剣神
戦う者にとって怖いモノはなんだろう?
ある人は言うだろう、それは痛みだと。
しかし痛みなんてものは訓練次第で耐える事ができるし、もし傷を負う状況があるとしてもそうさせない様に戦うのが本筋なので決して恐ろしいとは言えない。
ある人は言うだろう、それは己にとって解らない攻撃だと。
しかしそれは経験や時間によって覆る、人はそれを理解する能力があるのだから。
ある人は言うだろう、それは圧倒的な力だと。
しかしそれは簡単に打倒できる、人は考える力がありいかなる壁をも突破できる力があるのだから。
だが奈緒美は今、戦う者にとって恐怖が解った。
それは目の前、無表情で刀の剣先を突きつけてくる白銀のレインコートを羽織る男からもたらされていた。
第三戦術研究部に呼び出された奈緒美は、微妙な顔をしたイギーに迎えられた。
「宗像先輩の方から話は聞いてるが、本気か?」
「はい。最近、自分の力が伸び悩んでいるのが解ってましたから」
とうに決意を固めたと証明するように奈緒美が言うと、イギーはいい笑顔を返してくる。
「自信喪失したいのか、それとも自殺志願か?」
「なんでそうなるんですか!!」
「いや、相手が相手だからなー」
視線を合わせないようにクルーリと椅子ごとイギーは明後日の方向を見る。
「お前、霧島の一族の事をどこまで知っている?」
「どこまでって、霧島ってあの『雷神』霧島ですよね?」
「そうだ。『雷神』『軍神』『バランスブレイカー』『戦場の死神』『盤上崩し』『神殺し』『執行者』『剣神』と様々な異名を持つ一族だ」
「そんなにあるんですか?」
「いや、今半分俺が勝手に考えた」
「ちょっとっ!! イギーさん!?」
「冗談だ。だけど半分は本当だぞ」
霧島の一族。
古くは雷神『建御雷』を祖とする能力者の一族である。
建御雷とは日本の神話が載せられている古事記曰く、火の神の首を切り落とした時に剣の柄側についた血から生まれた神。
日本書紀では、その手に神剣『十束剣』を持って、国を譲るように当時統治していた大国主と対峙した神でもある。
他にも関係した物の逸話があるが、それのほとんどは『戦い』に関係したモノだ。
それだけ建御雷は戦いに関係したものであるが為に、その子孫たる霧島一族も戦闘に特化した一族になっている。
一族の構成人数は200強、小さな過疎の村ほどしかいず、中でも戦闘要員は三割ぐらいしかいない。
戦闘要員は『八雷』と呼ばれ、大雷火雷黒雷折雷若雷土雷鳴雷伏雷と別れ、それぞれが戦闘に関して得意分野を担当する。
「奴らは正直な話、本気でまずい。あーっとここら辺に…あったこれだ」
グダグダと説明するよりは早いとばかりに、イギーは積み上がっていた文献の束から一掴みの資料を取り出した。
「これは? 昔の歴史書ですね……戦いは有利に………暗雲立ち込め、雷が戦場に走る。これって!?」
「現存する歴史書の中でも一番古い戦闘の記録だ。近畿地方の古い蔵から出たのを譲ってもらったんだが、今はその話じゃない。その歴史書のいくつかをコピーして抜粋したのがそれだ」
理系と文系ぐらい違うが、曲りなりとも研究者の端くれたる奈緒美には文献に書かれているミミズがのたうった様な文字は読める。
普段ならば好奇心の目を輝かして読むのだが、今は内容の意味を理解する事で精一杯で顔は強張っている。
「圧倒的戦力差で挑むも、すべて返り討ちに合う。暗雲が立ち込め戦場に雷の如き人が刹那で走り抜けたと共に、人が草を刈ったかの様に倒れ、血の雨が降る………」
「ちなみに他の本も似たようなことが書いてある。俺も何度か戦ったことがあるが、ありゃ別次元の生き物だ。勝てん」
「そんなにですか!?」
以前イギーに練習中の問題点を指摘された時に、何となくだが彼の実力の端は掴んでいた。
おそらく彼は自分より遥か高み、それこそ圧倒的に強かった宗像先輩より強いのは分かっている。
その彼が勝てないと言うのだ、奈緒美は無条件に背筋が凍った。
「はっ早まったかなー」
「手加減で死ななきゃいいけどなー」
「ちょっと、イギーさん!?」
悪戯か皮肉か解らないような顔をしてイギーが笑う。
「クククッ、まあなんとかなるとは思うけどな? ただ相手が相手だから冗談にならない」
「そんなに強い人なんですか?」
「まあ、強いっちゃー強いが。この街にいる唯一の霧島なんだが、少し問題があってな…まあ、会ってみりゃ分かるさ。話は通しておくから三日後、そうだな俺と一番最初にあったあの場所でまっていてくれ」
それ以降イギーは興味がなくしたように手元の書類に目を通しはじめる。
奈緒美は色々と聞きたいことがあったが、話しかけようとしても曖昧な返事しか返ってこないので諦めてその場を離れる。
霧島の一族の逸話はこの国に住む能力者ならば誰もが知っているが、大体が鬼やお化けと同じ扱いなので詳しくは知らない人間が多いのが普通なのだ。
奈緒美がイギーに見せられた資料以上の話を話を知りたくなるのは当然である。
ましては自分の命に関わるのだから当たり前だが、本当ーに冗談であって欲しいと奈緒美は思った。
兎も角、本物を見るのは三日後かと呟きながら奈緒美は家路へとつく。
三日後の放課後。
講堂に近い木に囲まれた広い芝生。
色々な場所から死角になっているそこには、先客がいた。
後ろ姿しか見えないが、奈緒美にはその人物に見覚えがある。
身長はイギーよりも高い190cm程の長身痩躯、髪は黒手入れのされていない長い黒髪を後ろで一つに結わえていた。
何よりも特徴なのはその身体を覆う白銀のレインコート。
そうほんの数日前、持久走の時に山間から出てきた男。
奈緒美はなんとなくこの人物が来るのを予想していた。
あの時見た神足通の技量の高さの予感を感じていたか、能力者特有の不完全な未来予知能力が囁いていたのかは今は分からないが、この瞬間を奈緒美は知っていた気がした。
その人物は幽鬼の様に薄い存在感を漂わせて奈緒美の前に背中を向けて立っている。
声をかけようとするが、何故か奈緒美の声は出なかった。
いや声だけではない、踏み出そうとしていた足が前に進まない。
「っ!?」
この現象を奈緒美はなんとなく理解していた。
これは『間合い』だ。
ここ数日、死にそうなぐらいのシゴキを受けてきた奈緒美にはこの感覚がよくわかる。
ある間合いまで踏み込んだ瞬間、宗像にあしらわれたり投げ飛ばされてり蹴り飛ばされたりした感覚と同じ。
いや性質は同じだが濃度が段違い、数百倍強烈にして凝縮した様なモノ。
あえて言うならば、
「真剣」
絞り出すようにようやく出た言葉に男が振り返る。
ボサボサの髪が目元を隠し無精ヒゲが生えた顔、きちんと整えたら端正な顔立ちだとすぐに解った。
だがしかし、今奈緒美はそれどころではない。
鍔鳴りの音。
「ヒッ」
自然と喉から絞り出すように声が出た。
鞘鳴りと共に現れるのは白刃。
「早速始めよう」
鈍く光る突きつけられた剣は奈緒美にとって、首を切ることが確定した断頭台の刃にしか見えない。
そして次の瞬間、目の前の男は一瞬にしてかき消え、先ほど幻視したように奈緒美の首に刃が当てられる。
戦う者にとっての恐怖。
それは攻撃されると解っていても、タイミングが解らない事だ。