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ゼロの距離

作者: 木村 瑠璃人


 眼下、見下ろす風景は茜の色に満ちる――――

 足も竦むような高さから見下ろす、その風景。彩りは夕日の茜、照らし出された光を受けるは黒色を基調とした制服に身を包む少年少女たち。聞こえる声は笑み、歓声、無数の声音の作り上げる穏やかな雑踏、そしてスポーツにいそしむものたちの、あるいは音楽にいそしむものたちの、それぞれが奏でる日常という世界の音……。

 紅を帯びた蒼穹に一番近いこの場所に届くほど、その音は高く響き、

 そしてその場所に虚しさを齎すほど、その音は彩りに満ちている。

 わずかながら彩りが存在するこの場所の屋上に、空々しく響くそれらの音。大きすぎる彩り、高すぎる価値はそれ以下のものの存在を著しく覆い隠すのと同じく、日常での価値観もまた、それ以下しか持たぬものの存在を排斥する。

「…………空っぽね」

 呟いた声もまた、空々しく蒼穹へと消えた。

 淵に足をかけ、身を屋上へと横たえ、天へと伸ばした手もまた、無意味に脱力し、胸の上へと落ちる。

「……ホント、空っぽだわ…………」

 思えば、虚しいことだらけだった。

 世間という小さな世界の中の価値観を揺るがしかねないほどの感性は私から人との関わりという要素を奪った。――得たものはない。

 わずかばかり獲得した友人と呼べる人間も、私の前から姿を消した。――得たものは、ただの虚脱感だけ。

 家族の存在は元から私のうちでは希薄で、またその存在も私を疎みこそすれ、愛情をかけることはなかった。――失ったものはない。なぜならそれはもとよりそこになかったもの。

 そして、唯一――――。

 私のことを、唯一と認識してくれていたはずの人物も、私の世界から姿を消した。

 ……いや、本当は違う。ただ私が唯一でなかっただけ、私という存在が必要かと聞かれればノーという返事になる、ただそれだけのこと。

 だけど……それで十分だった。

 あの風景だけで、十分だった。

 第二宿直室……私の横たわる校舎の、その一階。教員でさえも何が存在しているのかわからなくなるほど部屋が混乱した状況となっている一角のさらに奥、その場所に篭った私に会うために、毎日のように通ってくれた一人の少年がいた。

 学校内外を問わず人気で、世間から離反しない程度の才能に恵まれて、そして何より一人でなかった、そんな少年。女性関係でも困るとは思えないほどの人物に恵まれていたはずのその少年が、なぜか通ってくれていたのが私のところだった。

 強すぎる才覚を持つが故に、世間から排斥された、私。

 あれが唯一。家に帰れば無音が待ち受け、自らの内側から這い上がる孤独感に打ち震え、逃れるために登校し、だけど教室ではなく宿直室に篭る、そんな生活しかできなかった私に、唯一関わりを保ち続けてくれたのが彼だった。

 最初は邪険に思っていたはずなのに、

 いつしか、それが必要へと変わっていた。

 そんな、長い関わりを持つ彼。

 ろくな食事をしていない私のために、わざわざ弁当を届けてくれたときもあった。

 健康管理どころか温度管理すらおろそかな私のために、不要になった扇風機やストーブを持ち込んでくれたときもあった。

 自分ではどうにもならない問題に直面したとき、真っ先に私を頼ってくれたときもあった。

 私のことを疎ましく思う教員から、私をかばってくれたときもあった。

 彼のことを変質的なまでに愛した人物を、私が止めたときも会った。

 あらゆるイベントに不参加だった私のために、いろいろな場所へ連れて行ってくれたときもあった。

 無理が祟って病気になった彼を看病するために、私のほうから家に出向いたときもあった。

 そして、今まで意識したこともなかった誕生日には彼が贈り物をしてくれた。

「…………」

 左手、薬指。

 そこに輝く、サファイアのイミテーションが施された銀色の指輪。

 他意はない。ただ彼がサプライズを優先しようとしたあまりサイズの設定を間違え、唯一ぴったりだったこの指に収まったという、それだけの話だ。

 そう、それだけの話。

 約束でも誓いでも契約でも密約でも制約でも束縛でも拘束でも、ましてや抱擁でもない、ただの失敗として、存在しているだけの指輪。

「………馬鹿、だったわね。あいつ……」

 それの意味することを知りながら、自らの失敗を笑っていた彼の顔。幸せそうで、私もどこかくすぐったくて、思わず笑った、あの瞬間。

「……でも、楽しかったの、かしら――」

 よくわからない。

 でも、もしあの時抱いていたちょっと嬉しいとか、もう少し味わっていたいとか、終わるのが寂しいとか、そういうのが楽しいって事につながるんだとしたら、

 きっと、私はあの時楽しかったんだろう。

 それこそ、今までの過去すべてを一時的に忘れてしまうほどに。

「…………ふふっ」

 嘲笑が浮かんだ。

「ええ……知ってたわ。それが、全部幻想だって……」

 忘れることなんてできない、空っぽであることをなかったことにはできない。その感情はただの麻薬。快楽という一時的な逃げ場に逃げ込んだだけに過ぎない。

 そんなこと、わかってたはずなのに――――

 なぜ、なんだろう。

 彼のことが、あんなにも気になるようになっていたなんて……

 なぜだか学校に行く日が多くなっていた。当然行っても授業なんて出ないのに。ただ家にいたくないから家から逃げるだけなのに。そこに逃げ場以上の目的ができたかのように、毎日毎日そこに通ってしまう。

 なぜだか彼に会えないと寂しかった。しばらく待てば現れるはずの人物、心配ない、もし来なかったとしてもそれは必然だ。そんなこと頭ではわかってる。でもそれでも、なかなかこないとどうしてだか寂しかった。

 なぜだか明日が楽しみだった。明日はどんな話をしよう、どんなことをしてあげよう、どんなことをしてくれるんだろう。そんな風にいろいろ、彼とのことを考えると自然と心があったかくなった。

 なくてもいい人、だったはずの彼が、

 いつの間にか、なくてはならない人に、変わっていた。

 ありえるはずのない変革、それが真実として、起こっていた。

 だから、そう。

 ………私は、あんなことをしようとしてたのよね。

 二月、十四日。それだけがすべて。それ以上の言葉は、必要ない。だって、これはそういう日だから。恋心を持つ人にとってすべからく特別な意味を持つ、これは、そういう日だから。

 なのに、彼は――――

「…………………一番の馬鹿は……私じゃない…」

 自分を問い詰めるように。

 自分を、責め立てるように。

「……一番の馬鹿は……私のほうじゃないっ!」

 絶叫する。にじんだ何かを隠すため、蒼穹を腕で覆った。

 ………わかってたはずなのに……

 彼と私が違うってことは――――

 ………住んでる世界が違うって、知ってたはずなのに…

 化け物と英雄、二つの格差――――

 ………夢が夢で終わるかもって、覚悟してたはずなのに……

 この、体たらく――――

 覚悟はしていた。私が彼にとって唯一無二でない可能性。

 理解はしていた。私と彼では立場が違うと、認識が異なると。

 思考はしていた。私と彼との間にあるのは化け物と英雄、同じ人と異なるものでも、それだけの格差があると。

 英雄の隣にいるにふさわしいのは、化け物でなく姫君だと。

 そして、彼には姫君と呼ぶにふさわしい人間がすぐ近くにいると。

 そこまで知り、考え、覚悟し、そして決断した。

 その、はずだったのに――――

「くっ………っ!」

 嗚咽をこらえるために、唇を噛む。

「……うっ……!」

 制服の袖ににじむ暖かな液体が、一気にその量を増す。

 小さな時から天才と呼ばれ、周囲から隔絶され親からも恐れられ、友人は存在せず存在しても離れていき、教員すら見限って私を天才(化け物)と呼ぶ。

 そこにいるのは一人の女の子なのに。

 そこに在るのはただの弱者なのに。

 そこに生まれたのはただの少女のはずなのに。

 誰もが、私を私を見なかった。

 才能だけを見て、私に何も与えなかった。

 与えてくれたのは、彼だけだったのに。

 その彼も――――消えた。

 いや、まだ消えたわけじゃない。ただ彼は告白されただけ、化け物の対極に位置する、姫君と呼ぶにふさわしい人物に告白されただけだ。

 でも………私のような異形を、誰が選ぶというのだろう。

 彼の世界には、私よりもふさわしい人間が大勢いる。彼しかいない私の世界とは違い、彼の世界にはにぎやかな温かみで満ちている。

 だから………彼の世界に、私は必要ない。

 私なんかに、縛られている必要はない。

 だから―――――――――――――



 もう、いいや。



 今という時間を迎えられたことが奇跡。夢も希望もなく生きていられたことが奇跡。なんとなくでここまでやってこれたことが奇跡。私の軌跡は奇跡の連続。奇跡の代償は軌跡の解消。さよなら世界、私は私を、殺します。

 迷うことなんてなかった、躊躇うことなんてなかった。

 ただ、最後に希望があっただけ。もしかしたら彼があの部屋に置いた遺書を見つけてここまでやってきてくれるんじゃないかって、そんな思春期の痛々しい願望のような、乙女の夢を診たかっただけ。

 でも、それも今でおしまい。

 ………人は、いつ死ぬんだろうと、考えたことがある。

 答えは、単純。人が死ぬのは、その人が誰かにとって必要とされなくなったときだ。社会にとって人は物、生物にとって個体は種の一欠けら、不要になったら消えるのは必定で不要なものを消すのは必要、そしてそれは、必然だ。

 立ち上がる、涙を覆った腕をどかす。

 立ち上がったその場所、そこは学び屋の頂点。

 眼下に無数の人間を見下ろし、蒼穹と大地との狭間に立つ、そんな曖昧な場所。俯瞰する足元、そこにある日常へ、私は一抹の点を残そう。

 柵はすでに乗り越えた、意思はすでに飛び降りた。

 後は、肉体がそれに続くだけ。間隔はあと一歩、ペンを拾うような気軽さで踏み出せば、その瞬間私の体は意志へと続き、この世界と、告別する。

 ――――いい風が、吹いてるわね。

 スカートと長髪をはためかせ、目元に浮かんだしずくを洗う。そんな心地良い冬の寒風が、肌を撫でる。

 ――――夕日、いい色ね……

 世界を茜に染め上げる太陽、すべての命の始まりで、すべての世界の中心にある、惚れ惚れするほど広大な、紅の火の玉。

 風と、夕日。

 普段では感じ得ないほど濃厚な感慨を、覚えて、

 そして、ゆっくりと、

 体を、前へと傾けた。


 死の直前、ゆったりと時間が濃密になる。

 髪の一本一本でさえも感じ取れるような、光の瞬きでさえ見逃さないと思えるような、一生涯を数秒に圧縮したような濃密さ。

 その中で、私は落下する自分を幻視する。傾ぐ肉体、圧力から開放される脚、全身を叩く風、内臓が浮き上がるような浮遊感、耳に感じる風の音、眼前に迫る学び舎の床、高速で動く世界、確かなのは『確実に死ぬ』という認識のみ。そのまま体が眼下、地面に叩きつけられ――――



    × × × ×


「ねえ、四季」

「ん?」

「恋って、どんな感じなのかしらね」

「…………どうしたの? 急に」

「別に………他意はないわ。ただ、ね」

「ただ?」

 左手を掲げ、私はそこで冷たい輝きを放つ指輪を見つめた。

「………これの本来が意味するところ。正真正銘、一生涯を互いのために使うことを誓う制約、絶対にして不可侵の(まつりごと)、恋する乙女の終着点である場所へ行き着くための、そのスタート地点。その感情に、ちょっとだけ興味があるの」

「……へぇ、珍しいね。遥がそんな抽象的なことに興味持つなんて」

 表情がにやけている。アレは間違いなく本心と表情の間に差異があるときの顔だ。

「……何か失礼なこと、考えてない?」

「えっ? ……や、そんなことは…ないって」

「嘘ね。目が泳いでる。表情に若干の紅潮がある。手がわずかに泳いだ。全部図星を言い当てられた動揺の現われ特有の心理状態よ」

「………かなわないな、遥には」

 やれやれと、諦めたように四季が首を振る。

 追い詰めるように、私は冷たい視線を彼に向けた。

「で? 一体今度はどんなくだらないことを考え付いたのかしら? その手のことに理解のない私にも理解できるように説明してもらえる?」

「うん……と、言うかたぶん得意分野だと思うんだけどね」

「得意分野……?」

 なんだろう。得意分野、それも四季がたやすく連想できる以上、それは私が常日頃から公言している、もしくは態度で表現しているものに限られる。ぱっと思いつくのは古典解釈と哲学と有機化学。それに少しマニアックなところで量子物理学理論といったところだろうか。だけどどれも今この場で出てくるような理論でないことは理解できる。

「いや、前々から思ってたんだけど、遥って結構メルヘンチックだよね~って」

「……そう、かしら――」

 メルヘンチック。いや、断じてそうではない、と思う。恐らくは。うん。

「………頭、大丈夫?」

「うわ、言われると思ったよ。でもそうじゃなくてさ、実際にいろいろ話してみたら、読んでる本とかも俺に理解できないような専門書とかも確かにあるけど、実際のところは古典文学に偏りながら恋愛物とか、多いよね?」

「……………」

 確かに。

 ここ一年間、好む本の嗜好がだいぶ恋愛要素の多いものに傾いてる気がする。それに、客観的に見直してさっきの言動もそうだ。結婚が一生涯、なんてまるで誰かと結ばれることに憧れを持つ乙女ではないか。なるほど、確かにその発想もうなずける。

 と、言うか。

「……よく、見てるのね」

「うん。毎日のことだからね」

「でもメルヘンチック、って言うのは嘘よ。勘違いしないでよね」

 嘘だ。自分でもわかってる。私がホントは誰かと一緒に生きることを望んでいて、その対象が眼前の彼になりかけている、ということを。理解していてなお受け入れがたいのは………私のせいではないと、思いたい。

「…………、それで、さっきの私の問いに、あなたはどんな答えを返してくれるのかしら?」

 照れ隠しのように一拍の間をおいてから、再び私は問いかける。すると四季は考え込むように腕を組み

「……ん~、よくある命題らしいんだけど、難しいね。俺のとく意図するところの抽象で答えて、いい?」

「と、言うより具象で出せる回答なら最初からあなたに聞いたりしないわよ」

「あはは、確かに。……で、ちょっと抽象的に答えると、『その人のことを周りの価値観とか関係なしに、大切にしたくなること』……かな」

「………何それ。用は裏返しの独占欲じゃない」

「うん。俺もそう思う。……でも、やっぱりね、恋とか愛とかって、欲望とは違うところにあると思う。だって、ただの欲望だったら、その人が自分にとってマイナスの影響があるってわかった瞬間、求めるのやめるよね?」

「………確かに、そうね」

「でも、恋とか愛とかって、そういうの関係ないんだよ。回りがどれだけその人の価値を貶めていようと、その人にはそれだけの価値が存在すると信じて疑わない、ただそこにいて欲しいと願うこと。それが愛の始まりの恋で、それが自分の生涯にまで食い込んできたら愛。だから、結婚なんかで不動の形が欲しくなり、永遠を誓う。――まあ、正解かどうかはともかく、俺はそう思ってるよ」

「……素敵ね、乙女心を解する男って」

 冷ややかな笑みを浮かべながら再び本へ目を落とした。

「……遥、それって褒めてるの?」

「ええ。褒めてるわ。最近はそんな男、滅多にいないもの」

「……そりゃ光栄なことで」

「でも、結局それが正しいと仮定したところで、私のところに恋愛の概念は食い込まないわ」

「…参考までに聞くけど、どうして?」

「私が無価値だから、よ。百害あって一利なし、しかもその百害が妙に高いところにあるから、みんな届かないの。面白いわね、ホントに」

「………遥、」

「何よ」

「その恋が本物だったら、そういうのも関係ないと思うよ。――少なくとも、俺はね」

「………より取り見取り選びたい放題の好色男がよく言うわね」


 どうして、

 こんな日の記憶まで、幻視したんだろう。

 ……いや、本当はわかっている。

 私は、こんな土壇場になっても誰かに欲されることを欲していたのだ。

 天才ともてはやされること、すごいと褒め称えられること、栄華の中に放り出されること。

『一人だけ特別扱いされる』なんて、

 そんなの、一人だけ仲間はずれにされているのと変わらないのに…………



 ―――― ガッ!



 全身を引っ張られるような衝撃に、私は幻視の中から帰還した。

 認識する、状況を。

 脚は、まだ屋上の角についている。

 髪は、また寒風にもてあそばれている。

 耳は、まだ学び屋の日常だけを聞いている。

 眼は、まだ迫ることのない大地を見つめている。

 そして腕は、力強い誰かの腕によって掴まれている……っ!


「…………っ!」


 言いようのない予感、例えようのない予想、表現しようのない予測を胸に抱き、不安定な姿勢のまま、思い切り身をひねって体を反転させる。

 と、

「っ!」

 呼吸が、止まった。

 間違えようがない。いつも思い続けていたから。さえない顔、だけど優しい雰囲気をたたえた黒瞳が印象的な純朴さを持っている、鍛えられたようには見えない肉体、だけどそれは自分の肉体の二倍以上の大きさを持つ相手を倒しうる強さを持っている、わたしの右腕を握り締める右腕、優しくて大きく、暖かくて、心地良い。紛れもない、その感触は、彼のもの。

 そして、腰までの高さしかない屋上、柵の向こう側、


 彼が、そこにいた。


「くっ…………」

 苦悶の声、同時に右腕がぐいっ、と引っ張られ、全身が屋上へと引き戻される。細く栄養不足なやせた体だ、その力に抗えるはずもなく全身がふわりと引き戻されて、

 ぽす。

 彼の胸中に、収まった。

「………ぁ」

 柵を隔てた下半身、柵を隔てぬ上半身。しかし私の体に柵は立派な障害で、だけど体は抱え込まれる状態だから、結果、わたしの頭は彼の胸へと押し付けられる。

 細みの体躯からは想像できぬほど屈強な筋肉に覆われた、胸。走ってきたのだろう、その内側にある心臓が脈打っているのが聞こえる。だけどそれ以上に、今はこの温かみが嬉しい。

「この……っ、馬鹿っ…」

 頭上からの罵声、同時により強く頭が締め付けられる。

「………覚えてなかったの……? 本物は届くって! どれだけ高いところにいても、『本物』だけはちゃんと届くって! 俺が本物だって思ってるうちは本物なんだ! だから、ちゃんと遥にも届くって!」

「…………っ!」

 まさか。

 そう、まさか。

 彼が……四季が。

 私に、私と同じ感情を持っていたとでも言うの?

 こんな遠くにいたのに、手を伸ばして求めてくれたの?

 誰もこない、って勝手に諦めていた私のところに、

 手を、さし伸ばしてくれたの………?

「……四季…」

 気付く。今の距離に。

 零、皆無、密着。

 どれだけ今まで距離を感じていようとも、肉体的には離れていない。

 どれだけその才覚に差異があろうとも、その言葉が届かないわけではない。

 感情は言葉によって裏打ちされるもの、故、その距離が小さいのならば、どれだけ間に差異があろうとも、それがとどかない由縁はない………。

「………気付かなかった……」

 ぎゅっ、と。

 四季の制服を、握り締める。

「……こんなに……近くにいてくれたのに……」

 才能の距離が二人の間を遠くした。自分にはふさわしくないと、自分には届いていないと、勝手に勘違いして、ただ彼の才覚に近い人間がふさわしいと勘違いした。

 それは一体、どれだけ愚かで、馬鹿で、無遠慮で、無感動で、

 そして、どれだけ酷いことだったんだろう。

「――――っ、ごめん、なさい……」

 握り締める手に自然と力がこもる。

 こんなに近くにいてくれたのに、気付かないなんて。

「………ごめんなさいっ………」

 心から搾り出すような声音。搾り出された声は涙に濡れて、届いた声は濁って届かない。

 だけど、こんな私を。

 彼の手は、抱きしめていてくれた。

 ずっと、ずっと。たぶん、同じようなことがあってもこの先ずっと。

 そうしてくれることを実感できたから、実感してしまったから。

 だから、まず言おう。

「ごめんなさい……本当に」

 だけど、

「……ありがとう……」

 そして、


「―――――大好き」



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