銀髪の魔女②
「堺面×共闘」第四話 銀髪の魔女?
その夜、十流と薫はいつもの廃ビルへと集合していた。
ほとんど毎夜は制服で退魔師の鍛錬をしていたが今日は二人とも私服である。
十流から薫へ、平泉と楽しめたか、の質問には満面の笑みで解答される。
薫から十流へ、どこに行っていた、の質問には絶叫で返答される。
「龍宮奏と会った? しかもお誘いの文句がお茶を飲みましょう、普通、妖しいと思いなさいよ。もう、古今東西、男って女の誘いに弱いのね。しかも私に連絡無しなんてどういうつもり?」
「いや〜、せっかくの余暇を邪魔しちゃあ悪いかなって思って……。それに闇喰い関連でもないし連絡は不要かと……」
お辞儀とまではいかないが十流は身を屈めて上目遣いに見ると、薫は力強く地を蹴りながらこちらに向かってくる。
「そういう理由じゃあないの」
薫は右手を十流の顔に近づける。
(やばい、ビンタか? それともパンチか?)
目を思いっきり閉じて、怒りのビンタを待つが、その手はゆっくりと十流の頬に当てられる。
「えっ? えっ?」
直接伝わってくる女の子の暖かさを感じて心臓が高鳴り、そっと目を開けた先に薫が心配そうな顔を近づけている。
多少の化粧はしたのだろうか、頬にはファンデーションが、唇には桃色の口紅が塗られている。淡い花の香りが十流の緊張をさらに強める。
(うっ、こうして見るとやたら可愛く見える。普段が凶暴だからこのギャップの激しさは反則だと思うぞ。こういうのって確かツンデレって言うんだっけ……。て何考えているんだ俺は!)
妄想中の十流をよそに薫はその目をじっと見つめてから、頬に当てた手を十流の心臓あたりに当て、確認するように何度か頷く。
「ふう、良かった。何もされていなみたい」
ようやく離れた薫はぶつぶつと独り言を呟く。
「それにしてもまさか十流から……。私が最初だと思ったのに、何を考えているの?」
緊張から解き放たれた十流は自分を無視して考え事をする薫に文句を言う。
「一体なにがどうしたんだ? 俺は龍宮さんとは別にいかがわしいことはしてないぞ。ただちょっと世間話をしただけだ」
勘違いにもほどがある言葉に薫はギロリと睨む。
「当然でしょ。もしそんなことしてたら私は一生、十流を軽蔑するから。私が懸念したのは龍宮に何かされていないかどうかよ」
「どういう意味だ?」
十流の質問に観念してため息をつく。
「私は龍宮に関して重要なことを十流に言わなかったの。龍宮がちょっかいを出すのならまずは私からだと思っていたから」
「重要なこと?」
「そう、龍宮奏は、いいえ、龍宮家の血筋を引く者はある瞳術が使えるの。その名も『龍の眼』。その眼に魅入られたものは操り人形となるのよ。例えそれが闇喰いでもね」
薫から聞かされた事に、十流ははっと気付く。
「そう言えば、妙に龍宮さんはお茶を飲みながらこっちを見ていたな。それってもしかして俺を操ろうとしていた?」
疑念に対して薫は肯定するように頷く。
「十流を操って何をしようとしていたのかわからないけど、よからぬことを企んでいたのよ。まあ、何も無くて良かったわ」
薫の安堵とは逆に十流は背筋が凍る思いをしていた。
龍宮の想いを知るためとはいえ、ずっとあの眼を見ていたのである。
自分を誘う気などさらさら無いことは分かっていたがまさかそんなことを考えているとは思わなかった。
「そんな深刻にならなくて良いわよ。第一、『龍の眼』は高い集中力が必要なの。できうる限りお互いが静止している状態が望ましいとされている。おまけに退魔師は抵抗力があるから操るには時間もかかる。大方、時間がかかりすぎて十流に不審に思われても嫌だから途中で止めたってとこかしら」
「う〜ん、そんなところかな」
十流は適当に相槌を打って答える。
確かに最初のうちは饒舌で自分の手を取るなど操る気が満々なのは思い出すとわかる。
だが途中でまるで自分を珍獣か何かをみるようなそういう眼になっていたのも事実だった。
(もしかして俺が眼を閉じた事が原因か? でもあれは龍宮さんの想いを見るに堪えなくて思わず閉じちゃったからな)
操られるという最悪を脱したことを実感し十流はようやく安堵する。
その様子を見た薫は十流から距離を置き、その左手に桜花を呼び寄せる。
「さあ、今日も鍛錬を始めましょうか?」
顔にかかっていた髪を優雅に手で払うと十流の正面に立つ。
「……」
だが十流は自らの相棒――討牙を呼び出さなかった。
龍宮との会話を思い出し、ある事に疑念を抱く。
それは龍宮からの誘いであった。
十流をスカウトするという嘘を真に受けていたら薫はどう思うだろうか。
(まあ、怒り狂うのはわかっているが……)
そもそも何故、自分が薫のパートナーなのだろうか。
自分は退魔師として素人であるし、男として恥ずかしいことだが今の所、薫におんぶにだっこ状態である。薫の足を引っ張っているのではないかとの負い目もあった。それでも文句は言いつつも自分と共に戦ってくれる薫に、どうしてそこまでパートナーというものにこだわるのだろうとの疑念が沸く。この際だから十流はそれらを払拭すべく意を決して薫に訊く。
「なあ、薫。前から訊きたかったんだが、なんで俺がお前のパートナーなんだ? パートナーになれって言うのも何か突拍子も無かったし……」
なかなか討牙を出さないことに苛立っていた薫だが、十流からの突然の疑問に驚く。いつかは言われるとわかっていた。でも何故、今なのだろう。もしかして龍宮に何か吹き込まれたのだろうか。
「なんで急にそんなことを? 十流は私と組むのイヤ?」
自分の教え方に不満でもあるのだろうか。
優しく無いのは確かだし、でもそれは十流を思ってのことなのに。
理由がわからず目を潤ませ、うつむき加減になっていく。
それを見た十流は驚き慌てる。
(お前、涙腺よわすぎだろ。俺は何かまずいことを訊いたか? 俺の言葉のどこに薫を泣かせるフレーズがあった?)
十流にとって薫を泣かせることは万死に等しかった。
幼い頃、母・刹那から男の子は女の子を守るものだと教わっていた。
それでなくても薫の泣く姿は心をえぐられるように痛い。
「まてまて。そういう意味じゃあ無い。別に俺みたいな弱い奴が薫のパートナーじゃあなくても良いかなと思ったんだよ」
泣きそうな薫をなだめつつ十流は率直な意見を言う。
対する薫は潤んでいた眼を拭いて、何やら考え込む。
(それは昔からの約束だから……。十流が覚えていない約束。退魔師になって一緒に戦う約束……)
幼い頃、十流と交わした約束――、それは薫の支えになっていた。
一人、京都で退魔師としての鍛錬を積み、闇喰いと戦い、叶わないだろうと思っていたがそれでもその約束を糧に頑張ってきた。
そしてこの春にその思いは達成された。
当の本人は覚えていなくても、多少、強引だったとしても今はこうして一緒に戦っているのだ。
(でも十流が疑問に思うのも無理はないか。でも約束だからって言うのも恥ずかしいし……。そうだ、もう一つの理由があるんだ。別にそれだって嘘じゃあないから十流を騙しているうちには入らないわよね)
うんうん、と何度も頷き、さっきまでの泣き顔もどこへやら十流の方へと向く。
「コホン。その……、あの……、まあ、何て言うか幼馴染みだからって理由もあるんだけど、もう一つ大きな理由があって、私はある戦い方を目指しているの」
「ある戦い方?」
怪訝な表情で見つめるパートナーに薫は丁寧に説明する。
「退魔師は大きく分けて剣士と術士というのは知っているでしょ。姫川家の退魔師はそれにならって戦術が組まれるの。剣士は前衛、術士は後衛というようにそれぞれのポジションで役割が決められているわ」
「う〜んと、サッカーでいうところのフォーメーションってやつか」
「そうまさしくそれよ。そしてそんな組織的な戦術を生み出したのが――」
「雫おばさんか?」
姫川雫、姫川家の当主だが十流の指摘に薫は首を振る。
「現在の戦術――、いわゆる集団戦闘術を生み出したのは私の曾おばあさま。名前は姫川咲。
そして……」
すると薫は桜花を自分の胸元へと持ってくる。
「この桜花の前の持ち主よ」
薫の左手にしっかりと握りしめらた白塗りの鞘に納められた刀。
十流の持つ討牙が父親の形見なら、薫の桜花は姫川咲から受け継がれたものと言える。
「姫川咲……。桜花の前の持ち主か。薫は会ったことがあるのか?」
「いいえ。ただ桜花のことを調べていたらこの姫川咲が書いた文献が出てきてそれを読んだの。近代以降、退魔師の戦い方についてより効率的に闇喰いを倒せるようにその基礎を作った人なの」
姫川家は大所帯ゆえに多数の部隊が編成されていたが、その中身はほとんど自由勝手であった。部隊を束ねるものがいるがその戦い方には規律と呼べるものは無く、闇喰いが出ればあとは個人の裁量で戦っていたという状態であった。
それに一石を投じたのが姫川咲であった。
部隊ごとにいる隊長には絶対の権限を与え、そして隊員には役割をはっきりさせ、剣で戦う剣士は主に前衛に、術を行使する術士は相手との間合いを考え後衛にすることで、今まで非効率に戦っていたものを効率の良いものへと変えていった。
この戦術は現代になっても残っており、姫川家のみならず龍宮家でも取り入れられている。
「そんなすごい人がいたんだ。じゃあ薫が目指しているのは各々、役割が決められている戦い方を目指しているのか」
納得して頷く十流に、薫は複雑そうな顔で見ていた。
「あれ、何か違っていたか?」
「ううん。姫川咲が説いた集団戦闘術に関しては十流が考えていることであってる。でも私が目指しているの違う戦い方なの。姫川咲はもう一つの戦い方も文献に残していた。それがパートナーアーツ――、共闘戦術よ」
「共……闘戦術? なんかイメージがわかないな」
「それもそうね。彼女も文献として残すには苦労したみたいだから」
薫も言いにくいのか言葉を選びながら十流に説明する。
「姫川咲は、確かに集団戦闘術を生み出したけど、それには大きな欠陥があったの。あまりにも役割を明確にしすぎたために突発的なことに対応出来なくなってしまった。自分たちはこれだけやれば良いという風潮になってしまったらしいわ。でもそれは仕方なかった。人数が多ければそこにルールを与えなければまた無法に闇喰いを倒すことになり効率が悪くなる」
「またサッカーに例えるけどつまりFWは攻撃だけでDFは文字通り守備しかやらないってことか。テレビでやっていたけど今じゃあFWは前線で守備を、DFはいざとなれば攻撃に参加するっていうのが主流ってきいたような」
「今日の十流は冴えているわね。パートナーアーツは剣士でも後衛や術士が前衛をやったって良い。それを体現していたのが他ならぬ姫川咲とその旦那さんってわけ。二人はまさに心を通わせるがごとく縦横無尽に戦場を駆け巡り闇喰いを倒したそうよ」
姫川咲の武勇伝が今の薫に影響を与えていることは間違いなかった。
だが十流は今ひとつピンとこなかった。
「でもさ。部隊の人が勝手にやるからルールを決めたのにそれを無くしてまた自由にやるっていうのはなんか矛盾しているような気がするな……」
「十流の言う通り、だから姫川咲はこれを文献に残すだけで他の人には伝えなかったの。だって心を通わせ、一つの目的のために、お互いを助け、そして戦う。それってとても曖昧で抽象的すぎるから。他の人には伝わらないって判断したんでしょうね。でも文献の中にある言葉に私はすごく共感したの。それはね――、
『私の心よ彼方に届け。
彼方の心よ私の元へ。
心震わせ、通じ合い、彼方と共に闇を断つ』
私はそれを読んだとき、こんな風に戦うことが出来たらなって思ったのよ」
目を閉じ、詩の一節のような言葉を訊いて、十流は先日の白蛇との戦いを思い出す。
不思議な、とても不思議な感覚だった。
十流は人の想いを読む眼を持つがそれが発動しなくても薫の考えていることが分かったような気がしていた。
どこに移動すればいいのか、剣を振れば良いのか、薫の目を見るだけでそれが瞬時に出来た。
囲まれた状態にも関わらず、背中を気にしなかった。いつの間にか自分に迫る危機を薫が払っていたのだ。
(あの感じがパートナーアーツなのかな……。確かにあれは口でどうのこうのと言えるものじゃあないな。本当に感覚的なものだし、もう一度やれって言われても出来るかどうか)
薫も同じように感じていたのなら、自分がパートナーであることに少し誇らしい気持ちになる。
「パートナーアーツ……か。そう聞くとなんだかおもしろうそうだな」
「そうでしょ。だからと言って私は姫川家の集団戦闘術を否定するわけじゃあないわ。あれは現代においても必要な戦術だと思うから。でも……」
「?」
「なんだかつまらないでしょ。あなたはこれだけやれば良いっていうの。まるで自分がそれしか出来ないって言われているようで。だから難しいけどパートナーアーツ――共闘戦術を目指そうと思うの。だから私は十流をパートナーに選んだの」
まだ頼りない少年に向かい、薫はそう告げる。
約束のため、自分の目指すべき戦い方に向けて、そして何より自分を理解してくれるであろうその人と共に戦う。
姫川薫――退魔師としての根幹をなすものであった。
まだまだ成長しなければいけない十流は納得して、ようやく討牙を呼び出す。
「だったら俺はもっと強くならないとな。でないとパートナーアーツは実現できないからな」
討牙を抜き放ち、構える。
眼光するどく屹立する十流に薫も桜花をゆっくりと抜き放つ。
(強くなって十流。いいえ、私が強くしてみせる。それがあなたと共に戦うと決めた私の責任だから……)
同時刻――隣街のホテルの一室。
不本意に終わった天宮十流とのお茶会の後、怒りに満ちていた顔もようやく落ち着いてきた龍宮奏は部屋の窓際、さして美しくない夜景をおもしろくなそうに見つめていた。
その後方には、やや緊張気味に執事の男が立っていた。
「ずいぶん早く帰ってきたからどんなものかと思っていたけど、これはなかなかの写真ね……」
龍宮は自身の横にあるサイドテーブルに置かれた一枚の写真に目を落とす。
映っていたのは私服姿の姫川薫――、見たことも無い笑顔にずいぶん驚かされたがさらに横に映っている少女に興味が沸いた。
「本当に奇遇でした。まさかこんな写真が撮れるとは……」
己の運の良さに感心しつつ、今だ不機嫌な龍宮に対し言葉少なめに対応する。
「もうあなたは下がって良いわ。明日の朝一番に動きます」
龍宮の命令を聞くと男は早足で部屋を後にする。
一人残された龍宮は写真を手に取り、姫川薫ともう一人の少女へと交互に見る。
どちらも幸せそうな顔をしていた。
それがたまらなく許せなかった。
「ふふ。天宮十流――あなたの言う通りね。確かに私と薫は違う。こんな……こんな、薫と私は違う。あなたが余計な事に現を抜かしている間に私がどれほど実力を上げたか思い知らせてあげますわ」
もはや、龍宮には何も見えていない。
ただ一つの標的以外には。
翌日の朝は重い雲が立ちこめていた。
気分ですら憂鬱になりそうな天気だがそれは不吉な前触れとさえ思えた。
姫川薫、天宮十流、川田良夫の三名はそれぞれ予鈴までに登校してきたがとある人物だけは今だに登校してこない。
平泉鏡香――、本の虫と揶揄される彼女だが朝の登校時間を守るなど遅刻っといったものから縁遠い人物である。
その彼女が出席を取る時間になっても現れない。
教壇に立つ教師も訝しがるくらいの事態だった。
当然、十流も薫もその非日常的な事態に警戒する。
(まさか、闇喰いに襲われたのか?)
平泉は春先に闇喰いに襲われ、心を喰われている。通常、心を喰われるだけならばその人物は深い憂鬱な気持ちになるだけで外傷は無い。一週間もしないうちに回復するのが常だった。だが闇喰いは心だけでなく人間すらおまけのように喰らうこともある。
自分たちが見ていないところでしかも、知っている人物が危機に瀕していると思うと、十流は居ても立ってもいられなかった。
チラリと自分の後ろに座る薫に目を向けると、両腕を組んで視線を机に落としている。だがその眼は悲観に暮れているものでは無かった。なにやら深く考えているみたいだがすぐさま飛び出さないため十流も座っているしかない。
そうこうしているうちに一時限目の授業が開始される。
一時限目が終わると十流と薫はまったく同じタイミングで席を立ち、真っ先に屋上では無く、階段を降り、一階の階段の隅へと移動する。暗がりで大きい声で無ければ人に聞かれる事はまず無い屋上の次に絶好の場所だった。
「どういうことだ? 平泉が来てないって?」
詰問する十流に薫は答えない。
業を煮やした十流はさらに薫に詰め寄る。
「もしかしたら闇喰いに襲われたかもしれない。このままじっとしているわけには……」
「それは無いと思う……」
ようやく薫は絞り出すように言う。
そんな様子に十流は眉をひそめる。
本来なら薫の方が――鏡香が危ない――、と言って飛び出しそうなものの、逆に自分が焦っているようで変な気分でもある。
十流はいささかトーンを落とし薫に訊く。
「どうして闇喰いじゃあ無いって思うんだ」
「絶対に闇喰いに襲われていないとは言えないけど、でも私はもう一つの方に原因があるんじゃあないかと思う」
もう一つの方――、その言葉に十流は戦慄する。
「おいおい、待てよ。いくらなんでも無関係の人を巻き込むっていうのか。あの人は?」
「私だってそう思いたくない。万が一、億が一よ」
思い描くもう一人の退魔師――銀髪の術士、龍宮奏。
薫は龍宮が平泉を襲うもしくは拉致した可能性を考えていた。
もちろん闇喰いによる被害も想定していた。いくら友達といえど始終、見守るわけにはいかないし、いつどこで出現するかはわからない。
だが今回は闇喰い以外に厄介な存在がごく近くにいることも事実だった。
思えば十流をお茶会に誘ったということが妙に気になっていた。
龍宮はその席で十流を『龍の眼』と呼ばれる瞳術で操ろうとしていたことは、十流の話から推測できる。
では何のために。
それが自分と無関係であるはずがない。
思えば初めて出会った龍宮とは口喧嘩から始まり、術式をぶつけあったり、会う度にそれの繰り返しだった。薫にしてみれば姫川家と龍宮家の因縁を考えればそれも仕方が無いとさえ思っていたし、いわゆる痴話喧嘩のようなものだった。
だが十流を操ろうとした事実が今までの喧嘩とは違うものと認識できた。
本格的に自分を倒そうとしているのではないか。
そのためなら十流以外の人間も利用する。
それが今回は平泉鏡香だったということ。
薫は奥歯を噛みしめ、起きた事実を冷静に受け止めるしかない。下手に動けば平泉の身に危険が及ぶ。
自分と関わったことで傷つく人はもう見たくない。
今にも飛び出しそうな自分を理性でなんとか押さえつていた。
「とにかく今はじっとしてるしかないわ。龍宮が原因ならおそらく彼女の方から動きを見せるはず。そのために十流にはあることをお願いしたいんだけど……」
「お願い?」
薫は十流の耳元で二言、三言指示を言うと十流は驚愕する。
「俺にそれをしろと……」
コクリと薫は真剣な眼差しでうなずく。
その日の授業が終えた後、姫川薫は平泉のことが気になり急いで下駄箱へと向かう。
「……!」
靴を取り出すため、下駄箱を開けるとそこには一通の手紙が添えられていた。
裏面にある差出人の名前を見た途端、薫の目が吊り上がる。
そして中身の文章を読むなり、駆け足で学校を出て行く。
「龍宮……。あんたはやってはいけないことをやったわ」
外れていて欲しいと思っていた予想が的中してしまい、心中はもはや穏やかでは無い。友を救うため、関係の無い人を巻き込んだ龍宮を倒すため、薫は急ぎ手紙に書かれた場所へとひた走る。
呼び出された場所はビル建設のための工事現場であった。
まだ建設途中のため天幕が下ろされていて、中の様子は伺い知ることは出来ない。
だがもっと不可解なのが定休日でも無いのに人の気配が無いということ。
息を整え薫は物音一つしないその建物へゆっくりと足を踏み入れる。
建物自体はまだ作りかけのため鉄骨はむき出し、外からの光によってわずかに視界が確保されているその場所には所々に用具が散乱している。
「いまさら不意打ちはないか」
さらに歩みを進め、大声で仇敵の名を叫ぶ。
「龍宮! 出てきなさい。言われたとおり来てやったわよ!」
反響する声が辺りを包み、静まりと同時に気配が見える先から感じ取れる。
それはゆっくりとこちらに近づいてくる。
暗がりから姿を現したのは、腰まである灰色の髪が特徴の少女。赤のブラウスに黒いハイソックスを履き、その容姿は気品さえ感じられる。
「龍宮奏……」
名前さえ出すのが口惜しいその姿をみて薫は歯ぎしりする。
対する龍宮奏は何を返すわけでも無く、じっと見つめている。
だがその眼には狂気がはらんでいた。
普段から態度がでかいことは知っているが今日に限ってはその姿には苛立ちさえ覚える。
「あんな手紙で呼び出して、一体、何の用なの?」
問われた龍宮は一度、目を閉じやがて口を開く。
「まあ、落ち着いて、薫。今日はゲストをお呼びしているのよ」
「ゲスト?」
余裕を見せる龍宮に薫は一つの懸念に戦慄する。
パチンッ。
龍宮が指を鳴らすと、彼女の足下、やや離れた場所に幾何学的な文字が並べられた魔方陣が出現する。その魔方陣は回転を始めるとそこからある人物が姿をみせる。
「……鏡香」
薫が目を見開く先に、植物の蔓のようなもので身体を巻き付けられた平泉鏡香の姿があった。
「鏡香!」
もう一度、その名を呼ぶが反応は無い。だが幸いなことに見た目は外傷もなく、眠っているかのような感じを受ける。
一瞬だけほっとしたがすぐに怒りが燃え上がる。
手をぎゅっと握りしめ、こんな事態を引き起こした人物を睨み付ける。
「あんた……、自分が何やっているのかわかっているの! これはれっきとした犯罪よ」
薫の罵倒にしかし、龍宮は余裕の表情を崩さない。
「ええ、わかっていますわよ。あなたがじっとしていればこの娘には手を出さないわ」
おもむろにポケットに手を突っ込むと一本のナイフを取り出す。
「でも下手に動くとこんな風に――」
言ってナイフを平泉の心臓の辺りに突き刺す。
「やめ――」
薫の悲痛な声に龍宮はたまらず笑みをこぼす。
「あらあら。そんなに顔面蒼白にならなくても良いのに。これはただのおもちゃですわ」
平泉からナイフを放すと、その刃を何度も押して引っ込むギミックを見せる。
「あんたね……」
明らかに馬鹿にされた薫はしかし、動くことができない。
龍宮の性格上、おそらく次は本気で平泉を傷つける。
掴みかかりそうな衝動を薫は奥歯を噛みしめて踏みとどまる。
「ふふ。本当に友達だったとわね。写真で見たときはあまり信じられなかったけど、あなたの態度を見ていたらこれはまた……。薫が友達を作るなんて以外だったわ」
「龍宮、『龍の眼』を使ったのね。鏡香をそしてここにいるはずの人達もあんたのその力で……」
「そう、全員眠ってもらいましたわ。この娘は登校途中におびき寄せて眠って貰いましたの。大丈夫よ、あなたには『龍の眼』は使わないから。第一、退魔師は効果が及ぶには時間がかかりすぎる。それにあなたのことだから操られないように防御の術式を使っているはず……」
平泉を残し龍宮は狂気の目を薫に向けながらゆっくりと歩む寄る。
「それにあなたを操るのが目的じゃあ無いから」
いよいよ眼前まで迫ってきた憎き敵に対して薫はただ何も出来ずに身構えるだけであった。
龍宮の肩越しに見える平泉の身を案じ、攻撃することが出来ない。
不適な笑みを浮かべる龍宮は腕を薫の後ろに回し、丁寧に乱れた髪をとかしてあげる。
「そうそう。おとなしくしていればあの娘は傷つかない。でも――」
「――ぐっ!」
「あなたは傷つけるけどね!」
龍宮は右拳を薫の腹へと入れる。
「がはあぁ」
無防備な所への不意の一撃に薫は吹き飛ばされる。
地面を転がりながら何とか止まる。
腹を手で押さえ、立ち上がろうとしてるところへ龍宮の足が薫を踏みつける。
ぎりぎりと踏みつけられ、痛みに苛まれながらも薫は龍宮を睨む。
「なんで自分がこんな目に? なんて思っているのかしら。それならあなたのパートナーに訊きなさい」
龍宮は言いながら何度も足で踏みつける。
「十流に……?」
ようやく絞り出すように名を出すと、それを聞いた龍宮は苦々しい顔で薫を見下ろす。
薫は龍宮のこれまで見たことの無い顔に驚く。
息を荒げ、灰色の髪は乱れ、目は正気の沙汰とは思えない光を宿す。普段の高慢ちきともいえるその姿とはかけ離れた龍宮がそこにいた。
目と目が合い、龍宮は蹴るのを止めて言葉を継ぐ。
「十流……ね。忌々しい名前だわ。私が昨日、お茶に誘った話は本人から聞いたかしら?」
「ええ、世間話をしたらしいじゃない。どうせ私の悪口でしょ」
悪態をつく薫に龍宮は首を傾げる。
「本当の事は聞かされていないのね。世間話なんてしていないわ。ただ私は彼を龍宮家にスカウトするとお話したの。まあ、それはどうでも良くて本当はこの、『龍の眼』で操ろう思っていたのよ。あえなく失敗してしまったけど……」
薫は目を大きく見開いた。
(十流を龍宮家に?)
そんな話は十流から一言も出なかった。
たぶん自分を案じてあえてその話をしなかったのだろう。
(あいかわらず変な所で気を回すんだから)
感心しつつ呆れて、そして十流が何故、自分をパートナーにしたのか、と訊いてきた理由も分かった。
(だから理由を教えて欲しかったんだ。私はてっきり組むのがイヤになったと思っていたのに……)
わずかに笑みがこぼれる。
それを龍宮は見逃さなかった。
眉をつり上げ、少しは醒めていた怒りもまた燃え上がる。
ドスゥッ。
「ぐぅうう……」
脇腹めがけてつま先で蹴ると、その顔はまた苦悶の表情に変わる。
「でもね、そんなことはどうでもいいのよ。私がこんなに怒っているのは、その天宮十流から屈辱を受けたからよ」
「屈辱……?」
「天宮十流は私の誘いを受けるどころか、こんな事を訊いてきたのよ。『何故、戦うのか?』。
私は当然のごとく龍宮家のためだと言った。そうしたらあの男は何て言ったと思う?」
「……?」
「薫と私は違うって言ったのよ。家のために戦う私よりも、自分の可能性という抽象的なもののために戦うあなたの方が良いと、優れていると言ったのよ」
無論、十流もできる限りに擁護したつもりである。
家のために戦うことが悪いわけではない。
だが龍宮はそれを額面通りに受け取らなかった。
むしろ薫と比べられ、その結果、自分の方が下だと宣言されたような気がしていた。
それが彼女の積もり積もっていた感情を爆発させ、このような暴挙に出たのである。
「私がどんな気持ちで戦ってきたかも知らないのに。どんな想いを抱いていたかも知らないくせに。それなのに……、それなのに、あの男は知った風な口をきいて私を侮辱したのよ!」
そう言うと薫を蹴り上げ、肩で息をする。
薫の体は地面に擦りつけながら止まる。
暫くの静寂の中で薫は不思議な感覚に襲われる。
あれほど殴られ全身に痛みが走る中、罵倒され、友人を盾にされた怒りよりも、何故か笑いがこみ上げてきた。
(何よ……、何なのよ、それ……)
我慢して隙あらばこっちから殴ろうとしていたのに。
そう思っていたのに。
龍宮から聞かされた事に、怒りや悲しみや復讐ではない。
笑うことしか浮かばなかった。
「ふっ……ふふ……」
ボロボロになり、倒れる薫から笑いが漏れてくる。
その笑みに龍宮は怪訝な顔を向ける。
「何を言い出すかと思えば……」
ゆっくりと乱れた髪もそのままに薫は立ち上がる。
「何が可笑しいの?」
訊かずにはいられなかった。
八つ当たりのようにその怒りをぶつけたのに、返ってきたのが自分を見下すような笑いだっため、龍宮は露骨に不機嫌な眼差しを向ける。
だが薫の相貌からは全くと言って良いほどその眼光は衰えていない。
むしろこちらを射殺すほどの力を宿している。
「可笑しいわよ。これが笑わずにいられるもんですか。鏡香を人質に取られ、あんたの良いように殴られて、それ相応の理由があると思っていた。姫川家と龍宮家が仲が悪いなんて周知の通りだし、あんたが私を目ざとく思っているのもわかっている。ところがどうよ。あんたの理由が男を誘ってそれで断られて、その腹いせだったなんて。笑い話にもほどがあるわ」
笑いから怒りへと変化していくにはそう時間はかからなかった。
そんな子供じみた理由のために、平泉はさらわれ、我慢して殴られて、あまりにも滑稽な事に怒りの炎は燃え上がる。
一方、龍宮も怒りは収まらない。
「あなたに分かるわけが無い。私がどれほどの侮辱を――」
「十流はあなたを侮辱する気なんてなかったわよ」
さらりと言い放つ薫に龍宮は押し黙る。
「誰かを侮辱するなんて、十流がするもんですか……。そんな事が出来るなら、そこまで度胸がなるなら私は苦労しないわ」
「……」
「十流はね、それはネチネチとネガティブだし、漫画好きだし、こっちの言うこと聞かないことが多いし、変な所に気を遣うし、それでいて正義感が強かったり、わけわかんないかもしれないけど、これだけははっきり言わせて貰うわ」
いつもならそばにいるであろう少年を想い、力強く言う。
「十流は暴力はもちろんのこと、言葉でも誰かを傷つけたりしない。例え、私と因縁が深い龍宮でも、絶対に理由もなく傷つけたりしない。……私は誰よりも十流を理解しているわ」
口を真一文字に結んでこちらを睨む薫に龍宮は腹ただしい思いがこみ上げてくる。
「だからと言って、私のこの怒りは静まらないわ。それ以上、言うのならあの娘がどうなっても――」
「もう一つ、私は龍宮、あんたのことも少しは理解しているつもりよ」
人差し指を立てて、龍宮の注意をこちらに引きつける。
「それは――、あんたは一つの事に夢中になると周りが見えなくなるのよ」
「?」
「十流!」
「うおおおお!」
叫び声と共に十流は落下し、すでに握られた討牙で平泉の縛めを切る。
不意の出来事に龍宮は対応することが出来ない。
「なっ、いつの間に?」
「いつの間に? ずっと十流はいたわよ。下手なりに気配を隠してね」
薫の言葉に龍宮は絶句する。
一時限目の授業の後、平泉が龍宮に連れ去られた可能性を話している段階で、薫は十流にあるお願い事をしていた。
それは自分を尾行すること。
龍宮から何らかのアクションがあるとすれば、必ず一人になったときに起こると予期していた。そして前日、十流がお茶会に誘われたことから次は自分の番だと思った。ならば罠にかかったふりをすることで平泉を救出する算段を立てる。
当然、十流は尾行なるものをしたことが無いため真っ先に拒否した。
だが二人で行動を共にすれば、平泉を盾にされ二人とも動きがとれなくなる。
それに龍宮の性格からすれば、自分が面と向かっていれば注意を最大限に引きつける事が出来る。
そこまで言うと十流は渋々、了承し、放課後になって龍宮からの手紙を読んで学校を出たあたりから十流はずっと薫をつけていた。
自身は傷だらけになったが、平泉を救出することができて薫は安堵する。
「十流! 鏡香を安全な場所へ」
「おう」
十流は平泉を抱きかかえると、一目散にその場を後にする。
「待ちなさい」
追いかけようと駆け出しそうになる体を龍宮は思わず踏みとどまらせる。
魔力の集中、そして流れを頭上に感じて、天を仰ぎ見る。
「これは……、展開式?」
頭上に出来た、円形の魔方陣が回転し、ゆっくりと降りてくる。
「どこにも行かせないわ。ここできっちりと決着を付けてあげる」
振り向いた先には、傷を負い、埃にまみれた薫がブラウンの髪を金髪へと変化させ睨み付けるように立っていた。
十流が平泉を安全な場所へと避難させた後、戻ってくると、もう二人の姿は無い。
現実世界と対をなす――堺面世界へと移動したと見える。
十流は自身の目の前をドアがあるかごとく開く動作をすると、異界へと入っていく。
飛び込んだ来た光景には対峙する二人の退魔師がいた。
一人は金髪を翻し、腰に白塗りの刀――『桜花』を帯刀させた姫川薫。
もう一人は、灰色の髪を背に、幾つもの鉄骨が積まれている場所に仁王立ちする龍宮奏。
言葉を交わすでもなく、二人はお互いの視線を外さず睨み付ける。
「どうやらまだ戦っていないようだな」
十流は薫に並び立つと眼前にいる龍宮へと視線を移す。
昨日と同一の人物かと見違えるほどの怒りを辺りにまき散らすその少女は立っていた。
「龍宮さん……」
十流の言葉に、龍宮は一瞬だけ顔を向けるがすぐに薫へと戻る。
薫もまた、龍宮から顔を背けずに十流に確認する。
「鏡香は大丈夫だった?」
「ああ、近くの公園にあるベンチに座らせたよ。無理矢理起こすのもあれだし、それに以外と寝顔もかわいいし……」
と言いかけて龍宮とは違う怒りの視線を浴びることになる。
「あ……、あんた、鏡香に何したの? 無抵抗な女の子に手を出すなんて最低よ。言いなさい、何したの?」
突然の剣幕に十流はあたふたと言い訳を述べる。
「まてまて、俺は何もしてないぞ。少し様子を見るために顔に触れたりとかしたけど、それ以上は……」
「もう何で、古今東西、男ってすぐに手を出すのかしら? その神経がわからないわ」
「薫……、それ偏見だと思うぞ」
「違うわよ。これは歴史的、科学的見地に基づく、証拠が……」
十流は薫と言い合う合間にちらりと龍宮の様子を見る。
「……え?」
薫には聞こえない声を出してしまったが、明らかに初めて見る顔だった。
それが意味することは一体、何なのか?
「ちょっと、十流。訊いてる? あんたはね……」
ガキィィィィイイン。
金属と金属がぶつかる音が建物の中を響き渡らせる。
話を中断された薫は音の元凶、足下にある鉄骨を足でおもいっきり踏みつけた龍宮へと顔を向ける。
「夫婦漫才はそれまでにしてくださる? 私を無視して話す込むなんて随分、余裕ね?」
「別に……。ただあんたとは話たくなかっただけよ」
「……」
二人の間に見ない火花が散っていた。
いつ戦いになってもおかしくない状況で十流は一歩進み出て問いかける。
「龍宮さん。これが君の言う――龍宮家のための戦いなのか? 関係の無い人を巻き込んで、退魔師といえど無抵抗な人間を殴ることが正しいことだと思っているのか?」
十流は、薫と龍宮との一連のやり取りを遠目に見ていた。
会話は聞き取れなかったが、幼馴染みが殴られる光景を目の当たりにして、腸が煮えくり返りそうになっていた。何度、飛び出そうかと思い、だが平泉を助け出すという薫の思いを考えればそれは出来なかった。両手には強く握りしめたために血が滲んでいる。その拳をもう一度握りしめ、龍宮に詰問する。
だが当の龍宮はそんなことは意に介していない様子だった。
「所詮、貴方には名家の重荷などわかるはずがない。私がどんな想いで戦ってきたかもわからないのに、貴方が退魔師のなんたるかを語って欲しくないわ」
「龍宮さん!」
十流は憤りを隠せず、眼にはだんだんと燃えるようなものが集まってくるのを感じ始めている。
すっと十流を制するように薫が前へと歩み出る。
「もうこれ以上、話は必要ないと思うけどこれだけは言わせて貰うわ」
「なによ」
「私は少しは龍宮のことを認めていた。術士としての力を……。でもそれは間違っていた。あんたがやったことは退魔師どころか人として間違っているのよ。それを看過できるほど私はお人好しではないわ。姫川家として、一人の退魔師として許すわけにはいかない」
薫は、桜花の柄に手を伸ばすと、確認を兼ねて十流に視線を送る。
十流はその視線に対し、無言のまま頷くことで返す。
もう止めることはできない。いや止めなければならない。
薫は柄を握り、そしてゆっくりと輝く刀身がその姿を現す。
「桜舞い散り、闇を切り裂くこの桜花の名において――」
眼は紅く燃え上がり、十流は討牙の柄を握り、引き抜く。
「闇を打ち砕き、切り裂くこの討牙の名において――」
二つの切っ先は龍宮へと向けられ、
『お前を討つ!』
紅き眼を持つ少年と金髪を靡かせる少女は声を揃えて宣言する。
向けられる剣先に龍宮は不快な色を濃くする。
「いいですわ。なら二人まとめて相手をしてさしあげます。……来なさい『銀龍』!」
右手を横へと突き出し、声に反応して虚空より一振りの杖がその腕に収まる。
全体は銀色、長さは龍宮の頭を少し越えるほど、頂には銀色の龍の模型が翼を広げて鎮座している。杖の出現と同じく、龍宮の灰色の髪は銀髪へと変わる。
銀色の魔女――龍宮奏の戦闘姿を見て十流は息を飲む。
「杖……?」
「そう、あれが龍宮の武器、退魔の杖――『銀龍』よ」
十流の問いに薫は即答する。
身構えいつでも飛び出せるように力を溜める。
龍宮は持っている杖を片手でくるくると回し、両手で銀龍を掴むと頂にある龍を二人に向けて言い放つ。
「立ちふさがる闇を滅するこの銀龍の名において、あなた方を討つ!」
それが戦いの合図だった。
龍宮を目指し、十流と薫は一気に駆け出す。
立ち向かうべく龍宮はその場に留まる。
その行動に薫は嫌な予感を感じた。
(おかしい。数的にも不利なのに何故、悠長に構えているの?)
予感が疑念に変わり大声を出す。
「十流、止まって!」
「!」
「ちっ」
十流は急な指示にも対応し、その足を止める。逆に龍宮は目論見がばれたことで仕掛けていた罠を発動させる。
十流たちの目の前、残り数歩の位置で二つの魔方陣が現れ、そこから幹の太い植物が姿を現す。二つの植物は蔦を鞭のように振り回す。
「やっぱりね。戦いになってもいいように準備はしていた。抜け目ないこと」
苦笑しながらも薫は向かって来る蔦を切っていく。
「術士はこんな事も出来るのか」
十流は感心しながらも蔦を切り、詠唱を始める。
植物が視界を邪魔しているのを好都合と思い、横に飛んで炎弾を龍宮に向けて放つ。
「いけ!」
握り拳大の炎弾は一直線に龍宮へと向かっていく。だが、
「何ですの? これは?」
嘲笑を浮かべながら龍宮は炎弾を片手であらぬ方向へと弾いてしまう。
「相殺どころか避けるまでもありませんわ。魔力の練りも中途半端、お粗末にもほどがありましてよ」
雄弁に語る龍宮は短く詠唱を始める。
「せめてこれぐらいはやって欲しいわ」
左手に魔力を集中させ、炎のイメージそのとおりの炎弾を作りあげる。それも十流が放った炎弾を数倍超える大きさであり、それを短時間で作ってしまう。
「は!」
放たれた炎弾は十流の方では無く、十流の横にある植物へと当たり、瞬く間に炎上する。
「あつ!」
直撃しなくても、その熱量と爆発力に十流は身を退いて防ぐが自分のそれとは違うことを目の当たりにする。
「まるで大人と赤ん坊だな……」
自嘲気味に笑って十流は構え直す。
「本当に素人ね。その程度では――」
「それをカバーするのが私よ!」
横からの声に龍宮は杖を両手で構える。
植物を倒した薫が跳躍して一気に龍宮の懐へと飛び込む。
「龍宮奏ェェェ!」
「姫川薫ゥゥゥ!」
桜花と銀龍が激しくぶつかり合い金属音を鳴らす。
「あんたは……、あんただけは許さない!」
怒りが声となって出る。
「それはこちらの台詞よ、薫」
剣と杖、二人の顔が正面にそして至近距離にある。
間近でみる薫の怒りに龍宮も己の怒りで対抗する。
「薫、あなたは変わってしまった。もうあの頃の薫はいない」
「何言ってるのよ」
何度目かの鍔迫り合いの後、両者は鉄骨の上で間合いを取る。
「私は何も変わっていない。私は私。姫川薫よ」
「うるさい!」
杖を振りかざし、薫めがけて強烈な風を吹き付ける。
「まずい」
風にあおられる形で薫は、鉄骨の山から下りて体勢を立て直す、が足に力が入らない。
(なんで? たいしたこと無いって思っていたのに……)
鈍い痛みが徐々に感じられるようになっていた。
「うおおおお」
今度は十流が龍宮の右側から斬撃を繰り出す。
何度か金属の音が交差し、討牙と銀龍が激しい鍔迫り合いを繰り広げる。
(なんて……、なんて嫌な眼なの……)
自分を見透かすその紅い眼に龍宮は不快の色を隠せない。
昨日のホテルで見た眼とは違う。紅く、十流の意思を表出させているかのごとくその眼は、龍宮にとって眩しく映る。
「その眼……、その眼が不快なのよ」
「ぐう……」
大きく弾かれそうになって十流は何とか踏みとどまる。
お互い数歩の距離のところで十流が口を開く。
「もうやめるんだ、龍宮さん。こんな事をして何の意味があるんだ?」
十流の厳しい口調にも龍宮は怯まない。
「意味? 意味ならその胸に聞いてみなさいな。私をどれほど侮辱したか自覚は無いようですけど」
「龍宮さん……」
十流の眼は、杖を構える龍宮の姿とは別にもう一つのものを映し出していた。
心の底、渦を巻く激流、昨日のものとは明らかに違う。黒く、轟音を辺りにまき散らす、憤怒ともとれた。
じっと自分を見続ける十流に対して龍宮は鼻で笑う。
「もしかして、間合いを詰めたからもう勝てると思っているのかしら? 術士は近接攻撃に弱いと薫から聞いたのかしら? それは認識を改めてもらわないと」
そう言って龍宮は杖を頭上に持ち上げると、何回か回転させ、腰だめに構えると龍の口をこちらに見せる。
その口から現れたのは太く幅広の刃。しかし、金属では無い、透き通るような白色の刃。
「……青竜刀」
十流はとっさに隣の大陸で活躍したある歴史的英雄を思い浮かべる。
もはや龍宮が手にしているのは杖で無く槍である。
「あら、よくご存じね。だったらその威力、その身に味わってみなさい」
大きく振りかぶると、十流めがけてそれを振り落とす。
「くぅ!」
十流は飛び退き、足場の悪い鉄骨の上でたたらを踏みながら何とかバランスを取る。
「どうしたの? 剣士さん。この程度でもう駄目かしら?」
今度は突きを繰り出し、十流をだんだんと追い詰めていく。
(すごく扱いがうまい。でもこれぐらいで!)
今度は横凪の攻撃に十流は討牙で受け止めると、その杖を伝って間合いを詰める。
ギィィィィッン。
討牙の横滑りからの斬撃に、銀龍で受け止める。
「たああああ」
いつの間にか今度は薫が間合いを詰めて、龍宮を薙ぐ斬撃を飛ばすがそれはしゃがんで避けられてしまう。
左右に囲まれても龍宮は視線を交互に送るだけで物怖じせず、対峙する。
「おおお」
「たああ」
挟み撃ちの格好だが、鉄骨の上ということもあり足場は限られている。龍宮はそれを考慮してか二振りの斬撃を銀龍で受け止め、さらに優れた身体能力で躱していく。
十流と薫の攻撃もそれほど悪くはなかった。
だが、
(どうなってんだ? 今日はやけに息が合わない……。相手が退魔師だからか、それとも)
十流は確かな違和感を感じ取っていた。
白蛇との戦いは確かに息が合っていた。
縦横無尽に入れ替わり立ち替わりこれがパートナーアーツなのかと感心したが、今日のはそれを感じることができない。
二人同時に攻撃しているようで実際はムラがあるような気がしていた。
(俺が変に意識しているのか? 薫に合わせようとして)
十流は自分がそうと思っていないが実は体が反応して息が合っていないと考えていた。
龍宮を挟んだ薫の方を見れば特に変わった様子は無い。
むしろ鬼気迫るような気迫を受ける。
そうこうしているうちに龍宮は一瞬の隙をついて上空に飛び上がると薫の反対側に着地する。
「消えなさい」
龍の口から刃を消すと、杖を振りかざし、数十の炎弾を一瞬にして生み出す。
それらは十流と薫をめがけて飛ぶ。
「!」
二人はやむなく、鉄骨の山から降りて迫る炎弾を剣で弾き、時には避ける。
間合いが離れた隙に龍宮は銀龍を縦に構える。
「我は願う、天上の神よ、その荒ぶる姿我が前に……」
「まずい!」
薫は龍宮が発動させようとしている術式に戦慄し、急いで詠唱に入る。
「十流、こっちに」
十流を自分に呼び寄せると同時に遙か頭上に魔方陣が現れる。
「雷……か」
バチバチと魔法陣より力の余波が辺りの金属に伝わり至る所で電流が流れる。
「黒き雷雲よここに、雷よ敵を討て!」
身を震わすほどの音が響き、ぱっと、目の前が明るくなる。
バリリリィイィィィンン。
轟音が響き、数本の雷が十流と薫をめがけて飛んでくる。
(こんなの避けれる理由……)
焦る十流は無意識のうちに両腕で顔を隠す。
光と音の共演が止むと、埃がもうもうと立ちこめる様を龍宮は注意深く見守る。
「これで終わったとは思えないし、寸前で薫が術式を発動させたのも確認済み……。でもどうやって防ぐ……」
雷を召喚し相手に直撃させる術式、龍宮の持つ術式の中でも指折りの威力を持っている。
複数はもちろん、単体でもそうそう逃げることが容易ではない術式だが油断は出来ない。
埃が収まり、龍宮が目にしたのは土の壁、それが何層に渡って突き立っている。
「土の防御陣、なるほどそうやって防いだの」
敵ながらやはり薫と言うべきか、こちらが発動させようとしているものを瞬時に見分け、最適な防御方法をとった。
そして土の壁から二人が躍り出る。
「十流、打ち合わせ通りに」
「おう!」
薫の右手に魔力が宿り、炎を形成する。
「業火招来!」
薫から放たれた炎弾は十流のそれよりも大きい。
「いくら薫でも術で私に勝てるとでも……」
左手を突き出し、龍宮も炎弾で対抗しようとする。
「今よ!」
「業火将来!」
今度は十流が炎弾を放つ、が大きくなくても速度は薫のものよりもある。
「二つ合わせたところで……!」
龍宮は一瞬、不可解な情景を見る。
薫の炎弾はこっちにまっずく飛んでくるのに。十流のものはこちらの方角に来ていない。
むしろ、
「……くっ」
炎弾を放ったのは自分に直撃させるためではなかった。
(目くらまし!)
薫の炎弾に十流の炎弾がぶつかると空中で弾けて、熱気と熱風が龍宮に押し寄せる。
両手で顔を、そして口を押さえて防御する。
熱風が終わって視線を前方に向けると向かい来る人影が見える。
「はあああ」
「薫!」
またしても間合いを詰められ杖と剣が交差する。
「すごいな、薫の言う通りにできた」
二人は雷を防いでいる間に次の攻撃に関して簡単な打ち合わせを済ませていた。とにかく龍宮に近づくこと。そのための作戦が功を奏した形だった。
「よし、俺も……?」
言いかけてだが足が止まってしまう。
「薫?」
目の前に繰り広げられる戦いに十流は眉をひそめる。
お互い感情をむき出しにして戦っているがその光景に違和感を感じるのである。
いつもの薫ならそれはまるで踊りのような流れる剣捌きである。ところが今の薫はいつもとは違う力任せのような剣の振り方をしている。
必死な形相で剣を振る姿はいつもの薫とはほど遠かった。
(そう言えば、あいつ、防御している間、ずっと踞っていた。確か腹の辺りを押さえて……、まさか薫)
「このォ!」
「たあああっ」
龍宮の渾身の一撃を堪えきれず薫は弾かれるように飛ばされるが、
「おっと」
「あ……ありがとう」
地面に叩きつけられる寸前のところで十流が薫を支える。
ゆっくり身を起こそうとする薫を見て十流は驚く。
異常なまでの汗をかき、珍しく肩で息をするほどに荒い。
そしてふと見せた仕草に十流は確信する。
「薫……、お前、怪我しているだろ?」
龍宮には聞こえないようにそっと小声で話す。
十流の問いに薫も小声で返す。
「さすがは幼馴染み……、よくわかったわね……」
「さっきから脇腹のあたりを押さえているだろう? もしかして殴られて……」
「ええ、最初の至近距離からのパンチだったわ。何とも無いって思っていたのに、だんだんと痛みが増してきてる。骨とかヒビいってるわね」
痛みでつらいはずなのに顔だけは笑みを作って答える姿に十流は胸が痛む思いがする。
前兆はあった。
龍宮を挟んで攻撃しているとき、妙に呼吸が合わないと思っていた。そしていつもの流れる斬撃ではない力頼りの攻撃はもはや痛みで機敏に動くことが出来ない証拠でもあった。
(早く気付いていれば……)
だからといってこの戦いそのものを止められる訳がなかった。
龍宮は明らかに暴走している。
感情の赴くまま、怒りに任せて、その対象である自分たちを倒すまで止まらない。
「彼女は気付いているのか?」
「いいえ、でも時間の問題よ。いずれ気付かれる……」
「まずい状況か……」
目の前の鉄の山場に陣取る龍宮に視線を向ける。向こうは明らかに待ちに徹している。間合いが詰まってもその足場故に動きに制約がある。龍宮の杖は槍のようにも使えるしあのリーチである。間合いが離れれば強烈な術式で攻撃する。
まさに必勝の立ち位置に彼女はいる。
十流の生唾を飲み込む音が薫にも聞こえた。
「そんなに深刻な顔をしないの? 龍宮は確かに有利な立場だけど、何だかんだ言って私達二人を相手にするには苦労しているみたい。特に十流の攻撃だけは受けたくないみたい」
「えっ……、それってどういう意味……?」
「十流の一撃は重いのよ。何度か十流の剣を受け止めているけどだんだん渋い顔になってきてる。それに毎日、鍛錬に付き合ってる私が言うのよ。本気の戦いになって十流の攻撃を何度も受けきる自信は無いわ」
「今、褒められても嬉しく無いけどな……」
「ふふっ、それもそうね」
薫は懸命に十流がネガティブにならないように気を遣っていた。もちろん一撃の重み云々は本当のことだが、おそらくこの戦いは十流がカギになると考えていた。
(いつまで話しているのかしら?)
龍宮は二人が密着し話し込んでいる姿を不快な気持ちで眺めていた。
(さすがに薫はやっかいだわ。経験もあるし、それに対処方法まで適切、一筋縄では行かないと思っていたけど……)
今だ眼光衰えない薫を見てから、隣に立つ赤い眼の少年に目を向ける。
(それにしても驚きは天宮十流だわ。確かに動きは素人だし、術式もまだまだ……。でも剣の攻撃は明らかに強い)
銀龍を掴む右手が小刻みに震えている。
(だんだんと痺れが強くなっている。あと何回、あの男の攻撃を受けられるか。母親が剣道の市内大会で優勝でしたっけ。息子ならその手ほどきを受けていても不思議ではありませんわね)
状況は有利でも楽観視は出来なかった。また挟み撃ちをされ、不覚にも銀龍を落としたら一気にこちらが窮地に立たされる。杖は術式発動には欠かせない道具でもある。もちろん杖が無くとも規模の小さい術式は操れるが接近されたらそこで終わりである。
(戦いを長引かせるわけにはいかないわ。ならば……)
龍宮は小さく呟き、魔力を杖に集中させていく。
「おそらく龍宮は短期決戦に持ち込む気よ。それを可能にする奥の手を彼女は持ってる」
「奥の手ね」
あの雷撃の術式を十流は思い出す。薫がいなければ避けるどころか黒焦げになっていたのは確実だったからである。
「だから次の作戦はこうよ。……」
薫は十流に耳打ちして作戦を伝える。
「本気でやるのか。それじゃあ薫が危険だ」
「私は平気よ。それよりも私は十流が心配。まるで囮に使うみたいでさ」
自分で考えた作戦のはずなのに言ったそばから後悔の念が溢れてくる。
視線を落とす薫に十流は頭に、ぽんと手を置く。
「ば〜か。これは立派な戦術だろ。龍宮さんを止めるための戦術だ。だったら俺はやるよ」
自分でも嫌になるほど悪い状況しか頭に思い浮かばない。でもこれ以上は、薫の傷を重くするだけである。これで終わらせる事が出来るのなら、十流は自分を奮い立たせる。
「わかったわ。後は任せる」
「任された」
薫はその場にしゃがみ込み、十流は薫の前に立って剣を構える。
「いくぞ!」
気合いと共に十流だけ駆け出していく。
「一人だけ? 薫は何を……」
薫は片足をついてしゃがんだままぴくりとも動かない。
(まさか大規模な術式? ならば予定通りこちらもアレで片を付ける)
「うおおお」
迫る十流の斬撃を寸前に杖で受け止める。
(ぐうぅぅ……)
奥歯を噛みしめるほどに重く、痺れるほどに痛い。
だが杖を離す訳にいかなかった。
先程のように刃を出して応戦するわけにもいかない龍宮は銀龍で十流の攻撃を受け止める。 他の部分に集中しているためか動きが散漫になり、浅い切り傷を受けていた。何度目かの鍔迫り合いの中、龍宮はふと薫へと視線を向けるが、動く気配は無い。
(何を考えているのかしら? タイミングを見計らっているのか。でもそんな時間は与えない)
「本当に邪魔よ!」
「ぐうう」
十流を横薙ぎの一撃で鉄骨から落とすとさらに、
「吹き飛べ!」
「なっ」
体勢を立て直す前に風の術式でさらに間合いを開ける。
自分と十流、そして薫の位置を確認して、今こそ勝機だと確信する。
杖の頂を十流と薫に向けると、龍の模型は口を大きく開き、光が集まっていく。
「銀の閃光――!」
轟音を響かせて光の奔流が二人を包み込む。
射線上にいるもの全てを吹き飛ばし、光は建物を軽々と貫通していく。
「はあ……はあ……」
光が止んだ後、龍宮はがっくりと膝を折る。
龍宮最大の奥の手――銀の閃光は、横方向に向けて放たれるもので威力、速度も申し分無いものである。だがそう乱発ができない代物だが当たれば一撃必殺となる。
ガラガラと金属が転がる音が、舞い上がる塵芥が、威力のすさまじさを物語っている。
龍宮は立ち上がると、すこし寂しげな顔をして一人呟く。
「これで証明された……。私は勝ったのよ、そう勝った、それだけで……」
次の言葉が出なかった。
出そうとして目の前の光景に驚く。
土埃が止む中、それは姿を現す。
片膝をつき、剣を縦に構え、紅い眼をこちらにむける一人の少年の姿。
「天宮……十流……、何故?」
震える声に十流は返答しない。ただじっと龍宮を見据えている。
「防いだ、いいえ、避けたというの? 銀の閃光を? ありえない……」
当たったと思った。避けようもない絶妙のタイミングで放ったのに、防いだのならまだ納得がいく。だが無傷でしかも避けられたことにひどく狼狽する。
「貴方は一体……?」
十流の得体の知れない力にただ驚くばかりである。
(危ねえ〜、間一髪だよ)
心臓が未だにドキドキと脈打っていた。
(『止まる景色』が発動しなかったら、今頃、建物の向こう側まで吹き飛ばされていたな)
『止まる景色』――十流が紅い眼になっているときに発動されるもので、見えるもの全てがスローになる。だが自分の意思で自由に発動できないし、強いて言うならば危機的状況にならなければ発動しないことがわかっている。
今回も龍宮からの光の奔流が見える寸前に、『止まる景色』が発動し、絶対に回避出来ないところを何とか避ける事が出来た。
すっと立ち上がり、建物を貫通したその奥の手とやらの威力のすさまじさを改めて目の当たりにする。
床をえぐり、穴を開け、煙が消えた後、外の景色が見えるようになる。
だがそこには十流の後ろにいたはずの少女の姿が無い。
そのことに龍宮も気づく。
「薫は……? まさか吹き飛んで――、うん?」
龍宮は薫がしゃがんでいたであろうその場にある不自然なものに目を見張る。
「水溜まり……、そんなもの無かったはず」
水の術式など使った覚えは無い。ならば薫が何かの術式を使った後と言える。
「まさか!」
「つかまえた!」
自分の驚きの声と重なるように、陽気な声が自分のすぐ左側から聞こえてくる。
不意に銀龍を掴まれ、次に目をしたのは、獰猛な笑いを浮かべる薫の姿だった。
「分身? いつの間に?」
「しゃがんだ後すぐにね。それからあんたが十流と戦っている間になるべく気配を殺して近づいたってわけ」
起きた事、そして今の状況を整理することが出来なく頭は混乱していた。
杖を奪われまいと両手で握りしめていたがそれでも薫は決して離さない。
それが間違いの元だった。
薫の右手はぎゅっと握りしめられていく。
「歯を食い縛りなさい……」
「――」
薫は忠告の後、龍宮の顔面を殴っていた。
龍宮は声も上げられず、鉄骨の山から落ち、殴られた衝撃に何度も地面に叩きつけられ、やがて静止する。
その光景に十流は息を呑む。
「グーで殴りやがったよ、あいつ……」
半ば呆れ、半ば驚きで十流は薫の元へと歩いて近づいていく。
薫も脇腹を押さえながら、鉄骨の山を下り、おぼつかない足取りで十流と合流する。
「いくらなんでも殴るとは。しかも顔を……」
「これでも手加減したつもり。ちょうど良い薬よ」
鼻息荒い薫は全く動かない龍宮を見る。
新たに術式は発動させるような行動も見せない。だがこれで終わったとも言えない。
十流も討牙を鞘に収めずに龍宮の出方を待つ。
やがてピクリと手が動き、上体を起こし、立ち上がる。乱れきった髪が顔を隠しその表情は見て取れない。
「少しは頭が冷えたでしょ。これ以上やるっていうならとことん容赦しないわ」
薫は精一杯の虚勢を張った。もうすでに脇腹の痛みは激しさを増しており、立っているのがやっとという状態だった。これで向こうが退いてくれたらという打算が働いていた。
ややの沈黙を破り、龍宮が口を開く。
「……薫の言う通り、少しは頭に昇った血が冷めたわ。ありがとう……」
意気消沈したような発言に薫は胸を撫で下ろす。
やっと終わったと。
だが十流だけはそう思わなかった。
想いを見る眼は激流から静かな清流へと変わっている様子を写していた。だがこれは嵐の静けさであった。
「な・ん・て! 言うと思ってんのかあ!」
顔を上げ、叫んだ顔は歯をむき出し、目は狂気で染まっている。
「あああっ――、どいつもこいつも私を馬鹿にしてぇえ」
突然の豹変に十流は顔を引きつらせ、薫は呆気に取られる。
「なっ、何いきなりヒステリックになっているのよ。元は言えばあんたが――」
ビリィィィィィリ。
「!」
薫の忠告を無視するように龍宮は自分の左袖を破っていた。
肩から先、色白の腕が姿を現す。
次に右手をポケットに入れると中から小さなケースを取り出し、さらに中にある細いガラス棒を掴む。先は極小に細く、ガラス棒の中には液体が混ざっている。
「おいおい、何するつもりだよ」
腕を晒し、さらに注射器のようなものまで持ち出して、十流は嫌な予感が頭をよぎる。
「止めなさい! とにかく止めるのよ」
薫も危険な事をしようとしていると予想して止めようとする。
驚き慌てる二人の様子を満足げに眺める龍宮はもちろん止める気は無い。
「これが何かわかる? これはお母様が特別に作って下さったもの。これを使うと魔力を何倍にもハネ上げることができる」
右手をゆっくりと挙げ、手にしたガラス棒を左腕に突き刺す。
「ははっ、これであなた達を倒せる。誰も私には勝てないのよ」
左腕からは一筋の血が伝ってっぽとりと地面に落ちる。
ドクゥン
「はっ?」
「えっ?」
事態を見守るしかなかった十流と薫はここで我に返った。
ドクウン。
また耳に響く音が鳴る。それはどこかで聞いたことのある音だった。
人間誰しもが持っている音と似ていた。
「心臓の音?」
「龍……宮……」
ドクン、ドクン。
脈打つ音は次第に間隔が短くなり、大きくなっていく。
「な……、これは一体……?」
苦しそうに胸の辺りを押さえる龍宮に動揺が広がる。
「違う……私はこんな事……望んで……、違う、違う!」
支離滅裂な言葉を並べ、後ずさりしながら頭を抱える。
ドゥウウクン。
「うわああああああああ――」
絶叫が建物全体を震わせる。
「龍宮! 何が起こっているの!」
薫の言葉に返すものはいない。
「髪が……、変わっていく。銀いや白か……」
背中を反らせ叫び続ける龍宮の髪が銀色から白へと変色していった。さらにむき出しの腕は肌色から灰色へと変わっていく。
「――あ――ああ、はあああ」
声が止むと同時に、反らした顔をこちらに見せる。それはもはや異形の姿だった。
頭を押さえていた手の爪はかぎ爪のごとく伸び、開けられた口からは犬歯が突き出し、目の色は黄色に変わっている。
「がああああああああっ」
十流と薫が龍宮の変貌に呆然としている中、雄叫びを上げて龍宮は二人へと突っ込んでくる。
「くっ――」
怪我をした薫を守ろうと十流も駆け出す。
(何がどうなっているんだ?)
状況が飲み込めないまま踏み込んだがそれが一手の遅れとなる。
「ぶっ」
龍宮の手が十流の顔面をつかむと、力任せに十流を押し倒し、地面に叩きつける。
「十流!」
薫の叫びに反応したのは龍宮だった。
「うわあああ――」
次なる標的に向かって龍宮は駆け出す。
「はあああ」
桜花に横薙ぎの一閃を放つ。
ガッッッッ。
「素手で?」
桜花による一撃を龍宮は左の腕を盾にするように出すと、それだけで剣を止めてしまう。
「そんな馬鹿な……、ぐぅ、がはっ」
脇腹に龍宮の蹴りをもろに喰らい、薫は壁際まで吹き飛ばされる。
「ぐぅう……うう」
激痛が体全体を支配し、震える腕で上体を支えつつ、龍宮がこちらに止めを射そうと疾走してくる情景をただ見ていた。
「立たなきゃ……」
だが危機に対して体がもうように動かない。
もう駄目だと思った瞬間、
「うおおおお」
龍宮の後方から十流の横蹴りが当たる。
不意の蹴りは龍宮と薫の距離を離すには十分過ぎるほどの威力だった。
向かうべき標的と離される形で龍宮は吹っ飛ばされる。
「大丈夫か……、薫」
立ち上がることが出来ずにいる薫を心配して十流が駆け寄る。
苦しそうに息を吐き、言葉も絶え絶えに応える。
「大丈夫……とは言えないわね。止めを刺されたわ……。もうまともに戦えない……」
右手をずっと脇腹に添え苦痛に歪んだ顔をしている。
見るのがつらくなり十流は顔を背ける。
「そんな顔をしないで……。治癒の術式を使えば直るわ。でもその前に龍宮を何とかしないと」
当の龍宮は立ち上がると向かってくるわけではなく、ただ叫んでいた。
その姿に十流は、
「泣いている……」
口を大きく開けて叫ぶ姿は一匹の獣に近かった。叫ぶ声は遠吠えのようでもあった。
「――オオオッ」
「確かに泣いてるわね」
薫も同意する。宿敵の変わりように最初は驚いたが今成すべき事ははっきりしている。
彼女を止めること。
十流は薫の前に立ちふさがるように構える。
「薫……」
「わかってる。でも私もどうして良いかわからない。あれが龍宮の言う魔力を上げるために変身した姿にしろ、自分でも予期していない姿にしろ、解除する方法なんて思いつかない。こうなったら乱暴だけど叩いて黙らせるしかない」
「なら俺がやるしかないな。薫はそのままじっとしていてくれ」
討牙を握り直し駆けようとすると、
「ちょっと待ってよ。私も戦うわよ」
体を起こし薫は片膝をつく姿勢になる。その様を見て十流は慌てる。
「まてまて。どう考えてもお前は重傷だろ。無理するな」
咎めるように言う十流に薫は静かに語る。
「『私の心よ彼方に届け。
彼方の心よ私の元へ。
心震わせ、通じ合い、彼方と共に闇を断つ』
私のパートナーは十流よ。十流が戦おうとしているのに私だけ休んでいる訳にはいかない。剣が振るえなくても術式で十流をサポートできる」
「しかし」
「散々、殴られたし、今でも正直、怒ってる。でも今の龍宮を止めたい、助けたいって気持ちも本当だから……。一緒に戦わせて……」
懇願するように薫は十流の顔を見つめる。瞼を閉じて十流は考えた。
「それも共闘戦術――パートナーアーツなのか?」
「そうかもね。想いを一つにして戦う。私の想いを十流に預けるわ」
薫の言葉に十流は小さく頷く。
「わかった。止めよう、龍宮さんを」
「ええ」
不思議な感覚だった。
おもいっきり地面に背中をぶつけて痛かったはずなのに、それが薄らいでいるような気がした。
(最悪、逃げることも考えていたのになあ……)
平泉を救出した時点で無理に戦わずに逃げる一手もあった。だけど怪我をしているにもかかわらず、戦い、こっちの心配を打ち消すように無理矢理に笑顔を作ったりしてくれた。
(それなのに逃げる? そんなことできるわけないだろう!)
痛々しい姿になっても一緒に戦うと言ってくれた幼馴染み、自業自得かもしれないが今や我を忘れて猛獣のごとき泣き続ける女の子を前に、何とかしなければ、いや絶対に何とかする、という想いが込み上げてくる。
(想いを一つに)
十流の紅い眼は一層輝き、正面で雄叫びを上げる龍宮を見据える。
「いくぞ!」
気合いと共に十流は駆け出す。
自分に駆けてくる十流を見るなり龍宮も向かい打つべく体勢を整える。
「おおお――」
「がああああああっ」
剣と腕が交差し激突する。龍宮はその長いかぎ爪を器用に使い、十流を串刺しにしようとするが、それをステップを使って避けると、横薙ぎの一閃を放つ。
だがそれを残った片手で止められる。
龍宮の身体能力は変貌しても変わらない。加えて防御力も増している。闇雲に攻撃しても避けられてしまう。
十流は最大の一撃を放つために力を溜めていた。
その時がくるまで。
ビリリィィィィ。
「ぐぅ……」
龍宮のかぎ爪が十流の腕に一筋の紅い線を作る。鮮血が滴り落ちるがそんなことはもう気にしてはいられない。
「まだ振れる」
柄を握る力が落ちていないことを確認して、十流は龍宮と肉薄する。
(龍宮さん……)
最初に出会ったときは薫とは違う、高貴な振る舞いに驚きも珍しくも思った。そして突然、始まった薫との口喧嘩。自分と喧嘩するときとはまた違った女の子同士の喧嘩に萎縮してしまった。罠にはまった形だが、恐らくは初めてであろう薫以外の女の子とお茶会。今でも忘れられない香水の臭い、そして妖しくも綺麗な瞳、別れ際の叫び。そして怒りと、変貌してしまった龍宮の姿。
(どうしてこんな事に……)
入れ替わり立ち替わりしながら十流は龍宮の姿をじっと追いかけていた。
絶好の機会を探ると同時に十流の眼は龍宮の心根を映していた。
もはや洪水と化したそれは見るに堪えないものだったが十流は眼を閉じないでずっと見続けていた。
(その先を超えるんだ。心の境界を超える、龍宮さんの本当の想いを知るために)
十流の眼は人の想いを見る事が出来る。感じるとも言える、雰囲気とも言えるものを感知して十流は言葉に置き換えている。だが龍宮から見えるものは風景だった。黒い殻の先、水が渦を巻き辺りに叩きつけるように暴れている。
十流はその先、もっと先を見るように、飛び越えるように龍宮の想いの深層に入っていく。
(いけ! このままあ!)
渦の先、急に視界が開けた先に見えてきたのは一匹の闇喰い。それを炎弾が焼き尽くす風景だった。
(あれ、これは……、龍宮さんの視点か? 右手には銀龍が握られている)
十流は見覚えるのある杖が視界の端にあることを確認し、また自分の意思に関係なく動く情景に、風景だけでは無い、相手の視点に立っていることに驚く。
またしても現れる闇喰いを今度は一刀のもとに切り伏せられる。
視線が動いて闇喰いを倒した人物を映し出す。
流れる金髪を掻き上げ、こちらへと近づいてくる人物こそ、
(薫……)
現在とは違う、幼さが残る薫の姿。それはこちらに向かって何かを叫んでいた。目をつり上げ、指さししている姿は注意をしている風でもあった。
(これは何だろう? 嫌な気持ちじゃあ無い。望んでいる、そうだ何かを欲している気持ち。じっと見ているもの……、もしかして)
十流は龍宮が欲しているものに気がついた。いままでの言動や行動、行きすぎた感はあるがそれは誰しもが抱くものだった。
幾度かの激突で十流と龍宮は剣と腕を絡ませながら止まっていた。
十流の眼は化け物となりつつある龍宮の黄色の目を見ていた。
「龍宮さん、あなたは……」
言いかけて、ある事に気付く。
龍宮の口が小さく動いていた。
『タ……ス……ケ……テ……』
声を発しなくても十流はそう読み取る。十流は退魔師になる前、闇喰いに襲われた人々の事を思い出す。見ず知らずの女性がこちらに向かって声にならないが叫んでいた。
『助けてくれ』と。
十流はその女性と龍宮が被さって見えた。
「わかってる。絶対に助ける」
想いを乗せた斬撃は次第に龍宮を怯ませていく。
龍宮は大きく後ろに飛ぶと一瞬、溜めを作り加速をつけて十流に迫る。
そこへ、
パシュ、パシュ、パシュ。
「!」
龍宮と十流の間に水の錐が立ち上る。だがそれは龍宮を狙ったものでは無かった。十流の後ろに陣取った薫が放つ水の術式は龍宮の勢いを削ぎ、隙をする作るためのものだった。
「十流! いまよ」
薫の声に呼応するように十流は一気に駆け出す。
水の錐が止んだ先、立ちすくむ龍宮に向かって横薙ぎの一撃が放たれる。
「これで――」
ガッっと腹に峰打ちを叩き込んだはずだった。
「グウウウゥゥ」
唸るような声を上げる龍宮は十流を凄まじい形相で睨み付ける。
「なっ、そんな……」
振り抜くつもりだった討牙は止まったまま、びくともしない。
剣の振りも、踏み込みも完璧だったはずだが、最後の最後に十流は力を加減してしまった。
「ガアアアアア」
龍宮は十流の腹に手を添えると風が巻き起こり十流を吹き飛ばしてしまう。
「しま――」
為す術も無く後方へと飛ばされる十流だが、
「ぐう、あああっ」
十流の後方に位置していた薫が受け止める。骨が軋むような音が聞こえたが薫は意に返さない。
「薫、お前なんて無茶を……」
十流の抗議を無視し、両手から術式を発動させる。十流の体を押し上げるように風が生まれ、二人の髪を揺らす。
「十流……、私はあなたを信じてる。だからお願い。龍宮を救って……」
もう言葉はいらなかった。
十流は紅い相貌を龍宮に向ける。
風が溜まり爆発する。
『いけ――』
風にうまく乗り十流は加速度的に龍宮へと迫る。
龍宮もそれを迎撃するべく向かってくる。
「一閃!」
二人の体が重なり、討牙の渾身の一撃は龍宮を薙ぐ。
「ウ……オオオ」
天を仰ぎ、たたらを踏むと、龍宮はぱたりとその場に倒れた。白髪が灰色に、元の肌色へと変わっていく。瞼を閉じ、眠るように彼女は倒れ伏していた。
十流は討牙を鞘に収め、薫はゆっくりとした足取りでお腹を押さえつつ、龍宮に歩み寄る。
「止まったみたいだな」
「ええ」
十流は静かに呼吸する龍宮に安堵し、そしてこれからどうするのかと薫に訊く。
「当然、捕まえるわよ。今回、龍宮がしたことはれっきとした犯罪よ。ちゃんと裁判を受けて貰う」
「裁判?」
「そうよ。退魔師になって罪を犯せば年齢に関係なく裁判を受けることになる。もちろん世間に公表されないけど、それでも罪は罪よ。この事は龍宮だって重々わかっているはず」
語気を強める薫に十流は悩むような顔をする。
「なあ、薫……」
「何?」
「今回の事、水に流せないかな」
十流からの思いも寄らない提案に眉が上がる。
「何を言ってるの? 龍宮は一般人の鏡香をさらって、人質にしたのよ。どんな理由があっても――」
「その理由が薫にあったとしたら?」
「えっ?」
薫は驚いた。
確かに家という間柄でのいさかいがあることは分かっていた。だが今回の騒動で明らかに非があるのは龍宮ではないのか。
そして十流がこんな場面で冗談を言うとは思っていない。
核心を知るために尋ねる。
「何故、私が理由になるの?」
怒っているわけではないがそれでも語気が強くなる。
「別に薫のせいとは言っていない。ただ龍宮さんの行動には薫の存在があったことは確かなんだ」
「私の存在?」
「昨日、龍宮さんと話をしたんだけど、その中で俺は龍宮さんと薫は違うって言ったんだ。そうしたら血相を変えてこう言ったんだ。『私と薫は一緒』だってね。俺はそれを聞いて変だと思った。あれだけ毛嫌いしているんだから薫と同じより違うほうが良いはずなのに龍宮さんはそれを否定した」
「……」
「それともう一つ、さっき俺と薫が戦う前に言い合いをしていただろう? その時、ふと彼女の顔を見たんだ。そうしたらものすごく寂しそうな顔をしていた。まるで仲間はずれにされた子供のような、輪の中に入れなくてもどかしい想いを抱いた顔をしていた」
そして十流は戦いの最中に見た龍宮の想いを薫に告げようと思った。だが想いを見たからとは言えない。自分でもこの人の想いを見る眼については知らない部分が多すぎる。
今まで見てきた客観的なものとしてその想いを伝える。
「これは俺の考えだけど龍宮さんは薫と友達になりたかったんじゃあないかな。友達とは言わなくても例えば今の俺と薫のように一緒に戦えればと考えていたと思う」
「龍宮が私と友達に……?」
薫にはとても考えられなかった。龍宮がまさか自分と友達になりたいと一緒に戦いたいと思っていたことなど。普段の彼女の態度からそれらを読み取る事が出来ない。
「でもだからと言って龍宮がやったことは……」
それ以上の言葉が出なかった。
本当は許せないはずなのに、十流の言葉に動揺が走る。
(私だって本当は龍宮と友達になりたかった……)
会えば喧嘩ばかり、ひょんなことで力を合わせて闇喰いと戦えば、お互いのあげ足取り。相手を見下し、自分が上だとばかりの口調に呆れることもあった。それでも同い年で自分と異なる術士、腕前は確かなもの。自分に無いものを持っていて惹かれる部分も多々ある。
(だけど龍宮だってそんな素振りは見せなかった。ううん、見せようとしてなかったはず……)
沈黙を続ける薫に十流は口を開く。
「龍宮さんの性格を考えれば素直に、友達になって、という言葉は使わなかったと思う。もっと遠回しに薫に言わなかったか?」
「……」
十流の言う通り、友達になってくれ、何て言葉は龍宮が言うはずもない。でもそれに変わるような言葉を聞いた気がした。
「……あっ」
確かに聞いていた。でもそれは本当に気がつかない、遠回しで、やはり自分を見下すような言葉だった。
(たしか――『私と組まない』、だと思う。闇喰いを二人で倒したときに、その言葉を言われた。それが龍宮にとって私と友達になって欲しいという意思表示だったっていうの? だとしたら私は……)
乱暴な言い方だったかもしれない。しかし龍宮が、他人の力に頼ろうとしなかった彼女が発した言葉は本当は勇気を振り絞って言ったものなのかもしれない。
でもそれを自分は拒否した。
薫は深い悔恨の念を抱く。
「薫。龍宮さんのしたこと、許せない気持ちもわかる。でも彼女が暴走したのも、俺が龍宮さんの気持ちも知らずに逆なでするようなことを言ったことが原因なのかもしれない。だから彼女ばかりは責められない。その……俺も彼女の罪を……」
薫は目を閉じ、大きく息を吐く。
「わかったわよ。今回だけは許してあげる。だけど今後、私や十流、周りの人にも危害を加えないって約束してくれるならだけど……」
「わかった。それでいい」
十流は今だ目を開けない龍宮へと視線を向ける。自分たちと同じように傷つき、服もボロボロになった彼女の想いを薫に伝えることができて安堵する。
だがそれを薫がどのように捕らえ受け止めてくれたかまではわからない。たた喧嘩してお互いの気持ちがすれ違いになるのだけは嫌だった。
「さあ、とりあえずは現実世界に戻るわよ」
薫が上空に術式を展開させるとそれはゆっくりと三人を包み込み元の世界――現実世界へと繋げていく。
龍宮奏は退魔師の名家――龍宮家の娘でありながら特異な存在だった。
今ある自分の立場に疑問を持ち、本当に正しいのか自問自答を続けていた。
しかし、周りの環境はそんな自分の思いとは裏腹に、あるべき龍宮家の人間という存在を欲し、それを教育という名で押しつけてきた。
龍宮奏も最初の内は反抗の意思を見せたが、次第に慣らされ感覚が麻痺してしまい、皆が望む龍宮家の仮面を被り演じていた。
そんな折に出会った戦場に咲く一輪の花――姫川 薫という存在。
どこまでも美しく、凜々しく、靡く金髪、煌めく剣技、初めて見た息を飲む光景。
自分と同じような名家に生まれ、同じような重責を担っている、そう何もかもが自分と瓜二つの存在が姫川薫だった。
周りにいるお付きの者達とは違う親近感のようなものが沸いた。
そしてことある毎に彼女に声をかけた。
他人との接し方が分からない自分はつい、いつものように高慢な態度に出てしまい、逆に彼女を怒らせてしまった。その怒りをなだめる手段を知らないために、さらに火を付けるように言葉をかける。そしていつしか喧嘩になってしまう。
でも嫌な気持ちにはならなかった。
彼女がどう思っているかわからないが、喧嘩をすることで彼女との接点が生まれたような気がした。
年月が経ち、ある想いが芽生える。
友達になって欲しい――と。
龍宮家と姫川家という相反する家の生まれ、それが叶うことはないとは思った。でも自分と薫が友達になれば、深い因縁を超えて両家が手を取り合うなどという淡い夢を抱いた。
そしてその想いをようやく口にする。
『私と組まない?』
我ながらなんて言い方なのだろうと思った。もっと良い言い方、素直に言えば良かったと今でも後悔している。
それに対する薫の答えはこうだった。
『私は一人で戦える』
自分自身が恥ずかしくなった。薫に断られたこともショックだったがそれ以上にどこまでも強くあろうとする薫に感銘を受けた。安易に薫と仲間になろうとした自分を恥じ、呪った。
それから自分は退魔師としての実力を上げるために、ひたすらに鍛錬に打ち込んだ。そして多くの闇喰いを倒していった。いつの日か薫に並べるように、薫と同じくらい強くなったら今度こそ素直に言おうと思った。
ほどなくして薫が東京に行った事を知る。
でもそれ自体は大して驚かなかった。これも薫自身が己を強くするための一貫なのだと思った。ところが薫は東京に行くなり、パートナーを見つけ、一緒に戦っていると聞かされた。
信じられなかった。
あの薫が、誰よりも強い彼女がよりによってパートナーを組んで戦っている。
わからなくなった。
自分の知る薫は気高く、誰よりも強くあろうとしたはず。自分が目指したもののはずなのに。
なのに、あなたは……。
暗い闇の中にずっと居たような気がした。
もがき、苦しみを叫び続けた。
ふと光が射したような気がして、うっすらと目を開けた。
最初に目に飛び込んできたのは、まだ完成していない建物の天井、横に視線をずらすと誰かの足が見えた。
「龍宮、起きた?」
聞き慣れた声に龍宮は目を向ける。
「薫……、うぐっ」
反射的に体を起こそうとすると激痛が全身に走る。痛みを堪えて大きく息を吐く。
「今は動かない方が良いわよ。お互いボロボロだし、私も限界だしね……」
髪は金髪から元のブラウンへと戻り、愛刀――桜花はすでに虚空へとしまい、帯刀していない。脇腹に受けた怪我が思った以上に重く今は横たわる龍宮を見下ろすことしかできない。
ちなみに先程まで傍らにいた十流は救出した鏡香の様子を見にいってここにはいない。
「私は一体、何を……」
十流と薫から思わぬ反撃を受け、逆上して、母・龍宮詩織から貰った魔力を増幅させる薬を使い、そこからの記憶が無かった。
暗闇の中、泣き叫ぶ姿が脳裏を過ぎる。ただ何故、泣いていたのか、あんな場所に居たのか、悪い夢でも見ていたような感覚しか残っていなかった。
「覚えていないの? あなたはこれを使って暴走したのよ」
薫はしゃがむとガラス棒――龍宮が魔力を増幅するために使った道具をそっと龍宮に渡す。
「どういう原理か知らないけど、もう二度と使わない方が良いわ」
諭すように言われて龍宮は目を閉じる。
「……わかった」
薫も驚くほど、素直な返答だった。
本当はこの後、二言三言、文句を言うつもりだったがその気すら失せてしまった。
視線を逸らし、一巡した後、薫は決心したように龍宮に訊く。
「何故、こんなことしたの?」
さぞや怒っているのだろうと龍宮は目を開けて薫を見ると、そこには自分を悲しい目で見る一人の少女がいた。かすかに潤み、哀れみの表情でこちらを見ているその姿が痛々しく胸に響くものがあった。
「龍宮が私を毛嫌いしているのは知っていた。でもこんなことする娘とは思わなかった。私はそこまであなたに恨まれていたの?」
薫は平泉を人質に取られている間、殴られていた時の龍宮の狂気に満ちた顔が忘れられなかった。
戦いの後、十流が言った――龍宮さんは薫と友達になりたかった――、それが信じられなかった。昔はそういう気持ちがあったのかもしれない。でも今の龍宮からは感じられなかった。
問われた龍宮は暫く考え、やがてゆっくりとした口調で答える。
「恨んでなんかいないわ。ただ……」
「ただ……?」
「私は薫のことがわからなくなった。初めて会った、あなたはとても強く、美しかった。私の憧れだった。そんな薫に近づきたくて、薫のように強くなりたくて、私はあなたを目標にしていた。あなたは覚えていないかもしれないけど一度だけ私は、あなたを誘った。一緒に組まないか――と……」
(ううん、覚えている。そして断ったことも……)
「あなたは一人で戦えると言った。それなのに、あなたは東京に行ってパートナーを見つけて一緒に戦っている。どうして? 一人で戦えるんじゃあないの? どうして天宮十流なの? どうして……」
嗚咽を漏らしながら、溜まっていた想いを吐き出していた。誤魔化しも取り繕う必要も無い、本当の想いが自然と出ていた。
龍宮の言葉に薫は胸が締め付けれるような気がした。
この娘は今まで見せたことの無い、本当の自分を見せている。
高慢で、高飛車で、喧嘩ばかりしていた龍宮ではない。
薫はふう、と大きく息を吐くと、龍宮に背中を見せるようにその場にしゃがんだ。
「ねえ、龍宮……。私はね、龍宮が思っているように強くないのよ……」
向けられる優しい口調とその内容に目を見開いて龍宮は薫を見る。
「本当の私は戦う前から、戦っている最中も、戦った後も、怖くて膝が震えていて、部屋で一人で泣くほどの弱い女の子なのよ。あなたは私の事、憧れていたって言っていたけど、逆に私が龍宮に憧れていたの」
初めて十流以外の人間に弱い自分をさらけ出していた。
恥ずかしいという気持ちはあっても後悔は無い。龍宮が本音を話してくれたその反動ではないが、自分も本当の自分を見せないといけないと思った。
「あなたは、同年代でおそらくは最高の術士だし、私なんかより戦いの場では落ち着いていて、大人達に的確な指示を出したりして、見ていてこれが龍宮家の跡取りって感じがした。私なんか自分の事で精一杯、上手に指示出したり出来ないし、何より怖いのを隠して戦っている方が良いから、私は上に立つ人間じゃあ無いなって思ってる」
流れるブラウン色の髪を見ながら龍宮は静かに薫の背中を見続けていた。
普段の自分なら薫の言うことを真に受けたりはしないだろう。今は不思議と薫の言葉を受け入れることが出来る。
「だからもっと自分自身強くならないと、そう思ったの。もうそれこそ意地だった。姫川家とか龍宮家とかそんなの関係ない。ただ同い年の女の子に負けたくないと思ったの。だから……」
「……?」
「だから私はあなたの誘いを断った。本当はね、嬉しかったの。心強いって思った。でもそれだといつまでも私は龍宮に頼り切りになると思った。強くなりたいのにあなたに頼ってたら強くなれない。だから断ったの……」
何故、あの頃はあんなに意地になっていたのだろう。
春から十流と鍛錬を積むようになって一緒に強くなることを知った。
今ならわかることも昔の自分が理解できなかったことに薫は後悔していた。
「……そうだったの」
龍宮はようやくそれだけを返した。
薫の気持ちは自分にもわかるような気がした。自分も薫にだけは負けたくないと昔も今も思っている。それは薫の言うような純粋なライバル心からくるものであり、龍宮にとっても家同士の争いなど眼中になかった。
だからもし、薫の方から誘いをかけてきたら、あの頃の自分は受け入れただろうか。
嬉しい反面、やはり断っていたのではなかろうか。
責める気はもう無い。でも一つだけ気になることがある。
「ならどうして東京に来てパートナーを作ったの? どうして天宮十流なの?」
先程と同じ質問だが語気は弱い。
恐らくは一番の疑問にも薫は答えることにする。
「東京に来ても本当は一人で戦うつもりだった。十流とは小さい頃から会ってないし、私が退魔師ということも知らなかった。でもまさか同じ学校になるとは思っていなかったし、十流が魔力を発現させているなんて思いも寄らなかった」
薫の口調にほんの少し嬉しさが混じっているのを感じて龍宮はむすっとした顔になる。
「一人で戦うって気持ちが揺らいだ。それにやっぱり一人はつらかったから。京都にいた頃もつらくて寂しかったから。そして十流に全てを話した。自分が退魔師であることも闇喰いのことも、それで十流がどう選択しても良かった」
だが本心は一緒に戦って欲しかった。普通の子に育てるという刹那の想いも知っていたが、幼い頃の約束――十流と一緒に戦う夢――、それを支えにして薫はずっと戦い続けてきた。
「結果的に十流は退魔師になることを選んでくれた。だから私は十流をパートナーにしたの。ずっと前から決めていたから……。私のパートナーになれる人は十流しかいないって思っていたから……」
「幼馴染みだから?」
龍宮の問いにびっくりして肩越しに彼女の顔を見る。埃まみれの顔と寂しさを滲ませた瞳はまっすぐ自分に向けられる。
十流にすら言っていない、パートナーにした本当の理由を龍宮に吐露する。
「幼馴染みというのも確かにあるわ。でもね、私が十流をパートナーにしたのは、十流が私の強い所も弱い所も全て知っているからよ。弱い事を知っていても私を蔑むわけでもなく、ありのままの私を十流は受け止めてくれる。そんなこと出来る人は世界中で十流只一人よ。だから私は十流をパートナーにした。私の強さも弱さも知った上で共に戦ってくれる人――それが天宮十流なのよ」
誇らしげに言う薫は少し顔を赤らめながらでも本心を龍宮に告げた。
訊いていた龍宮は、そこまで十流に信頼を寄せていることに驚き、また嫉妬するものもあった。
(……ずるいわ。薫も、そして天宮十流も……。身近に、こんなにも信じ合える人がいるなんて……。私にはいない)
いるのは自分の命令を忠実に訊くだけの部下達。主従関係でもある彼等から信頼はされているとは思う。でも自分からはどうだろうか。全く、信じていないわけではないが、薫のように自分の弱さを見せることができない。強く、高貴な振る舞いをすることが常だった自分が他人に弱さを見せるのは禁句だったから。
(魔力が強いとか、難しい術式が使えるなどの表面上ことだけじゃない。弱音をお互いに吐けるぐらいの信頼がなければ、パートナーは無理なのね。私が二人に負けたのも、弱さを見せる勇気が無かったから……。たったそれだけのことなのに、なんて難しいのかしら……)
ままならない現実に仮面を付けて過ごしてきた。その憤りを同じ境遇にある薫に無理矢理に重ねていた。
自分と薫は同じだと。
それを否定されて、勝手に逆上して、退魔師である事すら忘れて関係の無い一般人を巻き込み、腹いせに薫を殴った。
なんて浅ましく、罪な事をしたのだろう。
感じていなかった人として退魔師としての良心が罪の意識を確認させる。
「だからさ、龍宮……」
(駄目よ、薫)
「あなたさえ良ければ……」
(私はまだいけない。例えあなたが許してくれても私は……)
「一緒に……」
「……認めない」
「え?」
龍宮は痛みを堪えて、全身をバネのようにして薫から飛び退く。
「はあ……はあ……」
苦痛に顔をゆがめながら龍宮は薫を見据える。驚いた薫も立ち上がり龍宮に向き直る。
「やめなさい、龍宮。もうそれ以上は……」
自分を気遣う薫に龍宮はあくまで気丈に振る舞う。
「そう言えば私が何故、東京に来たのか、言ってませんでしたわね」
「えっ? ええ……」
「ある闇喰いを追っていたの。風を操る闇喰い、でもそれ以外に多種多様の術式を使いこなす闇喰いよ」
「風使い……」
鼓動が一段と強くなる。
「人型の闇喰いよ。コートを羽織って、帽子を深く被っていたから顔まではわからなかったけど……」
「風の魔術師!」
薫は弾けるように叫んだ。
目を大きく開いて、凄まじい剣幕に龍宮は驚く。
「風の魔術師? さあ、名前までは名乗らなかったからわかりませんけど」
「……そう」
闇喰いの姿形は千差万別であるが、自分が追いかけている闇喰いと似ている部分がある。
(あいつがいる。この東京のどこかに……。やっばり指し示した通りに……)
拳を握りしめ、考え事をする薫に龍宮が続けて言う。
「気をつけるのね。あなた達が協力しても勝てるかどうか……。でも天宮十流が今よりも強くなったらもしかしたら……」
言いかけてかぶりを振る。
本当の仲間では無い自分が言ったところで今はどうしようもない。
せめて武運を祈ることしか出来ない。
「それじゃあ、私は帰りますわ」
踵を返すと、重い体を引きずるように龍宮は歩き出した。
「ちょっと待って、龍宮」
引き留めようとする薫に龍宮は呟くように言う。
「迷惑をかけましたわ……ごめんなさい……」
それっきり龍宮は振り返ること無く去って行った。
「龍宮……」
薫の言葉に返すものはいない。ただ虚しい響きだけが残った。
龍宮は近くに車を待機させていた。
遠目にボロボロになった龍宮が歩いてきたので驚いた執事兼運転手は大慌てで龍宮を支え、車の中に入れる。
ぐったりとした顔の龍宮はすぐに車を走らせるように伝える。
何が起きたのか、知りようも無い執事は車を発進させる。
「このまま龍宮家本家に戻ります……」
か細い声に、男は恐縮しながら訊く。
「ですが例の闇喰いは……?」
「どちらにせよ、この傷です。発見してもまともに戦えないでしょう。ですから本家に戻ります……」
バックミラーに映し出された龍宮は、男が見たことも無いほど傷つき、疲労の色が濃い。
「それと暫く、後ろを見ないでくださる……」
「……はい」
龍宮は糸が切れたように、後ろの席に横たわる。
「――う――ううぅ、うわあああああああ」
堪えていたはずの涙が流れ出ていた。
叫びは車中を駆け巡り、男は事態を把握して、車を加速させる。
龍宮奏の本家を目指し、車は灰色の道をひたすら進む。
戦いの場であった建築途中の建物からそう離れない位置に小さな公園がある。
その傍らのベンチには龍宮に捕まり、眠らされた平泉と心配そうに見つめる十流の姿があった。
そこへ薫が現れ、二人の元へと歩み寄る。
「鏡香は大丈夫?」
顔をのぞき込むと十流の言うように可愛い寝顔をしていた。
「龍宮さんは?」
「帰ったわ。一応、お詫びもしたからこれでこの件はおしまい」
思うところはあるが二人はこれ以上、龍宮を責めないことにした。
「……う……ん」
平泉鏡香はゆっくり目を開けると、そこには自分を心配そうに見る二人が飛び込んできた。
「あれ? 天宮君に薫ちゃん? えっ、私どうしてここに?」
辺りを見渡せば、夕の焼けが雲の隙間から見える。
「え〜と、何だな貧血って奴だな」
「そうそう貧血って怖いわね」
とぼけるような仕草の二人に平泉は疑問を抱くがそれどころではなかった。
「もしかして私、授業さぼったことになってるの?」
真面目が絵になる平泉にとってそのことが一番の問題だった。
「大丈夫だよ、一日ぐらい」
「そうそう。ノート見せてあげるから」
もしかしたら二人が意地悪しているのかと嫌疑の目を向けるが、すぐにそれは違うと思った。
(天宮君と薫ちゃんに限ってそんなことはしないだろうし……)
平泉は立ち上がると二人に告げる。
「心配をかけてごめんなさい。それから……」
「?」
「家族に説明するから一緒に来てくれませんか?」
恥ずかしげに言う平泉に二人は同時に頷き帰路に着いた。
横に並んで歩く三人の内、薫は密かに決意を燃やす。
(やっぱり東京にいる。風の魔術師――お前は私が必ず倒す)
曇で隠れる夕焼けは、その炎を隠して照らす。
今の薫の心模様のように。
静まりかえる夜の住宅街を一人の中年サラリーマンがほろ酔い気分で家路についていた。
つらい現実から逃れるように同僚と飲んで、普段は言えない文句を並べ、お酒による高揚感がなんとも気持ちよかった。
夜も深く、人の気配が感じられない夜道を歩いていた矢先、向かい側から人が歩いてくる。
この季節には似合わない厚手のコートを羽織り、帽子を深く被っているため、表情は見えない。しっかりとした足取りでその長身の男はこちらに向かってくる。
中年の男性はその身なりを変だと思いつつも知らんぷりをして通り過ぎようとしていたが、その男に呼び止められる。
「あの〜、すいません。この街はどのように行けば良いのでしょうか?」
丁寧な物言いと紳士的な態度に中年の男は警戒心を解き、コートの男が持つ紙切れに目を通す。
街の名前を見てすぐに道順が頭によぎる。
説明しようと顔を上げると、
「えっ? うわああ――ぶっ!」
叫び声を上げようとしてた口をコートの男が手袋をはめた手で押さえつける。
「ちっちっち……。人の顔を見て叫び声を上げるなんて失礼ですよ。それに今は夜です。近所迷惑にもなる」
男が見たもの、いや見ようとしたものが無かった。
顔が無いのだ。
帽子の下、コートの上にあるはずの顔が無く、そこだけがぽっかりと穴が空いているようだった。
コートの男は万力のように中年の男の口を徐々に締めあげる。
「それでこの街はどのように行けばいいのでしょうか?」
どこから声を出しているかわからないが、相変わらず丁寧に問いかけてくる。
恐怖に震えながら中年の男は、自分が来た道を指し示す。
「ああ、やはりこの道でしたか。どうもありがとう――ん?」
コートの男はお礼を言おうとしたが、締め上げていた中年の男は白目を向き、すでに放心状態だった。
「おっといけない。おもわず心を喰らってしまいましたよ。私の悪い癖だ」
自戒の言葉も虚しく響く。
「ここは現実世界。証拠は消さないと……」
コートの男――闇喰いは手に力を込めると、心を喰われた残り滓を一瞬のうちに灰にして道端へと落とす。黒き灰は夜風に吹かれてどこぞへと飛んでいく。
「ひゅうるりい、ひゅうるりい――、風はどこまでも吹くよ、永遠に……」
闇喰いは鼻歌まじりに夜道を歩く。
不吉な風を背にして闇喰いはとある街を目指す。
己が野望の成就のために。