鍛錬
山の稜線が紺に染まる夕方、学園都市の一画では光が漏れる体育館の中で息切れが聞こえてくる。
いつもならばワックスでピカピカに磨かれた板張りの床なのだろうが、今は敷き詰められた畳。
その上で数十人の袴姿の人間達が組手をしていた。
「………」
女性は本シリーズの主人公、折紙奈緒美。
彼女も例にもれず白い道着に黒袴姿で、目の前に立つ年上の男と対峙している。
組手と言っても何の変哲もない、柔道や空手と同じモノだ。
ただ違うのはこの場にいるのは『全員が能力者』であり、使う武術が神道流もしくはそれに連なる武術だと言う事。
「………」
静かな息吹で相手に挙動を悟らせない様にすると、奈緒美は身体をスライドさせる様に動く歩法『流水』で相手に詰め寄る。
しかし相手は同じ能力者、それ位の挙動は当たり前とフック気味の掌底(手の平の手首側の事)で牽制をうってくる。
「クッ」
行く手を塞がれた奈緒美は、膝と足首を使い横にスライドする様に避ける。
しかし相手はそれすら予測していたかの様に、摺り足でほんの一歩だけ踏み出し奈緒美の回避行動を阻害する。
ほんの一歩だけと書いたが、奈緒美にとっては恐るべき一歩だ。
牽制の一撃を避ける為に動いた筈だが、その一歩の踏み出した先が奈緒美の次の歩を塞いだのである。
その一歩を回避する為に後ろに下がるか、はたまたその一歩を踏み潰すべきか奈緒美は一瞬悩む。
が、その一瞬は大きな隙となった。
「っ⁉」
相手が奈緒美の視界から消える。
神足通かと考えるが違う。
相手は奈緒美に背中を見せる様に伏せ、その反動を利用する様に後ろ蹴りを放っている。
超低空の後ろ蹴り、相手の狙いは奈緒美の軸足の脛。
その意図に彼女が気付いた時には既に遅かった。
軸足を蹴られ体勢を大きく崩す奈緒美。
立て直す積りで踏ん張るが、一度崩れた所為で、状況は詰んでいた。
彼女の鳩尾に当たる相手の振り抜かれる直前の踵。
「どうだ?」
「参りました」
そう奈緒美が言うと相手の男は足を下ろし、ある程度離れ礼をする。
それを見た奈緒美も慌てて居住まいを正し礼を返す。
「ふぃー、疲れた」
「ははっ、折紙君はまず体力を付けなければね。励起法や個人の能力に頼りにするのも良いけど、それだけでは能力者は弱いままだよ」
「身に染みてます」
今回の組手においては、能力はともかく励起法すら使っていない。
なぜならば能力者においての固有の技と言えば励起法だが、この力には欠点があるからだ。
励起法とは能力者が持つ超高次元演算能力を使い、自分の身体を操作する技術。
操作する対象や強さは深度によって変わり、深度1の身体操作レベルから深度2の細胞操作レベル・深度3エネルギー操作レベル・深度4分子間操作レベル・深度5分子運動操作レベル・深度6原子操作レベル・深度7量子操作レベル・深度8空間波存在強度係数操作レベルと、深くなる程強く、存在の階位を引き上げる。
しかしこれは階位を引き上げるだけで、その励起法を使う対象の成長には関係ない。
むしろ、阻害してしまう。
励起法を使う身体は人を超えた身体をもつ、深度4を超えた時点で言えば個人差はあるが運動をしていない普通人が一キロ先の針の穴を見たり、コインの音を聴いたり、一トンはある乗用車を軽々と片手でひっくり返す。
そして一番の特徴は人智を超える回復能力だ。
これはモノにもよるが高深度の励起法では、切断された腕を当てがっただけで瞬時に癒着する程。(変わる世界の『迎えるは山神』にも同じ描写があります)
これは瞬時に自分の健康な状態に戻ろうとする力『絶対的生体恒常性』が原因だ。
そしてこれが能力者の成長を邪魔をする最大の要因になっている。(変わる世界・絶技 後編に詳しく書いています)
「まあ君には釈迦に説法かもしれないが、励起法の多用は成長を著しく阻害する」
「普通、肉体はストレスをかけ傷付いた場所が回復する事で成長すしますが、励起法を使うとアブソリュートホメオスタシスの所為で訓練する前の状態まで戻ってしまいますからね」
「他にも消耗率と強化率との兼ね合いもあるしなー。まっ何事も美味い話は無いって事だ」
ハハハッと少し疲れた声で目の前の男が諦観気味に笑うのを、奈緒美は頷いて同意する。
その事は先日のイギーとの会話で、嫌と言う程身に染みている奈緒美だった。
「まっ人間も能力者も地道が一番だ。しかしなぁ、君の実力を考えると今度の見回りどうする?」
「断りたいんですが……こう、無理っぽいです………」
第三戦術研究部の部長たるイギーと奈緒美との話し合いの結果は、最終的に契約と言うモノで締結されていた。
この契約の内容は色々あるのだが内容のほとんどは時給や勤務時間などの話で、解りやすく言えば雇用契約の様なモノである。
そしてその勤務内容は『都市警備』と『組合内での依頼を受ける』の二つ。
色々と拡大解釈できる契約内容だが、今回の問題は前者だ。
「契約だからってのもあるんですけど、それ以前に…お金稼がないと」
「その年で扶養家族がいるのは大変だな。あー経済的には援助は出来んが、悩み事位は聞くよ」
「ありがとうございます、宗像さん。」
「いやいや後輩の面倒をみるのは先達の義務さ、そんなに畏まらないで欲しいな」
深々と感謝を込めて頭を下げる奈緒美に、苦笑しながら男・『宗像 士郎』手をかざした。
宗像士郎はこの学園都市の中で、教官と呼ばれる能力者である。
その役割は都市警備に当たる組合員の武術指導が主だ。
先程からの奈緒美との組手もその一環で、近々持ち回りでやる都市警備の任務の為に訓練していたのだ。
しかし今回の訓練で奈緒美の武術の拙さが露見してしまった。
「現場の人間としては、正直君は出したくないな」
「実力と言う意味でですか?」
「それもあるけど、君の使う武術が問題かな? 君の使う武術は守部神道流だろう?」
「ええ、まあ」
「……率直に言えば、君の使う武術は少々欠けているんだ」
欠けている? 宗像の言葉を頭の中で反芻しながら奈緒美は頭をかしげる。
「君の戦闘スタイルは今日一日見てきたけど、なんと言うかシビア過ぎる………いや、違うな。ここは迫り過ぎると言って良いかもしれない」
「どう言う事でしょうか?」
「例えばだ。普通の人間が拳を振るわれたとするよ? そうすると大体が、身体を縮め防御しようとするか身体を逸らして避けようとするのが普通だ。武術をやる人間であれば体捌きで避けたり防御したりだ。しかし、神道流は違う。いや、これは剣術の中でも達人クラスでもそうだから違うな。彼等や神道流の人間達は、攻撃に逆に踏み込む」
「踏み込む…」
「そう。死中に活ありとかそんな感じのヤツだよ。彼等は相手の間合いを潰して、相手の間合いにも関わらず相手の攻撃をやり込めたり半減させる戦い方をするんだ。特に神道流の技はそれに特化した技が多い」
それは奈緒美も解る、先日その一端を味わったばかりなのだから。
「だけど、この戦い方はさっきも言った通り迫り過ぎる。危険過ぎるんだ。相手の実力が下なら良いんだが、拮抗してたら博打みたいな戦い方になるし、実力が上なら完全に良いカモだ」
「でも、私が師事した先生はそんなの関係ない見たいに戦ってましたよ?」
「ああ、それは誤解しないで欲しいな。熟練者クラスならば問題ないんだが、結局は最初の話に戻るんだが地力が足りないって話になる」
「地力が足りない…ですか」
「厳しくなるけどそう言う結論になるね。本来ならそんな博打にさせない様な技や戦術を師事するんだけど、どうも君の技からはそう言うのを感じられない」
「……それは」
自分に技を教えてくれていたのは父や母だった。
朝早くから身体を動かす両親について行って、一緒に遊びながらやっていた。
遊びを通して覚えた神道流の基礎と、物心ついてから覚えた技。
そんな流れで今の技を知っていたのだ。
だが、その父や母はもういない。
思い出してしまった奈緒美は、目に込み上げるモノを必死に抑えた。
それに気付いたのか、宗像は一言「すまない」と謝罪して何かを思案するように首をかしげる。
「となると、君の自力を短期間で底上げするような先生が欲しいな」
「先生ですか? 宗像さんじゃダメなんですか?」
「俺かい? ああ、戦い方とかとかだったらいいんだけどね。今君に必要なのは戦いの経験値だと思うんだ」
「経験値、ですか」
「そうだね、しかも圧倒的に実力が離れているような相手がいいかもしれないな。君に今必要なのは判断力だ。退ける時に退く、戦うべき時には戦うと言った決断する力。うってつけの相手が居るから、鬼ち…じゃなかったイギーに伝えておこう」
一瞬何を言いそうになったかはなんとなく解るが、突っ込むと何か不幸になりそうなので奈緒美は苦笑いで誤魔化した。
だがその顔は、宗像の口に出した言葉で驚きに変わる。
「その相手は、かの雷神の一族『霧島』の人間だ」