男と女の恋物語
昔々、とある国に一人の男が住んでいました。
男はその国でそれはそれは綺麗な女の心を射止め、幸せに暮らしていました。
しかし、男はその国で蟻の如く働く文官でした。
その国は王は色沙汰に怠け、宰相も将軍も金の事しか考えず、重税を強いられる民はた
だただ疲弊していくばかり。
さらに、隣の土地にはこの国よりも強大な国が栄華を極め、度々領土を侵略してきてい
たのです。
その度に兵を向かわせるも、碌に訓練もせぬ将軍が兵たちを動かせるわけがなく、戦う
たびに負けを重ねました。
それほど重要な立場ではない男も、この王たちと民の姿を見るたびに、この国の行く末
を憂うのでした。
そんな男は来る日も来る日も仕事に追われ、愛する女とは朝早くから別れ、夜遅くに帰
ってからしか会えぬ日々。
それでも、男の忙しさを知っているからか、女は遅くに帰ってくる男を健気に待ち続け
、帰って来た男を優しく労わります。
帰れば優しく微笑みながら待つ女の姿に心打たれる男は女の事を嬉しく思い、仕事の疲
れも忘れて女に愛を囁く夜。
いくら頑張れど良き道へ動かぬこの国に嫌気が差すも、女と共に生きるため、身を粉に
して働く…そんな毎日を送っているのでした。
そんなあくる日。
男はとある噂を耳にしたのです。
王が男の女に興味を持っている、と。
男は慌てました。
男は知っていたのです。
王が綺麗な女を見かけては自らの妃に迎えている事を。
そして、例え目を付けた女が誰かの妻であっても、王である立場を利用して、無理やり
奪っていくのだ、と。
男は王に頭を下げました。
私から愛する妻を奪わないで欲しい、妻を失えば私は生きて行けぬ、と。
それを聞いた王は、笑みを浮かべながら言いました。
女を連れて来い、私の目に叶わぬのであれば何もせぬ、と。
男は絶望しました。
男の妻の美貌は国でも広く知られているからです。
連れてこれば、確実に妻は奪われてしまうでしょう。
しかし、逃げるとしても逃げる場所がありません。
逃げたと分かればすぐに追手を向けられるでしょう。
捕まれば、殺されてしまいます。
男は家に戻り、突然の帰宅に驚く妻を前にして泣きながら話しました。
愛する君を王に奪われそうだ、私はどうしたら良いのだろう、と。
そんな男の話を微笑みながら聞いていた妻は男の頭を抱き、耳元で呟きました。
大丈夫、何も恐れる事はない、と。
自身に満ち溢れる妻の言葉を聞き、男は茫然としたまま、妻を見つめました。
何故そんなに自信があるのか、何か考えがあるのだろうか。
奪われる事に怯える男は身体を震わせながら妻に尋ねるも、妻はそれ以上何も口にせず
、ただただ男の頭を抱くばかりであった。
それから数日後。
王より、家へと兵が向けられました。
男が愛する妻は抵抗することなく城へと向かいました。
城の者全てが謁見の間へと集められ、何事かと話し合うも答えは出ぬまま待ち続けます
。
そして、城の大きな門が開かれ、男は目を大きく見開き、息をのんで門から現れた妻の
姿を追いました。
現れた女を眺めた王は尋ねました。
汝、我が妃になるつもりはあるか、と。
女は答えました。
否、汝の妃に興味はない、と。
王は自分の提案が断られた事に腹を立て、顔を真っ赤にさせて叫びました。
貴様、王である私の言葉が聞けぬと申すか、と。
それと同時に、王は手を挙げて合図をしました。
たちまち女の周りを兵が取り囲み、女は槍に貫かれる寸前でした。
しかし、女は動じませんでした。
そして、王を見据えながら、大きな声で告げたのです。
国無き者が王を名乗るなど笑止千万、民を偽る下賤な輩にはたちまち裁きが下るであろ
う、と。
女の言葉をすぐに理解できぬ王は女の言葉を何度も口にしながら考えました。
そして、この言葉が自身を侮辱しているとようやく分かり、兵に合図しようとしたその
時でした。
城の扉が突然開かれ、見た事も無い色の鎧を着た兵が次々に城へと現れたのです。
何事だと多くの文武官が理解する間もなく、次々に兵に取り押さえられ、数分後には多
くの文武官が地へと身体を抑えられていました。
もちろん、それは王や宰相、将軍も同じでした。
唯一、つい先ほどまで槍を向けられていた女と、その女の夫たる男だけが無事でした。
男は愛する女に近づき、何事かと尋ねました。
女が答える前に、城の門から新たな男が現れ、男の質問に答えました。
王は私ただ一人、王を語る不届き者に天罰を与えに来た、と。
そして、王を名乗る男が茫然としたままの男へと近づき、微笑みながら言いました。
私の娘を幸せにしてくれてありがとう、と。
男は驚きながら、愛する妻を見つめ、妻の頬笑みで理解しました。
自分が愛した人は、隣の国の王女であったのだ、と。
そして、女は呟きました。
人の恋路を邪魔する奴は馬に蹴られて死んじまえ、と。
男は手に持っていた本を閉じました。
同時に、側に居た女へと尋ねました。
君は今、幸せかい、と。
女は答えを口にすることなく、男に愛を交わしました。