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堺面×共闘  作者: 葉月作哉
第三話
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見えない想い

堺面×共闘 第三話 「見えない想い」

                             葉月 作哉



 春が過ぎ、初夏へと近づいているが、夜の空気はまだ体を冷やす。

 閑静な住宅街を一人の女性が底が高いハイヒールを鳴らしながら歩いている。

 歳はまだ三十にも満たないその女性からは疲労に満ちた顔が溢れ、せっかくの若々しさを損ねている。決して重くはないバックを肩に担ぎ、速足に家路へと急いでいた。

「……?」

 何かの気配を感じ、ふいに後ろを振り返るが、そこには街灯に照らされて細い自分の影だけがアスファルトの道に浮かぶだけである。

 気のせいかと思い、正面に向き直すとまた足早に歩いていく。

 ほどなくしてやはり、後ろが気になり始める。

 誰かに追われている。

 もしかしてストーカー?

 自分がどれほどのものか知れているし、一度でも街中で男に声をかけられたことなど無い。

 そんな自分にストーカーなどと何を考えているのか。

 背後に纏わりつく気配を気味悪く思い、その歩みを止めてまた後ろを振り返る。

 だがやはり人の姿を確認することができない。

 辺りを見渡してもどこかに隠れる路地などなく、細い電柱が等間隔に並び、備え付けの街灯が辺りを照らすだけである。

 仕事の疲れかな。

 とりあずの良い訳を納得の材料にしてまた歩を進める。

 気にしないと決めていたのに、だが背後に迫る気配は先ほどよりもさらに大きくなっていった。

 後ろを振り返ることさえ恐怖となり、思わず目をつぶって、これが限界とばかりに速足で何とか事態をくぐり抜けようとする。

 だが気配はまるで背中に付くように張り付き、一向に離れない。

 もう嫌。

 心の叫びが喉まで出かかり、

「……!」

 自分の前方から聞こえてくる足音に驚き、半目を開けて歩いてくる人影を目にして唾を飲み込んでしまう。

 暗がりをゆっくりと歩いてくる人影に目を細め、やがて街灯の下まできたその人物を見てさらに驚く。

 どうしてこんなところに?

 年齢ならまだ十五ぐらいだろうか、ブラウン色の長い髪をした少女。制服姿だがそのデザインは付近の学校の物ではないことがわかる。だが不思議なことに学生なら誰でも持っていそうな鞄を持たず手ぶらで、しかもこの時間である。塾帰りにしてはあまりにも軽装であった。

 不審に思いつつも目の前に現れた同姓に安堵し、今度はゆっくりと少女の方角へと歩き始めた。

 筋目がちに歩いてくる少女に自分の背後に誰かいる? とも聞けず、だが前から歩いてくる少女からは何の警告の言葉も無く、しかも少女が現れてから嘘のように背後に迫っていた気配がぱったりと消えていた。

 やっぱり仕事の疲れか。

 すれ違いざまに、少女の顔を見ようとするが暗がりのため見えず、二、三歩進んで気がついた。

 少女の足音が聞こえなくなっていることに。

 焦って後ろを振り返ると、

「……」

 先ほどまで歩いていた少女の姿はもはやそこには無かった。

 走り出した形跡は無い。

 もしかして幽霊?

 違った意味での恐怖を覚えて、その女性は家路を急ぐのであった。

 今さっき自分が歩いていた場所で戦いが繰り広げられていることなど露知らず。



 それは常にそばにある存在。

 近くにあってしかし、誰も行くことが出来ない場所。

 この世界の映し鏡。

 異形なる闇喰いと呼ばれるものが住まう世界――堺面世界。

 堺面世界に立ち入ることができ、また闇喰いに対抗できるものを人呼んで――退魔師と呼ぶ。

 そして、人間を襲いその心を喰らわんとしていた闇喰いの一匹があと一歩のところで一人の退魔師に滅せられていた。

 かの者は学校の制服を着た少女であった。元のブラウン色の髪を金色へと変え、何にも所持していなかったはずのその右手には一振りの刀が握られている。

 闇喰いが滅せられたのを確認すると、刀を一振りさせ、残っていた闇喰いの残骸を払う。それは墨となり、飛び散ったあとに消え去っていく。

 少女はゆっくりと辺りを見渡し、そばにあった電柱の頂へと跳躍する。

 刀を白塗りの鞘に収め、電柱から見える仮想の街を見下ろす。

「ここにもいないか……」

 一人つぶやいたこの少女の名前は姫川薫。退魔師の名家――姫川家の一人娘であり。実家の京都から東京の街へとやって来た。

 ある目的のために……。

「いいえ、いるはずよ。絶対に……。さし示した方角は間違いなくこの東京なのだから」

 ずっと信じて、そして疑って、でもやっぱり信じることにした。

 何度、この問いかけを繰り返してきただろうか。

 でもここで挫けるわけにはいかない。逃げるわけにはいかない。

 成すべきことを成すまでは……。

「必ず、お前を見つけてみせる――風の魔術師」

 悲壮な思いと決意を秘めた瞳はただ虚像の世界を睨みつけていた。



 五月の連休を過ぎてすぐ、生徒の浮かれ気分を壊すように定期テストが始まった。

 受験を控えたこの年での最初の定期テストに、やる気を見せるものがほとんどでほんの一握りの生徒からはあきらめた空気が流れていた。

 そしてこの日はテストの答案用紙が返却される日であった。

 答案用紙が返される度に、教室からは安堵とため息と情緒あふれる空気が漏れ出ている。

「答案用紙みせて」

 姫川薫は自分の前に座る少年に向かってそう言い放つ。

 言われた少年――天宮十流はあからさまに拒否を示す表情を見せる。

「何で薫に見せなきゃいけないんだよ?」

 十流と薫は幼馴染であるが、途中、空白期間があり、この春に薫が転校してきたことにより再会を果たしていた。昔の気弱な薫とはうって変って、今の薫は小うるさい姑のような存在になっていた。

「なんでって、アレのせいで十流の学業がおろそかになっていたら、刹那さんに申し訳がたたないわ」

 十流の母・刹那は文武両道を唱え、十流に対して、遊んでもいいがそのかわり成績が悪くなれば、きついお仕置きをする約束になっていた。

「確かにここ最近、アレのせいで勉強する時間どころか、録画したアニメすら見る時間も割かれているが、さすがに成績を落とすわけにはいかないから、勉強だけでもがんばってたぞ」

 十流と薫のいうアレとは、退魔師の鍛錬であり、十流はこの春から退魔師としての道を歩み始めてばかりである。薫の言うところの――殻つきのひよっ子、という称号を胸に五月の連休も退魔師の鍛錬に汗を流していた。

「そこまで言うなら見せてくれてもいいでしょ。代わりに私のも見せるから」

 手の平を見せて催促する薫に根負けして、十流は持っていた答案用紙を渡す。

 受け取った用紙を一枚ずつ、点数が書いてある部分だけ読む終えると開口一番、

「可もなく不可もない、つまらない答案用紙ね」

 と首を捻ってささっと十流に答案用紙を返してしまう。

「何がつまらないだよ。それなりに良い点数なんだから問題ないだろ」

 豪語する十流だが、その点数は平均点よりほんの少し上ぐらいであり、とても胸をはって言えるわけではないが、そう言わなければ馬鹿にされるという思いから強気に出ていた。

「薫のやつも見せろよ。どんなものか見てやる」

 鼻息荒い十流に薫はしぶるわけでもなく、自分の答案用紙を渡す。その用紙を一枚めくるたびに十流は目を見開き、声を出すのを必死に堪え、口は半開きのまま、途方に暮れてしまう。

 薫の答案用紙には丸のオンパレードであり、斜線が引いてあるのは、ほんの数個しかない。

 見終わって、丁寧に答案用紙を折り畳むと、

「すいませんでした」

 何故か十流は無性に謝りたい気分になっていた。

「まあ、わかればいいのよ。でも油断してアレばかりに気をとられるわけにはいかないから、私が勉強も見てあげようか?」

 幼馴染としての親切心で言った言葉だったが十流にとっては馬鹿にされているようなさらにそこまで面倒見てもらわなくても良いという変なプライドが沸き上がる。

「とりあえず自分でやってみるよ。それでもわからなければ薫をたよりにするよ……」

 直接、戦ったわけでも無いのに、負けたような気がして十流は正面を向くと、肘をついて思いため息を人目をはばからずつく。

(アレってなんだろう?)

 十流と薫の一連のやりとりを横目で見ていた、平泉鏡香はアレという言葉に妙に気になっていた。

(悪いことじゃあないよね。姫川さんのことだもの。それはないか)

 平泉は一年前から十流と同じクラスになり、引っ込み思案な自分に対して、何かとお世話を焼く十流に対して、一種の尊敬の念を抱いていた。そしてこの春に薫が転校してきたことを境に、十流と薫は二人でいることが多くなり、しかも昼休みには二人してどこかに行ってしまうという情景を何度も目にしていた。もっぱら十流と薫の恋路――平泉自身は勝手にそう思っている――を応援する立場をとっている。

(アレってもしかして、キスとか……。それともあれかな恋人同士で使うっていう暗号か何かかな?)

 勝手な妄想で顔を赤くしてしまった平泉は両手で顔を覆ってしまった。

(訊いてみようかな。でも二人の会話だし、私が口を挟むのはどうかな。でも気になるし)

 視線を何度も正面と横を行ったり来たりしながら話すタイミングを図っている。

(はあ、何でも私、こうも優柔不断なんだろう?)

 いつものことながら強気に出れない自分を責める平泉であった。

「ようし、席につけ!」

 太い声を上げながら、担任の教師が教室へと入ってくる。

 黒板の前に立つと、一巡して教室が静かになったところで教師としての訓示を述べる。

「さあて、答案用紙は全部返ってきたな? 今回、成績が良かった者はこれにうぬぼれずに邁進するとして、あまり良くなかった者は何が悪かったのか再度、点検するように。まだまだ挽回できるからな」

 各々の立場で教師の言葉を受け取った生徒は、表情が硬くなる。

「まあ、テストはこれで終わりだが、来週には校外学習があるからな。それで羽を伸ばすのも良いだろう……」

 教師からの鞭と飴の言葉に生徒からは自然と笑みがこぼれる中、

「どうぇええええ」

 奇怪な言葉を発しながら十流は立ちあがっていた。その様子に後ろに座っていた薫も面食らったような顔をする。

「あの校外学習って、まさか一泊二日の校外学習ですか?」

 恐る恐る尋ねると教師は一旦、咳払いして答える。

「ああ、そうだ。連休前には言ってあったとおもうがな……」

「そう言えば確かに……」

「何だ? 天宮。もしかしてお前、枕が変わると寝られないっていうじゃないだろうな?」

 教師のからかいに座っていた生徒からどっと笑いがこみ上げてくる。

「そんな訳ないでしょ!」

 憤慨して十流は席につく。

「そうだな。帰りの予鈴まで時間があるし、今のうちに班決めでもしておくか。とりあえず適当に班を作れ」

 教師の号令のもと、生徒たちは班を作るために一斉に立ち上がった。



 十流の住む街は東京都心から離れており、昔からある住宅街と都心から近いという理由から開発が進むエリアとに分かれている。その開発地の片隅にポツンと立っている廃ビル――一昔は最先端の設備を整えたマンション――だったが今では取り壊しの途中という無残な姿をさらしている。必要以上によりつかないこの廃ビルは十流と薫にとっては退魔師の鍛錬をする場所として重宝されている。また薫は念のためと魔力による結界を張ったおかげで常人は絶対に近寄らないビルへと変わっている。

 その廃ビルの入り口を入ると、建物の中心部分が吹きさらしになっており、見上げれば夜空を鑑賞することもできる。元々はホールであった場所に十流と薫はヨガマットを敷き、互いに向き合うかっこうで座禅を組んでいる。この座禅は集中力を鍛えるだけでなく、魔力を全身から放出することにより、魔力そのものの集中・維持をも鍛えることを目的にしている。

 薫は制服姿のまま、座禅を組み、静かな呼吸と共に、全身から魔力を放出し。膜のように覆っている。全身すみずみまで魔力を放出し留めることは高い集中力と長年の鍛錬の賜物といえる。

 対する十流は、魔力を全身から放出してはいるものの、強弱バラバラであり、一定に留めることに腐心している。だが今夜はさらに集中力が足りないのか、組んでいる足を入れ替えたり、目をうっすら開けたり、薫にバレないようにとアクビを殺したり、とにかく落ち着くが足りない。

「あ〜もう、すこしは黙って座禅できないの?」

「俺、一言も発していませんが?」

「上げ足とるな! とにかくこっちも集中できないじゃない」

 今の今まで黙っていたがもう我慢できずに薫は向かいに座る十流に、鋭い視線を向けて抗議する。対する十流も緊張から解けたのか座禅の姿勢を崩し、薫に向き直る。

「毎度、集中力が無いと思っていたけど今日は特に無いわね」

「まあ、色々と思うことがあってね」

「思うところ?」

 ため息まじりに言う十流に、薫もただならぬ気配を感じて座禅を解き正座して神妙な面持ちで聞く耳を立てる。

「来週の校外学習のことだよ。何か嫌な予感がするんだよな」

「校外学習? 一泊二日のあれのこと? もしかして十流、先生の言うとおり枕が変わると寝られないとか?」

「アホか。確かに寝付きが悪くなるかもしれないがそんなこといちいち心配するか」

「それとも、どの漫画を持っていこうかと悩んでいるとか」

「うっ、それも少し考えている。最近、買ったばかりの女騎士物語とか推理と喧嘩が強い探偵の話とか色々……ってが俺が心配しているのはもっと大事なことだよ」

 アテが外れてしかし、これ以上の答えが出ないため薫は眉をひそめる。

 そして十流は己の持つある心配事を口にする。

「薫は春に転校してきただろう。まあ、何の因果か知らないが一応は幼馴染と再会したというわけだ」

「それはそうだけど……」

 まあ恐らくは十流と鉢合わせになるように仕組んだのが自分の母・姫川雫であることは伏せておく。

「そして何か図ったように校外学習ときたもんだ。すると絶対にこういう事が起きるはずだ」

「だから何が起きるっていうのよ」

 十流は目を瞑り、人さし指を突き出して声を低くして言う。

「学校の行事とはいえ、みんなハメを外すはずさ。でもそんな楽しい一時をある事件がぶち壊す。一人また一人といつの間にかクラスの仲間が姿を消していく、最後に残ったのは俺と薫のみ。見ない犯人に怯えながら、さらに巧みな罠をかいくぐり、そして真実へと辿り着く――犯人はお前だ! ってことが起きるかもしれないだろ?」

 十流のありえない話にずっと真剣な面持ちで聞いていた薫はがっくりと肩をおとす。

「十流……、あんた漫画の見すぎよ……」

「まあ、そんな事起きない思うけど、俺が本当に心配しているのは闇喰いのことだよ」

 闇喰い――この言葉に薫は厳しい表情へと一変させる。

「闇喰い? 私達、仮にも退魔師を名乗っているのよ。心配することなんて何も無いと思うけど……」

「確かにそうだけど、でもさ校外学習する場所に闇喰いが出てきて、当然俺達は戦うけど、クラスのみんなを巻き込んでしまうんじゃないかなって思うんだ。俺達のクラスだけじゃない。他のクラスの連中も闇喰いに心を喰われてしまうかもしれない。俺達だけで守りきれるかなって思うと不安で仕方がないんだ……」

 十流の不安――守れないかもしれない――、かつて自分自身を変えてしまった出来事。退魔師や魔力を知らなかった幼い時に出くわしてしまった、人々が闇喰いに襲われている現場は今でも脳裏に焼き付いている。助けを求められて、必死に手を伸ばしている人々を尻目に自分は恐怖のあまり逃げ出してしまった。

 でも今は武器も魔力も備わっている。

 だけど怖い。

 守れるだろうか。

 暗い表情となった十流に、薫はある疑念を抱く。

 それは退魔師という存在に対する概念があまりにも固まりすぎているということ。このままでは戦いに際し、もしものことがあれば十流は二度と立ち上がることができなくなる。

 だがどう言えばいいのだろうか。

 退魔師という概念をもっと噛み砕いて言うことはできるが、果たして十流の耳に届くだろうか。

 歯がゆい思いを胸にしかし、口調は明るくして十流の不安を払拭しようとする。

「まあ、不安なのはわかるけど、闇喰いになんていつ、どこで出てくるなんてわからないんだし、それをずっと気にしてたら普段の生活だって送れなくなる。闇喰いのこと気にするなとは言えないけど、もっと気を楽にしたほうがいいわよ……」

 これでわかってくれるとは思っていなかったが、案の定、十流は腕を組んで考え込んでしまっている。

(こういうのトラウマっていうのかな。私だって守れる自信なんて無いわ。いいえ、実際には守れないことの方が多くなる。この先、退魔師として生きて行くうちに、全てを守ることは出来ない。でもそれを十流に言うのは酷かな。ここはあの人に頼むか)

 あの人――薫が憧れるかつての凄腕の退魔師、そして十流の母親でもある人物。

「そこまで悩むなら刹那さんに訊いてみたら? きっと十流の悩みを解決してくれると思うし……」

 薫の意見に十流も納得した様子を見せる。ただ集中力を欠く十流にこれ以上の鍛錬を無理だと判断していつもよりも早く解散することになった。


 街の中心地より南方は元からある住宅が広がっている。十流の家はさらに川を挟んだ南西にある。十流が以前通った、剣道場――公民館と対になっているところや薫と幼少のころ遊んだ公園はまだ残っている。

「ただいま」

 十流は靴を脱ぎ、居間に入ると端正な顔つきの女性がイスに座ってテレビをみている。天宮刹那――かつて十流と同じく退魔師として日々を過ごし、通り名を『紅き閃光の刹那』と呼ばれるほどの実力者、そして薫の尊敬する人であるが今は引退し、主婦業の傍ら、パートと趣味の剣道に没頭する日々を過ごしている。

 その刹那が十流の姿を見るなり、優しい顔になり、

「おかえりなさい、十流。今日は早かったのね」

 一言そう言うと、息子の顔をまじまじと見る。

「ただいま、母さん。……って何か俺の顔についてる?」

 あまりに自分の顔を見るため、訝しげに訊く。

「いいえ、何も……、でも難しい顔をしてるなって。悩み事でもあるのかしら?」

 逆に問いかけられて、言うまいかどうか悩んでいたが、薫の刹那に訊け、との言葉を思い出し、今自分が考えていることを素直に話そうと思った。

「悩みっていうか、どうしたら良いのかわからないっていうのがあって……」

 刹那はテレビを消すと、自分と向かい側に座るように十流を促す。

「来週、校外学習があるだろう? そのことでちょっと……」

「校外学習? 悩みほどのことなんて無いと思うけど、もしかして枕が変わると寝れないとか?」

 いつぞや聞いたような言葉に十流はがっくりと肩を落とす。

「違うって! 俺が心配してるのは闇喰いのことだよ。もし闇喰いが襲ってきたら、俺と薫だけで守れるかなって……。俺のクラスだけじゃあない。他のクラスの奴らもいるんだ。そんな時に闇喰いが出てきたらと思うとなんだか怖くて……」

 目を伏し目がちにテーブルの一点を見つめて話す息子の姿を両肘をつき、手に顔を乗せながら見ていた。

(薫ちゃんの言うとおりね。これじゃあ、危なすぎるわ。戦う以前の問題、いいえこんな状態で戦ったらどんな結果になるかは火を見るより明らか。さてさて……)

 刹那は十流が帰る間際まで薫と電話で話をしていた。その内容からおおよその顛末を理解していたがここまで十流が退魔師に対してガチガチの畏怖の念を抱いてるとは予想外だった。気弱な幼馴染みから、十流がお手本とする退魔師へと成長した薫と引退したとはいえ昔に名を馳せた自分を見て、十流が退魔師とはこうあるべきだと解釈しても致し方が無い。

 刹那は十流の状況を理解してそれを和らげるためにこう質問する。

「ねえ、十流。十流の質問に答える前に訊きたいことがあるんだけど?」

「訊きたいこと?」

「そう、十流は退魔師のことどう思っているのか」

「どうって……」

 退魔師、自分がイメージしている、自分が目指している退魔師、だがそれが母の求めている答えとなるのだろうか。

「別にこれには正解なんてないわ。ただ率直に十流がどう思っているのかを訊きたいの」

 顔を傾けて助け舟を出してくれてた刹那に、十流はようやく口を開く。

「俺が考えてる退魔師って、魔力を持っていて、それは言わば超能力のようなものだろう? 誰よりも早く走れるし、跳べるし、術を行使してありもしないところから火とか水と出せるし、それに闇喰いに唯一、対抗できる人達だ。だから魔力の持たない人達を絶対守らないといけないと思うんだ。そういう退魔師にならないといけないと思うし俺はそうなりたい。普段から薫を見てるから、あいつ自身はどうかわからないけど、俺の目指している退魔師のイメージとつながるんだ。実際、薫は剣の扱いは俺なんかよりも巧いし、術だって色々使える。早くそうなりたいと思っている……」

 自身が思う退魔師像について一息で言うと、ほんの少し満足して、でもその後は刹那の反応が気になって仕方がなかった。

 十流の話を聞いて刹那は何度か頷く。

「なるほどね。たぶんそう答えるだろうとは思っていたけど、それにしても十流はずいぶんと退魔師の事を評価しているのね」

「えっ、母さんだって昔はそういう退魔師だったんだろう? それとも俺の考えは違ってた?」

 気落ちしそうな十流を刹那が首を振って否定する。

「さっきも言ったけどこれには答えなんて無い。それに人々を守るっていうのはとても素晴らしいことだと思うの。ただ問題なのは十流が退魔師に対する考えがあまりにも固まりすぎてるってこと」

「……? 言ってる意味がよく……」

「あなたがさっき言った魔力を持ち、闇喰いに対抗できる退魔師っていうのは特別な存在ではないわ」

「でもやっぱり特別だろう。自分で言うのも嫌だけど人間離れ――」

「いいえ、ただの人間よ」

 反論を心みようとした息子を制し、そしてどこまでも純粋な息子をゆっくりと諭すように伝える。

「退魔師は人間であり、絶対的な神様ではないのよ。心を持ち、戦う度に傷つくただの人間。それが退魔師……」

「でも……、でも……」

 十流は席を立つ勢いで言いかけて、でも言葉は喉の奥で沈んでしまった。

 退魔師も人間。

 その言葉は十流の胸を痛めつけるような感覚だった。自分の意見を半ば否定されてようなものだが、嫌な気持ちにはならない。確かに自分も傷ついてきた。まだ数えるくらいの戦いしかしてこなかったが、表面上の傷は術で癒やせるが、心の傷は癒やせない。何度も戦いの風景が頭から離れず、夜な夜な起きる事がある。それは自分が人間であることの何よりの証拠だった。

 思い詰め悲しそうな十流に刹那は言葉をかける。

「私もそうだったのよ。紅き閃光なんて呼ばれていても守れなかった人はたくさんいたわ。それは一般人だけではない。一緒に戦ってくれた仲間やそれにもっと身近にいてくれた人――翔も守ることができなかった。何度も何度も悔やんだわ。あの時、ああしていれば、こうしていればって、後悔の連続よ。でもそれが私が人間であること、何でも出来る絶対無敵の退魔師では無かったって事よ」

 刹那は目を天井の方へと向けて、今は亡き人達へと想いを馳せた。力弱くとも懸命に自分をサポートしてくれた人々。戦うことしか知らなかった自分に寄り添い、人としての幸せをくれた十流の父、翔のこと。思い出せばまた涙が出そうになるので、努めて明るく十流に語りかける。

「守ろうと思う事はとても良いことだけど、あまり自分自身に背負い込まないでほしいの。あたなは一人じゃない。薫ちゃんもいるし、それに喋らないけどあなたには討牙がいるでしょ?」

「討牙……」

 討牙――それは十流の武器であり、黒塗りの鞘に収められた太刀、そして父、翔の忘れ形見でもある。

「守れないときがあるかもしれない。傷つくこともあるわ。人間である以上それは避けることはできない。でもそうしたらもっと多くの人を守って欲しい。立ち止まらずに、困ったときには私や薫ちゃんを頼りなさい。多くの支えがあることを知って前へと歩いていくの。それが退魔師の道だと思うわ」

 自分よりもはるかに過酷な人生を生きてきた者からの言葉は十流の心の重しを少しずつ溶かしていく。

「……そうか、俺はいつの間にか何でもかんでも背負うとしていたのか。たいして実力も無いくせに……。退魔師だからってこうなんだって思い込んで……。こういうの身の程知らずって言うのかな」

 自嘲を込めた笑いに十流はなんだか恥ずかしくなる。

 刹那は席を立つと十流の背に回って両手を肩に乗せる。

「そうね。十流は根は真面目だから、もうちょっと肩の力を抜いてね」

 そう言って刹那は十流の肩をもんであげる。すると十流は強張っていた顔が緩み、くずぐったいような恥ずかしいような感覚に陥る。

「あっ……、わかったよ。もう少し柔軟に考えるよ」

「それでよし。それにね、十流には退魔師のことだけじゃなくて、普通の学校生活も楽しんで欲しい。たった一度しかないもの、きっと十流のためになるはず……」

「学校生活か……。テストのことしか考えてなかった。あ!」

「テスト……。十流、答案用紙を見せなさい」

 肩を揉む力が数段上がったことを十流は感じ、つい口を滑らせたことに後悔し、だが逃げられない状況なので渋々、答案用紙を見せる。

 可も無く不可も無い答案用紙について刹那からの小言をこの後、数十分間に渡って聞かされる事になる。




 翌週。

 透き通るような青い空に薄く細長い雲が一筋流れていく。光さす太陽は、アスファルトの道を進む一台のバスに降り注ぐ。

 校外学習に向かうバスの中、後ろに陣取った十流と薫、平泉、そしてクラスの情報屋、川田良夫は世間話に華咲かせていた。

 バスの中央を区切るように右に十流とその横に川田が、左に薫と平泉がそれぞれ座っている。

「なんで川田が俺たちの班なんだ?」

 今更ながらの問いに皆の注目を浴びる川田は涙目になって答える。

「そう言うなよ、十流君。出来の悪かった答案用紙を眺めていたら、いつの間にか班分けが終わっていて十流や薫ちゃんにすがるしかなかったんだよ」

 班決めの日はちょうど定期テストの答案用紙の返却日だった。そして十流と薫は申し合わせることなく一緒に行動することになり、ついでとばかりに十流の隣に座る平泉も二人の輪に加わる運ぶとなった。教室の中では問題なく班が出来あがったが、何故か川田のみ机に突っ伏したままであったため、教師の一喝に我に返ったが、時すでに遅し、どの班にも加わる余地もなく、結果的に人数の少ない十流達の班に加わることとなった。

「だからホレ。献上品のポッキー、みんなで食べてくれ」

 そう言ってリュックから差し出されたお菓子を十流は口にくわえると、隣に座る薫へと手渡す。

「まあ、旅は道ずれとは良く言うけど、これだけは言っておくね。私と平泉さんに手を出したらただじゃおかないから……」

 薫の凄みを利かせた視線に、そんな事しません、と川田は横をむいて口笛を吹く。

「でも川田君だったらそれぐらいの分別はつくと思うけど……」

 フォローするつもりはないが一応、川田に釘を刺すつもりで発言した平泉はおそるおそる薫よりポッキーを受け取る。

「まじで命が惜しかったら自重したほうがいいぞ……」

 十流の本気の忠告に相槌を打つ川田の顔は笑顔で歪んでいることに、十流と薫は心底呆れてしまった。




 高速道路を下り、そこから二時間ほど車を走らせると、山を背景とした農村地帯へと入っていく。東京という都会から来た者からすれば、まるでタイムスリップしたような風景が広がる。小さな川の両脇には畑と田んぼが等間隔で並び、家と家の間は数十メートル離れている。家よりも高い建物は無く、人の通りはまばらである。

 バスが着いたのは、古めかしい木造建築の宿舎。十流のクラスが泊まる宿で、他のクラスは別の宿舎へとバラバラに泊まる。元々は旅人が一時泊まるための場所として多くの宿屋が乱立していたが時代の流れで宿屋は少しずつ姿を消していった。だが手つかずの広大な土地と山間にある環境から、運動部などの合宿所として重宝され夏には他県からの来訪者が一気に増えていく。また昔ながらの伝統工芸を代々継承させていることから、体験学習を目的にこの地にくる学校関係者も少なくない。

 十流達が泊まる宿舎も崖を下ればそこにはテニスコートが敷かれている。だが十流たちの目的は校外学習であり、宿に荷物を置くと早速、宿の外へとクラスの全員が出てくる。

ウォークラリー。

今回の校外学習の目的の一つが、班の中での連携と一緒の目標を成し遂げることの大切さを学ぶことである。ウォークラリーもその一種で、とある目的地は定められているがその道程は班ごとに違い、どうのように進んでも一向に構わないことになっている。ただしポイントと呼ばれる地点を必ず通過しなくてはならず、不正防止のため班長には用紙が配られ、そこにポイントごとにいる教師からのハンコを貰わなくてはいけないルールとなっている。

「それじゃ、行くわよ」

 青のジーンズに薄い長袖シャツを着た姫川薫の号令のもと、十流達一行は歩き始めた。十流と川田は半袖、平泉は白の長袖に日差し避けにと帽子を被っている。また全員、水筒やもしのものため折りたたみ傘などを入れたナップザックを肩にかけている。

 延々と続くであろう田畑を横目に、四人は足取りも軽く前へと進む。

 空気が澄んでおり、風が肌にあたると心地よい清涼感が伝わってくる。

「う〜ん、結構、良い所ね。何だか空気はうまいし、のどかだし、こういうの憧れるんだよね」

 背筋を伸ばして目に映る風景を目の当たりにして、薫は晴れやかな気持ちで感想を言う。

「確かに、心地良いけど、不便はあるよな。見てみろよコンビニすらないんだぜ。これじゃあ漫画も買えないし、レンタルショップが無ければアニメも見れない。というかテレビって見れるのか?」

 薫と同感する部分はあるものの、いざ暮すには多少の抵抗感を持つ十流。

「都会派の俺もちょっとなあ。一日で飽きそうだ」

「私はこういう落ち着くきのある所は好きだな。それと星空とか綺麗だと思うし」

 川田も平泉もそれぞれの感想を述べる。

 十流はみんなの一通りの感想を訊くとある事に気づく。

「そう言えば薫の実家は京都だろ? あそこは古い寺とかあるし、のどかといえば京都もそうだと思うけどな」

 十流の横目からの視線に薫は肩をすくめる。

「みんなそう言うんだよね。京都といえば静かな所っていうけど実はそうでもないのよ。年中、観光客でごった返しているし、静かとは程遠いわ」

 十流と薫の掛け合いに平泉と川田も入る。

「そうか姫川さんって京都生まれなんだよね。言葉とか普通だからすっかり忘れちゃった」

「そうだそうだ。京都弁だっけか。どすえ〜、て言葉、一度も聞いたこと無いな」

 姫川薫は京都から東京に引っ越しをしてきたが、クラスの中での話し方はごく普通であり、訛りも無かった。

「小さい頃も話し方は普通だったよな。お前、本当に京都生まれか?」

 十流の冗談を込めた疑念の目、平泉と川田の好奇心を込めた目に先頭を歩いていた薫は急に十流たちへと向かい直る。

「そないなこと言わはったって、家ほな標準語で話せとうるさくて、今ほな京ことばでしゃべるのはむちゃきついのよ」

 一気にまくしたてた京都弁を聞いて三人は目を丸くする。

「やて十流達がそこまでしゃべるのならこれさかいは京ことばで話ほうか?」

 恐らくは尋ねられたのだろうとは思ったがその内容まではわからず、十流は平泉に目で訴える。

「たぶん、京都弁を話すのはきついけど、私達さえ良ければこれからは京都弁で話そうかって聞いてきているんだと思う」

 解説を聞いて、十流、川田、平泉の三人は、

『普通に喋ってください』

 と声をそろえて薫に言う。

「そうでしょ。私だってもうこっちの話し方に慣れちゃっているんだから今更変えるつもりはないわよ」

 そう言って薫は長い髪を揺らしながら向きを変えて前へと歩き出した。

(薫の京都弁って初めて聞いたけど、なんかすんごい違和感を感じるな)

 十流は幼い頃を思い出し、薫をはじめその家族と接する機会は幾度もあったが京都弁などただの一度も耳にしたことはなかった。不思議に思っていたがつい最近知った、薫の家が有数のブランド会社――姫川ブランドを経営していることから恐らくは言葉も全国で通じるように普通の言葉で喋るしかなかったのではないかと推測できた。

(金持ちっていうのも色々と大変なんだな)

 勝手に同情をして、十流は薫の横に並んで歩き始めた。



 着々とポイントを通過しつつ、運動が苦手な平泉に配慮してゆっくり景色を眺めながら歩くと、前方に急坂に作られた石畳みの階段が現れた。錆び付いた手すりと所々に生える苔は年期の長さを伺い知ることが出来る。

「ようし、十流。どちらが先に昇り切るか勝負だ。負けたら勝った奴にお菓子ということで」

 と一方的に勝負を十流に挑むと川田は走り始めてしまった。

「おい、まだ何も……、ちっ、しょうがねえな」

 愚痴を言いつつも十流も急な石畳みを昇る。

「まったく、ホント古今東西、男って賭け事が好きね。平泉さん、私達はゆっくり登りましょ」

「そうね」

 呆れた様子の薫は平泉とともにゆっくりと階段を上る。

「はあ、はあ……、それにしても……、この階段すんごくきついぞ……」

 登り始めて半分も行かずに川田は息切れしていまう。

 フライングのハンデを物ともせず、十流は息切れせずに川田に追いつく。

「おいおい、言いだしっぺがそれじゃどうしょうもないだろ。余裕でお菓子ゲットだな」

 そう言い残して、十流は体も軽やかに階段を登っていく。

 常日頃、退魔師としての鍛錬を薫と一緒にこなしているため、基礎体力は春に比べて格段に上がっていた。

 自身の成長を噛みしめながら階段を登り切り鳥居をくぐると、目の前には大きな社が姿を現す。

 境内に続く道には敷石の道が、入り口には左右に灯篭が並べられている。

 人気は無く、時折、風に揺られて木々がざわつく程度で、ひと際静けさが際立っている。

「へえ、結構、古いわね」

 そう言って薫が平泉の手を引いて十流の横に並ぶ。

「川田は?」

「へばっていたけどそのうち来るでしょ」

 素っ気ない答えを聞いて、振り返ると川田は息も絶え絶えに階段を登り終えていた。

「くそ、こんなはすじゃ……」

 息の荒い川田を尻目に三人は境内の方まで歩き、各々、賽銭箱に小銭を入れて、祈願する。

「元々は豊作を祈る場所なのかな。しめ縄もちゃんとしてあるし、地元の人が掃除もしているみたいね。ゴミも落ちていないわ」

 薫の言うとおり境内はおろかまわりにはゴミが落ちていない。

「夏にはお祭りとかするのかな?」

 平泉の質問に薫は、そうかも、と相槌を打つ。

 遅れて川田がお参りを済ますと四人は境内の周囲を見て回る事にした。

 とはいえ、周りは樹木に囲まれており、木々の間からは田園地帯が見えるだけである。

 しかし、境内の丁度、後ろ側―ーそこには一本だけの外灯にドアが壊れかかっている倉庫、そしてぽつりと置かれたものに四人は同時に息を飲んだ。

「これは……」

「うわ」

「ぬぬ……」

「怖い……」

 それは木で出来た入れ物、棚ともいえるそれは、正面は観音開きの造りになっているが、錠前でしっかり閉じてある。ただし扉の部分は金網となっているため、中を見ることが出来る。

 そして中にあるものが大小様々な人形だった。

 主に日本人形が置かれており、少数であるが、おもちゃの人形も置いてある。それらが無表情にこちらをというよりも真っ正面を向いている。

 男二人は態度にこそ平静を保っているが顔を固くし、平泉は薫の腕におもわず抱きつく。

 薫は平泉の手を取り落ち着かせる。

「大丈夫よ、平泉さん。これはお祓いをしてもらうために置いてあるの。ほら、良く言うでしょ。人形には魂が宿るって。ただ単に捨てるんじゃなくてちゃんとお祓いしてもらう必要があるの」

 薫の説明をちゃんと聞いてきたのかどうかわからないが、首を上下に振る。

「でもこれだけあると怖いよな。夜な夜な髪が不自然に伸びたりして……」

 川田が意地悪く言うと、平泉は薫の背中にへばりついてしまう。

「ちょっと、怖がらせてどうするのよ」

 三人のやり取りの最中、十流はずっとある人形に目をやっていた。

 その人形は、日本人形よりひと際大きい、洋風の白いドレスを着たアンティークのような人形で目は紅いプラスチックで出来ており、唾付きのこれも白い帽子を被っている。

 取り立てて特徴があるわけでもないこの人形に十流は視線を釘づけにしていた。

(何だ? この人形……)

 十流自身は霊感なるものが備わっているわけではない。初めてこの人形達を見たとき、その数の多さと、無表情ながら独特の雰囲気に恐怖心を抱いたが、それほど経たないうちに慣れてしまった。だがこの洋風の人形を見たとき――いや造り物の目を見たとき違和感を感じた。

(何だろうこの感じ……。この人形が発しているもの?)

 周りの人形には無い、訴えるようなものをこの人形から感じる事が出来た。

(暗い感情……、悲しみ……、いやこれは寂しい?)

 十流は人形が発しているであろうものをイメージとして捉え、言葉を紡ぎだそうとした。

 その行為を自然と行う自分に驚いた。

 人形が考えていることをわかろうとしている。

 人間じゃあないのに……。

 薫がいうように魂が宿っているとでもいうのか。

(馬鹿馬鹿しい……)

 我に返り、横を向くとそこに三人はいなかった。

「ほら十流、いつまでそこにいるの? 置いていくわよ」

 すこし離れた場所から声をかけられ、十流は小走りで向かおうとする。

『行かないで』

 急に頭の中に、幼い少女の声が響いた。

 思わず振り返り人形が収められている棚を見る。

「……まさかね」

 背筋に寒いものを感じて、急いでその場を後にする。

 多くの人形がひしめく中、一体の白いドレスの人形の首が十流の方角に傾いていたことなど誰も気づかなかった。


 境内を一周し、元の場所まで戻ってきた一行は、次の目的地へと向かおうとする。

 ただその中で十流だけが思い詰めたような顔をしていた。

(やっぱり気になるな……)

 どうにもあの洋風の人形が気になって仕方が無かった。

 ここから見ることができないが視線を人形がある場所へと向いていた。

 そんな十流の様子を見ていた薫は思わず怒気を込めて言う。

「ちょっと、十流。何ボッーとしているのよ。置いていくわよ」

 自分は地図を見ながら必死にルートを思案しているのに、十流のほうは途方もない方向を向いていて、やる気がないと薫は判断してしまった。

 言われた十流の方も別にやる気があるわけではなかったが、考え事をしていた最中に横やりを入れられた事に酷く憤慨する。

「ボッーとなんてしてねえよ。ちょっと考え事していただけだよ。俺だって悩みの一つや二つぐらいあるぞ」

 十流からの思わぬ反抗に薫も目くじらを立てる。

「悩みですって? 十流が。ふん、どうせ漫画のことでしょ。くっだらない」

「なっ、そんなこと今、考えるか。もっと深刻なことだよ」

「ネチネチ考えすぎよ。もう少し頭を柔らかくしたら!」

「薫は考えたり、悩んだりしないのかよ。よっぽど薫の頭は柔らかいんだな」

「なんですって!」

 十流と薫の顔が残り数センチまで迫った時、川田と平泉が仲裁に入る。

「まあまあ、落ちつけよ二人とも」

「そうよ、ここは穏便に」

 川田が十流を平泉が薫の腕を掴んでお互いを引き離す。

「この辺りで休憩にしましょう。ずっと歩いていたから疲れちゃったし……」

 と平泉は薫を手を引っ張って石畳の階段を下りていく。

「俺らも休憩にしようぜ。喉乾いたし……」

 川田は十流にそう促すと、境内の階段に座りリュックから水筒を出して冷たい麦茶を注いで十流に渡す。十流は川田の気遣いに感謝しつつ、頭に昇った血を沈めるように一気に飲み干す。



 ほどなくして落ち着きを取り戻した十流は、さっきまであれほど気にしていた人形のことなどすっぱり忘れてしまい、代わりに薫に少し言いすぎたかもしれないと自己嫌悪に陥っていた。

 そんな様子の十流に川田が声をかける。

「ほんと、お前らって仲が良いのか悪いのか、わからんな」

 川田が十流と薫の喧嘩を見るのはこれが初めてでは無かった。薫が転校してきた当初は、お互いに遠慮しているかのような雰囲気だったがそれも慣れてくるとだんだんと遠慮が無くなり、しょっちゅうでもないが口げんかをすることが度々あった。幼馴染ゆえなのか、普段は意思疎通が完璧だと思うときもあれば、これでもかとお互いを罵倒してしまう。そんな光景を目の当たりにして、クラスの中では恋仲にはならないだろうという勝手な憶測まで流れるようになっていた。

「仲が良いとか悪いとかっていうようりも薫とはあんな感じだよ。言いたいことは言う、そんな関係だよ」

 川田の言葉に十流は振り向きもせずに言い放つ。

「言いたいことね……。まあ、それだけ仲良しってことじゃあないか」

 女子とそれこそ気兼ねなく話すことなど、ほとんどの男子には出来ない事象である。それを十流と薫はやっているのだ。川田でなくともうらやましいの一言に尽きる。

 だが十流は川田のそんな心中など察することはできない。

「仲良しっていうのか? だいたい薫の奴、何かにつけて俺に文句を言ってくるんだよな。アレもコレも駄目。薫はアレだよ、アレ、何て言うんだけ……。文句しか言わない、モンスター……」

「もしかして、モンスターペアレントか?」

「そう、それ。まさしくモンスターペアレントだ。文句を言う事に生きがいでも感じているんじゃあないか」

 十流の本気とも冗談ともとれない例え話に川田は吐息を漏らす。

「そう嫌っていても薫ちゃんのことはほっとけないんだろう?」

 川田の何気ない一言に十流は跳び上がるように立つ。

「ほっとけるわけないだろう! 薫の奴、小さい頃からほっとくとすぐ泣くし、転ぶし、犬には追いかけられるし、赤の他人にからまれるし、何度、俺が体を張ったことか……。とにかく目を離すとろくなことが起きやしない」

 手振り身振りをまじえて興奮ぎみに語る十流を見て川田はある事に気づく。

「やっぱりなんだかんだで薫ちゃんの事、好きなんだな」

「なんでそうなるんだよ!」

「ほら良く言うだろう、嫌も嫌も好きなうちってな」

「絶対に違う!」



「はむっ、まったく十流ってば――、はむぅ、ホント腹が立つ」

 姫川薫が文句を言っている場所は、石畳の階段を降りた先にある小さな駄菓子屋さん。とはいえ扱っているものはお菓子だけではなく日用品まで取りそろえている。また空いたスペースを利用しての喫茶店まで併設されている。

 神社に向かう最中に目には止まっていたが、気にせずに先を急いだ。ところが十流と口喧嘩し、その腹いせに薫は白玉ぜんざいをほおばっていた。

「姫川さん、ちょっと食べすぎじゃ……」

 薫は三杯目となる白玉ぜんざいを口に入れる最中であった。ちなみに平泉はまだ一杯目である。

「だってさ、腹が立つんだもん。あんなネチネチとさ。しかも私の頭を柔らかすぎなんていうのよ。まったく十流ってばあれよね、あれ。ほら、草しか食べない動物……」

「もしかして草食動物」

 平泉の答えに薫は手をポンと叩いて頷く。

「それよそれ。まさしく絵に描いたような草食動物だわ。いつも草しか食べていないんじゃない?」

 薫の本気とも冗談んともいえない言葉に苦笑いを浮かべるしかない。

 白玉をすくい上げて行儀よく噛んだ後、飲みこんでから薫の表情を見ると依然、不機嫌のオーラを周囲にまき散らしている。

「天宮君も悪気があって言ったとは思えないし、たぶんきっと言いすぎたかなって思っているよ」

 平泉の言葉に、どうだか、といった感じで薫は目の前の白玉を口に入れる。

「それになんだかんだいって姫川さん、天宮君のことほっとけないでしょ」

 平泉の何気ない言葉に薫は机をおもいっきり叩く。

「ほっとけるわけないじゃない。十流ってば私が目を離すとすぐ無茶ばかりするのよ。この前も命を落としかけたし……」

「命を……!」

「あっ、それは言葉のあやだけど、とにかく十流は昔からそうなのよ。私が止めればって言っても高い木に登ったり、川に溺れた猫を助けようとして自分が溺れたり、挙句に上級生からふっかけられた喧嘩を受けるし、ホント私がいなかったらどうなっていたか」

 手振り身振りを交えて興奮気味に話す薫に平泉は、

「なんだかんだ言っても天宮君の事が好きなんですね」

 と優しく言うと薫の顔が一気に赤くなる。

「なんでそうなるのよ」

「だってよく言うでしょ。嫌も嫌も好きなうちって」

「絶対に違う!」



 頃会いを見て十流と川田は石畳みの階段を降りてきたところ、薫と平泉が歩いてきた。

「お待たせしました」

 平泉が会釈するなか、薫は十流と目を合わせずらいのかそっぽを向いている。

 その様子を見ていた川田が肘で十流を突く。

 うながされて十流が口を開く。

「さっきは悪かったよ。言いすぎた。だから、その、すまない」

 十流も直接、薫の顔を見て言うのは気恥ずかしかったのかこれまた視線を外していた。

 まさか向こうから謝ってくるとは思っていなかった薫は一瞬、驚いてほんの少し十流の表情を伺う。まだ怒っているよな、でも後悔を含んだその顔を見て薫は、

「私も言い過ぎたわ。ごめんなさい」

 短く、謝罪の言葉を紡ぐ。

 そんな二人のやりとりを見て安堵した川田と平泉は、十流と薫の肩を叩いて、また四人一緒に歩き始めた。だが思ったよりもここで時間を割くことになり、そのことが後々、後悔することになる。



「なんで」

「どうして」

「俺的にはオーケーなんですけど」

「いくらなんでもひどいです」

 宿屋に仲良く(?)到着した四人を待っていたのは担任の教師でしかも平謝りで迎えられた。

 薫たちの班がクラスの中で一番遅く到着したという原因があるものの、先生曰く、部屋割りを到着順で決めることになっていたが、急に一室が使えなくなり、しかも他の部屋は割り当てが済んで余裕がないこと、そう言うわけで薫たちの班が男女混合の部屋となってしまった。

 文句を言ったところで事態が解決するわけでもなく、三人は渋々、若干一名は嬉々としてそれを受け入れることにした。

 だが幸いにも部屋の中央部分は襖で仕切られており、入り口側を男性陣、窓際を女性陣が陣取ることとなった。

「いいわね、この襖から一歩でも入ってきたら斬るから」

 という薫からの本気の脅しを受けて十流と川田は非常に肩身の狭い思いを強いられることになる。


 夕食の後、露天風呂にて各々疲れを癒したとおもいきや、白熱した戦いが繰り広げられていた。

「スマ――シュ!」

「ぬあああ」

 お風呂場の近くにあった遊戯室ならぬ卓球台置き場で、川田主催の男と女の戦いが行われている。細かなルールは無視してとにかく五ポイントを先取した方が勝ちというシンプルなものであり、負けた方は勝った方にそばに置いてある自販機でジュースをおごるという罰が与えられる。始めは男子同士の遊び程度たっだが姫川薫の登場により一変、男女に分かれてのジュースの争奪戦となった。

「やった――姫川さん。強い!」

 薫の勝利を女子達が称える。

「くっそ、卓球部の林が負けたぞ」

 男子からは悲痛な叫びがもれていた。それもそのはず、男子の誰一人として薫に勝てずにおり、結果、男子は女子にジュースをおごるという図式になっていた。

「ふっふっふ、これでも私、京都じゃあ卓球小町なんて呼ばれていたんだから」

 浴衣姿の薫は左手を腰に、ラケットを扇代わりにして高笑いしていた。

(何が卓球小町だよ。初めて聞いたぞ)

 あやうく心の声をもらしそうになる十流は卓球台の傍らにあるベンチに座って観戦していた。

「まずいぞ、このままでは俺達の立場が危うくなる」

 まさかここまで男子としての威厳を傷つけられるとは思っていなかったため、また川田にとっては主催者の面子が丸つぶれになりそうなので、薫に勝てそうな人物を探そうと躍起になっている。そして目が合ってしまった、薫に唯一勝てそうな人物に。

「十流君、ここは出番だぞ」

「はあ?」

 指名されて目を丸くし、手を振って拒否の反応を示すが、男子からの熱望の視線はそれを許さない。川田はラケットを手に早く来いのジャスチャーをしている。

 もはや逃げられないと判断した十流は、ラケットを手に薫と対峙する。

 そんな様子の十流を見て薫は余裕の表情を崩さない。

「今度は十流が相手……。悪いけど私、幼馴染といっても手加減しないから」

「お前がいつ、どこで手加減なんてした?」

 軽口だけはなんとか口には出せたが、周りの期待感と薫から放たれる殺気に体を固くする。

「それじゃあ、いきますか。そお〜れ!」

 薫のラケットから放たれたボールは十流の右側へと飛んでいき、

「この!」

 それを十流が返す。

 返されたボールを薫は少し力を入れてラケットで叩く。

「なんの!」

 これをまた十流が返す。

 十流は卓球というのを体育の授業以外ではしたことはなかったが、なんとかラリーを続けることはできた。薫は巧みに左右に打ち分け、体勢を崩して決めようとしていたが、なかなかうまくいかない。それどころか初心者丸出しの十流に新たに戦意を燃やす。

(へえ、ついてくるじゃない。ラケットの振りとかぎこちないけど体の捌き方はうまい。だてに鍛錬はしてない証拠か)

 などと感心している相手は、

(なんとか返せているけど、いつかは……。まな板の鯛の気分だな)

 まったくもって弱気な事しか考えていなかった。

「うおー。天宮! 粘ってくれ」

「俺達の尊厳を!」

「なんかすごくない」

「天宮君ってけっこうやるのね」

 これでもかと続くラリーに、観戦する者たちの声援も熱を帯びてくる。

「うりゃ」

 十流の掛け声とともに放たれたボールは、薫にとっての絶好球だった。

 右手を後ろに大きく引き、狙いすましてボールを叩く。

「スマ――シュ!」

 薫の声を聞いて、こちらに向かってくるであろうボールの軌道予測が十流になんとなくわかった。

 すなわち自分の顔面。

(まずい!)

 体を反応させてエビ反りのような姿勢をとろうとした。

(間に合うか?)

 ボールを返すことよりも、点を取られることよりも、まず第一に自分の身を案じる。

 まともに薫の放つボールを顔面で受けて見たいとは思わない。

 とにかく避ける。

 そう思いを巡らせているうちにあることに気づく。

(あれ? ボールがまだこないんですけど)

 薫の元から離れているはずのボールは今だに薫のコート上にあった。

 それだけではない。さっきまで聞こえていた声や音が止んでいた。

(まさか、これは……)

 ボールをもう一度見る。

 確かにこちらの方角に向かっている。

 ありえなほどのスローな速度で。

 十流の目にははっきりとボールのメーカーや不規則に回転する様を見ることができた。

(戦いでもないのにどうして? わけのわからない能力だな)

 十流の眼は闇喰いとの戦いにおいては紅くなってしまう。母・刹那も紅い眼になるため、遺伝のようなものだろうと思っていたが、つい最近の戦いである能力が備わっていることに気がついた。すなわち見ている対象物をスローにして見ることができる。ただこの能力は自分の好きなタイミングで発動させることができないのが不安要因だった。実際に薫との退魔師の鍛錬の最中では自分がどう意識しても動きをスローで見ることができない。何かの条件や約束事があるのかもしれないが今の十流には解明できていない。

(見える。薫の奴、体が左方向に流され過ぎている。だったら狙うのは)

 十流は避けようとしていた体勢を打つ姿勢に変えて、向かってくるボールにラケットを当てる。

 薫のいる左方向とは逆の右隅へを狙った。

「なっ!」

 返されるとは思っていなかった薫は自分のいる方向とは逆へとボールを返されてしまい完全に不意を突かれる。

 カーンン。

 ボールは十流の狙い通りにコートの右隅へと当たりそのまま床に落ちる。

「うおお、天宮が一点とったぞ!」

「これはいけるかも」

 周りの喧騒をよそに、薫は荒い息を吐きながら十流の方を見る。

「!」

 顔にびっしりと汗をかいている十流を見るとその瞳は紅くなっている。そしてまるで火が消えたように黒へと変わる。

「なるほど、そういうこと……」

 一人ごちって薫は床に転がっているボールを拾い上げる。

 その様子を見ていた十流の背中に怖気が走る。

「あの〜、薫さん」

 薫からほどばりる殺気を感じ僅かにそのブラウンの髪がわさわさと動いていることに驚愕する。無論、周りの生徒には気づかれない程度の変化であるが。

「と・お・る。あんたがその気ならこっちも本気を出さないとね」

「一応、これお遊びなんですけど……」

「問答無用」

 その後の試合は一方的であり、女子達は歓喜に包まれ、男子達は大きな傷だけが残された。



「ほらよ」

「どうもどうも」

 熱い戦いを繰り広げた後、十流は約束通り薫にジュースをおごるはめになり、ついでとばかりに卓球台をしまうはめにあっていた。

「う〜ん、十流におごてもらったジュースはまた格別ね」

 とても満足そうにジュースの感想を述べる薫に対して、十流は背中を向けて答える。

「違いはないと思うけどな……。それにしてもお前、本気出すなよな。遊びってこと忘れやがって」

 恨み節を込めた言葉に薫は反論する。

「なに言ってんの。十流の方が先に本気を出したんじゃない。眼まで真っ赤にしてさ」

 薫にとっては何気ない一言に十流は目を見開らく。

「なっ、何?」

「やっぱり眼が紅くなっていたのか?」

「気が付いていなかったの? まあ、ほんの少しの間だったけど、周りには気づかれていないはずよ」

 気遣いの言葉に十流は、そうか、とだけ返し、片づけの続きを始める。

 しかし、薫は十流が何か隠していることを見逃さなかった。幼馴染としての感がここぞとばかりに発揮される。

 十流は片づけを終えると自分のジュースを買って薫が座っているベンチに腰掛ける。

「十流、あんた何隠しているの?」

「ぐっ!」

 飲みかけのジュースを吐きだしそうになり咳き込む。

「別に隠しているわけじゃあ……」

「いいから話す!」

 薫のすさまじい剣幕に圧倒されて十流は渋々、説明を始める。紅い瞳に隠された力の事を。

「さっきの卓球やってるとき、一点だけとったあの時……、ボールが止まって見えたんだ」

「……まあ、よくあるわよね。相手のパンチが止まって見える――そういう現象のこと?」

 そうそう、と十流は相槌を打つ。

「私のスマッシュのボールがね……。かなり自信があったんだけどな」

「俺だって最初は逃げようとしたさ。でも急に周りの声援や音が聞こえなくなったと思ったら目の前にくるはずのボールがなかなか来ないし、おまけに回転する方向やロゴまで見えたぞ」

 十流の説明に薫は納得するものがあった。

 あの場面では絶対に自分の方が得点出来るだろうと思っていたのだ。それが不意の一撃で得点を許してしまった。十流が退魔師としての鍛錬を積み、そこそこの運動力を持ってしてもあの反応といい、打ち返したことといい、納得できないものがあった。それがボールがスローで見えてそれに反応したことはもはや人間の範疇を超えている。

「十流の紅い瞳にそんな能力があったなんて」

「俺も気がついたのは、前に爆発の術を使った闇喰いを倒した時だ。あの時は、奴が放った爆発を利用したけど、その爆発の瞬間をこの眼で見ることができた」

「なるほど、それで合点がいくわ。そうでなければ爆風を利用して相手との距離をあんなにうまく詰めることなんてできないわ。ずっと疑問に思っていたけどまさかね……」

 十流にとっては己の未熟さをこれでもかと見せつけられた戦いだったがそれと同時に紅い眼に隠された能力が開眼した瞬間でもあった。

 薫は十流の顔をまじまじと見つめる。

 今はまだ黒い眼も戦いになれば火がついたように紅くなる。

 それはまるで十流の強い意志、戦う闘争心を映し出しているような紅さ、何度か見たが普段の十流とは違う雰囲気を感じる。

 そして刀を振るう姿。

 心の中で――意外にかっこいいじゃない――と何度、呟いたことか。

「なっ、なんだよ」

 十流は見つめられて気まずくなり声を出してしまった。

 言われた薫は思っていたことを恥ずかしく思い、話題を違う方向に向ける。

「ちょっと考えていたんだけど、刹那さんの通り名――紅き閃光――、この意味がなんとなくわかったわ」

「母さんの?」

「私は光のごとく速さで敵を打ち倒すからこの異名がつけられたと思ったけど、それと同時に紅い瞳で相手の動きをスローで見ることで先手を常に取る事が出来た。まさしく閃光だったのよ」

 納得したようにうなずく薫に十流はさらに訊く。

「なあ、退魔師っていうのは、みんな俺や薫みたいに体のどこかが変化するのか? 俺は赤い眼だし、薫は金髪だろ……。まあ、かっこいいけどさ」

 十流のもっともな意見に薫を首を振る。

「全部の退魔師が変化するわけではないわ。私が知っている人では黒髪――というよりも灰色に近い色から銀髪になるけどね。……今、一番会いたくない人物だけど」

「……?」

「とりあえず、体に変化があったからってそれで退魔師としての優劣がつくわけではないってこと。変化しなくても優秀な人はたくさんいるしね」

 薫の言葉に残念そうな顔しながら、そっと自分の瞼を触ってみる。

「がっかりした。自分が特別な退魔師じゃあなくて」

 意地悪そうな問いかけにしかし、十流は笑って首を振る。

「いいや、別にがっかりしてないよ。それに母さんにこの眼のこと話したけど――それは天からの贈り物だから大事にしなさい――ってだけで何も話してくれなかった。でもそれってこの眼の力ばかりに捕らわれないで、もっと退魔師としての基本的なことを磨きなさいって言われたような気がするんだ」

 遠くを見つめて話す十流からは浮かれているわけではない、しっかりと自分の実力を高めていこうとする確かな意思が感じられた。

「ふ〜ん、十流にしては殊勝な心掛けだわ。それでこそ私のパートナーよ。これからもビシバシと鍛えるからね」

「はは、これからも頼むよ薫」

 言われなくてもまだまだ自分が未熟者だということはわかっている。

 まだ遠い背中を追いかけていかなくてはならない。

 十流はそう考えているとあることを思い出す。

「そう言えば雫おばさんは昔、何て言われていたんだ?」

 自分の母親が――紅き閃光――と呼ばれていたように薫の母・姫川雫にもあだ名があるのではないかと思った。

「どうしても聞きたい?」

 嫌そうな顔をして訊いてくるため十流は逆に興味をそそられる。

「まあ、ちょっと気になるしな」

「じゃあ教えてあげる。私のお母さん、姫川雫のあだ名は――金髪の妖女よ。妖しい女って書くの」

「金髪の妖女……」

 訊いただけで背筋が凍るような響きに十流は戦慄する。

「とにかく何を考えているのかわからないからそういうあだ名がついたのよ。そして物事を必ず自分の有利になるように進める。狡猾って言葉はあの人のためにある言葉よ」

 金髪の妖女という不気味なあだ名でも十流にはどうしても持っている姫川雫のイメージとつながらない。

 小さい頃はよく抱きしめてくれたような気がする。

 もう一人の子供のように。

 自分から見ればもう一人の母親のような情を抱いていた。

 しかし、当時は何も知らなかった。

 そして今わかっていることは姫川雫はこの国で一番の退魔師の集団、姫川家の当主であること、もう一つの顔が姫川ブランドの会長。

(妖女……か。思えば小さい頃の俺は怖いもの知らずというか世間知らずというか。会う機会があったら何て言おう。甘えてごめんなさいか、それとも薫を泣かしてごめんなさいか。とりあえず会わせる顔が無い)

 薫はあまり母親のことを言うのは嫌だったのだが、十流の方まで何やら深刻に悩み始めたのでこの話を早々と終わらせる。

「まあ、そう構えることはないわよ。こちらから危害を加え無ければ平気だから。たぶん……」

 意味の無いいたわりの言葉は十流の悩みを一層深めることとなった。



 消灯時間が迫り、部屋へと戻ってきた二人が見たものは川田と平泉が睨み合っている場面だった。

 だがよく見ると両者の間には四角い盤の上に大小形の違う駒が並べられている。

 西洋の将棋ともいえるチェスである。

「これでチェックメイト」

 平泉が親指と人差し指で軽くつまんで駒をマス目に置くと川田は頭を抱え込んでしまった。

「これで三連敗……、俺のお菓子がどんどん減っていく」

 涙目の川田を尻目に平泉はそばに置いてあった、せんべいと書かれた小袋を自分の脇へと引き寄せる。

「お前、そのうち身を滅ぼすんじゃあないか」

 十流は人としての忠告をしたつもりだが、かえって川田の反論を受ける。

「そもそもはお前が薫ちゃんに負けるのがいけない。おかげで他の男子共から搾取され……、女子たちにおごり、せめて一矢報いるために平泉に戦いを挑んでこの様だ……」

 うなだれる川田に、

「それは自業自得っていうのよ。賭け事なんて負けてなんぼってやつなんだから」

 薫のきつい一言が川田に止めをさした。

「姫川さん、ごちそうさま」

 平泉はすっかり飲み干した空き缶を揺すって見せる。ほとんどの女子は薫の勝利によっって戦利品であるジュースを分けてもらっていた。

「いいの、いいの。それよりもそろそろ消灯時間よ。十流も川田も寝る準備しなさい」

 先ほどの卓球の件もあり、すっかり立場を弱くした二人はしぶしぶ布団を整え寝る準備に入る。

 平泉を障子の向こう側に行かせて、閉める際、

「もしも障子が数ミリでも動いたら斬るわよ」

 薫の強い言葉に二人は苦笑いして電気を消した。




 夜が深まり部屋全体が静寂に包まれることはなかった。

 十流の脇で気持ちよさそうにいびきをかく川田の騒音に十流はなかなか寝付けなかった。

 それでもなくとも皆がいうように枕が変わったせいか瞼を閉じても深い眠りに落ちない。

 子供だましにと頭の中で羊の数を数えてみたが百を超えても眠れなかった。

(眠れねえ……。川田がうるさいっていうのもあるけど、それにしてもさっきから妙な気配を感じるんだよな。まるで体に巻き付くような、でも闇喰いの気配にしては小さいような気もするしさてとどうしてものか)

 枕元に置いてあった腕時計を見ると夜の十二時を少し過ぎている。体を起こしふすまを数秒見た後、川田を起こさないように着替えを始めた。

 ジーンズに英語がプリントされたシャツとパーカに腕を通すと、またふすまを見て、首を振り、幸せそうな顔をした川田を踏まないようにまたぎ外履きを履く。

 ドアに手を添えようとして、

「――ぬぐわぁ」

 足首を捕まれて、思わずドアに顔をぶつけてしまう。鼻をさすりながら振り返るとものすごい形相をした薫がこちらを睨んでいた。

「薫? お前何やって」

「しっ――、二人が起きちゃうでしょ。外行くわよ」

 言われるがまま部屋の外へ出ると薫は開口一番に、

「ちょっと、何一人で行こうとしているのよ。私と一緒に行動するって約束もう忘れたの?」

 辛辣な言葉を投げるが声はトーンを下げているためいつもの迫力がない。しかし、薫と一緒に行動するということ――すなわち闇喰いに関することは一緒に対処するという約束を十流は忘れた訳では無かった。

「そう言ってもお前、ふすまを数ミリでも開けたら斬るって言っただろう?」

「そっ、それはそうだけど」

「それに昼間は俺たちのリーダーとしてがんばってくれたし、卓球もほぼ一人でやっていただろう。疲れているかもって思ったら起こすのは忍びないと思ったんだよ」

 なぜか視線をそらす十流に薫は顔を一気に赤くする。

「なんでそう変なところに気を使うのよ。かりにも私は退魔師なのよ。あんなことで疲れたりするもんですか。それよりもさっきから妙な気配がしない?」

 薫の問いに十流は小さく頷く。

「闇喰いなのか、それともこちらの勘違いなのか。薫にもわからないのか?」

「こんな小さな気配は今まで感じたことがないわ。それに体にまとわりつくような気配なんて始めてよ」

 薫は経験則だけではこの気配の原因がなんなのか検討もつかない。このままでは埒があかないと判断しくるりと部屋へと入ろうとする。

「この建物の中には闇喰いの気配は感じない。外に原因があるかもしれないから私、着替えてくるね」

 そう言う薫を見送り十流は部屋の外で待つことにする。


「お待たせ」

 出てきた薫は動きやすいジーンズにパーカーを着込んでいる。

「あれ? それって」

 十流がよく見るとそれは自分が着ているパーカーと色違いのピンク色をしていた。

「刹那さんにもらったの。今回の校外学習に着ていきなさいって言われて……」

 俯いてほんの少し口を尖らせて弁解する薫はどことなく可愛く見える。

 見ているこっちまで恥ずかしくなった十流は踵を返して、

「それじゃあ早速――」

 ガチャ。

 十流たちの隣の部屋――、いきなりドアが開けられ一人の男子生徒が浴衣のまま出てくる。

「あの、いや、これはその」

「私達、別に悪いことしているわけじゃあなくて」

 二人して身振り手振りで誤魔化そうとするが当の生徒は気にもとめない。

「おい、寝ぼけているのか?」

 十流が近づこうとすると、

 ガチャ、ガチャ。

 一斉に部屋のドアが開き、数人の生徒が部屋から出てくる。

「なに、これ?」

 薫が珍しく事態に驚くのも束の間、出てきた生徒はフラフラと歩き始めた。

「この後、肝試しでもあるのか?」

「そんなわけないでしょ。絶対に変よ」

 十流と薫は手当たり次第に生徒たちに体を揺すり、または声をかけるが何の反応もない。それどころか歩みを止めることなく外へと出て行ってしまう。

「一体、どうなっているんだ?」

 宿舎の外、玄関を出てすぐの外灯の下で十流と薫は途方に暮れていた。出て行ってしまった生徒達は暗い夜道をおぼつかない足取りでどこかへと行ってしまう。

 追いかけるべきか否か、困惑する十流の姿を薫は見ていると、ある異変に気がついた。 外灯に照らされる十流の体に、二人が感じていたまとわりつく気配の正体が姿を現していた。

 薫は左手を掲げて無言のまま退魔師の武器――桜花を呼び寄せる。

 鞘から刀を引き抜く構える薫の姿を目に止めて十流は後ずさる。

「ちょっと待て、薫。俺が何かしたか? もしかして昼間のことか……。確かにあれは言い過ぎた。反省している、だからどうか」

 弁明の言葉さえ聞く耳もたない薫は桜花を上段に構える。

「動かないで」

「ひっ」

 怖がる十流を無視して薫は桜花を振り落とす。

 何が起きたかわからず目を開けると抜き身の刀を下げて薫がこちらを見ている。

「……?」

「これよ」

 薫は左手で何かをつまんでいるような仕草をしていた。だが十流にはそれが何なのか見えない。

「よく目を凝らして見てみなさい」

 薫に言われて目を細めてみるとそれは外灯の光に反射している。

「糸か……?」

 細い糸が確かに目の前にあった。

「もしかしてそれが俺の体についていたのか?」

「そうよ。そして私の体にも」

 薫は、今度は桜花を器用に自分の周りで回転させ、巻き付いていた糸を斬る。

「どう? 奇妙な気配が消えたでしょ。この糸が原因だったのよ」

 確かに糸を斬られてからまとわりつくような気配は嘘のよに消えている。

「もしかして、みんなはこの糸で操られているのか? だとしたら」

 十流と薫は一斉に宿舎に顔を向ける。

「川田が」

「平泉さんが」

 はじけるように二人は部屋へと戻りおもいっきりドアを開け放つ。幸いなことに川田は深い眠りについており、襖の奥にいる平泉も騒動に気がついていない。

「私は平泉さんを、十流は川田をお願い」

 十流はこくりと頷くと、

(来い! 討牙)

 川田を起こさないように心の中で自分の武器――討牙を呼び寄せる。

 音も無く抜き放ち、

(せえの)

 川田に巻き付けられている糸を斬っていく。

「ふう、これで一安心だな。それにしてもこれだけ騒いでいるのによく寝ていられるな」

 布団からはみ出て大きな口を開き、そこから一筋のよだれが出ている、なんともみっともない姿を川田はさらしていた。

「こっちも終わったわよ」

 襖をゆっくりと閉めて小声で十流と相槌を打つ。

「良かった――って何やってんだ?」

 十流を背にして薫は部屋の入り口まで来ると右手で十字を切る。

「四方より結ばれて我らを守る陣をなさん――展開、守護陣形」

 十字を切った後、円形に指をなぞると、魔方陣が浮かび上がり、それが部屋の天井に貼りつくと部屋全体が淡い光に包まれ、やがて消えてしまう。

「結界よ。闇喰いからの攻撃および侵入を防いでくれるわ。生憎、私の力では宿全体を守れるほどの結界は張れないからせめてね」

 そうして二人は再び宿屋の外へと出てきた。

「急ごう、薫。行ってしまったみんなも助けないと」

 駆け出そうとする十流の腕を薫が強引に引っ張る。

「待って」

「何だよ。早く行かないとみんなを見失う。だから……」

 言いかけて十流は口ごもる。薫の表情が明らかに厳しい。それでいて何かを思い詰めているような感じを受ける。

 そして薫から発せられた一言は意外なものだった。

「このまま、尾行するわよ。うまくいけば闇喰いの居場所を突き止めることができる」

 動揺を微塵も感じさせない言葉に十流は息を飲む。

 でもそれは……。

「みんなを餌にするつもりか?」

 十流の中ではありえない話に薫はこくりと頷いた。

「忘れないで。私達の目的は人々を闇喰いの脅威から守ること。例え今、彼らを助けたとしてもその原因ともいえる闇喰いを倒さなくては意味が無いわ。酷かもしれないけどここは我慢するしかないの」

 はっきりとした言葉だった。だがそれとは裏腹に薫は手をぎゅと握りしめ小刻みに震えている。そして地面に視線を落としてしまう。

(ああっ、これは薫がやせ我慢している態度だな。本当はこんなこと言いたくないのにあえて厳しいことを言っているのか)

 幼馴染みゆえに薫のちょっとした仕草でどんな風に考えているのかわかってしまう。

 言いたくない。

 やりたくない。

 本当は助けたい。

 薫の心の叫びが今にも聞こえてきそうだった。

「ふう、わかったよ。ここは薫の言うとおりにする。ただし――」

 十流は大きく息を吐くと、俯いている薫の頭に手を乗せる。

「絶対に闇喰いを倒そう」

「うん!」

 決意を胸に二人は闇の道へと駆け出していく。



 山間にある村の道は夜にもなると一気に視界が悪くなる。街灯は都会に比べて少なく、月が出ていたことが幸いだった。十流と薫は帯刀したまま、どこかへと歩いてくクラスメイトならびに他の生徒たちに追走していた。先に行ってしまったクラスメイトに追いついたのも束の間、どこからともなく現れた他のクラスの生徒が合流し、さながら浴衣を着た行進団となっていた。

「まさか他のクラスまでね。それでも少ないほうか」

「そうね。私達のクラスも全員がやられたわけではなさそうよ」

 先ほどは冷静に分析できなかったが、クラスの一部の者だけが操られているようだった。薫に卓球で負けた林、黄色い声援を送っていた佐藤、普段あまり関わらないとはいえ、闇喰いの犠牲になろうとしているのをこうやって見ているのも歯がゆい思いが募っていく。

「これが闇喰いの仕業というのはわかるが、だとしたら宿主がいるはず……。生徒の中にいたのか、それともこの村に住んでいる誰か」

「それにしてもやり方が変ね。こういう言い方はしたくないけど操るなんてことしないで直接、心を喰おうと思えば出来るはずなのにわざわざ集めようとしている。何が目的でもあるのかな……」

 浴衣の行進を傍らで見ている影で二人はこの事態を推測していた。

 闇喰いを生み出した宿主とは誰か。

 本来、人の心を喰らうことを目的にする闇喰い。

 その常識から外れた行動。

 不可解な事態の謎を解く舞台が少しずつ十流達の目の前に現れる。


 やがて一行がたどり着いたのは、小高い山に石畳の階段、その先にある来訪者を招き入れる鳥居――そう昼間、十流たちがウォークラリーで立ち寄った場所だった。

「よりによって神社かよ。夜になるとなんだか不気味だな」

 木々によって囲まれ、街灯が少ないこともあってか神聖な場所だと意識していても見る者には不気味さを際立てさせる。

「見て、十流。どうやら鳥居が堺面世界の入り口みたい。ちょっと洒落てるじゃない」

 一方の薫は臆することなく現状を冷静に観察する。

 ところが自分のパートナーは唇をぎゅっと結び、眼が泳いでしまっている。

 そんな情けない十流に向かって声を張り上げる。

「こら、十流。私達は退魔師なのよ。怖がってどうするの?」

 薫は十流の袖を無理矢理引っ張って鳥居をくぐる。

 鳥居を抜けた先、現実世界とは違う堺面世界へとつながっていた。見えるものは変わらない。だが生気を感じられない偽物の世界。

 十流と薫は操られ、この世界へと引き込まれた生徒たちの後ろについて石畳の階段を昇る。

 登り終えると見えた先には灯籠と境内、だが生徒はそこから回り込むように歩いて行く。

 薫は階段の脇、茂みを指さす。

「私達はこちらからいきましょ」

 二人はなるべく音を立てないように茂みに入り遠目ながら生徒の動向を探る。

 境内を軸に半周すると、そこで生徒の一団は動きを止めた。境内の真反対、そこは捨てられた人形が置いてある場所だった。

「人形……、糸で操る……、まさか」

 十流は昼間に出会ったあの洋人形のことを思い出す。つばの広い帽子に、つぶらな瞳、他の人形にはなかった存在感。そして空耳かもしれない女の子の声、

『行かないで』

 それが今になって脳裏に蘇ってきた。

 物思いにふける十流とは反対に薫は冷静に状況を見ていた。

 等間隔に整列した生徒の群れ。

 境内の裏側、そこからはまだ闇喰いの気配はおろか宿主であろう人の気配は感じられない。

 上空には堺面世界では珍しく偽物の月が厚い雲を避けるように辺りを照らす。

 固唾を飲みながら生徒たちの様子を見ていると、

 ぱーぱら、ぱらあ、ぱ、ぱ、ぱー。

 けたたましくラッパが鳴らされると、境内の障子が一気に開け放たれる。

「え?」

「なっ?」

 暗い中から歩いてきたものに十流と薫は驚く。

 おぼつかない足取りで出てきたのはつばの広い帽子に、プラスチックで出来た大きな瞳、ドレスを着込んだ洋人形。十流が気にかけたあの人形が一人でに歩いて生徒達の眼前に姿を現した。

 人形は短い両手を天に突き上げる。

「みんな、今日は集まってくれてありがとう」

 幼い少女の声が人形から発せられる。

「月も私達を歓待してくれています。日が明けるまで踊りましょう」

 そう言うと洋人形の傍らから白いタキシードを着た人形が現れ、手を取りお辞儀する。

 それに習うように操られ放心状態の生徒たちも近くにいた生徒――男女関係なくペアを組む。どこからともなく奏でられるピアノ演奏とともに踊り始める。

 一通りの顛末を見ていた十流はようやく口を開く。

「なあ、薫。今の人形って独りでに踊ったり、しゃべったりするんだ……」

「そんなわけないでしょ。明らかに変よ。どれもこれも闇喰いの仕業よ。どこかに潜んでいるはず」

 そう薫は豪語したものの、肝心の闇喰いがどこにいるかは特定出来ないでいた。十流同様、人形たちが織りなす踊りをただ見ていることしかできない。少女の洋人形は軽やかなステップを踏み、タキシードの人形がそれに追随する。生徒たちはぎこちながらも踊りを続けるが、彼等が正気を戻す気配はない。無意識のうちにこんなところに連れてこられ踊らされていることすら認識できない。

 十分以上、踊っただろうか演奏が止み、一同はその場に整列する。

 十流と薫は茂みの中、気配を殺し様子を伺う。いつ闇喰いが生徒たちを襲うことになっても迎撃できる体制をとる。

 タキシードの人形が奥へと引っ込み、残された洋人形が一緒に踊ってくれた生徒たちをねぎらう。

「みんな、踊り上手だね。まだまだ踊っていたいところだけど今日は特別な日になりそう」

 物憂げに語る洋人形は首を傾ける。

「だって招かざる客がいるんだもの……」

 その言葉に十流は心臓が跳ね上がる思いがした。

(気づかれた?)

 思わず薫の顔を見るが、首を横に振る。ようはこのまま待機しろということらしい。

「そろそろ出てきてくださいな。茂みに隠れているお二人さん」

 洋人形の言葉と同時に生徒たちが一斉に振り向く。

「!」

 多くの視線にさらされ十流たちは茂みから躍り出る。

 十流はやや緊張気味の顔で薫は厳しい顔で生徒たちそして洋人形の前に姿を現す。

「ようこそ、私の踊り場へ。歓迎しますわ」

 優雅に頭を垂れてお辞儀する洋人形に対して薫は鼻を鳴らす。

「歓迎する必要はないわ。それにあんたの踊りに付き合うつもりもない。さっさと闇喰いを出しなさい。それともあなたが闇喰い?」

 薫の挑発に人形は口に手を当てて困った様子を見せる。

「闇喰い? 何ですのそれ? それにあなたたちは一体……?」

「私達は退魔師よ。闇喰いを討つもの」

 しかし、人形は首を左右に傾けるだけでうろたえも驚きも見せない。

「タイ……マシ? 庭師なら知ってるけど」

 人形の言葉に十流は眉をひそめる。

「退魔師を知らない?」

 闇喰いは人の心から生まれるがその瞬間に自らの天敵となる存在を認識していることを十流は前に戦った闇喰いから聞かされていた。すなわち闇喰いは退魔師という天敵を知っていて当然なのである、しかし、この洋人形は知らないそぶりを見せている。本当に知らないのか、知らないそぶりを見せているのか、それとも闇喰いではないのか、ならなぜしゃべることができる。どこかに闇喰いが潜んでいるのか。

 色々と疑問が浮かんでくるうちに洋人形が先に動いた。

「どちらにせよ。あなた方は私達の踊りを邪魔しに来たと言うこと……。ならば容赦はしませんわ」

 今までの無邪気な気配が一転して殺気へと変貌する。

「言ったはずよ。あなたと踊る気なんてさらさら無い」

 薫は腰に差した桜花の柄を握ると一気に抜き放つ。それとともにブロンドの髪が金髪へと変わる。月の光を受けて輝きが増す。

「みんなを返してもらうぞ」

 十流も腰に差した討牙を抜くと、その瞳が朱に染まる。

「桜舞い散り闇を切り裂くこの桜花の名においてお前を討つ!」

 薫の宣言に対して十流は、

「えっ〜と、そのとりあえずお前を討つ」

 後でちゃんと台詞を考えることを討牙に約束して十流は人形を目指して駆ける。

 裂帛の気迫で駆ける二人に、

「刃物を持ち出すなんて怖い人たち。でも……」

 言いかけるやいなや人形と十流たちの間に生徒が立ちふさがる。

「……!」

「私にはたくさんの友達がいる。怖がる必要がないわ」

 洋人形のからかうような仕草にいらだつも眼前にいる生徒をどうするべかわからず立ち止まる。

「薫……」

「……前!」

 顔を逸らした隙にひとりの生徒が襲いかかってくる。寸前で躱すと、それを合図に四方から他の生徒たちが迫ってきた。

「とにかく操っている糸を斬るか、もしくは気絶させるしかないわ。峰をうまく使って!」

 頷く前に迫ってきた生徒を転ばせ周囲を見渡せば、薫と寸断されるように囲まれてしまっている。

「くそっ」

 これだけ周りを囲まれている状況で操っている糸だけを斬るのは至難の業である。まかり間違えば生徒も斬ってしまう。打撃という手段も選択できなかった。闇喰い相手ならともかく魔力のこもった拳は人間の骨など軽く砕いてしまう。

 結局、十流は討牙の刃を返し、峰で前方にいた二人の胴を薙ぎ、昏倒させる。

「ちくしょう、ごめん」

 気遣う間もなく十流にまた生徒たちが迫ってくる。

 姫川薫も本来守るはずの人間を前に苦闘していた。

 一対一という状況なら糸を斬るなり、飛び越えるなりの戦い方ができるはずだが、相手は複数であり、戦闘経験はおろか意思もなく戦わされている者たちである。動きは変則的で突発的、糸だけを斬るなどの器用なことはできない。術を行使し遠くにいる人形を狙うこともできるが、もし盾に使われたらと考えると躊躇してしまう。

 そう思案しているうちに前からつかみかかるように生徒が走り出してくる。

「……っ」

 薫は桜花を鞘に収めると、飛びかかってきた生徒の両肩に手を乗せる。勢いそのままに足を宙づりのような姿勢に持って行くと、肩に乗せた手をはずし落ちる最中に腰をひねって体を回転させる。

「はあっ」

 足を広げて囲んでいる生徒に蹴りを見舞う。倒れ伏す生徒を尻目に先に進もうとするがまたしても行く手を阻まれる。

「このままじゃ」

 枷をはめられた戦いに薫は焦り始める。


 洋人形は木造の階段の先、境内に立ち戦況を見つめていた。

「なかなかやりますわね。私の友達をこうもたやすく……」

 二人は苦戦を強いられていたもののうまく立ち回りことで生徒の人数を減らしていた。

 あと残り数人。この状況ならどちらかにこの場を任せ、一足飛びに洋人形の間合い入れると思っていた。

「友達のわりにはけっこうひどいことさせるんだな。自分は高みの見物ってわけだ」

 十流の苛立ちにしかし、洋人形は笑って返す。

「あら、友達は互いを助け合うものでしょ。この人たちも私を助けるために頑張ってくれている。なにか違いまして?」

 操って戦わせているくせに何を勝手なことを。

 十流は心中思いつつも、睨む洋人形にある違和感を抱いた。

(やけに友達って単語を使うな……。でもなんだろう、この感じは……。余裕がない、違う、この戦いに関してじゃあない。じゃあ一体……?)

 十流は昼間、洋人形を見たときと同様のものを感じることができた。殺気とは違う何かを。

「でもあんたの言う友達も残り少ないわよ。そろそろ覚悟を決めたらどう?」

 薫はあえて挑発することで相手の出方をうかがうことにした。新たな手があるのか、無いのならこの場は十流に任せて自分が飛び込むか。

「覚悟を決める必要はありませんわ。何故なら私の友達はすぐに立ち上がってくれるもの」

 洋人形の右手が上がると、それに呼応するように倒れていた生徒たちが起き上がりまたしても十流と薫を囲んでしまう。

 絶句する二人に洋人形は顔を俯かせてつぶやくように話す。

「私だって友達にこんなことさせたくない。でも……、もう離れたくないから。やっと手に入れたの。久しぶりに踊ることも出来たの。だから……」

 顔を上げ絶叫する。

「絶対に渡さない! あなたたちに奪われてたまるものか!」

 洋人形の声が静寂を破り、またしても生徒たちは十流と薫をめがけて突進してくる。

 薫は後ろから両肩を捕まれても何とか力尽くでほどくと首に手刀を浴びせ再び昏倒させる。

「本当にこのままじゃ」

 ――殺してしまうかもしれない。

 今は多少の怪我だけだがいつ力の加減を間違えるかわからない。それでなくともそうとうな傷を負わせている。なんとか打開策を考えるが思いつかない。薫の中でただただ悲壮感が漂い始めていた。

(何故だ? なんでこんなことがわかる)

 十流の視線はずっと人形の方へと向けられている。次第に戦況が悪くなっていることなどお構いなしに人形を見続けていた。

(これは気配……違う。溢れ出る想い、気持ち、それが伝わってくる。いや見えるんだ。薫もわかっているのかな?)

 ちらりと薫の方を見れば、険しい表情で生徒たちの相手をしている。

(どうやらそれどころじゃあないらしい。でも俺が感じていることが合っているのなら人形の言っていることは……)

 十流は確信を持って人形に一歩また一歩と近づいていく。周りから押さえにかかる生徒など視界に入っていなかった。ただ一つ話がしたかった。人形が何を想い、憂いの気持ちを抱いているかを。

「そうよ。渡さない。もう一人になるのはイヤ……。私の友達……」

「違う!」

 人形の言葉に被さるように十流は否定を示す。

 その声にはっとした人形は十流の姿を見据える。まるで自分の全てを見透かすような赤い瞳がこちらを見ている。

「違うって何が?」

 気圧されるように絞り出した声に十流は一旦、目を閉じて自分が感じ取った想いを口にする。

「君はこの人たちを友達と言っているけど本当にそうなのか? 俺にはとてもそうは思えない。取り繕うように友達って言うけど君が本当に欲しかったのはこんな人形のような友達なのか?」

「……」

 人形は沈黙してしまった。それに呼応するように操られていた生徒も動きを止める。

 薫は十流の言葉、人形が動きを止めたこと、それを不思議そうに見ながら双方のやりとりをしばし静観することにした。今、自分が発言し、行動することは不利にしか働かないとの判断だった。

(それにしても十流、いきなり何言い出すのかと思ったら――人形の考えがわかるって言うの?)

 いつも自分と話すときは違う、その真剣な眼差しに薫は複雑な面持ちで見る。

 しばしの沈黙の後、人形が口を開く。

「だってしょうがないじゃない。ここには誰も来てくれない。たまに興味本位で来てくれる人達だけ……。ずっといてくれる人なんていない」

「君はやっぱり捨てられたのか? ここに……」

「みんな私を捨てていく。出会った頃はうれしそうに抱きついてくれた。それから名前をつけてくれた。メリー、リンダ、シルビア、他にもあったわ」

 もうどこかへと言ってしまった過去を紡ぐように洋人形は語り続ける。

「時には妹役、ある時はお姫様役、いっぱいいっぱい遊んだわ。夜怖くて一緒に寝たこともあったわ。ずっと一緒にいてくれるって約束してくれたのに……。それなのに……、みんな、みんな、私を捨てていく! 暗い部屋に押し込められたと思ったらいきなり私を他の人に渡してしまう。それならまだいいわ! 最後の最後に私はこんな所に捨てられたのよ。もっとずっといたかったのに、私の想いも知らずに捨てたのよ。私のことなんて……」

 人形はうなだれるように身を屈め両手を床につけて震えていた。人形故に涙は出ない。でも十流と薫には人形が心の底から泣いているのが見て取れた。

「だから俺らの生徒を糸で操って友達にしようとしたわけだ。もう二度と離れないように……」

「わかったわ。この人達もこの神社の裏手まで回って人形を見たのよ。たぶんその時に

糸を体に巻き付けて、夜が深まるの待ったここまで連れてきたのね」

 傷つき、着ている浴衣もボロボロの状態で呆然と立っている生徒たちを見て薫は事の起こりを推測する。糸を巻き付けられただけでは何の気配も感じることがなかった。だがそれを使って操ろうとしたところで十流と薫は妙な気配に――自分の体にまとわりつくような小さな気配に気づくことができた。人形にしてみれば友達だけでなく自分の天敵すらも呼び寄せる結果となってしまった。

「私の想いなんて誰にもわからない……」

「わかるさ。君の想いが」

 当然のように言い放った十流に、薫も人形も目を見張る。

「最初はみんなを巻き込んでって思ったけど、そのうち君の言葉を聞いていると違和感を感じたんだ。友達っていうわりには全然、うれしそうじゃあなかった。欲しいものを手に入れたはずなのに欲するものが違う、これじゃあないって想いが伝わってきたんだ。君が本当に欲しかったのは――自分を本当に愛してくれる人だったんだ」

 十流の言葉に人形はコクリと頷く。

 少しずつ戦意を無くしていく人形に、十流はほっとする。

(どうやら俺が感じたものは合っていたようだな。本当のところは自信がなかったけど……。何故かはわからないけど想っていることを感じることができる。それを言葉にして伝えることができてよかった)

 まだ何も解決はしていないし、関係の無いものたちを巻き込んだことを許せるわけはないが、それでもこの洋人形に対して少なからず同情する部分があった。

 それ故にもう一つの想いを十流は伝えることにする。

「もう少しだけ話を続けてもいいかな?」

 優しい口調で訊いてみると人形のほうは何も言わずただこちらを見つめている。

「君はさっき――自分の想いなんてわからない――って言っていたけど、逆に君は君を捨てた人達の想いを考えたことはある?」

 十流の問いかけに人形は首を横に振る。

「君を手放す時、うれしそうだったのか、よろこんでいただろうか、俺はその人たちと会っていないから確実なことは言えないけどたぶん、君と同じように悲しかったと思うんだ」

「私と同じように……?」

 疑心暗鬼に尋ねる人形に十流は何かを思い出して笑う。

「これは俺の経験則だけど、その人形じゃあないけど、俺さ昔から漫画本とか貯めるくせがあって……」

「それは単に整理整頓が出来ないからでしょ」

 薫の横やりに苦笑いを浮かべつつ、

「それで母さんから捨てろって言われて、片付けていると――ふと寂しくなるんだよ。紐で縛っているときも何とかして置いておけないかなって考えるんだ。そしていざ捨てると寂しいからちょっとだけ悲しい気持ちになるんだ。薫もそういう経験あるだろ?」

 急にふられて、それでも過去を振り返ると確かにそういう気持ちになったことはある。

「そうね。私の場合はお人形さんだけど、どうしても捨てなきゃいけない時、何度か反抗してそれでも駄目だったら一晩中、ずっと抱きしめて、最後にお別れする時は、さんざん泣いた記憶があるな。別れたくないって思うの。あなたの持ち主たちはどうだったの? 最後の最後はどんな顔をしていた?」

 薫もさきほどまでの敵意をどこかにやり、同情の想いで人形に尋ねる。

「すごく悲しい顔をしていた……。初めて会ったときよりもきつく抱きしめてくれた。泣いて私の服が濡れるのもお構いなく泣いて、最後の最後まで手を握っていてくれた……」

 遠い昔に無くしたもの、もう取り戻せないもの、悲しいはずのものがいつしか憎む気持ちに変わってしまった。自分の気持ちをわかってくれないという憤りに甘えて、自分と共にいた人たちの想いを見ようとはしなかった。

 深い悔恨が胸に重くのしかかり、体全体を振るわせる。

「私は……、私は……、愛されていたのね。ずっと……」

 人形はそれだけ言うと黙って俯いていた。

 その様子をやはり黙って見る十流は少しずつ膨れあがる気配に気づく事は無かった。ただ一人を除いて。

(いる。闇喰いの気配が強くなっている。この人形からではないのは明らかね。十流は気付いているのかしら?)

 姫川薫はその場の空気とは明らかに違うものを感じていた。今まで人形から発せられた殺気、一旦は消えかかっていたものが再び燃え上がるのを感知していた。横目に十流を見ればずっと人形を注視している。普段ならもっと周りを見なさいと注意するところだが人形の想いに気付き、この場をある意味制することが出来たのは他ならぬ十流の功績とも言えるからである。

(十流も頑張ったんだから、ここは私も……)

 横にいる十流にも正面にいる人形にも悟られないように小さく言葉を紡ぐ。

 十流は討牙を鞘に収めるとゆっくりと人形へと近づいていく。

 一歩また一歩と近づいていくと人形に異変が生じる。胸のあたりに手を添え、苦しいそぶりを見せる。

「だめ……、もういいの……」

 十流は訝しげに人形を見る。その言葉は自分に向けられたものではない。

 他の誰かと話している。

 人形はさらに頭を抱え唸る。

「ううっ……、もうやめて。これ以上は意味が無い。私はもう満足よ。見えなかった想いを知ることが出来たから……」

 苦しそうにこちらを見る。口元がわずかに緩んで笑っているようにも見える。

「だからお願い……。逃げて、もう押さえられない!」

 人形の叫びに十流は身構える。

 そして人形の真上から二本の腕が伸びてくる。全体像は闇に紛れて見えないが手は明らかに作り物のような手をしている。十本の指が十流を一斉に指す。

「よけて!」

 少女の声が十流に危機を伝える。

 闇から放たれる光の筋を目にして十流は一人つぶやく。

「まったく都合が良いというか……、タイミングが良すぎるというか……」

 他の者なら初見では何が迫ってきているのかわからないが十流には自分の身に危険が迫ってくることがわかった。

 闇から自分に向かってくるもの――細い糸の数々。

 赤い眼はそれらを見逃さない。今の十流は全ての事象をスローモーションで見えた。

(巻き付けて操るつもりか……? 違うそんな生やさしいものじゃない)

 糸は複雑な軌道で十流の身に次第に近づいていく。

(糸で切り裂くつもりか。ならば……)

 十流はとっさの判断で糸が自分に当たる寸前に腰を後ろに折る。

 一時期流行った映画のワンシーンのように足だけで全体重を支え、腕を使ってバランスをとる。

 当たり損なった糸は十流の後方にあった土をえぐる。

 その体制のまま十流は鞘に収めた討牙を引き抜き、糸を断ち切る。

 上体を起こし、再び剣を構え、洋人形の後方――今は腕しか見えないが闇喰いに対峙する。

「逃げて、早く」

 泣き声で懇願する人形に十流は首を振る。

「君を置いて逃げるわけにはいかない。第一、俺たちの目的は闇喰いを倒すことなんだから。なっ、薫?」

 自分の横にいるであろう薫に声をかけるが反応は無い。

 いつもなら、当然でしょ――という言葉ぐらいは返ってくるのだが今は沈黙したままだ。

 さすがに変だと思った十流は無言のまま佇む薫の肩に手を置く。

「どうした、薫。どこか怪我でもしたか?」

 十流は薫の様子を伺っているといる、

 パシャっと音をたてて薫の姿が一瞬にして消える。

「なっ? なな――」

 驚くふためく十流の足下には小さな水溜まりが出来ていた。

「え? うえ? 薫?」

 幼馴染みが消えて頭が真っ白になってしまった十流は一応は辺りを見渡すがその姿はない。

 そこへ、

「いつまでそんな闇の中に隠れているつもりかしら?」

 聞き慣れた声に振り返れば、それは人形が立つ後ろ、暗闇の中から聞こえてくる。

 ドガアア――。

「ひっ」

 洋人形は思わず手で帽子が吹き飛ばされないように押さえその場にへばりつく。

 轟音と共に境内は吹き飛ばされ、塵芥の中、姿を現したのは、腕と同様に木製のやたらと細い足に、赤い付け鼻、三角帽子を被るそれは、

「ピエロ……か?」

 十流は昔、テレビで見た人形劇を思い出す。闇喰いの姿はまさしく糸に吊され踊る人形の姿に似ていた。

 現れたピエロの人形は空中で制止すると自分をはじき飛ばした元凶をにらみつける。境内より姿を見せる金髪の退魔師――姫川薫は何事もなかったように十流の前に出てきた。

「あれ? 薫さん。さっきまで俺の横にいませんでした? それにこれなんだよ?」

 十流の慌て様子に薫は肩を落とす。

「そんなに驚かないの。さっきまで十流の横にいたのは水の術で作った私の分身よ。十流と――この娘が話している時に闇喰いの気配を感じたから分身を作って、私は境内の正面に回り込んだのよ」

 薫は分身を使って十流や洋人形、そして潜んでいた闇喰いに自分がいることを認識させ、境内の正面に回り込み、気配を殺して期を待っていたということらしい。

「それなら一言ぐらい言ってくれても」

「あら、敵をだますならまず味方からって言わない」

 まったく悪びれもせず言う薫に十流は半ば呆れて、空中に浮遊する闇喰いに視線を移す。

「マリオネット……ね」

 空中に浮かぶ闇喰いにそう呟くと桜花を構える。

 闇喰いが腕を薫に伸すとまたしても糸を使い攻撃してくる。

「!」

 跳躍しようと腰を屈めたとき不意に、怯えた様子の洋人形が目に映った。

「ハッ」

 薫はその場に留まると向かい来る糸のそれを桜花を振ることで防ぐ。なるべく洋人形に当たらないように捌いていく。

 その様子をじっと見ていた洋人形が怖々と声を上げる。

「どう……して?」

 あれほどひどいことをしたのに、最初は剣さえ向けてきたのに今は守ろうとしている。その行為が人形には理解できなかった。

 薫は剣で糸を防ぎながらも尋ねられたことに答える。

「闇喰いを倒すのが退魔師の役割。でもね、退魔師ってそれだけじゃあないのよ。人を守ることも退魔師にとって大事なことなのよ」

「でも私は人間じゃあない」

「それでも守る。あなたが人形なのに何で話せるのかとか独りでに動けるのかなんていうのはこのさい無視するわ。あなたが人形であろうとそれでもあなたは十流を助けようとしたでしょ? あなたにも人の心があるってこと。だから――守る。闇喰いの脅威に怯える全てのものを守るのが私達なのよ」

 攻撃が止み、ふうっと一息つくと再び桜花を構え直す。体の所々にはすり傷が出来ていたが薫は意に介さない。それどころか眼光はするどさを増していた。

(さすがは薫だな。お前がパートナーで良かったよ)

 十流は心中、呟くと闇喰いに回り込むように移動する。そして短く詠唱する。

(俺だって退魔師なんだ。今まで遊んできたわけじゃあない)

 前の宙に浮く闇喰いに手こずった経験から薫から本格的な攻撃術のレクチャを受けていた。まだまだ半人前だがそれでも無いよりはマシである。

 薫も十流の動きがわかっていた。そして二人の目と目が合い、

「いくぞ! 薫」

「わかった」

 十流の合図に答えて薫は腰を低くして跳躍の構えをとる。

 二人の言葉に闇喰いは交互に視線を移すが、二人同時に相手にするか一人を確実に始末するかその判断が命取りとなった。

 十流は詠唱を終えると右手に炎の塊を作り出す。

「イメージするんだ。全てを燃やすイメージを……」

 そしてそれを闇喰いに向けて投げつける。

 ドウゥゥゥ。

 闇喰いは片手でそれを防ぐ。薫のような威力は出せないがそれで良かった。

「まだ時間稼ぎにしかならないけどな」

 悔しいがこれが全力だった。あとは――、

「はあああ」

 闇喰いの注意が逸れた隙をつき、薫が跳躍で闇喰いの眼前まで迫る。

 闇喰いは抵抗しようとするが、

「遅い!」

 桜花の一閃がマリオネットの体を左右に分断する。

「全ての闇よ――」

 返す刃で横薙ぎに払う。

「散りゆくがいい!」

 見事な十字切りにより闇喰いは霧散していく。

 

 空気抵抗により持ち上がった金髪と共に薫は地面へと音もなく立つ。

(綺麗だな)

 十流も心の中で呟くほどに今の薫は鮮烈であり、優雅でもあった。

(まったく神様っていうのも不公平だよな。容姿は綺麗なのに口を開くと怖いからな)

 本人に聞かれたらまず命がないであろう言葉を心の中で叫ぶ。

 桜花を鞘に収め、ほほ笑みを浮かべて十流に近づいてくる。

「ナイスフォローだったわよ、十流」

 珍しい褒め言葉に十流は肩をすくめる。

「まだまだ、薫のパートナーとしては役者不足だよ」

 軽口をたたいて、でも褒められたことに十流は少しだけうれしく思う。

「なあ、倒れているみんなはどうする?」

 戦いの後、二人の周りには闇喰いの呪縛から解き放たれた生徒が倒れ伏している。

 彼等を心配そうに見る十流とは反対に、

「ここに置いていくわよ」

 と薫は素っ気ない返事をする。

「おいおい、いくらなんでも……」

「じゃあ、十流がみんなを担いでいく? ――というのは冗談で一応、先生にはメールで知らせておくわ。それにそのうち現実世界に戻るから大丈夫でしょ」

 全然大丈夫ではない状況だが、十流や薫だけではどうすることもできず、その場に放置することにする。

(さっきは退魔師の役割は人を守ることだって言った割にはこういうことはドライだよな)

 などと心中で文句を言いつつ、十流はこれまた倒れている洋人形の方へと近づいていく。

「大丈夫か?」

 俯せの彼女を起き上がらせるが反応がない。

「うん?」

 体を揺さぶりそれでも反応が無いため、ゆっくりと持ち上げるが、さっきまで雄弁に語っていた洋人形から言葉は聞こえない。独りでに動くこともなくただ十流に抱かれていた。 髪が乱れ、すす汚れている洋人形を手にして薫の方へ向く。

「なあ、薫?」

 この人形だけはどうしてもここに置き去りにしたくないと思った。偶然かもしれないがはっきりと他者の心の底を見ることが出来た。

 悲しく、寂しい想い。これほど胸を打つ叫びを聞いたのは初めての経験だった。それでなくともこの洋人形の今までの道程を考えればこのままにしておくにはあまりにもかわいそうだった。

「あの……この人形なんだけど」

 言いよどむ十流の心中を察してか、薫は十流から洋人形を取り上げてしまう。

「いいわ。この人形、私が引き取るわ」

 思いがけない薫の提案に十流は驚く。

「いやそれはそれでいいんだけど、なんて言うか言い出しっぺは俺だし……、ここは俺が引き取った方が良いのかなって思うんだけど」

「そんなに気を使わなくていいわよ。第一、十流がこの娘を連れてったら変な目で見られるでしょ。それに私もなんだか気に入ったし」

 うれしそうに言うと薫は洋人形をだっこするように抱える。

 もう話す事も無い人形に薫は真剣な面持ちで言う。

「一緒にいてあげても良いけど、永遠に一緒っていうわけにはいかないわ。いずれ別れの時がくる。でもそれまでは絶対にあなたを見捨てたりしない。そして別れる時もあなたを大事にしてくれる人を見つけてあげる。それで良ければ来る?」

 うん、と薫は洋人形の頭を動かして無理矢理頷かせる。

「ほら、うんって言ってる。これで今日からあなたは私の物よ」

「いやいや、それはいくらなんでも……」

「名前は……、マリアにするわ。体型もなかなかだし、そうだ、姫川ブランドの子供服着せたら似合いそう。でもますは汚れを落とさないとね」

 上機嫌になった薫は十流をそっちのけで歩き出す。

 抗議の声も虚しく、十流は薫の後を追う。ふと見ると薫の肩越しに人形の顔がこちらをみている。

『ありがとう』

「え?」

 あの時の少女の声が頭に響く。それが人形のものかどうか今はわかりようもない。だた人形の笑顔が初めて見たときよりも幸せに満ちていたのは気のせいではなかった。



 山間の彼方から少しずつ太陽の光が漏れ出している。

「ありゃ、もう朝か……」

 十流と薫は堺面世界から現実世界へと戻り、薫に抱かれた人形と共に宿舎の道を歩いていた。

「結局、闇喰いの生みの親である宿主が誰かはわからずじまいだな」

「そうね……」

 闇喰いと宿主は基本は常に一緒にいる。これは生み出し成長するまでは宿主とつながっていることが原因と言われている。だがあの場所には無理矢理連れてこられた生徒とそして洋人形――マリアしかいなかった。もしくは宿主のなどそっちのけで人の心を喰らおうとしていたのか。

 もしくはマリアが生み出したのか。

 事の真相を知るマリアはもう話すことは無い。それに宿主を責めても埒があかない。

 闇喰いは倒したものの何か釈然としないものがあった。

「友達……か」

 ふいに薫はぽつりと呟く。十流は訝しげに薫の方を見る。何かに憂うような目をしながらじっと地面を見つめている。

「マリアの話を思い出していたの。本当にマリアは友達を大事にしたいてんだなって。私にはそれが痛いほどわかる」

 かつて自分にもいた、かけがえのない友達。

 一緒に話したり、笑って、共に過ごした時間。

 退魔師であることを隠し、友人として過ごした人物はもういない。

 自分が巻き込んだばかりに。

「十流はさ。友達っているの? 本当に心からそう言える人」

 嫌な思い出をかき消すように薫は十流に問いかける。

 思いもよらない質問に少し戸惑うも十流はそれに答える。

「いや、いないよ。薫の知っているとおり俺はあまり人付き合いしてこなかったしさ。今のクラスでも友達って言える奴はいないな」

「川田は違うの?」

 恐らくは宿舎で爆睡している人物を思い出し、だが首を振る。

「違うだろうな。一年前からクラスが一緒だったが妙にあいつのほうから寄ってくるんだよな。根掘り葉掘り聞いてくるし、こっちが聞きたくなくても色々な事を教えてくれたりな。まあ、根はいい奴だとは思うけど」

「そう……」

 そう言ったきりまた薫は視線を落とす。

 いつもとは違う雰囲気の薫に十流は何やらただならぬものを感じた。

 何か言いたいのか。

 悩みがあるのか。

(友達がいるか――、なんで今、そんな質問を?)

 見かねた十流も薫に訊く。

「お前はどうなんだよ。京都とかに友達はいるのか?」

 努めて明るく、せめてこの重い空気を和らげるような声で問いかけるがその反応はさらに暗かった。

「いるわ、一人だけ……」

 友達がいるのだからもう少しうれしそうにすれば良いのに、あえて短い言葉で返す薫に秘めた何かの想いが垣間見れた。

(その友達と何かあったのかな。わざわざ突っ込む必要もないか)

 話すときになったら話すだろう。十流は話題を変えることにした。

「友達がいるのか。いいじゃないか、俺なんて一人もいないし」

「違うわ。私も十流と一緒――人付き合いが下手なの」

 意外な返事に十流は目を丸くする。

「そんなことはないだろう。クラスでも結構、人気あるし……」

 十流が見てきた事実に対して、薫は何度か首を振る。

「それは表面上のことよ。ちょっと目立ち過ぎているけど……」

「……」

 一緒に東京にいた頃は、奥手であまり外へと行くことはなかった。どちらかといえば十流が薫の手を引っ張っていくのが常だった。学校の時も女友達はいなかった。むしろ十流と一緒にいる時間が長かったのではないだろうか。今となっては立場は完全に逆転し、学校でも退魔師としてもむしろ引っ張ってもらっている状態にあるのだが。

 しばらく沈黙が続きやがて薫は口を開く。

「京都にいた頃、私は学校と退魔師との両立をしていたの。昼間は学校での勉強、放課後は退魔師の鍛錬。だから誘いがあっても断るしかなかった。それは今も同じ。何度かクラスの人から誘いを受けているんだけど全部、断っているわ。十流を利用しているわけじゃないけど、十流と一緒に帰るからって――下手な嘘をついてね」

 十流は薫が転校してからの二ヶ月足らずを思い返してみれば、確かにほとんど自分と一緒に帰っているし、休みの日も昼間はさすがにやらないが夜になれば毎日のように退魔師の鍛錬に付き合ってくれる。誰かと遊びに行くという単語を聞いたことすらなかった。

「どうして誘いを断るんだ? 俺の鍛錬に付き合ってくれるのは有り難いけど、少しぐらい遊んだって誰も悪いとは言わないぞ」

 自分のせいでプライベートの時間まで割かれているのは申し訳ないと思ったがそれは勘違いだと知る。

「ううん、違う。前に十流が話してくれた周りの人を巻き込みたくないっていうのと同じ。私もそうだから。誰か特定の人と仲良くなっていざ闇喰いが出てきたらどうしようって思うの。守れる力はあるかもしれない。でも守れなかったら、私と関わったことでその人が傷ついたら、私のせいではなくてもたぶん私は自分を責める。そうなるぐらいならって。それに――」

「それに?」

「もう二度と私のせいで不幸になる人を見たくないから」

 はっきりとした声に、十流は今までに無い薫の一面を垣間見た気がした。

 そっと横目に薫を見れば表情は見えないが視線を落とし、人形をきつく抱きしめる仕草、そして洋人形の時のように薫から漏れ出す感情を感じる事が出来る。本人は隠しているつもりでも十流にはわかる。

 拒絶、哀しみ、何かに対する切望。

 普段は口うるさく、鍛錬は厳しく、戦いの時は凜々しく、恥じらう姿は妙に可愛くて、そんな表面上とは違う、薫の内面をようやく見れたような気がした。

 そうは言っても今の自分に何が出来るだろうか。

 感情を想いを知ることは出来ても、それが具体的に何故、そう思うのか、どうして欲しいのか、それはやはり本人から聞くしかない。

(だがそう軽々しく訊くものではないと思うし、今は待つしかないな)

 そう結論つけると十流は母・刹那の話を思い出す。

(そういえば……)

 ずっと伏せている薫に向かって十流は話す。

「俺さ、この校外学習に行くの結構、嫌だったんだ。来る前に言ったとおり闇喰いが出てきたらって思うとさ。まあ、実際戦うことになったけど」

「……」

「それで母さんに相談したんだ。そうしたらこう言われた。『あなたは退魔師であっても神様じゃない、普通の人間と変わらない。だから全てを守ろうとは思わないで』て言われたよ」

 照れくさそうに言う十流の顔をちらりと見て薫は、

(刹那さん、そんなこと言ったんだ。でも助言をお願いしたのは私だし退魔師が万能じゃあないことは自分がよくわかってる。痛いほどよくわかってる)

 ぷいとそっぽを向くように視線を逸らす。

 薫の仕草に気付かず十流は続きを話す。

「あともう一つ大事なことを言われたよ。『退魔師のことをがんばるのも良いけど学校生活も楽しんで欲しい。たった一度しかないものだから』って」

「たった一度の学校生活?」

 その言葉に薫は、はっとさせられる。

「ああ、だからもっと俺たちからハードルを下げても良いんじゃあないかな」

「ハードルを下げる……」

「そう、もっと俺たちから人と関係を持つようにすれば良いと思うんだ。もちろん退魔師のこととか話すわけにはいかないけど、それでもほんの少しでも自分の事をわかってくれる人がいれば学校生活も少しは楽しめると思うんだよ」

 笑顔で語る十流に薫は少し顔を緩める。

 校外学習に行く前、十流があまりにも退魔師のこと、何でも守らなければという強迫観念に捕らわれていることを危惧していた。

 ところがどうだろう。

 捕らわれていたのは自分ではなかろうか。

 退魔師のこと、闇喰いのこと、それらを気にしすぎていなかっただろうか。

(人のこと言えないわね。私のほうこそ肩の力を抜いたほうが良いのかな)

 薫の固い表情が崩れたの見て十流はある提案をする。

「なあ、薫。平泉と友達になったらどうだ?」

「平泉さんと?」

「ああ、良い関係になると思うんだよな。それに薫は気付いていないと思うけど平泉は結構、お前のこと見てるんだぜ。俺と薫が話している時とか、授業中もさ、あの目はなんて言うか憧れの目だな」

 何故か胸を張って豪語する十流を見て薫は思わず吹き出す。

「ふふっ、何よそれ。ほんと十流って変なところで気を使うよね。そうか、そうだね少しは平泉さんと話してみようかな」

 また巻き込むかもしれない。

 傷つけるかもしれない。

 でも、わかってくれる人が一人でもいてくれれば。

 十流に救われてような気がして気分が晴れた薫は十流に顔を向ける。

「じゃあ、十流も川田と仲良くしなよ。あなた達、良い関係―ー良いコンビになるわよ」

「コンビ?」

「そう、ボケとツッコミの関係よ」

「お笑い芸人? なんじゃそりゃ」

 十流と薫、二人の退魔師は朝靄の中、笑顔で宿舎に戻っていった。


「う〜ん、朝風呂って気持ち良いね、平泉さん」

「そうですね」

 薫と平泉鏡香は、他の誰もいない露天風呂で朝風呂を満喫していた。

 十流と薫が宿舎に戻るなり、起きがけの平泉とばったり会ってしまい、しかも朝風呂に入るということで薫も先ほどの戦いの汚れを落とす目的で一緒に入ることにした。

 ちなみに十流と薫は平泉には朝の散歩に出てたということで納得してもらっている。

 外気は肌寒く、湯からは立ち上る湯気と温泉独特の臭いが漂う。澄み渡る青い空は心までも解放的にしてくれる。

 隣り合わせで湯船につかる薫と平泉は、正面に生える木々を見つめていた。

(友達か……。十流にはそう言われたけど、果たしてどうやって切り出そう)

 十流に平泉と友達になれと言われた手前、それに自分もまんざらな気持ちではないがそれでも――友達になりましょうっというのはどこか気恥ずかし気持ちになってしまう。

 そんな薫の胸中など知らない平泉が口を開く。

「あの、姫川。ちょっと訊きたいことがあるんだけど……」

「訊きたいこと?」

 平泉が妙にかしこまり口ごもるので薫はやや緊張する。

「姫川さんと天宮君って付き合っているんですか?」

「ぶっ――、なっなななな、何、いきなり。私と十流がつ、付き合っている?」

「みんながそう噂してたから。それにお昼休みとか放課後とか一緒にいるから私もそうだと思ってたの。でも昨日、喧嘩とか見るとやっぱり違うのかなって思って……」

 平泉からの思いがけない質問に慌ててる薫は手振りを交えて否定を表す。

「違う違う。私と十流はそんな関係じゃないって。ただの幼馴染み」

「それじゃあ、いつも話すときに出るアレってなんのことですか?」

「ぐっ」

 時折、押しの強いところを見せる平泉がここぞとばかりに薫を攻め立てている。

(いきなりピンチだわ。アレは退魔師のこと……。まさか、それを正直に言うわけにはいかないし)

 退魔師のことを言うわけにはいかない。それは無用な被害を出す恐れがあった。それ以上に巻き込むことは絶対に避けたかった。

 視線を落とすと湯船には情けない自分の顔が映っている。

(ハードルを下げるか……。そうよ、突き放すのは簡単よ。でも関係を持つのはそうはいかない。それにまた傷つくかもしれない。それでも私は、私は――)

 一旦、目を瞑りそして一考して話す。

「実はね、私の両親はすごく大事な仕事をしていて、アレっていうのはそれを指すの。どういう仕事内容なのかは絶対に秘密になっていて気軽に話せないの。私は将来、両親と同じ仕事をすることになっていて、十流に話したら興味を持ってくれてね。私がそれを教えてあげているの」

 当たらずも遠からずの言葉に置き換えて説明してみるが平泉の反応が気になり、顔をのぞき込む。

「大事な仕事、警察とかそういうの? あっ、ごめん、これ以上は駄目だね。秘密だし」

 どうやら納得しているようで薫は安堵する。

 対する平泉はさらに顔を曇らせていた。

 話の内容のことではない、もっと他のことを気にしているようだった。

「平泉さん?」

 心配そうにこちらを見る薫に平泉はほほ笑みで返し、でもまた表情を暗くする。

「私、姫川さんがうらやましい」

「うらやましい?」

「何かに向かってがんばっているところ。将来、何をするのか決まってて良いなっって思って……」

「そうかな……」

 生まれたときから、姫川家の退魔師になることはもはや宿命だった。物心つく頃には退魔師の事、両親に連れられて遠目ながら闇喰いという化け物を見てきた。それしかなかった。それ以外のことはまるで駄目だったから。選択の余地などなかった。平泉の言う――うらやましいという感情が理解できなかった。

「中学三年生になって進路とか考えるようになると、周りでも将来のこととか聞くでしょ。でも私は将来になりたいものがないの。こういうのが良いなって思うときがあってもそれに向かって頑張っているかって言われたらそんなことないし、正直言ってフラフラしている状態。それに比べて姫川さんは意思が強いところがあって、それでなくても運動神経とか良くて、だから私、憧れっていうかずっとうらやましく思っていた」

 薫は正直驚いていた。平泉とはここ二ヶ月ぐらい教室で話す程度だがこれほど奥に秘めてる想いを吐露したのは初めてだった。そして自分に対する抱く想いを訊き、薫もそれに応えようと思った。

「うらやましいか……、でも私は平泉さんのほうがうらやましいわ」

「えっ?」

「だって将来何になるか決まっていないのなら、何にでもなれるってことでしょ。私は逆にそれがうらやましい。私はもうすでに将来が決められていた。選ぶことが出来なかった。もしかしたらもっと違う道があったのかもしれない。でも選んだのは結局は自分だから……。後悔しているわけじゃないけど時折そう思うの。もっと違う自分があったんじゃないかって」

 薫の言葉に平泉は息を呑んだ。

 決められない自分が嫌だった。

 奥手で人と話すことも苦手だった。

 男子はおろか女子とも気軽に話せない。

 運動が苦手で、勉強もまあまあ出来る方だから、春に転校してきた姫川薫に衝撃を受けた。幼馴染みとはいえ、人付き合いを嫌う十流とは毎日話し、クラスの女子ともそつなく話す、運動はピカ一、勉強も太刀打ちできない。そして将来の仕事も決まっている。ないない尽くしの自分と比較することさえおこがましいと思っていた。

 それなのに、自分をうらやましいと言ってくれた。

 選ぶことができる――そんなこと初めて言われた。

 平泉の顔はお湯で熱を帯びる以上に赤くなっていた。

 そんな可愛い仕草を見て薫はある決断をする。

「選ぶか……。そうだね。がんばって探してみるよ、姫川さん」

 平泉の言葉に薫は首を振る。

「薫……、私のこと――薫って呼んで。私も平泉さんのこと鏡香って呼ぶから」

 平泉は赤くなっていた顔をさらに赤くして、でも少しは近づけたかもしれない人物の申し出を快く受ける。

「あっ、そのこれからもよろしくお願いします。薫ちゃん」

 恐る恐る見ると薫も目を見開き、すぐに笑って、

「こっちこそよろしくね、鏡香」

 二人はお互いを見つめ合い、そしてようやく友達になれたことを嬉しく思っていた。

「いや〜、朝に風呂に入るっていうのはなんというか贅沢だよな」

 竹で出来た壁の向こう側からだみ声を発する男子が露天風呂に入ってきた。

 訝しげに薫と平泉が見つめる中、この声に見覚えがあった。

(川田の奴、起きてきたのね。ということは……)

 薫が推理するまでもなく二人目の声が届く。

「まあ、普段は朝風呂なんて入らないしな。こういうのもたまには良いよな」

 予想どおり、幼馴染み――十流の登場だった。

 二人が湯船に浸かる音が辺りに響く。漏れる声が大きいため耳をそば立てる必要はないが何を話すのか気になって薫と平泉は黙り込む。

「まさか、十流から誘ってくれるとは思わなかったよ」

「まあ、一人で入るより二人のほうが良いだろう」

 十流にしては珍しい発言に薫は驚く。そして早朝に話したことを思い出す。

(そうか。十流も少しは心を開く気になったのね)

 感心している傍ら、二人の会話は弾む。

「薫ちゃんと平泉は先に風呂に行ったんだろ。まだいるかな」

「さあね……」

 十流にしてみれば川田を誘ったのも、彼を一人で風呂になど入らせないためである。寝ている川田を尻目に先に風呂に入ってしまえば、何故誘わなかったのか――ということになり川田は一人で風呂に入り、何をするかわかったもんじゃない。時間的に薫と平泉は風呂から上がっていると十流は考え、念のため自分も同行すれば抑止になると考えていた。その裏では、親睦を図るという狙いもあるのだが。

「残念だな。いればこの壁をよじ登って二人の肌ぐらいは見れると思ったのに」

 川田は恨めしそうに竹の壁を見やる。

(何勝手なこと言ってのよ。あのどスケベが!)

 そばにいたら殴ってやるの仕草を見せて、慌てて平泉が止める。

 怒り沸騰中の薫に十流の声が聞こえてくる。

「肌ね……。そんなの見てどうするんだ?」

 馬鹿にしたような物言いに川田はさらに力説する。

「いやいや、十流君。男なら薫ちゃんの素肌、見たいと思うだろ。それにスタイル抜群んだしねえ。平泉もこれまたシャイなところが男心をくすぐるんだよな」

 ヨダレが出そうな仕草の川田に十流はパタパタと手を振る。

「いや〜、あんまり期待しない方がいいよ」

「?」

「?」

「?」

 意味深な言葉に川田・薫・平泉が十流の次の発言を待つ。

「薫の奴、結構、板っぱだから。期待するだけ損だ」

 ブチ――。

 薫の中で何かが切れる音がした。

「鏡香、少し目を閉じててくれる」

 努めて平静を装った顔で平泉にお願いすると、口から詠唱を始める。

 ドン――。

 竹の壁に手をつき、

「誰が板っぱだあああ」

 叫びと同時に魔力を注ぎ、男子風呂の湯船を踊らせ、さらに水で出来た錐を十流と川田にぶつけようとする。

「でえええ、聞いてたのか、薫。ていうかこれ反則だろ」

「ひええええ」

 十流の抗議と川田の悲鳴を無視して、さらに攻撃する。

「これでも少しは成長しているのよ。謝りなさい!」

「それで成長していたのかよ」

「ぐうぅぅぅ、もう許さない!」

 平泉は恐怖のあまり目を開けられず、いつまでも薫の叫びと、遠くのほうで男子約二名の悲鳴が響いていた。



 十流達一行を乗せたバスは進路を東にとり高速道路を進む。

 バスの後方には行きと同様に十流、薫、川田、平泉が陣取っていた

「しっかし、朝あれだけ喧嘩したのにもうこれかよ」

 呆れるように言う川田に平泉はくすりと笑う。

「でもこれはこれで良いと思いますよ」

 二人が見ている傍ら、朝方、身体的特徴について喧嘩した十流と薫は闇喰いと戦った疲れが出たのか、車中でしかも隣同士で眠っていた。十流の肩に薫が乗る形で二人とも静かな寝息を立てている。

「この校外学習で少しは進展するかと思ったけど外野としてはおもしろくなかったな」

「薫ちゃんはまだその気は無いみたいだけど……」

 川田と平泉は二人の微笑ましい光景を見ながら今後の二人について語っていた。

 すると川田が平泉の変化に気付く。

「そういえばいつの間に姫川さんから薫ちゃんになったんだ?」

 川田の記憶が正しければ平泉は昨日までは姫川さんと呼んでいたものをいつのまにか親しみを込めるように薫ちゃんに変わっていた。

「色々、話してもらったから。少しは薫ちゃんのこと知ることが出来たそのおかげ……。でもそういう川田君も朝は結構、天宮君と話していたよね?」

 平泉は十流と川田が話しているのを目の当たりにしていた。今まで川田が一方的に十流に話しかけるのが常だったが、今朝に至っては十流の方から川田に声をかけていた。

「それは俺も驚いている。朝風呂に入るか――なんて乗りだったし。今朝もいくら賭で損したとか、いびきがうるさいとか、他愛のない会話だったけど十流から話すっていうのはある意味レアだぜ」

 川田もまた十流の変化が気になっていた。昨日もそれほど十流と何かしたわけでは無い。いつも通りの素っ気ない態度だったし、日々の学校での態度とそう変わるものではなかった。ところが朝起きての態度の急変に何か悪いものでも食べたのかと勘ぐるほどであった。

「でも、それって川田君が望んでいたことじゃないの? いつも川田君って他の人と話す時よりも天宮君と話す時のほうが楽しそうだし、その友達になりたかったのかなって思って……」

 少し言い過ぎたかなと思い身を縮ませながら川田を見る。

 対する川田は平泉の発言に目を見開く。

「平泉ってさ、本の虫かと思っていたら結構、クラスのこと見てるんだな。そっちのほうが驚きだ」

 さらに平泉は萎縮してしまう。ぱたぱたと手を降り、さらに首まで振る。

「そんなこと無いよ。ただ私は自分の事よりも周りが気になるだけ。弱い自分を見ようとしていないだけ……」

 意味深な言葉に川田はどう反応していいものかと思案するが、こういうデリケートなことには首を突っ込まないのが彼の良いところでもあった。

「まあ、平泉の言うとおりだな。友達になりたいってわけじゃあないけど、初めて天宮と会ったときなんて無愛想な奴なんだって思った。ただ何度か話しているうちに単に無愛想にしているんじゃなくてもっと深い理由があってあんな態度をとるのかなって思ったよ。別にイジメを受けているわけでもないし、かといってクラスの事を何でも無視するってわけでもない。平泉もそう思っただろ?」

「うん、私も最初は近づくのでさえ怖かった。でもちょっとしたことで話すことがあってそのときは天宮君はちゃんと接してくれたし、面倒見の良いところもあるし、だから何か人に話せない事情でもあるのかなって思った」

 川田も平泉も十流が単に人付き合いが苦手と思っていなかった。もっと根の深いところに原因があるのではないかと推測していた。家庭の事情なのか、もっと内面的なところなのか、どちらにせよ踏み込んではいけない、いや踏み込ませてはくれない、そう二人は感じていた。

 だが今朝の様子から少しは十流の領域へと踏み込んでも良いのかと思うようになった。そのことが二人にとっては喜ばしいことだった。

「俺も天宮も似ているのかもしれないな」

「似ている?」

「不器用なところがさ」

「?」

 いつもの陽気な感じの川田からは似合わない自戒を込めた言葉に平泉は眉をひそめる。

 だが自分にもわかるような気がしていた。

(不器用か……。私もそうなのかも。天宮君も薫ちゃんも変なところで不器用だから。私達、似た者同士だね)

 平泉は川田、そして仲良く寝る二人を見て、そう感じていた。

 不器用でも良い。

 少しずつ歩めば良い。

 いつか定める道が見つかるまで。

 平泉の密かな想いを乗せてバスは東京へ向かって走っていく。






 ここはとある県境。山を縦横無尽にアスファルトの道が続いている傍ら、待避所に一台の黒塗りの車が停まっている。

 ダークスーツを来た若い男がボンネットを開けて、脇に置いた懐中電灯の光をたよりに修理にいそしんでいる。

 車の後方には、制服を着た女の子が車に身を預けるように立っている。年は一五ぐらいだろうか、色素が薄く灰色の長い髪が特徴的だった。

 少女は眼下に見える街の風景を愛おしげに見ている。

 ボンッとボンネットが閉まる音と共に、車の修理で手が油まみれの中年の男性が少女の横に立つ。

「申し訳ございません、お嬢様。ようやく車の修理が終わりました」

 うやうやしくお辞儀をして顔を上げる。顎髭を伸ばしたその顔は野性的な印象を受ける。

「ご苦労様。でも今日中には東京に着きたかったけど」

 少女は涼やかな声とは裏腹に相手を威圧するような物言いと態度からは顔に似合わず厳しい一面がうかがえる。

「今からスィートルームに泊まれるホテルを探します」

「よしなに……」

 男は車の助手席からタオルを取り出し手を拭くと、ついでにタブレットを持って周辺のホテルを検索する。

「それにしても――」

 少女は言葉と共に指先に一握り大の火球を生み出すと、器用に指を支点にして回し始める。

「退魔師とは不便なものね。術で人を治す事は出来ても機械は直せないんだもの」

 火球を右から左へと弄ぶように移動させると、不意に握り潰して消してしまう。

 それを見ていた男は苦情混じりに言う。

「ははっ、そんなことができたら退魔師は神様ですな」

「神……ね」

 少女は二・三歩前へ進んで目の前に広がる光景に向かって両手を広げる。

「神とはいかないけど必ずやこの国の、いえ世界に名だたる退魔師になってみせますわ。我が一族のために」

 それを見ていた男がわざとらしく頭を下げる。

「あなたならなれますよ――(たつ)(みや)(かなで) 様」

 名を言われた少女はさらに上機嫌になる。

「待っていなさい、姫川薫。私の現在の実力がいかほどか見せて差し上げますわ」

 高らかな宣言は色鮮やかな夜空に流れていく。



 見えない糸は離れていてもまた結びつく。

 再びの邂逅を用意して。

  

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