文字使いにも継げる歌なら
「雨あめ、ふれふれ。母さんが」
しとしとと降り出した雨に、創作活動を中断した羊が窓辺によって声をあげた。
梅雨入り宣言前だというのに、良く降る雨にうんざりしてしまう。
けれど、羊は雨が好きらしい。
この間も買ったばかりの傘を持って、雨の中に出て行った。
「蛇の目でお迎え、嬉しいな」
「そういえば、蛇の目傘というのは種類がいろいろあったらしいですね」
同じく手を止めた絡繰が、ふと思い出したように呟く。
「ふうん。例えば? 絡繰サン」
「歴史としては元禄の頃で、塗りによって黒蛇の目、渋蛇の目、奴蛇の目などと呼び分けられていたとか。先は、僧侶などが用いていたようですが、明治以降は主に女性が用いたと聞きますので、このように歌われているのでしょう」
「へぇ。流石物知り」
「蜻蛉ちゃんとは大違いだねー」
「因みに、羊サン。その歌、最後まで歌える?」
一番を歌い終えて口を挟んだ羊が、途端に頬を膨らめた。
「蜻蛉ちゃんの意地悪。どうせ一番しか知らないもん」
「羊君。あめふり、は五番までありますよ」
「そんなに長いの?」
「あきサン知ってる?」
唐突に投げられた言葉に、顔を上げて肩を竦める。
「知らない。蜻蛉が童謡に詳しいことも知らなかった」
博識な絡繰はさておいて。そっけなく紡ぐと途端に蜻蛉が不機嫌に目を細めた。
「母親が良く歌ってくれたから。あきサンは全然知らないんだ?」
「作詞が北原白秋なのは知ってる」
「変なとこで物知りだよね、あきサンて」
「ねぇねぇ。童謡クイズやろうよ」
ぱたぱたと窓枠から離れて、羊がぽんと手を叩く。
きょとんとした絡繰をびしっと指さして、まず絡繰ちゃんからね。羊はニコリと微笑んだ。
「まず、ですか?」
「何でもいいよ?」
「ええと、では。鯉のぼりが泳ぐのは、何の波と何の波の間でしょうか?」
簡単すぎますか?。困ったように目を細めた絡繰に、羊が首を振って眉を顰める。
「鯉のぼりって、屋根より高い鯉のぼり、だよね? 波ってなに?」
「羊サン、もう一曲知らないの?」
「もう一曲?」
「甍の波と雲の波、重なる波の中空を。てのがあるんだけど」
「えー、知らないよ? そんな歌があるの?」
「あきサン、これは知ってる?」
「一番はね」
困ったように肩を竦めると、これは三番までありますよ。絡繰が小さく笑った。
「私も、一番だけ知ってるの結構多いかなぁ。ひなまつりとか、とうりゃんせとか」
「とうりゃんせはもともと一番だけですよ、羊君」
「あれ?そうなの?」
「はい」
「羊サン、全部歌える歌はないの?」
驚いたような蜻蛉に、羊は一瞬焦ってから、はいと手を上げる。
「あるよ、あるある。雪! 雪やこんこん、霰やこんこん」
「え?」
「だから! 雪やこんこん! 霰やこんこん! 振っては降ってはずんずん積もる! だよ」
唐突に笑い出した蜻蛉と絡繰に、羊が目を丸くしてこちらを見た。
二人は笑いが収まらないらしく、仕方がなく口を開く。
「羊。こんこ、が正解だから」
「え? こんこ?」
「そう。こんこんではなく、雪やこんこ」
「えー? そうなの?」
もっと目を丸くした羊に、蜻蛉が漸く笑いを収めて頷いた。
「可愛いけどさ、こんこん」
「狐みたいですね」
くすりと笑って、けれど。と絡繰が続ける。
「語源があやふやですから。”来む来む”であるなら、こんこん、で間違っていないという解釈も聞いたことがあります」
「滝廉太郎の『雪やこんこん』は?」
そう口にすると、絡繰は頷いて、曲は違いますが。と小さく微笑んだ。
「奥が深いんだね、童謡って」
「都市伝説とか、本当は怖い、とか結構騒がれてると思うけど?」
「あ、かごめかごめとか?」
「あれは本当に多いですね。埋蔵金なんて話も聞きますし」
僅かに目を細めて、絡繰が不意に口を開く。
「お月さんいくつ、十三ななつ。まだ年は若いね。と」
「絡繰、かごめかごめに連想してそれ歌うと、歳が解るよ」
「おや。そういうあき君も似たような歳でしょうに」
「喧嘩しないでよ、あきサンも絡繰サンも。童謡は、歌い継がれてこそなんだから」
「そういう蜻蛉君の、気に入っている曲はなんですか?」
絡繰の問いかけに、蜻蛉は目を瞬いて腕を組んだ。
「そうだなぁ。昔はよくおちゃらかやって遊んだけど」
蜻蛉の言葉に、羊が楽しそうに歌いだす。
「おちゃらか、おちゃらか、おちゃらか、ほい!」
「絡繰サンは?」
「私は、冬景色ですね。良く祖母が歌っていたので」
「早霧消ゆる湊江の、舟に白し朝の霜。ただ水鳥の声はしてー」
あき君はどうです?。投げられた言葉に頬をかく。
気に入っているかはさておいて、口をつくのはあの歌だ。
「でんでらりゅうばでてくるばってん、でんでられんけんでてこんけん」
「でんでられんけんでてこんけん」
「最近有名になりましたね、その曲も」
「ほんとだよね」
「羊は?」
「雪も好きだけど、村祭りも好きなの! あのお囃子のところとか」
ふふふと笑った羊が、唐突にあっと声を上げた。
「あ、晴れてきた!」
「あぁ、本当ですね」
雨上がりの、澄んだ空気がふわりと部屋を満たしていく。
それは何処か、荘厳さを含む日本らしさに似ていた。
窓を開けた蜻蛉が、気付いた様に振り返る。
「梅雨が終われば、祭りの季節だね。羊サン」
「うん。みんなで花火見に行こうね」
「良いですね」
「ドンと鳴った、花火だ。綺麗だな」
蜻蛉の歌声を聞きながら、ふと思う。
歌は歌い継がれて、生きていくものだ。
途切れてしまえば、後には何も残らない。
歌詞だけの歌は、詩でしかない。
童謡も、お囃子も、ヒットソングも、それは変わらない。
「歌われてこそ、歌は歌、か」
何百赤い星、一度に変わって青い星、も一度変わって金の星。
口をついたメロディに、小さく肩を竦めた。