への最大限の配慮だった。

 だがそれも退魔師となり闇喰いに対抗する力を持っていることを知った日から徐々に改善し、口うるさい川田とは多少なりとも会話をするようになった。

 だからといってこの自分がラブレターを貰えるなどとは考えられない。

「薫から……? も無いな。あいつがこんなベターなことするわけないし、もしそうだとしても女の子って感じがしない薫には似合わないな」

 本人が訊いたら間違いなく八つ裂きにされるであろう言葉を吐きつつ、十流は封筒を開ける。

 その中に入っている手紙には、

『天宮十流へ

 突然のお手紙、失礼致します。先日はあいさつだけでしたがぜひとも一緒にお茶でもいかがと思いお手紙を書きました。薫と一緒では話どころではありませんのでお一人で来てください。

 場所は……。

 お待ちしております。龍宮奏より』

 と書かれていた。

 一通り読み、十流は女子に誘われという喜びよりも背筋が凍るような感じがした。

「文章は丁寧なんだけど、ようは一人で来いってことだよな」

 十流はもう一度、文章を読み、そして一考する。

 まず薫に連絡するかどうか。

 だが薫と平泉がせっかく一緒になって遊ぶのだ。それを邪魔したくない。

 そして闇喰いに関しては薫と一緒に行動することを約束していたが、相手は退魔師であるからこれには該当しない。

(何より一人で行った方が彼女の真意がわかるかもしれない)

 十流は貰った手紙をポケットにしまうと、朝まで弾んでいた心は緊張を帯びるようになり、ため息混じりに学校を後にする。

 


 

 まだ陽が高いうちに十流は家に戻ると、一人の妙齢の女性が家の扉を閉めるところだった。

 竹刀の入った袋を持ち十流を見かけるなり声をかける。

「あら、おかえりなさい。今日は鍛錬は無いの?」

 優しく微笑むこの女性こそ、『紅き閃光』と呼ばれ、そして十流の母・天宮刹那である。

 出かける寸前の母に十流はかぶりを振る。

「鍛錬は夜から。久しぶりに暇を貰ったんだよ」

 あらあらと手を頬に当てる刹那を見て十流はじっと持っている竹刀を見る。

「今日は稽古の日か……。退魔師になってからそういうの忘れそうになるよ」

 十流は退魔師になる前は母に連れられて剣道を習っていた。小さい頃はそれなりの実力だったが、闇喰いと出会い、己の力無さから剣道に身が入らなくなってしまった。そして現在は退魔師の鍛錬に重点を置き、剣道の稽古には全く顔を見せなくなった。

 無論、刹那からの許可は貰ってのことだが。

 懐かしむように竹刀を見つめる十流に刹那もなんだか寂しくなる。

「あなたには剣道よりも一人前の退魔師になることが重要でしょ。でも十流の腕試しに私が相手をしてあげても良いけど?」

 にっこりと笑う刹那に十流はおもいっきり身を退く。

「無理無理。今だって母さんに勝てる気しないし、ボコボコにされるのが目に浮かぶよ」

 刹那が退魔師を止めた時点で、退魔師の力の源――魔力の行使ができないように呪いに近い術式をかけられている。とはいえ剣の腕は衰えず、その気さえあれば市内どころか、全国へ行っても優勝出来る腕前を持っている。本人曰く、楽しんでやっているから、という理由で市内優勝で落ち着いている。

「それじゃあ、母さんは行くけど、鍵だけは閉めていってね」

 息子に言付けすると、暖かな陽気に気分良く刹那は歩き出した。

「俺も着替えて行くか」

 十流はポケットにしまった便箋を広げ場所を確認する。

「隣街のホテルか……。さて蛇が出るか、それとも……」

 手を目に当てて、確認するように頷く。

「もしかしたらこの目で龍宮さんの心が見えるかもしれないな」

 いつ、どの場所で発動するかわからない人の心を見る目。

 それが一波乱を起こすことになるとを十流はまだ知らない。




 十流の住む街から二駅先に隣街がある。都心寄りであり、人の往来も多い。

 駅よりほど近くかまえるホテルは、街を展望できるほどの高さであり、入り口付近にはドアボーイと呼ばれる人たちが時折来る、車に駆け寄るとお客を丁寧に招き入れる。

 場違いとも呼べるホテルへと来た十流は、そのドアボーイと目が合うが向こうはそれほど気にせず、丁寧に受付場所を案内してくれた。

 受付に行くと十流はまず龍宮奏に呼ばれたこと、ここで合うことの旨を説明すると、事前に連絡を受けていたらしく、すんなりと十流をホテルの最上階に位置するスィートルームへと案内した。

 スウィートルームの扉の前で一旦、咳払いをしてからノックする。

「どうぞ。お入りください」

 中から涼やかな声が返ってくる。

「失礼します」

 緊張の面持ちで十流は扉を開けると、龍宮奏が迎入れる。

 龍宮は出会った頃に見た制服では無く、アニメや漫画でも見るロリータ服を着ていた。黒を基調としてスカートからフリルがちらりと見える。お化粧でもしたのだろうか唇は淡いピンク色をしている。

「さあ、遠慮なさらずにどうそ」

 十流を招き入れた龍宮は棒立ちする少年を手で招きソファに座らせる。

「うお」

 案外、深く沈み込むソファに驚きを隠せない。

 少年の驚きに静かな笑みを浮かべる龍宮は、すでに用意されたカップを手に十流のそばまで寄ってくる。

「紅茶を煎れましたの。お口に合えば良いのですけど」

 身を屈めた瞬間、ふわっと香水の臭いが鼻を掠める。そっとカップを置く仕草は上品で、十流は恥ずかしさのあまり龍宮の姿を正視することが出来ない。

(案外、かわいいわね)

 内心そう思ってクスリと笑うと龍宮は自分のカップを手にし十流と向き合う形で座る。

 十流はせわしなく、湯気が立つカップと優雅に座る龍宮を交互に見る。なかなかお茶を口にしないため龍宮が先に呑むと、おいしい、と小声で言う。

 それに反応してか十流もようやくカップに口をつける。

(ちょっと苦いかな。砂糖でもあればな)

 などと難しい表情をする十流に対し、龍宮は涼やかな声で言う。

「急に呼び出してごめんなさい。でもどうしてもお話がしたくて……。ねっ、天宮十流」

 急に自分の本名が出てきて部屋に入った時の緊張とは違うものに身を固くする。

「俺はまだ君に名乗ってはいないと思うけど……」

「失礼ながらあなたのことは調べさせてもらいましたわ。母親との二人暮らし、そしてつい最近になって退魔師のなったことも」

 龍宮の何気ない一言に眉をひそめる。

「母さんのことまで調べたのか?」

「ええ。剣道の市内大会で優勝するほどの腕前だそうで……。あなたはどうなのかしら?」

 だがその質問には適当に相槌を打つだけにした。

 どうやら母・刹那が昔、退魔師であったことは知らないらしい。

 闇喰いのことであれなんであれ厄介になりそうな事には関わらせたくない。

 十流は母の事を避けるように本題に入る。

「龍宮さんは俺と話しがしていってことだけど、どんな話なんだ? 知っての通り俺は退魔師になって日が浅い。有益な話なんて出来ないけど」

 とにかく相手の本音を聞き出したい十流は、会って間もないがプライドが高そうな龍宮のことを考えてなるべく歩調を合わせることにする。

(しかし、薫以外の女子と二人きりというのはほとんど無いからな。平泉は積極的に話すタイプじゃあないし、こういう時ってどうすれば……)

 緊張の色を隠せない十流に対して龍宮もさほど余裕があるわけではなかった。年齢が近い男子と面と向かって話すなどほとんど無かった。それどころか触らぬ何とやらで避けられる事が多かった。だが龍宮にとって最初から話しなどはどうでも良かった。ただ彼の視線さえ釘付けにしておけば良いのだから。

「話というのは他でも無い。天宮十流、あなたのことですわ。単調直入に言うとあなたを龍宮家にスカウトしたいと考えています」

「スカウト?」

 思わぬ申し出に十流は鳩が豆鉄砲を喰らった顔をする。

 ポカンと口を開ける少年に龍宮はかまわず話を続ける。

「薫から聞いてないかしら? 姫川家と龍宮家の関係を」

「まあ、仲が悪いってことまでは」

「ふふっ、まあその通りですわ。古の戦いから両家は因縁が深くなってしまった。昔は両家の退魔師が総出になって戦うこともあったそうだけど、現代ではそれは禁じられています。でも勢力は伸ばさないといけないため、姫川家も龍宮家も全国にスカウト担当を派遣し、優秀な退魔師を取り込んでいるのよ」

「何故、スカウトを? そこまでする理由があるのか?」

「退魔師にとって必要な魔力は、持って生まれた一種の才能と呼べます。ですがその魔力は教育や鍛錬によって発現することはありません。私や薫のように生まれた時から魔力を持っているか、貴方のようにある日突然、目覚める場合があります。そのような方を見つけて己の家の戦力として迎え入れる。そうやって両家は勢力を拡大させてきたのです」

 退魔師のスカウトは両家にとって急務の事柄でもある。昔と違い移ろいゆく現代において闇喰いの発生は増してきている。そして唯一、対抗できる魔力の持ち主は育てることで発現できない、気まぐれな力なのである。魔力が発現した間もない者を見つけてはちゃんとした退魔師の教育をして戦力としなければならない事情があった。

 龍宮の説明を訊いて何度か頷いてみせるが府に落ちない部分もある。

 すなわち何故、自分なのか、ということ。

「全国から退魔師をスカウトする理由はわかった。だけどそれは俺である必要はないだろう? 薫には毎日、叱られるし、前にはヘマをやって死にかけたし、魔力を持っても凡人並だぞ」

 あからさまに自分を低く評価してみせるが、龍宮はそんな事は気にせず話を進める。

「確かに先日の戦いを見ましたけどまだまだ素人、でもそれは仕方ありません。何故ならあなたは原石なのだから」

「?」

 龍宮はすっと立ち上がるとゆっくりとした足取りで近づいてくる。

「あなたはダイヤモンドを知っているかしら?」

「ダイヤモンド? それぐらいは……」

「ではダイヤモンドは最初からお店で並んでいるような輝きを持っているでしょうか? 答えはノーです」

 まるで諭すように、十流の顔を直視しながら近づくため、こちらもわずかに緊張する。

「優れた職人がダイヤモンドの原石を削り、磨くことで価値が出る。同じ原石でも職人の腕次第でダイヤモンドの価値は上下します」

「つまり俺も磨き方次第で価値が変動するって言いたいのか?」

 その答えに満足したように頷くと龍宮は十流の右斜めに座りその手を取る。女性の暖かさが直接、手に伝わり香水の香りが一層際立つ。

「あなたの持っている力、私なら引き出すことができる。あなたが望むならどんなものでも叶えましょう。龍宮家に出来ないことはないのだから……」

「ようは薫ではなく、自分と組め――そう言いたいのか?」

 龍宮は答えず、唇がわずかに緩む。

(そうそれで良いのよ。もっと私の方を見なさい。そうなればあなたは自分の意思に関係なく私の元へと来る)

 龍宮の目は誰にも気付かれること無く、妖しく不気味に光る。

 獲物を捕らえるように、逃さないように、じっと十流を見続ける。

(さすがに素人とは言え退魔師。常人よりは抵抗力がありますわ。でも時間の問題……)

 少しずつ着実に十流を捕らえていく。



 お互いの息づかいがわかるくらいに接近してきた龍宮を十流はじっと見ていた。

 だがそれは龍宮自身では無く、もっと深いものを見ていた。

(全く、良いのか悪いのか……。この目は本当に気まぐれだな)

 内心、愚痴をこぼしながらも十流が見ているのは龍宮の心――想いだった。

 龍宮と話し始めてからずっと龍宮の想いを見ることが出来ていた。

 だからこそ気がついていた。

 龍宮の話が嘘であることに。

 姫川家と龍宮家、スカウトの話云々は本当だとしても、自分をスカウトしたいというのは嘘である。

 何故なら龍宮にその気が全く無いことを看破していたからである。

(この眼は相手の考えていることはさっぱりだが、想いというか感情を読み取ることができる。そこから推測しても彼女から俺を必要としている感じを受けない。何か違うことを企んでいるってことまではわかるがはてさて……)

 十流はじっと龍宮を見つめる。向こうは変わらず不適な笑みを浮かべるが意に介さない。

 さらに奥深く、その心根を覗くように眼に力を注ぐ。

(何なんだこれは? 見ようとすると何かに邪魔をされる……。殻のように、黒く覆われている……)

 それでも何とか想いを見ようとする。殻を破るように、その先にある龍宮の想いに少しずつ近づいていく。


 龍宮は十流の真剣な顔を見続けるうちに緊張のあまり冷や汗をかき始めていた。

(こうも見られると恥ずかしいですわね。でもそれだけこちらの術中にはまっている証拠。あと少し、ほんの少し……)

 端から見れば若い男女がお互いを見つめ合ってるように見えるが、二人は見えない戦いを繰り広げていた。

 十流は龍宮の想いを知るために。

 龍宮は十流を己のものにするために。

 だがそれも終わりが近づいていた。

 十流が龍宮の想いの形を見ることができた。

(怒りとか哀しみとか、そういうのじゃあない。渦のように感情が流れている。暴れるように、早くこの殻を破って外に出そうと必死にもがいている……。この想いは一体?)

 そして龍宮の方も十流の己がものにする一歩手前まできていた。

(さあ、もう少し。ほんの数秒であなたは私のものになる。さあ……)

 歓喜のあまり、口元がさらに緩み、歯が見えるほどになった途端、

「……!」

(えっ!)

 十流は龍宮のあまりの激情を見るにたえ、眼を閉じてしまった。

 だがその行動は龍宮にとって予想外の出来事だった。

 驚き身を退いて、驚愕の顔でその相手を見る。

(どいうこと? まさか薫から私の眼の事を聞いていた? でも何故、私の方をずっと見ていたの? あまりにも警戒がなさすぎよ。いいえそれ以前にあそこまでいっていたのに目を閉じるなんてありえない)

 自分の術中がばれたのか、それとも罠にはまったとみせかけて弄ばれていたのか、とにかくこの現状を全く理解できなかった。

 十流はずっと目を閉じ、手で口元を押さえながら考えていた。

(人の想いが見えるようになったのはつい最近だけど、こんな見え方もあるんだな)

 十流が最初に想いを見たときは、その人から漏れ出すような気配を感じる取ることで、この人はこう思っているのだろうという推測をしていた。

 だが龍宮の想いは、一つの風景や絵のように具体的なものを見ることができた。

 黒い殻の中に、激しく流れる水流が渦巻いている。

 でもそれがどんな想いなのか十流には推測することができない。

(こんな想いでずっと過ごしていたのか。今にも爆発しそうな感情を抱いて、退魔師として戦っていたのか……。だとしたらそこにどんな理由が……)

 気が苦しそうな情景であり、それがどのような想いからくるか予想は出来ないが、むしろこんな状態でよく退魔師として戦うことができると思った。

 その理由は龍宮本人の口から訊くしか手段はなかった。

「なあ、龍宮さん……」

 急に自分の名前を呼ばれ、企みがばれたのかと思い緊張の度合いを高める。

「なっ、なんですの?」

 しかし、テーブルの一点を見つめる少年の質問はあまりにも唐突なものだった。

「誘いをうけるかどうかは後にしてこれだけは訊いておきたい。何故、君は退魔師になった? 何故、戦う?」

 陥れようとした理由では無く、あまりにも当然なしかし、真理をついたものだった。

(なんでそんなことを? でもそんなの決まっているわ。全ては龍宮家のためよ、そう龍宮家のため……)

 いつもなら簡単に答えられるものを口にすることができない。

(どうしたのよ。言えばいいのよ。いつも通りに……。何で言葉に出来ない?)

 口元がわなわなと震えていた。

 沈黙の時間が長く続くため、十流は想わず龍宮に視線を送る。

 十流にして見ればただ様子を伺って見ただけだが、龍宮はそれを質問に対する催促だと思った。

 一度、咳払いをすると、

「私が戦うのは当然、龍宮家のためですわ。龍宮家をいずれこの国一の退魔師の名家とする、それが私の望みです」

 言い切った。

 いつものように。

 だが自分の顔が強ばっているのがわかる。

 十流は龍宮の言葉を受けても何も返さずじっと見つめていた。

(何なの、この子の眼は……。まるで全てを見透かすように……)

 少年の態度に驚愕し、唾を飲み込む。

 十流は一度、瞼を閉じると、ふうっと重い息を吐いて立ち上がる。

「そうか……。君も戦う理由があってほっとした。でもだとすると俺は龍宮さんとは組めない」

「どう……して?」

「龍宮さんと組むってことは、俺も龍宮家のために戦うってことだろう。残念だけど俺は龍宮家のためには戦えない。例え無理矢理にパートナーになったとしても必ず蟠りが残る。だから龍宮さんの誘いは受けられない」

 そう言うと十流はドアに向かって歩き始めた。

「なっ……なっ……」

 唐突に、でもしっかりとした拒否の言葉に龍宮は茫然自失となるが、十流がドアに手をかけようとした瞬間、なんとか立ち上がる。

「なら何故、あなたは薫と一緒に戦っているのよ!」

 驚くほどの絶叫に、十流は目を見開いて振り向く。

 肩で息をする少女に向き直りその顔を覗くと、激流の感情が顔に出ていた。

 怒りも、哀しみも、全てを混ぜ合わせるように、今までの余裕の表情が消え失せている。

「薫も姫川家のために戦っているでしょ! 私と同じよ! 同じような家に生まれ、退魔師として育てられた。家という重責を背負って戦っているのよ。私と薫は同じ……」

「いいや、違うよ」

 怒り狂う龍宮に対し、十流は努めて冷静な言葉で返す。

 十流に見つめられ龍宮は言いかけた言葉を飲み込み、睨み付けるように十流を見る。

「確かに薫と龍宮さんの境遇は似ていると思う。でも薫が前に言ってたけど、――姫川家のために退魔師になったんじゃあない。自分の可能性に賭けたんだ――、て言ってた。戦い以外にも行動を一緒にすることがあるけど、薫から姫川家のためにという言葉を聞いたことが無い」

「自分の可能性……、そのために薫は戦っている?」

「ああ。そしてそれは俺にも当てはまる。俺も退魔師になって多くの人を守りたいと思うし、それが自分の可能性なら、信じて戦う。だから薫と気が合うのかもしれないな」

「……!」

 もはや反論する気さえ起きなかった。

 十流と薫の間にある見えない絆が龍宮に付け入る隙を与えない。

「別に龍宮さんの言う――家のために戦う――、これを否定するわけじゃあない。それも立派な理由だと思う。ただ龍宮さんが進む道と俺たちが進む道が違うそれだけだ」

 それは十流なりの龍宮に対する配慮だった。

 だが龍宮は呆然と立ち尽くすのみで声すら上げられなかった。

「お茶、ありがとう。おいしかったよ」

 わずかに憐憫を含んだ眼差しで見てから十流は部屋の外へと出た。

 バタンと音がして十流はため込んでいた息を吐く。

「少し言い過ぎたかな。なんだかひどくショックを受けてるようだし……」

 自分でも信じられないくらい強い言葉を彼女に言ってしまったかもしれない。

 しかし、

「家のためか……。本当にそれが彼女が戦う理由なのか?」

 閉められたドアの先、一人残された少女を思い、十流は自責の念を抱く。

 結局のところ、彼女の真意を知ることは出来なかった。

 何故、東京に来たのか。

 あの激流のような想いは一体、何なのか。

 だが一つだけわかったことがある。

 別れ際の言葉――私と薫は同じ――、それは表面上は毛嫌いしていても、どこかで認めている証拠ではないだろうか。

 十流はもう一度、部屋に入ろうとしたが、暫く考えて、踵を返すとエレベータに乗って帰って行った。


 

 ドアを閉める音が室内に響き、龍宮は金縛りが解けたようにフラフラになりながらソファに座った。

 脱力感と焦燥感、体が心が締め付けれて痛い。

「違う……。私と薫が違う……。どうしてそう言えるの? 何も知らないくせに……何も……」

 小声で唱えるような独り言に返してくれる者はいない。

 つい先ほどまでいた少年に否定されたこと、それのみが頭を駆け巡る。

「私は龍宮家のために戦ってきた? 違う……。私は、私は……」

 闇喰いという化け物との戦い、それは果てない戦いだった。

 どれだけ倒そうとも、どれだけの人を助けてもなにも変わりはしない。

 そんな荒々しい現実の中で初めて出会った一輪の花。

 凜々しくも可憐な花。

 自分が到達すべきもの。

 それに近づきたくて……。

「私と薫は一緒よ。それなのに……、あの男はそれを否定するの? 私を否定する……」

 両手で顔を隠し、身体を震わせる。

 しかし涙は出ない。

 出てきたのは心からの怒りだった。

 ギリギリと歯を噛みしめ、灰色の髪は怒りに呼応してだんだんと上へと昇ってくる。

 ピキイイ、バリィイン。

 テーブルに置いてあるカップは真っ二つに割れる。

「どうやら不調に終わったようですな」

 事情を知らない運転手兼執事の男は部屋に入ってくるなりそう言って、そして後悔することになる。

 龍宮から発せられる威圧的な空気をもろに感じ取っていた。

 両手で顔を隠したまま、龍宮は男に命令する。

「姫川薫の身辺を洗いなさい。あの男以外に交友関係があるのかどうか、全て……」

 いつもの涼やかな声では無い。深く静かな声が男を極度の緊張へと誘う。

「はっ、しかし……」

 男が反論を試みようとするが、手の間から怒りに満ちた目が男を睨む。

「今すぐ調べなさい!」

「はい!」

 一喝された男はすぐさま振り返るとドアを勢いよく開けて外へ出る。

「あのガキ、奏様の逆鱗に触れやがった」

 男は文句を言いつつ、夜が迫る街へと向かっていった。


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