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堺面×共闘  作者: 葉月作哉
第二話
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試される力

堺面×共闘 第二話 「試される力」

                             葉月 作哉


 あの日を境に天宮十流の世界は一変した。

 進路を決める中学三年生の春、久しぶりに再会した幼馴染――姫川薫によって告げられたこの世界に横たわるもう一つの世界のこと。

 コインの裏表のように、自分たちが住む世界『現実世界』と異形なるものたちが住まう世界『堺面世界』の存在。

 そして堺面世界に住まう――『闇喰い』と呼ばれるもの。

 彼らは人の心の妄執によって生み出される存在。その目的は人の心を喰らい、堺面世界から出て現実世界に一個の存在としてありつづけることを願うものたち。

 闇喰いは普通の武器は通用せず、ましてや一般人が敵う相手ではなかった。

 そんな闇喰いに対抗する力を持つものが人間たちの中にいる。

 闇喰いを退ける魔力を持つ者――『退魔師』。

 姫川薫はその退魔師の名門、姫川家の一人娘であり、剣術を主体に戦う退魔剣士でありながら魔術にも精通している、同年代では飛びぬけた退魔師であった。

 天宮十流は姫川薫との出会う前から、自分にまつわる不可解な事象に悩み、やがてそれが闇喰いの仕業であることを知らされ、そして、母・刹那に託された退魔の武器『討牙』を受け取り、退魔師としての道を選んだ。

 天宮十流と姫川薫、二人の退魔師の物語が東の都にほど近いとある街から始まっていく。



 4月も終わりを迎えつつあるこの街では、桜が見事に散りゆき、にわかに緑の樹木が街を色づかせている。

 街のちょうど中央に位置する駅の北側では、今は盛んに開発が進んでいる。今まであった建物を壊し、新たな建物を造るため昼間は壊す音と作る音が混在している。しかし、夜ともなると人の往来が極端に少なくなる。

 開発地をさらに北に進むと小高い丘へと続く道が現れる。

 景気が良かったころ、この丘にはその当時の最新鋭の設備を備えたマンションが建っていた。

 しかし、時代の変化とともに廃れ、入居者は激減し、いよいよ取り壊そうかという矢先に、マンションの管理会社は倒産してしまい、無残な姿でそのマンションは街を見下ろしている。

 マンションのロビー入り口には、色あせたロープが侵入者を阻んでいるが、そんなことはお構いなしに、マンションに侵入しては窓ガラスを割り、また奇怪な文字や絵を辺り構わず描く者たちが後を絶たない。

 入り口に入ると、そこは吹き抜けの空間が広がっている。

 本来は、エレベーターがあり、郵便箱が備え付けられていたその場所も、中途半端に壊され、見上げれば鉄の棒がむき出しになっており、さらにその先には月が綺麗に夜空に浮かんでいる。

 天宮十流はその冷たいコンクリートの上に、母・刹那から借りた、ヨガマットを敷き、その上で座禅を組んでいる。

 目を閉じ、静かな呼吸を繰り返す。その全身から常人には見えない淡い光が膜のように十流の身体を包んでいる。

 その様子を時折、厳しい視線で監視するのは十流の幼馴染であり、退魔師の姫川薫である。

 最初のうちはじっと十流の様子を見ていたが、飽きてしまったため、鞄から取り出した本と十流を見比べている。

 ほとんど立ち入る者がいない、この建物に薫の本をめくる音だけが静かに響いている。

 やがて、

「ぷは――。ちょっと休憩」

 十流はおもいっきり息を吐くと、座禅を解き両手をついて天を仰いだ。

「まったく。集中力がないわね。まだ二十分しか経っていないわよ」

 薫の物言いにしかし、十流も今度ばかりは黙っているわけにはいかなかった。

「そうは言ってもさ、退魔師の鍛錬を始めて一週間は経つと思うけど、ずっと座禅を組むだけというのはなかなかしんどいですけどね……」

 十流が退魔師の鍛錬を始めたのがちょうど、初めての実践で蜘蛛の形をした闇喰いを学校で倒して以降、それ以来、休みなしで続けられている。

 この建物も薫の住むマンションから近いのと、それなりの広さを確保できるという観点から選らばれ、さらに薫の術によりまったく人を寄せ付けないように結界まで張るほどだった。

 薫曰く、ただの壊れかけのマンションから幽霊がでるマンションとして普通の人なら決して近づかないような結界を張ったとのこと。

 学校が終わると二人でこの建物に入り、夜が深くなるまえに帰宅するというルーチンを繰り返してきた。

 だがその退魔師の鍛錬も今のところはただの座禅では、さすがに十流も飽きてきたころだった。

「言ったでしょ。退魔師に必要なのは、自分の内に眠る魔力を自由自在に操ることだって。魔力が使えなければ闇喰いには対抗できないわよ」

「そりゃ、そうですけど……」

 薫の言う魔力は退魔師のみに備わっている力のことを指す。この魔力によって、退魔の武器を使って闇喰いを倒すことも、また術の行使の元になる要素でもある。さらに人体に使用することで、見た目は変わらなくとも常人以上の動作が可能となる。

「いい、魔力の使用で大事なのは、

『媒介』、

『集中』、

『具現化』、

 この三つなのよ」

 指を三本立てて力説する薫に十流は何度も頷く。

「うんうん。それは嫌といほどわかっている。『媒介』っていうのは武器でも自分の身体でもよくて、『集中』は文字通り、魔力を集中させることで、『具現化』は言いかえれば魔力の使用を指すんだろう?」

 十流の返答に薫は満足気に頷く。

「その通り。この座禅も、身体のどこからでも魔力を出せるようにする鍛錬なの。うまくいけば拳でも攻撃できるし、受け身を取るときも魔力を使えば、威力もダメージも軽減させることができる」

 魔力は攻撃だけではなく防御としてもその効果を発揮する。実際、十流は闇喰いとの戦いで無様に吹き飛ばされ、軽傷とはいえ、体中に擦り傷を作った経験がある。

 魔力を自在に操ることは戦いの幅を広げる事につながる。

「まあ、薫の言う事はわかるし、俺もいきなり成長できるとは思っていないし、ここはおとなしく座禅に精を出しますか.……」

 渋々、マットの上で座禅を組もうとした十流に薫が待ったをかける。

「でも十流の言うとおり、座禅だけっていうのは飽きるわよね。私も飽きて逃げ出したことがあるし……。少し、趣向を変えてみましょうか」

「本当か?」

 十流はうれしさのあまりその場に立ち上がる。

 子供のようにはしゃぐ十流に薫は苦笑する。

「そうね。とりあえずその場でおもいっきりジャンプしてみて。もちろん魔力を使ってね」

「ここで?」

「そう、ここで」

 薫のいきなりの指示に十流は思わず地面に目をやり、さらに上に視線を移せば月の光が闇夜を照らしている。

 薫の表情を伺うとその顔にはイタズラを含めた笑顔があった。

(なあにを考えているのか……)

 薫の意図など知る由もなく十流は跳躍の準備に入る。

「媒介は足で……、だから足に魔力を集中させる……」

 足を折り、中腰になって力を貯める。

「そして具現化させる……。よっと」

 地面を蹴り、一気に上へと昇るが建物の二階部分で跳躍のスピードが無くなり、瞬間、浮遊状態になる。

「すげえ、ここまで跳んだぞ」

 感激もそこそこにすぐ、十流の身体は下へと落下を始める。

「うっ、えっと。このあとどうするんだあぁぁぁ?」

「ほら、はやく魔力を使って着地をしないと怪我するわよ」

 薫の忠告におぞ気が走るが、なんとか足に魔力を集中させようとする。

 ド――――ッン。

「いっ……てえ……」

 鈍い音をたてながらなんとか着地はするものの、地面に着いた衝撃が足から全身へと伝わってくる。十流は痛みに耐えかねてその場に突っ伏して転げ回る。

「跳ぶのは良かったけど、着地が駄目だったわね。まあ、あそこで魔力を使わなかったら骨折、良くて打撲って結果になっていたけど」

 薫の事後説明に十流はまだ残る痛みに耐えて立ち上がり、怨念たっぷりに愚痴をこぼす。

「それを最初から言えよ。マジで怖かったぞ」

 だが薫の言うとおり、衝撃の痛み以外に足には異常がない。あの高さなら常人では無事では済まされない。

 これも魔力の恩恵かと納得してしまう。

「これは跳ぶと着地という違う場面での魔力の使い方を学ぶ鍛錬よ。あと冷静さもかな。どんな状況でも魔力を使って身体を守ることが大事だから。こんな風に……」

 そう言うと薫は足を折り、一気に上へと上昇する。

 十流をはるかに超える建物の三階部分まで跳ぶ。

「すご……」

 一瞬の浮遊状態から、そして薫の身体は地面へと落下を始める。

「おっ、おい。早く着地の準備をしないと……」

 十流の叫びなど、どこ吹く風のように薫は無表情のまま自分が降り立つ床を凝視している。

 十流は最悪の結末を勝手に想像して、手で目を覆うがその隙間から様子を伺う。

 一方の薫は地面が近づく間際、空中でクルクルと宙返りをして落下速度を落とし、

 トンッ。

 先ほどとは違う軽い着地の音がし、降り立った薫は優雅に乱れたブラウン色の長い髪を揺らして整える。

「薫……、足、痛くないか?」

「どこが? こんなの朝飯前よ」

 足のつま先で地面を叩いて、平然とした顔で十流に答える。

 憮然とした表情の十流は、もう一度、跳ぼうと姿勢を低くする。

「もう一度……」

「はい、ストップ」

 十流の意気込みを削ぐように薫から制止の声がかかる。

 薫は左手につけた腕時計を指で叩きながら言う。

「もうそろそろ帰宅の時間よ」

 時計の針は九時を指している。

 やりきれない気持ちを抑えて十流は、家から持ってきたヨガマットを丸めて鞄を片手に持つ。

「それじゃ、帰りますか」

 二人一緒に建物の外へ出ると夜は深まり、遠くにある街の灯りがまぶしく目に映る。

 薫を先頭に十流はその後ろを歩く。再会してからは、いつもこの位置関係で歩くのが定番となっていた。歩く度に揺れる長いブラウン色の髪が街灯に照らされて少しだけ綺麗に映える。

 十流は長い髪を揺らす薫の背中越しに声をかける。

「なあ、薫。こんな夜更けに学生が二人で歩いていたら怪しまれるんじゃあないか? 警察とかうるさそうだし……」

 なんとも弱気な発言に、しかし、薫は鼻で笑い飛ばす。

「なに変なところで気を使っているのよ。今どき、学生がこの時間に街をうろついていてもそう怪しまれないわよ。塾通いとか、いくらでも理由はあるでしょ」

「そりゃあ、ごもっともで……」

 昔とは違う立場に十流は次第に慣れてしまった。

 ネガティブ思考が先行する今の自分と、闇喰いだろうがなんだろうが物事にいつも前向きな薫。

 背丈がそれほど変わらないのに、やけに大きく見える背中を眺めつつ、

(いつか、いつかきっと薫に近づけるように……。いや、俺が薫を守れるようにならなきゃいけないんだ)

 十流は密かに決意していた。

「それじゃ、私はこっちのほうだから……。そうそう、明日は体力測定だから体操服忘れないように」

「お前は先生か?」

「まあ、そんなもんでしょ。じゃあね」

 そう言って薫は路地へと消えていった。

 薫の姿が完全に見えなくなると十流は想いのたけを口にする。

「絶対に薫に追いついてやる!」

 今はまだはかない願望は、しかし、夜の闇に誰にも聞かれることなく響くだけだった。


 翌朝。

 十流は日課の木刀による素振りを終えると、居間にあるイスへと腰かけた。

 それからテーブルに置いてある新聞を手に取る。

 退魔師になる前は新聞のテレビ欄しか興味がなかったが今では一通りのニュースには目を通すようになっていた。

 そこへ目玉焼きをのせたお皿を持って、母・刹那が居間へと入ってくる。

「あら、珍しい。十流が新聞を読んでいるなんて」

 その呼びかけに十流は顔を上げて答える。

「薫が毎日、新聞を読むようににしろって言うんだよ。特に、地域の情報が載ってるページを重点的にって……。闇喰いに関する情報が手に入るみたいでさ」

 十流が今、読んでいるのは新聞の後ろにあるこの地域のニュースを載せたページである。だが事件と呼べるものは大抵、文章のみで後は、『巨大こいのぼり泳ぐ準備』などの地域情報がメインとなっている。

 十流も最初のうちはアクビが出るほど新聞を読むことに抵抗は感じていたものの、こういった地域情報を読むことにだんだんと親しみを覚えるようになっていた。

「まあ、薫ちゃんのいうとおりね。闇喰いはいつ現れてもおかしくないのだから……」

 十流の母・刹那もまた昔、退魔剣士をしていた。だが今はある事情から退魔師を辞めて、日々、家事とパート勤めと趣味である剣道に没頭している。

 真剣に読み進める息子の姿に感心し、刹那は台所へと戻っていく。

「事件らしい事件はないか……。うん?」

 紙面の片隅、小さく載っている事件に十流は目をとおす。

『ATM機強盗、重機使用か』

 この街のはずれにあるATM機が何者かによって破壊され、中にあったお金が盗まれたという事件が載っていた。だがその情報量は少なく、結局のところ警察が調査中で締めくくらている。

「何か事件でもあった」

 湯気の立つ御味噌汁をお盆に乗せて刹那が居間に入ってくる。お味噌汁に入ったネギの匂いがして、十流は邪魔にならないようにと新聞を折りたたんでテーブルの側面に置く。

「いや、まあ、事件としてはATM機強盗があったくらいかな。この街に近いところで起きたらしいけど。このご時世じゃあ珍しくないだろうし……」

 ため息混じりに言う十流に、しかし刹那は神妙な面持ちで言い返す。

「でも十流、物騒なのは事実よ。振り込め詐欺とかバイクを使ったひったくりとか、あなたも気をつけないと」

「まあ、学校にはあまり現金は持っていかないようにしているよ。それよりも母さんの方が心配――じゃあないや……。ひったくりにあっても返り討ちにしそうだし」

 十流の言葉に刹那の目が細くなる。

「当然よ。ウチのものに手を出す人は何人たりとも許しはしないわ」

 そう言うと刹那の周りに殺気だったオーラが纏わりつき、瞳が紅くなる。

「うっ」

 十流はその姿をみて背筋がゾッとする。

 刹那は闘争心が高まると瞳の色が紅くなる体質を持っている。十流も瞳の色が紅くなるのだが、刹那の色はまさしく獲物を狩るような殺気を帯びた光を放つ。それゆえに付けられたあだ名が、『紅き閃光の刹那』であり、その実力は、あの薫でさえ一目も二目も置くほどのものである。現役を引退したとはいえ、剣道の腕前は筋金入りであり、また気配を殺して人に近づくなど、常人が真っ向勝負で勝てる相手ではなかった。

「さあ、十流。朝ごはんを食べましょう」

 声がいきなり優しくなり、刹那は十流に食事をすすめる。

 かなり委縮してしまった十流は、とりあえず御味噌汁から口につけた。


 新緑が学校の周りを囲む中、今日は全生徒を対象とした体力測定の日である。

 クラス単位の測定を基本としているため、クラスの中で運動神経の優劣がばれてしまうという状況でひと際目立っているのが、やはりと言うべきか姫川薫であった。

 跳躍、握力、柔軟性、どれをとっても薫はクラスではピカ一で、女子の間では黄色い声援が男子からは驚嘆の声が漏れている。

 ただ一人を除いては、

(なんでだ? 薫の奴、いつの間にあんなに運動神経が良くなっているんだ?)

 十流だけは薫の変化に焦りを隠せなかった。

 幼い頃の薫は明らかに運動神経はゼロに等しく、駆けっこをしてもよく転び、その度に泣き、体育の授業だけは恐々とした顔をしていたのを未だに覚えている。

(そりゃあ、今の薫は闇喰いを倒す退魔剣士だけど、これはあまりにも進化しすぎじゃあないのか?)

 対するは十流は、剣道はやっていたものの諸般の事情であまり熱を帯びなくなり、運動神経は並より上ぐらいの位置に落ち着いてしまっている。

「はあ……」

「お、十流君。ため息とはこれりゃどうして?」

 十流のため息に呼応して、クラスの情報屋、川田が十流に声をかける。

「お前には関係ない」

 素っ気ない十流の言葉にしかし、川田は一歩も引かない。

「いやいや、そのため息はもしかして恋わずらいというものだろう? なんせあの薫ちゃんの幼馴染なんだから……。再会して一週間、あれもこれも進んでいるんじゃありませんか?」

 川田は肘で何度も突き、陽気に質問をするが十流は憮然とした顔で切り返す。

「前にも言ったがな。俺と薫はそんな仲じゃあないし、これからも進展なんてねえよ」

「でも毎日、一緒に帰っているだろう?」

「ぐっ……」

 この話題をさっさと終わらせるつもりが、川田の核心的な質問に十流は絶句する。

 確かに十流と薫は一緒に帰っているが、その理由は退魔師としての鍛錬をするためであって、世間で言うところの男女の関係など遠いお空の出来事となっている。

 まさか正直に話すわけもいかず、十流は口ごもる。

「どうよどうなのよ、十流君。これでも何も無いと言い切れるのかね」

 川田は十流をさらに肘で突き、ことさらに真相を訊こうとしている。

(言えねえ。川田に知れたら、噂は千里を走るどころじゃないぞ。あいつの場合は光速だからな……。一応、薫から今後の活動のために自分たちが退魔師であることは黙っているようにっていわれているし)

 十流は頭の中で必死にそれらしい答えを練っていたが、結局はこの答えに行き着く。

「か、薫に宿題を見てもらっているんだよ。ほら、あいつ頭が良いだろう。それでさ……」

 しかし、川田をじっとこちらの様子を伺っている。

(やっぱり、この嘘はダメか……)

 あきらめかけたその時、川田はパンと手を叩いた。

「そうか、そうか。そこまでの仲なんだな。天宮十流は姫川薫と宿題を見せ合う仲と……。

よし、新しい情報を手にしたぜ。サンキュ」

 そう言うと川田は満足そうに十流のもとから離れて行った。

「はあああ……」

 十流はさきほどよりも重いため息を誰にも気づかれないように吐いた。


 砂場の側面に座り、跳躍の順番を待っていた薫は、向かい側に座る十流と川田がなにやら話ている様子をじっと見ていた。話の内容が気になるのでは無かった。ただ十流の不甲斐なさをこの体力測定でまざまざと見せつけられて薫は少し機嫌を悪くしていた。

(十流に深い事情があるのは分っているけど、それにしても何なのあの不甲斐なさは)

 昔、十流が運動が得意で剣道をしていたことも知っていた。だから退魔師ではなくてもそれなりに運動が得意だと思っていた。

 しかし、十流は自分が京都にいる間に闇喰いと遭遇してしまい、しかも人々が襲われている光景を目の当たりにしたため、極度に他人を寄せ付けなくなってしまった。しかも聞くところによれば剣道もあまりやらなくなり、家に引きこもるようになってしまった。

 そういう事情を知りながらでも、どこか期待していたのである。

 一緒に戦う。

 幼い頃に約束したこと。

 十流は覚えていないようだが、薫はそれを一日も忘れることがなかった。

 つらい退魔師の鍛錬も闇喰いとの戦いもその思いが支えとなっている。

 ところが期待を裏切られて、現実を見せつけられて薫は正直、ガッカリしてしまった。

 そして一抹の不安を感じるようになった。

(十流は自分の意思で退魔師になると選んでくれた。それは嬉しかった。でも今の十流は昔とは違う。ただただ流されるままに退魔師を選んでしまったのかもしれない)

 再会して、闇喰いの襲撃があり、自分が襲われている十流を助けて、そして今の自分と十流に秘められた可能性を伝えた。結果、十流は退魔師になることを選択したが、それが本当に十流の意思あってのことだったのだろうか。あの状況では選択肢などなかったのではなかろうか。

(そして退魔師の事をもっと深く知るうちにやっぱり退魔師を止めるって言い出すかもしれない)

 それだけは絶対に避けたい事実だった。十流と一緒に戦うという思いが今でも薫の心を支える重要なものとなっている。止めると言い出したら自分がどうなるかわからない。だからその言葉を聞きたくない。

 そんな不安に駆られる自分をよそに川田と話し込む十流を見て薫はさらに機嫌を悪くしていった。

「姫川さん、順番だよ」

「えっ?」

 そう声を駆けてきたのが教室で十流の隣に座る平泉鏡香であった。席も近いこともあり、他のクラスの女子よりも仲が良い人物である。

「どうしたの? 具合悪いの」

 心配そうに問いかける彼女を、なんでもない、と安心させてから薫はスタート地点に入る。

 颯爽と長い髪をなびかせながら走り、タイミング良く地を蹴ると、これまたクラスの中ではトップの所まで跳躍し着地を決めると、女子からはかっこいいの言葉と男子からすごいの言葉が返ってきた。

(やれやれ、何だか逆に疲れるな)

 クラス中の好奇な視線と十流からの嫉妬の視線を背に小さいため息をついた。


 次のテスト種目は、ハンドボール投げ。投げる人の邪魔にならないようにクラスの面々は円形の白線の外側に陣取り、順番待ちをする。

 体力測定は自己の記録とともに、裏側ではクラス内の評価にもつながっている。つまり男子に対する女子の評価が決まってしまうのだ。

 記録が良く、それなりに容姿も良ければ、女子の評価はうなぎ上り、逆に悪ければ評価はガタ落ちである。

 男子は気にしていないそぶりは見せるものの、そこはやはり男の意地。女子に良い所を見せようと力むものが続出していた。

 川田もその一人である。

「うりぁぁぁあ」

 力んだ挙句、ハンドボールは平均値以下までしか飛ばなかった。

「まあ、あんなものよね」

「川田だしね」

「そこそこってとこかしら」

 本人の気落ちを知ってか知らずか、勝手気ままな声が浴びせられる。

(女ってこわいな)

 日頃、薫のしごきにあい叱咤のみを受けている十流にはまだ免疫があるものの、男子にとっては公開処刑に近い状態だった。

 そんな中、十流の投げる番となり、ボールを持って所定の位置につく。

 ボールを両手で抱えるように持ち、正面を見据える。

「今度は、天宮君よ」

「けっこう飛ばすんじゃない」

「剣道やってるっていうしね」

 十流にも女子の声援がかかるがとりあえず無視することにする。

 だがそっと薫の姿を見る。

 腕を組み、十流をじっと見ている。

「よし」

 十流はボールを右手に持ち、両足を肩幅に広げ、投球の姿勢に入る。

 そして珍しく、悪い妙案を思い付く。

(そうだ。魔力を使ってボールを飛ばしたらどうだろうか? 加減して使えばそこそこ記録を狙えると思うし……)

 チラリと薫の姿を見ると相変わらずぶっきらぼうな表情をしている。

 ここまでの種目では魔力は一切、使用はしていない。まさしくありのまま体力測定をしていたのだが、同じく魔力を使用していないものの自分を追い抜き、クラスでも一、二を争うほどになった薫を前にして男としてのプライドが傷つき、何とか名誉挽回をしたいと思うようになっていた。

(少しぐらいなら良いだろう。そうだ。使おう。よし……)

 決心をして足でステップを踏み、投球しかけた瞬間、十流自身も理由は分からないが、投球する方角を向いていた視線が何故か、チラリと薫の方へと向けられた。

 先ほどと変わらず、腕を組みこちらの様子を見ていた薫の目が一瞬細くなる。

 鋭く獲物を捕らえるような瞳、口を真一文字に結んで声は出ていないが十流には薫が何を言いたいのか気づいてしまった。

『やれるものなら、やってみなさい』

 もはや脅しではない、死刑宣告に近いものだとすぐにわかった。

「――っとと」

 投げる寸前でバランスを崩しながらも足を止め、肩を落として重く息を吐く。

「ふうぅぅ」

 気を取り直して投げたボールは平均より上の位置へ飛んで行った。


 昼休み。

 昼食もそこそこに十流は薫に引っ張られる形で屋上へと連れてこられ、さらに正座までさせられていた。

 4月の日差しは思いのほかまぶしく、じりじりと暑かった。

 十流を前にして腰に手を当てた薫が仁王立ちで十流を凝視している。

 長い沈黙の果て、薫が重い口を開く。

「なんで、正座させれられているかわかってる?」

「……なんとなく」

 薫のあまりの迫力に、十流はすっかり委縮していた。

「さっきの体力測定で魔力を使おうとしたでしょ!」

「はい……、ハンドボールの時に……」

 喉の奥底から言葉を発することさえ窮屈な状況に、ようやく出たか細い言葉を遮るように圧倒的な声が返ってくる。

「いい、魔力は闇喰いと戦うためにあるの。それを私利私欲で使うなんて言語道断よ。姫川家はねえ、昔から魔力を使って悪事を働く人を捕縛、制裁をしたりしていたんだから」

「捕縛、制裁……」

 手錠、牢屋、そしてあらゆる拷問の光景が頭をよぎる。

「現代でもそうよ。姫川家はいわば退魔師の警察のようなものなのよ。だから私の目が黒い間は、魔力を使ったズルは許さないんだから」

「わかりました……」

 十流はこれでもかと反省の色を見せ、また未遂ということでお許しを頂けることになった。

「まあ、使う前に止めたわけだから今回はこれで許してあげる。でも今度やったら……」

「やったら……?」

「今度こそ牢獄行きだからね。その後、みっちり更生プログラムも受けてもらうから」

「更生プログラム?」

 オウム返しに訊かなければ良かったのに、薫はその恐ろしい更生プログラムの内容を説明する。

「まず、みっちり人としての正しい在り方を勉強してもらうわ。お辞儀の仕方から敬語の使い方まで、さらには正しい掃除の仕方、洗濯、料理まで、ありとあらゆる正しく生きる方法を身に染みるまで教え込むから」

「それって魔力の使用と関係ないんじゃあ……」

「じゃあ十流はそれを二十四時間やりたいと?」

 十流は首を何回も振り、拒否を示す。

「絶対いやだ。っていうか退魔師なのに魔力で悪事を働く人がいるのか?」

「魔力を持っているからといって皆が退魔師になるわけではないわ。超能力と称して、例えば常人には出来ない運動能力を発揮したり、うまくやれば何も無い所から炎を出したりできるし。そうやって暴利を貪る奴らは後を絶たないわ。そういうわけだから姫川家が魔力を使った不正をしていないか監視の目を光らせているの」

 十流にとって魔力はまだまだ未知の力であり、闇喰いに対抗する力ということを薫からしつこいぐらいに聞かされていた。だが何も知らない人が魔力という常軌を逸した力を手にして正常でいられるだろうか。ただ都合の良いように解釈をして、神から与えられた力だと妄想し、私利私欲に走るものがほとんどではなかろうか。実際、十流も体力測定だがズルをしようとしていたのは否定できない。

 薫がここまで怒るのも、魔力を正しく使えという戒めなのだと十流は解釈をすることにした。

「ほら、もう立ちなさい。これから退魔師の鍛錬をするわよ」

 薫に促されるまま立ちあがって、しかし同時に驚いた。

「いやいや、ここで鍛錬するのはまずいでしょ。確かにこの屋上はあまり人は来ないけどあまり派手にやるのも危険なような気がするんだけどな……」

 十流は頭を掻きながら問いかけるが、薫は首を振る。

「そんな派手なことはしないわ。これは予習のようなものだから。今からやるのはこの『現実世界』から『堺面世界』に入る方法よ」

「堺面世界に入る方法?」

「そう。十流は自分の意思で堺面世界に入れないでしょ」

 薫の問いに十流は、うんうん、と頷く。

 退魔師になる前は、闇喰いによって作られた歪みのせいで自分の意思が無くても堺面世界に入り込むことがあった。対する薫は自らの意思で堺面世界に入る事も出る事もできる。

「これは退魔師にとって重要なことよ。なんせ戦いの舞台はそのほとんどが堺面世界なんだから。早いうちに習得しておくのがベストなのよ」

「それで具大的にどうするんだ。前に薫が魔方陣のようなものを作っていたよな。あれと同じようなことをするのか?」

「いいえ。あれは複数同時に、あるいは空間ごと堺面世界に入る時に使うものなの。十流にはまだ早いから個人用の入り方を教えてあげる」

 薫はおもむろに手の平を前に押し出すような姿勢を取る。十流もつられるように右手を上げて手の平を前に広げる。

「難しい術式は必要ない。ただ手に平に魔力を宿らせて、前に突き出すだけで、堺面世界に入れるわ」

 手に平を前後に動かしながら説明するが、十流は首を傾げた。

「あのさ、薫。もう少し具体的に言ってくれないかな。前に言ってただろう、魔力の使用には具現化が必要だって……」

「そうね。イメージとしては前方に見えない扉があって、それを押して開けるような感じかな。とにかく怖がらずにおもいっきり開けるのがコツよ」

 薫のわかりやすい説明に十流は何度も頷くと、目を閉じ、右手に魔力を集中させると、それはほのかな光となって手に纏わりつく。

「そうそう。それぐらいの魔力で十分のはずよ。さあ、おもいっきりやりなさい」

「おう」

 右腕を引き、そして言われた通りに手の平を前へと押す。

「……?」

 恐る恐る目を開けて自分が開けたであろうその空間を見つめるが特に変わっていない。

「あれ?」

 何度も目をパチクリさせるが遠くの方にある金網が見えるだけで、特段に変わらない風景が広がっている。泣きそうな顔で薫に問いかける。

「薫、これ失敗か?」

「う〜ん、失敗とは言わないけど、試しに腕を入れてみたら?」

「腕を?」

 訝しげに思いながらも言われたままに右手を、ゆっくりと前へと突き出してみる。

「おっ、おおお」

 十流の右腕は目に見えない空間の境目を通ると、そこから右手は消えていった。念のため、腕を引くと、腕は元にもどる。

 傍から見れば腕が突然、消えたように映る。

「おお、すごい、すごい」

 右手、左手を交互に入れると、今度は頭から突っ込む。

「これだ、これ。これが堺面世界……」

 空間を超え、視界に映るのは、さっきいた場所と同じ。違うのは薄暗く、そして全くというほど生気を感じることのできない無音の世界。そして一週間前に戦った世界。

「ねえ、十流。それ人前ではやらないほうがいいわよ。まるで首無し状態だからって聞こえるわけないか……」

 足をバタつかせて喜ぶ十流を尻目に、薫は呆れ果てていた。

 しばらくして十流は顔を引いて、現実世界に戻ると薫に問い質す。

「なあ、これって全身で入れないのか? これだと窮屈だと思うんだけど」

「それは開け方が不十分だからよ。もっとおもいっきり扉を開けるイメージでやらないと。それだと本当に一部分しか開いてない」

「それとこれ、閉めなくていいのか?」

「大丈夫。それは自然に閉じるから」

 よし、との掛け声とともに十流は不必要に腰を低くして、右手を引く。

「今度こそ……」

 しかし、十流の気合が発揮される前に予鈴が校内に響く。

「はい。これで昼の鍛錬はおしまい。早く教室に戻りましょう」

「は〜い……」

 薫の後を追って十流はトボトボと歩きだす。

「ああ、それから十流、堺面世界の入り方は私がいないところではやらないでね。向こうの世界に行ったのは良いけど戻らなかったら洒落にならないでしょ」

「堺面世界から現実世界に戻るにはまた別の方法があるのか?」

「いいえ。基本は同じ要領よ。ただ十流はまだ慣れてないし、一人さびしく堺面世界に置き去りは嫌でしょ?」

「それはそうだ……」

 新しい事を覚えてもまだまだ薫のお世話になるしかない十流は、焦りともつかない、なんだかもどかしい感じを抱くようになっていた。


 その夜。

 古き建物と近代の建物が混在する古都・京都。

 車の帯びを眼下に建つオフィスビルの一室、一人の妙齢の女性が机に積まれた書類に目を通していく。

 スレンダーなボディと長い金髪、美を体現したその女性は、縁なしメガネ越しの厳しい視線

が一つ一つの書類を丹念に捕らえ気にいったものにはハンコを、気にいらないものにはあからさまに大きなバツ印を書いていく。

 そこへけたたましく携帯電話の着信音が部屋に響く。

 集中力を切らされた女性は不快な顔をしながら携帯の画面を見て、目を丸くする。

 久しく、そして無二の親友の名前が画面に映し出されている。

 携帯を手に取り、相手に呼び掛ける。

「もしもし、久しぶりね。『紅き閃光』」

「本当、久しぶりね。『金髪の妖女』」

 挑発と敬意をこめた言葉に対して、電話の相手から懐かしいあだ名を言われ、思わず苦笑が漏れる。

「ふふっ、やめてよね。刹那。昔のあだ名で呼ばれるのは、なんかこう背中がかゆくなるわ」

「なに言ってるのかしら。さんざんそのあだ名を言いふらしていたでしょうに」

 電話の相手――『紅き閃光』とは、天宮十流の母・刹那の現役時代のあだ名であり、そして『金髪の妖女』とは、姫川薫の母親にして、世界でも名だたる姫川ブランドの会長――姫川雫のあだ名である。

 雫は身体を机に乗り出し、書類を押しのけて旧知の友との久しぶりの会話を楽しむ。その声はいつもよりもトーンが高かった。

「そうそう、薫から聞いたわよ。十流君、退魔師になったんですってね」

「まあね」

 刹那の曖昧な返事に、雫は少し声を低くして訊く。

「でも、いいの? 翔との約束は……。十流君を普通の子供に育てるって約束だったでしょ?」

 十流の父・翔は闇喰いとの戦いで亡くなっており、亡くなる寸前に刹那に残した言葉が十流を退魔師ではなく普通の子として育てて欲しい、ということだった。その願いの通りに刹那は十流に退魔師のことや闇喰いに関することを一切、伝えていなかった。翔の死も病気のためと話していた。だが結果として十流は薫と再会した際、真実を聞き、刹那もまた本当のことを話す事で退魔師のとしての道を説いた結果、十流は自らの意思で退魔師になることを選んだ。

 雫の問いかけに、しばらく黙っていた刹那が口を開く。

「いいのよ。これは十流が自分の意思で決めたことだから……。私はただ退魔師の道もあると示しただけ。あの子が選んだことなら、翔もたぶん納得していると思う。それにね、本当はうれしかったの」

「……」

「真実を知って、過酷な道であることもわかって、それでもあの子は翔の忘れ形見――討牙を強くその手に握ってくれた。初めてあの子の強い意志を秘めた瞳を見る事が出来てうれしかったわ」

「そう……」

 雫はそれ以上、訊くのを止めた。翔と刹那との間にある今も消えない絆に立ち入ることは、いくら親友でも許されないと思った。そして子に対する親の愛情は、自分も薫に対して抱いているものと同じだからである。

 そんな雫の心中を察してか、刹那が話題を変える。

「十流のことはとりあえず置いといて、今日、電話したのは薫ちゃんのことよ」

「薫のこと? あの子ったら迷惑でもかけたかしら……」

 雫の困った風の声に、しかし刹那はもっと真剣さを声に表す。

「どうして東京にきたのか……。退魔師の修業のためといえば聞こえはいいけど、それは地元の京都でもできたはず。それに姫川家の退魔師が大勢いるんだし、東京に来るよりも安全に成長させることができる。それを何故……?」

 刹那の的を得た質問に雫はしばらく答えに苦慮していた。

(さてどうしたものかしら?)

 自分の娘がわざわざ東京に行ったのもちゃんとした理由あってのことだった。ただ天宮十流に会いに行くという目的ではない。薫からは誰にも言わないでと忠告を受けていたため、さんざん悩んだ挙句、

「それは……、言えないわ」

 これで刹那が納得するわけはないと思っていたがそれでも旧知の仲である彼女なら察してくれると信じていた。

「言えない……?」

 刹那もまた短い言葉にある何かを察することができた。京都という姫川家の庭とも言うべき所でましてや親元がいるにもかかわらず、それでも東京に来た理由。再会して成長した薫を見たときに感じた、退魔師として戦う覚悟を秘めた顔とその裏に張りつめた想い。労わりの言葉をかけた時に大粒の涙を流した幼い少女の顔。

 彼女を縛り付ける重大なカギこそ、

「闇喰いが絡んでいるのね」

 刹那の人生を狂わせた存在、闇喰い。それが自分の娘ともいうべき存在にまで深く関係している。苦々しい思いが胸に刺す。

「……そうよ」

 雫は刹那の指摘に短く答えるしかなかった。

 しばらくの沈黙の後、

「わかったわ。もうこれ以上は訊かない。薫ちゃんが言うまでこのことは伏せておくわ。もちろん十流にもね」

「ありがとう、刹那」

 長き親友に感謝を伝えると雫は、さきほどまでの重い空気を吹き飛ばすくらいの明るい声で話題を変える。

「そうそう、刹那。京都に遊びにこない? もちろん十流君も一緒に」

「なっ、なにいきなり……」

 さっきまで真面目な話をしていたのに、さらに薫のことで胸を痛めていたのに、この早変わりに意表を突かれる。

「だって、あなた旅行とかしてる? ずっと家事ばかりでつまらないでしょ?」

「家事ばかりじゃあないわよ。パートの仕事もあるし、剣道だってあるし、夏には合宿だってあるからまったくどこにも出かけてないわけじゃないけど」

「ダメよ、それじゃ。もっと羽をのばさないと。もしかしてお金が無いとか?」

「そんなに貧乏やってません。でも行くとなるとそれなりに用意はしないとね……」

「大丈夫よ。私の家に泊まれば良いし、なんだったら交通費もだすわよ。身体さえあればいいわよ」

「そういうわけには……」

「はい、もう決定。で、いつ明いてるの? 私もそれにあわせて仕事休むから」

 もはや断る空気さえ無いと判断した刹那は、渋々その申し出を受けることにする。

「そうね……。十流の高校受験を考えると秋が良いかしら?」

「秋ね。知ってのとおり京都の紅葉は綺麗よ。ご馳走もするから、楽しみにしててよ」

「わかったわ……」

「それじゃ詳細はまた後日、連絡するわね。それじゃあ」

「え? あの、ちょっと……」

 雫は早口に言うと相手の制止を振り切り携帯の通話を切ってしまった。

「ふう……」

 誰もいない部屋で大きく息を吐くと、それまでの浮かれ具合が一変、厳しい表情へと変わる。

「天宮十流か……。まさか本当に退魔師になるとはね。しかも薫は十流君とパートナを組もうとしてるみたいだし。小さい頃の縁とはいえ、不思議なものね……」

 イスにもたれかかると、天井に吊ってあるシャンデリアが光を放っている。幼い頃の十流と薫の無邪気な顔がまるで走馬灯のように駆け巡る。家にこもりがちの幼い薫を十流はいつも外へと連れ出していた。仕事の合間に二人の様子を遠目ながらもよく見ていたが、兄妹のように二人仲良く遊ぶ姿をほほえましく思っていた。薫はいつか退魔師になるがでも十流は……。

 あの頃はほんのわずかしか期待していなかったことが、今では現実になろうとしている。

「薫と十流、もしかしたら強い絆で結ばれているのかも。互いの運命を左右するほどの糸で……」

 誰にいうでもない言葉は、大きな部屋へと吸い込まれ、雫は一旦、目を閉じると薄く笑って、目の前の書類を元の位置に戻すと仕事モードに切り替えて再び書類に目を落とした。


「はあ……」

 雫の急激なテンションに気疲れした刹那は重いため息をつく。友達歴が長いとはいえ、あのテンションの高さにはいつも手を焼いていた。

『ピンポーン』

 そこへ玄関の呼び鈴が鳴る。

「あら、噂をすればなんとかね」

 苦笑いしつつ玄関に来てみるとそこには姫川薫が立っていた。

「こんばんわ、刹那さん」

「あらあら、いつも御苦労さま。十流の夕御飯なら出来ているわよ。当然、あなたの分も」

「あっ、あのいつもすいません。なんだか逆に刹那さんに気を使わせているみたいで……」

 遠慮がちに言う薫に刹那は、首を振る。

「いいのよ。私に代わって十流のこと見てもらっているし。そうだ、お茶でもいかが?」

「えっ? でも十流が待っているし……」

「大丈夫よ。十流は逃げたりしないから。ほら、上がって」

 刹那の押しの強さに観念して薫は居間の方へと上がっていった。


「はい、どうぞ」

「どうも……」

 薫は出されたお茶に何度か息を吹きかけて、熱を冷ますとゆっくりと飲む。

 その様子を見ていた刹那が口を開く。

「十流はどう? 真面目にやってるかしら?」

「はい、今は魔力を体全体から放出させるのと、体の一部に魔力を集中させる鍛錬をしています。それから堺面世界への入り方も徐々に始めてます」

 控え目な答えに刹那は満足そうに頷く。

「初歩段階ね。まだまだ学ぶことは多いけど、でも十流が真面目に鍛錬して良かったわ。最近の十流は剣道にも熱が入らなくなったから……」

 頬に手を当てて、困った表情になる刹那に薫はかねてより疑問に思っていたことを口にする。

「あの、そのことなんですけど。なんで十流はこんなにも不真面目になってしまったんですか? 私がいたころはもっと積極的だったような気がするのに……。これも闇喰いと出会ってしまったこととなにか関係があるんですか?」

 薫はちらっと、刹那の方を見ると一瞬、曇った表情を見せたため、慌てて湯呑に視線を落として一口お茶を飲んだ。

「そうね。薫ちゃんから見て普段の十流はどうなのかしら?」

「えっと、その……」

 口ごもる薫に刹那が助け舟を出す。

「遠慮しなくていいわよ。だいたい予想がつくから」

 先ほどの曇った顔とは違って苦笑いする刹那に、ほっとしたのか薫が思う、普段の十流について語り始めた。

「まだ再会して一週間ぐらいなんですけど、学校での十流って、なんかあまり他人と深く関わろうとしないんですよ。いつも一人で机に座ってぼーっとしていることが多くて、近寄りにくい雰囲気を自分から出していて……」

 そこで一旦、区切ると薫は刹那の反応を気にしつつ、しかし目で促されて続きを話す。

「周りの女の子にも訊いたんですけど、やっぱり付き合いが悪いイメージを持たれているみたいで、何を考えているのかわからないって言われました。何をするにも積極的じゃあないし、何て言うか後ろ向きというか、あきらめちゃっているみたいで、昔の十流を知っている分、そのギャップを埋めるのに苦労しています……」

 幾分、言葉を選びつつ十流の思う事を口にして、何故か心の中にあった棘が取れたような気がした。ただ言いすぎた感も否めず、刹那がどのような反応するのか、それが気がかりになってきていてた。

 薫の話を一通り聞いた刹那は、何度か頷く。そして口を開く。

「薫ちゃんの言うとおりね。あの子があんな風になったのも、何の知識も無いまま闇喰いと出会ってしまったことにあるわ……」

「十流も言ってました。初めて闇喰いと出会って、人が襲われているところを見てしまって、何もできずに怖くなって逃げたって……」

「あの頃の十流はそれなりに自信があったはずよ。剣道もしていたから周りの子たちよりも運動が出来ただろうし、剣道の大会に向けて必死に練習していた時期ですもの。でもその自信を壊したのが他でもない闇喰いだった。初めて異形なものを見て、襲われている人を見て、助けようと少しは思ったでしょうけど、やっぱり恐怖心には勝てなかった。逃げて、そして気づいてしまったのね自分の限界を……」

「自分の限界?」

 不思議そうな顔でこちらを見る薫に刹那は諭すように話す。

「闇喰いには絶対に勝てないという恐怖心が十流の心に残ってしまった。そのことで剣道を習っても勝てないものがいる、これ以上強くなることに意味なんて無い、と思ってしまった。言わば自分の限界――天井が見えてしまったのよ。それでも何度かもがいたと思うの。恐怖心と戦おうとしたと思うけど、何度か闇喰いと相対している内に、あきらめたような冷めたような感じで物事を見るようになってしまった。自分を、世界というものを、生きていることさえ希望が持てないほどに……」

 薫にも十流に突き付けられた現実がどれだけ苦しいものかわかっていた。自分は生まれた時から退魔師として生きることを半ば義務づけられていた。それなりの予備知識や戦闘術も学んだはずなのに、初めて闇喰いと戦った時、膝が震え、この世のものとは思えない姿に恐怖心を抱いたことは今でも忘れることが出来ない。

「それでも!」

 薫はイスを押し倒すぐらいの勢いで立ち上がると、一瞬、何故自分が大声をあげてしまったのかわからないまま、それでも薫は刹那に投げかける。

「それでも私は、十流には中途半端な気持ちで退魔師をやってほしくないんです。途中で投げ出して欲しくない、そんなことをしたらいずれ十流は闇喰いに……」

 それ以上、言葉が出なくなって、顔を伏せると薫はイスに腰掛けた。目に涙が溜まっているのが自分でもわかっていて、それを必死に堪えていた。

 そんな薫の迫力に驚く刹那だが、何かを思い出したように薄い笑みを浮かべる。

「大丈夫よ。十流は絶対に途中で投げ出さないわ」

 刹那の確信したような言葉に薫は顔を上げる。

「なっ、何でそう言い切れるんですか?」

 自分をまるで不思議な生き物のようにみる少女に刹那は、指をさして答える。

「だってあなたがいるもの」

「私ですか……?」

 いきなりのご指名に薫はわけもわからず、きょとんとした顔をする。

「男の子ってね、女の子が近くにいると見栄をはりたがるものなのよ。あんまり親しくなくても異性に良い所みせたいって本能は誰にもあるものよ。当然、十流にもね」

「十流にも……」

 しだいに顔を赤くする薫の反応をおもしろそうに見ている刹那がさらに続ける。

「これはね、十流には内緒よ。あの子は小さい頃からあなたにかっこいいところを見せたいって思ってるふしがあるのよ。木登りだって、駆けっこだって、あなたに褒められたくって頑張って練習してたのよ」

「そんな事を……。私は、十流は生まれつき運動神経良いから、だから何でもできると思っていたのに。だから小さい頃、十流のこと本当にすごいなって思ってたんです……」

「どんなに才能があったって練習しなきゃそれは開花しないものよ。私なんてよく十流の練習に付き合わされていたわ。それで十流は決まってこう言うの。

『薫には絶対しゃべらないでくれよ。練習してる姿はあいつに見せたくないんだよ』って」

「初めて知りました……」

「だから十流は絶対に投げ出さないわ。あきらめるってことは十流にとって一番、かっこわるいことですもの。ましてや薫ちゃんがいるのに。闇喰いに負かされるよりも、身を切られるよりもつらいことなんじゃないかしら……」

 薫は再会した十流に、少なからず幻滅していた。小さい頃の憧れが強い分、今の不甲斐なさにイライラすることもあった。

 ところがどうだろう。自分も知らなかった、十流の熱い心の根を垣間見て、さっきまで抱いていた疑念が吹き飛んでしまった。しかもその原因が自分にあると知ってしまった。嬉しいような恥ずかしいような、今の気持ちをうまく言葉に出来ず、口をパクパクさせるしかなかった。

 そんな薫の様子を面白そうに見つめる刹那がさらに追い詰める。

「だから薫ちゃんもがんばってね。結構、期待してるんだから……。若い退魔師さん」

 そう言われて耳の先まで赤くして、でも薫は力強く答える。

「はい! がんばります!」



 二人分の夜食を入れた手提げ袋を片手に薫は、家の屋根づたいに、夜の街を駆ける。

 先ほどの刹那とのやり取りが頭の中をずっと駆け巡っており、その呟きは夜の街へと消えていく。

「小さい頃の十流って、見えないところで一生懸命がんばってたんだ。それも私に見せないように……」

 いつでも自分の前を走り、手を引っ張ってくれた存在。いつの日か肩を並べて歩きたいと思っていた。内気な自分とは違い、何でも出来る人だと思っていた。

 でもそれは自分の思い違いだった。何でも出来るんじゃあない。何でも出来るように陰で努力していた。

「私にかっこいいところを見せたいために……」

 十流が駆けっこで一等賞を取ると、誰よりも早く木登りができると、その度に、薫は、笑顔ですごいね、という言葉をかけていた。自分の事のように嬉しかった。そんな素直な言葉、ありきたりな言葉でも薫にとっては十流に対しての最高の賛辞であり、また十流にとっても一番、嬉しい言葉でもあった。

「じゃあ、今日の体力測定でも私にかっこいいところを見せたいから、魔力を使って少しでも記録を伸ばそうとしていた?」

 十流は投げる前に一度、自分の方を見ていた。別にこっちを見る必要はないと思っていた矢先、右手に魔力を宿すのを感じた薫は、自身でも驚くぐらいの厳しい視線を十流に向けていた。

 そして心の中で叫んでいた。

 人前で無闇に魔力を使用しては駄目だと。

 その想いが通じてか、十流はかろうじて投げるのを止めた。それでも記録を伸ばすというズルをするために魔力を使おうとしていたことに憤慨して、昼休みに十流を叱責し脅すような形で人前での魔力の使用を禁じた。

「でも、やっぱり駄目よ。いくらなんでもズルして記録を伸ばしたって私は喜ばないし、ましてやそいう悪事は姫川家の人間として容認するわけにはいかないわ」

 魔力は闇喰いに対抗するために与えられし力。それを闇喰いとの戦い以外で、しかも人前で、ズルするために使う事は譲ることの出来ないものだった。

 でも十流の気持ちもわからなくはない。

 自分だって、何かを成し遂げた時、例えば、新しい術を使えるようになって、それを誰でもいや近しい人に褒められると無性に嬉しくなる。もっとがんばろうと思う。

 それは十流も同じ。

 十流にとって自分に褒められることは、この上もなく嬉しいことのはず。

「まあ、悪い気はしないけど……。でっ、でも駄目なものは駄目よ。魔力をそんなことに使うなんて……。でも十流も男の子だし、女の子の前では見栄も張りたくなるかな……。だっ、だからそいうことがいけないんだって……」

 薫の自問自答は十流の待つ、廃ビルに着くまで延々と続けられた。


 廃ビルに辿り着いた薫は憮然とした顔をしていた。

(なんで私が十流のことで悩まなきゃいけないのよ)

 足にいつもより力を込めて踏み歩いていく。

(とにかく十流が悪い。そう、十流が悪いことにしよう)

 とりあえずの責任転嫁をすると、少し気持ちを落ち着けて廃ビルの中へと入っていく。

 そこには自分に背を向けて座禅を組む十流の姿。

 その姿を確認すると、わざとらしく咳払いをし、

「十流! 御飯持ってきたわよ。さっさと食べましょう」

 と声をかけたが十流は反応しない。

(集中しているのかな?)

 背筋を伸ばし、全く微動だにしないその姿に薫は感心する。

(中途半端な気持ちか……。ちょっと誤解してたかも)

 十流の真剣な姿に嬉しくなり、クスリと笑って、でもこれ以上、休みを入れずに続けるのはまずいなと思い、先ほどよりも少し音量を上げて、十流に声をかける。

「そろそろ休憩にしましょ。アンタの分も食べちゃうわよ」

「……」

 しかし反応がない。

 さすがにおかしいと思った薫がおそるおそる十流に近づいていく。

「ねえ、十流?」

 薫の呼び掛けに十流の首がカクンと下がる。

「なっ……、なっ……?」

 耳を澄ませば十流の規則正しい寝息が聞こえてくる。

「この……」

 怒りに我を忘れた薫は左手を真横へと掲げる。

「おいで! 桜花!」

 薫の呼び声に応えて現れたのは、白色の鞘に収められた一振りの刀。これこそが退魔剣士たる薫の武器。

 素早くその桜花を引き抜くと、刃を上に返してそのまま十流の脳天へと振り下ろす。

「……いってええええ」

 鈍い音と痛みに、夢から覚めた十流が頭を押さえて、後ろを振り向くとそこには抜き身の刀を持つ薫が立っている。

「なっ、なにすんだよ。しかも今、桜花で叩いたのか? それはないだろう……」

 頭を擦りながら抗議の声を上げる十流に、薫は言い返す。

「うるさい。峰で叩いたから大丈夫よ。それぐらいでグダグダ言わない。そもそも鍛錬中に居眠りしている十流が悪い」

「いや、さっきまでちゃんとやってたんだけど、そのうち眠たくなってだな。頭の中に羊さんが見えるようになって」

「それを居眠りっていうの! まったく、褒めるとすぐこうなんだから……」

「褒める? いつ薫が褒めたんだ?」

「うるさいうるさい。さっさと夕御飯食べなさい。その後ずぐ鍛錬だからね」

 大いに機嫌を損ねた薫は、桜花を鞘へと戻し、刹那特製の夕御飯を食べ始めた。今日はおにぎりにおかかが入ってる。箸やすめのきゅうりの浅漬けがさらに食欲を掻き立てる。憮然とした顔でおにぎりをほおばる幼馴染に、疑問符を頭に浮かべて、思案するも不機嫌の原因が一向に見当がつかないため、自分も休憩がてら夕食に手を伸ばす。

 その後の鍛錬がいつも以上に厳しかったのは言うまでもなかった。


 翌朝。

 いつものように起きた十流が早速、木刀を手に庭で素振りを始める。

 だが体は思うように動かない。

「くそ……。なんか昨日の薫、超がつくほど不機嫌だったけど、俺、何かしたか?」

 空を切る木刀はむなしく、力弱く振り下ろされていく。

 薫の不機嫌の原因が自分にあることなど露知らず、鈍感な少年は機械的な動きで熱の入らない素振りを繰り返した。


「……終わり」

 肩に石でも乗せられているんのではないか、そんな感覚に襲われながら、十流は縁側から居間へと上がり、食卓を囲むイスに腰掛ける。

「今日は、だいぶお疲れのようね」

 母・刹那が茶碗と目玉焼きを乗せたプレートを両手に持ち、居間に入ってくる。

「昨日、薫にしごかれたんだよ……。あいつ俺を痛めつけるのを趣味にしてないか?」

 十流の冗談とも本気ともとれる愚痴に、しかし刹那は笑って返す。

「そんなことはないわよ。ちゃんと十流のことを考えてくれてる。それに可愛い奴ほどいじめがいあるっていうじゃない」

「ふ〜ん、そんなもんかね……」

 刹那は両手にあるものを食卓に置くと、台所に戻っていく。

 十流は食卓に置いてあった今日の新聞紙を手に取り、いつものようにテレビ欄から読み進め、地域面の記事に目を止める。

「なんだ、これ……」

 他愛のない記事が載ってると思っていた十流の予測に反し、紙面の文字が大きく横書きしている部分にいつもと違う異常を知らせる。

『宝石強盗、一夜に連続発生』

 写真も載せられ、そこには名前の違う宝石店が映っている。

 ただ共通しているのはそれは十流の住む街にある宝石店であることだった。

「宝石強盗……、しかも俺の街かよ……」

 驚愕しながらも細かい字を読み進め、この宝石強盗の詳細を確認する。

 昨夜、宝石店に何者かが侵入し、店内にあった宝石が根こそぎ取られたこと。

 しかもそれが同じ街で違うお店で起きたこと。

 警察が捜査に乗り出し、手口を徹底的に洗い出すなどなど。

「大規模な犯行グループの可能性ありか……」

 大筋を理解し、新聞を畳むと無造作に食卓の中央に置く。

(なんだろう? この違和感……。今までだったら、ハイそうですか、で終わらせるのに、何かが引っ掛かる)

 目の前に置かれた目玉焼きを見ながら、新聞に書かれていた事件を思い返して見る。

 宝石泥棒。

 一夜にして二軒の襲撃。

 同一犯かそれともグループによる犯行。

 まさか闇喰いの仕業。

 普通の人には一切、見ることのない魔物。そして人知れず人の心を喰らう魔物。

 もしかしたらという疑念が十流の頭を横切ったが、だがこの記事だけでは確定的なことは言えない。

「薫にでも聞いてみるか」

 たった一週間前に退魔師になった十流に比べ、年季の入った薫ならば、自分が感じた違和感に気づくと思った。

「さあ、十流。朝ごはん食べましょう」

 最後にお味噌汁を持ってきた刹那の声に、我に返った十流は箸を手にとって、今日も変わらない、おいしい朝食を食べ始めた。


 十流は今朝の新聞の疑念を薫に聞こうと思っていたが、今日に限って中々、二人で話す機会が巡ってこなかった。

 朝、学校に着けばすでに薫はいて、平泉と何やら会話していたため、短い朝の挨拶を済ます程度で終わってしまい、授業の合間にと思っていたが科目による教室移動もあったため、それも叶わなかった。

 無理やりにでも聞くことは出来たが、何より強盗の原因が闇喰いにあるのかまだ半信半疑であり、また闇喰いの仕業ならば薫のほうから、自分を引っ張ってでも、今後の方針を話すだろうし、結局まとも会話が出来たのは、昼休み、薫と平泉とで机を囲んでそれぞれのお弁当をおいしそうに食べている時だった。

 十流のお弁当は白米の上に黒の海苔を敷き詰め、おかずは唐揚げとコロッケを半分にカットしたものとミニトマトという顔に似合わず肉食系のお弁当。薫は白米におかかのふりかけ、おかずはミートボールに厚焼きたまご、箸やすめに浅漬けの大根、デザートにオレンジとバランスが取れたお弁当。平泉はこれで足りるのかというほど細長いお弁当箱で、一段目は白米のみ、二段目には、ポテトサラダ、小さくカットした紅鮭、ほうれん草のお浸し、黒豆、いかにもヘルシーなお弁当となっている。

 三者三様のお弁当が並ぶ中、とある会話に三人の箸が止まる。

「え? 姫川さんって一人暮らしなの?」

「そうなのよ。言ってなかったけ……」

 ことの発端は薫が今どこに住んでいるのか、という話題になり、平泉がひどく驚いたことに始まる。

「でも一人暮らしって大変じゃない? 掃除や洗濯、料理も自分でするんでしょ」

「まあね。でも、もう慣れちゃった。最初は大変だけど慣れるとこれが結構、楽しいんだ」

 薫のなんでもない様子に、しかし平泉はまだ心配そうな表情で言う。

「でもでも、一人で暮らすってやっぱり危険じゃない。変な人とか、例えばストーカーとかいたらどうするの?」

 何故、こうまで薫の事で心配するのか一向にわからない十流は、薫に代わって平泉の疑問に答える。

「大丈夫だよ、平泉。薫のマンションはセキュリティがしっかりしてるし、守衛さんもいるし、防犯カメラがあんなについてるマンションなんて初めて見たぜ」

 例え変質者が目の前にいたとしても薫なら即座にやっつけているとまでは言わなかった。

 さも当然のように語る十流に対し、平泉は冷静なツッコミを入れる。

「なんで天宮君が姫川さんのマンションのことを知っているの?」

「うっ……」

 一瞬にして凍りついてしまった十流は明らかに動揺していた。

 薫のマンションの訪れたのは二回。

 二回とも退魔師のことや闇喰いのことを話していたため、ありのままを平泉に言うわけにはいかない。

(どうする? 薫?)

 十流の訴えるような視線に薫も目で返す。

(私に振るんじゃあないわよ)

 十流と薫の視線の応酬を横目で見る平泉はただじっと答えを待っている。

 そんな平泉の視線に根負けし、薫が口を開く。

「あっ、あのね。十流がどうしても宿題を見せてくれってうるさくってさ。それで仕方なく……。別にやましいことはしてないわよ。ね! 十流」

 そう言ってウインクする薫に、

「そうそう」

 と同調する十流。

 そんな二人を見て納得したのか、平泉は満面な笑みを浮かべる。

「そうよね。幼馴染だしそういうこともあるわよね。でも本当に気をつけた方が良いですよ。昨日なんて、宝石強盗があったくらいだし……」

 十流は宝石強盗の言葉に、はっ、とした。

 そう朝から薫に聞きたかったことを今さながら思い出した。

 当の薫もわずかに眉をひそめている。

(薫も何か感じているんだな)

 急に黙ってしまった二人に、平泉も神妙な面持ちで黙ってしまう。

「おや、御三方。強盗の話をしているね」

 この場にふさわしくない陽気な声――情報屋・川田の声に十流が露骨に嫌な顔をする。

「昨夜の宝石強盗について情報があるんだけど……。聞きたい? 聞きたいよね?」

「聞きたくないから、どっか行け……」

 ぶっきらぼうな物言いに川田は悲しげな顔で十流の肩にしがみつく。

「そう言わないでくれよ、十流君。ぜひとも喋らせてください」

 面倒くさそうにしがみつく川田を振りほどき、

「それじゃあ、適当に喋ってくれ」

 十流の許可が下りると、どこからともなく扇子を取り出し川田は語り始める。

 そんな二人のやり取りを見ていた薫と平泉も怪訝な顔をしつつも、一応は川田の話に興味を示す。

「まあ、御三方もご存じのとおり、昨夜、連続して宝石強盗が起きたのですが、ところがそれがどうも妙なのであります……」

 川田は扇子を叩くとそこで一旦、話を切る。

 三人の好奇な目線を確認し、優越感に浸ってから続きを語る。

「一晩で、しかも二つのお店がやられたということは何かの強盗グループの仕業とか言われているが、車で移動した形跡がないときたもんだ。では単独犯か、といわれてもお店にあった宝石を根こそぎ奪って、どうやって移動したのかこれが全く見当がつかない」

「どうして車で移動した形跡が無いって言えるの?」

 と疑問を呈したのは薫。当然くるだろうと予測していたのか、川田は自信満々に答える。

「実はお店の外にも防犯カメラが設置してあったんだが、それには不審な車両は映っていないのよこれが。おまけに店内の防犯カメラは全て破壊されている」

「防犯カメラが破壊?」

 今度は十流が質問する。防犯カメラまで破壊するとはどうにも手の込んだ強盗に思えた。

「でも、カメラが破壊されるまでの状況が映し出されているんじゃない? 例えば犯人がどうやってカメラを破壊したのか……。例えば拳銃とかね」

 質問でさらに追い打ちをかける薫に、川田はやや沈んだ声で答える。

「確かにカメラが破壊されても、破壊の瞬間までは映し出されていて当然のはずなんだけど、これが摩訶不思議、何も映ってなかったのよ。しかも店内にあったカメラがほぼ一斉に破壊されたみたいなんだ」

「そんなまさか幽霊……」

 怖がる平泉に、川田はやや明るい声で、

「いやいや、平泉。幽霊が宝石を盗まないでしょ。でもその辺は警察も頭を抱えてるみたいなんだ。侵入ルートも特定出来ていないらしい。店内は荒らされているけど、それ以外はまったくの無傷なんだから。故に巷では現代のルパンまたは五右衛門かと噂になっているのであります。終わり」

 川田の話を聞き終え、十流はやはりこの強盗事件の違和感に気がついた。

 薫の方に目を向けると、表情はいつにもまして険しいものなっている。

「ほれ、十流」

 そう言う川田は手の平を返して、十流に何かを求めるしぐさをする。

「この情報の対価をくれ。ほれほれ」

「お前な……」

 心底、呆れ果てた十流の顔の横をお弁当の蓋が横切る。

 そこには厚焼き玉子が一切れ乗っかっている。

「はい、川田。これでどう?」

 薫が最後に残していた厚焼き卵を川田に差し出した。

 驚く十流を尻目に、川田は感動に目を潤ませながら、厚焼き卵を口にいれる。

「ああ、この芳醇な甘み。しかも薫ちゃんのお手製……。生きてて良かった……」

 わけもわからない言葉を残し、感動に手を震わせながら立ち去る川田の背中に向けて、

「あれは惣菜屋で買った玉子焼きなんだけどね……」

 本人の感動に水を差すような言葉を聞いて、十流と平泉は口を固く閉じてしまった。


 昼食を終えた十流と薫は急ぎ、校舎の屋上へと上ってきた。

 十流は金網越しに街を見る薫に向って今朝の新聞のことを話す。

「薫も今朝の新聞は見たよな。それにさっきの川田の話――あの強盗は……」

「闇喰いの仕業と言いたいんでしょ?」

 十流の言葉を遮るように薫が口を開く。

 十流に向かって振り向いたその表情は引き締まっている。

「私も今朝の新聞やニュースを見た限りでは闇喰いの仕業とまで言えなかった。だから十流にも無理やりこの話題を話さなかったの。でも川田の話を聞いて確信した。まあ、どうやって情報を仕入れたのか気になるけどね」

「防犯カメラの事か」

 そう、と薫は短く答える。

「今の社会において防犯カメラに全く何も映らないで犯罪を犯すなんて到底無理な話。ましてや宝石店よ。どこかの家に押し入るのとはわけが違う。カメラを破壊するにしろ、その行動が映って当然なのに何も映っていない。人間業じゃあないと周りの人は言うけど私たちは違う」

「退魔師である俺たちなら闇喰いという存在を知っている。人間業じゃあなければ奴らしかいないか……。でもさ薫、闇喰いって人の心を喰らうんだろう? 宝石なんて盗んでどうするんだか……」

 闇喰いの目的はそもそも人間の心を喰らう事。それが彼らの行動原理であり、もっとも価値のある行為である。宝石を身につけることも、売りさばき金持ちになることなど彼らの存在意義としては無縁のものであった。

 十流の疑問も的を射たものであったが、薫はそれに対し丁寧に答える。

「確かに十流の言うとおり、闇喰いの目的は人の心にあるわけだから、宝石なんて盗むことに意味なんてないわ。恐らく、強盗をしているのは闇喰いを生み出した宿主で、闇喰いはその宿主に力を与えて、強盗の手助けをしているのよ」

「宿主が強盗? なんでまた……」

「前に戦った蜘蛛の闇喰いは学校の中だけど、生徒・先生を問わず手当たり次第に襲ってた。つまり闇喰いは宿主を中心に外にいる人間の心を喰らう事で成長しようとしていた。対する今度の闇喰いは宿主に力を貸す形で、宿主の欲望を叶え、その心を喰らっているのよ。当然、成長を果たせば、その宿主の心を完全に喰らって一個の存在となってしまうけど」

 十流は薫の話を一通り聞くと、闇喰いの存在の深さに驚くばかりであった。

 人の心を喰らうためなら、どんな手段もいとわない。それほど闇喰いは一個の存在になりたいのかと。

 闇喰いは生まれたてあるいは成長の段階では、宿主から離れて行動をすることができない。その範囲もかなり限定される。宿主から離れる――すなわち脱皮にはみずからの成長がかかせない。その源が人の心を喰らうという行動につながるのである。

「それで結局どうするんだ? 倒すにしてもまずは闇喰いを見つけないと」

 十流の問いに薫は肩をすくめる。

「ところがどっこい。それが今回の難しいところなのよね。強盗といっても、昨日は宝石店だったかもしれないけど今度は、どこを狙ってくるのかがわからない。加えて闇喰いが活動をしないと私たち、退魔師は探知できないからね……」

「でも薫なら闇喰いの気配みたいなものを察知できるんじゃあないか? 俺はまだその気配とかよくわからないし……」

 十流は自分よりも長く退魔師をしている薫なら気配とやらに敏感のはずと踏んでいたが、薫は首を振る。

「確かに気配を感じることは出来るけどそれでも私が察知できるのは、だいたい校舎ぐらいよ」

 両腕を左右いっぱいに広げて見せる薫に、十流はあきれる。

「いや、それぐらい広ければ十分だと思うんだけど……」

「勘違いしないでね。あくまでもこれは私が気配をギリギリ察知できる範囲なんだから。当然、至近距離ならすぐわかるけど、例えば範囲の限界近くだとうまく察知できないの。術師なら気配察知の法とかあるけど、生憎私は使えないし……」

 そう言うと薫は肩を落としてしまう。

「う〜ん」

 十流もなにか方法はないものかと思案し、一つだけ思い付いたことを言う。

「だったらあらかじめ堺面世界に入って待ち伏せするっていうのはどうだ?」

「却下」

 十流の精一杯の提案にしかし、薫は明確に否定する。

「堺面世界は私たちの現実世界と同じように見えるけど、あっちは闇喰いの住みかよ。ずっと居続けるのは危険。さらにもっというと堺面世界のどこで待ち伏せすればいいわけ? 結局は何らかの目星をつけなきゃダメってことなのよ」

 神妙に語る薫の姿に十流はお手上げのポーズをとる。

「まあ、闇喰いのことは私が考えるわ。十流は鍛錬の方に集中して」

「わかったよ」

 渋々、了承する十流はある思いを抱く。

(蜘蛛の闇喰いの時は、行き当たりでなんとか倒したけど、俺だってその後、かなり退魔師の鍛錬を積んだ。今度の闇喰いでこの力を試せるはず……)

 両の手の平を見て、強く握る。

(今度こそ……)

 その強い決意がやがて、自らを危機的状況に追い込むとは十流はまだ知らない。


 その日の夜。

 十流はいつものように廃ビルで、退魔師の鍛錬に勤しんでいた。

 座禅を組み、心静かに、そして体全体に膜のように魔力を張る。鍛錬を始めたばかりのころはこの動作を取るにも一苦労だったが、現在はムラはあるものの、安定して魔力を出せるようになっていた。

 少しずつとはいえ、退魔師として着実に力をつけていることをもっと喜びたいところだが、十流の傍らにいる薫が放つ厳しい視線に、その場の空気は重いものになっている。

 いつもの薫なら、十流が座禅を組んでいる間は、本を読んだり、十流を差し置いて宿題をやったり、自由気ままだが、今日に限っては虚空の彼方を見つめている。

 今回の闇喰いは、宿主が行う強盗の補助という立場をとっているためか、出現場所を簡単には特定することが出来ない。また薫の気配察知の範囲も広くないため、どうやっても街全体を警戒することが出来ない。

 自分で考える。

 昼間の強い口調と今の薫の様子を見る限り今回の闇喰いが相当やっかいだということはひしひしと伝わってくる。

「……」

 チラッと十流は薫の様子を見るが、変わらず、一点を見つめている。

 その場は静かで、座禅を組むのに、雑念が無いことは良いのだがこの重苦しい空気は逆に、十流の集中力を奪っていた。

(いつも以上にやりにくいな)

 声を出すことも出来ず、心の苦しい声だけが十流の中で木霊している。

「……!」

 何度目かのチラ見の末、突然、薫がその目を大きく見開いて立ち上がる。

「……いる。この近くに闇喰いがいる」

「どこに?」

 十流も立ち上がり、辺りを見渡す。

 十流も一応は闇喰いの気配というものを感じることができるが、その範囲は極端に狭い。退魔師として駆け出しの十流にはせいぜい、この廃ビルの一フロア分の広さしか、その気配を察知できない。

「この建物にはいないな……。ということは外か?」

 建物の入り口へと十流は視線を移すと、

 ドォォォォォンン……。

 空気を揺らし、体に響く音がいきなり襲いかかってくる。

 十流と薫は目を合わせると、跳ねるように廃ビルの入り口へ、そして外へと躍り出る。

「十流、あれ!」

 薫の指さす方向、小高い丘から見える景色から上る、一筋の煙。

 どこからともなく遠くの方でサイレンの音が聞こえ始める。

「薫。行こう!」

 十流に呼び掛けに、

「私が先行するわ。十流は後から付いてきて」

 そう言うと、薫は体を宙へと投げ出し、丘を下っていく。

「ちょっと待て、薫!」

 一瞬にしてその姿を見失うが、何事もなかったように薫は跳躍を繰り返して、爆発現場へと向かっていく。

「もう人間技じゃあないな」

 感心しつつ、自分も追いつこうと十流は体を宙に投げ出そうとして、

「……だめだ。まだムリ……」

 眼下に見える、その光景に跳躍した後のことを考えると、どうしても恐怖心が先行してしまう。

「ええい、なら走って追いついてやる」

 ほとんどヤケクソに放った言葉を置き去りに、十流は駆け出していく。


 十流が廃ビルより駆け出して、ものの数分で辿り着いたのは、幹線道路ぞいにある建物。道路にはサイレンの赤い光が周囲を照らし、人々が集まっている。

 人の垣根の外、十流が見上げた先には看板が掛けられている。

「ここは、銀行か……」

 辺りは騒然となり、道路には緊急車両が集結している。

「薫の奴、どこに行ったんだ?」

 人ごみを避けて建物の入り口へと行きたいがなかなか進めない。

 それどころか、警察官の指示により、人々が建物から遠ざかる。十流もそれにつられるように何歩か後ろへと下がる。

「くそっ、どうするか……!」

 そう思案していると不意に腕を掴まれ、引っ張り出される。

 振り向いた先、長い髪を揺らす一人の少女。

「薫? お前どこから……」

「いいからちょっとこっちへ」

 なおも集まってくる人を掻き分けて、十流と薫は建物の間にある路地裏へと逃げ込む。

「しっかし、すごい人だな」

「まあ、あの爆発だったらみんな、集まるでしょうよ」

 路地の片隅から見る現場は今だ、騒然となっている。

「ところで中は見れたのか?」

 十流の問いに、しかし薫は首を振る。

「駄目だった。私が来たときにはもう警察がいて、中の状況を見れなかったわ。たぶん昨日の強盗事件があったから警察の方は特別警戒していたみたい。それにこれじゃあねえ……」

 呆れたように言う薫に十流も同意する。

 この街では事件らしい事件は、ほとんど起こらない。今朝の強盗事件などまさに天がひっくり返る位、この街では珍しいことなのである。それに加えて今日の銀行爆破である。人々の関心は異様に高い。

「もう闇喰いはいないけど、せめて中は見たいわね……」

 困った顔を見せる薫に、十流は一計を案じる。

「なあ、堺面世界からこの状況を見れないかな? ほら、前に薫がいっていただろう。現実世界で起きたことは堺面世界で起きる。その逆は無いけど……。この建物の中を見るだけならそれで十分だろ」

 十流の提案に、薫は頷く。

「そう言えばそうね。十流、ちゃんと堺面世界のこと理解しているわね。えらいえらい」

 完全に先生か、お姉さんのような口ぶりに十流は頭を掻いて照れ隠しをする。

「それはいいから。早く行こうぜ」

「あせらないの。まあ、練習も兼ねて自分の力で堺面世界に行ってみようか?」

 十流はコクリと頷くと、薫以外の人間がいないことを確認して右手に魔力を宿らせる。

 そして、十流と銀行の壁の中間ぐらいの空間に向かって、手の平をいっぱいに広げて押し出すようなしぐさをする。

「よし、今度こそ」

 堺面世界の入り口となった空間に向かってゆっくりと歩き出す。

 最初に足が入って、次に手が入り、胸の方まで入って、

「おっ、うまくいったかな……。のわぁ」

 何故か首のところでつっかえてしまった。

 仕方なく何歩か下がり、前面にあるであろう堺面世界の入り口を凝視する。

 その姿を見て、堪え切れなくなった薫が苦笑する。

「ふふっ、まだ開け方が不十分なのよ。それでも昼間よりは進歩してるし、ここはお手本を見せてあげる」

 そう言って薫は十流よりも一歩踏みだし、前方の空間に向かって、軽く手の平を押し出す。

「それじゃあ、先に行くわね」

 そう言って歩き出すと、一瞬にして薫の姿は消えてしまう。

「おい、ちょっと待てよ」

 驚き慌てて十流は薫の後を追いかける。

 薫が作った堺面世界への入り口へと向かうと、十流の身体はなんなく堺面世界へと入りこむ。

「よっと……。うわあこの感じ毎回来ても嫌な気分になるな」

 堺面世界、闇喰いの住まう世界。空はいつも厚い雲で覆われており、光源ともいうべき太陽も月も無い。だが現実世界が夜のためか、幾分、昼間の堺面世界よりは暗い。

 十流からちょっと離れた先、薫はあたりを見渡し警戒する。

 そんな薫に十流が問いかける。

「おい、薫。ちょっと聞きたいんだが……」

 ほんの少し怒りが籠った言葉に、薫は面倒くさそうにこちらに振り向く。

「何よ……」

「お前、さっきの堺面世界への入り方。俺が聞いたのはおもいっきり開けるようにしなさいだったと思うんだけど……」

「そうね」

「でも薫の場合、おもいっきりどころか軽く押しただけで堺面世界への入り口が出来たけど、どういうわけでしょうかね?」

 強い口調に詰問する十流に薫は悪気なく言い放つ。

「あれは十流用の説明よ。本来の開け方は扉のイメージがしっかりしていれば後は魔力で入り口は出来るの。でも十流の場合、扉のイメージって言ってもわからないと思ったから、とりあえずおもいっきり開けろって説明になったわけ。わかりやすいでしょ?」

 薫の可愛いウイングに、十流はため息をつく。

「そうですね。わかりやすい説明どうもありがとう」

 嫌味を含めた言葉も何故かむなしさが漂ってきた。

 二人は建物の路地裏から出ると、さっきまで人ごみで見れなかった銀行入り口までなんなく来ることができた。

 自動ドアとなっていた銀行の入り口は、ぽっかりと空いている。辺り一面には爆発の影響をうけてかガラスの破片が飛び散っている。

 十流は早速、銀行へ入ろうとしたがそれを薫の右手が制する。

「おいで、桜花!」

 かざした左手に白塗りの鞘に収められた刀が握られ、そして鞘を支えるホルスターからベルトが伸び薫の腰に巻かれていく。

「ほら、十流も討牙を出しておきなさい。いつ闇喰いが出てきてもいいように」

 うながされ、十流も左手をかざす。

「来い、討牙!」

 十流の左手に黒塗りの鞘に収めれた刀が出現する。薫の持つ桜花と同様、退魔師の武技であり、父親の忘れ形見である。

 ホルスターから伸びるベルトが十流の腰に巻きつき、ちょうど討牙を左越しに吊るような形で帯刀する。

「準備完了」

「それじゃ、行くわよ」

 二人は砕けたガラスを踏みながら、ゆっくりと銀行の中へと入っていく。


 入り口を抜け目の前に空間が広がる。天井が高く、開放感的な雰囲気を演出している。正面にはカウンターが横長に設けてあり、その手前には長椅子が等間隔に並べられている。左方向にはATMが数台、右方向は、書類を書くための記帳台とその奥には、どこかの部屋へと通じるドアが一枚開け放たれている。爆発の威力を物語るように天井に吊ってある蛍光灯は全て割れており、床にはガラスに混じって書類が散乱している。

「すごいな……」

 十流の言葉に薫も同意する。

「確かに、今度の闇喰いはかなりの術使いね」

「術使い? 闇喰いも退魔師みたいに術を使うんだ……」

「別に珍しいことじゃあないわ。前に戦った蜘蛛のように力まかせだったり、術を巧みに使ってくる闇喰いとか、両方に長けているものもいるわ。つまり人それぞれってこと」

 十流は薫の説明に納得して頷く。

 自分はまだ退魔師としてはまだまだ初心者であり、退魔師の全容など知らないことは山ほどある。まして倒すべき相手のことも知らないことばかりであり、薫の忠告は素直に聞いて警戒することに越したことはなかった。

「十流、私はカウンターの方を見るから、ATMの方を見てきて。何か不自然なものがあればすぐに呼んでね」

「不自然っと言ってもな。俺は銀行なんてあまり来たこと無いし、せいぜい母さんに連れられてくるぐらいだし……。どこを見れば良いのか……?」

 十流のみならずこの年齢なら、必要が無い限り、むしろ必要性など無いのだから銀行という建物には近づくことはあれ、入ることはほとんど皆無である。故に銀行とは大人だけが必要とする、大人の世界という強迫観念があった。それを堺面世界とはいえ、銀行に入るということは何故か怖いものをみるような感覚を十流は感じていた。

 しかし、そんな風どこ吹くのかというような感じの薫は、尻ごみする十流に指示を出す。

「何もATMのこと全部調べろとは言わないわよ。周りとか、落ちているものとかで変だと思うところを探せばいいの」

 そう言うと薫はとっととカウンターの前まで歩く。

「よっと」

 カウンターに手をつくとその勢いで身体を宙に浮かせ、向こう側に身体を滑りこませる。

「おいおい、薫。はしたないぞ」

「何が? 別に問題ないでしょ」

 肩をすくめる薫に十流は、スカートの中身が見えそうだった、とは言わなかった。言ったら最後、無事に帰してくれないと、十流は思った。

 十流はカウンターに向かって左方向に並べてあるATMへと近づいていく。

 機械はどの台も破壊され、導線が飛び出し、小さな火花を吹かしている。周りにには拾い損ねたであろう紙幣が無造作に散らばっている。十流はその一枚を拾い上げ、まじまじと見つめる。

「それ盗っても現実世界には持ってこれないから」

 遠目で見ていたのだろうか、薫が紙幣を見つめる十流に注意する。

「わかってるよ。堺面世界の物は架空のもの――現実世界に戻った瞬間に消えるんだろう」

 十流は持っていた紙幣をその場に捨てると、ATMを一台すつ見ていく。機械には詳しくはないとはいえ、爆発の威力は見てとれる。どの機械ももはや役目を果たすことが出来ないほどに破壊されている。

 そしてふと床に目が止まる。キラリと光る何かが十流の視界に入った。

「これは……?」

 しゃがんで見てみると、それは丸く、小さい玉のようなもので銀色をしている。人差し指と親指で掴めるほどの大きさのそれは、固くそれ以外は特に特徴は見られない。

「これ、機械の部品とかかな」

 よく見ればそれは数個、機械の周りに落ちている。

 十流はその特徴のない小さな玉を指で弾くと、もう一度あたりにおかしい所がないか見渡し、やはり異常が無いことを確認すると薫のいるカウンターへと向かっていった。

「お〜い、薫。何かわかったか?」

 十流の声に反応するように薫がカウンターからひょっこりとその顔を見せる。

「こっちもやられてる。でも宿主や闇喰いに関することはさっぱり。こうやって見ると爆発の威力しかわからないわね。少しでも何か手掛かりがあるかなと思っていたのに」

 苦虫をつぶすような顔をしながら、またしてもカウンターを乗り越えて十流の隣に立つ。

「まったくだな。五右衛門やルパンのようにもっとスマートに盗んで欲しいよな」

「強盗を肯定してる場合じゃないでしょ。この際だからもう少し調べてみようか……」

「う〜ん……」

 薫の提案に、十流は少し考えてやはり賛成できなかった。薫の言うようにこの現状でわかることといえば爆発の威力とそれに伴う被害の状況のみ。とても宿主や闇喰いにつながるようなものがでてくるとはおもえなかった。薫の方も途方にくれるようにひたすら思案をしているようだがなかなか答えが出さないでいた。

 十流はもう一度、見える範囲で首を動かし、その現状を見つめる。

 首を左にすれば、破壊されたATMの残骸、真中に移せばカウンター越しに見えるオフィス机と散乱した書類の山、最後に右を向くと記帳台とさらに奥に扉が一つ、小さく煙が出ている。

「あれ何の部屋だろうな……」

 十流の指さした先、薫もその方角を見る。よく見ればドアノブが取れかかっている。

 お互い顔を見合わせ、二人してその扉の前へと向かう。

 ドアの上にあるプレートには煤けているがなんとか文字を読むことが出来る。

「貸金庫? 金庫を貸してくれるのか?」

 書いてあるとおりに解釈する十流に薫が説明を加える。

「金庫といってもここではお金じゃなくて主に書類を預かってくれるのよ」

「書類?」

「そう、例えば土地の権利書とかね。ある意味、お金より価値の高いものをここに保管するの。ほら、どうしても家にある金庫じゃあ不安でしょ。銀行だったらセキュリティとかしっかりしてるし安全だから、多少、手数料を取られるけど安全には変えられないわ」

「まあ、闇喰いには銀行のセキュリティは無意味だったけどな」

「それは仕方ないわよ。普通の銀行で闇喰いの対策まで考えているところなんてないわ。その点、姫川家の金庫はすごいわよ」

「姫川家の金庫?」

 オウム返しの問いに薫は自慢げに語る。

「なんせ姫川家の金庫は、某国の核シェルターを使っているし、しかも入るには指紋認証から静脈認証さらには網膜による認証まで取り入れているんだから。暗証番号も銀行なら四桁だと思うんだけどこっちは八桁、番号以外にもアルファベットも使うんだから。それと闇喰い対策に結界まで張っているし、退魔師による二十四時間体制の監視、もう完璧よね。盗めるものなら盗んでみなさいって感じよ」

 誰に自慢しているのか、得意気に胸を張る薫に十流は呆れてしまう。

「そういえばお前の家は金持だったんだな。すっかり忘れていたよ」

 姫川薫が有名なブランド会社の令嬢と知ったのはつい最近の話である。小さい頃は薫の両親とも何度も顔を会わせていたが、どこにでもいそうなサラリーマン夫婦にしか見えなかった。 

 ところがそれは世間を騙すためのカモフラージュだったことを薫から告げられていた。

「薫、話を戻すけど、つまりここにはお金が無くて重要な書類を保管しているんだな?」

「そうよ。でも念のために調べておきましょう」

 そう言って壊れた扉の先、そこは対して広くはない、小部屋のようになっている。中には大きな棚が一つ置いてあり、無数の引き出しに番号がふられている。

 物色した後なのだろうか、何個かの引き出しが開いている以外に特に被害は見当たらない。

「なるほどね。開けてみたのはいいけど中身はお金じゃないと思って、さっさと出て行ったか」

 開いてある引き出しには書類が丸見えになっているが、盗られた形跡はない。

 十流も貸金庫の中を見渡すがこれといった異常は見当たらない。

「行きましょ。これ以上は手掛かりがなさそうだし」

「そうだな……」

 薫に付いていくように十流は踵を返そうとして、

「うん?」

 足に何かを踏みつぶしたような違和感を感じ、そっと足をどけるとそこには銀色をした玉が転がっていた。

 拾い上げて見るとそれは先ほどATMの付近で見たものとよく酷似していた。

「これは……?」

「どうしたの?」

 十流は薫に自分が拾い上げた銀色の玉を渡す。

「銀色の玉か。それも価値のあるものなのかな」

 十流の問いに、薫は首を振る。

「違うわ。これ銀色だけどただのメッキよ。価値なんてない。でもなんで貸金庫なんかに……」

 首を傾げる薫に十流は言う。

「それに似たよなものならATMの周りでもいくつか見たぞ。俺はてっきり機械の部品かと思っていたんだけど」

 十流の言葉に薫も何かに気づいたらしい。

「そう言われてみれば私もこれと同じものをカウンターの裏側で見たわ。私も機械の部品だと思って無視していたけど、もしかして……」

「宿主が落とした物かもしれない?」

「うん。これには物としての存在感が伝わってくる。たぶん現実世界から持ち込まれたものだわ」

 堺面世界にあるものは現実世界に存在するものをまるで鏡に映したように同じものがあるがそれは本来、持っているはずの存在感が一切無い。十流が拾った紙幣もまた、現実世界の同じ場所に落ちているが、それを拾って堺面世界から持ち込もうとしても、それは消滅してしまう。堺面世界がいわば現実世界の複写ともいえる所以である。

 十流が見つけ、薫が手にしている銀の玉には、その物が放つ存在感が確かにあった。十流にはまだそのあたりは感知できないが薫にはそれが現実世界の物ということが感覚的にわかる。

「とにかく、ここから出ましょう。これ以上は手掛かりをつかめそうにもないし、何よりこれが何なのか気になるし」

「そうだな」

 十流と薫はとりあえず手に入れた小さな銀の玉を手に堺面世界を後にしていく。


 銀行の路地裏から現実世界に戻ると今だに銀行の周辺は雑踏と騒音で埋め尽くされている。

 それを横目に二人は一路、廃ビルへと歩いていた。

 十流は発見した銀の玉を摘まみながら物思いにふけていた。

「う〜ん。なんかどこかで見たことあるんだよな」

 街の街灯に照らされながら不気味に光るそれを十流は指で何度もいじっている。

「確かにビー玉みたいな感じもしなくはないけど、それよりは小さいし、子供のおもちゃでもなさそう……」

 薫もまた銀の玉を四方から見るが特段に変わった所はなかった。試しに術でも使って壊そうとも考えたがこんな小さなものから何かがでるわけもないと悟って術の使用を止めてしまった。

「ビー玉、弾く、子供のおもちゃ……」

 薫の言葉に何かが引っ掛かるがそれを具体的なものにするにはまだ足りないものがある。

 お互いに悩みながら歩道を歩いていると向かいの道にひと際、電飾が煌めく店が見え始める。

 店の前には自転車が止まり、のぼりがいくつも掲げられ、店から出てくる人はどれも相応の年齢を重ねた人ばかりであった。

 十流はそれを横目で見つつ、通りすぎようとして、その光景をもう一度見る。

 閃いたように持っていた銀の玉と電飾が光り、自動ドアの向こうで繰り広げられている様を交互にみる。

「思いだした。これだこれ、パチンコ屋だ」

 十流が指さす方向に薫も目を向ける。

「パチンコ屋? それがなによ」

「この銀の玉。これパチンコ玉だよ」

 十流はお店の前にあったのぼりを指さして、そこに描いてあるイラストと銀の玉を重ねて見せる。本物とはあまり似てない絵でもパチンコ玉の特徴は描かれているため、十流の持つ銀の玉との整合性もなんとなくわかる。

「パチンコ玉ね――って十流、なんでパチンコの事なんか知っているのよ。あんたまさか……」

「まてまて、学生の身分でお店に入ろうものなら店員さんに摘まみだされるって。俺が見たのはゲーセンにあるやつだよ。あっちは現金でやるけど、ゲーセンのはメダルを賭けてやるから別に違法でもなんでもないと思うけど」

「現金を賭けるのもメダルを賭けるのも一緒のような気がするけどね。ホント男って古今東西、賭けごとが好きなのね」

「女性でもパチンコやると思うけど……」

 十流の意見を無視し、薫は話を進める。

「パチンコか……。私、パチンコなんてやったことないから、どういうものなのか説明してくれる」

 薫の問いかけに、それなら、と十流はお店の中にある一台のパチンコ台を手本に説明を始めた。

「まず右下にあるハンドルみたいなものを回すとパチンコ玉が出てきて、それを台にいくつか空いている穴に入れると玉が補充されるようになっているんだ」

「ふむふむそれで」

「一番中央にある穴は入れにくいけど入ると大量にパチンコ玉が補充されるんだ。最近だとスロットの要領を取り入れて一定の絵柄が揃うとフィーバーといって、これまた大量に玉が出てくるんだ」

「それでそのパチンコ玉は最終的にどうするの?」

「ゲーセンだとメダルに替えてもらえるし、こっちのほうだとおもちゃやお菓子、確か現金にも替えられるんと思ったけどな」

 十流の説明にコクコクと頷いていた薫はいきなり手を叩く。

「つまり、今回の宿主は金に困っているのね」

 薫にしては安直な推理に十流は困ってしまう。

「それはいくらなんでもムリがあるとおもうけど」

「何いってんのよ。パチンコに行く奴なんて金に困ってるっていうのが相場よ」

「いや、単純にパチンコがおもしろいから通う人もいるけどな」

 十流の言葉に耳を傾ける間もなく薫は歩きだしてしまう。

「そうとなれば次の狙いも銀行に決定よ。この街には銀行はあと二軒くらいだし、それだったらなんとか目星をつけられるわ」

「それじゃ明日から、二人で銀行に貼り込むか?」

 十流の問いに薫は首を振る。

「いいえ、私一人でやるわ。大丈夫、十流は鍛錬に集中していればいいの」

 薫にとっては退魔師としてはまだ駆け出しの十流に対しての気遣いだったのかもしれないが、十流にとってはみじめとしか受取れなかった。

「……わかった。薫に任せるよ」

 意気揚々と前を歩く薫の背中を見つつ、十流は数歩下がってその後を追いかけていた。

 自分も退魔師になると決めた。

 そうすることで薫と肩を並べられると思っていた。

 でも同じ土俵に上がっただけで実力は薫の方がはるか先をいっている。

 自分だって戦える。

 その言葉は喉まで出かかってでもそれ以上を出すことが出来ない。

 やりきれない思いが背中を小さくして、十流はずっと暗い夜道を見ながら歩いていた。


 翌日になって十流はいつものように目覚めたが、昨晩からの陰鬱な気持ちは収まらなかった。優しいはずの朝日も今日ばかりは不快に感じられた。

 素振りの練習をして、朝食前にはやはりというべきか昨晩の銀行強盗が載っていたがその内情を知っているのでほとんど読まず、食事の時には意識はしなかったものの刹那と何度か目を合わせる時があり、その度に心のつっかけを言葉にしようとするが中々、切り出せずにそのまま学校へ向かってしまった。

 教室に入ってもう着席していた薫にあいさつを交わすとそれ以上、話すこともなく十流は前の座席へと座る。

『一人でやるから』

 この言葉が十流の頭の中で何度なく響いていた。

 薫が自分をのけものにしようとしているわけではない。

 鍛錬に集中して欲しいから、薫の優しから出た言葉。

 でも一緒に戦うと約束したはずなのに。

 自分はまだ戦うだけの力もないのか。

 十流は体力テストで薫に対して抱いた僅かな劣等感を今では強く感じる事が出来る。何より自分自身に対して怒りすら覚えるようになっていた。

(もっと強くなる。そしていつか……いや次こそ)

 薫から戦友としての言葉をかけてもらえるように十流は強くなることを改めて決意した。


 夜の鍛錬はひと際気合が入っていた。

「とりゃああ」

 魔力を使い、高く跳び上がり、そして着地の際には衝撃を和らげるように魔力を使う。この練習を十流はもう何十回と繰り返していた。

 幾度か足に痛みを伴っていたがだんだんと慣れてきたのか、さらに高く、着地もうまくできるようになっていた。それでも薫に比べればまだまだなのだが。

「それりぁぁ」

 その薫は今、見回りと称して街へと出ている。十流にはちゃんと鍛錬をするようにとの伝言を残し、街へ出て闇喰いの出現に備えていた。

 十流は着地すると誰もいない廃ビルを一巡する。

「なんか切ないな……」

 薫がいないという事実は確かにやりやすい面もあるが、置き去りにされたという事実が十流に重くのしかかる。

「愚痴を言ってる暇はないか」

 続いて討牙を出すと、相手がいることを想定した殺陣の要領で討牙を振る。

 竹刀と木刀は使い慣れているものの、討牙のような本物の太刀を扱うのは生まれて初めてである。前回の闇喰いとの戦いでは相手が単調な攻撃しかしてこなかったこともあって、なんとか倒せたものの、それでは足りないと薫に言われるまでもなく十流は自主的にこの鍛錬を取り入れていた。

「はあっ」

 逆袈裟切りから上段に構えてそのまま振り下ろす。流れるように、止めることなく斬撃をあらゆる方向から繰り出す。

 十流は構えを解き、ゆっくりと討牙を鞘に納めていく。

「ずいぶん動きがよくなったじゃない」

 まるで図ったように薫が十流のいる廃ビルへと入ってきた。

 薫からの称賛に十流は気にせず言葉を返す。

「そっちはどうだった? 闇喰いは?」

 十流の問いに薫は、

「今のところはいないわ」

 とだけ答える。

 十流も適当な相槌を打って、流れる汗を拭くために鞄からタオルを取り出す。

「私はこの後も銀行を中心に街を見て回ってみるわ。十流も無理せず帰っていいからね」

「いや、もう少しだけやったら帰るよ。お前のほうこそ無理するなよ」

 薫は笑顔で答えると夜の街へと颯爽と駆けて行った。

 そんな薫の後ろ姿をみてもう何度目かのため息をつくと、十流は再び討牙を構える。

「絶対に追いついてやる」

 薫に追いつくため、そして未だ見えぬ闇喰いに対するため、十流の太刀は一層の輝きを放ちながら幾重にも振られていく。


 翌日の朝。十流は新聞を手に取り、愕然とした。

 昨日、家に帰った時刻に今度は街の中心にあるデパートが強盗に襲われた記事が載っていた。

 手口は宝石強盗、銀行強盗と同じ、爆発により中は破壊され、現金に、デパートの中にテナントとして入っていた宝石店も被害にあっていた。そしてやはりというべきか防犯カメラには何も映っていなかったのである。

「なんだコイツ……。何が目的だ?」

 薫の推理は宿主はお金に困っており、だから銀行を狙ったということである。十流もまたこの意見には大半は賛成だった。しかし狙われたのがデパートはまさに想定外の事だった。

(お金が目的じゃあないのか? それとも俺達、退魔師の存在に気がついて銀行を襲うのを止めたのか?)

 十流はその疑問を引きづりながら、登校するとすでに座っていた薫から不機嫌この上ないオーラが周囲から漏れていた。

 そして昼休みになると毎度恒例のように、薫に連れられて屋上に行くと、まるで洪水にように薫から言葉が吐き出されてきた。

 曰く、あの後、街にある襲われていない銀行を中心に張り込んでいたが闇喰いの気配はなし。

 さすがに連日の強盗では勘繰られると思っているのかもしれないと思い、薫も家路に付くことにした。

 マンションにつくなり、サイレンの音が鳴り響いたので後を付けたらデパートが強盗に入られたこと。堺面世界に入って調べたが手口は銀行強盗と同じ、しかも闇喰いの気配はもうすでに無かったこと。

「一体、どういうことよ?」

「俺が知るか」

 明らかに薫が焦っていることに十流は気が付いていた。でもどうすることもできない。

「どうする?」

 何度、この言葉を薫に投げかけたのだろうか。

 自分に対するもどかしさで叫びたくなる思いを押しとどめ、薫から今後の策を訊くしかない。 

 だが薫も今回の闇喰いの出所がわからず、明確な答えが返ってこない。

 目を瞑り、小さく唸ること数秒、出た言葉が、

「なんとか方法は考えるわ。一晩時間を頂戴、十流も今日は鍛錬を休んでいいから。私も頭を冷やして考えたいから……」

 そう言うと踵を返し、屋上から出ていく薫の姿を見て、十流は思わず叫び声を出したくなった。

「くそっ……」

 なんとか絞りだした言葉は薫に聞こえることはなく、ただむなしく響くだけだった。


 放課後、まだ陽が高いうちに家路につくのはいつ以来だろうかと思いをはせて十流は歩いていた。

(前だったらこの後、本屋に寄ったり、おこつかいに余裕があるならゲーセンに行ったりするんだけどな)

 駅近くの商店街には学校帰りの生徒や買い物客で人の往来が激しさを増していた。ベビーカーを引いて買い物をする主婦、学校の送り向かいのついでにと並んで歩く親子。高校生らいしい集団がカラオケに入っていったり、退魔師になる前の十流なら人混みを避けるように速足で歩くこともしばしば、このように商店街の賑いをゆっくり眺めるだけの余裕など持てなかった。

 いつ闇喰いとよばれる化け物に出会うかわからない恐怖、襲われ逃げ惑う人々をただ眺めることしかできないもどかしさ。だが今では退魔師の世界に入り、対抗するだけの力と武器を手にしている。

 でもそれがどれほど通用するのだろうか。

 前回の闇喰いはなんとかというべきか、とりあえず倒したというぐらいの感覚しか持っていない。それから薫から鍛錬と称して毎晩のように魔力の使い方を学び、つい最近だが堺面世界への入り方も学んだ。討牙の扱いもそれなりに様になってきたと思う。

 でも退魔師の力を身につけて付きつけられるのは薫の実力と自分の非力さ。薫への嫉妬。自分に対するもどかしさ。そしてこの力を試したいという欲求。どうしようもない心の葛藤が十流を締め付けていた。

 十流は、はあ、と大きくため息をつく。

「とにかく薫ばかりにまかせてたらいけないよな。でも薫以外に闇喰いに詳しい人っていたか?」

 思いを巡らせるうちにピタリとその足が止まる。

「なんで気がつかなかったんだろう……。薫以外に闇喰いのこと知っている人は一人しかいない。でもな……」

 十流が思い当たる人物こそ、かつて退魔師として名を馳せ、『紅き閃光』とまで呼ばれ、今は家庭を守る主婦となったもの……。

「母さんに訊くのはなんだかしんどいな……」

 思いついたのを後悔しつつ、十流はさらに足取りが重くなっていった。


「ただいま」

 玄関を上がり居間に入ると、そこには母・刹那がお茶を片手にテレビに見入っていた。

 若い警察官が、現実ではありえないほど拳銃を撃っている白熱のシーンが映し出されていた。

「あら、おかえりなさい」

 素っ気なく返すと刹那を再びテレビに顔を向ける。

 そんな母の後ろ姿を見て、完全に訊くタイミングを失ったと思い、十流は自分の部屋へと向かった。

 そこへ刹那の声がかかる。

「何か訊きたいことでもあるの?」

 十流へと振り向かずに発した声に、十流は一瞬、心臓が止まるかと思った。

「えっと。その……」

 息子の歯切れの悪さ、家に入ってきたときの微妙な変化に気がついていた刹那は、

(やれやれ)

 テレビを消すと、もう少し助け舟をだしてやろうと、そばにあった新聞を手に取る。

「もしかしてこれのことが訊きたいのかしら」

 十流に振り替えると、新聞の一面に載っていた記事を指さす。

 驚いた十流はこれでもかと目を見開いたが慌てて否定する。

「いや、違う。そうじゃなくて違わないけど……。でも母さんにこういうの訊くのはまずいかなあと思うんだけど……」

 視線を床に落として、声のトーンを下げる十流に刹那は、ふう、とため息をつく。

「変な所で気を使わないの。そういうところは翔にそっくりね」

 そしてゆっくりと十流に語りかける。

「十流、あなたはまだ子供なのよ。大人に気を使うものじゃないわ。まあ、何でもかんでも訊くのは駄目だけど自分たちでそれなりに考えて行動したのでしょう?」

 刹那の問いに十流は、こくり、と頷く。

「それでダメなら私に訊いてきなさい。十流はもちらん薫ちゃんよりも場数を踏んでるからそれなりにアドバイスできる。あとはどう行動に移すかはあなたたちに任せるから。ね?」

 刹那の言葉に肩の荷が降りた十流は、居間にあるイスに座るとこれまでのことを話し始めた。

 姿形すら見せない、見ることのできない強盗犯に対し、闇喰いが手助けをしていること。

 襲われて銀行から闇喰いが術使いであること、そして目的はお金にあるのではないか。

 しかし、先日はデパートが襲われ、襲う対象を絞り込めず困っていること。

 一通り話を訊いた刹那は頭の中で丁寧に状況を整理していく。

「強盗……、お金目的ではない……、襲撃場所を特定できないか……」

「そうなんだよ。薫も言ってたけどこういう手の闇喰いは何か目的があって行動するんだって。確か宿主の欲求に従っているみたいだけど……。その目的がわかればな……」

 困った表情をする十流に刹那は真剣な面持ちで答える。

「確かにこれだけでは私も闇喰いがどんな行動基準を持っているか推測できないけど、こういう強盗まがいの闇喰いは何度も倒してきてる。それもやっぱり何かしらの目的があって行動するものなのよ」

「目的か……」

「そう例えばこういう闇喰いがいたわ。その闇喰いは宝石店しか襲わなかったの。でも店にある全ての宝石を盗んでいないの。ある一種類の宝石しか盗んでいないの」

「一種類だけ、なんでまた?」

「今回の件と似てるでしょう。私も最初はお金目的だと思ったんだけど、次に襲われて宝石店んでもやっぱり一種類の宝石しか盗んでいない。それも先に盗んだ宝石とは種類が違うの。最初はガーネット、次はアメシスト、次はアクアマリン、さてこの闇喰いは何を目的に宝石を盗んでいるんでしょうか?」

 突然の問題に十流は頭を抱える。そもそも宝石の名前を出されたところでそれがどういうものかも検討がつかない。

「まあ、薫ちゃんならわかるかな」

 笑顔で息子の答えを待つ母に、十流はこれしかないという勢いで答える。

「えっと、色の付いた宝石を盗んでる」

「ハズレ。ちなみに次に盗まれたのはダイヤモンド。色は付いていないでしょう」

「それじゃあ、一体……?」

「誕生石よ。この闇喰いはね、誕生石の順に宝石を盗んでいたの。ガーネットは一月、アメシストは二月、だから次に盗まれる宝石が何か目星をつけることができて難なくその闇喰いを倒すことができたわ。つまり私が言いたいのは、お金目的ではあるけど盗むことに何か趣向が隠されているってことなの」

「つまり何かの法則があるってこと?」

 十流の答えに刹那は頷く。

「そういうこと。だからはいこれ」

 そう言って十流に手渡ししたのは折り畳まれたこの街の地図と赤いマーカーペン。

「地道だけど、こういうのを使って今回の強盗事件を時系列に追いかけてみるのよ。強盗が起きた場所に丸をつけて、出来れば襲撃時刻と盗まれたもの、そういうのを書きこんでいくと見えなかったものが見えてくるかもよ」

 刹那の助言と用意された地図とペンを手に十流は刹那にお礼を言う。

「ありがとう、母さん。俺やってみるよ」

「がんばってね、若い退魔師さん」

 いつか薫にも言った言葉を十流にかけると、十流は照れくさそうに笑って一目散に自室へと戻っていった。

 十流は部屋にはいると鞄を無造作に置き、地図を床に広げ、その全体図を見る。

 街の中心地には都心へと結ぶ主要線路が南北を分けるように走っている。そこを境に、南は昔ながらの商店街が並び、北側は開発が進み新しいビルが立ち並ぶ。加えて薫の住むマンションもこの地区にある。北東には小高い丘に、十流の通う学校と隣接する公園、南東には河を隔てて十流が住む住宅街が広がる。

 十流は新聞を片手に、最近起きた、強盗事件の発生場所に赤のマーカーで丸をつけていく。

 月曜日の新聞には郊外のATMが破壊されている。これについては闇喰いの仕業かとうかわからないが最近の事件として一応、地図に丸を付ける。火曜日の新聞には宝石強盗が二件起きている。水曜日の新聞には十流と薫も実際に調べた銀行強盗の記事。そして今日、木曜日にはデパートでの強盗事件。それらの事件を地図に記載していく。

「完成ってことなんだけど、これって何か関連性があるか?」

 十流は地図を穴が空くほど見るがこれといったものが見つからない。地図にある事件の起きた事を示す丸はまばらで、起きた時刻もそれぞれ違う。盗まれたものは総じてお金に関するものばかり。そして唯一の手掛かりとなるのが銀行に落ちていたパチンコ玉だけである。

「わからん。わからないけどこうして見るのも整理ができて良いな」

 十流はどこぞの漫画に出てくる探偵の気持ちになって考えてみるが、そう簡単には推理出来るはずもなかった。

「そもそも強盗は闇喰いが手助けしているんだろう。堺面世界に入ったり、周囲を爆破したり、宿主は何を考えているんだろうな」

 闇喰いは成長し脱皮をするまで宿主と行動を共にしなければならない。成長するためには宿主とは関係ないところで無作為に人を襲い心を喰らうか、もしくは宿主の欲求を満たすことで少しずつ宿主の心を喰らい成長するか、そのどちらかしかないが、今回の闇喰いは後者のパターンとなる。

「宿主の欲求がお金として、そのために闇喰いが堺面世界との出入りや爆破なんてこともやっているわけか。宿主にしてみればいきなり自分に超能力が身に付いたって感覚なのかな」

 十流はここで闇喰いではなくそれを生み出した宿主の気持ちになって考えてみることにした。

「パチンコが好きで、でもお金が無い。それから闇喰いが生まれて、誰にも見られることも無い、あらゆるものを爆破する能力を得た。まあ、実際は宿主が力を得たわけじゃないけど、本人は気が付いていないだろうし。でもそうだとしたら俺ならどうする……? 俺ならこの力が本当に効果があるのか何度か試すよな……。試す……、まさか?」

 十流は肌が総毛立つような閃きを生まれて初めて感じる事が出来た。

 その閃きを元に地図を見ながら事件を時系列に追っていく。

「そうだ。初めに起きたATMの爆破事件。これがもしかしたら自分の力を試すことが目的だったらとしたら……。次の宝石店もそうだ――姿が見られないことを確認した。そしてもっと大きな目標として銀行を襲った。そしてデパートになって――、そういうことか。

 地図で見るとわかる。最初は人目に付かなかった場所を襲い、だんだんと人目につく街の中心へと目標が変わってきてる。確かにこの宿主はお金が目的かもしれないけど狙いは他にもある。つまり、

 自分の力を試している。

 よく見ると新聞の扱いもだんだんと大きくなっている。この宿主は……」

 一旦区切って目を閉じる。

「俺と同じだ。自分の力を試したくってしょうがないんだ。そして誰かに認められて欲しいのか……」

 十流は宿主を重ねるように思いを巡らせる。自分も退魔師になってそれほど経たないが、この力を試したいという気持ちは痛いほどわかっていた。どれほど通用するかわからないがそれでもやってみなければわからない、そして認められて欲しい。その相手は他でもない。姫川薫という自分と肩を並べて戦う相手――パートナーに認められて欲しいのだ。

「ふう……、宿主のことは何となくわかったけど、それでも止めないと。これ以上、被害が拡大する前に……。ここまできたんだ、俺一人でなんとかしないと……」

 薫に認められるためには一人で闇喰いを倒さなければいけない。その強い思いが十流をさらに燃え上がらせる。

「次に狙うとしたら、もっとセキュリティが難しくて、そんでもってお金に関する所か……。そんなところこの街にあるかな? いやまてよ、この街に詳しい奴なら俺は知ってるぞ」

 十流は地図を畳むと、決意を新たにする。

 必ず一人で闇喰いを倒す、と……。


 金曜日の朝、十流は猛然と朝の素振りをし、朝食を食べると、赤い布切れが目の前にあるかのように学校へと走り出していく。

 バンッと大きな音を響かせて教室に入ってきた十流は、他の男子生徒と話して込んでいた川田を見つけるなり屋上へと引っ張ってきた。

 その川田の第一声は、

「ちょっと待て、十流。俺にはそんな気は無いぞ。俺が興味があるのは異性であって同性には全く興味が無いぞ」

 と恐怖に満ちたその声に十流はあきれて反論する。

「俺も同性には興味は無い」

 川田が落ち着くのを待って十流は昨日、思い付いたことを川田に訊く。

「お前に訊きたいことがあってさ。この街でセキュリティが高くて、しかも高価なものが置いてある場所ってどこだ?」

「セキュリティが高くて高価なものが置いてある場所ね……。十流、まさか強盗でもするのか?」

「するわけないだろ。ただそのなんというか、え〜と、そうこのごろ強盗が頻発してるだろう? 今度、どこが盗まれるか賭けの対象にしてみようかなあ、て思ってさ」

 適当な理由に無反応な川田は腕を組み、何やら考え事をしている。

 そこへ十流はもうひと押しの言葉をかける。

「いや〜、この街のことなら川田先生の右に出る者はいないでしょ。先生ならなんでもご存じでしょ?」

 普段なら決してつけない『先生』という言葉に川田は苦笑を浮かべる。

「ふっ、ふっ、十流君。わかってるじゃないか。そうこの川田にかかれば街のことならなんでもわかる。男女関係から、奥様の諸事情までなんでもござれだ」

「それでこんどはどこが狙われるんだ?」

「ふむふむ、巷ではどこぞの銀行とかはたまたコンビニとか言われてるが、この川田はちが〜うと確信している」

 煽てたのは良いが一向に、話の確信に入らないので十流は少しイラついてきていた。

「だからそれはどこだって訊いてるんだよ」

「それはだな、じゃ〜ん、これだ」

 そう言うと川田はポケットから紙きれを取り出した。

 十流はその紙切れに書かれた文字を読む。

「明日、公開美術展半額券。本邦初の宝石を展示――これって美術展の半額券。ここが狙われるっていうのか?」

「そのとおり。目玉はその券にも書かれている赤い宝石。どこぞの文明のもので時価総額、ン億円は下らないって代物だ。昨日、駅前で配っていたものを何枚か拝借してきたんだ。ほれ薫ちゃんの分も」

 言われてもう一枚、券を受け取るとそれをポケットに押し込む。

(美術展か、物騒な時にやらんでも良いと思うが、だが宿主が俺の考えているような行動を取っているのなら美術展は狙うはず……)

 考え込む十流に川田の手の平が差し出される。

「何、この手?」

「情報料だよ。そうだな、賭け金の半分くらいはもらおうかな」

(このヤロウ)

 心の声を押しどどめ、しかしなかなか手を引っ込めない川田に十流はある提案をする。

「まあ、俺も金には困ってるし、こんなのはどうだ? ずばり薫の手作りおにぎりと交換ってことで……」

 思いつきで言った言葉に十流は少し後悔したが、川田は満面な笑みを浮かべる。

「薫ちゃんの作るおにぎりか……。よしそれで手を打とう」

(こいつの価値基準ってどうなっているんだ?)

 ともあれ手にした有力な情報を活かすために、もう一人をなんとか説得するしかない。

 姫川薫という恐ろしい相手に何て言い訳をするか、十流の手に冷や汗が流れる。


「はあ? 今日の鍛錬休むですって――どういうことよ!」

 昼休みに十流が薫を屋上に連れ出し、十流のつたない言い訳に対する薫の言葉は怒気を含んだものになっていた。

 薫の顔は紅潮し、今にも湯気が出てきそうである。

「いや、ほら、このところずっと鍛錬ばかりだっただろう? もう少し休みたいなって……。それに……」

「それに!」

 十流の言葉に薫は犬歯をむき出しにする。

「今日は川田と遊ぶ約束しちゃったんだよ。最近、付き合いが悪いとか言われてさ。それで……」

 ドンっと薫は足で屋上の床を足で踏みつける。そして目を吊り上げ、十流を凝視する。

「あっそ。十流の考えがようくわかりました。所詮、十流にとって退魔師ってその程度だったのね。十流にとって遊びが重要なのね」

「いや、別にそういうわけじゃ……」

「言い訳は結構! 十流がそういうのなら勝手にすればいいわ。ただし金輪際、私は十流の鍛錬には付き合わないから。私も勝手にやるから――じゃあね」

 薫はそうまくしたてるとさっさと屋上を去ろうとする。

 十流はそんな薫の剣幕にただ呆然と見送るしかなかった。

 屋上の出入り口に差し掛かると薫は突然、歩みを止める。

「少しは、十流のこと見直したのに……」

「えっ?」

 消え入りそうな声に十流は反応したが、それ以上の言葉は無く薫はその場を去っていった。

(まさかあんなに怒るとは思わなかったな)

 薫を怒らせてしまったこと、黙って一人で闇喰いを倒そうとしていることに、さっきまで感じなかった罪悪感が十流の胸に重くのしかかる。

「それでも薫にばかり頼るわけにはいかないんだ。俺だって退魔師なんだから」

 自分に言い聞かせた言葉は今にも折れそうな自分を支える原動力になっていた。

 退魔師の事を軽んじているわけではない。

 薫のいうように自分はまだまだ未熟かもしれない。

 でもこのままではいつまでたっても薫の背中を追いかけることしかできない。

 そんな弱い自分になりたくない。

「闇喰いを倒せば、薫だってきっと……」

 甘い願望を胸に金網越しに見える街を見下ろす。

「できる、そうでなきゃ前には進めない」

 まだ見ぬ闇喰いとの戦いに向けて十流は闘志を静かに燃やしていった。



 昼休み後の授業は圧死するのではないか、と思われる雰囲気の中で行われていた。

 その原因となっているのが十流の後ろに座る姫川薫である。

 普段の明るい表情とは一変、目と眉毛は吊りあがり、頬を膨らませている姿はまさしく爆弾そのものであった。ペンを落とすことさえ憚られるその状況の中、いつもなら冗談を交えた授業を行う先生ですら、淡々と授業を進め、薫の方向へは極力、向かないようにしていた。

 十流の隣に座る平泉鏡香も、直接的でないにしろ、その鋭い視線の餌食となっていた。クラスの中では比較的、薫と話をする平泉でさえも言葉を掛けることができないでいる。

 そしてクラスの共通認識は姫川薫のこの状態の原因は天宮十流にあるとなっている。

 当の原因である十流も背中に刺す視線に冷や汗が止まらないでいた。

(十流のバカ、十流のアホ)

 声にならない罵倒が薫の頭の中で木霊のように響いていた。


「それじゃ」

 放課後、十流の短い挨拶にそっぽを向いて答えた薫はそのままじっと外の景色を見ていた。

 教室から少しずつ生徒の数が減っていき最後に残った薫は無言のまま立つと鞄を手に廊下へと出る。いつもならいる人物がいない。そのことがたまらなく寂しく、むなしかった。

(そう言えば一人で帰るのって久しぶりかも……)

 帰りの途中で今日の出来事や、人があまりいなければ退魔師のこととか話しながら帰っていたのに、コンビニに寄ってジュース買ったり、部屋にも何度か来たり、二人でいることがさも当然のようになっていたことに驚いていた。

 薫は靴に履き替え、外へ出ようとした矢先、

「姫川さん」

 驚いて、振り向くと平泉がよそよそしく立っている。

「どうしたの? 平泉さん」

 まだ怒りは収まっていないが、薫は努めて平静な口調で問いかける。

「あの……途中まで一緒に帰りませんか?」

「……!」

 一瞬、驚いて、でも断る理由も無く薫は首を縦に振った。


 帰り道、薫と平泉は話すわけでもなく、ただ一緒になって歩いていた。平泉は話すタイミングを伺っていたが、なかなか切りだせないでいる。

 一方の薫は、昼間の十流の態度が未だに許せないでいた。

(何でよ。なんで急に……。確かに今やってる鍛錬は単調だし、私の教え方が下手っていうのもわかるわよ。それでも十流なら我慢して付いてきてくれると思っていた。刹那さんが言うように十流が簡単にあきらめないと思っていた。なのに……)

 薫は退魔師として立派に成長してくれることを切に願っていた。

 十流と一緒に戦う。

 その思いを胸に、自分も今までのつらい鍛錬に耐え、今の自分がある。

 だから十流が今はまだ無様でも、情けなくても良いと思っている。ただ隣で不器用ながら一緒に戦ってくれるだけでも良かった。そしていつの日か、本当の意味でのパートナーに成長してくれれば良いと。

(私が勝手に押しつけていたっていうの?)

 十流に対しての自己中心的な思い、こうあって欲しいと偶像していたこと。それを十流の言葉と退魔師としての姿勢が木っ端微塵に打ち砕いてしまった。

(……うっ)

 何だか悔しくて悔しくて、薫は急に眼がしらが熱くなるのを感じた。

「姫川さん?」

「な? 何?」

 妙に声が甲高くなり、今の自分の状況を悟られまいと必死になる。

 そんな薫の心境を知らず、平泉はようやく話すタイミングが出来たとばかりにずっと疑問に思っていたことを口にする。

「あの姫川さん。天宮君と喧嘩でもしたんですか? 昼休みが終わってからずっと不機嫌だったし……」

「ぐっ……」

 平泉は回りくどい言い方よりもこの方が薫も話やすいと考えていたが、薫にしてみればまさに心を抉られる言葉だった。

「えっと、実は十流とある約束をしていて、そうしたら急に川田と遊ぶ約束が出来たとかで断られて、それで……」

「ある約束?」

「そう、私と一緒に鍛――、じゃなくて帰り道に喫茶店があってね、そこのパフェがおいしいって聞いたから十流と行く約束をしていたのよ。ちょっとは楽しみにしていたのにさ」

 口が本当の事を言いそうになったのをなんとか誤魔化して、ウソがばれていないか平泉の顔を見ると、彼女は口に手を当てて何やら考えこんでいる。

「なにかおかしいな……」

「えっ、何が?」

 おかしいという言葉に薫はきょとんとする。

 平泉も思わず出てしまった言葉に慌てる。

「あのいや、おかしいって言うのはおもしろいって意味じゃなくて、変だなって意味なんだけど」

 怒らせてしまっただろうかと、薫の顔を恐る恐る見るが、薫の方はまるで鳩が豆鉄砲を喰らってような顔をしている。

(変? なにが?)

 薫は疑問を口にしようとしたが、先に平泉が話を続ける。

「私は、天宮君とは二年生の頃からクラスが一緒なんだけど、もちろん姫川さんとは違って天宮君のこと全部知っているわけじゃないけど……」

「うん……、それで」

「ほら天宮君ってクラスの中だとなんだか浮いてる感じでしょ。人付合いが下手っていうか、むしろ避けてるような感じがするの」

 その原因が何なのかは、薫は知っていた。十流は退魔師や闇喰いの知識を知らないうちに。闇喰いが人々を襲う場面に遭遇し以来、自分が闇喰いを生み出し人を襲っているのではないかと、勘違いをしていた。だがその勘違いは十流が他人との接触を避ける原因となり、自分自身を追い詰めていってしまった。

 今は、退魔師として正しい知識があるが、長年の癖だろうか、薫以外の人間に対しては冷たい態度を取ってしまっている。

 薫はそんな十流の態度を改めるようにとは言ってない。

 他人を、いや退魔師以外の人間を拒む癖は薫自身にもあったからである。

「まあ、確かに十流はあまり人付き合いが良いとは言えないわね」

「でもね、そんな天宮君でもクラスで決めた約束事とかはちゃんと守るの。他にも人との約束とかも……。前にね、天宮君が宿題を忘れたとかでノートを貸したことがあるの。私は冗談でジュース一本おごりねって言ったら本当に買ってきて……。私が驚いていたら、『違うやつが良かったか?』なんて、変な所で気を遣うし……」

「あいつがそんな事を……」

「それに姫川さん、さっき天宮君が川田君と遊ぶ約束をしていたっていったよね。それも変だなって思ったの。川田君とも二年生の頃から一緒だけど、放課後、天宮君と川田君が遊ぶなんてこと聞いたことが無いんだよね」

「なんですって、それ本当なの?」

「うん。だから姫川さんに嘘をついているんじゃあないかな。姫川さんに怒られるのを覚悟で、それでももっと重要な約束があって、姫川さんと喫茶店に行くよりも、もっと大事な約束を果たそうとしていると思うの」

 平泉の言葉に薫は雷に打たれたような衝撃を受ける。

(喫茶店の約束――つまり私と鍛錬するって約束を反故にしてまで果たす約束が十流にはあった。しかも下手な嘘までついて……。でもそれは何?)

 平泉の言う事は正しかった。

 自分も十流との付き合いは長い。たしかに十流は意固地なまでに約束を守ろうとする。それでいて変なところに気を遣うことも、薫は知っていた。知っていたはずなのに、怒りのあまりそこまで考え付かなかった。

 平泉に言われて、薫は十流と再会してからの言葉のやり取りを思い返してみる。

(約束――、私と鍛錬する、一緒に戦う、それ以上のもの、それ以上の約束)

 薫はその場に俯いたまま、固まってしまった。

 そんな薫の様子を心配した、平泉はそっと薫の肩に手を置く。

「大丈夫? 姫川さん」

 肩に手を当てられて、薫はある事を思い出す。

(そうだあの時、蜘蛛の闇喰いを倒して、十流があまりにも無茶するから私が泣いて、そんな私に十流はこんな風に肩じゃなくて頭を撫でて、それで……)

『強くなるから、薫を守れるくらい強くなるから』

 思い出して、薫は自分の顔を両手で覆うと一言、

「あのバカ……」

 自分の思慮の無さに、そして十流の馬鹿さ加減に呆れてしまった。

 顔を上げると、急に平泉の両肩を掴む。

「ごめん、平泉さん。私、先に帰るね」

「えっ?、えっ」

「その埋め合わせは必ずするから、じゃあね」

 そうして走り出してしまった薫の背中を平泉は怪訝な面持で見つめていた。


 薫は走った。とりあえず常識の範囲の速さでコンクリの道をひた走る。

「十流のバカ。あいつは、一人で闇喰いを倒しに行こうとしてる。でもどうやって闇喰いの出現場所を割り出した?」

 走りながら呟き、十流が愚かな考えに行き着き、行動しようとしている事に戦慄する。

「私以外に闇喰いの事を話せるのは一人しかいない――刹那さんに何かの情報を聞いた、それで私に黙って闇喰いを倒そうと」

 首を左右に動かし周りに人がいないことを確認すると、すさまじい勢いで跳躍をする。

「ホント古今東西、男って身勝手なんだから!」

 一気に景色が広がると薫は一路、十流の家を目指す。


 夜のとばりが落ち、辺りに街灯の光がともり始める。

 街の中心よりはずれにあるこの多目的ホールは、普段から写真展などの展示物、またはシンポジウムや演奏会、夏休みの宿題を助けてくれる科学の研究会など、多種多様な催し物がさかんに行われる場所となっている。

 多目的ホールは今週末から開かれる美術展に向けての準備が終わると、夜の静寂とともに静けさを取り戻していく。しかし、普段と違うのは物々しい警備員たちが周辺をガードしていることである。この街では最近、爆発物による強盗事件が多発しており、そんな状況で美術展を開くことに反対意見が出たものの、主催者の意向で予定通り、明日に開催する運びとなった。

 今回の美術展の目玉は、とある文明の王族が残した赤い宝石、時価総額は億をくだらない代物となっている。

 故に警備員を増員し、監視カメラ等のセキュリティも美術展としてはこれでもかと配置することで警備に万全を期していた。

 その多目的ホールを目の前に不敵な笑みをこぼす、一人の中年の男性が立っていた。

 彼は悠々と歩いてき、目を光らせる警備員の脇を通り過ぎていく。

 警備員には不審な男が横切ったことを知らない。

 彼もまた警備員の存在など気にならない。

 彼はただひたすらに欲望のままある物を求める。

 彼を止める者はいない。

 何故なら彼が歩いているのは、この世界と裏表の世界、『堺面世界』。

『現実世界』を写し取った世界であり、闇喰いの住処、この世界にいられるのは闇喰い以外に、それを打ち滅ぼす退魔師と闇喰いを生み出せし宿主のみ。

 闇喰いの宿主である彼は荒い息を吐きながら、ホールの自動ドアをくぐる。

「俺はやれる。俺は誰にも止めらない」

 誰もいないはずのこの世界で、彼の言葉に反応するものがいる。

『そうだ。オマエは誰にも止められない。求めるがままに、欲するがままに、お前の望みをカナエロ』

「ああ、叶えるとも。神に与えられしこの力で……」

『そうだ、イケ。邪魔するものは全てコワセ』

 ホールの石畳みを踏みしめながら彼は歩く。

 彼は展示されている異種様々な骨董品には目もくれない。

 丁寧に編み込まれた瑠璃色のネックレスも彼の目にはとまらない。

 求めるものはただ一つ。

 彼はご丁寧に順路どおりに進み、一気に開けた場所へと出る。

 そこは神殿を模したようになっており、レッドカーペットの進む先には一段高くした祭壇と両脇には数本の石柱のモニュメントが等間隔に並ぶ。

 中世の時代にあった玉座を再現した景色を一巡すると、すぐさまその目は祭壇にある宝石へと目を向ける。

 億円もする宝石が彼を待っているはずだった……。

「……?」

 彼は驚いた。

 自分以外にいるはずもない、人間が祭壇の前に座っている。

 学生服を着ているその少年はゆっくりと顔をあげる。

「なんだ……?」

 彼は二度、驚いた。

 少年の目が開かれるとそこには紅い光が灯っている。

 少年は立ち上がり、口を開く。

「ようやく来たか」



「ようやく来たか」

 天宮十流はゆっくりと立ち上がり、腰に差した討牙をいつでも抜ける状態で、目の前にいる中年の男性をその双眸で睨みつける。

 自分が見据える相手は、この世の不思議を見る眼差しを向けている。

 男性は明らかに混乱していた。誰にも見つからず、自分の目的を果たせると思った矢先に、刀を差した少年が立っているのだ。しかし、驚きもすぐ冷めてしまった。自分の目的を挟むように立つ少年は明らかに邪魔者でしかない。男性はポケットに手を入れると、鋼をギラつかせる包丁を取り出す。

「おい、ガキ。そこをどきな。でないと痛い目にあうぜ」

 手首を支点に包丁を振り回す男に、十流はため息をつく。

「おいおい、おっさん。俺の相手はおっさんじゃあなくて、あんたの中にいる闇喰いだ」

 十流が当然のように言い放った言葉に男は首を傾げる。

「ヤミ……喰い? 何言ってやがるこのガキは……。イカれてるのか」

「包丁を振り回している奴に言われたくねえよ」

 十流の軽口に男はだんだんと苛立ちを募らせていく。表情は険しくなり、包丁を持つ右腕を引いていく。

「ああもうウゼ。さっさと終わりにしてやる」

 険しい表情は一変、口は開き、歯をむき出して、凶器の笑みを作る。

 対する十流はこれといって表情は変えず、ただ茫然と男の行動を注視している。今まさに包丁で襲われるという状況にあっても、討牙を抜く仕草さえ見せない。

「オラオラ、行くぜ」

 威嚇を兼ねた叫び声とともに飛び出す男に、十流は右の手の平を見せるように突き出す。

「だから俺の相手はアンタじゃあないんだよ!」

 右手から放出された目に見えない衝撃波が包丁を手に迫ってくる男にまともに当たる。

 退魔師という存在を知らなかった十流は、この衝撃波を自由に使う事が出来なかった。気合を入れて右手を突き出すことで、そして偶然が重なるとで、衝撃波が出ると勘違いをしていた。だが魔力という退魔師の武器を知った十流はこの衝撃波を自由に使うことができるようになっっていた。

「うっおおおお」

 得体のしれないものに吹き飛ばされ、やがて男の背中が壁に激突する。

「がっ、はあ」

 壁際を背にズルズルと落ちていき、手に持っていた包丁が力なく落ちて、首を手前に傾けて気絶してしまう。

 十流は気絶して動けない男に向かって言葉を投げかける。それは男に対してではない。男と共にいるはずの闇喰いにむかって、

「早く出てこいよ。それとも宿主の陰に隠れていることしかできないのか」

 十流の挑発に触発されたのか、男が生み出した闇喰いがその姿を現す。


 倒れた男の胸のあたりから細い煙が何本も立つとそれらは男の頭上で固まり始める。

 煙は大きな塊になると、少しずつ形を形成していく。左右に細く煙が伸び、次に中心部分が三分割され、頭部とお腹、一歩の足が形作られていく。

 やがて身体は銀色の色を成し、頭部は銀色の玉となり、目と口がぽっかりと開けられ、最後にマントが背中にかかる。

「なんか、ハロウィンに出てきそうな姿だな」

 闇喰いは口を笑みに変えて声を発する。

「やれやれ、まさか退魔師がいたなんてな。少し騒ぎすぎたか……」

「しゃべるれるのか?」

 闇喰いのその陽気ともとれる言葉に、十流は心底驚く。闇喰いと対峙するのが今回で二度目だが、蜘蛛の闇喰いは喋ることもなく、また過去に闇喰いと遭遇していた時も、闇喰いの声を聞いたことがなかった。

 そんな様子の十流を見る闇喰いは、さらに口を笑みの形に変える。

「別に闇喰いが喋れるのは不思議でも何でもないだろう。まあ、生まれによっては話せない同族もいるがな。うんうん、そうかお前、退魔師になってまもないひよっ子か……。いやはやこれは不運と思っていたが逆についてるな」

 苦笑を浮かべる闇喰いに、十流は討牙を抜くと構えをとる。

「ひよっ子でもやれるってところをみせてやるよ」

 顎に丸い形の手を当てて一考し、この退魔師は安い挑発には乗らないと判断した闇喰いは、十流の頭上を飛び越え、男が倒れている所から真反対の位置で空中に浮かぶ。

「まあ宝石を盗るまでのお遊びにつきあってやっても構わないか。そうそう、確か人間の言葉でこういうのがあったな。言うは易しだと。さあ、来い! 退魔師!」

 闇喰いの宣言と同時に十流は闇喰いへと疾走し、足裏に魔力を込める。

「はっ!」

 大きく跳躍し、闇喰いに迫る。

「――?」

 しかし、闇喰いに届く前に、着地してしまう。

 当の闇喰いもこれには戸惑い、追撃するのを忘れてしまう。

「クソ」

 十流は悪態を付きつつ、反転させて闇喰いに向き直る。

「お前、本当にひよっ子だな。今のだったら普通、届くだろ?」

「うるさい。っていうか何でお前、そんなに退魔師のこと詳しいんだ?」

 十流の疑問に闇喰いは大きくため息を付いてしまう。

「そいうのも知らないの? まあ、可哀想だから教えておいてやるよ。お前ら人間には天敵というのはいないよな。我々、闇喰いは抜かして……」

 闇喰いは自身の銀の手――丸形状をしている手で身振りを交えて説明を始める。

「だが動物はどうだ? 奴らには生まれた時から天敵の存在をある程度認識している。それは本能ってやつだよ。我々、闇喰いも同様、生まれた時にすでに自分たちの天敵を認識している。どれくらいの力があって、どれだけやっかいな連中っていうこともな。そうつまりお前ら退魔師は我々の天敵以外の何物でもない」

 マントを翻して言い放つ闇喰いに、十流は鼻を鳴らす。

「ふん。それは光栄なこって。だったら天敵らしくお前を討ってやるよ」

「無駄無駄。お前のようなひよっ子じゃあ俺には勝てねえよ。そういえばここに来たってことはそれなりに調べたんだろう? 俺が術使いであり、建物を破壊してきたことを……」

「むっ……」

 先ほどまで雄弁に語ってた闇喰いに新しい気配は現れたことに十流は気づく。すなわち殺気とよばれるものが闇喰いから漂い始めている。

「俺の得意な術――それは爆発だ」

 闇喰いは銀の手にもう一回り大きな球体を生み出し、それを放り投げる。

「やべぇ」

 十流が飛び退いた場所に、爆発の音と煙が立ち込め、床には小さな穴が開いている。

「うまくよけたな。まあ威力は抑えてやったよ。それ次は連続でいくぞ」

 闇喰いは両手を大きく広げると、小さな玉が幾つも出現し、それらは十流めがけて飛んでいく。

 床に当たると先ほどよりも小さな爆発が次々と起きる。

 衝撃と熱波を感じながら爆発を跳び退いてよけると、十流は闇喰いから回り込むように動き、さらに力を入れて闇喰いに向かって飛ぶ。

「今度こそ!」

 言葉の通り、跳躍の軌道は闇喰いに向かっていく。

 だが、

「なに――?」

 闇喰いは十流の斬撃が届く寸前にさらに高く空中へと浮かぶ。

「残念。ほら背中がガラ空きだぞ」

 そう言うと闇喰いは銀の玉を十流の背中に向かって投げる。

「そう簡単に」

 十流はなんとか空中で反転すると、

「やられるか」

 向かい来る銀の玉を討牙で一閃させて切り裂く。

 しかし、闇喰いは口を笑みの形に変える。

「無駄無駄。爆発は止められないぞ」

 割られた銀の玉は、爆発を起こし、その衝撃で十流は床へと叩きつけられる。

「――ぐうぅ」

 何とか身を起こすが、全身を伝わる激痛に顔を歪めてる。

(くそ、全然、攻撃が当たらない。俺のジャンプ力だとあれが限界だし、どうする?)

 周りを見渡し、そして見つけた自らの跳躍の手助けとなるものを。

 十流は闇喰いを背に走り出すと柱のモニュメントを伝って闇喰いと同じ高度まで達すると、

「うりぁああ」

 足を爆発させて闇喰いに迫ろうとする。

(いける)

 確信して闇喰いを討つべく討牙を突くように構える。

「まあ、着眼点は良いけど、でもお前、空中じゃあ体勢は変えられないだろ? だ・か・ら、こいつらをまともに食らう事になる」

 左右の手で生み出した銀の玉を交互に放ち十流を迎撃する。

「まずい」

 左右の銀の玉を切りつけ、しかし爆発は止められなかった。

「学習能力が無いのかお前は?」

 闇喰いの嫌味など聞こえいないほどの爆音が十流の左右で聞こえると、その衝撃がまともに当たり、十流は床に叩きつけられていしまう。

「イテェエ」

 痛みに呻く間もなく、闇喰いからの追撃がくる。

「おみやげだ、受け取れ」

 放たれた玉は十流の手前で落ちる。

「――!」

 逃げる間もなく十流は討牙を構えて防ごうとするが、あまりの衝撃に今度は背中を壁に激突させてしまう。

 討牙を床に差し、それを支えに立とうとするが痛みと疲労で、十流は荒く呼吸を繰り返すだけである。鍛錬とは違う、命を奪い合う戦いの緊張感がいつにもまして体を疲れさせる。

(これが実践ってやつか……)

 紅い眼は依然として闇喰いを見据えるが、十流にはこの闇喰いに対抗する術を持ち合わせていない。あるのは絶対に倒すという心意気だけだった。

 闇喰いはそんな十流の姿を見て、目を閉じると深い息を吐く。

「なあ、お前。もうあきらめたら」

 突然の闇喰いの申し出に十流は驚く。

「何だと」

「お前、弱すぎだよ。俺に勝つ要素があるなら教えて欲しいくらいだよ」

 闇喰いの言葉に十流は言い返せないでいた。

「俺の宿主みたいにあきらめたら良いのに。知ってるか、俺の宿主が何故、俺を生み出したか」

 闇喰いの丸い手の差す方向、今は気絶している中年の男に十流は視線を送る。

「あいつは宝石が欲しかったのか、違う。それとも札束か、違う。あいつが俺を生み出したのは、誰かに見られたいという欲求だよ。我が宿主は、俺を生み出すまでは仕事でもそれなりの地位にあったらしい。ところがあいつは仕事をクビにされ、人生ガラリと変わっちまった」

 淡々と語る闇喰いは自分の銀の身体を一回転させる。

「あいつは仕事がクビにされるとパチンコってやつにのめり込むようになった。俺の姿もそれを模倣とされているみたいでな。またある時は馬の賭けごともしていたな。だがそんな宿主もずっと思っていたのが誰かに見てもらいたいとうことさ。自分はこんなことができるとかあんなことができるとか、もっと力を試したいとか、だから俺は協力してやった。おかげでもう少しすれば俺は脱皮することができる。一個の存在として生きることができる」

 闇喰いの顔が笑顔になり、十流に甘い誘いをかける。

「だからお前がこのまま逃げるのなら、俺は手出しをしない。そうすればお前は少なくても命は助かるだろう。その方が賢明だど思うけど……」

 闇喰いの言葉に頭が真っ白になる。

 逃げる。

 戦いから逃げる。

 またあの時のように何も出来ずに逃げろっていうのか。

 確かに今は宿主以外に人間はいない。

 襲われている人もいない。

 ここで自分が逃げようと非難されることもない。

 いいじゃないか、ここまで戦えたんだから。

 あいつの言うとおり俺はひよっ子なのだからこれで十分じゃないか。

 逃げて、それで薫に事情を説明してそれで今度こそ二人で戦えばいいじゃあないか。

 それで――、良い訳ないだろう。

 一人で戦うって決めたんだよ。

 それが敵わないからって逃げるわけにはいかないんだよ。

 これじゃあどんな顔して薫に会えっていうんだよ。

 十流は討牙を強く握りしめ、フラフラと立ちあがる。

「誰が逃げるかよ……」

「うん……?」

「逃げるわけにはいかないんだよ。今まで散々、逃げ回っていたんだからな」

 薫と再会する前、闇喰いと遭遇しても自分は何も出来ずにただ逃げていた。戦う力が欲しいと何度も願った。漫画の主人公のように力を使い、人を助けたいと憧れていた。

 そして、まだ始めたばかりだが戦う力を得た。

 強くなると約束した。

「ここで逃げたら俺はもう人間やってる意味すら無くなるんだよ。それに薫に強くなるって約束したんだ。あいつの前ではみっともない姿をみせるわけにはいかないんだよ。だから絶対に逃げたりしない」

 十流の紅い眼がさらに煌めき闇喰いを睨みつける。

 先ほどまで雄弁に語っていた闇喰いは十流の態度を見て、明らかに不快な表情へと変わる。

「あっそ。ならお前を殺すだけだ。こんな風にな」

 闇喰いは両手を高々と掲げると、頭上に数十もの銀の玉を呼び出す。

「なっ……」

 もしこれが自分に向かってくれば、避けることはおろか、その爆発の衝撃で自分が吹き飛ぶ。最悪の事態を十流は頭の中で描いてしまった。だからといってそれに対処する術が全く思い付かない。

「あばよ。出来そこないの退魔師。お前のことは一瞬で忘れてやるよ!」

 闇喰いの叫びと同時に振り落とされる手、その動作と共に放たれた銀の玉はまっすぐに十流を目指していく。

「ちくしょう……。なんでこんな時に」

 立つこともままならない状態で十流は奥歯を噛みしめ、自分に迫る終末をその紅い眼に映す。

 幾つもの銀の玉が描く放物線を十流は一つ一つ見ることが出来た。スローモーションで変化していく景色に十流は恐怖よりも後悔がつのる。

(これが戦いに集中すると何もかもがゆっくりと見えるってやつか。それとも薫に嘘をついて一人で出来るってうぬぼれていた自分に対する神様の罰ってやつかよ……)

 迫りくる爆発とその後ろで高笑いを浮かべる闇喰いの姿がはっきりと見える。

(それでも俺はまだ何もしてない。闇喰いに一撃もいれることが出来ていないのに……。俺はここで死ぬのか?)

 そう思うと悔しさだけがこみ上げてくる。そして十流は目の前の光景を遮るように目をつぶってしまう。


「水流防壁!」

 甲高い声が十流の耳に届き、その声に反応するように目を開けると、十流の目の前に水の壁が出来あがっている。そして十流の反対側で爆発音が響く。

「これは一体?」

 十流が驚きの声を上げると、闇喰いもまたその予期せぬ光景に目を見張る。

「なっ、なんだと」

 爆発が止むと、十流の脇から一つの陰が躍り出る。

「!」

 闇喰いは向かってくる刃を寸前でかわし、向かってきた人影に体を向けてさらに驚く。

 その者ははりばての柱に足を付けると、さらに勢いをつけて手にした刃を闇喰いに向けて突進する。

 それもかわされると小さく舌打ちをして、十流の目の前に降り立つ。

 長い金髪を翻し、目にかかった前髪を首を振って避けると、鋭いまなざしを闇喰いに向ける。

「薫……、どうしてここに?」

 退魔の武器、桜花をひっさげて姫川薫が戦場という舞台に上がる。


「ほら、さっさと立ちなさい」

 薫の一喝に体の痛みなど吹き飛んだように十流は立ちあがり、闇喰いに向けて討牙を構える。

「もう一度聞くけど、どうしてここに?」

 目線は闇喰いに、疑問だけ薫に問いかける。

「平泉さんには感謝してる。おかげで十流の嘘を見破ることができたんだから」

「平泉? いやあの嘘はその……」

「その後、急いで十流の家に行って刹那さんから事情を聞いて、それからあんたの部屋を物色させてもらって、これは闇喰いに関して目星を付けたなと思って、今度は川田を捜したわ。ちょっと脅したらすぐに吐いてくれたわ。良いお友達を持ったわね、十流」

 声に嫌味をふんだんに含めて話す薫に十流は視線を横へと流す。

「もはや反論の余地なし……」

「後で説教してあげるから覚悟するように」

「はい……」

 気落ちする十流を尻目に、薫は射るような視線で闇喰いを見据える。

「ようやく見つけたわ。ここで会ったが百年目、覚悟しなさい」

 薫の気迫のこもった声に闇喰いは歯ぎしりする。

「くそ、まさかもう一人、退魔師がいたとは……」

 闇喰いはこの退魔師の出現に心底、焦っていた。先ほどの爆発を術で防ぎ、かつすさまじいほどの跳躍でこちらに攻撃したのだ。たったそれだけでも薫の実力は並の退魔師ではないと推し量る事ができた。

「気を付けろよ、薫。あいつの爆発の術は思った以上に厄介だ。しかも、浮遊してるし……」

「でしょうね。周りを見れば何となくわかるわ。でもようはやりようよ」

 そう言うと薫は腕をゆっくりと上げて桜花の切っ先を闇喰いに向ける。

「桜舞散り闇を切り裂くこの桜花の名において――お前を討つ!」

 口上を言い放って、颯爽と跳躍をすると闇喰いの距離を一気に縮めていく。

「しゃらくせ!」

 闇喰いは十流に放ったのと同じ、数十の銀の玉を生み出し、その全てが薫へと降り注ぐ。

 しかし、薫は緩めることなくそのまま闇喰いへと突進する。

「薫、避けろ!」

 十流の声が響く中、銀の玉は一斉に爆発を起こす。

 爆発の影響で視界が悪くなるが十流は薫の姿を追い続けていた。

「なんだありゃ?」

 薫は爆発による衝撃を受けていたが、うまく体を動かすことによってそれらを捌いている。

「薫の周りにあるのは水か……」

 そして事前に使っていたのであろう水の術によって体を守り、爆発による熱を防いでいる。

 衝撃をうまく利用すると、桜花を大上段に構え闇喰いへと切りかかる。

「はあああ」

「この!」

 ギイィンという金属同士がぶつかる音が鳴り響く。

 闇喰いが初めて避けるのではなく、両手を使って防いだのだ。

 剣を弾くと、間合いが空いた隙に銀の玉を三個ほど出し、薫に向けて放つ。

 薫は空中であろうと体勢を崩すことなく、左手に魔力を込める。

「業火招来!」

 左手から放った炎弾は銀の玉と誘爆し、その影響で薫は地面へぶつかる――寸前に、宙返りをしたかと思うと、何事もなかったように着地する。

 続いて術の詠唱に入る。左手を床につき、

「穿て! 水流!」

 掛け声と共に床より、数本の水の帯びが出現し、それらは一斉に闇喰いへと襲いかかる。

「このガキが!」

 再び銀の玉の爆発で水の帯びを防ぐと、それによって出来た煙幕によって闇喰いの視界がふさがってしまう。

「……!」

 煙が止んで、闇喰いは驚いた。さっきまでいたはずの薫の姿を見失っていた。

「あいつ、どこへ行った?」

 左右に首を振るがその姿を発見することができない。

「はあああっ――」

 裂帛の声は闇喰いの後方から聞こえてきた。

 薫は煙に紛れて、闇喰いの下を通り、そばにあった柱を伝って、闇喰いと同じ高さまで登ってきたのだ。

「ちっ!」

 間一髪のところで薫の一撃を避ける闇喰いと追撃に備えて薫はすでに体勢を立て直している。

(この女、強い。しかも戦い慣れてやがる)

 闇喰いの焦りは頂点に達しようとしていた。今回は宝石を盗むだけ、いつもと変わらない簡単に宿主の欲求を満たせると思っていた。ところがそこには未熟ながら十流という退魔師がおり、倒せると思った矢先に、さらにもう一人の退魔師である薫の登場と予想だにしなかった強さに闇喰いは手をこまねいていた。

(どうする……、ここは逃げるか。しかし、宿主がいる限り遠くまで逃げる事は出来ない。どうすれば……)

 忌々しく倒れている宿主を見るとまだ気絶している。しかも近くにはへなちょこな退魔師がこの戦いを傍観している。今、戦っている退魔師の少女を無視して宿主の所にいけば何らかの反撃を受ける。その間に背後をとられていしまう。

(くそ、なんとかこの場を切り抜けなければ……)

 闇喰いと薫は次の一手を考えながら睨み合いを続けている。


「すごい……」

 十流は薫と闇喰いの戦いを茫然と眺めていた。ここまで薫の実力がすごいとは思っていなかった。斬撃や術の行使それは才能だけでは語れない、薫が今まで戦ってきた経験が裏づけされていることは目に見えてわかった。

「だからと言ってこのままじっとしているわけにはいかない」

 十流の中で焦燥感が漂うが、薫と闇喰いとの戦いの中でいくつかのヒントをもらっている。

 まず薫が最初に仕掛けた方法――相手の爆発の術を利用して相手との間合いを詰めた方法。

 それと闇喰い自身は気づいているのだろうか――あの爆発は自分の視界を奪ってしまうことを。そのために先ほどは薫によって後をとられている。

「俺の跳躍の無さは爆風を利用することでカバーできる。問題は薫でも爆風を利用する方法は難しかったはず……。なにしろどんな風に爆発するなんてわからないしな。もう一つは闇喰いを倒した後だな」

 十流はこれでもかと頭を巡らせて闇喰いを倒す方法を考えていた。自分の今の力を客観的に見て何があって、何が足りないのか。

 もう一つ。

 あと一つ最後のピースが足りない。

 熟考し、しかし紅い眼は薫の戦いを追っている。

「あっ、そうか。これがあったか……」

 そして気がついた。

 それはもう十流の身に宿っている。

 先ほど体験したあれを使えば闇喰いを倒すことができる。

「それでもやっぱり一人では闇喰いは倒せないか……。でも今はそんなこと言ってられない」

 十流は決意を固め、右手に持つ討牙を強く握りしめる。

(頼む。今度はうまくやれそうなんだ、だから力を貸してくれ)

 十流は討牙に語りかけるが、討牙は何も言わないしかし、僅かに刀身が輝いたように見えた。

 

 十流の脇へと薫は退いてきた。そして十流の顔を見るなり、

「ちょっと何ぼーっとしてるのよ。牽制ぐらいしなさいよ」

 怒気を込めた声に、十流は真剣な表情で応える。

「薫、俺にやらせてくれないか」

「はあ? 何言ってるの。これは遊びじゃないのよ」

 薫は十流のいつにない決意を秘めた表情に驚くが、しかし十流の言葉を真に受けるわけにはいかない。

 十流も薫の厳しい言葉に声をつまらせるがここで引き下がる理由にはいかなかった。

「遊びじゃないのはわかっている。でもあいつを倒す方法を思いついたんだ。俺にしかできない方法を……。そのためには薫の助けが必要なんだ」

「……いいわ。一応、訊いてあげる」

 薫は構えを解くと、視線は闇喰いの方を向きながら、十流の話に耳を傾けていた。

 その間、闇喰いは何をするでもなくただ空中に漂っていた。

 宿主を置いて逃げることはできない。さらに二人を通り越して宿主の所へ行く手がない。

(くそ……)

 何度目かの悪態は、ただ闇喰いの焦りを拡大させていくだけだった。


「本気でそれをやるの」

「ああ」

「例えその方法がうまくいったとして、闇喰いを倒した後は……。ちゃんと考えているの?」

 薫の詰問に十流は肩をすくめる。

「何とかなるだろ。それに倒した後のことを考えていたらそれこそ何にもできない」

 そう言うと十流は薫の肩に手をかけて、前へと出る。

「だからフォロー頼むよ」

「全く、ホント古今東西、男って不器用なのね」

 薫の呆れ果てた声に、

「薫じゃななきゃ頼まねえよ。それに万が一失敗しても薫なら闇喰いを倒してくれるって信じているからさ」

「なっ、何言ってんの。やるからには責任もってやり遂げなさいよね。失敗したら許さないから……」

「ははっ、了解」

 そして十流は闇喰いに対して討牙を構える。


「おいおい、なんでまたお前が出てくるんだよ」

 闇喰いは言葉とは裏腹に内心、喜んでいた。恐らくは薫と戦い続けているれば、自分が討たれる可能性が高かったが、十流が相手ならば楽に勝つことができる。そしてあわよくば宿主を拾い上げて逃げ出す算段をしていた。

「勝てる要素があるから俺がやるんだよ。第一、お前ごとき薫が相手するなんて百年早いぜ」

 十流の軽口に反応するように背中から、ばか、と小さい声が聞こえてきた。

「言ってくれるね。だがもう容赦はしない。粉々に吹き飛ばしてやるよ」

 薫と相対していた時とは雲泥の差で闇喰いは饒舌になる。明らかに十流を格下だと見ている。そのことは十流にとって好都合だった。

(いいぞ。これであいつは油断の塊になった。後は俺がうまくやるだけ……。できる、いや、やらなきゃいけないんだ)

 十流は討牙を握る手に力を込める。

「いくぞ!」

 十流が駆け出したのを確認すると闇喰いは銀の玉を生み出し、放出する。

「じゃあな、無謀な退魔師!」

 十流は避けることなく一直線に闇喰いに向かって駆ける。

 ――ドッ、ドン、ドドドン、ドオオン――。

 銀の玉は一斉に爆発し、辺りを煙が充満する。

「はははっ、これで終わり――んっ?」

 勝利の余韻に浸る予定が、煙を切り裂くように十流が闇喰いに向かって跳んでいた。

「ばかな、まともに受けて何故?」

 煙の晴れた先、闇喰いは十流の身体に水泡が纏わりついているのを確認し、そして退魔師の少女へと視線を移した。

(そうか、あの女の術で防御したのか。だが熱は防ぐことができても爆風によって体があらゆる方向に流される。今度は床に叩きつけてやる)

 闇喰いは十流からさらに間合いをあけて、銀の玉を出し、十流へとぶつける。

「はあ!」

 十流は迫る銀の玉の一つを上下に切り裂く。半分に割れた銀の玉は爆発し、周りのものにも誘爆していく。

「ははっ、馬鹿かが。自分から死期を早めるなんてな」

 闇喰いの嘲笑が響く中、またしても煙が辺りを覆いつくす。

「今度こそ終わりだろう。せめて床に叩きつけられた無様な姿を見てからおさらばしてやる」

 煙が止み始め、闇喰いが見たものは、

「何だと!」

 自分をするどく見る、紅い眼を灯した十流がさらに速度をつけて自分へと迫ってくる。

「何故だ。何故、こっちに跳んでこれる?」

 さらに十流との間合いをあけようとするが、闇喰いの思考は完全に狂い始めていた。

 水を使った防御術を使った薫でさえ、その状況に驚くしかなかった。

「一体どうなっているのよ。確かに熱は水の術で防げる。そして爆風を利用して跳んでいる闇喰いを倒そうとしたのも私がやろうとしたこと。でも、私でさえどこへ跳ぶかもわからないのに何で十流は一直線に闇喰いの方向へ跳べるの? あれじゃあ、まるで爆発する瞬間も、爆風による軌道も完全に読んでいるってことじゃない」

 薫と闇喰いの驚愕の対象となっている十流は、自身では到底、跳べない高さまできていることさえ気づかないまま、ただ闇喰いだけを見据えている。

(見える、俺には見える。この紅い眼は、意識を集中させると、さっきと同じように見るものがスローになる。だから俺にはどの爆風を利用すれば、闇喰いとの間合いを詰められるかそれがわかる)

 闇喰いに追い詰められた時に、情景がスローに見えたのは死の間際に人が起こす心的なものだと思っていた。しかし、薫と闇喰いが戦っている様を見ているうちに、眼に力というか意識を集中させることで、自分が見るものをスローにすることが出来ることを発見していた。

 今はまだどうしてそんな事ができるのか、十流にはわからなかったが、しかし闇喰いを倒す最後のピースとして、この紅い眼の力に頼ることにしたのだ。

「うわああ、来るな!」

 もはや何の考えもなくただただ十流を遠ざけようと銀の玉を出すが、今の十流にとってそれは闇喰いとの間合いを詰めるものとなっている。

 そしてとうとう、闇喰いとの距離が無くなり、十流は討牙を左に傾ける。

「一閃!」

 左から右へと払われた斬撃は、見事に闇喰いの身体を両断したいた。

「く……そ……、俺がこんな奴に敗れるなんて……」

 僅かに振り向き、自分を切り裂いた忌々しい、背中を見つめて闇喰いは砂のように溶けていった。

「十流!」

 勝利を確信したのも束の間、薫の絶叫と同じくして、十流の身体は床へと落ちていこうとしていた。

「まさかこんな所まで跳んでいたとは……。でももうなるようにしかないか……」

 自身が魔力を使っても跳ぶことのない高度まできてしまったことに驚き、しかし観念したように流されるまま床へと落ちていく。

「くっ、風の術を……、でも詠唱が間に合わない」

 薫は胸のあたりで両手をかざしいたが、十流の落下速度が速く、どうすることもできない。

 十流は落下しながら、ある光景を思い浮かべる。

 鍛錬の時に、薫が跳び下りるときに見せたもの、そして闇喰いとの戦いでも見せたアレをやってみようと十流は考えた。必要なのは出来るという具現化――すなわち着地が成功するというイメージを強く持つこと。

「もう少し、床が近づいてから――、こうやって!」

 すると十流は、宙返りする形で、自分の身体を回し、落下速度を落とそうとしていた。

 ――ドォォォン。

 足が床につき、重い音がホールに響くと、十流は思わず片膝を付き、次にほんのわずかに伝わる足の痛みに顔をしかめる。

「……イタイ、でも何とか立てるぞ」

 確かめながらゆっくりと立ち上がり、討牙を鞘へと納める。辺りを見渡すと堺面世界のこととはいえ、損傷がひどく、せっかくの柱のモニュメントも折られ吹き飛ばされている。

「うわあ、すげえ光景……。我ながらよく生きてたと思うよ」

 するとそこへ薫が歩み寄っていく。何故か顔を伏せがちに近づくため十流は怪訝な表情をするが、とりあえずお礼を言う。

「ありがとな、薫。おかげで闇喰いを倒せたぞ」

「そうね。で他に言う事は?」

 身も蓋も無い言葉に十流は一考し、さらに検討違いなお礼をする。

「いやあ、まじであの時、薫が来てくれなかったら俺の身体粉々だったろうな。ははっ」

「そうね。で他に言う事は?」

 薫が小刻みに震えていることなどお構いなしに十流は腕を組んで答えに悩む。

「え〜と、他に言う事、言う事って無いような……」

 ――ドォォォォォンンン

「うい?」

 奇妙な声を上げて十流は視線を向けると、薫が右足を思いっきり床に叩きつけて穴を開けていた。

「あんた、よくも私を出し抜いて闇喰いを倒しにいったわね。しかも私に下手な嘘をついて!」

 薫は今まで伏せていた顔を上げると、顔を紅潮させ、目には涙を溜めて、十流に積もり積もった言葉を投げる。

「えっと、そのそれは……」

「答えてよ! 何で一人で行ったのよ。私がどれだけ心配したのかわかってるの! お願いだから答えてよ……」

 手をきゅっとに握りしめて、頬に涙を流しながら、自分を責める幼馴染に十流はようやく重い口を開いた。

「ごめん……。一人で行ったことも薫に嘘を言ったのも謝るよ。ただ今回はどうしても一人で闇喰いと戦いたいと思ったんだ。ある意味、俺はあそこにいる宿主と同じだったのかもしれないな」

 そう言って十流は未だ意識が戻らない闇喰いの生みの親――宿主に視線を送ると薫もつられてその方向を見る。

「あの人の目的はやっぱり宝石とかお金とかじゃあなくて、ようは人に注目されたい――そんな欲求から闇喰いを生み出したんだ。そして強盗とかして、それが新聞に載ることで人々から注目をされて、快感を覚えて、どんどんエスカレートしていったんだ」

「注目されたい欲求――、十流もそうだって言いたいの?」

「ああ。俺もさ、退魔師になって一週間ぐらいしか経ってないけど、それなりに魔力がどうとか教えてもらって、次第に試してみたいって思うようになっていたんだ。どれくらい戦えるのか自分の力がどんなものなのか試したくて……。それに薫にはいつも俺の鍛錬に付き合ってくれているけど、自分で言うのあれだけど飲み込み悪いし、こうだよって薫に見せてもらってもなかなかうまくできないし、そのうち薫に見捨てられるんじゃないかって思うようになったんだ」

「……」

「だから一人で闇喰いを倒すことができたら、俺はここまでやれるんだぞって薫に見せられると思って、そのついでに褒められるかなって思ったりもしたわけなんだ……」

 反応を示さない薫を方を恐る恐る見ると、薫は伏せいてた顔を上げた、

 その顔は涙で溢れていてが、表情は笑顔になっていた。

「確かに私の助けがあったとはいえ、闇喰いを倒したんだもの。よくやったわ、十流」

「……どういたしまして」

 そうして二人して笑っていたが、

――ドォォォン――。

「――って私がそんなこと言うと思う!」

「うぃい」

 薫は今度は左足をおもいっきり床に叩きつけ、十流を睨みつける。

 あまりの迫力に十流は身を屈めてしまう。

「あのね! 私が今の力を得るのにどれだけの歳月を要したのかわかる? 十流はまだ退魔師になって一週間ぐらいしか経っていないのよ。いわば生まれたてのひよ子――いいえ、殻付きのひよ子よ。一人で闇喰いと戦うなんて無謀も良い所よ」

「殻付きのひよ子……」

 ぐうの音もでない、薫からの率直な意見に、十流は今の自分の力の立ち位置がようやくわかったような気がした。

 先ほどの戦いでそれは嫌というほど教わった。

 自分と薫の戦い方は天と地の差がある。たいして闇喰いに対抗する力も無いのに、ただ自分の自尊心を満たすために挑んで、返り討ちにあって、薫が来なければ自分は命を落としていた。

(今の自分には丁度良い称号かもしれないな……)

 自虐的な笑みを浮かべて、そっと薫の顔を見る。

 目を真っ赤にして潤ませて、止まらない涙が頬を伝い、両手は胸の辺りできつく握りしめられている。

(ほんと俺って薫泣かせだな。でも今回は全部俺のせいだからな……)

 申し訳なく思って見ている少女の口からその思いが溢れだす。

「得た力を試そうと思う気持ちもわかる。十流も男の子だから私にいいかっこ見せようとする気持ちもわかる。でもそんなんでもし十流が死んだら、私がどう思うかも考えてよ……」

「ごめん」

「かっこ悪くても良いんだよ。失敗したって、十流が一生懸命に鍛錬に励んでいるの知ってるもの。それに私が十流を見捨てるわけないじゃない。私のパートナーなんだし、それと……」

「……?」

「やっと夢が叶ったんだもん。一緒に戦うって夢が……」

 薫はうつむき、最後の言葉をはっきりと言う事ができなかった。

 十流は怪訝に思い、

「それとの続きがよく聞こえなかったんだけど……」

 十流の不用意なツッコミに薫は顔を上げる。

「とにかく、十流は今後一切、一人で戦うの禁止!」

「ええ?」

「当然、闇喰いのことを調べたりする時も私と一緒に行動してもらうから。つまり十流は単独行動は禁止ってことよ!」

 薫からの突拍子もない禁止命令に十流は絶句する。

「ちょっと待て、何もかも薫と一緒かよ。もしかして期限なしですか?」

「そうよ。もしまた私を出し抜いて一人で闇喰いと戦いに行ってごらんなさい。その時は……」

 そう言って薫は腰に吊るした桜花に手をかける。

 不気味な金属の音が鳴る。

「いや待て落ち着け、薫」

「まあ、これは冗談として。そうね今度約束を破ったら一日、私の言う事何でも聞くってことにするわ」

「えええっ?」

「家の掃除から、風呂掃除、洗濯物、荷物持ち、それから料理も作ってもらおうかしら。って十流は料理作れるの?」

 大粒の涙はどこかへ行ってしまたかのようで、薫は明るく、十流の罰を考える。

「いや、あのさ薫。それはいくらなんでも……」

「十流が約束を破らなければ良い話よ。もちろん刹那さんにも伝えておくから。十流が邪な事をしていたらすぐ連絡いれてくれるようにってね」

「母さんまで巻き込むか」

「十流、返事は?」

「いっ、いやでもな」

「へ・ん・じ!」

「はいはい、わかりましたよ。薫と一緒に行動すれば良いんでしょ。それでそれを破ったら薫の言う事を何でも聞くってことで」

 十流は反論する気も失せ、そして今回は迷惑をかけてしまったという後ろめたい思いもあり、薫の命令を渋々、受けるしかなかった。

 薫は十流の返事を聞くと満足そうに頷き、残った涙をハンカチで拭うと鼻歌まじりに戦いの場を後にしていく。


 十流と薫は一旦、外に出て、堺面世界から現実世界へと帰ってくると同時に、館内に警報機が鳴り響いていた。どうやら闇喰いを失った宿主が現実世界へと強制的に戻ってきてしまい、警報機が鳴ったようだ。

 そんな事を気にするでもなく、薫の背中を見つつ歩く十流はふとある事を思いつき薫を呼び止める。

「なあ、薫」

「なに?」

 少し機嫌は良くなっていたものの、薫は十流に対してはとげのあるような態度をとる。

 十流はそこはなんとか堪えて、ポケットから美術展の半額券を取り出す。

「なあ明日、改めてここの美術展に行かないか? ちょうど半額券も二枚あるしさ。どうよ?」

 ヒラヒラと券を揺らして見るが薫の表情は素っ気ない。

「いらないわよ。そんなものなくても私なら顔パスで入れるから」

「ふ〜ん、顔パスでね。ってそんなわけあるか」

 反論する十流に薫は券を指さす。

「その券の下の方に書いてある文字をようく見てみなさい」

「文字?」

 十流は言われるままに券の下側にある文字を読んでみる。

「主催、姫川ブランド……。姫川ブランド?」

 姫川ブランド――、それは姫川薫の両親が会長・社長を務める、日本有数のブランド会社の名前であり、今やテレビをつければ出てこない日は無いといくらい有名な会社である。

「そいう事。実はこの美術展は私がお母さんに頼んで開催してもらったのよ。闇喰いをおびき出すためにね。ちなみにここにある美術品は全て姫川家のものだから」

 さらっと言った言葉に十流は愕然とする。

「闇喰いをおびきだすため? それじゃあ俺が今回やったことって……」

「そっ、全くのむ・だ・よ」

 十流は完全に打ちのめされてしまった。薫が言うには今回の闇喰いは神出鬼没であり、現れる場所を特定させることができない。だが宿主が宝石やお金を目的に動いている――本当は違うが、それに着目し餌となるようにこの美術展を開催したのだそうだ。

 うなだれる十流の手から薫は半額券を奪う。

「まあ、珍しいことに十流からのお誘いなんだし、それを断るのも可哀想だし、付き合ってあげるわよ」

「本当か?」

「ただし、今回の罰として帰りにパフェをおごってもらうから」

「罰って、次回からじゃあないのか?」

「パフェだけで済むなら安いもんでしょ。これも十流が悪いってことよ」

「トホホ……」

 意気揚々と歩きだす薫とうなだれながらその背中を追いかける十流。夜はずいぶんと深まり、街灯が道を照らす。

 まだ歩き出した道。失敗もあれば成功もある。

 いつの日か追いつけるように、でも急ぎすぎないように、薫の背中を見つめながら十流はまた一つ出来た約束とともに明日もまた歩き出す。

 退魔師という道を……。


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