呼び名に意味があるのなら
同じ部屋にいても好き勝手なことをしているが、決まった行動というのも確かにあって、はっと我に返った蛍灯に、もうこんな時間かと目を細めた。
「大変! 始まっちゃう」
蛍灯の独り言に気付いて、本のページをめくっていた蜻蛉がテレビの電源に手を伸ばす。
「メェちゃん、そこのピコピコ貸して!」
「へ? ピコピコ?」
呼ばれた羊が妙な声をあげた。
「もゆる君、君が欲しいのはコレのことかな?」
絡繰が持ち上げたのは、テレビのリモコン。
「そう! イトちゃんありがと! あれ? "ピコピコ"っていわない?」
「いわないよー」
「そうかなぁ。じゃあ、メェちゃんはなんていう?」
うっと言葉につまった羊の代わりに、絡繰がリモコンを差し出して、肩を竦める。
「そうだね。我が家は"チャンネル"、かな」
「へぇ。絡繰サンの家は、そうなんだ」
「そういう蜻蛉君はどうなんだい?」
「残念ながら。面白みなく"テレビのリモコン"だから」
唐突に集まった視線に溜息をつくと、蜻蛉が小さく笑った。
「あきサンはイメェジないよね」
「残念ながら。"カチャカチャ"っていう」
「へぇ。意外な感じ」
「もゆる君の"ピコピコ"、あき君の"カチャカチャ"は、オノマトペの一種といえるかな」
「そんな音鳴らないけどね」
「でも、カゲちゃん。小説でも良く使うじゃん? "しくしく"泣く。"リンリン"鳴る。"カタカタ"打つ」
キーボードを叩く真似をしてみせて、蛍灯は小さく肩を竦める。
「擬音って取っ付きやすいんだよね。幼児語にも通じるけど」
「そういう意味でも、絡繰サンの"チャンネル"は、媒介と媒体がイコールになってるわけだから、所謂"定規"を"線引き"って呼ぶようなものだよね」
「導く結果だから、確かに解りやすいと思うなぁ。歯を磨くから"歯磨き"って風に」
「"歯磨き"って"歯ブラシ"のこと?」
「そうそう。髪ゴムとかバレッタとか総称して、"髪留め"とかね」
「そういえば、先日友人が、髪留めを"パッチン"と呼んでたね」
「あ、解るなぁ! ICカードとかは"ピッ"ていっちゃうんだよね」
「電子レンジを"チン"て呼んでる友達がいるんだよね」
「玄関のチャイムのこと、"ピンポン"って呼んでるのは聞いたことあるけど」
「それこそ、公共バスの降車ボタンを"ピンポン"ていうよね」
「"ピンポン"は卓球だと思いますが」
ぽんぽんと飛び交う言葉の応酬を眺めていると、不意に絡繰がはたと顔をあげる。
「そういえば」
「どしたの、絡繰サン?」
「もゆる君。テレビは良いんですか?」
「うわぁ!」
はっと思い出したように、蛍灯がリモコンを操作してチャンネルを変えると、目当ての番組の代わりに青いグラウンドが映し出された。
『本日は試合延長のため、予定を変更してお送りしております。なお、この時間に予定されていた番組については、来週』
「良かったぁ。普段なら憤慨ものだけど、今日は感謝だよ」
「案外媒介呼びのものって多いね」
「そうかい?」
「今、絡繰サン、"テレビ"っていったけど、正確に云えば、"番組"が正しいよね?」
「あ、そっか。でも、私もいうかも。"テレビ見ていい?"とか」
「媒介呼びは対象が明確だからね」
小さく苦笑して、絡繰は机の上から絆創膏を取り上げる。
「あとは、一般名称と商品名というのもそうではないかな?」
「あ、それ解る! みんな一緒くたで考えてるから、通じちゃうんだよね」
うんうんと頷いた羊に、途端に蛍灯が不思議そうな視線を向けた。
「メェちゃん、それどういう意味?」
「ほら、絡繰ちゃんの持ってる怪我した時に貼るもの、もゆるちゃんは何ていう?」
「え? えぇと、バンドエ」
「もゆるサン。それ、商品名だから」
「うえぇ? そうなの?」
「そうだよー。絆創膏が正解かな」
「あとは、そうですね」
うむと首を傾げた絡繰に、肩を竦めて口を開く。
「波打ち際の波止めブロック」
「あぁ、それは有名ですね」
「それって、もしかしてテトラポ」
「その通りです」
「うえぇ? し、知らなかったよ」
驚いたような蛍灯に、絡繰はくすりと笑った。
「まぁ、結構多いと思いますよ。それこそ、代表的な商品は代名詞のようになってしまいますし」
「確かに、虫刺され軟膏、うがい薬、引っ越しなんかの緩衝剤、なんかはいい例だよね」
「だってひとつの会社でしか作ってないものもあるもんね」
蜻蛉と羊が顔を見合わせ、それから唐突に蜻蛉がぱちんと指を鳴らす。
「それこそ、此処だってそうでしょ。もゆるサン」
「えぇ?」
「もゆるサン、羊サン、絡繰サン」
「あきちゃんに蜻蛉ちゃん」
「それぞれ名前を持ってるけど、総括して”そらみみ”は、あてはまる訳だし」
「まぁ、”そらみみ”って呼ばれたら、振り返っちゃうもんね」
納得したように頷いた蛍灯に、僅かばかり目を細めた。
名前というのは不思議なものだ。
自分と世界を分けるための言葉。
そして、その分けた世界と自分が繋がるためのもの。
独りきりなら、名前なんて必要ない。
リモコンでも、ピコピコでも、カチャカチャでも、自分ひとりそれが何かわかっていればいいから、名前を呼ぶこともない。
けれど、世界とそれを共有しようと思ったら、其処にはどうしたって言葉が、名前が必要になってくる。
存在しない事象には名前がなく、名前がある以上この世界にその事象は存在する。
この場所が「そらみみ」の名に縛られているように。
「(去る者追わず、か)」
この場所が「そらみみ」であることはずっと変わらない。
けれど、内包される人間の方は、きっとどんどん変わっていくのだ。
それは個人に当てられた名前ではないのだから。
眩しそうに4人を眺めて、零れそうになったため息を飲み込んだ。
今はまだ、未来の不安は必要ない。
今この時間、この空間が全てで良い。